2010.01.11

ベネズエラ旅行記の入口を作る

エンジェルフォール ここはベネズエラ旅行記への入口である。
 
 やはり、ベネズエラのギアナ高地を旅行する目的は「エンジェルフォール」だし、実際に旅行してその白眉もやはり「エンジェルフォール」だったのだった。

 以下の日程表の日付部分をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。

1日目 2009年8月15日 成田 -> ヒューストン ->

2日目 2009年8月16日 ヒューストン -> カラカス -> サンタエレナ(泊)

3日目 2009年8月17日 その1 サンタエレナ(ロライマ・テプイに遊覧ヘリ) -> (ハスペの谷) -> (ユリアニの滝) ->

3日目 2009年8月17日 その2 (パチェコの滝) -> (チナクの滝) -> カバナヤン(泊)

4日目 2009年8月18日 その1 カバナヤン -> (カバック) ->

4日目 2009年8月18日 その2 カバック(タバナベレパの滝) -> カナイマ(ユリの滝) -> カナイマ(泊)

5日目 2009年8月19日 その1 カナイマ -> (エンジェルフォール) ->

5日目 2009年8月19日 その2 (エンジェルフォール) -> カナイマ(泊)

6日目 2009年8月20日 カナイマ -> (ゴンドリーナの滝) -> (エンジェルフォール・フライト) -> カラカス(泊) 

7日目 2009年8月21日 カラカス -> ヒューストン(泊)

8・9日目 2009年8月22日・23日 ヒューストン -> 成田


その国の旅を終えて 100の質問 (ベネズエラ編)


持ち物リスト (ベネズエラ編)


2009年8月 「ベネズエラ エンジェルフォールを訪ねて」の写真

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ベネズエラ旅行記8・9日目

2009年8月22日(土曜日)

 昨夜、結構お酒が回っているのを自覚していたので、部屋に戻ってからアルコールを抜こうとコーヒーをがぶ飲みした。利尿作用を期待したのだけれど、カフェインの方が効いてしまったようだ。
 何とか12時には寝たけれど、「快適睡眠」とはいかず、3時、4時、4時30分と断続的に目が覚めた。
 モーニングコールは5時30分の予定である。

 モーニングコールは5時30分と聞いていたけれど、5時に電話が鳴って出てみたらホテルの録音のモーニングコールだった。
 不思議に思っていると、5時30分に再度ホテルのモーニングコールが入り、次いで、添乗員さんからもモーニングコールが入った。
 「起きられましたね。」と言われたので、「もしかして、起きられないと思ったから5時にもモーニングコール頼みました?」と聞いてみたところ、そういう訳ではなかったらしい。

 旅行会社からもらった旅のしおりには、今日の朝食は付いていないと書かれていたけれど、ホテルで食べられるらしい。ラッキーである。
 キャリーケースを廊下に出したその足で6時からの朝食に向かおうとしたら、添乗員さんが廊下で全員分のキャリーケースを集めていた。昨日、自分がツアー最年少だと判明したことでもあるし、少しだけお手伝いする。

 職場へのお土産をキャリーケースに入れてしまうと成田空港で荷物の詰め替えをしなくてはならなくなるので、今日はリュックとレスポのバッグと両方を機内持ち込みにする予定である。
 おかげで、キャリーケースの荷造りも余裕がある分ラクだった。

朝食 朝食はビュッフェ式で、いかにもな感じのアメリカン・ブレックファストである。
 ベーグルを焼き、卵を目玉焼きにしてもらい、フルーツとジュースとコーヒーというメニューにした。いかにも定番という感じがする。
 朝食を食べてそのまま集合場所のロビーへという方も多かったけれど、私は荷物を部屋に置いてきてしまっていたので部屋に戻り、ついでに歯磨きもして7時の集合に向かった。

 7時30分にはヒューストン空港に到着した。
 この空港の正式名称は「ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港」である。
 添乗員さんの薦めもあって、ツアーのほとんどの方がチェックインしたときに合わせてコンチネンタル航空のマイレージ・プログラムに加入する手続きを行っていた。
 私は迷ったけれど、コンチネンタル航空が2009年10月まではノースウエスト航空と同じスカイ・チームに所属しているし、スター・アライアンスはANAのマイレージ・プログラムに加入しているので、コンチネンタル航空のマイレージ・プログラムには加入しなかった。

 チェックインやセキュリティチェックは非常にスムーズで行列もほとんどなく、8時15分には中に入ることができた。
 キャリーケースの重さが気になっていたところ、チェックインのときに見たら37.5ポンド(17kgちょっと)だった。
 ツアーの方で23kgの制限重量をオーバーしてしまった方がいらした。カラカスの空港で購入したチョコレートが意外と重かったらしい。
 ここ数年、この重量制限がかなり厳しくなったような気がする。以前はツアーのメンバー全員分の荷物の重さを足して、全員分を足した制限重量をオーバーしていなければ通してもらえていたように思う。

 ゲートを確認して、添乗員さんが全員を集めてアンケートを配る。
 ツアーメンバーの方が「もう、この先、全員で集まれる機会はないんじゃない?」と言い、何となく感想を述べ合う会が開催されることになった。
 ここで初めて全員の年齢順が判明したり、私が「実は雨女なんです。」と告白するともうお一方「実は、私もなの。」という方がいてほっとしたり、なかなか楽しかった。

 その後、時間になったらゲートに集合ということで、解散になった。
 それにしても、このジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港というところは、商売っ気のない空港である。免税店はあるものの、買いたい物が全くと言っていいほどない。
 端から端まで2往復くらいしたけれど、運動にはなっただけで、買いたいと思うような物を発見できなかった。機内用のミネラル・ウォーター(2.05ドル)を買ったくらいである。
 ツアーメンバーの方々も、関空に乗り継ぐ方はお酒や化粧品などの液体物をそもそも購入できないし、お買い物をした方はいなかったようだ。

 他にやることもなくゲート前の椅子でおしゃべりしながら10時の搭乗開始を待った。
 ところが、待っても待っても搭乗開始のアナウンスがない。ツアーだからそこは気が大きくなっていて、「ちょっと変かも」と思いつつ、添乗員さんが何とかしてくれるだろうとおしゃべりを続ける。
 添乗員さんの説明によると、航空会社が機材を交換した関係で座席指定に混乱が生じたらしく、ボーディングパスを見せてあっさりと機内に入れて貰える人と、カウンターで改めて座席指定を受けろと言われる人と、二手に分かれているようだという。

 私はあっさり機内に入れたけれど、指定された座席に行ってみると、すでにそこには人が座っていた。
 日本人の中学生っぽい男の子の集団を引率している先生らしき方で、話しかけてみると、手書きで修正された座席番号が、私が元々持っている搭乗券の座席番号と同じである。
 わざわざ手書きでダブルブックを作ったようなものではないか。

 どう見ても私よりその男性の方が英語が堪能そうだったので客室乗務員の方との交渉をお任せし、無事に席は確保された。
 その後、日本語の機内アナウンスがあって事情が判った。
 チェックインからボーディングまでを管理するコンピュータが不具合を起こしていて、座席指定も大幅に狂い、そもそもチェックインした人が搭乗したかどうかも確認できない状況にあるらしい。
 ヒューストンはコンチネンタル航空のハブ空港なのに、お膝元でそんなことがあるなんて大丈夫なんだろうか。
 アナウンスでも、機内の不安と動揺を抑えようという趣旨か、しきりと「地上のシステムの不具合で。」と繰り返していたのが可笑しかった。

 機内で恐らく1時間以上待ったと思う。
 11時50分のアナウンスでは、「いつ出発できるか見込みが立っておりません。」と言われた。
 朝も早かったしお腹も空いてきた。リュックに飴を入れていたことを思い出し、ツアーメンバーのみなさんに配る。もっと早く気がつけばよかった。
 11時54分のアナウンスでは、「システムがダウンしていますので、現在、手作業で予約確認を行っております。」と言われた。機内でボーディングパスが回収されたのは、そのためだったらしい。
 ボーディングパスの回収後、添乗員さんから「クレーム・タグは手元に残っていますね。」確認されている。

 12時少し前くらいに「快適にお過ごしいただくために、機内のエンターテイメントシステムを起動させます。」というアナウンスが入った。しかし、映画もゲームもいらないから食べ物が欲しいという心境である。
 「出発の見込みが立っていない」というアナウンスから15分後の12時5分、10時50分離陸予定だったCO7便は、何とか離陸態勢に入った。

 14時頃にやってきた、待望の機内食のメニューはこんな感じである。
 エビとミックスグリーンサラダ
 牛の照り焼きor鮭のアジアソース(どちらを頼んだのか忘れた)
 ロールパン
 クリームブラウニー
 クッキー

 ごはんを食べて落ち着き、映画「チーム・バチスタの栄光」を見て、原作の方がやっぱり好きだな、どうして田口を女性にしてしまったんだろう、などと考えたのは覚えている。

 (以下、日本時間で表記。)

2009年8月23日(日曜日)

 23日8時頃、機内食が供された。
 ターキーのサンドと、ハーゲンダッツのアイスである。これにコーヒーをもらう。
 アメリカ系の航空会社は、やはり、「機内食」よりもこうしたスナックの方が美味しいような気がする。
 お昼頃になって、入国カード、税関申告の紙、検疫の紙が配られた。

 14時30分頃に配られた、この旅行最後のごはんのメニューはこんな感じである。
 フルーツ
 ロールパン
 鶏のガーリックライスorアメリカンブレックファスト(オムレツのことだった)
 クッキー

 「アメリカンブレックファスト」を選び、食事をした後、それまでほとんど一睡もできずに映画を見て文庫本を2冊読破してゲームして悶々としていたのに、何故か1時間くらい爆睡できた。
 予定ではCO7便は14時20分に到着する筈だったけれど、実際に何時に到着したのかは覚えていない。やっと帰って来られた嬉しさにメモを取るのも忘れていたらしい。

 本当に楽しい旅行だった。

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2010.01.03

ベネズエラ旅行記7日目

2009年8月21日(金曜日)

 この日は3時に起床した。
 モーニングコールは4時にホテルからと添乗員さんからと2回あるけれど、モーニングコールの時間に起きたのでは全てにトロい私は準備が間に合わない。
 4時15分にはバゲージダウンでお部屋の外にキャリーケースを出した。
 往路はリュックとレスポのバッグの両方を手荷物で持っていたけれど、何だかそれも面倒くさくなってリュックをキャリーケースに押し込んだ。

 キャリーケースを廊下に出したその足で朝食に向かう。
 朝食は昨日のレストランではなく、プールサイドでいただくようになっていた。添乗員さんがお味噌汁を作っている。曰く「エンジェルフォール展望台に行く日の朝に作ろうと思っていたんですが、忘れました。」とのことだった。
 有り難くいただく。
 朝起きたときにドアの下に添乗員さん作成の「旅の記録」がはさんであったので聞いてみると、昨日の国内線の待ち時間と昨夜ほぼ完徹で仕上げたらしい。頭が下がる。

朝食 現地の旅行社のスタッフからは「もっと早めに空港に行った方がいい。」と言われ、ホテルの厨房のスタッフからは「そんなに早くは用意できない。」と言われて調整を取った結果、「4時から朝食が食べられます」という予定になったようだ。
 温かいものも色々と用意してあったけれど、昨日の夕食を遅めの時間にたっぷりといただいたこともあって、軽くシリアルとフルーツの朝食にした。

 フロントで直接頼んだ方がポストへの投函は有料だと言われたという話で、添乗員さんがまとめてホテルのスタッフに絵はがきを託してくれた。
 5時にホテルを出発した。
 この車の中で、ツアーメンバーのお一人が「真夜中にお手洗いの水が止まらなくなってしまった。」という話を始めた。彼女の話は流石の関西人で絶対にオチがあるので、みな、興味津々で聞き入る。
 彼女のお部屋の隣が添乗員さんのお部屋だったので、相談しようと3階電話をしたけれど、そのたびにスペイン語の美女の声が答えるだけだったそうだ。
 これはどうしたことかとついに添乗員さんの部屋に出向いてドアをノックしたところ、添乗員さんが顔だけ覗かせた。

 彼女はここで話を止め、車内は大爆笑の渦となった。
 そこへ被せるように、添乗員さんが「僕を陥れようとしているんですか。」とうめいて頭を抱えたから、車内の笑いは一層大きくなる。
 そんな一体感溢れる感じのまま、30分くらいで空港に到着したまではよかったけれど、ここから先が長かった。
 一体誰がこんな事態を想像しただろう、というくらいの、受難の時間の始まりである。

 まず、パッキングについてのインタビューがあると言われ、その行列を抜けるのに1時間かかった。
 しかも、行列したものの、添乗員さんが「自分でパッキングしましたかっていう質問だけなので、僕がまとめて答えておきました。」と言う。
 このインタビューとインタビュー待ちの時間に一体どんな意味があったというのだろう。

 昨日のおやつの「バナナの羊羹みたいなもの」をお土産に購入された方がいらして、それがどうもX線を通すと怪しげなものに見えたらしい。
 この方の後ろに並んでいた私たちのグループは全員、X線を通すまでもなく、預入荷物をオープンチェックされることになった。
 ベネズエラのお菓子でしょ! とツッコミたい気分だ。

 女性の荷物を調べるのは女性の係官で、かつ「これは何?」と言っては一つ一つ取り出すから時間がかかる。
 そのうち、「この袋は衣類。」「これはサンダル。」と私が取り出して中味を説明して詰め直す、というやり方になった。
 大きなノートを持っていて、そこに「FLASH LIGHT」だの「COFFEE」だのと書き込んでいた。
 この検査に果たして意味があったのかどうか、やはり謎である。

 リュックをキャリーケースに詰め込んだため、リュックの体積とリュックに入れていたものの体積とで、私のキャリーケースはパンパンになっている。
 丁寧に「全部詰めてやる」という気概を持って詰めたならいざ知らず、適当に詰めた後で閉めるのはかなり大変で、最後には添乗員さんに上に乗っかってもらってやっとファスナーを閉めることができた。
 
