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2008.05.11

伊勢志摩旅行記2日目その2

2008年2月25日(月曜日)

おはらい町 ごったがえしているおはらい町を「ここは原宿か!」と心の中でツッコミを入れつつ足早に通り抜け、内宮さんの宇治橋に到着したときには14時近くになっていた。
 駐車場にたくさんの観光バスが見え、平日の月曜日なのにこんなにたくさんの人が来ているのかと思いつつ宇治橋を渡る。
 内宮さんでは、外宮さんとは逆に右側を歩く。

 宇治橋の両端にある鳥居は、外側の鳥居は外宮さんの、内側の鳥居は内宮さんの、それぞれご正殿の棟持柱だった柱が使われているそうだ。20年ごとに建て替えられる伊勢神宮では、20年ごとにこうして木材などのリサイクルが行われている。

 宇治橋を渡ってすぐは神苑で、ここだけはきれいに刈り込まれた松などが植えられ、頭上を覆う高い木々もなく、砂利が敷かれた道も広くて明るく感じられる。
 火除け橋を渡ると右手に手水舎があるけれど、ここはやっぱり本式に行きたい。そのまま一の鳥居をくぐり、御手洗場(みたらし)に降りた。
 五十鈴川の流れで手を浄められるよう、石畳が敷かれている。
 川の水が驚くほど澄んでいて、もちろん水底がよく見える。そして、冷たい。

 この御手洗場のすぐ横、参道に戻らずに川に沿って少し入ると、瀧祭宮という神様がいらっしゃる。
 伊勢神宮に来るきっかけとなったテレビ東京の旅番組で、「ご正宮」に行く前にご挨拶をする神様がいらっしゃると紹介されていたと母が言う。
 調べたところ、この瀧祭宮には門番のようなお役目をしている神様がいらっしゃり、ご正宮にお参りする前にここで「お取り次ぎをお願いします。」とご挨拶をすると良いそうだ。
 母と二人、しっかりとお取り次ぎをお願いした。

表参道 元の道に戻って二の鳥居をくぐると、そこからは表参道である。
 この辺りになると「鬱蒼とした森の中を歩いている」という感じがしてくる。
 樹齢何年になるのだろうと首を傾げたくなるような木や、不思議な形をした木がすぐそこに生えていたりする。

 ご正宮に向かう石段で記念写真を撮っている団体さんがいたりして、これだけ人が多いと、残念ながら「かたじけなさに涙こぼるる」と詠った西行法師の心境にたどり着くのは難しい。
 それでも、人の多さを考えるとやっぱり静かだし、空気の清浄さを感じることができる。

 宇治橋からこの石段にたどり着くまで、寄り道をしながらとはいえ20分以上かかった。それだけでも内宮さんの広さが判ろうというものだ。
 ゆっくりと石段を上がり、一礼してご挨拶をしてから板垣南御門をくぐる。写真撮影が許されているはこの御門までだ。

 板垣南御門の内側にある、外玉垣南御門の前でお参りする。
 白絹の帳が風に吹かれて揺れ、五重の板垣に守られたご正殿にいらっしゃる天照大御神さまの息吹であるかのように、外側に向けて風が吹き抜けている。

 一般にはここまでしか入れないけれど、特別参拝の申込みをすると、外玉垣南御門の内側に入れていただいてお参りをすることができる。
 ちょうど、そうして特別参拝をされている方々がいらっしゃっり、神職の方からの指示で、帽子や手袋、コートなどを取ってお参りされていて、見ているだけで寒さに震えてしまった。

新御敷地 ご正宮の向かって左隣は、新しい神殿を建てるための新御敷地である。
 お宮の位置により、向かって右(東側)に神殿があるときは「米蔵」と言われて食料は満ち足りるけれど経済的に停滞しやすくお互い助け合って人の心をつなごうという時代であり、向かって左(西側)に神殿があるときは「金蔵」と言われて世の中が忙しくなって人間関係が疎遠になるけれども経済的に発展する時代であるという。
 次の式年遷宮である2013年までの20年が「人の心をつなぐ」時代だとしたら、その後の20年は一体どれほど荒廃した時代になるのだろうと考え込んでしまった。

 新御敷地はゆるやかな勾配があり、奥の方に小さな建物の屋根だけがかすかに見えていて、そこが神様がいらっしゃる心御柱のための覆屋である。
 随分と奥にいらっしゃることが判る。
 そして、新御敷地からは垣ごしにご正殿の屋根を望むことができる。

