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2008.01.01

エジプト旅行記2日目 その2

2008年1月1日(火曜日)

 この日の昼食は、ホテル・メナ・ハウス・オベロイのレストラン「ハン・ハリーリ」だった。
 今にして思えば、ここのランチが、エジプト旅行中、一番美味しいお食事だったような気がする。
 New YearのSpecial Menuだったから、ということもあるかも知れない。

メインディッシュ ランチのメニューは以下のとおり。
 前菜 鴨肉のパテ ブルーベリーソース添え
 スープ 野菜スープ
 メイン 子羊肉のローズマリーソース添え
 デザート フルーツポンチとバニラアイスクリーム
 コーヒー

 そして、「機会はあるときに捕まえよう」ということで、飲み物にマンゴーフレッシュジュースを頼んだ。色々な方の旅行記などで大絶賛されていたし、ブログにコメントもいただいたし(茶柱さま、ありがとうございます!)、絶対に試してみようと思っていたのだ。
 これが大正解。
 22エジプトポンドと決してお安くはないけれど、本当にねっとりして、マンゴーの実がそのまま入っているようでストローで吸うのも大変だというくらいの濃いジュースだった。

 1時間近くかけた優雅なランチも終わり、一組のご夫婦が午後の観光はパスされるということでツアー人数が11人に減り、13時15分過ぎにメンフィス・サッカラ・ダハシュールに向かった。
 バスは1時間くらい、延々と余り変わり映えのしない景色の中を走る。
 思わず眠くなるのだけれど(何しろ、この日は4時間くらいしか眠っていないのだ)、ガイドさんの詳しい説明を何とかメモに取りつつ起きている。もっともこのメモは、10分後に見直しても読めないようなシロモノだった。

 例えば、エジプトの国土の95%は砂漠であること。
 2008年6月に500エジプトポンド札、1000エジプトポンド札ができること。
 (現在の最高額紙幣は200ポンド札)
 エジプトの小学校では、木や花についてほとんど教えていないこと
 (これは、エジプトが石の文化の国である故だというのがハニーさんの分析だった)
 デーツはビタミンが豊富に含まれていて、ラマダンの際によく食べられていること
 エジプトの農村地帯の家は日干し煉瓦で建てられており、ほとんどの家事は家の外で行われていること
 エジプトの農村地帯では朝早い涼しいうちに農作業を行い、昼間はカフェで麻雀をしたり水煙草を吸っている人が多いので、サボっているように見えてしまうこと
 遺跡の盗掘は禁固22年の罪になること

 階段ピラミッドが遠くに見えたのだけれど、最初に訪れたのはダハシュールの赤のピラミッドだった。
 ちなみに、この日の午後分として手元に残っているチケットの半券は、「Mit-Rahina」が30エジプトポンド、「Dahshur」が25エジプトポンド、「Imhotep&Saqqara」が50エジプトポンドなのだけれど、どのチケットがどこの入場料分だったのか、今ひとつはっきりしていない。

 赤のピラミッドといっても、剥がされてしまった花崗岩の化粧板が赤かったということのようだ。今みても、特に赤いとも思えない。
 ハニーさんによると、クフ王のピラミッドやカフラー王のピラミッドよりもこの赤のピラミッドの方がずっと低いのだけれど、傾斜角が小さく(43度くらい)、底辺が長く、周りに比べるものがないために大きく見えるのだそうだ。

屈折ピラミッド 赤のピラミッドをぐるっと回った先にあるビューポイントからは、屈折ピラミッドも遠くに見える。
 「遠くに見える」のは、この周辺が、軍事施設(あと油田)以外の建設が政府によって禁止され、「砂漠の中にぽつんとピラミッドがそびえる」という景観を守ろうとしているからなのだそうだ。
 かつ、遠くからしか見られなかったのは、この先の道が砂利道であるため、特別許可を得なければ勧めないからだという。

 屈折ピラミッドは、明らかに途中で建設方針が変わっていることが見て取れる。
 この変更も、王様が死にそうになって工期を短くするためという説もあれば、造り始めたときの角度のままでは完成しない(崩れてしまう)ことが判ったからだという説もあるそうだ。