 荷物を詰め直して預入れした後、手荷物のバッグを2回もX線に通してやっと出国審査に辿り着いた。
 この出国審査の行列を見張っていたっぽいおじさんが何故だかフレンドリーで、「疲れたよ。」と苦情を申し述べたら、「今のは日本語で何て言うんだ?」と聞かれ、「僕は合気道をやっていたんだ。」という話になり、楽しくおしゃべりできたのが救いである。

 搭乗予定時刻をだいぶ過ぎて出国審査を抜けることができた。
 それでも、ここだけは行かなくてはとお土産物屋さんに寄る。
 ベネズエラ特産だというラム酒が欲しかったけれど、免税店のおじさんにボーディングチケットを見せたら「コンチネンタル航空は免税店で購入したアルコール類も持ち込めない。」と言われ、泣く泣く諦めた。
 代わりに、これまたベネズエラ特産だというチョコレートを買う。6種類のカカオ含有率の異なる板チョコのセットが一つ17ドルだった。
 到着したときに添乗員さんが買って来てくれた、一口サイズのチョコレートの詰め合わせが見つからず残念だった。

 大急ぎでお土産を買い込んで搭乗ゲートに向かったら、そこにも行列ができていた。
 3度目のX線検査である。
 どこかで事件か事故があったのだろうか、というくらいの警戒ぶりだ。

 軍人のようにも見える結構な人数の係官が待ち構えていて、手荷物のバッグを指して「ずっと持っていたか。」と「誰かから預かったものはないか。」と聞く。
 さらに、手荷物まで全員オープンチェックすると言う。
 明らかに狙い撃ちされている気配に添乗員さんが大抗議をしていたけれど、聞く耳を持つ気配はない。

 さらに、ツアーメンバーのお一人の預入荷物に何か問題があるということになったらしく、荷物の積み込み口に残してあるので、そこへ一緒に行って検査を受けろと言われたらしい。
 添乗員さんが、「預入の前に全員がオープンチェックを受けているのにどうしてそんなことをされなくちゃいけないんだ。」とか「自分がこのグループの責任者だから一緒に行かせろ。」等と、さらにヒートアップして大抗議をしていたけれど、これまた耳を貸すような気配はない。

 彼女は、安全のために蛍光色のチョッキを着せられ、係官と一緒に地上に別に置かれた荷物のところに行くことになった。
 ご本人も「別に変なものは何も持っていないし、すぐ終わるでしょ。」と落ち着いていたし、「写真を撮ってあげたいけど、ここでさらに揉め事を起こす訳にはいかないわよね。」とおっしゃるツアーメンバーの方も見事な落ち着きである。
 流石、旅慣れた人々は違う。
 一番、落ち着かなかったのは添乗員さんかも知れない。

 ショルダーバッグにパンパンに詰め込んでいた私の荷物は、ただでさえ検査のために係官がはめているビニルの手袋とファスナーとの相性が悪いらしく、チェックというよりも開け閉めに時間がかかる。
 手伝おうとすると、(当たり前だけれど)「Don't touch!」と怒られてしまう。
 ここでライターを取り上げられ、裁縫セットの小さなはさみは責任者の人に確認されたけれど取り上げられずに済んだ。ルール的には逆じゃないかと思ったけれど、お目こぼしをしてもらったのだから文句を言う筋合いでもない。
 最後には「開けておいて。後で自分で閉めるから。」とファスナー全開のままバッグを返してもらった。

 私の手荷物検査が終わる頃には、もうすでに辺りに人は残っていなかった。
 機内に向かおうとしたら、ツアーメンバーの方が固まって心配そうにこちらを見ているのと目があった。彼女はまだ戻ってこない。
 添乗員さんに「みんな待ってるけどどうする?」と声をかけると、「じゃあ、入口まで一緒に行きましょう。私はここで待っていますから。」ということになり、機内に入ったときには、ヒューストン行きCO1667便の離陸予定時刻である8時を回っていた。

 20分くらいかかってやっと彼女が機内に現れたときには、全員がほっとしたし、「お疲れ様。」と口々に声をかけた。一番ほっとしたのは添乗員さんだったろう。
 後で聞いたところによると、最初に荷物を全開して検査を受けた際、何かの拍子に懐中電灯のスイッチが入ってしまったようで、それが「すわ、危険物」という対応を呼んでしまったらしい。
 スイッチの入った懐中電灯を発見したら、そこで係官の緊張が解けたという。
 いずれにしても、大事にならずに何よりだった。落ち着いた対応の賜である。私だったらこうは行かない。

 飛行機は8時45分に離陸し、その1時間後には機内食が出た。
 ハムと卵とチーズのホットサンドとフルーツにマフィンというメニューである。こういうファストフードの方が、アメリカ系の航空会社の機内食としては美味しい気がする。
 この機内で爆睡し、かなりすっきりした。
 すっきりした頭で、この頃になって「失われた大地」を読んでいるのだから、我ながらマヌケである。

(以下、米国時間で表記。)

ホリデイインのお部屋 現地時間の12時50分、かなり遅れを取り戻して飛行機はヒューストンに到着した。
 ガラガラの入国審査を抜けて、14時30分には空港近くのホテルにチェックインできた。乗り継ぎの関係で米国内で1泊する。
 水道の水が飲めて、部屋に湯沸かしポットがあって、ロビーにフリーのコーヒーとレモネードとお水が置いてある。有り難い。
 部屋に入ると寒いくらいだったのでエアコンを止め、荷物を置いただけで部屋を出た。

 添乗員さんがホテルと交渉してくれて、時間が余っているし、NASAに行けるほどの時間はないし(タクシーを飛ばしても1時間くらいかかり、かつ、見学コースは16時くらいで受付が終わってしまうらしい)ということで、近くのショッピングセンターにみなで行くことになった。
 15時集合で、ショッピングセンターに向かう。
 普通のショッピングセンターである。真ん中にフードコートがあって、3フロアくらいのデパートが入っていて、洋服、電化製品、小物などが売っている。1件だけテキサスのお土産物を扱うお店もあったと思う。
 どなたかが「エンジェルフォールのツアーに参加する人がお買い物が好きだとも思えないんだけど。」と呟いていたけれど、確かにそのとおりで、あまりお買い物をした人は見かけなかったような気がする。
 私も、本屋さんで売っていたWWFの壁掛けカレンダー(動物の親子or赤ちゃんシリーズ、15ドル)を購入しただけだった。

 どちらかというと、その後で行った、道路を隔てた反対側にあるスーパーの方がみな楽しそうにしていた。
 お酒や「きっと米国限定に違いない」というキュウリ味のプリングルスや香辛料、ハーブティ等々を買い込んでいる。
 私もここで買わねば職場へのお土産を買う機会がなさそうだったので、探し回った挙げ句、緑茶ベースのフレーバーティを購入した。激しく安上がりである。

 18時前にスーパーからショッピングセンターに戻ろうと歩いていたところへ、突然、雨が降り始めた。
 スコールである。
 同時に日も射していて、地平線から地平線にかかる半円形の虹を見ることができた。

 ショッピングセンターに戻って、フードコートで夕食を食べた。このツアーの中で、唯一、ツアーに含まれていない食事ということになる。
 アルコールが売られていないのは、やはり米国が車社会だからだろうか。確かにこのショッピングセンターに来る交通手段は車しか考えられない。
 フードコートにはハンバーガーもあれば、お寿司(もどき)もあれば、中華もある。
 私は中華のブースで、チャーハンと温野菜と白身魚のあんかけ(酢豚風)のものを頼んだ。これで7ドルだからお安い。

 時間をつぶすのに困ったショッピングセンター訪問も終了し、19時30分に迎えに来てくれたマイクロバスでホテルに戻った。
 その車中、私は自分の部屋番号を覚えていないことに気がついた。
 部屋番号が書かれたカードキー入れがお財布に入らなかったので置いてきてしまったのだ。キー自体は持っているし、何階で、エレベーターを降りて右に折れた左側の部屋であることは覚えていたので、5室くらい試せば辿り着くだろうけれど、そんなことをしていたらかなり怪しい。

 結局、添乗員さんにフロントに確認してもらった。お手数ばかりおかけして申し訳ない限りである。
 しかも、その流れで飲みに行く方々に加えていただき、ビールにラムコークと奢ってもらい、さらに同じカウンターにいた中国系米国人のお兄さんにウォッカ+レッドブルという、もしかしてそれって結構キケンな組み合わせなのでは、というお酒を奢ってもらい、2時間ばかり楽しく過ごした。
 もっとも、私の貧しい英語脳はもう開店休業状態だったので、にこにこしていただけだ。
 この最後のカクテルが効いて、部屋に戻ってしばらくはくらくらしてしまい、コーヒーをがぶ飲みした結果、翌朝までほとんど眠れなかった。

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2010.01.01

ベネズエラ旅行記6日目

2009年8月20日(木曜日)

 この日のモーニングノック予定時間は7時で、珍しく普通の時間に起きればよい筈だったけれど、やはり前日に雨に打たれたのが祟っていたらしい。2時か3時、とにかくまだ外が暗い時間に目が覚めてしまい、しかも熱っぽい感じがする。
 解熱鎮痛剤を飲み、喉が渇いていたので1Lくらい水をがぶ飲みし、熱を下げるために体中に「休足時間」を貼りまくってもう一度寝た。

 もう一寝入りして目が覚めると、外が明るくなっていた。
 上にコートを羽織って外に出てみるとちょうど日の出である。
 ラグーンの滝の間、その背後にそびえるテプイの間から太陽が昇ってくるのが見える。
 慌ててカメラを取りに戻り、カナイマの日の出の瞬間を撮影した。
 5時40分過ぎのことである。

朝食 8時前に朝食をいただいた。
 トウモロコシのパン、スクランブルエッグ、トースト、ハム、チーズ、オレンジジュース、コーヒーというメニューである。トウモロコシのパンにバンズのように切り込みを入れ、そこにスクランブルエッグをはさんで食べると美味しい。
 そして、このトウモロコシのパンだけはいつでもどこでも焼きたてが供される。

 8時30分過ぎにロッジを出発し、ラグーンクルーズに向かった。
 私のイメージでは「ラグーン」というのは「入り江」のことで、「入り江」だからそこは海でなければならないけれど、カナイマのラグーンは海ではない。
 どうしてカナイマに「ラグーン」があるのか、添乗員さんに教えてもらったけれど、忘れてしまった。

 カナイマのラグーンは綺麗である。
 見た目はビーチリゾートそのものだ。
 ラグーンにはいくつもの滝があり、全部まとめて「ゴンドリーナの滝」と呼ばれている。さらに一つ一つの滝にも名前が付いている。その後ろにはテプイがそびえ、まさしく絶景である。
 ラグーンクルーズは、昨日のエンジェルフォール展望台に行ったときに乗ったのと同じようなボートで、「今日はのんびりするのが目的ですから」と優雅な遊覧である。

 滝の近くをボートが通ったときにミスト状の水しぶきがかかったのが唯一の「冒険」らしいイベントだった。
 「水しぶきがかかる」という事前情報が前日にあったので、後で着替えられるよう、赤い長袖シャツとカーキのカーゴパンツを履いたらちょっと暑くて汗ばんでしまった。

カナイマラグーン ボートの旅は、途中、ラグーンにある島に上陸した。
 少し歩くと、アチャの滝を真正面から見ることができる。
 ここでもラグーンの水が茶色っぽいのはタンニンのためであり、手前に盛り上がっている白い泡もタンニンが攪拌されたものである。
 砂が綺麗なピンクに染まっているのもやはりタンニンのためだという。
 このタンニンを使って石けんを作ってお土産物として売り出し、起業すればいいんじゃないか話が出たりした。

 当初の予定ではここで一度ロッジに戻って荷造りをしてから2度目のエンジェルフォール・フライトへ行くことになっていた。
 しかし、ガイドのウラジミールさんに連絡が入り、「今ならセスナが空いているので、先に飛んじゃいましょう。」ということになった。
 しみじみとアバウト(臨機応変ともいう)である。
 時間調整のために少しだけお土産物屋さんに寄り、空港まで歩いて行った。

セスナ機 ロライマ・テプイに行くヘリのときのグループ分けで、代表者がジャンケンで1便と2便を決めることになった。
 このセスナもまた、パイロットを含めて6人乗りという小ささである。
 ジャンケンの結果、私たちが先に飛ぶことになった。
 ヘリのときに助手席に乗っていない2人がジャンケンをして助手席が決まり、真ん中の列に2人、最後列に1人という配置である。
 カメラを2台抱えていた私が最後列を譲ってもらい、「ちゃんと写真を撮るように。」と厳命を受ける。

 10時過ぎ、第1便が飛び立った。
 飛び立つ直前、セスナの機内に蠅が1匹入り込んでいることに誰かが気がついた。
 窓が開いていたので「そのうち出て行くだろう」と思ったけれど、流石に離陸直前にパイロットのお兄さんが窓をぴしゃりと閉めてしまい、その蠅も私たちと一緒にエンジェルフォールフライトを楽しむことになった。
 お一人が、「**さん(添乗員さん)、きっと私たちだけで行かせたらとんでもないことになると心配して、蠅に変身して付いてきたんだよ!」と言い出して、機内は大笑いになった。
 このメンバーで車に乗っていたとき、「蠅男」という映画の話になったことがあったのだ。

カラオ川上空テプイ上部

 そんな大笑いの4人を乗せて、セスナは、昨日ボートで3時間以上かけて遡ったカラオ川に沿って飛び、エンジェルフォールに向かった。
 昨日の朝とは打って変わっていいお天気である。青空も見える。
 そして、あっという間にテプイが連なる辺りに辿り着いた。
 雲はかかっているものの、テプイの形や、そのテーブル台地の「テーブル」の部分がはっきりと見える。

