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2013.03.12

ウズベキスタン旅行記5日目その3

2011年9月21日(水曜日)

 カラーン・モスクから歩いてすぐのところにタキ・バザールがある。
 タキとは「丸屋根」という意味で、こうしたタキ・バザールは最盛期には40を数え、交差点のド真ん中に建てられていたそうだ。ブハラにはこの丸屋根をたくさん乗せたバザールがいくつか残っている。
 入口と内部の通路の天井が高くなっているのは、荷を積んだラクダが通るためである。

(推定)香辛料屋 その昔はタキごとに扱う品物が違っていたらしい。今は様々なお店が並んでいる。
 このタキの中で、楽器屋さんのおじさんが色々と演奏してくれたのにつられて、彼が自主製作したらしいCD(10ドル)を思わず購入した。この香辛料などを売っているお店のお兄さんのポーズの取りっぷりに負け、思わず写真を撮る。
 その他にアクセサリーや定番のスザニや絨毯なども売っていたし、今やタキ・バザールはお土産物屋さん街となって観光客を集めている。確かに人々の集まる場所になっている。

アブドゥルアジズ・ハン・メドレセアブドゥルアジズ・ハン・メドレセ 次に入ったのは、アブドゥルアジズ・ハン・メドレセだ。
 このメドレセは17世紀になってから建てられたせいか、他のメドレセとはだいぶ印象が違う。
 何しろ、カラフルである。
 概ね煉瓦色とブルーで統一されていたこれまでのメドレセとは違って、赤などの色も入っている。それにしても、宗教の建物に赤が使われていると途端に仏教のイメージが強くなる気がする。
 色使いだけではなく、抽象化していない花を始め、いわゆる「偶像」としてイスラムでは排除されるだろう意匠が使われていることも珍しい。

アブドゥルアジズ・ハン・メドレセ このメドレセは、内部もちょっと変わった感じだった。
 キンキラキンではない。ブルーでもない。
 やはりこちらも赤を基調とした装飾になっている。色褪せてしまったり、タイル自体が落ちてしまったり、傷みはかなり激しいけれど、それでも往時の美しさを偲ばせる。何だか落ち着く空間だった。

 次に向かったのはアブドゥラ・ハン・ティムだ。
 ティムとは、屋根付きバザールの一種で、ただしタキとは違って通り抜けはできず入口は1ヶ所だけだ。
 アブドゥラ・ハン・ティムの中は絨毯と織物のお店になっていて、絣のような布を織っている織機があった。しげしげと見ていたら皆に置いて行かれそうになってしまった。
 この後、絹織物の産地であるマルギランに行く予定で、みなここではスルーしたようだ。

コウノトリの形をしたハサミ 逆にみなが心惹かれていたのが、ブハラではとても有名なコウノトリの形をしたハサミだ。お店のおじさんもデモンストレーションしてくれる。
 かなり迷ったけれど、「使うか?」という自問に「使う。」と答えられずに諦めた。
 コウノトリのハサミではなく、このハサミの切れ味でデザインだけではないという感触を得て、サバイバルナイフに吸い寄せられていた方もいた。山登りには必携の品らしい。

 陶器のお人形のおじいさんに一目惚れしつつ熟考の末買わなかったり、ハマムの中をちょこっと覗かせてもらったり、ホテルに残った方の旦那様が街歩きをしているところと行き会ったり(奥様はホテルで休んでいらしたらしい)した。
 やはりブハラは見どころが旧市街にぎゅっと集まっている街だということだろう。

マガーギ・アッタリー・モスク 次に行った、というよりも立ち寄ったのがマガーギ・アッタリー・モスクだ。ブハラに現存するモスクでは最古のものだという。
 一部改築されてはいるものの、12世紀の建築で、20世紀に入って発掘されるまでほとんどの部分が埋まっていたのだそうだ。だから、この写真ではちょっと判りにくいかもしれないけれど、道路などよりも低いところに建てられている。
 そうなるとさっきの「モンゴル軍侵略より古い建物はブハラには2つしかない」というガイドさんの説明はどうなるんだろうとこれは後追いで考えた。チンギス・ハンのブハラ侵略は1220年だから、12世紀に建てられたここも「それより前の」建物である。カラーン・ミナレットとイスマイール・サーマーニ廟と、ここも入れれば3つということになる。

