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2007.08.04

日光旅行記1日目その1

2007年6月10日(日曜日)

 よく考えると久しぶりの[ツアーに一人参加」ではない形の一人旅だ。
 昨年の熊野古道ツアーで自主的に1泊延泊したのを一人旅に数えないとすると、10年以上ぶりかも知れない。我ながら、意外だ。

 最寄り駅を8時30分過ぎに出発し、東武日光線の快速日光行きに乗り換えた。スペーシアとそれほど所要時間は変わらず指定席料金がかからないとあって、かなり混んでいる。何とか一人分の空席を見つけて座った。
 今日の予定を考えようと思っていたけれど、眠気には勝てない。気がついたら今市だった。
 今市でかなりの人が乗ってくる。今日、浅草からスペーシアで来て乗り換えたというよりも、昨日から鬼怒川温泉に泊まっていて、今日は日光を観光してから帰ろうという感じの人々が多いように思う。
 満員の電車は、11時17分に東武日光駅に到着した。

 まず、駅構内のバス案内所に行き、2日間有効で中禅寺湖温泉まで乗り降り自由の東武バスのフリー切符を購入する。2000円だ。日光駅から中禅寺湖まで往復すれば元は取れる。
 世界遺産めぐり巡回バス(日光市内の二社一寺を巡るバス)の時間まで、駅前のお土産物屋さんを覗いた。

 「勝道上人像前」でバスを降り、チケット売場に向かう。
 ガイドブックを見ると、どこを見たいかによってどういう風にチケットを買えばお得かが変わってくるから研究するようにと書いてある。でも、電車の中で検討するはずが熟睡してしまったので、とりあえず2日間有効だという共通拝観券を1000円で購入した。

P6100173 輪王寺から順に拝観したいと思ってきょろきょろしても、一体どこから輪王寺が始まるのかサッパリ判らない。
 何となく人の流れに従って歩いていたら、「今から説明が始まります。」と呼び声がかかり、入ろうとしたら拝観券にハサミが入れられてやっとそこが輪王寺の三仏堂であることが判った。
 輪王寺というお寺の門があるとか、塀に囲われているという訳ではないようだ。

 三仏堂は、千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音が揃って祀られていることからこう呼ばれている。三体は全て木造だ。
 このお三方が日光山のご本尊で、家内安全の御利益があるそうだ。
 また、このお堂自体も珍しい中壺つくり(と言っていたと思う)で、この三仏堂以外には比叡山延暦寺とあと1ヶ所(聞いたけど忘れてしまった)の3ヶ所しか残っていないそうだ。

 説明を聞いて、千手観音には42本の手があって、胸前で合掌する2本の手を除いた40本の手がそれぞれ25の世界を救うという考えから1000本の手になるということを初めて知った。
 また、十二支それぞれの守り仏が決まっていて、その十二体全てが揃って祀られているのは珍しいそうだ。「ご自分の干支の前でよくお参りしてください。」と案内され、有り難く阿弥陀如来に手を合わせた。

 この後、普通のお守りはいただいて1年たったらお返ししてお焚きあげしていただくけれど、干支のお守りは一生お守りくださるという。「どうぞお買い求めください。」と言われた。
 まだ先もあるしと思って買わなかった。実際のところ、こういた案内は日光山内で何度も聞くことになる。
 二社一寺回った中では、三仏堂の守り仏を表す梵字がついたお守りが一番格好良かった。
 次回行くことがあったら、ぜひ買い求めようと思っている。

 三仏堂の奥に護摩堂(だと思う。いちいち「だと思う」付きで申し訳ない)があった。
 特定の日に写経の会が開かれている場所だ。私のここでのお目当てはお線香である。輪王寺で使用しているのと同じお線香や、杉の木だけから作られたお線香などが売られている。
 また、お経の一節が書かれたお線香もあった。
 香りを比べて、甘くない清々しい感じの「輪王寺」という名前のお線香を買い求めた。

相輪橖 この建物の前に相輪橖もあって、写真にも撮った。それなのに、何だかよく判らない塔だなと思っただけでよく見なかったのが我ながら情けない。
 情けないといえば、輪王寺にある逍遙園という日本庭園(こちらは、共通拝観券とは別に入場券が必要になる)にも行こうと思っていて、気がついたら輪王寺から出てしまっており、どこに入口があったのかさえ判らないままになってしまった。

 どうしてそんなに足早だったのかといえば、12時30分を回ってお腹が空いていたからだ。
 輪王寺を出て東照宮に向かう途中、参道を少し外れたところに金谷ホテルが出しているレストランがあり、そこでお昼ご飯をいただくことにした。
 100年前のレシピを復活させたという100年カレーの「鴨」(1700円)を選ぶ。今いただいても全く遜色ないカレーで、鴨のお肉が柔らかくて美味しい。
 この支店は2007年4月に開店したそうで、ガイドブックに載っていない筈だと納得した。

