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2020.02.24

カンボジア旅行記2日目その1

2019年12月31日(火曜日)

 疲れているかと思いきや意外と眠れず、30分おきとか1時間おきとかに目が覚めていたような気がする。
 5時半に起き出した。
 カンボジアのホテルに雨戸がある筈もないのに部屋が暗くて驚き、窓がもの凄く狭いことに気がついた。なるほど、部屋が無駄に広い訳であると納得する。

20191231_060929 6時にモーニングコールがあり、着替えたり荷物の整理をしたり薬を飲んだりしてから、6時半くらいいレストランに行った。
 昨日、ガイドさんが「とても混む」と言っていたので心配していたところ、時間が早いせいかガラガラで席も選び放題である。

 これまた、昨日ガイドさんがバスの中でお勧めしていたビーフンは、3種類のうち2種類が用意されていたので、そのうち一番馴染みのある細いライスヌードルをお願いする。
 何となく野菜が食べたくなって、クメール式野菜炒め(と書いてあった)、インゲンのサラダ、フライドトマト、ポテトサラダなどを少しずつ食べる。
 この他に、バナナとドラゴンフルーツを別のお皿に取ってきて、かなり濃くて少し粉っぽいコーヒーをいただいた。

 部屋に戻って、私にしては珍しくミネラルウォーターで歯磨きをしたり、どうやっても母にメールを送ることができないので妹にメールを送っておいたり、バタバタしていたらあっという間に集合時刻の7時50分になった。
 ロビーに集合し、7時55分、ホテル出発である。
 今日は観光初日なので、まずアンコールパスを作りにパスセンターに向かった。

20191231_083818 思ったよりも窓口は混んでいなくて、ガイドさんと添乗員さんが手際よく手続きを進めてくれ、窓口に立つといつの間にか写真を撮られ、少し待って顔写真付きの「アンコールパス」が発行してもらえた。
 何というか、流れ作業である。
 3日間有効のパスが62ドルだそうだ。多分、高い。

 このアンコールパスはどの遺跡に入るときも結構厳重にチェックされた。
 結構厳重にチェックされたけど、顔写真の写りは限りなく悪い。本人が見たって「これが私?」くらいのものである。ガイドさんは「記念に持って帰れるからいい顔して写ってね」と言っていたけれど、どうやったら「いい顔」で写れるのかぜひそのコツを聞いてみたいものである。
 全員分のパスを発行してもらったらお手洗いも済ませ、バスに乗って遺跡見学に出発である。

 とは言うものの、やはり世界中から観光客が押し寄せてきているらしく、道路は大渋滞である。何とかアンコール・ワット近くの駐車場にたどり着いて小型のマイクロバス2台に乗り換え、アンコール・トムに向かった。
 この移動のバスの中でガイドさんから聞いたところでは、アンコール・トムのバイヨン寺院の第3回廊は、明日(2020年1月1日)から修復のために立ち入り禁止になることが決まったらしい。
 ガイドさんは「ラッキー!」と喜んでいる。
 確かに、ここまで来て、あの「大きな顔たち」を間近で見られないと知ったら、そのがっかり度は計り知れなかったと思う。

20191231_092528 マイクロバスに乗り換えてからも道は渋滞していて、アンコール・トムの入口の一つである南大門の手前など全く動く気配もない。
 ガイドさんの判断でマイクロバスを降り、歩いて南大門に向かう。
 南大門の手前には橋がかかり、その欄干にはナーガとお釈迦様が並んでいる。

 橋からは、お堀の掃除をしている様子が見える。
 南大門自体にもすでに観世音菩薩のお顔が四面に刻まれており、その顔は福耳で鼻筋が通り目が大きいというクメール人の特徴が如実に表れているものだという。
 こうした細かい細工は砂岩だからこそ可能だったらしい。

20191231_093424 南大門は車も通れるため、意外と正面からの写真を撮るのが難しかったらしい。
 こうして見上げるような写真しか撮っていなかった。
 この南大門を構成する砂岩は、クノン・プーレンから50kmを運んできたものであり、よく見るとあちこちに空いている穴は運搬のために開けたものだそうだ。

 この顔の中は空洞になっていて、下から見上げて中を見ることもできる。
 こんな適当な作りが許されるのも、ここでは地震がないからだ。
 また、南大門の両脇には象の彫刻が施されている。分かりにくいけれど、この写真の左下にも象の鼻に見立てた柱が立っている。
 この南大門を9時半過ぎに通過し、いきなりメインイベントともいえるバイヨン寺院に向かった。

