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2012.11.18

ウズベキスタン旅行記3日目その2

2012年9月19日(月曜日)

シャーヒズィンダ廟おじいさん もうお昼前の結構いい時間だったけれど、ランチの前にシャーヒズィンダ廟に向かった。
 ティムールゆかりの方々の霊廟がずらっと並ぶ聖地だ。今もお参りに来る人が後を絶たないらしい。
 もっとも、私たちにとっては、ブルーのタイル装飾の美しい建物が並んでいる場所、というイメージである。
 入口から、この通り、美しい装飾で飾られ、青空に映えて堂々と建っている。
 ちょうど私たちが入ろうとするタイミングで出てきたこのおじいさんが余りにもチャーミングで、またしても写真撮影大会になる。第二次世界大戦にも行ったとおっしゃっていたから、相当のお年の方なんだろう。
 このおじいさんも鷹揚な方で、ガイドさんに「どうしてこの日本人は僕の写真を撮るのか」?とのんびり聞いていたらしい。

モスク シャーヒズィンダ廟は幅40mくらい、奥行きは200mくらいの広さがある。
 この入口の門はウルグベクが命じて1435年に作らせたものだ。
 門をくぐってすぐ右手にあるダヴラッド・コシュベギ・メドレセという神学校跡から見えるモスクの土台は11世紀に作られ、その上に建つ建物は19世紀に再建されたものだ。長い時間をかけて今の形に整えられてきたということなんだろう。
 モスクではちょうどお祈りの時間だったらしく、歌うような声が聞こえていた。気候のいいときには、外に出てお祈りを捧げることもあるらしい。

2つのドーム 階段を上る途中にある廟は、ガーズィザーデ・ルーミー廟である(写真がそれかどうかは、今ひとつ自信がない)。
 ここは、ウルグベクの代数学と天文学の師が眠る廟だ。ここがシャーヒズィンダ廟の中で一番大きくて深い霊廟だという。ウルグベクの師に対する尊敬度も判ろうというものだ。
 それとも、師でありかつ親族の一員だったのだろうか。

 ところで、入口からすぐの階段には言い伝えがあり、上るときと降りるときと階段の段数を数えて同じだった場合、天国に行けるそうだ。ガイドさんの説明では「罪がなくなる」ということだ。
 みんなして心の中で数えつつ上る。

 階段を上りきると、そこは、真っ青な世界だった。
 青い空をバックに、青く光るタイルで一面を飾られた霊廟の入口が狭い通路を挟んで屹立している。
 世界全体が青く染められているようだ。
 この辺りの霊廟は釉薬をかけられたタイルで装飾されて、ティムールの有名な将軍とそして家族が埋葬されている。

 正直に言って、ずっとこうした感じで霊廟が並んでいるので、撮ってきた写真とガイドさんの説明とガイドブックを参照しても、どれがどの霊廟なのか、実はすでにもう判らない。
 一応「多分これだろう」と写真撮影の時間とICレコーダーの説明を聞いた時間とを合わせて推定してあるけれど、間違っている可能性が高いし、写真と文章は合っていないところも多いと思う。

シーリーン・ビカ・アカ廟 シーリーン・ビカ・アカ廟はティムールの妹の霊廟である。
 その入口の装飾タイル等は、ティムールがイランやアゼルバイジャンから連れてきた職人によって作られたそうだ。修復の技術の方が追いつかず、黒っぽく見えてしまったり、装飾できずにまっさらなタイルになってしまったりしている。恐るべし、往年の技術である。
 そして、この霊廟は、中に入ると非常に清楚である。装飾過多ではなく、落ち着く。内部の装飾でいえば、私はこの霊廟が一番好きだった。内部はほとんど作られた当時のまま残っているらしい。

シャーディ・ムルク・アカ廟シャーディ・ムルク・アカ廟内部 美しいといえば、シャーディ・ムルク・アカ廟も美しい。やっぱり、女性の霊廟の方が繊細に作られている印象だ。
 こちらはティムールが愛したという姪のための霊廟である。入口上部に「貴重な真珠が失われ、ここに眠る」と書かれているそうで、ティムールの妻の立場がないなぁなどと考えてしまった。
 中に入ると、こちらはトルコブルーといえばいいのか、ブルーグリーンといえばいいのか、先ほどの白い清楚な感じとは対照的に凝った内装となっている。
 こちらの霊廟もほとんど建造当時の姿を保っているそうだ。