 そしてついに、エンジェルフォールが見えた!
 真ん中辺りに雲がかかってしまっているけれど、エンジェルフォールの上から下まで、見ることができた。
 この写真では判らないけれど、滝壺近くでは虹がかかっている。

エンジェルフォール落ち口 セスナは、エンジェルフォールの上をなめるようにぐるりと旋回してくれる。
 ちょうどそのとき、エンジェルフォールの落ち口に着陸していたヘリが飛び立った。
 写真に撮ったつもりが残っていなかったので記憶に多少の不安はあるけれど、ヘリから人が降りて歩いているのを見たような気がする。
 そんなこともできるのだ。

 エンジェルフォールの上を右から左から旋回した後、セスナは再びテプイの上空を低空飛行して、カナイマへの帰路を取った。
 この頃には、写真と動画を撮ろうとがんばっていた私はかなりクラックラしており、ファインダーを覗きすぎて気持ち悪くなる人がいるという注意事項を思い出したけれど、もう遅い。

 この帰り道がまた楽しかった。

カラオ川を行くボート カラオ川の上を、それこそ超低空飛行でセスナは飛ぶ。
 相変わらず川面は静かで、空と雲をくっきりと映している。
 川を行くボートがこんなに近く、同じ高さでセスナから見えるなんてあり得ないと思う。
 低く飛ぶ分スピード感は増して、かなり爽快かつアドベンチャーなフライトだった。

ラグーン上空 そして、最後の仕上げとばかりに、ついさっきボートから見たばかりのゴンドリーナの滝を掠めてセスナは飛び、ラグーンからすぐのところにある飛行場に戻った。
 面白かった!
 約40分のフライトが、もっともっと長く感じられた。
 気がつくと機内から蠅の姿は消えていて、着陸したセスナに向かって歩いてきている添乗員さんの姿が見え、またまた「元の姿に戻ったんだよ!」と大笑いになったのだった。
 (この場を借りて懺悔します。添乗員さんごめんなさい。)

 添乗員さんも乗せた第2便が飛び立ち、残された第1便の4人は、空港のお土産物屋さんに釘付けになった。
 いわゆるお土産物屋さんにはほとんど寄っていないし、この先も空港にあるお店を除けば立ち寄る見込みもない。
 私は、ウラジミールさんの奥さんがやっているというお土産物屋さんで、絵はがき3枚(2ドル)とジャスパーの石で作られたペンダントトップを三つ(1個6ドル)購入した。

昼食 気が済むまでお買い物をして、ロッジに戻ったのは11時過ぎだった。10分後には第2陣もロッジに帰着し、荷造りをして12時からロッジのレストランで昼食になった。
 シャワーシートで汗を拭き、全身着替えるとかなりさっぱりした。
 昼食は、レタスとトマトのサラダ、鶏肉のトマトソース煮、パン、ライス、コーヒーというメニューである。
 かなり迷ったけれど、セスナの酔いが残っているような気がしたのでビールはパスした。

 第2陣は、私たちよりもさらに鮮明にエンジェルフォールを見ることができたらしい。添乗員さんが「アウヤン・テプイに登ることを決めました!」と宣言していた。
 しみじみと、タフである。
 エンジェルフォールの落ち口に降りられるヘリに乗ってみたいとしか思わない私とは、比べるのも失礼ながら雲泥の差である。

 もう後は帰るだけなのが淋しい。
 そして、この帰り道が果てしなく長いのが悲しい。

プエルト・オルダス 13時過ぎにチャーターのセスナが出発し、約1時間のフライトでプエルト・オルダスに到着した。
 セスナの窓からこんな景色が見え、「もうここはギアナ高地ではないんだな」、「街に帰ってきてしまったよ」と思う。
 ここには写っていないけれど、プエルト・オルダスは工業都市で、周辺には黒い煙ともくもくと吐いている工場もたくさんある。
 着陸して、その辺に適当に駐めたように見えるセスナから空港ビルに荷物を自力で運び、お手洗いに入って出てくると、大雨が降っていた。
 私たちは運がよい。

おやつ カラカス行きの飛行機は18時発で、4時間待ちである。
 この待ち時間にプエルト・オルダスにある植物園やショッピングセンターなどに行くこともあるらしいけれど、雨のせいか空港までの道が大渋滞しているという情報が入り、空港内のカフェでおしゃべりでもして待ちましょうということになった。
 ベネズエラのカフェでは「エスプレッソ」か「カフェオレ」かの選択肢しかないような気がする。
 カフェオレを頼み、添乗員さんが空港内で調達してきてくれたおやつをみなで賞味する。
 白いのはクリームチーズ、オレンジ色がマンゴーのゼリー(ちなみにこれが一番お値段が高かったらしい)、茶色っぽいのはバナナの羊羹のようなお菓子である。
 見た目に反して、どれも美味しかった。

 空港内のお土産物屋さんを覗いたり、空港内のカフェでコーヒー豆を買ったり、時間をつぶしていると、9人が固まって座っていたのに何故だか私を狙ったように話しかけてくるベネズエラ人の女性がいた。
 私が全く使えない英語力を駆使してお話させていただいたところ、彼女は日系3世で、母方の祖父はミヤケさんという名字だそうだ。日本にも行ったことがあると言う。
 ご本人は日系企業のジェネラル・マネージャーで、プエルト・オルダスにはミーティングのために来ており、普段はカラカスで働いているそうだ。彼女の勤める会社には日本人駐在員もいて、彼らはみな英語がしゃべれるという。

 旅行に来た、この8人の女性がグループであると言うと、「ビーチには行ったか。」「日本人はベネズエラにはバードウォッチングに来ているのだ。」と言い、後者についてはその真意と真偽が謎だったけれど、前者については、携帯電話で撮ったビーチリゾートの写真など見せてくださる。
 確かに綺麗な海だ。
 忘れていたけれど、ベネズエラはカリブ海に面しているのである。
 一方で「エンジェルフォール」を見に来たと言ったら、あまりピンと来ていない様子だった。
 18時発予定の国内線が遅れ、多分、30分以上、私は彼女とお話させていただいたと思う。
 拙すぎる英語力しかない相手に、簡単な英語で意思疎通できる話題を探してくれた彼女も大変だったと思うけれど、それに付いて行こうとがんばりすぎたらしく、脳みそを使いすぎて気持ち悪くなってしまった。

 R7745便カラカス行きの飛行機の中でも国際交流は続いた。
 お隣に座っていた父子は、日本に行ったことがあるのか、日本語を勉強していたことがあるらしい。
 息子の方は5〜6歳に見えたし、お父さんの方がもうだいぶ日本語を忘れてしまったという趣旨のことを英語で言っていたから、多分、日本に住んでいたことがあるのではないだろうか。
 いきなり「私は日本語が話せません。」と若いお父さんから日本語で話しかけられたときにはびっくりしたけれど、この息子がとにかく可愛かった。何しろ、お父さんに促されての第一声が「私の名前はマルコと申します。」である!

 お父さんのリクエストで、マルコの持っていたノートに「マルコ」とひらがなとカタカナと漢字で書いてあげると、非常に喜んでもらえたのが、こちらもとても嬉しかった。
 私の汚い字で申し訳ない限りである。
 脳みそが疲れ果てていなかったらもっとおしゃべりしたかったけれど、とても残念だった。
 でも、見ているだけで幸福になれそうな父子だった。

 20時30分頃にカラカスに到着し、空港内の人の多さに酔いそうになった。
 カラカス市内は治安が良くないということで、カラカス郊外のカリブ海に面したリゾートホテルである「オレ・カリベ」が今夜の宿である。
 21時過ぎに到着し、チェックインもそこそこに夕食をいただくことになった。
 スープが出る前に、何故か全員にボールペンがプレゼントされたのが謎である。

夕食 夕食のメニューは、シャンツァイの利いた野菜スープ、シーフードプレート、デザート(デザートワゴンが登場した!)だった。
 飛行機の中で爆睡したせいか、脳みその疲労が全身に及んだのか、今ひとつ調子がよくなかったので、アルコールはパスしてメロンジュースを頼む。この「今、絞ってきました」という感じのメロンジュースがとても美味しかった。
 ベネズエラに来て初めて食べたシーフードは、とても美味しかった。しかし、どう見てもこのお皿は2〜3名分という量である。
 見事に完食した方もいらしたけれど、私は半分弱でギブアップし、デザートもチョコレートケーキが美味しそうだったけれど泣く泣く諦め、プリンをいただいた。
 確か空港を出たときには雨は降っていなかったのに、夕食の間、窓の外は嵐かと思うくらいの大雨が降っていた。

オレ・カリベのお部屋 夕食を終えて部屋に入れたのは22時過ぎだった。
 カラカスでお別れしたキャリーケースも部屋に運ばれている。
 久しぶりのバスタブが嬉しくて、まずはお湯を貯めようとしたけれど何故か水しか出ない。5つ星ホテルだと念を押されたのにおかしいと首を捻って、ピンと来た。
 スペイン語では、確か、Cがお湯でHが水なのである。
 Cと書かれた蛇口をひねると熱いお湯が勢いよく出て来た。

 ベネズエラから絵はがきを出すチャンスは明日の朝しかない。
 お湯をためている間に絵はがきを書き、ゆっくりお風呂に浸かるともう23時30分だ。
 明朝のモーニングコールが4時なのが辛いと思いつつ、荷造りもそこそこにベッドに潜り込んだ。
 
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2009.12.23

ベネズエラ旅行記5日目その2

2009年8月19日(水曜日)

展望台から エンジェルフォールの上半分を雲が覆っていたときには、エンジェルフォールの反対側を眺めて「あっちはあんなに雲が切れているのに〜。でも、これはこれで幻想的な光景かも。」などと眺めている余裕もあった。
 滝壺に近いところにある天然のプール(しかし、そこはエンジェルフォールの滝壺ではないし、そこからはエンジェルフォールを見ることはできないらしい)に行ってみましょうと添乗員さんも言っていた。
 でも、エンジェルフォールがその全貌を現したら、とてもではないけれどそれどころではなかった。

 何しろ、エンジェルフォールは、光の具合や雲の具合、風の具合によって、次々とその姿を変えて行くので、見飽きるということがない。
 いつまでもいつまでも見ていたくなる。

 ふと気が向いて、エンジェルフォールの落ち口を目一杯望遠を利かせて撮ってみる。
 左側の太い水がエンジェルフォールの本体である。
 右側の4本の細い水流は、ある程度以上の降雨がテプイ上にないと現れないそうだ。テプイは土がないので保水力がなく、降った雨はそのまま流れて滝となる。

 添乗員さん曰く「あの右側の4本の子どもの滝は、雲に隠れて滝全体が見られないのじゃないかとハラハラするくらいの天候でないと見られない。」そうだ。
 その「子どもの滝」が見られてラッキーである。
 ツアーのどなたかが言っていたけれど、この水量ではエンジェルフォールの落ち口もいつか水の力でその形を変え、滝の姿そのものもきっと長い時間をかけて変わって行くのだろう。

集合写真 そろそろ降りましょうと集合写真を撮ったのが12時くらいだった。
 全員のカメラでかわるがわる撮ったので、この集合写真を撮るだけでかなりの時間がかかる。
 それでも名残惜しくてついつい振り返ってしまい、下山を始めたのはさらに15分後になった。

 下りは楽である。上りにあんなに苦労したのは何だったのかという感じがする。
 すでに3回くらいコケて慎重になっていた私が先頭だったのがいけないのか、何故だか下山の道が遠く感じたし、実際に時間もかかった。
 一足早く出発したガイドさん達に追いついたときに、ウラジミールさんに「今、何時?」と聞かれ、12時50分だと答えたら「大変だ!」とスピードアップしようとする。し足の悪い方がいらっしゃるので慌てて止めたけれど、相当に時間が押していたらしい。

 ウラジミールさんが焦っているのを知りつつも、青空をバックにしたエンジェルフォールが見えてしまったら、そこは写真を撮りたくなるのが人情というものだし、時間の遅れなど気にしなくなるのも人情というものである。
 やはりここでも大写真撮影大会になった。

バーベキュー・チキンの昼食 バーベキュー・チキンの昼食を食べ始めたのは13時30分近くになってからだった。
 コールスローサラダと、ライス、パンがあり、チキン用にと添乗員さんが焼き肉のたれを用意してくれている。
 さらに、添乗員さんが日本から持参した「浅漬けの素」で作ったキャベツのお漬け物もある。
 添乗員さんが「本当はキュウリにしたかったんですが、ロッジになくて。浅漬けにしても良さそうな野菜がキャベツしか見当たらなかったので。」と言う。昨夜、ロッジの厨房から添乗員さんが「ten cucumbers」と言っている声が聞こえてきた謎が、このときになってやっと解けた。

 たらふくお昼ごはんを食べた後、汗でびしょ濡れになった服からサポの滝用に水着に着替える。
 もちろんそれだけでは寒すぎるので、水着の上に服を着て、レインウエアも重ね、荷物は再びビニル袋に入れてしっかり縛る。
 準備をしている間に、あっという間に空に雲が広がり、結構な勢いでスコールが降り始めた。

 この時期、ベネズエラが雨季であることは知っている。
 しかし、この後1時間以上に渡って本格的なスコールに打たれ続けることになると誰が予想していただろう。
 でも、そうなった。

 私のコンパクトカメラは防水だし、防水だからいつでも写真を撮れるようにとレインウエアのポケットに突っ込んであったけれど、この私がカメラを取り出して写真を撮ろうと思いもしないくらいの雨だった。
 私の来ていたレインウエア5年くらい前に購入したもので、ゴアテックスではあるけれど、やはり最新のものよりは性能的に落ちるらしい。あるいは劣化していたのかも知れず、まず腕の部分から雨が内側に染み込み始めた。

