2009.08.01

奥日光旅行記の入口を作る

ワタスゲ ここは奥日光旅行記への入口である。
 以下の日程の日付部分をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。

1日目 2009年6月28日(日曜日)

2日目 2009年6月29日(月曜日)


持ち物リスト(奥日光編)


 ちなみに、この1泊2日の奥日光旅行にかかった費用は、1人分で概算1万8千円だった。
 (この中には、宿泊費、食費、遊覧船代などは含まれているが、株主優待券を利用した往復の交通費と日光に着いてから義弟に車に乗せてもらった分の交通費及びお土産代は含まれていない。)

 旅行記本文中にリンクを張った他、出発前に旅行計画をたてるときに利用した主なサイトは以下のとおりである。

社団法人日光観光協会オフィシャルサイト

ようこそ奥日光へ 栃木県立日光自然博物館

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2009.07.11

奥日光旅行記1日目を書く

 2009年6月28日(日曜日)から1泊2日で、母と妹夫婦と4人で奥日光に行って来た。

 私は2年前に来ているけれど、妹夫婦は大学時代に来て以来のようだし、母も中禅寺湖の奥まで上がるのは私が子供の頃の家族旅行以来らしい。

 心配していた雨にも降られず、私が企画担当だったため、ものすごくタイトなスケジュールの旅行になってしまった。
 一人旅ではないのだから、もっと余裕を持って計画を立てなければと思ったのだった。

 それでも、(他の3人、特に義弟がどう思ったかは謎だけれど)初4人旅は楽しかった。

 奥日光旅行記1日目はこちら。

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2009.07.08

プロフィール写真を変える(奥日光のわたすげ)

 先月末に奥日光に行った際、戦場ヶ原を散策し、今年最後のわたすげに間に合った。
 やっぱり、光学ズーム3倍のカメラでは、なかなか木道から遠くに見えるわたすげをわたすげらしく撮るのはなかなか難しい。

 それでも何とか「それらしく」撮ることのできた1枚をプロフィール写真にすることにした。

 夏らしく、さわやかな写真で、このじめじめした梅雨の季節を乗り切りたいものである。

 本当に、あの高原のさわやかで清浄な空気が恋しくて仕方がない。

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2009.07.02

無事、帰宅する(奥日光)

 6月29日に帰宅して、PCを起動したところ、ADSLモデムの調子が悪くてネットワークにつながらず、帰宅報告を書きそびれていた。

 無事、19時30分くらいに帰宅した。

 母の万歩計は、28日は20000歩超、29日も15000歩超で、かなり歩いた旅行になった。
 妹夫婦は16時過ぎには帰宅したらしいのだけれど、義弟はすぐさま爆睡したという話だ。引っ張り回して申し訳ないことをした。
 これからは、一人旅ではないときには、もう少しタイトでない旅行計画を立てようと反省した次第である。

 心配した天気も、青空は29日の朝に望めただけだったけれど、雨に降られることもなく、さわやかな高原の空気を満喫できた。
 雨女の私には珍しいパターンである。

 左足の小指に水ぶくれができ(靴が合っていなかったということはない筈なのだけれど)、その小指をかばって歩いたせいか左足のふくらはぎ横の筋が痛かったのだけれど、それも2〜3日で解消した。

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2009.06.29

奥日光旅行記2日目

2009年6月29日(月曜日)

青空 こう言っては何だけれど、職場の皆が仕事をしている月曜日に自分は休んで遊んでいるというシチュエーションはなかなか気持ちがよい。
 朝寝坊しても全く問題ないのに、母と2人して6時30分過ぎには目が覚めてしまった。
 真っ先にカーテンを開けると、青空である。素晴らしい。
 ちなみに、このホテルの売りのひとつが、こうした「額縁のように外の景色を見せてくれる」窓なのだけれど、妹夫婦は全く気がつかなかったらしい。
 ホテルとしても甲斐のないことである。

 朝風呂に出かけると、やはり、青空の下でというのは気持ちがいい。
 温泉に来ると毎度思うのだけれど、大浴場は夜よりも朝の方が混んでいる。夜は分散するけれど、朝は集中するからだろう。
 それでも、全24室のこのホテルだったらのんびり温泉が楽しめる。
 お風呂上がりにコーヒーが用意されているのも嬉しい。