八角形の霊廟 隣にあったのが、ガイドブックには素っ気なく「八角形の霊廟」としか書かれていない霊廟である。
 八角形なのはアゼルバイジャン式だからで、こんなに開放的な霊廟は他にはない。誰を祀っているのか不明だそうだ。
 しかし、開放的な造りと、素っ気ないくらいの外観に似合わず、そのドーム内部の装飾は実はかなり洗練されていると思う。ずっと青い外観とちょっと閉鎖的かつ重苦しい内部装飾に押しつぶされそうな気持ちになっていたので、この霊廟でほっとした。

お墓 つい壁やドームの装飾に目を奪われてしまったけれど、霊廟というからには、それぞれの内部にはお墓がある。
 こうしたお墓は、私たちの目に見える場所と、その地下と、二層になっている。そして、地下にも同じお墓が据えられている。
 お参りする人によって死者の眠りが妨げられないようにするため、こうした二重構造になっているという。
 こうした観光地になることを予測していたとは思えないから、きっと死者の静けさを重要視する人々で、考え方だったのだろう。

霊廟群 ここを過ぎると、霊廟が立ち並ぶのは通路の片側だけになり、通路の幅も広くなる。
 もちろん、この奥に並ぶ廟もそれぞれブルーのタイルや装飾が素晴らしい。しかし、誰の霊廟かは判らないという。
 不思議な話である。
 ところで、ここにもたくさんあるドームは2層になっている。中央アジアのドームの特徴だそうだ。
 そして、屋根の上にすぐ建設するのではなく、屋根からすくっと塔のような建造物を伸ばした上にドームが作られる。これも中央アジアの特徴だそうだ。

 朝から体調を崩されてホテルで休んでいらした方が、この後、タクシーで合流するという知らせが入った。良かった良かったとみんなで喜ぶ。

アーチとミナレット 開けた場所が過ぎると、再びまたごちゃっとして詰まった感じの場所に突入する。
 その手前から見上げることのできる、この写真右手のミナレットは、サマルカンドで唯一、モンゴル襲来前(1221年より前)に建設されて残っている建築物だ。サマルカンドで一番古い建築物である。
 聖地であったため、このミナレットのあるモスクとクサム・イブン・アッバース廟とだけは、モンゴル軍も壊さなかった。しかし、ミナレット以外の部分は14世紀に修復されたので、「最古」の称号はミナレットにだけ与えられている。
 ミナレットの内部には螺旋階段があって、昔は上れたそうだ。

楽園のドア ガイドさんは特に説明しなかったけれど、某ガイドブックによると、このクサム・イブン・アッバース廟に入るためのドアは、その昔は金銀象牙で装飾されており、この廟に3回詣でればメッカ巡礼をしたのと同じことになると信じられ、そのために「楽園のドア」と呼ばれていたという。
 はっきり言って、今は、木彫は細かく素晴らしい、普通のドアである。
 そして、**すれば**したことになる、というような、手抜きというか手軽な代替手段を考えるのはどんな宗教でも同じなんだなと不埒なことを考えた。
 もっとも、巡礼者はこのモスク内部に40日間こもって、イスラム教の僧侶から水だけ差し入れてもらって祈ることもあったという話だから、やっぱりみな真面目に信仰していたのかも知れない。

クサム・イブン・アッバース廟の天井クサム・イブン・アッバース廟の中庭 クサム・イブン・アッバースという人は、伝説によれば、預言者ムハンマドのいとこで、サマルカンドにイスラム教を伝えた人物だそうだ。
 そして、異教徒に襲われて首を切られながらも、その首を持って深い井戸に入って行き、そこで永遠に生き続けていると信じられている。考えてみれば、恐ろしい伝説である。
 そもそも「シャーヒズィンダ」という名前は、ペルシア語の「生ける王」から来ており、クサム・イブン・アッバースのことを指しているそうだ。