 冷たい。
 寒い。
 遅れた分を取り戻そうとボートは相当に飛ばし、風を切る分だけ濡れた身体に厳しい。
 村上春樹の「雨天炎天」という旅行記に、人は雨に打たれただけでどうしてこんなに心弱くなるのだろう、あと何日か雨に打たれ続けたら宗教に走ってしまうかも知れない、という趣旨の文章があったなぁ、あの文章の言わんとすることを今の私ほど理解している人って他にいないんじゃなかろうか、などと勝手なことを考える。
 そんなことを考えていたせいか、後になって、「振り向いたら、うつむいてじっとしていて、誰だか判らないくらいだったわ。殉教の人みたいだった。」とツアーの方に言われた。
 それくらい、悄然としていたらしい。

アウヤン・テプイ 雨が激しかったせいか、早く到着することを優先したせいか、オーキッド島でトイレ休憩を取ることもしなかった。
 2時間くらいボートを飛ばした辺りで、やっと雨は小降りになる。
 「これで、(エンジェルフォールの落ちている)アウヤン・テプイも見納めです。」と言われたら写真を撮ろうという気持ちになるくらいの雨である。
 テプイの上空はすっかり雲に覆われていた。

 16時くらいにマユパ島に到着した。
 行きにボートに乗った地点よりも先に進んだような気がして、とにかく早く到着したくて、急流を行くときは乗客を降ろさなくてはならないというルールをすっ飛ばして「行っちゃえ!」と思ったけれど、そんな私の心の声は届かなかったらしい。
 マユパ島に再上陸した。
 雨が小降りになっていたのが幸いだ。それでも、誰も「黒い防虫ネットを被って記念撮影をしましょう。」とは言い出さなかった。

 マユパ島縦断を終えてボートに再び乗ったのは16時30分近かった。
 添乗員さんに「ここからサポの滝までは20分くらいです。」と言われ、「行くんだ・・・。」と呟いてしまった人を、私は自分の他に少なくとももう一人知っている。
 そのお姉さんに、「私たちは、これだけ雨に打たれた後で、さらに滝に打たれなくてはならないほど悪いことをしたんでしょうか?」と言ってみたら、大笑いされた。
 ここまで笑っていただけたなら本望である。

サポの滝の上 旅程は無情にも順調に消化され、ボートはサポの滝の上に到着した。
 当然のことながら、雨が降ればエンジェルフォールの水量が増え、サポの滝の水量も増える。
 しかし、このときの私にそんなことを考える余裕はかけらもない。滝の少し手前にボートが着き、そこから滝までの道が、水深15cmくらいになっているのも可笑しいし、水草がうねうねとしているのも可笑しい。
 こうなったら、笑うしかないではないか。

 サポの滝のポイントは何かというと、それは「滝の裏をくぐれること」である。
 通常はレインウエアを着ていても濡れてしまうので水着になって行くことが多いそうで、実際に我々一行も水着を着込んでいる。
 しかし、ここで「水着になる」と言い出した人は一人もおらず、みな「どうせもう濡れちゃってるしね。」という前向きかつ投げやりな捨て鉢精神に支配されていた。

サポの滝の裏 サポの滝の裏くぐりは、かなり楽しかった。
 水が茶色く見えるのは、ここでもタンニンのせいである。
 滝も凄い勢いだし、滝の裏の通路(?)の壁からも水が噴き出して流れ落ちている。
 そして、この滝の水が全然冷たくない。どちらかというと温かいくらいだったのが不思議だし、有り難い。
 水しぶきももの凄かったけれど、投げやりな捨て鉢精神に、笑っちゃうしかないという開き直りとが加われば、この冒険に怖いものなどない。
 後で聞くと、添乗員さんはこの滝の勢いに恐れをなしていたらしいけれど、全員、滝の一番奥までたどり着き、無事に戻ってくることができた。

 そこからさらにボートに乗って17時40分に船着き場に戻った。
 もう真っ暗である。
 待っていてくれたトラックに感謝しつつ乗り込み、ロッジに戻る。添乗員さんが「そうめんを茹でるのにこんな格好のままというわけにはいかないので。」と、その準備等々の時間を見込んで夕食は20時からになった。
 部屋に戻ってレインウエアを脱いだら、その下に着ていたタオル地のパーカの袖がびしょ濡れだった。寒いわけである。
 もちろん、シャワーに直行する。温かいお湯をこんなに有り難いと思ったことはなかった。
 洗濯もして、乾くように祈りつつ部屋にロープを張って干し、扇風機を持ってきて風を送る。

 お腹が空きすぎて、持参してきた最後のウィダー・イン・ゼリーを食べてしまったくらいのところで、20時から夕食になった。
 まずは、そうめんである。食べるのに夢中になって写真を撮り忘れてしまった。
 めんつゆはもちろんのこと、葱や海苔といった薬味まで用意されていて、その用意の良さに驚く。流石である。
 厨房ではみなに奇異な目で見られ、「ジャパニーズパスタだ。」と説明したそうだ。

夕食 そうめんをたらふく食べた後、ロッジの夕食もいただく。
 ポタージュ、牛ステーキ(ジャガイモと温野菜の付け合わせ)に、デザートはプリンだ。
 もちろん、ビール(美女缶の美女が昨日とは違っていた)も飲む。
 エンジェルフォールが見られたお祝いに、みなで乾杯だ。

 エンジェルフォールが見られて本当によかった。
 ツアーのメンバー全員喜んでいたし、興奮していたけれど、恐らくは一番ほっとしたのは添乗員さんだったと思う。「自分は今までエンジェルフォールに6回来たことがあるけれど、全景が見られなかったことは一度もない。」と断言していたし、相当にひやひやしていたことだろう。
 実際、今回はダメかと思ったとも告白していた。

 今回のツアーの最大の目的だったエンジェルフォールが見られて、全員がさらに一段リラックスしていたのだと思う。
 のツアーはお酒の強い方も多い。
 何だかみんな弾けていて、特に一番年配のお二人が隣同士の席になったのはこれが初めてだったのか、掛け合い漫才もかくやというようなボケとツッコミの世界が展開され、食卓は爆笑の渦に巻き込まれた。

 早起きして、ボートに揺られて、ジャングルウォークをして、スコールに打たれて、流石に疲れが溜まっていたらしい。
 熱っぽいし、やたらと喉が渇く。
 夕食を終えたのが21時30分で、22時にはベッドに入って寝てしまった。

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2009.11.29

ベネズエラ旅行記5日目その1

2009年8月19日(水曜日)

 モーニングノックが3時30分と宣告されていたので、3時には起き出した。
 ボートを飛ばして行くので暖かい格好をと言われたけれど、暑い。
 空きっ腹でトラックとボートに揺られるのは不安だったので、持ってきたウィダーインゼリーを飲む。
 鏡を見たら、顔と首の下辺りに赤いものがポツポツと見えた。プリプリだ。一体いつやられたのだろう。覚えがない。

 マユパ島はプリプリの宝庫らしいし、ジャングルウォークもするので、タンクトップにスコーロン素材のシャツとパンツで防備を固める。その上にレインウエアの上下を着込めば、ライフジャケットも着けるし、防寒も含めて完璧であろう。
 ジャングルウォークではぬかるみも歩くと言われ、迷った末に、乾きやすいだろう水陸両用の靴を履いた。靴下も履いて、足下の防備も完璧のつもりである。
 
 4時にレストランに集合し、コーヒーとクラッカーで腹ごしらえし、体を温める。
 全員集合したところで、まだ真っ暗な中、4時30分にロッジを出発した。
 30分ほどで、船着き場に着いた。ライトで照らしてくれているけれど、やはり真っ暗である。
 リュックを大きなビニル袋に入れて口を固く縛り、ライフジャケットを着けてボートに乗り込む。
 前日の夕食のときの話は生きていたらしく、ボートの両脇に跳ねる水を受けるべく、私は先頭に座ることになった。といっても添乗員さんとスタッフの少年がさらに前にいる。

 ボートはかなりのスピードで進む。
 5時10分くらいに、空の色が少しずつピンクに染まり始めた。夜明けが近い。
 5時20分にマユパ島に上陸した。
 この島の横を流れる急流でボートの転覆事故が起きたため、その後、ボートが「観光客を乗せて」この急流を行くことは禁止になったそうだ。
 私たちを降ろし、ボートは先回りして待っているという寸法である。

マユパ島ウォーク ガイドのウラジミールさん曰く「29分のウォーキングだ」ということで、歩き始める。平らだし、轍でできた道はそこそこ歩きやすく、楽勝だ。
 マユパ島はプリプリの宝庫で、ツアー出発前に旅行社からもらった防虫ネットを使う機会はここしかないという話だった。「全員で装着して記念写真を撮ろう」という予定だったけれど、この暗さでは記念写真は無理である。
 歩いているうちに本格的に夜が明け始め、前方にテプイの姿が浮かび上がる。この写真の右奥に写っているのが判るだろうか。
 35分かかって島の反対側にある船着き場に到着した。「35分もかかったよ。」とウラジミールさんに言ったら、「そんなに早かったの?」と驚いていた。何だか可笑しい。

 マユパ島を出発して15分もすると完全に夜が明けた。
 不穏な感じの一面の雲をバックにテプイが浮かび上がって見える。
 それにしても、どうしてベネズエラの川は流れが急なのに水面は静かで、綺麗に景色を映し出すのだろう。

 6時45分、オルキデア島に到着した。オルキデアとは「オーキッド」、つまり「蘭の咲く島」という意味である。
 実際、ボートからも蘭の花が咲いているのが見える。もっとも、私たちが「蘭」と聞いて思い浮かべる、例えば胡蝶蘭のような派手な蘭ではない。

朝食 オルキデア島には、屋根あり壁なし机椅子ありのスペースがあって、そこでボートに積んで持ってきたボックスの朝食をいただいた。
 同じスペースの隣のテーブルでは韓国からのツアーの人々がやはり朝食を食べている。
 朝食のホットサンドが意外なくらい美味しかった。マヨネーズベースのペーストがたっぷりと塗られている。私は流石に完食できなかったけれど、結構、「全部食べたわ〜。」という方がいた。温かいコーヒーが嬉しい。
 プリプリの恐怖と戦いながら青空トイレを済ませ、再び出発だ。

チュルン川 オルキデア島を出発し、カラオ川の支流であるチュルン川に入った辺りから、雨が降り出した。
 レインウエアの上下を予め着ているし、荷物もビニル袋に入れてあるので慌てることはない。しかし、ポツポツという感じの雨ではなく、レインコートを叩く音が響く、そんな強さの雨である。
 目の前にある筈のテプイの姿も全く見えない。
 しかも、チュルン川に入ると水深が浅くなり、ボートの底を擦ったり、摺らないために深いところを探してボートが大きく舵を切ったり、どちらにしても盛大に水しぶきがあがり、結構なアドベンチャーである。
 雨と水しぶきのダブルパンチでボートの底に水が溜まり、水深5cmくらいになっている。やっぱりアドベンチャーだ。

 そういえば、これだけ雨に降られたのに、「この雨が止まないかも」とか「エンジェルフォールが見られないかも」と思わなかったのは何故だろう。
 我ながら不思議である。

ボートからのエンジェルフォール 雨の中を進むこと1時間20分、ようやく雨も止み、ほんの少しだけ青空が顔を覗かせ、そして。
 そして、ギアナ高地に来て初めて、私たちはほんの少しだけ、エンジェルフォールを見ることができた。
 この雲に覆われた中、ほんのその隙間からテプイの岩肌と流れ落ちる水の流れが見えているのが判るだろうか。
 よし、このまま晴れる。
 何故だかそう確信しつつ、「いやでもこれが最初で最後の機会かも」という弱気も頭を掠めて、添乗員さんに「大丈夫ですよ。」となだめられつつ、必死で写真を撮った。

 ボートは、9時前にエンジェルフォール展望台のあるラトンシート島に到着した。
 歩き出すとすぐに、エンジェルフォールの全景を見ることができた。手前に流れている川は、エンジェルフォールの水が流れてきた川である。

 屋根あり壁なし机椅子ありのスペースでジャングルウォークの準備をする。
 暑くなるという話なのでレインウエアを脱ぎ、「この場で必要ない荷物は預かってくれる」というので荷造りをし直す。帰りに寄るサポの滝用の水着や着替えなども持ってきているので、リュックは結構膨らんでいる。
 カメラとタオル、水、レインポンチョ、飴とあとリップクリームや虫除け虫さされの薬くらいをエコバッグ入れ、リュックは置いていくことにした。
 エンジェルフォール展望台にエコバッグで行った人間は、きっと私が初めてに違いない。
 来るときの雨で濡れてしまった靴下を脱ぎ、裸足に靴を履く。

虫 お手洗いを借りたところで、柱にしがみついている虫を発見し、みんなで大写真撮影大会になった。
 綺麗な緑色で、足の模様もなかなか洒落ていて、しかもピクリとも動かない。なかなかフォトジェニックな虫だけれど、果たしてこれが何という虫なのか、珍しいのか珍しくないのかさっぱり判らない。
 そうやって私たちが騒いでいる間に、添乗員さんは、今回最高齢でステッキを使っている方とウラジミールさんに先に出発してもらっていた。
 全員揃ったところで、9時15分、展望台を目指してジャングルウォークに出発である。

ジャングルウォーク1ジャングルウォーク2 最初のうちだけ土の平らな道だったけれど、あっという間に「ジャングルウォーク」らしい道に突入した。
 木の根っこが道を渡り、つるつる滑る。そもそも、「道」と呼べる幅はないような気もする。一人通るのがやっとだ。
 小川から覗く石を伝って歩くようなところもある。「下手に石を伝わって行こうとして滑って転んだら元も子もありませんから、水の中を歩いちゃってください。」と添乗員さんから注意がある。もっともである。
 それでも、やはりぬかるんでいる場所は避けたい。虫さされの危険性と天秤にかけた結果、私はズボンの裾を20cmもまくり上げて水濡れと泥はねを防ぎ、じゃぶじゃぶと水の中を歩き、そのままぬかるんだ場所も歩いた。