 中は絨毯の博物館らしいのだけれど、私たちは残念ながら入館しなかった。この後の時間の使い方を考えると、ぜひここは立ち寄りたかったなと思う。
 何故そう思うかというと、この後行ったスザニ工房で何故か2時間を過ごすことになったからだ。この時間配分は未だに納得がいかない。結果として、先ほど書いたウルグベク・メドレセや絨毯博物館、チャル・ミナールなどに行っていないからということもある。

スザニ工房スザニ

 それはそれとして、スザニ工房はなかなか楽しかった。
 お嬢さん達が刺繍のステッチを実演してくれ、お好きな方々はこの真ん中に積まれた糸をもらって刺繍を始めている。手先の不器用さに自信がある私はやりかけてすぐ放り出してしまい、お台所を覗いたり、赤ちゃんを抱っこさせて貰ったり、お茶を飲んだりしていた。
 そして、右側がこのスザニ工房で購入したスザニ(75ドル)である。ウルグットのバザールで購入したスザニもブハラのスザニだったし、私はこの街のことが大好きらしい。何の意匠なのか聞いた記憶があるのだけれど、思い出せない。
 でも、やっぱりここで2時間というのはどうなんだろう。最初からそう言われていたら、多分、私は勝手にお散歩に出かけていたと思う。

 17時30分くらいになって、このスザニ工房を出た。ちょうど裏口辺りで可愛らしいお嬢さんたちに出会い、あまりの可愛さにカメラを向ける。はにかんで、でも笑顔を見せてくれるのが嬉しい。
 彼女たちは絶対に美人になるだろう。

ラビ・ハウズ スザニ工房を出た私たちは、ラビ・ハウズ(タジク語で池のほとりという意味だそうだ。判りやすい。)に向かった。
 このラビ・ハウズは六角形のため池で、周りには桑の木が並んでいる。意外に深くて、10mくらいもあるらしい。
 まさに「憩いの場」といったイメージのこの池の周りには、お金持ちのユダヤ人の邸宅が並んでいたのだそうだ。その邸宅のひとつをこの溜め池にしたという。
 その昔、ブハラには120もの溜め池があったのだ。

 ナディール・ディヴァンベギ・メドレセは当初、当時の総理大臣ナディール・ディヴァンベギによってキャラバンサライとして建設された。しかし、当時の支配者のハンがここをメドレセと勘違いして褒めちぎったため、支配者に反抗するなど思いも寄らなかった彼はここをキャラバンサライではなくメドレセとしたといういわれを持つそうだ。
 その後、ミナレットの建て増しもされたけれど、元々がキャラバンサライだから全体の構造は伝統的なメドレセとは異なっていて、例えば内部にある筈の回廊もない。
 ファサードはモザイクで覆われており、上部にはシムルという幸せの鳥が図案化されている。ただ、元々がキャラバンサライとして建設されたため、偶像崇拝を理由に壊されずに済んだという。

民族舞踊民族舞踊

 ガイドさんは我々を席に案内すると、ホテルでお休みされていた方のお迎えに行った。飲み物の注文をどうしようかと思ったけれど、お店の方も観光客慣れしているし、みなさんも旅行慣れしているのでそこは手早い。
 もう一つのツアーは確か4人だった筈なのだけれど、3人しかいない。お一人はホテルで休息だそうだ。あちらはお腹を壊した方はいらっしゃらないらしいのだけれど、やはり疲れが出ているのだろう。

 メドレセの中庭がレストラン兼ステージで、中央に大きくスペースが取ってあって、その周りにテーブル席がしつらえてある。前菜にスープ、ポトフ風のお料理がテーブルに並ぶ。
 ガイドさんとツアーメンバーお二方も到着して、写真を撮って、動画も撮って、食事もして、大忙しである。もっとも、民族舞踊ショーではあるけれど、半分くらいはファッションショーの感じだった。