 8時前に妹が披露宴の招待状の相談にやってきた。誰に出すとか、郵送するか持参するかとか、差出人は新郎新婦にするか親にするかとか、文面の確認とか、なかなか面倒くさいらしい。
 披露宴にお招きした人(親族のみということにしたそうだ)は、全員お式にも出席していただくのに、「式に参列していただきたいので*時*分までにお越しください」という短冊を入れようとしているので、「全員に来てもらうんだから招待状に書いちゃえば?」と言ってみる。
 妹に「そんなことは思いつかなかった」と返されてちょっとびっくりした。経費節減しようよ、と思った私である。

 招待状の検討も一段落したところで、4人で朝食を食べに行く。
 和洋そろったバイキングで、こういう場合、何故だか母も私も洋食を選んでしまうのが常である。
 せっかく晴れたのだから、クリン草を見に千手ヶ浜に行くか、霧降高原でニッコウキスゲを見ようかと思ったのだけれど、どうも母の頭の中には昨日私が口走った「滝三昧」という言葉が定着してしまったらしい。
 昨日のプラン通り、滝三昧で行くことにした。
 義弟の車があるからこそのプランである。まことに申し訳ない。

奥日光森のホテル 9時過ぎにチェックアウトして、一晩お世話になった奥日光森のホテルを後にした。
 私がホテルの外観を写真に撮っている間に母はホテルの人とお話ししたらしく、天気予報が雨でも奥日光まで雨がくることはほとんどないという話を聞いた。雨雲はほとんど中禅寺湖で止まってしまうのだそうだ。羨ましいことである。
 雨女の私も中禅寺湖パワーに負けたということだろうか。

湯滝 9時30分過ぎに最初の「滝」である「湯滝」に到着した。
 私は初めて来たけれど、他の3人は「来たことがあるような気がする」と何とも頼りないことを言う。
 そもそも、妹夫婦は学生時代の仲間と奥日光に冬来たことがあるというのだけれど、「いつ来たか」とか「誰がいたか」とか「雪に覆われた中禅寺湖以外に何を見たか」ということを悉く忘れているようなのである。
 それはともかくとして、全く期待していなかったこの「湯滝」の迫力はなかなかのものだった。
 第一、デカい。

 湯滝と聞いて、実は私は「温泉が滝になって流れて湯気が立っている」という状態を想像していたのだけれど、これは全くの誤りだった。
 それなら何故「湯滝」という名前なのかというと、これは「湯の湖」から落ちてくる滝だからではないかというのが私の推測である。
 湯滝の横の階段を上がると、そこは湯の湖畔で、「こういう位置関係になっていたのね!」と驚いたのだった。
 ちなみに、この湯滝の上の駐車場(というか駐車スペース)なら無料だけれど、湯滝の駐車場は有料である。

 湯滝でも、この後でも、写真を撮ると必ず話題になったのが妹の写真うつりである。
 はっきり言って、うちの妹の写真うつりは悪い。
 というか、何だか斜に構えたような、ナマイキそうな写りになるのである。
 帽子をかぶっていたから、それて顔が暗くなってしまうということもあったと思うのだけれど、撮った写真を見せるたびに「これはダメ」と言われるので往生した。もっとも、「ダメ」と言われてもそのまま残し、CDに焼いて後で妹夫婦のところに送っておいた。

竜頭の滝(上から) 湯滝を上下と横から堪能し、次は竜頭の滝に向かった。
 まずは、竜頭の滝を上から眺める。
 ここで私はうっかりデジカメを道路に落としたのだけれど、流石に2.0m耐衝撃構造を備えるだけあって無事だった。ただし、液晶には傷が残ってしまい「いくら2.0m耐衝撃構造だと言っても、やっぱり液晶は別よね」ということを学んだ次第である。
 液晶保護フィルムを貼ってあったので、それが多少は衝撃を緩和したのかも知れない。

 滝が落ちたその向こうに見えているのは中禅寺湖だ。
 そして、この辺りからすでに「青空」ではなくなっている。ホテルの人が言ったとおり、中禅寺湖に近づくにつれ、雲が多くなってきているような気がする。
 ここで、気遣いの人である義弟は「僕が車を滝の下に回しておきます」と言う。湯滝の上に行ったときも同じことを言っていて、「もう1回下から滝を見たいからみんなで降りよう!」と押し切ったのだけれど、今回は逆に押し切られてしまった。
 そして、こういう場面でも特に発言しない我が妹はやっぱり大物である。