 40分くらい歩いたところで小休止となった。
 少し広くなっていて、そこを過ぎた辺りから道が急になるという。その説明では、ここまでの道は「急ではない」ということになるけれど、タンクトップに長袖シャツを羽織っているだけなのにもうすでに汗だくである。タンクトップなんて色が変わってしまっている。
 水分を補給し、息を整える。

展望台への標識 そこから5分くらい歩いたところに「SENDERO SALTO ANGEL」という木の標識が立っていて驚いた。
 標識がある!
 考えてみれば、エンジェルフォールはベネズエラにとっては有効かつ大切な観光資源だろうし、エンジェルフォールを見に来たからにはこの展望台を訪れようという人も一定数いる筈で、驚くほどのことではないのかも知れない。しかし、ずっと木の根っこに阻まれているようなジャングルウォークをしてきたので、ここが「整備された場所」であることが意外だったのだ。
 さらに、整備された道でなければ私などが歩ける訳もないけれど、何しろ気分はアドベンチャーだったのだ。

ジャングルウォーク3ジャングルウォーク4 この看板を過ぎた辺りから、道は本当に険しくなった。
 耳を澄ますと水音が聞こえ、ウラジミールさんが「あれがエンジェルフォールの音だ。」と教えてくれる。それを励みにがんばって歩く。歩くというよりも、よじ登る。
 汗が噴き出して、手に持っていたタオルもすでにぐしょ濡れの状態だ。

 最後尾を歩いていた私は、この急な石の階段と先行して歩いて行くツアーの方の写真を撮ろうと足下を見ずにカメラを構え、派手にスッ転んだ。
 先ほどまでの雨のせいで足下の石が濡れていたのと、これまで履いていたサンダルよりも今日の靴の方が底が薄く滑りやすかったのが敗因だ。
 派手にスッ転んだわりに怪我はなく、足首も膝も大丈夫だったけれど、流石に見かねた添乗員さんがカメラを持ってくれると言うのでお願いすることにした。
 この左側の写真には私が写っている。背中の上半分は、タンクトップだけでは吸収しきれず、シャツの色まで変わっている。

半分のエンジェルフォール 10時30分少し前、歩き出して1時間と15分で、私たちはエンジェルフォール展望台に到着した。
 このエンジェルフォールは、到着した直後に撮ったエンジェルフォールである。
 上の方は雲に覆われてしまっている。添乗員さんは、今見えているのは全体の6割程度だと言う。
 でも、嬉しかったなぁ。
 エンジェルフォールが間違いなくそこにある。
 エンジェルフォールの見える場所にたどり着いている。

 展望台と言っても、大きな岩が置かれているのかたまたまそこにあったのか、斜めになりつつも比較的平らな岩があるというだけの場所である。
 そこに、観光客が20人もいただろうか。

エンジェルフォール ふと気がつくと、あれだけたくさんいた観光客は姿を消し、その展望台は私たちツアー一行の貸し切りになっていた。
 こうして日光が射してきたり、逆に添乗員さんに「雨が降るかも知れません。」と言われて寒さよけも兼ねてポンチョを着込んだら本当にパラパラと雨が落ちてきたり、雲が少し上がったり濃くなったり下がったりする。添乗員さんにどうして雨が降ると判ったのか尋ねたら、腕時計に気圧計が付いていると言われて納得した。
 6割の姿でも見られて良かったなぁ、などと呑気なことを考えていたのは私だけだったんだろうか。
 後で聞いたら、添乗員さんはこの段階でかなり諦めモードに入っていたらしい。もうちょっと降りたところにプールのようになっている場所があるので、後でそこまで行ってみましょうなんていう提案もしていた。
 でも、誰もその提案に応じない。
 ひたすら全員でエンジェルフォールを眺めながら、雲が上がるのを待つ。

 待つこと50分。
 少しずつ、少しずつ、雲が上がり始める。
 雨が降ったことも逆に幸いし、軽くなった雲が上がり始めたのかも知れない。

雲が上がり始める そして、さらに待つこと5分。
 滝の落ち口に薄くかかっている雲さえ上がり切ってくれれば、エンジェルフォールの全景が見られる。

 もう、他のツアーメンバーのことなどすっかり忘れていたけれど、多分、みな、思い思いの場所に陣取り、そして、固唾を飲んで見守っていた筈である。



あと少し

 エンジェルフォール展望台に到着してちょうど1時間後の11時26分。
 エンジェルフォールは、このとおりその全貌を現してくれた。

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2009.11.15

ベネズエラ旅行記4日目その2

2009年8月18日(火曜日)

出発! 旅程表に「ジャングルウォーク」と書いてあったので、木のうっそうと茂った道を歩くのだと思い帽子は被らなかった。
 それなのに、この正午直後(12時30分過ぎくらい)の、真上からの日差しの強さと来たらどうだろう。
 しかも「ジャングル」なんて大嘘で、木の1本もない炎天下を歩く。その分、地面が乾いているのは有り難い。
 添乗員さんに「ジャングルウォークじゃないじゃん!」と文句を言うと、「もう少しでジャングルです!」と返された。確かに、前方に木立が見えている。

 ジャングルウォークをして、滝を見て、泳ぎましょうというプランなので、帰りは濡れた水着の上に服を着ることになる。
 朝着ていた服から、タオル地のグレーのパーカと速乾素材のオリーブグリーンのカプリパンツに着替える。
 みんなに「足を出すのは無謀だ!」と言われたけれど、どうせ足下は裸足にサンダルだし長ズボンを履いてもあまり変わらないと思う。

 途中から「ジャングルウォーク」らしくなり、石で作られた階段を上り下りするなどちょっとしたアドベンチャー気分を味わい、ロッジを出発して15分くらいでタバナベレパの滝に到着した。
 「今までで一番日本的な滝かも」ということで衆議が一決する。水量があまり多くないせいか、岩肌に沿って白く滝が落ちているせいか、何だかとても繊細な滝に見えた。

川で記念写真 この滝壺で泳ぐのかと思ったら、そうではなかったらしい。
 滝を見た後で少し引き返した「川」が本日の遊泳ポイントだった。
 小さいからほぼ識別は不可能だろうとツアーの方を撮った写真を載せたのは、何故だかここではいわゆる「風景写真」を撮っていなかったからだ。
 泳いで遊ぶのに夢中だったからかも知れない。

 水が茶色っぽく見えるのはタンニンのせいで、実際は透き通った相当に綺麗な水だ。
 川の流れはほとんど判らないくらいに緩やかだけれど、実際に泳いでみるとやはり川を遡るときの方がパワーがいるのが判る。最初に遡ったので、帰りがとんでもなく楽に思えた。逆でなくてよかった。
 5人が立っているのは(立ち泳ぎではなく立っている)そこだけ大きな岩が川底にあって背が立つ深さになっているからで、全体的には足の立つ深さではない。
 水の色を見て「この辺は浅いかな」と思って立とうと泳ぎを止めるとずぼっと顔まで水に浸かってエライ目に遭った。「この辺は立てますよ〜。」と騒いで、どんどん遡る。

川で泳ぐ 添乗員さんは、泳がない方がいることも多いのであまり泳がないらしい。だから水着も用意していなかったらしいけれど、今回は8名のツアーメンバー全員が川に入ったこともあって、荷物番は付いてきてくれたロッジのスタッフ(若く見えたけれど、このロッジの支配人だったらしい)に任せて自らも泳いでいた。

 「カメラ持ってくれば良かった!」と騒いだら、添乗員さんが取りに行き、川岸の岩を伝って歩いて持って来てくれた。
 「水に浸けちゃっても大丈夫なカメラですよ〜。」とみんな言ったけれど、「これだけの数のカメラを持ってると泳ぎにくいんですよ。」と言う。それは確かにその通りだろう。

 多分、1時間近くも川遊びを堪能したと思う。水から上がり、軽く身支度をしてロッジに帰り、着替えてお昼ごはんを食べ始めた頃には14時30分を回っていた。
 カバックのロッジに到着したときに軽食が食べられる筈だったけれど、コーヒーを飲んだくらいで出発したのは、実は、荷物を搬入するセスナがここ数日飛ばなかったかららしい。
 私たちが川で泳いでいる間に荷物が届き、それで昼食にありつけたという訳だ。その荷物はこれからアウヤン・テプイに登ろうという登山パーティのためのものだったと言っていたけれど、我々が食べてしまって大丈夫だったんだろうか。
 
昼食 この頃から天候が悪くなり始め、食べている間に雨が降り出したので外に干していた水着を慌てて取り込みに走ったりした。
 ツアーのお一人が、珍しく添乗員さんが焦っている様子を見て「あれは相当焦っているよ。急ごう!」と号令をかけ、超スピード(多分、10分くらい)で昼食を食べた。
 ジャガイモに鶏の唐揚げ、コールスローサラダに、(推定)とうもろこしの粉を丸めて作ったパン、フルーツのデザートまでしっかり頂いた。

 昼食を食べているときに、突然「パスポートを川に置いてきたかも!」と思い、川に持って行ったエコバッグを漁っていたときはかなり焦った。
 パスポートをセーフティバッグで持ち歩く習慣がなかったので、「あれ、どうしたんだっけ?」と思ってしまったのだ。
 エコバッグの底に入っているのを確認したときにはほっとした。

雨 外に出てみると、これから向かう方向には青空も見えてテプイが威容を誇っていた。
 しかし、少し方向を変えればこんな黒い雲と雨の見える中を飛び立ったのだから、飛び立てただけよしとしなければならない。
 雨雲に突っ込むような形になったセスナからは前方がまるで見えず、大粒の雨が窓を叩く音も大きく、ちょっとしたスリルを味わうことになった。

 40分くらいのフライトで到着したカナイマの空港は、晴れていた。
 何より、アスファルトの滑走路が眩しい。
 カナイマの空港から、この後2連泊するパラカウパ・キャンプまでは、荷台を改造して座席を作ったトラックで移動である。これが長い道中だったらお尻が痛くなったと思うけれど、幸いなことにすぐ近くだった。

パラカウパ・キャンプ入口 少し前まで、この旅行社ではカナイマ・ラグーンの目の前に位置するロッジに宿泊していたそうだ。
 現在、そのロッジが政府に接収され、リニューアルオープンする予定だと言いつつ改装工事が行われている様子もなく、いつになったら営業が再開されるのか判らないという。
 添乗員さんもこのパラカウパ・キャンプは初めてだったらしく、部屋割りに時間がかかっているようだったのでうろうろしていたら、入口の看板の上に何やら珍しそうな鳥が止まっているのを発見した。
 そうっと近づいて写真を撮る。
 「こっち向け!」と思いながら何枚か撮っていたら、ロッジのスタッフらしいおじさんが「この鳥はパウィというんだ。」と教えてくれた。

 予想通り、今回もレセプションやレストランから一番遠いお部屋が割り当てられた。一緒に一番奥のお部屋を割り当てられたお姉さんと「やっぱりね。」「だと思った。」と言い合う。
 実はこれが正解というかラッキーなことで、新しく建てられたらしいその2階建ての建物にあるお部屋は、やたらと豪華で広かった。
 また、2階のお部屋の前からはカナイマラグーンに落ちる滝の水しぶきとその後ろにそびえるテプイが一望である。

カナイマのロッジのお部屋 お部屋は、この手前のベッドはダブルサイズで、左奥に見えているベッドはシングルサイズである。「この組み合わせが理解できない。」と言っていたら、ツアーの方から「マッサージベッドじゃない?」と言われてなるほどと思う。
 右の壁の向こうは洗面スペースで、シャワーブースも広くお手洗いとはガラスの戸で区切ることができる。
 ついお姉さんと一緒にはしゃぎ回っているうちにハタと気がついたけれど、時すでに遅しだ。全く同じお部屋が人数分あるわけではないのに、はしゃいで回るのはツアーでは厳禁である。要反省事項だ。

 お部屋で一休みした後、ユリの滝に向けて出発した。
 明日は3時30分起きでエンジェルフォール目指してボートと徒歩で1日ツアーということもあり、ツアー最年長の女性が流石に明日に備えてロッジでお休みすると言う。
 考えてみれば、川泳ぎも含め、ここまで全く同じ行程をこなしてきているのだから頭が下がる。

ユルリの滝 16時15分出発で、トラックに再び乗り込み15分ほど揺られた。5分ほど川岸に向かってぬかるんだ道を下り、チナクの滝に行ったときと同じような木のボートに乗り込む。
 川を下ることどれくらいだったか、再び10分程度「こっちをジャングルウォークと言うべきだよ」という感じの道を歩き、写真は撮ってあるのにピンぼけで、しかも私の記憶から全く抜け落ちているこのユルリの滝を通り過ぎ、ユリの滝に到着した。

 最初は曇っていた空から太陽の光が射すと、ユリの滝があっという間に表情を変え、茶色に輝いた。
 この茶色はタンニンが含まれているためである。
 美容にもいいという話で、このタンニンが川の流れと滝の勢いで攪拌されてできた泡を顔に塗りたくる。
 旅行社のパンフレットには「すぐ近くの砂場で水浴びが可能です」と書いてあったけれど、ツアーのどなたかが出発前に「水着はいらないの?」と質問したところ、添乗員さんの回答は「滝で水浴びなんかしたら死んじゃいます。」だった。
 毎度ツアーに参加して思うことだけれど、添乗員さんは自社ツアーのパンフレットのうち「旅程保証」の範囲から外れる部分は見ていないと思う。

 ユリの滝は、何だか広々として清々しく、しばらくここでぼーっとしていたいなと思わせる場所だった。
 しかし、戻らねばならない。

家族のボート 滝からボートまで戻る途中、2艘のボートが川岸につながれていた。
 ここに来る途中に追い抜いてきた、家族が乗っていたボートだ。
 ユリの滝をこのボートで越えることはできないため、カナイマの町からここまではボートで来て、ここから先は歩いて家まで帰るのだろうという。
 何だか上手く言えないけれど、ちょっともの悲しい気持ちになった。

