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2012.11.25

ウズベキスタン旅行記3日目その3

2011年9月19日(月曜日)

葡萄棚のあるおうち とは言うものの、実は未だに次に行ったお宅がどこだったのか、判っていない。
 パン工房から合流したガイドさんのお宅でお昼ごはんをいただくことになった。その前に行ったこちらのお宅はガイドさんのおじさんの家だ。
 家というより邸宅だ。
 家の前のスペースには葡萄棚があり、その向こうには果樹園が広がっている。柿の木や杏の木もある。
 やぐらみたいなものがあって、希望者はそのやぐらに上らせてもらって、葡萄の収穫をした。もちろん、私も上がった。
 前に上った方が「コワイ」と言っていた理由はすぐに判った。揺れる。そして、結構高い。
 ガイドさんの指示に従って葡萄を収穫し、収穫した葡萄をみんなでいただいた。

 葡萄棚の葡萄は、すべて黄色というか緑っぽい色の葡萄で、味はマスカットではなく葡萄である。幾種類か植わっているようで、ガイドさんが「これは美味しい。」「これはレーズン用。」などと教えてくれる。
 この葡萄棚で一番古い木は樹齢20年くらいだそうだ。
 この辺りはサマルカンド市から一歩だけ外に出たところで、ガイドさん曰く「田舎」なのだそうだ。
 すでに14時を回ってお腹も空いているし、甘くて美味しいし、みんなで結構たくさん葡萄をつまんだ。

弟さん ガイドさんのおじさんのお宅から、ガイドさんの実家(ガイドさん自身はサマルカンド市内のマンションで暮らしている)に移動した。
 こちらもまた、見事な大邸宅である。
 この前日にガイドさんの弟さんが婚約したそうで、彼らの新居となるおうちを見せて頂いた。弟さん夫婦のために敷地内に新しく建てられたおうちには、新しい家具や絨毯が置かれ(それらは花嫁からの贈り物だという)、昨日頂いたのだろうプレゼントも並べられている。家は花婿が用意し、家財道具は花嫁が贈るという習わしだ。
 弟さんが着ているブルーの衣装は、多分、私たちのために正装を見せてくれたのだと思う。ウルグットのバザールで買ったと言っていた。

 ガイドさんの実家のテラスのようなスペースでお昼ごはんになった。
 もう既にパーティのようなセッティングがされている。
 この紺色の食器のセットは、綿花が図案化されたものだ。ウズベキスタンで一番ポピュラーな模様かも知れない。

サモサロールキャベツ

 「サモサには、タマネギが入らないと美味しくない。」とガイドさんがきっぱりと言う。カレー風味で美味しい。
 スープも大きな野菜がゴロゴロ入っていて、ロールキャベツ風のお料理が美味しい。
 二日連続で昼食が14時・15時だったので、ガイドさんに「ウズベキスタンでは、お昼ごはんは今頃食べるのが普通?」と聞いてみたら、「普通は12時から13時です。」というお答えだった。この時間になったのはたまたま、ということらしい。
 ガイドさんの甥っ子がおじいちゃんに抱っこされて来たものの、人見知りなのか、顔を伏せてしまう。可愛い。

 「ナンはどれくらい保つ?」と聞いたら、「1週間くらい。」と言われた。「地球の歩き方」に2年間保つと書いてあったよと言うと、ガイドさん二人に笑われてしまった。10日もたつと、固くなって食べられないらしい。
 「ウズベキスタンなら乾燥しているので長く保たせることができるけれど、日本は湿度があるからやっぱり無理だよ。」という話だ。
 サマルカンドのナンの材料をブハラやヒヴァへ持って行って焼いても、サマルカンドのナンの味にはならないと言うから、かなり微妙な食べ物なんだろう。家々で味噌や糠漬けの味が違うのと同じことなのかも知れない。

 ゆっくりおしゃべりしながらいただいて、昼食を食べ終わったら15時30分を過ぎていた。
 ガイドさんから、「これで今日の予定は終了です。希望者は紙漉の工房に行きます。みなさんどうしますか。」という話があった。私は最初から紙漉に行くと決めていた(というよりも、オプションを日本にいるうちにリクエストしてあった)からいいけれど、突然「ここでプログラムは終わりです。」と言われた他のツアーメンバーは困惑している。

 バザールに行きたいという人も多かったけれど、ガイドさんは、「この時間では終わってしまっている。」と言う。
 結局、紙漉に行く組と、レギスタン広場に行く組、ホテルに戻って休憩する組に分かれ、夕食は19時30分にホテルを出発することになった。
 次の予定を決めている間に、サマルカンドのガイドさんに「ご家族にどうぞ。」と成田で買って来たお菓子を手渡した。日本で暮らしていたこともあるというガイドさんは「白い恋人」を知っていると笑っていた。

 紙漉工房に行くことになったのは3名である。
 どういう調整があったのか、サマルカンドのガイドさんが運転する車に乗って、スルーガイドのガイドさんも付くという豪華な道行きである。
 「新座にいた。」「私の家は朝霞だ。」とウズベキスタン人と日本人とで、やけにローカルな話で盛り上がった。「武蔵野線は風に弱い。」などという話で盛り上がっていると、一体ここはどこだろうという気分になる。

 ガイドさんに「どうして日本語を勉強しようと思ったの?」と聞くと、「日本の会社がたくさんあったから日本語を勉強しようと思った。」という返事だった。それを高校卒業時点で考えたところが凄い。
 「ガイドの仕事に就いているのは何故?」と聞くと、仕事が少ないんだという返事だった。ここまで日本語ペラペラでも仕事を得るのは難しいんだなと思う。「ガイドの仕事は楽しい?」と聞くと、かなり溜めてから「楽しいです。」と答えがあった。正直である。
 彼は4年間、日本語を勉強したそうだ。それで、ガイド用のアンチョコメモを日本語で書いているのだから素晴らしい。