竜頭の滝(中)竜頭の滝(滝壺) 竜頭の滝の横には整備された階段(というか散策路)があって、そこをのんびりと母と妹と3人で降りて行く。
 ちょうど半分くらい降りたところで、下から上がってきた義弟と出会うことができた。相当に急いだのだろう。
 滝壺からも眺め、でも、竜頭の滝は優雅だけれど最初に見た湯滝の迫力には負ける、というのが私の正直な感想だった。
 
 中禅寺湖畔には11時過ぎに到着した。
 この辺りで姫鱒のお昼でも食べようかと心づもりしていたのだけれど、流石にまだお腹は空いていない。
 母のリクエストで中禅寺湖遊覧船に乗ることになった。湖1周で1200円である。
 その出航までの時間を利用して妹夫婦が奢ってくれた「湯波ソフト」は、ソフトクリーム部分は「普通のバニラソフトよりもマイルドかな」という感じだったけれど、湯葉を小さく切ったものが入っていて、その食感がなかなかよい感じだった。美味しい。

男体山 遊覧船に乗る頃には、空にはだいぶ雲が広がっていた。
 それでも、風に吹かれて濃い緑を眺めるのはなかなか気持ちがいい。
 この遊覧船は、船の駅中禅寺、菖蒲ガ浜、立木観音前を巡る。菖蒲ガ浜から千手ガ浜にかけてクリン草が見られるかと目をこらしてみたけれど、流石にそれは無理だった。母の情報によると、イタリア大使館別荘の辺りでもクリン草が咲いているということだったのだけれど、こちらも流石に距離があるのでお花までは見分けることはできない。

 この遊覧船で面白かったのは、乗務していた係員のおじさんである。
 寄港するときは忙しいのだろうけれど、船が動いている間は何か起きない限りそれほど忙しいわけでもないらしい。
 何となくおしゃべりしていたら、何故か美人談義になった。
 曰く、秋田のお殿様は元々は京都のお公家さんで、女好きだったこのお殿様は、まず水戸に飛ばされるときに京都の綺麗どころをたくさんかっさらってきた。そこからさらに秋田に飛ばされるときに、水戸の美人も根こそぎかっさらって連れて行った。だから、京都は元々美人が多いから今でも美人が残っているが、水戸の美人は全員秋田に連れ去ったから今では美人は残っていない、のだという。
 ここで何故話題が「秋田の美人」に偏っているのかといえば、このおじさんが秋田生まれの人だからである。
 さらに、そういうわけで秋田にいると、女性はみなやせ形ですらりとした体つきをしているので、こっちに来ると女性がみな寸詰まりに見えるなどとおっしゃる。
 そう言っているおじさんも決して大柄な方ではないのだけれど、これは多分、美人の奥様がいらっしゃるのだろうと何故だかおおらかな気持ちになって、「おいおい」と心の中でツッコミを入れつつ、楽しく拝聴した。

クリン草 遊覧船からは湖畔に自生するクリン草はそういうわけで見ることができなかったのだけれど、そこから華厳の滝まで歩く間に、おそらくは保護されているのだろう、クリン草を見ることができた。
 なかなかキツイ色のお花だと思うのだけれど、それほど大きいお花ではないので、「どぎつい」に行くかなり手前で踏みとどまり、かえって可憐に見える。
 そういえば、ここでも義弟は二荒山神社近くに駐めた車を華厳の滝の駐車場に回すために別行動を取ってくれていたので、クリン草を見ていないのだった。やっぱり、申し訳ない限りである。

華厳の滝 私が「華厳の滝エレベータに乗ったことがない」と騒いだせいか、みなの足は真っ先にエレベータ乗り場に向かった。やけに妹が早足で歩いているなと思っていたら、どうやら義弟の指示があったらしい。エレベータのチケット(530円)を4人分買ってくれる。
 「ありがとね」と言うと「これだけだから」と答える。
 やっぱり大物な妹である。

 私のイメージでは、華厳の滝エレベータを降りるとそこは華厳の滝の目の前、だったのだけれど、現実はそうは甘くない。
 エレベータを降りた後、華厳の滝までかなり歩く。
 というか、それほどの距離はないのだけれど、白い何もない寒い通路を歩くので距離感がなくなり、やたらと遠いようなきがするのである。

