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2009.10.17

ベネズエラ旅行記2日目

2009年8月16日(日曜日)

 15日23時59分発予定だったコンチネンタル航空1666便は遅れ、すでに日付の感覚がなくなった16日に入ってからベネズエラのカラカスに向けて離陸した。
 相変わらず添乗員さんの口ぶりと佇まいから「寝てください!」というオーラが押し寄せてくる。
 少しは眠れるかと機内食をパスしたけれど、やっぱり眠れなかった。

 機内で添乗員さんがベネズエラの入国カードを「サインもしておきましたから。」と配ってくれた。
 そして、配りつつ「ベネズエラの入国カードは機内でしかもらえないので、次のツアーに使い回しますから入国カードを配りに来たらもらっておいてください。」と言う。
 添乗員さん同士で協力し合い、入国カードを予め書いておけるように工夫しているようだ。なるほどと思う。

 (ここからベネズエラ時間で表記。)

 4時くらいに点灯し、入国カードが配られ、そしてもう1枚、ぺらぺらっとしたA4の紙が配られた。
 何これ? と思っていると添乗員さんがやってきて、「急に、新型インフルエンザ関係の調査票に記入しなくてはならなくなったようです。書き方を確認するので判るところだけ埋めておいてください。」と言う。
 名前、パスポート番号、国籍、どこから来たか、滞在日数等々の入国カード記載事項と入国審査での質問事項のような質問はスペイン語と英語で併記されているけれど、健康状態の質問だと思われる最重要項目はスペイン語でしか質問が書いていない。
 英語もスペイン語も堪能な添乗員さんは、客室乗務員に内容を確認した上でやってきて、ぱぱぱっと回答を書き込んでくれた。

 5時30分、カラカスに到着した。
 入国審査はあっという間に終わり、ターンテーブルでキャリーケースをピックアップする。全員の荷物が届いたことを確認し、添乗員さんがほっとした様子を見せていた。ここで届かないと、ツアー中、荷物を手にすることはできないというから深刻である。
 このツアーでは、カラカスでスーツケースからソフトバッグに荷造りし直し、スーツケースは現地手配会社にギア預かってもらう。
 私はキャリーケースにボストンバッグをぽんとそのまま入れて来たのでボストンバッグを取り出せば荷造り完了だ。ツアーメンバーには、空のボストンバッグに詰め直す方もいて、大変そうだった。

 荷造り後、国内線のターミナルにバスで移動した。
 暑い。湿度といい、温度といい、日本の夏といい勝負である。
 レートは1ドル=2.15ボリバールくらいだそうだ。もっとも、ロッジなどでは米ドルが使えるので両替する必要はありませんと言われ、誰も両替しなかった。
 そういえば、機内で配られた新型インフルエンザの調査票は、結局、回収されることもなく、入国審査で質問されることもなく、手元に残った。謎だ。

朝食 朝食を摂る予定のレストランが閉まっていたため、国内線のセキュリティチェックを抜けた先のカフェで朝食を食べることになった。
 添乗員さんが「ベネズエラらしいものが食べられるカフェを見つけました。」と走って戻ってきて、8時前、「macinato caffe 21」というカフェに入った。
 メニューは、カレー味のチキンをトウモロコシのパンで挟んだもの、グアバのジュース、アップルパイ、この写真には載っていないけれど食後のカフェコンレチェである。これ全部で一人分500円くらいだそうだ。

 トウモロコシパンの具は、何種類かあるうちから選ぶことができた。私は添乗員さんのお薦めに従ってチキンにした。ツアーメンバーにチキンが苦手でビーフを頼んだ方がいらして、ちょっと味見させていただいたら(我ながら、旅行始めから図々しい限りである)そちらも美味しかった。
 コーヒーメニューはスタバ並みのバラエティがあったけれど、注文すると「それはできない。」という返事ばかりで、提供できるのはエスプレッソかカフェオレかどちらかだけだったらしい。
 みんなして「だったらメニューに載せなければいいのに。」と笑った。

 プエルトオルダス行きのアセルカ航空R7-742便は11時発予定で時間はたっぷりある。
 添乗員さんが「これがカラカスで一番高級なチョコレートです。」と一口サイズ(2.5cm×2.5cm×3mmくらい)のチョコレートを買って来てくれた。確かに高級そうなパッケージで、カカオ含有率が異なる6種類のチョコレートが入っている。12枚で35ボリバール(1600円強)、24枚で55ボリバール(2600円弱)だから、結構なお値段だ。
 チョコレートをつまんでコーヒーを飲みながらの自己紹介タイムとなった。