皮を剥ぐ 郊外に向けて30分くらい走り、紙漉工房に到着した。大型バスで来ているフランス人らしき人々もいて、観光スポットの一つといった感じだ。
 まずは、サマルカンドペーパーの作り方を見学する。
 サマルカンドペーパーは、シルクペーパーとも言われているけれど、その名前の由来は桑の木が材料になっているところにもあるらしい。
 しばらく水に浸けてやわらかくした桑の木の皮を、ナイフを使って剥ぐところから作業が始まる。
 
桑の木を茹でる その次に、剥いだ皮の方を5時間以上煮込んで、柔らかくする。
 剥いだ一番外側も紙漉に使うけれどあまり品質は良くなく、その内側の繊維質の部分を使って品質の良い紙を漉くそうだ。
 そうして煮て柔らかくされた繊維は、束ねられてヒモに引っかけられ、乾燥させられる。

水車水車

 工房の内外を通すように水車が設置されている。
 工房の外側を流れる水路の水の力を利用して水車を回し、その回る力を内側で臼に入れた桑の木の繊維を杵で突く力に変換させている。
 杵で6〜8時間も突いて、繊維が細かくする。
 昔は紙漉に用いられたものだけで400台近くあったというこの水車も、今ではこの一基を残すのみである。というよりも、紙漉のためにこの水車を復元したというのが正しいようだ。
 この工房も、廃れてしまったサマルカンドペーパーを復活させようと、1998年に作られている。

工房の様子 細かくした繊維を紙と混ぜ、いよいよ、いわゆる紙漉を行う。
 この紙漉の様子は、日本で見た様子とほとんど変わらない。
 漉いた紙を60〜70枚まとめ、この写真の左隅の機械で24時間プレスして水分を抜く。相当に気の長い作業だ。その後、さらに、窓に貼って水分を抜くのと同時に真っ直ぐにする。
 割と、原始的である。

こする!その後・・・

 その後がまた凄い。
 ひたすら人力で紙を貝がらや石や角を用いて擦り、平らに滑らかにすべらかにする。3人でやってみたけれど、結構な力仕事である。
 ずっと擦り続けられた貝がらなど穴が開いている。
 こうして作られた紙は、1000年後も大丈夫なんだとガイドさんは言う。理由はよく判らなかったけれど、この紙は虫を寄せ付けないそうだ。

絵はがき 説明を一通り受けた後、紙漉をやりたいと言ったけれど、今ひとつ私の熱意はガイドさんに伝わらなかったらしい。スルーされる。
 併設されている売店があり、お一人はサマルカンドペーパーで作られたお人形に惚れ込んで選び始めた。もちろんあとの二人であーでもないこーでもないと一緒に買い物を楽しむ。
 ガイドさんに聞くと、まぁ、30歳男性としては当然なのだろうけれど「どれでもいい」というつれない返事だ。
 色々探すうちに3人一致で惚れ込んだお人形が見つかった。もちろん、お買い上げである。
 私は、絵はがきを買った。10枚で60000スムを50000スム(2500円)に負けてもらった。それでもかなりいいお値段だ。

 お買い物をして、お茶をいただいて、帰りがけにもう1回「紙漉をやりたい。」とおっしゃった方がいて、そうしたらガイドさんは「聞いてみましょう。」と言う対応だ。
 私がさっき言ったときは反応してくれなかったくせにと思っていると、直前にいた団体がやっていなかったので、というようなことを言う。
 よく判らないながら、紙漉をやらせてくれるという話になったので、もちろん3人とも喜んで挑戦した。

完成 やっと実現した紙漉体験である。
 このお兄さんが付きっきりで教えてくれた。
 これがかなり難しい。漉き終わった紙を重ねようとしたら、固まっていない紙が落ちてくしゃくしゃになってしまった。
 もう1回体験できたので逆にラッキーだと思ったことは内緒である。
 紙漉体験後、裏庭のようなところを流れていた水路にかかっている水車の水で手を洗ったら、とても冷たくて気持ち良かった。

 この紙漉工房も、ウズベキスタン全体も、基本は8時から17時までが就業時間だそうで、私が失敗して2回目のチャレンジを下分、紙漉工房の方々には残業させてしまったかも知れない。申し訳ない。
 しかも、どういうやりとりがあったのか、紙漉工房の見学と体験は無料だった。車を出してくれたガイドさんに、3人で20000スムを支払っただけである。
 
 帰りの車の中は、ひたすらお買い物の話をしていた。
 サマルカンドのガイドさんが音楽を流していたので尋ねてみると、それはイランの音楽だという。サマルカンドやブハラにはタジク人が多く、タジク人はペルシャ語を話すのでイランの音楽を聴く人も多いのだそうだ。聞いてみなくては判らないものである。
 17時45分くらいにホテルに到着した。夕食まで時間があったので、シャワーを浴び、お洗濯をし、カメラ等々の充電をした。

ラグメン 夕食は、車で20分くらい走ったところにあるBEKというレストランだった。
 テラス席に陣取ると、ガイドさんが「何を食べたいですか?」と聞く。割と自由が利くらしい。ラグメンが食べたいという声があがり、この日の夕食は、サラダ3種と、ラグメン、シャシリクにビール(5000スム)というメニューだった。
 ラグメンも美味しいし、ビールも美味しい。
 それぞれ、昼食後の過ごし方を報告し合いつつの夕食になった。

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