赤のピラミッド ビューポイントから赤のピラミッドまでは、石(私の握りこぶし2〜3個分くらいの大きさのものが多い)が一列に並べられている。これはピラミッドから落ちてしまった石を並べてあるのだそうだ。

 赤のピラミッドの入場は、希望者のみだった。
 ハニーさんから「天井が低い通路をずっと一直線に下って行くので、クフ王のピラミッドよりも3倍きつい」という説明があった上で、「入りたい人!」という募集があったせいか、希望者は真っ先に元気よく手を挙げた私を含め5人だけだった。
 それでもガイドさんは「今回のツアーは元気な人が多い」と言っていたそうだから、普段はよっぽど入場希望者がいないということなんだろう。
 「14時40分までに戻って来てください」と言われて勇んで出発したのだけれど、まず、ピラミッドの入り口までの階段で挫折しそうになる。結構、高い位置にあるのだ。

 そして、腰をかがめなければ進めない高さの通路が本当に一直線に下っている。足元は板が敷かれて滑り止めもあるのだけれど、かなりキツイ。
 10mも下っていない辺りで、ご夫婦の奥様が「私は戻るわ」とおっしゃってリタイアされる。
 1/3くらい下ったところで、「これはきっと帰りに上り切れないに違いない」という確信が浮かんできて、座り込んで、他の3人の方に「ギブアップするので、抜かして行ってください。」と言ってしまう。

 しばらく休んでいたのだけれど、じーっと先に行く3人を見ていたらその坂道の底が見えたので、それくらいの距離なら大丈夫だろうと一気に下ることにした。
 ずっと腰をかがめた姿勢で足を運ぶのでかなり辛い。

 やっと底について狭い通路をくぐったら、天井の高い部屋に出たのでかなりほっとした。
 天井が低くなっている場所を2回くぐった次の部屋は、さらに天井が高く、何というかブロックで作ったおうち風に段々がついて三角屋根になっているような感じである。
 そして、その一番奥の部屋には隅に木でやぐらのようなものが組まれている。先に下ったお三方はみなその上にいらっしゃるようだ。
 階段(梯子じゃなくてよかった)を上り、少し奥に進むと塀越しに少し掘り下げたようなスペースがある。岩がごろごろとしていたせいか、そのスペースは、私にはお棺のような用途で使われていたように見えた。

赤のピラミッド入口 「40分までに戻れない!」と慌てて、元来た道を戻る。
 結構、息が切れる。
 上の方に四角い明るい窓があり、そこから光が射し込んでいて「あそこまで上がればいいんだ」と判るのが有難い。がんばって上る。
 ついでに、通路の木の滑り止めの本数を数えたら、140段だった。

 14時30分には入口まで戻れたのだけれど、今度はそこから段差のバラバラな階段を下りるのが一苦労だ。既に、足は筋肉痛で悲鳴を上げている。お三方がそのまま元気に階段を下りて行くのを見送り、お水を飲んで石に座り込んで休憩する。
 そろそろと階段を下り、何とか指定時間内でバスに戻ることができた。

 次に、メンフィスの野外博物館に向かった。
 ちょうどメンフィスの村に差し掛かった14時45分ころ、アザーンの音が流れた。今日3回目のお祈りの時間を知らせているのだという。
 このメンフィスの村は「掘ればそこに遺跡がある」ということらしく、政府は住民に移転を勧めているのだけれど、なかなか応じてもらえていないらしい。

 ここの白眉は、ラムセス2世の寝像(という言葉があるかどうかは判らないけれど)である。それが証拠に、この像だけは屋内に置かれている。正確にいうと、石灰岩で作られたこの像は非常にもろく、運んだり立ち上げたりすることができなかったので、発見された場所のまま(最初はうつぶせになっていたらしいけれど)、その上に建物を作ってしまったのだそうだ。
 足だって折れてしまっている。

