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2016.05.01

八重山旅行記2日目その2

2016年3月12日(土曜日)

 12時半の船で西表島から小浜島へ向かった。
 「ちゅらさん」の小浜島である。大体、船で30分強くらいだ。
 小浜島に到着すると、船に乗ってきた人のほとんどが島内観光バスに乗りこんでいたような気がする。我々ツアーメンバーも何台かのバスに分かれ、一路、はいむるぶしに向かった。
 まずはお昼ごはんである。

ちゅらさん弁当 割と広いレストランというか食堂に次々と観光バスで乗り付けた人々がやってきて、予め「ちゅらさん弁当」が用意されたテーブルにつく。
 この他に、八重山そばと何種類かのスープはバイキングで自由にいただくことができる。
 お弁当に入っていた海苔の佃煮(あーさー海苔)と肉味噌(あんだ味噌)が美味しかったので、ホテルの売店で購入した。

 昼食後は、30分ほどの島内観光である。バスに乗って小浜島をする。
 小浜島には、今さっき昼食をいただいたはいむるぶしと、星野リゾート リゾナーレ小浜島の二つの大きなホテルがある。というか、ほとんどそれしかない。
 小浜島の人口600人くらいのうち、100人がこの二つのリゾートホテルのどちらかで働いているそうだ。もの凄い雇用創設である。でも、ホテルが撤退しちゃったらどうなるんだろうと余計なことも考えてしまう。

シュガーロードちゅらさんの家

 小浜島といえば「ちゅらさん」である。
 ちゅらさんにも出てきた、さとうきび畑を貫く真っ直ぐな道「シュガーロード」や、えりぃが生まれ育った家などが紹介される。
 当時、えりぃの家として撮影に使われていたお宅の方は石垣島で暮らしていて、それで自宅を撮影用に貸し出していたそうだ。今は褪色されて自宅に戻っているので、えりぃの家は外観を見るだけになっている。
 何とも寛容な話だなぁと思う。

西表島 西表島がすぐ近くに見える。小浜島と西表島との間の「水道」は、マンタがいることでも有名だそうだ。
 そして、こんな曇り空だというのに、海の色が綺麗なことにも驚く。
 昨日は土砂降りの雨だったそうで、「土砂降りの雨の日に来たのじゃなくて良かった」という、「すっぱいブドウ」みたいな感想が浮かぶ。
 小浜島であと印象に残っているのが、お墓である。お墓の一つ一つがもの凄く大きいのだ、4畳半くらいは余裕でありそうな感じである。そして、「墓地」ではなくて、そのお墓がぽつりぽつりとサトウキビ畑の中にあったりするのも不思議な感じだった。

海 島内観光のバスは船の時間に間に合うように港に連れ帰ってくれた。
 14時40分(だったと思う)の船に乗り、竹富島に向かう。
 この船が、前の方は室内、後ろの方はデッキ風になっている。1回くらいは外の見えるこの後方席に座ってみようと座ったところ、ほとんど人がいない理由が判明した。燃料のガソリン(?)の匂いが強いのと、風が強くて寒いこと、そして波飛沫がじゃばじゃばかかるのだ。
 それでも、ガラス越しではない海も景色はやっぱり嬉しくて、海の色が綺麗だよなぁ、晴れていればさぞや、と思って見ていたら全く飽きない。

 竹富島に15時過ぎに到着し、そのままバスに分乗して水牛車の乗り場に向かった。
 2台の水牛車に乗って出発である。
 我々の車を引いてくれた水牛のリュータくんはかなり賢い子らしい。御者を務めているおじさん曰く、4日でコースを覚え、もはやおじさんが指示をしなくても、コース通りに歩くのはもちろん、説明が必要な場所では自主的に停車し、おじさんが「(説明は)おわり」と言うと歩き出す。
 4tもあるという場所を引くだけでも凄いのに、内輪差も考えて角を曲がっているという。
 そして、話してくれているおじさんがかなり自慢げなのが何だか楽しい。

竹富島の家 沖縄といえば「安里屋ゆんた」で、今回のツアー中も何度となく聴いている。
 その安里屋ゆんたの本場は竹富島だ。この家に住んでいた美女が、どこかから来た役人の妾に望まれたけれど、身分違いを理由に断ったことを歌った歌だという。
 水牛車の内側には、標準語で歌詞が書かれた紙が貼られ、おじさんは八重山の言葉と標準語と両方で安里屋ゆんたを歌ってくれた。
 そして、この家の形は竹富島(八重山だったかも)の伝統的な家屋の形で、家に玄関はなく、かならず東西(だったと思う)に風が抜けるように建てられ、庭に入って家の前には塀が建てられている。

お祭り会場 竹富島では、11月5日から6日にかけて沖縄の踊りをひたすら踊るお祭りが行われているそうだ。この広場がその主な会場である。
 紅型の衣裳が凄いらしい。
 ステージで踊った後、集落の家々を回って踊り、お酒をご馳走になり、その家の長男を最後に胴上げするそうだ。
 御者をしていたおじさんはどうやら集落の「世話役」のような方だったらしく、毎年おじさんの家は最後に踊りの方々がやってきて、もちろんその頃には踊り手の方々はへろへろのぼろぼろで、おじさんはこれまでに胴上げの途中で落とされ、2回も骨折しているそうだ。

 沖縄返還のとき、竹富島の人口は220人くらいで、最年少の方が70代だったそうだ。
 その後、人口が増えて今は300人くらいが住み、小中学校の生徒が合わせて43人いるという。小中学校の規模としては小浜島と同じくらいだ。
 竹富島の今の最長老の方は103歳で、高齢化率は高いけれど、寝たきりの人は一人もいない。「健康長寿の島」だ。