 でも、その通路を抜けたところにあった華厳の滝は、やっぱりかなりの迫力だった。
 水量も高さもあるし、岩盤に沿って落ちているわけではないところが、湯滝以上の迫力を醸し出しているポイントのようだ。
 水しぶきもかなり飛んでくる。暑いし、「マイナスイオンだ−」と思うと、これはこれで快適である。
 滝見台は3階建てのようになっていたので、それぞれの場所から華厳の滝を満喫した。

引き上げゆば丼 13時も過ぎたのでそろそろお腹も空いてきた。
 妹のカンを信じて、華厳の滝駐車場から道路を挟んで反対側にあった「自然食の店 桐花」に入ったら、これが大正解だった。
 ぱっと見は「さえない定食屋」という風情なのだけれど(申し訳ない)、切り株のようなテーブルで、中に入るとちょっとしゃれた感じである。
 私が頼んだ「引き上げゆば丼(1000円)」は、ショウガの効いたあんがたっぷりかかった湯葉丼におそばがついてくる。
 このあんも「こんなにたっぷりかかって味が濃くないのか?」と思ったけれどさっぱりあっさりすいすいお腹に入っていく。お蕎麦も美味しい。
 昨日の昼と夜と今回と、1泊2日のうちに3回お蕎麦を食べたのだけれど、このお店のお蕎麦が一番美味しかったと母と意見が一致した。

 さて、今回の旅行で、義弟が述べた希望はただひとつ「「華乃家」で金箔入りカステラを買いたい」というただそれだけだった。
 来週末にお友達が結婚のお祝いにホームパーティを開いてくれるのだそうで、そこにお土産として持って行きたいと言う。
 中禅寺湖を後にして、いろは坂を下っていくと、気温がどんどん上がっていくのが判る。それまでは窓を開けっ放しにしてエアコンなど入れていなかったのだけれど、そろそろ耐えられなくなってくる。

 いろは坂から日光駅に向かう途中の道筋にある華乃家に寄り、試食に出ていた3種類のカステラを食べ比べる。お昼ご飯を食べたばかりだというのに我ながらどうしてこういうものはすいすい入っていくのかよく判らない。
 プレーンと抹茶とココア(これは季節限定)があり、やっぱりプレーンが美味しいということで母と意見が一致する。
 妹たちがどんどんカゴにお土産用のカステラを放り込むのにつられ、お土産にプレーンのカステラを購入した。

 日光に来たら、輪王寺でお線香を買いたいと思っていた。
 前回、来たときに購入したお線香がそれはいい香りで、気に入っていたのである。輪王寺でしか購入することができない。(と思っていたら、一部、Webサイトでの販売を始めたようである。)
 そんなわけで、妹夫婦とはここで別れ、リュックをしょって、輪王寺を目指すことにした。
 歩いて10分くらいの距離なのだけれど、今まで楽をしてしまった分と、今まで涼しかった分、何だかとてもたくさん歩いた気分になった。

 輪王寺で希望通りお線香を購入し、日光駅を目指す。
 その前に、羊羹を買わねばならない。昨日から決めていたのである。母の記憶によると、「日光駅を背にして日光山に向かって左側の羊羹屋さんが美味しかった」のだそうだ。
 しかし、母の記憶は20年とか30年とか前のものである。それ以後、日光にだって羊羹屋さんは増えており、これだけでは特定できないのだ。
 それでも、ここは母の記憶とカンに従い、三ッ山羊羹本舗でお土産の羊羹を購入することにした。
 試食で食べた水ようかんが、水ようかんとは思えない濃い味で美味しかったのでこれは決定。普通の羊羹も3種類くらい試食することができて、全種類食べたうちで一番さっぱりしているように思えた塩羊羹も購入する。
 母は、習い事の教室のお土産に一口羊羹も購入していた。
 ここで、一気に荷物が重くなる。

 バスを待っているより歩いてしまった方が早い。
 「日光駅前に着いたら、金谷ホテルのカフェでお茶をしよう!」を合い言葉に、暑い中を駅に急ぐ。
 「金谷ホテルベーカリー カフェ・ラ・セゾン」は、外観よりも内装がクラシックでいい感じだったのだけれど、ゆっくりとそれを味わっている時間はない。東武線の快速は1時間に1本くらいしかないのである。
 慌ただしくコーヒーフロート(630円)をいただき、1階のショップでパンを買い、東武線の切符をいただいた親戚へのお土産にクッキーを買って、発車直前の東武電車に飛び乗った。