御稲御倉 「個人的なお願いはこちらでしましょう」という、外宮さんの多賀宮に相当する、内宮さんの第一の別宮である「荒祭宮」に向かう途中に、御稲御倉(みしねのみくら)がある。
 伊勢神宮のご正殿などの「唯一神明造」を近くで拝見することは叶わない。その建築様式を間近でじっくり見られるのがこの、御稲御倉である。
 その名のとおり、神様にお供えするお米が籾の状態で納められている。
 この2本ある一番太い柱が棟持柱で、文字通りこの建物を支えており、ご正殿の棟持柱が宇治橋にある鳥居の柱になると考えると不思議な心持ちになる。

荒祭宮への階段 流石に荒祭宮の辺りまで来ると、人の姿もあまり見かけなくなった。
 表参道に比べて、この暗さとひと気のなさ、階段を下ってまた上がると荒祭宮にたどり着くこの道筋は、内宮さんでも気に入った場所のひとつである。
 この階段の途中に、「天」という文字が刻まれた石があるという。そこは「踏まぬ石」と言われ、踏まないように歩かねばならない。ところが、うっかり気づかないまま荒祭宮まで行ってしまった。
 なるべく右端を歩くようにしたので踏まずに歩けたと思うけれど、もし踏んでしまっていたら申し訳ないことである。

 階段を歩いているときから「カン」というような音が響き、何の音だろうと思っていた。荒祭宮に行ってみると、それは、お掃除の方が石を拾ってはちりとりに入れている音だった。
 ここで初めてお宮の前に白い石が敷き詰められた場所と黒い石が敷き詰められた場所があることに気がついた。今までお参りしてきたお宮はどうなっていただろうか。
 それは恐らくはお宮の領域かどうかを表していて、その白い石と黒い石が混ざらないように、色の違う石で美しい直線で内と外を示せるよう、手入れをされていたようだった。

 個人的なお願いごとといっても、意外と思いつかないものだ。
 何をお願いしたのかは、やっぱり秘密である。

風日祈宮 いったん表参道に戻り、そのまま風日祈宮橋を渡って風日祈宮に向かう。
 このお宮も「奥まったところにある」という感じがする。
 単純だけれど、階段を上がって行く荒祭宮は山のお宮、橋を渡って行く風日祈宮は川のお宮という感じがする。
 そして、風日祈宮は「ぽっかり」という感じで、明るくそこに在った。

五十鈴川沿いの小径 来た道を戻り、風日祈宮橋の橋のたもとを曲がって、五十鈴川沿いの御手洗場に続く小径に入った。
 改めて写真で見ると「鬱蒼とした」という雰囲気が強いけれど、歩いているときは、ひと気がないこともあって「シンとした」という空気を感じていたように思う。
 緩くカーブして先が見通せないことや川沿いの道ということ、たくさんの木々に囲まれていることで、表参道よりももっと清々しさを感じる道筋だ。
 この小径も、内宮さんで私が好きになった場所のひとつである。

 御手洗場まで戻ったら、そこからまた二の鳥居をくぐって表参道を戻り、お神札授与所で私は御朱印をいただき、母はお札をいただいた。
 そのまま、お神札授与所前の道を折れて、残念ながら神馬は留守にしていた御厩の横を通り、ふと見上げたら木々の間から青空が見えることに何となく嬉しくなりつつ、宇治橋を目指した。

 実際は1時間強というところだけれど、随分たくさん歩いたような気がして、参集殿でひと休みする。
 参集殿では、伊勢神宮に関するビデオが流れ、お茶が用意され、テーブルと椅子が並んでいた。御手洗いを借りることもできる。
 ここで小休止し、明日のお天気があまりよくないことは判っていたので、がんばって月読宮まで行くことにした。
 バスも走っているけれど、ガイドブックに「徒歩20分」とあったし、まだ15時過ぎだし、歩き始めた。

月読宮 内宮さんの中の玉砂利の道をゆっくり木々を眺めつつ歩くのと、車道をひたすら真っ直ぐ歩くのとでは疲労度が全く違う。
 月読宮の入り口についたときには、ほっとした。
 この月読宮は、街中にぽっかりとあるというのに、思いの外深い。緩いカーブを描く道が続き、どこにもたどり着かないのではないかと不安になったくらいだ。明るいうちに来てよかったという感じである。

 深い森を抜けると、これまたぽっかりという感じで四つのお宮が並んでいた。
 これらのお宮は月読尊、月読尊の荒御魂、伊弉諾尊、伊弉冉尊がそれぞれ祀られており、この順番でお参りするようガイドブックに書かれている。
 月読尊の両親が伊弉諾尊と伊弉冉尊なのだそうで、ご夫婦の神様をお祀りしていることから、月読宮では縁結びを願う人もいるという。私もその一人に連なった。

