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2007.08.12

日光旅行記1日目その2

2007年6月10日(日曜日)

二荒山神社へ 東照宮から二荒山神社に向かったときには16時近かった。やはり、2回の雨宿りが痛い。
 東照宮から二荒山神社に行くには、広い真っ直ぐな砂利道が伸びていて、迷いようもない。
 この道も石灯籠が並び、石垣が見え、杉の木が並ぶ、とても歩いていて気持ちのよい場所だった。さらに鳥居をくぐって、二荒山神社の境内に入ったときは、あまりの清々しさに驚いた。

二荒山神社" この写真だと私が受けた印象がほとんど伝わらないのが残念だ。
 これまで東照宮の、ある意味ゴテゴテきらきらした建物をずっと見ていたからかも知れないし、雨のせいかも知れないけれど、だだっ広い、小砂利が敷き詰めてあるだけの境内に本当に「清々しい」としかいいようのない空気が満ちていた。
 本殿が背負っている杉の森の上の方には霧がかかり、さらにその雰囲気を強める。
 拝殿まで上がることができ、この建物自体もがらんとしていて、驚くほど飾り気がない。時間があったらここでずーっとぼんやりしていたいと思わせる空間だ。

 境内には、三本杉や親子杉、夫婦杉などの杉の巨木・老木がある。
 正面の鳥居を出て道を下る途中に縁結びの木があった。もっとも、それが杉の木だったかどうかすら覚えていないくらいだから、私はきっと縁結びのご加護はいただけないだろう。
 夫婦杉らのご縁を望む人が多いのか、二荒山神社のお守りには縁結びに関するものがたくさんあった。二人で一つずつ持つという可愛いお守りもあったけれど、考えてみるまでもなく渡す相手もいないので残念ながら購入は見送った。

神苑 二荒山神社では、神苑(別に拝観料200円が必要)に入って、二荒霊泉(できれば、二荒霊泉でたてたお抹茶)を頂きたいと思っていた。時間も迫っていたので、入口から写真を撮っただけで断念する。この写真の奥に見えている鳥居のさらに奥に二荒霊泉がある筈だ。
 もう一つ残念だったのは、「ひとりたび1年生(たかぎなおこ著)」に書いてあった「二荒山神社で輪投げ」を見つけられず、チャレンジできなかったことだ。
 いつかリベンジしようと思う。

二つ堂 二荒山神社の表参道を下りたところの建物も拝観できそうだったので「いいですか?」とそこにいたおじさんに尋ねたら、「これから見るところだったのか? 早く早く。」とせき立てられた。
 拝観は16時30分までで、そろそろ閉める準備を始めるところだったらしい。
 中に入れてもらって見せていただいたのに、記憶に何一つ残っていないのが申し訳ない。
 この二つ堂が輪王寺の建物であり、常行堂と法華堂を渡り廊下でつないであり、比叡山延暦寺とここにしかない珍しい様式の建物だということだって後になって調べて初めて知った。

 先ほどのおじさんに「大猷院も4時半までしか入れないよ。急ぎな。」と教えてもらい、慌ててすぐそこに見えている家光廟大猷院にダッシュして、何とか入れてもらうことができた。
 これで、少なくとも共通拝観券は全て使ったことになる。

 家光廟大猷院は基調となっている色が黒なので、金をふんだんに使ってあっても日光東照宮のような「ド派手!」という印象はない。
 もっとも、夕方の拝観時間ぎりぎりに入場したので辺りには人気もなく、だから余計に「幽玄」という雰囲気が強まっていたのかも知れない。

二天門 入口になっている仁王門を抜けると、水舎が右手にある。水舎の天井には竜の絵が描いてあるけれど、薄くなってしまっていて「竜の絵だったのだろうな」という感じだ。勿体ない。
 その向かい側の階段を上ったところに二天門がある。人が通る高さくらいまでは比較的普通の門で、その上は装飾過剰と言いたいくらいに何だか頭でっかちに見える。
 この門は、日光山内で最も大きな門だそうだ。
 「大猷院」と書かれた額が飾られていて、これも後水尾天皇の筆だという。
 この写真は、二天門を抜け、さらに階段を上がって夜叉門の手前まで行ったところで上から見た二天門である。