 電車で座れ、荷物も持ちやすいように整理して網棚にあげたところで、ほっと一息である。
 母が、妹に「お疲れ様」のメールを打ち始めた。しかし、トロイ。
 これなら、携帯電話を持っていないとはいえ私がやった方が早いと、メールを打ち始める。結局、私がやっても慣れない分もの凄く時間がかかり、今市を過ぎてからやっと送信することができた。

 妹たちとは14時30分くらいに別れ、電車に乗ったのは16時くらいだったのだけれど、この時点で妹夫婦はすでに大宮市内に到着していたらしい。
 早い。
 そして、義弟は、家に着くなり速攻で爆睡していたらしい。
 何だか激しく申し訳ない気持ちになり、母と相談して「今度、焼き肉を奢るからね」というメールを再度送ったのだった。

 奥日光旅行記1日目はこちら。

2009年8月1日記

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2009.06.28

奥日光旅行記1日目

2009年6月28日(日曜日)

 元々は、母が親戚から東武鉄道の優待乗車券をいただいたところから始まった企画である。
 母が「日光に行きたい」と言い出し、昨年夏に母と私の2人で箱根旅行に行ったところ妹から大ブーイングだったので妹夫婦にも声をかけた。
 母と私はもちろん東武鉄道で、妹夫婦は車で出かけると言うので、「じゃあ、ホテルで待ち合わせね」ということだけ決めて(ホテルから18時の食事に間に合うようにチェックインするよう言われていたのでそれは伝えてあったけれど、待ち合わせ時刻は決めていない)、非常にアバウトに出発した。

 春日部から乗車した東武日光行きの快速電車は意外なくらい混雑していた。
 栃木か新栃木かでかなり降りる人がいたのでそこから母だけは座らせることができたのでほっとした。まさか日曜日の行楽地に向かう電車があんなに混雑しているとは思わなかった。
 日帰りの予定の人が多かったのだろうか。年配のおばさまのグループが多かったように思う。

湯波そば 東武日光駅には11時30分くらいに到着した。
 このまま中禅寺湖まで上がって湖畔でお昼を食べようかとも思っていたのだけれど、7時に朝ごはんを食べたせいか、意外なくらいお腹が空いている。
 神橋に向かって歩き、湯波そばの元祖だという「魚要」というお蕎麦屋さんでお昼ごはんを食べることにした。
 基本に忠実な私はもちろん湯波そば(1150円)、母は「季節限定」とテーブルにポップがあったわらびそば(730円)を頼んだ。
 湯波そばは、「日光湯波ふじや」の揚巻、高野豆腐入りの揚巻、ぜんまい巻きがお蕎麦に乗っている。ちょっとお蕎麦が柔らかいような気もしたけれど、なかなか美味しかった。

 そのまま、神橋までふらふらと歩く。
 暑くてふらふらとしか歩けないのである。帽子を持ってこなかったことを少し後悔する。
 日光湯元行きの東武バスに乗るつもりなのだけれど、駅に戻るのも何だかばかばかしいし、神橋まで行けばそこで途中下車する人もいて、乗れないということはないのではないかという計算である。それに日曜の午後から湯本に向かう人もそうはいないだろうという思惑もあった。
 さらに言うと、前回、駅から輪王寺の入り口までバスで行ってしまったので、神橋をじっくり見ておきたいという気持ちもあった。やはり、バスの車窓から見ただけでは味気ない。

神橋 12時45分発の日光湯元行きバスに乗ろうと神橋のバス停で待っているところに、妹から母の携帯に電話があった。
 日光に到着したところだと言う。これから戦場ヶ原にバスで上がろうとしていると言うと、じゃあ、自分たちも行くと答えて電話は切れたらしい。
 いや、待て。駅前に車でいて、これからやっぱり戦場ヶ原に上がるというなら乗せてってもらおうよと私が言い、もう一度電話をかけてもらって、妹夫婦の車に拾ってもらうことになった。
 母と私はらくちんだったけれど、思えば義弟には気の毒なことをしたものである。

 前回日光に来たときも中禅寺湖畔まで行っているのだけれど、そのときはもちろんバスに乗っている。
 バスと自動車とでは、いろは坂の体感がひどく違うように感じられる。
 バスに乗っているときは寝ちゃっていたかもしれないのだけれど、流石に乗せていただいてそれはできないというのと、視点が低いのとで、やたらとカーブの存在感が大きいのである。
 そしてまた、いろは坂を上がっていくうちに、いつの間にか空気が変わったらしい。窓を開けると涼しくてさわやかな風が入って来るようになった。