 街並み保存のため、家を建てたり建て替えたりする際は、瓦屋根で平屋で石の塀を作ることが義務づけられているという。アスファルト舗装も禁止で、家の前の白砂の道を毎日お掃除するのが「務め」だそうだ。
 おじさん曰く「雨が降っていると、道を掃除しなくていいから嬉しい」のだそうだ。
 竹富島に電気と水道が通ったのは昭和47年以降のことで、それまで、集落は井戸を中心に作られ、月明かりで歩けるように白砂の道にしていたと言う。
 おじさん曰く「集落の周りのアスファルトの道を、我々は”高速”と呼んでいる」そうだ。

水牛車 竹富島には駐在所もなく、たまにおまわりさんが小浜島からやってくるそうだ。
 竹富島は、犯罪検挙のない島でもある。
 おじさんが子どもの頃などは、何か悪いことをして見つかったら村八分にされ、袋だたきにされたのだそうで、とてもじゃないけれど罪を犯そうなどということは考えられないらしい。

 竹富島のお墓も「亀甲墓」といってかなり大きい。
 1月16日は「あの世のお正月」で、親類縁者一同がお墓に集まり、三線を引いて歌い踊って過ごすから、島の人達に「お墓が怖い」という感覚はないという。
 そもそも、お墓が大きいのは、あの世で水納が集まれるようにという考えからだという。
 約30分、水牛車に揺られながら聞いたおじさんのお話がとても面白かった。

カイジ浜 その後、バスに乗ってカイジ浜へ向かった。
 「星の砂」の浜である。
 星の砂は波に運ばれて砂浜まで来るので、あまり踏み荒らされていない場所に手のひらを付け、手のひらにくっついてきた砂の中から星形のものを探すのがコツだと教わる。
 お兄さん達に「下ばかりじゃなくて、海も見てくださいね〜」と言われて顔を上げたら、本当に綺麗な色と水の海でしばし見とれた。
 しつこいくらいに繰り返すけれど、お天気が良かったらなぁと思ってしまう。

 竹富島観光はこれで終了である。
 16時40分に港に送ってもらい、45分発の船に乗る。全てが船の運航時間に合わせて計画され、システマティックだ。
 それはそれとして、個人旅行で再訪するなら、竹富島が楽しそうだなと思う。実際、道を歩いている観光客の姿を見たのはほぼ竹富島だけと言ってもいいくらいだ。
 それに石垣島まで船で30分もかからないくらいで、八重山観光の拠点となる石垣島から近いのも高ポイントだ。

石垣リゾートグランヴィリオホテルのお部屋 17時10分くらいには石垣島に到着し、フェリーターミナルでキャリーケースをピックアップする。
 バスに乗り、本日の宿である石垣リゾートグランヴィリオホテルまで20分くらいだ。
 このホテルは、沖縄のホテルでは珍しく大浴場がある。添乗員さん曰く、沖縄の人は大浴場で皆と一緒にお風呂に入るのは「恥ずかしい」という感覚らしい。もちろん温泉ではないけれど、それでもやっぱり大浴場があるのは嬉しい。

 夕食は18時からだ。
 この日の夕食は、八重山会席か焼肉かを選ぶことができ、我々は母のリクエストで「舟蔵」というホテル内のレストランでの会席を頼んであった。

夕食夕食

 お品書きをいただいたつもりが忘れてきたらしいので、すでにメニューが定かでない。
 前菜が3品に酢の物とお造り、ラフティーの炊き合わせ、ステーキサラダ、お魚(何だったか忘れてしまった)の揚げ物、炊き込みごはんとお味噌汁、デザートのクレームブリュレに何故かちんすこうが添えてあった。
 これに、請福ビンテージと銘打たれた泡盛を合わせる。
 ちょうど、三線を弾きながらの歌のステージが店内で行われていて、今回の旅行で何度目かの「安里屋ゆんた」も聴くことができた。女性の声で聴くとやっぱり違うなと思う。
 こちらのお姉さんは「恋人がいたので丁重にお断りした」という歌詞だと言っていた。
 色々なバージョンがあるのか、解釈が異なるのか、どちらだろう。両方かも知れない。

 1時間ちょっとかけて夕食をいただいた後はお土産物屋さんを覗き、少し早めにロビーに向かった。
 石垣島出身の歌手、仲田かおりさんのライブがありますと添乗員さんからもホテルの方からも案内があって、これは聴きに行かなくてはと思っていたのだ。
 シンセサイザーの男性と仲田さんと二人のステージで、「安里屋ゆんた」はもちろん歌われた。「ゆんた」というのは「労働歌」という意味だそうだ。
 沖縄の子守歌や、「涙そうそう」、パーマ屋ゆんたなど、沖縄らしい歌が続く。
 お話も面白くて、この冬の沖縄はとんでもなく例年になく寒くて雨が多いということだった。石垣島に雪まで降ったという。
 アンコールの「花」まで45分くらいのステージで、みんなで一緒に踊りましょう(といっても手だけの振付である)というコーナーもあったり、とても楽しいステージだった。

 お部屋に戻って一休みしてから大浴場に向かったら、皆同じタイミングで同じことを考えたのか、混雑していた。
 それでもカランが空くのを待つというほどでもなく、入ることができた。
 さらに、こちらの大浴場には岩盤浴があって自由に使うことができる。折角なので利用したら、思っていたほど汗がでず、トシを取って新陳代謝が悪くなったのかしらと思った。
 露天風呂もあり、ゆっくりすることができた。

 22時過ぎに部屋に戻り、テレビを見ながらうだうだしているうちに眠ってしまった。

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