夜叉門 家光廟大猷院は階段の多いところで、そこからさらに上がって夜叉門に到達する。
 家康を慕い尊敬した家光が死後も家康公にお仕えすると遺言したことから、家光の墓所がここに作られ、家光廟大猷院は日光東照宮の方を向いているという。「上から見下ろしては失礼だ」という発想はこの頃にはなかったのだろうか。東照宮の奥の院よりは低いところにあるのだろうか。
 この夜叉門を見ると、黒と金と赤(と緑)が基調になっていることがよく判る。

 夜叉門から奥に見えているのが唐門で、その奥に拝殿・本殿と続く。
 拝殿までは上がることができ、行くことのできない本殿まで見通すことができる。すのこで靴を脱いだ記憶があるから、拝殿に上がったことは確かだ。しかし、とてもとても有名らしい、狩野探幽らが描いた唐獅子(壁絵)すら見た記憶がない。天井にド派手な竜の絵がたくさんあったことが薄ぼんやりと思い出せるだけだ。
 我ながら教養と素養のなさが情けない。

外観 東照宮では拝殿や本殿は外から全体像を見ることもできなかったけれど、家光廟大猷院ではすぐそばまで近づいて見ることができる。
 拝殿から見たときに廊下のように見えた相の間とその奥の本殿は、外から見ると実はこういう風になっていたのだ。
 誰の意思だったのか、どこまで行っても、黒と金と赤を基調とした建物群である。

皇嘉門 どこまで行っても基調色は黒と金と赤なのかと思っていたら、家光のお墓のある奥の院の手前の門だけは、何故か白が多かった。
 皇嘉門というそうだ。
 日光東照宮では奥の院まで入れてもらえたし、家康のお墓のかなり近くまで行けたけれど、家光廟大猷院ではお寺の人でも滅多に奥の院には入れないそうだ。
 何だか、家康よりも家光の方が重んじられているのかも知れない、という気分になる。
 
 拝殿のところのすのこに座りこんでいる男の人は、荷物も持っていないし、お寺の方とお話ししているし、観光客には見えない。一体何をしている人なのだろうと思っていたら、ぐるりと回って唐門に戻り、階段を降り始めたところでやっと判った。最後の入場者である私が出たことを確認し、門を閉める係の人なのだ。
 でも、急かすようなことは全くせず、私が階段の途中で立ち止まって写真を撮っていると、少し離れたところでやっぱり立ち止まって待っていてくれる。
 まだ閉門時間前でもあったので、有り難くゆっくりと家光廟大猷院を独り占めして堪能し、17時ギリギリに門から出た。

 本日の宿であるペンションには18時頃に行くと連絡してあった。あと1時間くらいある。
 ガイドブックを眺めていたら、西参道からペンションに向かう途中に憾満ヶ淵と百地蔵があることに気づき、そちらを歩きながらペンションに向かうことにした。

 日光田母沢御用邸公園入口のところでバス道路を外れて路地に入る。この公園はすでに門が閉じられている。その先は普通の住宅街だ。
 不安になって何度か玄関先で四方山話をしていた方に「憾満ヶ淵はこっちでいいですか?」と道を尋ねながら歩き、史跡探勝路に入ることができた。
 もっとも探勝路に入ってから後の方が、何だか寂しい土の道だし、暗くなってくるし、歩いている人はいないし、案内も全くなくて不安になる。ニッコウキスゲの咲いている公園のようなところを通りかかったときは得した気分になったものの、途中で浄光寺に入り込んでしまったりしたので、迷子になっていないかどうか、かなり不安だった。