 中禅寺湖畔を抜け、いったん通り過ぎてしまった赤沼の駐車場に戻った。
 赤沼駐車場は千住が浜行きの低公害バスの発着所ともなっており、見頃に咲いているというクリン草を見に行こうかとも思ったのだけれど、やはり王道で戦場ヶ原と小田代ヶ原を1周するコースを歩くことにした。
 1周2時間25分というのがガイドブックに書かれたコースタイムなのだけれど、さて、どれくらいで回ることができるだろうか。

戦場ヶ原スタート 駐車場から道路を渡って戦場ヶ原に入る。
 歩き始めたのが13時40分くらいである。
 車道から少し下るとそこは、清流沿いの歩きやすい土の道である。
 空気もさわやかだし、下界の暑さが嘘のように涼しい。長袖のシャツでちょうどいいくらいである。
 緑も濃いし、雨も何とか持ちそうだ。

 少し歩くと右手に木道への分岐があり、そのまま戦場ヶ原に入ることができる。
 木道は2列になっていて、ときどき、修学旅行なのか林間学校なのか、小学生のグループとすれ違う。ほとんどゲームのように競うように「こんにちは〜」と元気に挨拶してくれるのが可笑しい。もとい、微笑ましい。

わたすげわたすげ

 歩き始めてすぐ、14時くらいには、おそらく今夏さいごであろうわたすげに出会うことができた。
 木々の向こうに見えるわたすげは遠くて、時々、「木道をはずれてはいけません」という注意書きを無視して近寄ろうとした人々が踏み固めてできてしまったのだろう土の道があり、そこが塞いである。
 戦場ヶ原は傷んできているのだろう。
 小学生のグループに説明していた先生らしき人によると、戦場ヶ原もあと何十年かすると、湿原ではなく草原や森になってしまうのだそうだ。でも、その先生はそれを「環境破壊」ではなく「湿原とはそういうものである」と語っていたのが印象に残った。

野花 またしばらく清流沿いの道に戻り、青木橋に到着したときには14時30分を回っていた。
 コースタイム35分のところを、かなりしげしげとわたすげを眺めたり、足下に咲いている黄色い花の写真を撮ろうとがんばったり、記念写真を撮ったりして「本当に歩いている」時間が短かったとはいえ、それでも50分もかかったとこの時点で認識していればこの跡のコース取りも変わったのだけれど、いかんせん、まだ十分に元気だったのがいけなかった。

 それでも、戦場ヶ原と小田代ヶ原との分岐点には14時45分ころには到着した。
 ここの分岐は、ちゃんと「湯滝1.7km、湯元3.2km、赤沼2.8km、龍頭の滝3.8km、小田代ヶ原2.1kmと書かれた標識が立っているのだけれど、それでも判りにくい。
 戦場ヶ原自由研究路から来ると、小田代ヶ原探求路は、左手の少し高くなっているところに細く付いている土の道を回り込む感じになるのである。

 ちなみに、妹夫婦と出会わなかった場合、私の想定していたルートは、ここから湯元にあるホテルまで歩いてしまうというプランだった。
 ガイドブックを駆使して計算したところ、コースタイム2時間で到着できると踏んでいた。
 しかし、荷物を車に置いているにもかかわらずこのペースの遅さでは、リュックを背負ってそんなことをしたらあやうく遭難することになっていたかも知れない。実現しなくて幸いだったプランである。

鹿の柵 そして、小田代ヶ原探求路は、こう言っては何だけれど地味な道である。
 灌木の中という風情になり、土の道になり、道以外の足下は一面の(推定)クマザサに覆われている。
 途中変わったイベントがあるとすると、鹿のための柵があり、人間が通れるように回転扉がついていることくらいである。
 そして、この柵が「鹿を熊から守るために」あるのだったか、「木々を鹿から守るために」あるのだったか、どうしても思い出せない。入り口の説明板にはちゃんと書いてあったはずなのにである。

 もうひとつの小田代ヶ原探求路上のハイライトは、湯滝2.5km、しゃくなげ橋2.9km、西ノ湖4.7kmという標識(ちなみに、この標識には15時頃に到着した)から10分くらいのんびり歩いた右手に広がっていた、(推定)アヤメの群生地だった。
 遠くに、紫の帯のように見える。