 モスクに入ると、そこには女性たちだけがいて、祈りを捧げていた。
 私たちがここにいていいのかしらと思いつつ、狭い部屋の両脇に作り付けられたようなベンチにみなで座らせていただいて、しばし、その祈りの声を聞いていた。
 意味は全く判らないながら、厳粛な気持ちになるのが不思議である。
 
最奥部 シャーヒズィンダ廟の一番奥に、3つの霊廟が小さな広場を囲むように並んでいる。
 元は壊れかかっていたものを、数年前に修復したそうだ。タイルの色が濃い部分は、その修復の際に作り直したものだという。正面のドアの上のアーチ状の部分が判りやすいと思う。
 正面に写っている霊廟は、シャーヒズィンダ廟全体で2番目に古く、この廟の様式を原型として他の霊廟が作られたらしい。

 この一番奥に来るまで1時間くらいかかった。200mに1時間である。
 時間があればもっとゆっくりと見たかったなと思うし、シャーヒズィンダ廟全体を見渡せる場所にも行ってみたかったなと思う。
 しかし、既に13時を回っている。ここでお昼ごはんだろうと誰もが期待していたと思うけれど、そうは行かないのが今回のツアーの特徴である。
 次に向かったのは、ナン作り体験だった。

 ツアー日程上は「民家でナンづくり」と書かれていたけれど、到着したのは、「ナン屋さん」とか「ナン工房」といった感じのところだった。ここで日本語ペラペラのガイドさんがさらに一人加わった。彼は日本に住んでいたこともあると言う。
 表通りに面していたし、看板も出ていたし、ナンの材料がたくさん仕込んであったし、ナンを作る台と竈しかないような場所だったし、若者3人がナン作りに精を出していたし、ここにナンを買いに来る人がいるという説明もあった。ここは民家ではあるまい。
 帰国後、「民家ではありませんでした。」と旅行社に言ったところ、「同じ建物に人も住んでいるし民家です。」と回答されても納得できるものではない。

ナンのもと 空きっ腹にこのナンが焼ける匂いは毒である。
 ナンは、普通、男性が焼くそうだ。確かに、ここでナン作りに精を出している3人も男性である。
 丸くなっているナンの素がたくさん作られ、ビニルが被されて乾かないようにしてある。それを一つずつ取り出しては、ピザを作るような感じで薄く伸ばし、模様をつけるためのスタンプ(ちょうど日付印のような感じで、握り手が付き、先っぽは尖った針がたくさん付いている)がいくつもあって、お兄さんたちは適当に好きなようにぽんぽんと模様をつけているように見える。
 「作ってみたい人!」と言われれば、みな、作ってみたいに決まっている。

整形後焼き上がり

 左側が焼く前の状態、右側ができあがりである。
 薄く伸ばすところまではお兄さんがやってくれて、私は、さらにもう少し伸ばして模様を付けた。
 焼くときに膨らむので、この模様付けは、ほとんど突き刺すように強く、隣同士をくっつけるようにするのがポイントだ。特に中心部分は模様を付けると同時に潰すことが重要らしい。
 整形が終わったらバターと油を混ぜたものを表面に塗り、お兄さんが胡麻をパラパラと振ってくれた。

ナン焼き窯 ナンを焼くところは流石にやらせてもらえない。
 何しろ、この窯の中にほとんど上半身を入れるようにして、ナンを内側の壁に叩きつけて張り付けている。
 窯の近く2mくらいのところに寄っただけで、顔が焼かれるような熱さである。ガイドさんは「100度はない。」「帽子を被らなければ危険です。」と言うけれど、その温度では帽子を被ったって危険だよと思う。
 焼き上がりまで10分くらいだった。
 自分で焼いた分は持ち帰っていいと言われ、どれが自分のだったろうと大騒ぎし、少しだけ冷ましてから、自分で焼いたナンをこの際と囓る。やっぱり焼きたては美味しい。
 この後はお昼ごはんだし、一口だけ味見して、あとはビニル袋をいただいて持ち帰った。

 14時前にナン工房を出た。
 ガイドさんに「次はお昼ごはんですから、あまりナンを食べないように。」と言われたにも関わらず、次に到着したところも昼食場所ではなかった。

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