 このラムセス2世の像は大きいので、キャットウォークが設けられ、上から見られるようになっている。もちろん、置かれた場所と同じ高さからも見られるのだけれど、私の身長よりも彼の体の厚みの方が大きい。
 そして、このラムセス2世の像がどれだけ本物に近いのかは判らないのだけれど、はっきり言ってハンサムである。
 それも、現代でも「ハンサム」と言ってもらえるくらいのハンサムさだ。

判子を持つ手ネフェルタリ

 カルトゥーシュの中には必ず「王の名前」が刻まれているのだそうで(それが、ヒエログリフ解読のキーになったらしい)、ラムセス2世像のが左手に持っている判子にもカルトゥーシュがあり、名前が刻まれている。この「判子」を手に持っていてくれたおかげで、この像は「ラムセス2世」の像であるということが判ったのだそうだ。
 そして、このラムセス2世像の足元というか左足には、ネフェルタリの姿が彫られている。こちらは、ラムセス2世自身のハンサムさに比べて、いかにも適当な彫りなのがアンバランスである。

 エジプトの像は概ね2体1対で作られているそうなのだけれど、この寝ているラムセス2世の相棒は、少し前までカイロの中央駅前に立っていたそうだ。そちらは花崗岩で作られていたので立たせることも運ぶこともできたらしい。
 それで、カイロ中央駅はラムセス2世駅とも呼ばれていた(る)のだけれど、今はその像は片付けられてしまっている。日本の援助で作られる博物館に納められるため、移動されてしまったらしい。駅前に立つラムセス2世を見てみたかったので、ちょっと残念である。

世界第2のスフィンクス ラムセス2世像の他は、屋外に、かなり適当に置かれている。というか、放置されている。
 その中で気になったのは、もちろんスフィンクスである。ここに置かれているアラバスター(大理石)製のスフィンクスは、エジプトで2番目に大きいスフィンクスなのだと説明を受ける。
 小さい。
 私と同じくらいの大きさといえばいいのか、とにかく、圧倒的にデカいスフィンクスを午前中に見ているので、その大きさの「普通さ」が変な感じである。しかも、あまりハンサムじゃないところも気の毒である。「小さいけど超絶ハンサム」だったらよかったのにと思う。

 そして、もう一つこの野外博物館で記憶に残っているのは、ミイラを作るための台である。
 台というか、ひたすら大きな石なのだけれど、結構な大きさがあって、側面には一面にヒエログリフや神様の絵が彫られている。上面を見た記憶がないから、多分、私の身長よりも高さがあったのだと思う。
 覚えているのはこれだけで、メモ帳にも何も残っていないのが謎である。
 印象に残るモノであったことだけは確かだけれど、それしか確かでない。

 今日最後の観光は、ジョセル王のお墓であり、世界最古のお墓だという階段ピラミッドである。
 確かに、明らかに階段状になったピラミッドだ。意外なくらい、美しい姿である。これまで見た中では、カフラー王のピラミッドの次に美しいように思う。
 階段ピラミッドは、一番古いピラミッドで、元々はマスタバという、四角い盛り土状のお墓として作っていたそうだ。マスタバというのはアラビア語でベンチという意味である。
 その後、宰相のイムホテップが、どんどん上に積み上げ、ついでに底辺も拡張して(もちろん順番としては逆だろうが)今の姿に仕上げたらしい。

穴 階段ピラミッドには近づくことができず、周りに築かれて残されている付属物というのか、ピラミッド・コンプレックスの一部から眺める形になる。
 階段ピラミッドの地下通路や抗は、元々はそれほど複雑な構造でもなかったらしいのだけれど、改築が重ねられてとんでもない状況になっているらしい。とりあえず、入口だけは見下ろすことができたのだけれど、ここで深さが40mあるという。

 また、階段ピラミッド前の広場ではヘップセット祭が行われていたという。これは、いうなれば「若返り祭」であって、王様が走りを披露し、何かの基準をクリアすればその後も王様を続けることができたという。
 かなり非情なお祭りである。