 1時間くらいたったところでツアーメンバーのお一人がガイドさんに尋ねると、19時過ぎにここを出ると言われた。21時過ぎの国内線に乗るにしては、やけに早いなと思う。
 空港に到着したのは19時15分くらいで、とりあえず持ち歩いていた水筒の中身をその辺の花壇にあける。もう熱湯ではないし、お茶だから、多分お花にも害ではないだろう。

 それにしても心配はスーツケースの重さである。私のスーツケースには大きなスザニが3枚とコニャック2本が足され、結構持ち重りのするナンも入っているのだ。ブハラの空港ではグループチェックイン扱いだったのでパスできたけれど、注意して見ていたら、私のスーツケースは20kgを超える数値を指していた。

 かなり遅くなってガイドさんが説明してくれたところでは、元々この日は21時35分発のウズベキスタン航空でブハラかタシケントに戻る筈だったが、その便がキャンセルされ、20時25分発の便に変更になったそうだ。
 事前に民族舞踊ショーを見る場所と食事の場所は変えますと案内されていたにもかかわらず、民族舞踊ショーを見ながらの食事になったのはそのためだったようだ。

 20時25分発の便は意外と早く21時10分にタシケントに到着した。
 ウズベキスタンの国内線はシンプルである。何しろ荷物の受け取りが外なのだ。いわゆるターミナルビルに入る前、露天である。雨が降ったらどうするのだろう。
 そこに、持ち運び式のターンテーブル(トレーラーの低めの荷台に荷物を流すナナメの板が取り付けられているイメージだ)があったのか運ばれてきたのか、これを使うよりはコンテナに取りに行った方が早いんじゃないかというような「ターンテーブル」だった。
 そこで荷物を受け取り、そのまま空港の外にコロコロ転がして出て行く。もはや驚く人はいなかった。

 搭乗便の変更の連絡が上手く行っていなかったのか、空港の外でバスを30分くらい待つ羽目になった。
 流石にこの時間だとウズベキスタンでも冷える。ブハラで観光したままの格好だったので、震えてしまった。けれど、こういうときに楽しくおしゃべりしながら待てるのがこのツアー・メンバーならではである。

 面白かったのは、昨夜テレビを見ていたら日本語講座をやっていたというお話だった。日本ではウズベク語講座はないけれど、こちらでは日本語講座がやっているんだと驚いた。何でも「あ、ごめんなさい」みたいなシチュエーションをやっていたのだそうだ。
 私は元々あまりテレビを見ないので、旅先でも部屋のテレビをつけることはほとんどないのだけれど、こういう発見もあるんだなと新発見した気分だった。

 初日にも泊まったBekは空港から割と近い。22時過ぎには何とかホテルに到着できた。
 明日は、モーニングコールが6時、朝食は7時から、出発は8時だそうだ。結構、早い。
 お水が欲しいという方がいらして、ガイドさんが買って来てくれるという話になった。ガイドさんがお部屋の水を飲んでもいいですと言ったけれど、部屋で見てみたらガス入りだったので、ガスなしのお水をもえらえるのは有り難い。
 そういえばやったことがないけれど、ガス入りの水を湧かしたらどうなるのだろう?

ホテルのお部屋 お部屋は今回も1階だったので、ポーターさんを待つのも面倒臭いし、自分で転がして行ってしまった。
 ところが、部屋に入ってカーテンを閉めようとしたら、何故だかカーテンが丸ごと落ちてきた。え???
 しばらく呆然としていたのだけれど、今はいいとしても明日の朝カーテンなしのお部屋は辛い。ロビーまで行って、そこにいたポーターさんを問答無用で引っ張ってきて、落ちてきたカーテンを見せたところ、お部屋係の女性を連れてきてくれた。あっという間に修理完了。有り難い。
 明日も早いし、シャワーを浴びて、12時くらいに就寝した。

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