御仮殿 レストランを出てぶらぶらしていたら、さっきは閉まっていた「御仮殿」が開いていた。「特別公開中」などという看板を見たら、それは中に入ってみたい。
 御仮殿は、本社を修理するときに、神霊を一時的に移しておく建物だ。通常は仮設して修理が終わると取り壊すけれど、東照宮はしょっちゅう修理しているので常設で置かれていたらしい。
 外見の地味さに反して、中は豪奢に派手な感じだった。こちらに神霊があるときは行事のすべてをここで行うということだから当たり前かも知れない。
 もちろん内部は撮影禁止だけれど、入口の外から中を撮ってた。雨が降り始めて暗かったのと、傘を持ってバランスが悪かったのとで、ぼけぼけな写真になってしまった。
 
 雨が降ったり止んだりしている中、五重塔を通り過ぎ、東照宮に向かう。
 何となく東照宮の絵はがきを購入し、表門で共通拝観券を切ってもらい、中に入ってア然としてしまった。
 ド派手すぎる!

 本当に赤ちゃんの頃に日光に連れて来て貰った写真がわが家に残っているだけで、物心ついてからこちら、私は日光に来たことがない。
 東照宮も「派手だ」という話こそ聞くものの、写真や映像でもそれほど熱心に見たことはなく、ほとんどイメージを持っていなかった。
 なので、この先さらに派手なモノが待っているとも知らず、表門を通り抜けたところで思わず立ち止まって絶句した。

三猿 そして、表門を入って左に行った左手に人だかりができていると思ったら、そこに「みざるいわざるきかざる」がいた。
 猿は馬を病気から守ると言われていたため、厩に猿の彫刻が飾られたそうだ。
 「みざるいわざるきかざる」だけが何故か有名だけれど、この厩には都合8枚の「猿」が飾られていて、猿の一生を表しているそうだ。
 邪気のない子供の猿は身を守るために「みざるいわざるきかざる」で通しなさい、という教えのようである。

陽明門 陽明門である。
 500を超える彫刻が施され、一日見ていても飽きないところから「日暮らし門」とも言われているというのは余りにも有名な話だけれど、私は3分くらいで飽きてしまった。あまりにも彫刻で埋め尽くされていて、何をどう見ればいいのかどれが彫刻でどれが装飾でどこが門なのか、判らなくなってくる。
 青いところに金の文字で「東照大権現」と書かれた額は、徳川家康の孫娘である和子が嫁いだ後水尾天皇の筆によるものだそうだ。日光に行くのだからと宮尾登美子の「東福門院和子の涙」を読んでいたので、縁のものの出現に何となく嬉しくなった。

 陽明門を入ってどこを見ればいいのかよく判らず、人の流れに沿って歩いていたら本社の入口に着いてしまい、そのまま上がることにした。
 小学校のような下駄箱が並んでいる。

 中に入ると、畳のお部屋が人でいっぱいになっており、巫女姿の女性から説明が始まった。
 拝殿は、江戸時代には大名以上の身分の人しか入れなかったそうだ。今が江戸時代だったら上がることもできない場所に膝を崩して座っているのは申し訳ないくらいだ。
 天井の郷間は100あって、それぞれに違う姿の竜が描かれているという。
 また、部屋のぐるりを三十六歌仙のカルタが飾っていて、歌はこれもまた後水尾天皇の筆だそうだ。
 隣の将軍の待合室との境にある扉は杉の一枚板で、竹と麒麟の絵を描いたのは狩野探幽である。

 そのまま奥の何段か下がった石の間に移動し、次は男性の方の説明があった。
 石の間に入ったところでお祓いを受ける。江戸時代には御三家の方々しか入れなかった場所だそうだ。正面の本殿への扉は閉ざされている。
 天井は鳳凰で、徳川家光の時代から塗り替えをしていないという。そういう場所は少ないらしく、「よく見ておいてください。他とは違うでしょう。」と言われたけれど、もちろん私にその違いは判らない。1平方センチを修復するのに2万円かかると聞いて、ひええと思ったくらいだ。
 本殿への扉の上には獏が描かれている。獏は鉄と銅を食べる動物で、平和な世の中にしか現れないと信じられていたそうだ。「夢を食べる」という今言われている伝説と何か関係があるんだろうか。

大雨 拝観を終えて外へ出ようとしたら、いきなりの大雨に阻まれた。
 この写真で、雨が白く糸を引いて、すぐそばにある陽明門が霞んでしまっているのが判るだろうか。本当にバケツをひっくり返したような大雨だった。
 下駄箱が並んでいる場所のすぐ脇に板の間に座り込み、お尻が冷えるなと思いながら、先ほど購入した絵はがきを取り出して友人に「雨宿り中」と便りを書く。

 2枚書き終わっても雨の勢いは弱まらず、拝殿の方に引き返して、匂い袋のお守りを買い求めた。通常のお守りが1年ごとにお焚きあげすることは輪王寺のところで書いたけれど、この拝殿でしか売っていないというお守りは、香りが消えるまで持っていていいそうだ。
 「どれくらい香っているんですか。」と尋ねたら、「持つお人によりますね。1年で香りがなくなるときもありますし、8年大丈夫だったという方もいます。」というお返事だった。願わくば長持ちしますようにと思う。