 帰りのボートに乗り込むと、すでに陽は西に傾き、カラオ川に沈む夕日を見ることができた。
 この夕日の写真がなかなか上手く撮ることができず、添乗員さんと撮った写真を見せ合っていたら、カナイマでのガイドであるウラジミールさんに笑われてしまった。
 どうしてベネズエラ人でペモン族の人であるウラジミールさんが、どうしてウラジミールというロシア風のお名前なのかというと、彼のお父さんの親友がロシア系アメリカ人で、その人のお名前をいただいたという話だった。

 ボートの後方には沈む夕日を、前方にはその沈み欠けた夕日に照らされてピンクに染まった雲と、鏡のような水面に映る空を見ることができる。
 こちらもまた嘘のように綺麗な光景だった。

 18時に船着き場に到着し、真っ暗な中再びトラックでロッジに戻った。この道中でも蛍が飛んでいる光景を見られたて嬉しい。9時30分から夕食ということになった。
 ロッジでお休みされていた方には「夕食は19時」と伝えてあったそうなので、予定の30分遅れである。

夕食 この日のメニューは、野菜スープ、牛の薄切り肉のソテー(グラタン、パン、野菜の炒め物添え)、ケーキとコーヒーだった。
 この夕食で特筆すべきは、この写真の奥にも写っている「美女缶」とツアーメンバーの方から命名されたビールである。昨日飲んだビールはアルコール分3%、このビールは4.5%で昨日よりは濃い筈だけれど、色がやたらと薄いためか、かなり軽く感じるビールである。
 やはり、缶に描かれた美女のインパクトで勝負! のビールなんだろうか。このパッケージに話題沸騰だった。

 夕食のときに「サンタ・エレナよりもカバナヤンの方が標高が低いんでしょう?」と言う方がいて驚いた。
 どうしてそんなことが判るのかと質問してみたら、「何となくそういう気がしたのよ。」とこともなげに言う。
 高度計付きの時計を持っている添乗員さんによると、実際、サンタ・エレナは約1200m、カバナヤンは約900mなのだそうだ。

 明日の予定が改めて発表され、注意事項が告げられた。それを聞く私たちもかなり真剣である。
・予定を1時間早めて、3時30分にモーニングコール、軽食をいただいて4時30分にロッジを出発する。
・トラックで15分ほど走った船着き場からボートに乗る。
・貴重品はロッジに預けて持って行かないこと。
・展望台に歩いて行くときには、使わない荷物を昼食を食べるところに預けることができる。
・ボートにはクッションがあるので持って行かなくてよい。
・サポの滝で水着を着るので持参する。
・ジャングルウォークで汗をかき、ボートで風を切ることになるので、着替えを持参する。
・寒さよけと水しぶきよけと兼ねてレインウエアを着ておく。

 旅行社から出発前に支給された虫除けネットはいつ使うのかという質問が出て、「必要ないと思うんですけどね・・・。」と苦笑しつつ添乗員さんから示された回答は、マユパ島は虫が多いのでそこで使うことにしましょう、だった。

 早寝して明日に備えましょう! と21時15分過ぎに夕食を終えて部屋に戻った。
 しかし、どうも隣室の気配がおかしい。廊下をパタパタと走る足音もしている。
 外に出てみると、お隣のお部屋のお姉さんが「ねえ、添乗員さん知らない?」とかなり焦っている。「しばらく厨房にいるって言ってませんでしたっけ?」と答えると、一目散に走って行ってしまった。
 気になって戻るのを待ってお話を聞いたら、「部屋にコウモリがいるの!」と言う。びっくりして、とっさに何のコメントもできなかった。

 お姉さんが言うには、部屋に戻り、何の気なしに洗面スペースのドアを開けたら、バタバタっと音がしてコウモリが飛んでいたそうだ。
 それは驚くし怖いし焦るに決まっている。
 慌ててバタンとドアを閉めてコウモリを閉じ込め、とりあえず他人が入ってきても大丈夫な程度に荷造りし直して外に飛び出したらしい。
 窓も開けていないし、そもそもコウモリが飛び込めるような隙間のある窓ではないし、一体どこから入ったのか判らないと言う。

 気になって一緒に待っていたら、添乗員さんとロッジのスタッフがやってきて、その辺に生えている木を折って棒を作るとそのまま突入して行った。
 そして、待つこと10分ほど。
 木の棒にぶら下がっている形で全長25cmくらいのコウモリが無事に捕獲された。

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2009.11.03

ベネズエラ旅行記4日目その1

2009年8月18日(火曜日)

日の出前のソロロパン・テプイ この日のモーニングノックは5時30分の予定だった。
 5時頃に目が覚め、暖かい格好をして外に出る。
 昨日は真っ暗闇でよく判らなかったソロロパン・テプイの姿は、今朝は白い雲の中に沈んでいる。下から雲に包まれている感じである。
 昨日は全く見えなかったけれど、蛍が飛んでいた辺りは川だったことが判る。蛍を追って川岸に落ちたりしなくて本当に良かった。

朝食 6時から朝食になった。
 出されたジュースが凄く美味しい。添乗員さんに聞いてもらったら「パッチータ」という実のジュースだそうだ。「パッチータって何?」と聞いたら、絞る前の果実を見せてくれた。パッションフルーツである。
 爽やかな酸味と甘みで美味しい。
 アレパというとうもろこしの粉のパン(ここのは小麦粉も入っているらしかった)を半分に割ってバターを塗り、スクランブルエッグを挟んで食べる。美味しい。
 この朝食が、今回のツアーのベスト・ブレックファストだと思う。

 朝食を食べているときに、ベネットさんがみんなに木の実とビーズで作ったネックレスをプレゼントしてくれた。
 どうもありがとう!
 添乗員さんは「ベネットさんがこんなことをするのを初めて見た。」と言う。
 女性ばかり8人のツアーだったからだろうか。

ソロロパン・テプイ 朝食後みんなで目の前の川に降りて顔を洗った。
 澄んでいて冷たい水が気持ちいい。
 みんなでベネットさんと記念写真を撮る。彼は、アラスカのテレビ局にサバイバル術についてのインタビューを受ける仕事が今日から始まるそうだ。
 
 このカバナヤンのマントパイ・キャンプは、もうとにかく、このソロロパン・テプイの眺めが何よりのごちそうでおもてなし、という場所である。
 朝食を食べ終わる頃には雲も流れるようになり、青空をバックにくっきりとした姿を現してくれた。
 「ソロロパン」は、「戦いの前に集まって祈る場所」「戦陣を組む場所」という意味だそうだ。

 7時30分にこの景色を惜しみながら出発した。
 昨日と同じように2台のジープに分乗する。
 「クッションを使うと逆に滑って踏ん張らねばならず、余計に疲れるのではないか」という昨日の反省から、相談もしていないのに、今日は全員がクッションを使っていないのが可笑しい。

川の中を走る 最初の30分は、昨日と同じように「元、川底」のがたがた道を走る。
 これが、並のがたがた道ではない。
 「今、右側と左側で30cmくらい高さに差がないですか?」とか、「今、20cmくらいの段差をこの車は降りませんでしたか?」と言いたくなる。上品に言っている場合ではなく、車が揺れた表紙に頭を窓ガラスにぶつけて「いて!」と叫んでしまうようなダートコースである。
 このまま、アドベンチャーとして売り出しませんか? というくらい楽しめる。
 こんな川の中だって走ってしまう。

やらせでした と言いたいところだけれど、実は上の写真はいわゆる「やらせ」である。
 「このダートな道を走ったのだという証拠写真を撮りましょう。」と添乗員さんが仕込み、1台ずつ川の中を走り、その様子をカメラに納めたのだ。
 ルエパの空港に向かうためには、この「川の中」は全く通らなくてもいい道筋だった筈である。
 やっぱり、「アドベンチャー」な「アトラクション」である。

道しるべ 助手席に座っていた添乗員さんが、こんな石を発見して車を停めてくれた。
 道しるべ?
 道祖神?
 ペンキで描いたのだろう顔がユーモラスで楽しい。たちまち写真撮影大会となった。

 ダート・コースは本当に楽しい。この写真では判りにくいかも知れないけれど、この道は結構な傾斜のある坂道である。
 「お、シャッターチャンス!」と窓を開けて写真を撮っていたら、私たちが乗っている車の運転手さんが気を利かせて坂を登り切ったところで車を停めてくれた。そうすると前に進めなくなった後ろの車の運転手さんも車を停めざるを得ず、ばっちりな写真を撮ることができた。
 その代わり、この後、後ろの車の運転手さんはこんな悪路で坂道発進をする羽目になり、申し訳なかった。

 添乗員さんは多分、かなり写真好きなのだと思う。自分が撮った写真が旅行社のパンフレットにも使われているという話もしていた。
 さっきの道しるべもそうだし、名前も判らないピンクのこのお花も添乗員さんが発見して、再び大撮影大会となる。

草原 ダートコースを抜け出すと、アドベンチャーは終了して、砂埃舞う未舗装道路という日常に戻ってしまった。少し寂しい。
 ついうっかり、この景色を見ながら「こんなところで寝転がってみたい!」と言ったのがいけなかったらしい。
 たちまち、自称「大阪のおばちゃん」の餌食となり、「こんなところに寝転がったらプリプリに刺され放題だよ。」「そうそう。蟻にも噛まれるね、きっと。」「置き去りにされちゃったら食べるものもないし。」「死んじゃったらきっと鷲に啄まれるね。」と集中砲火を浴びた。
 アルプスの少女ハイジ的というか、牧歌的なことを言ったつもりだったのに、どうしてそういう話の流れになるのかよく判らない。

 一番ヒドかったのは添乗員さんで、「鷲に啄まれる」というところから「チベットに行ったときに鳥葬を見たんですが。」という話が始まった。
 (以下、スプラッタがダメな方は読まない方がいいと思われるので、改行。)





 遠目でしか見ることはできなかったらしいけれど、それはどちらかというと儀式としての鳥葬だったらしい。亡くなった少女の体を、僧侶が、斧や鉈のようなもので断ち切るそうだ。
 その骨が砕ける音が聞こえたという。
 そして、さらに小さくして、骨と肉を混ぜて、(言い方は悪いと思うのだけれど)ミンチのような状態にして高いところにある祭壇に捧げるという・・・。






 もちろん、「どうしてそういう話になるわけ!」と抗議した。
 添乗員さんの返答は、「いえ、そういう話になったので、僅かな知識の一端を披露させていただきました。」だった。
 違う! と思う。

 その後は、大金持ちと結婚して世界中を旅行すればいいんじゃないかという話になり、ヨルダンのお金持ちは相当凄いという話になり、イスラム教では4人まで奥さんを持つことができるという話になり、イスラムではでも奥さんは完封して外にも出さず顔も見させずという感じだという話になり、そうなると好き勝手に旅行に行かせてもくれないだろうからやっぱり結婚しない方がいいんじゃないかという話になった。

 ルエパの空港に到着するまで、ベネズエラと関係ありそうな話といえば、前回のツアーのときはベネットさんが衣装を持ってきて変身してくれたけれど、今回は家にその衣装を洗濯するために持ち帰ってそのまま忘れてきてしまったので変身はなしだという話くらいだ。
 ベネットさんの変身というのは、ペモン族の民族衣装を着て見せてくれることを言っていたようだ。その後、話は脱線に脱線を重ね、添乗員さんが代わりに変身すればいいという話から、最終的には「蝿男の恐怖」という映画の話になった。
 どうも人間が蠅に変身する話だったらしい。残念ながら、添乗員さんと私はその映画を知らず、一緒に盛り上がれなかったのが申し訳ない。

瀬をはやみ そんな中で、唯一、優雅だった話題がこれである。
 私たちが乗っていない方の車に全員分の荷物が積まれていて、「こちらの車が後ろを走っているのは、荷物が落ちたときにすぐ判るようにじゃない?」という冷静な意見が出て「ほー。」とみんなで感心していたら、ルエパ空港近くで、そのもう1台がいきなりスピードアップし、別の道を走り始めた。
 そこで、お一人の方が「瀬をはやみって奴だわね。」と一言おっしゃった。
 
 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ

 小倉百人一首にも選ばれている崇徳院の歌である。
 何にしろ、大阪の方が3人いた車である。
 そのまま上方落語の「崇徳院」の話にならずに良かったと言うべきかも知れない。
 
ルエパ空港にて 多分、9時30分過ぎにルエパ空港に到着した。
 ところが、待てど暮らせど、飛行機が現れない。
 ルエパ空港は本当に滑走路しかないので、車の中にいるか、車の影に小さくなるかしないと、日陰すらない。
 タンクトップに長袖シャツ(速乾素材のもの)、長カーゴパンツという格好ではちょっと暑い。
 その様子を見て、ベネットさんが車に積んでいたビールを配ってくれた。
 ドライバーさんとベネットさんとはここでお別れなので、みんなで記念写真を撮る。

 添乗員さんの姿が見えないなと思っていたら、衛星電話で連絡を取っていたらしい。
 その連絡が取れたか取れないかくらいの10時35分、やっとチャーターしたセスナ機が姿を現した。

 ジープに乗り込んで涼を取り、旅行メモをつけていたときに、自分の左手に三日月型の虫の噛み跡が10個以上もあることに気がついた。
 お隣にいた方に見せると「あら、昨晩はその虫と同衾しちゃったのね。」と凄いことを言う。
 「蚊帳を広げるときに、慎重に虫を追い出しつつやった?」と聞かれ、そういえば、適当にばっと広げて「蚊帳の中に虫を入れないように」などという繊細さを一切持ち合わせていなかったことに、遅ればせながら気がついた。