アヤメ

 そして、どうも思うに、私を始め家族4人、この小田代ヶ原探求路を歩いているときは概ね右手が開けていたので右手を見ながら歩いていたようである。
 恐らく、小田代ヶ原を取り上げたどのガイドブックにも載っているだろう「草原の貴婦人」と呼ばれている(らしい)白樺の木をすっかり見逃してしまった。
 地図もガイドブックも持って歩いていたのに間の抜けたことである。

 これまた後になって考えたことなのだけれど、小田代ヶ原のバス停まで1時間半以上も歩き通しだったのだから、この辺りで休憩をするなり、低公害バスに乗ってクリン草を見に行くなり(そうすればほとんど歩かずに済む)、もっと軟弱に低公害バスに乗って赤沼駐車場に戻るということもできたのに、勢いづいたのが意地なのか、我々4人はこのまま小田代ヶ原歩道に突入するのである。
 なぜそんなことを思うかといえば、ここから先の道は、ほんっとうにうっそうとした森の中、足下にクマザサが広がっているという地味きわまりない道だったのと、多少のアップダウンが増えたことにより、疲労度が3倍増しくらいに感じられたからである。

戦場ヶ原展望台から

 そんな中、15時30分くらいに通り過ぎた戦場ヶ原展望台だと思われる場所から眺められた風景は、ほっとできる「一景」なのだった。
 でも、かなり疲れていた母と妹夫婦は、ほとんど立ち止まることなく通り過ぎていたような気がする。疲れてくると早足になりがちだし、黙々と歩くしかなくなるように思うのだけれど、それは万人に共通の傾向なんだろうか。

 そうして、しゃくなげ橋に到着したのは16時近くになってからだった。
 遠い。遠すぎる。
 しかも、森の中の道は一段と涼しくて、とうとう、長袖のシャツの上に長袖を羽織ってちょうどいいくらいになっていた(もっとも、妹夫婦は半袖で平気そうに歩いていたから、これは私の体感の方に問題があるのかもしれない)。

アカゲラのおじさん しゃくなげ橋から赤沼に向かう道は渓流沿いの穏やかで広いのんびりした道筋である。
 そうして、最初の木道への分岐点まで戻って来たとき、橋の上や橋のたもとに大きなカメラを構えた方がいらっしゃるのに気がついた(この写真の橋の上と右端に写っているのだけれど、判るだろうか)。
 妹が苦笑と失笑の中間くらいの笑いをもらすのは見なかったことにして、おじさんに「何を撮っていらっしゃるんですか」と話しかけたところ、気の良さそうな優しそうなおじさんは、撮った写真を見せてくださった。
 アカゲラである。

 巣には雛がいて、その雛のところにえさを運んで来た母アカゲラをばっちりとらえてある。
 4人で代わる代わるデジカメの画像を見せていただいた。

 カメラのレンズの方向を追うと、ちょうどその場所から赤沼方向を見上げると、ちょうど良くこちら側に巣の入り口を開けた木が立っていた。
 よくもまあ、こんなにも絶好のポイントがあったものである。
 だいぶ前からいらしていたそうで(行きのときには気がつかなかった)、人数ももうちょっと前までは10人くらいはいたのだとおっしゃる。

ニッコウキスゲ 赤沼の駐車場入り口に咲いていたニッコウキスゲ(畑の隣にあったし、おそらくは畑の持ち主が丹精されているのだと思う)の写真を撮って「霧降高原に行って来たと嘘をついてもばれない」と言い合い、駐車場に戻ったときには16時30分近くになっていた。
 実に3時間50分である。
 コースタイムの1.5倍くらいの計算で計画を立てなければならないということを学習したのだった。

 ホテルにチェックインしたのは16時45分ころである。
 今回宿泊した「奥日光森のホテル」は、「高原のリゾートホテル」という外観にも関わらず、和室も多く、しかも全館「靴下」でということになっている不思議なリラックス感のあるホテルである。
 入ってすぐのロビーにあるローテーブルでチェックインをする。玄関には「本日の気温」が大きく張り出されていて、この日朝6時の気温は15度、14時の気温は26度だったらしい。
 それは快適な筈である。