 30分以上も雨宿りして多少は雨足が弱くなってきたので、奥の院に向かった。
 奥の院に行きたいというよりも「眠り猫」を見たかった。眠り猫を見るためには共通拝観券の他に奥の院に行くチケットを購入する必要がある。
 520円払って眠り猫だけは悔しすぎる(もっとも、そういう方も結構いらっしゃるようだった)ので、その先にも行こうと思う。

眠り猫 眠り猫は小さかった。「この上」みたいな張り紙がしてあるのもむべなるかなという感じである。
 ちょうどそこにガイドさんと一緒の団体が来て、漏れ聞こえてきたところによると、この猫は一見眠っているように見えるけれど、耳を立て、すぐに飛びかかれる警戒態勢にあって、家康の眠りを守ろうとしているのだそうだ。そう言われてみれば、獣の眠りという感じである。
 また、名匠と言われる左甚五郎作の彫刻は東照宮にこれ一つだけで、そういう意味でも貴重なものだという。

 そのまま、長い石畳の道と階段を辿り、奥の院に向かった。
 石畳と言うには整いすぎているこの道は、杉木立の中を抜け、人も少なく、雨さえ降っていなかったら清々しいとてもいい場所だと思う。
 雨が降っている今は、石段を流れ落ちてくる水が邪魔だ。
 拝殿のある一歩手前に自動販売機とベンチを並べた場所があり、再びしばし雨宿りをすることにした。びしょぬれの靴下も脱いでしまう。足元はアウトドア用のサンダルだから裸足でも大丈夫だ。

 修学旅行だと思われる小学生が次々と現れる。先生のチェックを受け、「この修学旅行は一生忘れない。」という名台詞を残し、元気よくまた去って行く。
 ついでに書くと、ここまで上がってくるカップルは何故か相合い傘が多かった。二人で1本しか傘を持っていないようだ。それならば、何もここまで上がってくることもあるまいに、願いをかなえてくれるという叶杉が目当てなんだろうか。

奥の院 奥の院の本当の一番奥に、徳川家康の棺が納められた宝塔がある。建立以来、一度も開けられたことがないそうだ。開けたら、天海僧正秘伝の何かが入っているのかも知れないし、災いが起こるという口伝があるのかも知れない。
 その向こうに写っているのが鋳抜門で、扉以外は一気に鋳造で作ったという。
 さらにその奥に写っているのが、拝殿だ。
 すでに修学旅行の小学生の姿はなく、何だか広くてがらんとしていて、雨に濡れて全体が黒光りしていて、不思議な感じの場所だった。

唐門の龍唐門のツツガ


 ゆっくり戻って、小降りになった雨の中、本社の正門である唐門を見上げる。
 この唐門は、今でもお祭りのときと国賓が来たときしか使われていないそうだ。
 柱に施された昇り龍と降り龍が有名らしい。私が気になったのは屋根の上の龍とツツガで、この左の写真が龍で、右の写真がツツガである。
 この「ツツガ」という響きは、絶対に何かの小説で読んだことがあるけれど、未だにそのタイトルが思い出せないでいる。

雨に濡れる珍獣 再びド派手な陽明門を仰ぎ、中でもさらに派手に見えた、何なのかよく判らない「雨に濡れる珍獣」をカメラにおさめる。
 東福門院和子が奉納した一本灯籠や、完璧な(完成した)ものは壊れるという発想からわざと上下逆にしたといわれる陽明門の柱、同じ発想からなのか、徳川の葵の紋を逆さにした釣灯籠などを確認する。
 徳川家康か天海僧正か、あるいは両者ともなのか、きっと用心深くて小心な人物だったに違いないと不遜なことを考えた。

 陽明門を後にし、右手に逸れて鳴竜に会いに行く。
 陽明門からすぐの、三猿などから地続きの場所にあるのに、鳴竜を天井に擁する本地堂はお寺だそうだ。ややこしい。
 お寺の方が、縦6m横16mもある竜の頭の真下に当たる、その場所だけ畳を剥がした板の間で拍子木を鳴らすと、確かに「キ〜〜〜ン」というようなやけに可愛らしい、それこそ鈴が鳴るような声がした。それも、かなり息が長い。
 拍子木を鳴らした方に尋ねて呆れられたのだけれど、最初からこの「鳴き竜」を狙って作られたわけではなく、たまたま発見された現象だという。

 鳴竜のいる本地堂のご本尊の薬師如来は秘仏なので拝むことはできない。
 左右に十二神将が控え、やはり十二支に対応しているお守りは一生ものだそうだ。
 私の干支を守ってくださるという、摩虎羅大将(読み方が判らない・・・)にお参りした。

想像上の象 雨もやみ、そろそろ人がまばらになり始めた東照宮を逆に戻る。
 空間に余裕ができた分、この帰り道で上神庫の上の方にいる、「想像上の象」を発見できた。実物を知らないで下絵を描いたにしては、かなり本物に近いのではないだろうか。

 この後は、二荒山神社に向かった。

 ->日光旅行記1日目その2

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