 セスナに乗り込むと、パイロットと何やら話していた添乗員さんが、予定ではこの後カバックからカナイマに向かうときにエンジェルフォールに寄り道をすることになっていたけれど、エンジェルフォール周辺の天気があまり良くない。今さっき、多少、天候が回復してエンジェルフォールが見えていたので、これからカバックに行く前にエンジェルフォールの遊覧飛行をしてしまいましょう、と言う。
 ルエパからエンジェルフォールを経由してカバックに向かうのも、カバックからエンジェルフォールを経由してカナイマに向かうのも、どちらも飛行距離がプラスされる分はあまり変わりがないらしい。
 それなら、僅かでも可能性があるうちに、ということなのだろう。
 セスナは10時50分頃、エンジェルフォールに向けて飛び立った。

テプイ上空 結論から言うと、エンジェルフォールは一瞬だけ見えたと思う。
 天候悪化は伊達ではなくて、概ねテプイ近辺ではこんな感じで雲に覆われていたり雲に突っ込んだりしていることが多かった。
 「あれがエンジェルフォールです。」と言われたときに見えた、滝の落ち口と縦に白く落ちていた水の流れが、添乗員さんが言う「あれ」と同一だったかどうか自信がない。

 そんな「見えなかったわけじゃない」という微妙に中途半端なエンジェルフォール遊覧飛行の結果を残し、45分ほどでセスナはカバックに着陸した。
 カバックからは、今、雲の中に隠れていたアウヤン・テプイ(エンジェルフォールが落ちている、そのテプイ)がこんなにくっきりはっきり美しくそびえ立つ姿が見られた。

 ここのロッジのお部屋を借りて水着に着替え、ジャングルウォーク&滝見物&川遊びへ出発である。

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2009.10.26

ベネズエラ旅行記3日目その2

2009年8月17日(月曜日)

 12時過ぎにユリアニの滝を出発し、ジープは次の目的地であるパチェコの滝へ向かった。
 早朝のヘリで1便で行った私たちは曲がりなりにもテプイに着陸できたけれど、2便で行った方々は雲に覆われてしまっていたということもあってか、2台のジープの割り振りは朝のままだ。
 もう1台のジープに乗ったツアーメンバーは語学に堪能だという理由もあるとは思うけれど、添乗員さんがこちらのジープに乗った気持ちも判ろうというものである。
 
草の指輪 駐車場からパチェコの滝へ向かう途中、ガイドのベネットさんに手を出してと言われた。
 言われるまま手を出すと、草で編んだ指輪をはめてくれる。
 ツアーの方々の話を総合すると、2段重ねになっている(写真を撮らせてもらっておけばよかった!)ものと、私がもらった1段のものとがあって、2段重ねになっているものは結婚している人用(もう一つの指輪は旦那様用)なのだそうだ。
 そして、ツアーメンバーの方は口々に「結婚してる? って聞かれたわよ。」と言う。
 「私、聞かれてなーい! 悔しい−!」と大げさに騒いだら、後ろの方で、ベネットさんが添乗員さんに「彼女は独身じゃないの?」と聞いている声が聞こえてきた。だから、その確信の理由をぜひ述べていただきたいと思う。
 添乗員さんが「彼女は独身だけど、僕が想像するに・・・。」と言いかけたところで「勝手に推測するんじゃなーい!」と止めたけれど、今にして思えば、一体何を推測したのか聞いてから断固抗議すべきだったかも知れない。

 そんな阿呆な会話をしつつ2〜3分も歩けば、パチェコの滝に到着である。
 ただ、滝壺近くに行くためには、川岸のごろごろとした岩が重なったところを乗り越える必要がある。
 その手の場所だけは得意だったし、先頭を歩いてもいたので、とっととよじ登って特等席から滝を眺める。
 しばらく後続が現れず、来ちゃいけなかったのかしらと思っていたら、しばらくしてみなさんが続々と現れ、「添乗員さんが助けてくれたのよ。」と言う。
 後続の方を助けようという発想もなくとっとと来てしまった自分を反省した。

パチェコの滝と私 リンクを張った先の写真ではよく判らないかも知れないけれど、このパチェコの滝は意外と高さがある。
 この写真の左下に写っている私と比べると、その大きさが判ると思う。
 この赤い岩はハスペの谷の岩と同じなのか、意外とつるつる滑って、ツアーメンバーのお一人は転んでしまっていた。
 ここで水遊びを楽しんでいる人もいる。もし私たちが「パチェコの滝でも水遊びがしたい。」と言っていたら、ここではなくて、駐車場を挟んで反対側にあった小さいパチェコの滝の滝壺に行くことになっていたそうだ。

小パチェコの滝 ジープのドライバーのレイノルドさんに、「あっちがパチェコの滝だよね?」と大きい方を指さして聞いたら、そうだという答えだった。
 次に、「じゃあ、あっちは?」と滝壺で水遊びをしている人が見える小さめの滝を指さして聞くと、やっぱり「パチェコの滝だ」という答えが返ってきた。
 「両方、パチェコの滝なの〜?」と聞くと、笑いつつも「そうだ」と答えていたから、両方ともパチェコの滝らしい。
 もしかして、ユリアニ・テプイから流れてくる川の滝が「ユリアニの滝」だったのだから、パチェコ方面から流れる川にある滝は全て「パチェコの滝」なんだろうか。

ガソリンスタンド 13時過ぎにパチェコの滝を出発し、見渡す限り蟻塚の続く草原の中をイボリボ村へ向かった。 
 途中、ガソリンスタンドに立ち寄って給油する。
 こういうときに大人しく座って待っていられない私は、ドアを開けてもらったのを幸い車を出て、給油風景の写真を撮ったり、滅多に車の通らない道まで出て写真を撮ったりした。
 添乗員さんも車を降りていたけれど、私のように無目的にぷらぷら歩いていたわけではなく、お昼ごはんを食べるレストランまでまだ遠かったので、何かお腹に入れられるものを探しに行っていたらしい。
 房になったミニバナナを買ってきてくれる。
 日本のバナナとは違う香りがあって美味しかった。

 バナナを食べてお腹も落ち着き、車も給油して心なしかスピードが上がったようである。
 給油して15分後くらいに舗装道路を外れ、車は土の道に乗り込んだ。
 この辺りの土は非常に浅くて、2mも掘ればすぐに岩盤に突き当たってしまうらしい。レストランに到着する前だったか、その後だったか忘れたのだけれど、車窓から焼き畑を行っている様子が見られて、焼き畑でもしなければ土に栄養分は足りないわねとも思ったし、焼き畑を繰り返したら土壌が肥えることはないのではないかと思ったし、これだけ雨が降れば焼き畑をしても大火事になることはなかろうと思ったりした。

 14時45分、道ばたに「このレストランは一体誰をターゲットにしてここに作ったのだろう」としばらくみんなして考え込んでしまったくらい、本当にぽつんと建っているレストランで昼食となった。
 ビュッフェ形式で、お料理を指差すと、お店の人がそのお料理をよそってくれる。
 「少し」って何て言うんだっけと思い、「ポコ?」「ピコ?」と適当に言っていたら、笑われてしまった。言葉ではなくジェスチャーで伝わったらしい。「ポコ ア ポコ」はゆっくりで、私が言いたかった「少し」は「プチ」だった。笑われる筈である。

昼食 この後はずっと揺れる道が続くと言われていたので、お酒は止めてマンゴージュース(2ドル)を頼み、かなり控えめに「これ1個。」とか「これちょっと。」とよそってもらったけれど、気がついたらこんなにしっかりお皿にもらっていた。
 そして、この鶏の唐揚げが抜群に美味しい。
 「ケンタッキーフライドチキンより美味しい」という貧しい表現しかできないのが悲しいくらい美味しかった。
 ベネズエラで食べたものの中で一番美味しかったんじゃないかと思うくらい美味しかった。車酔いの心配など振り捨ててビールにすれば良かった! と思ったくらいだ。
 
女王蟻1女王蟻2

 別棟にあったドアのないお手洗いを借りて戻ってみると、ツアーメンバーの方が何やら盛り上がっている。
 覗き込むと、「蟻」だった。
 全長2cmはある(写真の指は、私の人差し指である)。
 今の時期だけ外に出てくる女王蟻を、このレストランの一家が総出で集めたという。女王蟻ということは、一つの蟻塚に1匹しかいない筈で、一体どれほどの数の蟻塚を探し歩いたのだろう。気が遠くなってしまう。

 バケツに入っている方は、この蟻を唐揚げにした物で「カイワック」というらしい。
 私はとうとう最後まで食べてみる勇気はなかったけれど、「どうして食べないの?」と普通に食べていたツアーメンバーの方によると、カラカラに炒った桜エビのような感じで、最後に舌に当たるワタのようなところが若干苦い、というお話だった。

 瓶に入っている方は、女王蟻を水に漬けてエキスを抽出したもので、「カイワック パル」というそうだ。
 蟻のから煎りをお食べになった方が「飲む!」と宣言し、おちょこのような入れ物に1cmくらい入れてくれたその液(と言いたくなる)を一気飲みしていた。こんなに思い切りよく飲む人はあまりいないようで、レストランの方も流石に苦笑いである。
 こちらは「本当に水なの? お酒に漬けたんじゃないの? ブランデーみたいで美味しい。」というお味だそうだ。

 このレストランを出発したのが15時30分頃で、1時間弱でチナクの滝へ行くボート乗り場に到着した。
 ここの特記事項はお手洗いである。
 扉はあって、紙はなくて、流すための水は係の人がバケツに汲んで扉の外に置いておいてくれる。
 そして「トイレチップ1ドル」という指定は、このツアーでも初めてのことだ。
 こらこら、いい商売してるじゃん、という気持ちになる。

 雨が降るかも知れないと言われてレインウエアを着込み、救命胴衣を着けてボートに乗り込んだ。
 チナクの滝は、エンジンが付いているだけの木製のボートで20分くらい川を下り、そこからさらに5〜10分くらい歩いたところにある。

虹花1
花2花3

 ボートを降りて平らな道を少し歩く。
 向こうの方に虹が出ているのが見える。(この写真は相当にコントラストを上げているので、実際はまだこんなに暗くはなっていない)。
 添乗員さんとベネットさんが時間が押しているという話をしているのが聞こえたけれど、つい道ばたに咲くお花に目を奪われて写真を撮る。暗くなりかけていたせいかピンぼけの写真ばかりになってしまった中で、この3枚は「珍しくお花にピントが合っていた」写真である。

チナクの滝

 かなり強引にパノラマ写真にしたので妙な繋ぎ方になってしまったけれど、でも、チナクの滝の迫力がこれで感じられると思う。
 結構な高さと迫力の滝だ。
 崖のこちら側から眺めていて、当然のことながらそこには柵というようなものはない。ますます大迫力である。

 チナクの滝の最大の見どころは、帰り道にあった。
 「時間が押している」という言葉通り、ボートは飛ばしに飛ばした。
 川の水面が鏡のように静かで、ピンクが広がりつつある夕空を綺麗に映し出していた。
 この写真の右端に写っている赤いものは、舟で助手を務めている少年が舳先に寝転がっているところだ。

 17時45分過ぎにボートの出発地点に戻り、ジープで出発した。
 もう真っ暗闇で、周りがどうなっているのか全く判らない。
 後ろの席で女4人が姦しくしゃべっているのに、添乗員さんは爆睡している。
 爆睡していた添乗員さんが、悪路に入るタイミングで見事に覚醒し、「ここから川底を走る相当の悪路ですから気をつけてください。」とコメントしたので驚いた。何か特別のセンサーでも仕込んであるのかも知れないと真剣に疑ったくらいのタイミングだ。

 ジープは、揺れた。
 真っ暗で時計も見なかったけれど、多分、このもの凄い悪路は1時間強続いたと思う。
 ジープの後ろの座席は前向きではなく横向きに付いているし、手すりもつり革も、とにかく「つかまって体を支える」ものが何一つとしてないので、とにかく車の動きに翻弄され、ずるずるあっちへ滑りこっちへ滑りという感じだ。
 さらに、4人全員がクッションを車に持ち込んでいたけれど、とてもそれでは吸収できないくらいの激しい上下動がある。
 暗くて周りが見えず、ジープの次の動きが予測できないので、翻弄されまくる。でも、楽しい。
 そんな中で蛍が飛んでいるのを発見して嬉しかった。よく見ようと窓に頭を寄せたところでジープが跳ね、ゴツンといい音を立てて勢いよくぶつけてしまった。

 もの凄い悪路を可能な限り丁寧に運転してくれたレイノルドさんの奮闘で、20時にカバナヤンのロッジに到着した。
 まずはお部屋に入る。今夜も隣同士になったお姉さんと「やっぱりね!」「だと思った。」と言い合う。
 ギニア高地に入ってまだ2泊目だけれど、一番年配の方が一番レストランやフロントに近いお部屋、私たちは概ね一番奥のお部屋と、すでに判っていたような気がする。
 「ポーターはいません」という案内があったけれど結局自分たちで荷物を運んだことはなかったし、実際に部屋を使う私たちの運動量的にも、荷物を運んでくれたガイドさんや添乗員さんの仕事量的にも、非常に論理的な帰結だけれど、僻んでみたい気もするのである。

カバナヤンのロッジ お部屋に入ると、窓を閉めることができないせいか、ベッドには蚊帳が吊ってあった。なかなか可愛い。
 部屋はもう一つのベッドの足下にテーブルがあって、この石の壁の裏側にシャワーブースとお手洗いとがあった。
 22時には電気が消されるため、枕元のテーブルには直径2cmくらいのろうそくがゴロンと転がしてある。
 レストランと各お部屋の明かりはあるけれど、他に明かりはないので、懐中電灯を取り出して夕食に向かった。