 フロントの男性が「冷たいものをお持ちしますのでお待ちください」とおっしゃるので、麦茶か何かが出て来るのかと思ったら、供されたのはずんだ餡の冷やししるこだった。
 歩き疲れた身体にしみいる甘さである。
 なおかつ、お部屋に入っても用意されていた甘いものに手が出てしまうのはどうしてなんだろう。ポットのお湯がちょっと硫黄臭かったのでお茶が美味しく煎れられないのはマイナスポイントだけれど、ほっと一息である。
 部屋といえば、ここしばらく忘れていたけれど新型インフルエンザの影響なのか、テーブルの上にイソジンが用意されていた。

 さて、18時からの夕食の前に温泉で疲れた身体を癒すとしよう。
 ところで、大浴場のあるホテルに泊まるとき、その行き帰りにはエコバックがやたらと便利であるということが判明した。軽くてかさばらないのは元々の仕様だし、大きいから何でも放り込めるし、帰り道には増えたお土産を入れて帰ればよい。

 それはともかくとして、硫黄の温泉は気持ちがよい。
 湯温が高かったので早々に露天風呂に逃げたのだけれど、露天風呂は岩風呂風になっていて、その岩には温泉成分が黄白く張り付き、湯の花が浮かんでいる。
 気持ちいい。
 いっとき、母と妹と私の3人で占領することもでき、さんざん歩いた足を労るべく、ゆっくりとマッサージをしておいた。

 さっぱりしたところで夕食である。
 全員、生ビールをいただくことにしたのだけれど、義弟はお酒に弱くあっという間に赤くなっていた。一方、女3人は顔色も変わらないままで、何だか申し訳ないようである。

P6280117 チェックインしたときに頼んでおいた鹿の薫製が、癖もなく、でも後を引く美味しさである。ビールに合い過ぎてついクイクイ飲んでしまう。
 確か、鹿の薫製はこの時期しか作っておらず、また、常時用意しているものは養殖(鹿は養殖とは言わない気がする)だけれど、これは野生の鹿であるという説明を受けたような気もするのだけれど、気のせいだったかも知れない。
 これまた、別にお願いした湯波のお刺身もおいしい。

 毎月変わるというこのお夕食がおいしかったので、本当はいけないかもと思いつつ、お品書きを(適当に省略しつつ)大公開である。

嶺岡豆腐鱒
鮎足利牛

先付 嶺岡豆腐
   (これが、チーズケーキのようなお豆腐でとろっとしていて美味しい)
小鉢 白酢和え(かんぴょう、山クラゲ、コーン、茄子)
お造り 清滝の八汐鱒、ゆずこんにゃく、日光生湯波
煮物 たぐり湯波、木の葉軟禁、小茄子、蕗
焼物 鮎玉子見珍焼
揚げ物 豆腐磯辺揚げ、ヤングコーン香梅揚
凌ぎ 自家製ざる蕎麦
陶板焼 舞茸、榎、コーン、ズッキーニ、和牛
食事 たくあん飯、赤出し汁、お漬け物
甘味 自家製チーズケーキ、メロン、スイカ

 1時間半かけて、ゆっくりとお食事をいただき、美味しくて大満足なのだった。
 義弟はそば打ちを趣味としているので、しきりと「私にはこんなに細く蕎麦は切れない」と感心していたのが可笑しかった。

P6280131 部屋に戻ると、もの凄くインパクトのあるお布団が敷かれていた。
 何だ、これは?
 しかし、たくさん歩いたし、お腹もいっぱいになったし、ビールも飲んでしまったし、このお布団のインパクトも眠気には打ち勝つことができず、2人して布団に倒れ込むように寝入ってしまった。
 テレビもつけっぱなしで、目が覚めてみたらもう21時30分を過ぎている。

 「寝ちゃったねー。「気持ちよかったねー」と言いつつ、食事前は時間もなくて髪も洗っていなかったのでもう1回温泉に行くことにした。
 大浴場に行くとちょうど妹があがったところで、「お姉ちゃん達、これからお風呂なの?」と呆れられた。「うん。寝ちゃったんだよねー。ダンナ様はどうしてる?」と何の気なしに聞いたら、義弟は、食事を済ませて部屋に戻るなり爆睡状態に入ったらしい。
 そりゃあ、疲れているよね。たくさん歩いて、たくさん気を使い、運転も全部してもらっているのだから。

 がしかし、露天風呂から見上げた空には星が光っていた。
 明日は晴れるのかもしれない。
 私はまたもや「歩く」計画を立て始めたのだった。

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2009年7月11日記

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