 添乗員さんの腕時計は世界各国の時差を覚え込んだ賢い腕時計だそうで、カラカスに到着したときに「時計を1時間進めてください」と言われていた。
 けれど、日本とベネズエラの時差はマイナス13時間30分、日本とヒューストンの時差は14時間と旅行社から届いた「旅のしおり」に書いてあったし、空港にあった時計も時計ごとに10分くらいは指し示す時刻が違っていたけれど、でも、概ね30分進めればいい感じに見えた。
 結局、ここでおしゃべりしているときに「今年の初めに、チャペス大統領が標準時刻を30分ずらしてしまったそうです。」というオチがついた。添乗員さんの時計はその「新しいベネズエラ時間」に対応していなかったらしい。
 やっぱり添乗員さんは、「旅のしおり」を読んでいないんだなぁと確信した。

 11時離陸予定の飛行機は、ボーディングタイムが10時と表示されていたのに実際に乗り込めたのは10時30分くらいだったし、ボーディングチケットには27Cと席番が書いてあったのに実際に乗り込んだ飛行機の座席は「AB DEF」という配列だったり、にもかかわらず「Cがない!」という騒ぎはほとんど起きていなかったり、離陸するまで機内に全く冷房が入らなかったり、ベネズエラ航空もなかなかやってくれる感じだった。
 そして、無駄に美人のスチュワーデスさん達が、全くの無表情で救命胴衣等々の説明を実演してくれる様子は微妙にコワかった。

カラカス空港 ベネズエラはカリブ海に面した国である。
 カラカス空港からもカリブ海を望むことができる。この写真の奥に見えるのがカリブ海だ。判るだろうか。
 いわゆるビーチリゾートとしてイメージするカリブ海はもうちょっと北になるそうで、ベネズエラで見た最初で最後のカリブ海は、残念ながら、このとおり普通の「海」だった。

 1時間のフライトで、ベネズエラ第2の都市であり、工業都市でもあるプエルトオルダスに到着した。
 到着した途端、ルエパ行きの飛行機が待っていると言われたようで、慌ただしく荷物をピックアップして滑走路に向かう。
 ベネズエラの空港では荷物用カートの使用範囲が厳格で、プエルトオルダスの空港でも、荷物を載せて動き出して3mくらい進んだ自動扉の前で「ここから先はダメ。」と言われてしまった。

 添乗員さんの「飛行機が待っていてくれるなんてラッキーですからね。この先もこれが続くとは思わないでくださいね。」という悲鳴のような説明を聞きつつ、15人乗り(操縦席を除いて3席ずつ5列あったと思う)セスナに乗り込んだ。
 このツアーでは、プエルトオルダスから先の飛行機は全てチャーター機だったそうだ。当然、乗客は私たち一行9名のみである。
 そして、このセスナに乗るからスーツケースは持参できないということがよく判った。各自の荷物は、機内の後方に適当に積まれていたと思う。

セスナ機 12時45分に離陸し、14時10分くらいにルエパ空港に到着した。
 しかし、ここは空港なのか? と思う。
 滑走路がある、飛行機が方向転換するためのスペースがある、遠くにレーダーが見える、以上、という感じだ。その他には何もない。
 滑走路の端っこに、今日の宿まで連れて行ってくれるバンが待っていて、他には本当に何もなく誰もいない。
 ルエパ空港ではなく、ルエパ滑走路と呼びたい。

 このルエパ滑走路で、サンタ・エレナ・デ・ウアレインでのガイドであるベネットさんと落ち合った。
 彼はペモン族の人で、34歳でガイド歴17年だそうだ。17歳のときからガイドの仕事をしているベテランだ。かつ、ロライマへ300回以上登頂しているという。スペイン語と英語を話し、3児のパパでもあるそうだ。私から見たら「超人」である。
 「明日からは悪路を走るのでジープです。」という説明を聞きつつ、普通のバンに乗り込んだ。
 今日のところは、道も舗装道路で、快適なドライブである。