焼き肉とパスタとバナナ レストランには壁がなかったので、ツアーの方が蚊取り線香を持参してくださった。有り難い。
 夕食のメニューはカボチャのスープ(何故か緑色だった。胡椒が効いていて、かなりスパイシーで美味しい)、牛焼き肉とミートソーススパゲティとバナナフライ、この他に紫キャベツを使ったコールスローのようなサラダが付き、デザートはパイナップルだった。
 このパイナップルが美味しい。
 ビール(2ドル)は、色のとおり味もかなり薄めで、そのさっぱり感がなかなか美味しかった。

 夕食のときに、後で絵はがきと切手を配ります(旅行社のサービスである)、今日の消灯は22時の予定です、もうかなり冷え込んでいるしシャワーは水シャワーなので風邪予防にできればシャワーは止めておいた方がいいです、という話があった。
 また、明日の概ねの予定について、5時30分起床、6時朝食、1時間の悪路と1時間の未舗装道路を走って空港に行き、チャーター機でカバックに行き、そこからさらにカナイマに行った後でユリの滝に行くこと、明後日は4時30分には起床してエンジェルフォール展望台に行くので、その体力温存のためにも明日の夕食は19時には食べたいと思っていること、などなどが伝えられた。

 添乗員さんに絵はがきと切手をもらった後、しばらくごそごそと荷物整理をしたりメモをしたりしていた。22時45分になっても消灯しない。
 真っ暗闇の中に浮かび上がるテプイを撮れないものかと、用心に懐中電灯をポケットに突っ込んで外に出てチャレンジしたけれど、流石に三脚がないと難しい。
 そうこうしているうちに、一斉に各お部屋の明かりが消えた。23時だ。

 真っ暗になってみると、ロッジのお部屋の近くでも蛍が飛んでいるのが見えた。
 時々、光っている。
 そして、見上げると天の川も綺麗に見えている。
 でも、こっそり書くと、天の川の綺麗さではモンゴルに軍配が上がるわ、と思った。

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2009.10.18

ベネズエラ旅行記3日目その1

2009年8月17日(月曜日)

朝焼け 1便のヘリに乗る4人は、5時30分にモーニングノック、6時出発と言われて起きられるかどうかちょっと心配していた。
 4時半に目が覚めたものの、寝ぼけて旅行用の目覚まし時計を落としてしまい、文字盤のライトが点かなくなってしまった。不便だ。
 5時過ぎにふと外に目をやると、明るくなってきている。
 朝焼けが綺麗だったので、写真を撮りに外に出た。私が泊まった部屋から少し坂を下ると、丸く開けた場所があり、見晴らしがいい。

 写真を撮っていたら、何となくロッジの方で物音が聞こえて来て、モーニングノックをしますと言われていたのを思い出した。
 足下でじゃれついていた犬たちと一緒に慌てて走って戻ると、添乗員さんがこちらに歩いて来るところだった。やはりノックをしても全く返事のない私の部屋に不審を感じていたらしい。
 「ごめん、ごめん。」と謝ると、添乗員さんに「犬と一緒に走ってくるから、ロッジの人かと思いました。」と言われた。
 お隣の部屋の人は2便のヘリで、もっとゆっくり眠っていられたのに、きっとこれで目が覚めてしまったことだろう。申し訳ない。

レストラン犬たち

 10分前に集合場所のレストランに行くと、添乗員さんが塩羊羹と梅干しを用意してくれていた。有り難くいただいて血糖値を上げ、ロッジの人が用意してくれていたコーヒーで身体を温める。
 かなり寒くなると言われていたので、スパッツの上に綿のカーゴパンツをはき、上もタンクトップ、長袖シャツにダウンのベストを着て、レインコートの上を持った。この時点では、かなり暑い。
 1便のヘリに乗る4人でジャンケンをして、最初に勝った人は行きが助手席、次に勝った人は帰りが助手席、あとの2人は後部座席に進行方向を向いて座ることになった。
 最後にベネットさんが乗り込んで出発である。

ヘリから 出発した時点では青空が広がっていたし、添乗員さんも「これなら大丈夫でしょう。」と言ったけれど、テプイが近づくに従って、どんどん雲が広がり、テプイのしかも頂上付近を厚めの白い雲が覆っていた。
 天気とは判らないものである。

 この遊覧ヘリでは、ロライマとクケナンと両方のテプイにできれば行ってくれと頼んだそうだ。
 実は区別が付いていないので確かではないけれど、恐らく、最初はロライマ・テプイにヘリは向かっていたと思う。何しろ、ネームバリューが違う。かの「ロストワールド」のモデルとなったのがロライマ・テプイなのだ。
 サンタ・エレナ・デ・ウアレインからロライマ・テプイまでは120kmくらい離れており、ヘリはそこを40分で飛ぶ。

テプイ流れ落ちる雲

 ロライマ・テプイに着陸するのは無理だと踏んだのか、ヘリは絶壁を掠めるようにしてクケナン・テプイに向かう。
 この辺りからヘリの高度が上がったのか寒くなってきて、慌ててベストとレインコートを着込んだ。
 テプイの頂上に着陸できない場合には、できるだけ間近を飛んでテプイを見られるようにしてくれるという話も聞いていたので、この「絶壁を掠めるように飛ぶ」時間が長くなるにつれ、このまま着陸できないのではないかという不安が増大する。
 誰も口には出さなかったけれど、後で聞くと、みなそう考えていたそうだ。

 この遊覧ヘリで一番楽しめるのはヘリの助手席で、その次は、着陸できなかった場合のことを考えると恐らく助手席側で進行方向を向いた席なのではないかと思う。

クケナン・テプイに着陸したヘリ テプイの着陸地点を探し始めてから20分後、ふっと下の方に黒っぽい地面が見えてきたと思ったら、ヘリはふわっとクケナン・テプイに着陸した。
 地面は平らにはとても見えない。よく着陸したものである。
 ベネットさんの先導で歩き始める。
 地面は黒い石で、堅い。濡れているせいもあって、滑る感じがする。「土」と言えるようなものはなく、ここに降った雨はそのまま流れていってしまうというのがよく判る。
 植物も生えてはいるけれど、花が咲いているという感じではない。

 流れてくる川の上流に向けて歩き始めた途端、ベネットさんがこれから向かおうとしていた方向を指さして、「雨だ!」と叫んだ。
 雨なんて降っていないよと思ったのもつかの間、上流から白っぽいものがこちらに押し寄せてきたと思うや、本当に大粒の雨が降ってきた。
 この間、多分、5分もたっていないと思う。

 雨が降り続いてヘリが離陸できなくなってしまったら大変である。
 5人してヘリに駆け戻り、全員が乗り込むやいなや、ヘリは離陸し、私たちのクケナン・テプイ滞在は終わった。
 残念。
 でも、自分の足であそこに降り立ち、歩けたことは、やっぱり嬉しかった。
 慌てて思いっきり水の流れに足を突っ込んでしまって判ったところでは、かなり冷たい水だった。

ヤッコ・キャンプのヘリポート ヤッコ・キャンプに戻ったら、完全な青空だったのは何とも皮肉である。
 こっちはこんなにいいお天気なのに、と思ってしまう。
 それにしても、「見晴台かしら」と思って朝焼けの写真を撮っていたこの狭い、平らとも言い難い丸がヘリポートだったのには驚いた。
 あれだけ平らではないテプイの頂上にも着陸するのだから、ヘリの自由度は高いし、パイロットの腕がかなりいいということなのだろう。

 ロッジに戻ったのが7時30分くらいで、そのまま朝食をいただいた。
 パンケーキ、パン、ハム、チーズ、目玉焼き、ジュースにカフェオレだ。後から思うとこのロッジの朝食が一番洋風だったかも知れない。
 お腹も空いていたし、ビュッフェ形式だったのでたくさん食べた。
 レストランの空いたテーブルには、昨日の夜は気がつかなかったTBS世界遺産のDVDや、Tシャツ、絵はがきなどのお土産が並べられていた。

朝食 朝食を食べているときに、2陣の4人がレストランで寛いでいるのにヘリがまた飛び立つのが見えた。驚いたけれど、燃料を補給しに行ったそうだ。
 ヘリの燃料補給と、テプイ上空の天候回復を待ち、彼女たちは8時頃に離陸して行った。

 第2陣の出発が遅れたので、ハスペの谷で落ち合うことになる私たちの出発もゆっくりになったのは有り難い。
 有り難いといえば、「旅のしおり」では、荷物は車の上に積むので雨に濡れても大丈夫なようにビニル袋に入れてくださいとあったけれど、「これくらいの量なら大丈夫」ということで、ジープの上に積んだ荷物をブルーシートの黄色い奴で覆ってもらえたのも有り難い。ビニル袋だとやはり何となく頼りない気がする。
 ハスペの谷での水遊びに備えて水着を着込み、ヘリ第1陣の4人と添乗員さんは9時にロッジを出発した。

 昨日は、カラカスに到着してそのまま国内移動で観光をしたので、リュックとレスポのショルダーバッグと両方を持ち歩いていたけれど、今日からはリュック一つを持ち歩くことにした。
 もっとも、ギアナ高地まで来てしまえば治安面では問題ないのか、「車に荷物を置いておいて構いません。」と言われるので、実際に観光するときには、カメラとタオルくらいをエコバッグに入れて持ち歩くことが多かった。
 いわゆるセーフティバッグというのか、パスポートが入るサイズの貴重品入れ(肩掛け式になっている)を使ったのはこの旅行が初めてだ。街中でしょっちゅう出し入れの必要があるなら別だろうけれど、「とにかく肌身離さず持つ」ことが目的の今回の場合はかなり便利に感じた。

 サンタ・エレナ・デ・ウアレインの町は、もうすぐブラジル国境という位置にある。
 産油国であるベネズエラは石油が安く、従ってガソリンも安い。サンタ・エレナ・デ・ウアレインの町のガソリンスタンドにできている行列は、安いガソリンを求めて国境を越えてきたブラジルの車が多いそうだ。
 他にも添乗員さんが町の話をしてくれたと思うけれど、(サンタ・エレナ・デ・ウアレインは観光産業ではない別のものが主幹産業になっているとか、前にサンタ・エレナ・デ・ウアレインの町中のクラブに行ったときの話とか)ちゃんと思い出せないのが残念である。

 ハスペの谷には40分くらいで到着した。
 すでに第2陣の4人が到着していて、お土産物などを見ていたらしい。話を聞くと、私たちのとき以上に厚い雲に覆われてしまっていて、近づくことも大変で、着陸できなかったという。
 パイロットが早い内に無理だと判断し、ハスペの谷にも30分くらい前に着いていたということだった。
 天候回復を待ったし、第2陣の方が好条件だと思っていたので、ちょっと驚いた。

蝶 全員が揃ったところで、駐車場から土の道を数分下り、ハスペの谷(というか、滝)に到着した。
 「ハスペ」とは「ジャスパー」のことである。
 赤いのにどうして「碧玉」なのか、実は未だによく判らない。
 川は浅く、滝も川底もキラキラ光ってとても綺麗だ。
 ちょうど川にたどり着いたとき、青い大きな蝶がひらひらと川面を飛んでいるのが見えた。慌ててカメラを向けたけれど、ピンぼけもいいところである。でも、綺麗なブルーの蝶だったことはこれで判ると思う。
 この蝶を見かけたのは、滝に到着したこのときだけだった。

 川沿いに、ベンチと隙間だらけながら屋根が作られていて、そこに荷物を置き、服を脱いで水着になった。
 これだけ水深が浅ければ危ないこともないし、水遊びの開始である。
 つるつると結構滑るので裸足では危ないし、ビーチサンダルだと今度は水の流れにサンダルが持って行かれそうになる。
 100円ショップで見つけた、つま先だけの5本指靴下がベスト・チョイスだった。これなら全く滑らない。

ウォータースライダー 滝から少し川下に歩き、川の流れが少し強くなっているところではウォータースライダーができるという。
 ツアーメンバーのお一人がチャレンジしたけれど、なかなか滑らない。
 ベネットさんが実演してくれると、いい勢いでしゃーっと滑ることができる。勢いが良すぎて、写真が上手く取れないくらいのスピードが出る。
 ベネットさんは、「水着を着ていると摩擦が起きて滑らない。」と言う。
 ベネットさんが、親ガメの上に子ガメという感じでツアーの方を背中に乗せ、さらに勢いよく滑っていた。

 日も差していたのに、これで雨になるとは誰が思うだろう。
 でも、降った。しかも、土砂降りである。
 添乗員さんが「10分もすればやみますよ。」と言うし、他にどうしようもなくて、隙間だらけの屋根の下で雨宿りをする。
 添乗員さんの「あと5分くらいで。」を3回は聞いた気がするから、このスコールは20分くらいで止んだと思う。

 お手洗いを借りて着替え、11時くらいにハスペの谷を出発した。
 途中、昨日も見かけたサンフランシスコ・デ・ユリアニ村を通りかかった。ぱっと見たところは「お土産物村」に見える、不思議な場所だ。
 道路にはトペがあって車はスピードを緩めざるを得ず、車を寄せるように指示され、ライフルを持った兵隊さんが何やらドライバーさんたちと話している。剣呑なようにも見えるし、旧知が通りかかったから声をかけただけにも見える。

 添乗員さんに「パチェコの滝でも泳ぎますか?」と聞かれたけれど、恐らく全員が「もう水は十分に堪能した」という気分だったに違いない。もう一度水着を着るのも面倒だし、全員一致で「泳がなくていいです」と答えた。
 その分、ちょっとだけ時間の余裕ができたらしい。予定にはなかったユリアニの滝に寄ってもらえることになった。
 舗装道路から外れてジープで走ること数分で到着である。

ユリアニの滝岸辺の花ユリアニテプイ? ユリアニの滝の「ユリアニ」は、ペモン族の言葉で「猿」を意味するそうだ。
 ユリアニ・テプイから流れてくる川にある滝だから「ユリアニの滝」というらしい。
 帰り際、ふと振り向いたら川の上流の方角に不思議な形のテプイが見えて、シャッターを押した。このテプイがユリアニ・テプイであるかどうか聞いておけば良かったと思う。

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