憾満ヶ淵 JR東日本の駅で配られているフリーペーパー「旅ばあ〜ん」の2007年5月号でも日光が特集され、そこで紹介されていた憾満ヶ淵は白い水しぶきが上がる美しい川の絶景だった。
 でも、雨上がりはいけない。水はこんなに茶色く濁ってしまっていて水音も荒く、ちゃんと水音がお経のように聞こえるか確認することもできなかった。
 この川は大谷川というそうだ。
 手前に見えている四阿のようなところには外国人カップルが陣取っていて、お邪魔するにはちょっと勇気が必要だったので大人しく通り過ぎる。

百地蔵 憾満ヶ淵からすぐのところに百地蔵があった。
 浄光寺を通る辺りからお地蔵様が道筋に時折並んでいたので、その辺りから全てを含めて百地蔵なのだと思う。
 お地蔵様の数を数えると、行きと帰りとで数が違っているという言い伝えがあることから化け地蔵とも言われている。私は足早に先を急いでしまい、数えることはしなかった。
 曇り空の日も傾いた時間に見るお地蔵様はちょっと薄気味悪く、赤い頭巾や前掛けが妙に赤く見えて、化け地蔵と言われるようになったのは、たくさんあって数え間違えることが多かったせいだけではないに違いないと思えた。

大日吊橋 百地蔵を通り過ぎた後も、「この道でいいのかな」と散々迷い、お散歩していたらしいご近所の方に「この道を行って国道に出られますか。」と教えてもらい、やっと大日吊橋という名のやたらと立派な吊り橋を渡ってバス道路に出ることができた。
 バス道路には出られたし、宿泊予定のペンションがこの近くにあることは判っているけれど、ホテルやペンションがたくさんあるのに目指すペンション木馬はどこにも見当たらない。
 とうとう音を上げてペンションに電話して場所を尋ねたら、車でお迎えに来てくださるという。助かった。
 もっとも、車で迎えに来てもらうほどの距離でもなく、辿り着いてしまえば非常に判りやすいところにあって、ペンションのご主人にはお忙しい時間帯だろうに申し訳ないことをしてしまった。

ペンションの部屋 寒いからとお部屋に暖房を入れてあった。「迷子になったかも」と思いつつ足早に歩いていた私は既に汗だくで、慌てて切らせてもらう。
 もうちょっと部屋(照明)が明るい方が有り難いけれど、まずまず快適である。
 今日は日曜日としては混んでいるんですよというお話だった。少し休んで18時30分から頂いた夕食には、4人連れの方が一組と、出張でいらしている感じの男性がお一人、私の3組が集まった。

 夕食の写真はご遠慮くださいということだったので、黒板に書かれたメニューをメモした。

前菜 精進ゆば・生湯葉と山芋とサーモンを重ねたもの・空豆の生ハム巻き
スープ エビしんじょ(多分、蕪が入っていたと思う。こしょうが効いている)
サラダ 生湯葉とグリーンサラダ
ステーキ 付け合わせは、野菜(カボチャ・ゴボウ・レンコン)の素揚げ
      ブロッコリー・ニンジンのスープ煮
      グリーンピースとマッシュポテトのソース添え
ごはん やしろますの炊き込みご飯
デザート 黒ごまのアイス(餡とクコの実添え)

 夕食を食べている間に日が暮れ、暗くなる前一瞬、空には青空が覗いた。今頃になって晴れるなんてと、ちょっと複雑な気分だ。
 このコースに白ワイン(500円)をつけていただいた。かなりゆっくりと供されて、もちろん完食する。とても美味しかった。

 このペンションではお部屋のお風呂とは別にアロマバスを用意してもらうことができる。
 せっかくなので21時からお願いした。聞いてみたら私の後に待っている人はいないということで、有り難くのんびりとアロマ&バブルバスを楽しむ。サウナの調子が悪くて使えませんと説明があったけれど、元々私はサウナが大の苦手なので問題はない。
 キャンドルが灯され、アロマライトが置かれたバスルームを占拠して、ゆっくりと1日歩いた足腰を労った。

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