レストラン昼食

 1時間ほどでカマの滝に到着し、まずはお昼ごはんになった。
 すでに15時を回っている。流石にレストランにお客さんはいない。
 空港を除くと初のベネズエラ国内での食事で、どんなものが出てくるのだろうと思ったら、普通に美味しいごはんでちょっとほっとした。
 ベネットさんが飲み物(ビール、水、コーラ等)を提供してくれる。流石に初日で疲れていたので私はビールは遠慮し、飲んでいる方から缶を借りて撮影した。
 焼いたバナナが酸味と甘みがあって美味しかった。

 このレストランで初めて、ツアーメンバーから「プリプリ」に刺された人が現れた。
 プリプリは、ごま粒ほどの小さな黒い虫で、多分、蚊の一種だろうと思う。
 プリプリに刺されると最初はかゆくもなく、赤くなるだけだ。しかし、そのうちにもの凄くかゆくなってくる。刺されてしばらくすると、膿というのか透明のトロリとした感じの液体が溢れるように出る。
 かなり厄介な虫である。
 もちろん、この後もプリプリに悩まされたし、最終的には全員が刺されたけれど、この時点では「私は大丈夫」と思っていた人の方が多数派だった筈である。私もそのクチだ。

カマの滝上流 満腹し、お手洗いにも行って落ち着いたところで、カマの滝まで散策した。
 「カマ」は「吸い込む」という意味で、この滝のほんの少し上流が街道筋で渡河ポイントとなっており、川を渡るときにこの滝に吸い込まれてしまう人がたくさんいたことからその名前が付いたそうだ。
 考えてみたらコワイ話である。確かにこの浅瀬の感じと、それほど早くなさそうな流れの感じから、つい油断してしまったのだろうと想像できる。
 今はもちろん橋がかかっているから吸い込まれることはない。

 「カマの滝」は、何というか、普通の滝だった。川が流れてきてストンと落ち、そのまま再び川となって流れて行く。
 だから、カマの滝で話題になったのは、滝ではなく、「ハキリアリ」だ。
 ハキリアリが列を作り、自分の身体と同じくらいの大きさの葉っぱを運んでいるのを見て、添乗員さんやツアーメンバーの方々が色めき立つ。ベネットさんの反応は覚えていない。
 正直に言って、どうしてこの「ハキリアリ」が皆さんの注目を集めているのか、私にはよく判らなかった。

ソープストーン 私が心惹かれたのは、ハキリアリではなく、カマの滝から駐車場までの道筋に展開されていた露店だ。
 ソープストーンという白とピンクの縞模様が浮かんだ石を置物やアクセサリに加工したものが売られている。
 「まだ旅は始まったばかりだし」と真剣に見ることもなく通り過ぎてしまったけれど、結局ソープストーンについてはここが一番品揃えが豊富で、「買っておけばよかった!」と後悔した。
 しかも、この辺りを歩いているとき、一人遅れた私はベネットさんと一緒で、お買い物をする条件は整っていたのに、惜しいことをした。
 レストランの辺りまで戻ってくると、ツアーメンバーのみなさんは売店でお水を買っていた。1.5lくらいのミネラルウォーターが2ドルで買える。私も真似して購入した。

クケナンテプイ 16時過ぎにカマの滝を後にし、バンは、舗装道路をサンタ・エレナ・デ・ウアレイン目指して爆走した。
 ちょっと判りにくいけれど、このまっすぐな道路の左前方に見えている直角のグレーの影がクケナンテプイである。明日早朝、ヘリで目指す予定の卓状大地だ。
 この空模様からも判るように、この後、サンタ・エレナ・デ・ウアレインに到着するまで、何度もスコールとスコール後の虹とを見た。

眠れるインディオ もう一つ、サンタ・エレナ・デ・ウアレインに到着する前の必見ポイントがこの「眠れるインディオ」の山(岩)である。
 ベネットさんが教えてくれた。
 遠くにグレーの影になって見える卓上台地が、横たわった人の形に見えるのが判るだろうか。

 サンタ・エレナ・デ・ウアレインの街に入り、丘の上に位置するロッジに向かう登り坂の曲がり角にジープが停まっていた。スコールのせいで急にぬかるんだ路面にタイヤをとられ、脱輪し、ブレーキオイルが漏れてしまったらしい。
 ジープはすぐに動かせる状況ではなく、避けて通れるだけの道幅もなく、「荷物は運びますから、ここからロッジまで歩いてください。」ということになった。

 18時過ぎ、今日の宿であるヤッコキャンプに到着した。
 ヤッコキャンプの「ヤッコ」は、ペモン族の言葉で「無事に帰る」という意味だそうだ。
 一度、夕食前にシャワーを浴びてしまってくださいという案内があり、部屋に入って休憩した後、19時から夕食になった。