 帰りは下り坂なので少し楽である。
 かなりくたくただったけれど、途中の猿田彦神社に寄り道した。
 猿田彦神は、天狗の元祖とも太陽神ともいわれ、道や境界を守る神様でもある。境内にある佐留女神社は、天照大御神が天の岩戸に籠もっていた時にその前で神楽を舞って外にもう一度お出ましいただいたという天宇受売命をお祀りする芸能の神様としても人気があるそうだ。
 屋根を飾る千木は、外宮さんはその端が垂直に切られていて「外削ぎ」、内宮さんは水平に切られていて「内削ぎ」というそうで、猿田彦神社では内削ぎになっていた。

 この猿田彦神社からおはらい町はすぐだ。
 伊勢神宮もおはらい町も、朝が早い分、夜も早いようだ。
 猿田彦神社を出たのが16時30分くらいで、おはらい町に入るとすでに店じまいを始めていたり、すっかり閉まっているお店も多かった。それでも、おはらい町に入ってすぐのところにあった「くつろぎや」というお香のお店に飛び込み、母と二人で迷いつつクンクンと匂いを比べ、「五十鈴川 ほのか」と名付けられたお線香と、涼しげな香りのお香を購入した。
 家に帰って開けてみたら、「五十鈴川 ほのか」は長野で作られていた。ちょっとガックリだ。

 人影も少なく、お店も閉まりつつあるおはらい町をのんびりと抜け、17時頃に神宮会館にチェックインした。
 Webサイトに「神宮会館は、財団法人伊勢神宮崇敬会が運営するお伊勢まいりの宿です。」とあった宿だ。内宮さんから徒歩5分と近い。
 ここに泊まりたくて、日程を「土日月」ではなく「日月火」にしたといっても過言ではない。
 なかなかバストイレ付きの「本館」のお部屋は取れず、「西館」のお部屋にした。本館のお部屋は各県にある財団法人伊勢神宮崇敬会の方々が泊まりにいらっしゃっていたようだ。

 母の万歩計は21481歩を示している。もうクタクタだ。
 お部屋でお茶とお菓子をいただいてくつろぎつつ、明日の予定を相談する。
 当初のプランでは倭姫宮と瀧原宮をはしごして伊勢神宮別宮全制覇を目論んでいた。しかし、お天気も悪そうだし、素通りしてしまったおはらい町そぞろ歩きも楽しそうだったので、明日はおはらい町を歩いてお昼を食べ、早めに帰途につこうと決めた。

 ひと休みした後で、会館のお土産物屋さんを見に行った。
 母は、お部屋に用意されていた、神宮会館のマスコットキャラである「みずほちゃん」が描かれているお菓子が気に入ったらしい。
 私は、職場へのバラマキ土産は軽さ最優先で、いといんせんべいに的を絞る。
 神宮会館に泊まった最大の理由である、明日の早朝参拝をフロントで申し込んだ。

神宮会館夕食 夕食は18時30分からお願いした。
 前菜に「鮫たれ」がついているのが珍しい。説明書きに曰く、「鮫は日本人には身近な存在で、伊勢では昔は塩干し、大正以降はみりん干しが郷土食として食べられており、今でも伊勢神宮の祭典では鮫たれがお供えのひとつとして上げられている」そうだ。
 意外と臭みもなく美味しくいただけた。

 この夕食のとき、私は、ほぼ10年振りくらいで牡蛎フライを食べることができた。
 昔から牡蛎が大の苦手だけれど、母がやけに美味しそうに食べているし、分量として全部食べ切れそうなところに牡蛎だけ残すのは何とも目立つし申し訳ない。
 それで思い切って食べてみたら、これが意外にも美味しい。
 温かいものを温かい内に、衣がサクっと揚げられて出されていたからだと思う。自分でも驚いた。

 昨日は内風呂しかなかったので、神宮会館には温泉ではないけれど大浴場があるのが嬉しい。
 20時ごろから出かけ、ゆっくりのんびり手足を伸ばした。明日の筋肉痛に備えてマッサージもする。
 お風呂上がりにちょうどよく「山村牛乳」の瓶牛乳が売られていたので、20年振りくらいでフルーツ牛乳を飲んだ。
 昔懐かしい味で嬉しかったけれど、口の中が甘くなってしまった。

 明日は、早朝参拝のため、6時25分にロビー集合である。
 6時前には起きる必要がある。朝食は、早朝参拝から帰って来た後だ。
 たくさん歩いて疲れていたし、22時過ぎには二人揃って就寝した。

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