ピラミッドテキストのピラミッド 階段ピラミッドの反対側には、ハニーさん曰く「一番重要なピラミッド」がすでに崩れかけて存在している。
 このピラミッドがなぜ重要なのかといえば、それは、内部に「ピラミッド・テキスト」と呼ばれるヒエログリフが一面に掘り込まれているからなのだそうだ。ぜひその「ピラミッド・テキスト」を拝んでみたいところなのだけれど、現在は入場することはできない。
 後で調べたら、これは、ウナス王という人のピラミッドだった。

 お天気がよければ、ビューポイントからギザのピラミッドが見えるということだったのだけれど、残念ながらこの日は砂ぼこりなのか、霞なのか、とにかく空気の透明度が高くなく、見ることができなかったのが残念である。
 ここから見える砂漠がサハラ砂漠だと聞いて、落ち着いて見ると単なる砂地なのだけれど、何となくロマンを感じるようになるのが我ながら現金である。

 本日の観光はこれにて終了である。
 一路、「この辺りは、じゅうたん学校という名前のじゅうたん屋が多い」などという説明を受けながら、バスに揺られる。
 ハニーさん曰く、エジプトのじゅうたんはメンフィス周辺が名産地で、一番質のよいものが作られているのだそうだ。立ち寄ることがなくて、ほっとしたような、じゅうたんを織っているところを見てみたかったような気もする。 

 バスの中で、明日の予定変更が知らされる。
 明後日に行く予定になっていたネフェルタリの墓が混雑しそうなので、明日と明後日の観光内容をそっくり入れ替えますということである。

 ホテルに到着したのが16時30分くらいだった。
 カメラの電池を充電し、入浴し、夕食の時間より少し早めにロビーに降りた。友人たちに年賀状を兼ねる絵はがきを送るための切手を買おうと思ったのだ。

 ホテルに入っているお店だから信用できるわけではない、ホテルとホテル内のショップとは全く何の関係もないとハニーさんに言われてはいたけれど、まさか切手を定価で買えないとは思わなかった。
 1.5エジプトポンドの切手を20枚欲しいと言って、40エジプトポンドだと言われたときには耳を疑った。
 流石に小心者の私も「それ計算違うでしょ」と指摘したら、「ホテルに支払うコミッション分が含まれているんだ」と言われる。
 そこでスゴスゴと引き下がる私はやっぱり小心者である。

メインディッシュ 19時からの夕食は、宿泊しているホテル・ル・メリディアン・ピラミッド内の地中海料理のレストラン「メッド」だった。
 メニューは以下のとおり。
 前菜 チキンサラダ
 スープ トマトスープ
 メイン サーモンとペンネ
 デザート シシリアナ・アイスクリーム
 コーヒー

 メインディッシュはサーモンかビーフかを選べたのだけれど、ほとんどの人がサーモンを選んでいたような気がする。
 そして、私は着替えはしたものの観光客スタイル(Tシャツに長袖シャツを羽織って、ズボン)で行ってしまったのだけれど、このツアーはかなりドレスアップ率が高いということも判明した。

 夕食後、添乗員さんから昼間はがしかけてしまった爪を消毒するためにマキロンをお借りし(オロナインは持参していたのだけれど、何となく不安だった)、ついでに、ルクソールで気球に乗ることは可能でしょうかとご相談し、部屋に戻った。
 実は、この後、防寒を整えてプールサイドに出てみたのだけれど、昨日の夜は夜でもうっすらと浮かんでいたピラミッドの姿がこの日は全く確認できず、写真を撮ることは諦めたのだった。

 明日は、早朝の飛行機に乗ってルクソールに移動するので、モーニングコールが2時30分である。
 1日、部屋に干しっぱなしにしていた洗濯物は、何とか乾いている。
 そういえば今日は1月1日なのだけれど、今年に入ってもう何日もたったような気がするくらい、長い1日だった。
 明日に備え、21時に就寝。

*この日の服装
 ピンクの半袖Tシャツ、赤のチェックの長袖シャツ、カーキのカーゴパンツ

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2008年7月5日記

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