 部屋に入ってバスルームを開けると、そこには黒い毛虫がいた。3cmくらいで、特に動きもせず、ごろんとしている。
 「ひえー」と思って固まっていたらベネットさんが荷物を届けてくれたので、手招きして指さし、毛虫を捕ってもらった。
 ベネットさんは不思議そうに「コイツは毒もないし、フレンドリーな虫だよ。」と言うけれど、そういう問題ではないのだ。

 ヤッコキャンプは、24時間電気がつき、お湯の使用も可能である。
 私の部屋は、ロッジ形式で1つの建物を2部屋に分けてある形だったけれど、2階建てで4部屋取ってある建物もあった。
 お部屋には小さめのダブルベッドとテーブルがあり、バスタオルが2本用意され、浴用タオルはない。アメニティは一切ないのに、何故か紙コップの用意があった。

夕食 シャワーを浴びてさっぱりし、レストランに向かった。
 レストランには壁がなく、こんなに明るくしたらプリプリが集まり放題ではないかと思っていたら、蚊取り線香を持参してテーブル下に置いてくださる方がいた。用意周到な彼女に感謝し、食事が始まる。
 お昼ごはんが遅かったし、お腹は全く空いていないよと思っていたけれどとんでもなかった。ぱくぱく食べられる。車に揺られていただけで、実は結構お腹が空いていたらしい。
 夕食のメニューは、グリーンサラダ、ジャガイモをゆでて香味野菜をたっぷり散らしたもの、スライスした牛肉の煮物、材料が何だか判らない炒め物だ。この写真の右奥で四角いお皿に入っている炒め物は皆の一番人気だった。
 
ベネズエラワイン ベネズエラワインがあると言われ、他にお二方「飲む。」という方がいて、私も便乗させてもらった。
 さっぱりとして飲みやすい赤ワインで、1本20ドルだ。
 実は、ベネズエラ産のワインに出会えたのはここが最初で最後で、後になって、こんなことならここで1本買えるか聞けば良かったと思った。

 夕食のとき、隣のテーブルに日本人グループがいた。
 この旅行中に日本人の方に会ったのは、このときが最初で最後だ。
 漏れ聞こえてきた話によると、「明日は、エンジェルフォールの足下のキャンプ地で寝袋に入ってハンモックでの宿泊になります。」と添乗員さんが説明していて、私たちよりも3ステップくらいワイルドかつハードなツアーのようだった。

 夕食後、明日の予定の確認があった。
 早朝に実施される、オプショナルの卓状台地へのヘリコプターにツアーの全員が参加する。料金は人数その他で変わるそうで、今回は一人570ドルだ。
 ベネットさんも一緒に行ってくれるという。
 卓上台地への着陸成功率は概ね80%で、先週は成功したそうだ。意外な高確率に驚いたのは私だけだろうか。

 ヘリコプターは6人乗りなので、4人ずつ2回に分かれてのフライトとなった。
 1便で飛んだら帰って来てから朝食を食べて車でハスペの谷に向かう、2便で飛ぶ場合は先に朝食を食べて水着に着替えてから飛び、ヘリはハスペの谷に直接向かう、という説明がある。
 添乗員さんは、グループ分けの心づもりがあったようだけれど、「それでもいいけど、1便がいいか2便がいいか希望を取って、それが人数に収まればいいんでしょ?」と言った方がいて、その場で希望を取ることになった。
 2便の方がタイムスケジュール的に忙しそうだなと思い、1便に手を挙げたら、1便の希望者はちょうど4人だった。関西からいらしたお三方が手を挙げている。
 手を挙げなかった4人の方が遠慮された結果のような気もしつつ、グループ分けがこれで決まった。
 
 部屋に戻り、明日に備えて寝る準備に入る。
 対角線上にある窓を細めに開け、七分袖のTシャツに足首までのスパッツ、毛布を1枚かけてちょうどいい。寒すぎて眠れないとか、暑くて耐えられないということはなかった。
 今日はセスナに乗った辺りからかなりだるくて熱っぽかったので(ごはんを食べたらかなり復活したので、単に空腹だっただけかも知れない)、熱を下げるべく体中に冷えピタと休足時間を貼り、明日の4時30分起きに備えて22時に就寝した。 

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