 ところで、このバイヨン寺院だけれど、よくよく謎の存在らしい。
 そもそも、アンコール・トムは「大きな都」という意味で、アンコール・トムは12世紀のジャヤヴァルマン7世が統治する時代に最盛期を迎えた「王都」である。
 その中心に位置するのが、バイヨン寺院だ。
 アンコール・トムで祀られているのはヒンドゥー教でありつつ、しかし、バイヨン寺院は仏教寺院でもあるらしい。

 よく分からない。
 よく分からないが、そもそも、ヒンドゥー教と仏教って近いし、同じ神を(仏教で「神」と呼ぶかどうかは微妙だけれど)異なる名前で呼んでいるじゃあないかと思う。
 ラクシュミーは吉祥天だし、インドラ神は帝釈天だし、ブラフマーは弁財天だし、だとしたら、バイヨン寺院がヒンドゥー教の神と仏教の神を祀ったところで、それはあるべき姿とも言えるのでは? という気がする。

 その辺り、ガイドさんは割と割り切った説明をしてくれて、バイヨン寺院のあの顔は「観世音菩薩です」とキッパリ言い切っていた。
 そして、バイヨン寺院はほぼ日本の上智大学のチームが修復したのだと教えてくれる。
 東の入口が正面で、まず入口を入り、回廊のレリーフを説明してくれる。

20191231_095858 まずは東面のレリーフから見学開始である。
 東面は、戦闘の様子が描かれている。
 象に乗っているのは王様で、王に次ぐ身分のある人は馬に乗っている。
 服を着て歩いているのは兵士で、兵士ではない一般の人はふんどしのみだそうだ。
 身分というか階級の分かりやすすぎる表現である。

 この左の写真は、牛を戦勝祈願のために生け贄に捧げているところだそうだ。
 そういう「戦闘そのもの」ではない様子も刻まれているところがポイントだという。
 オールバックで福耳なのはクメール人、髭を生やしてちょんまげを結っているのは中国人で、中国人は傭兵なのか同盟軍なのか、その辺りはよく分かっていないらしい。

20191231_100031 中国人が敵ではないことは確実で、この右の写真は、中国人のお医者様に診てもらっている様子が描かれていて、この人たちのずっと後ろまで順番待ちの行列が出来ている。
 座っているところの下に彫られているのは鶏で、鶏は診療費というか、お医者様への貢ぎ物としてここにいるらしい。
 少なくとも、医学については中国の方が進んでいるという認識なのだなということが分かる。

20191231_095343 こちらのレリーフにも牛がいる。
 この牛は生け贄ではなく、食料を運んでいる牛である。
 荷車の後ろには、スカートしか身につけていない女性も続いていて、中には子どもを肩車している女性もいる。
 肩車されている方の子どももスカートしか身につけていないから、この子は女の子だ。
 彼女たちは兵士ではなく、兵士のご飯を作るために同行していたらしい。

20191231_100110 バイヨン寺院のレリーフは、戦闘場面などの「王様の偉業」だけでなく、それに付随する庶民の暮らしも描かれているところが特殊なのだそうだ。
 王都のど真ん中にあったのに異端というところが凄い。
 それって、王都を作った王様であるところのジャヤヴァルマン7世が異端ってことなんじゃなかしらと思う。

 多分この辺りで角を曲がり、次は南側の回廊にあるレリーフたちを見学である。
 このアプサラの踊りを踊っているレリーフが気に入っているのだけれど、これも戦場の一コマという位置づけなんだろうか。よく分からない。

20191231_100456 南面に入ると、いきなり大きな船が現れて、湖上での闘いの様子が描かれている。
 決戦の場はトレンサップ湖だったらしい。
 ワニがいたり、ワニに食べられそうになっている人がいたり、敵陣は蓮の花を象った兜を被っていたり、戦闘場面の割に何となく余裕がある感じに描かれているのが面白いと思う。
 楽勝だったと言いたいのだろうか。

 そしてまた、この南面においても、闘いの様子と同時に戦陣の中とはいえ戦闘場面ではない場面が色々と描かれているとこはさらに面白い。

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 この左の写真のように虎に襲われているシーンはまだレリーフとして残すのも分かる気がする。例えば「こんな危険も乗り越えたのだ」とか「油断をするとこういうことも有り得たのだ」みたいなことを伝えたかったのね、と思えないこともない。
 しかし、右の写真のように出産シーンが、果たしてこの「敵国との決戦を描いている」レリーフの一部として必要なんだろうか。
 彫って悪いことは全くないし、見ていてなかなか興味深い。
 しかし、意味が分からない。

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 左の写真は闘犬(とガイドさんは説明していたけれど、ガイドブック的には闘豚になっていた)の様子、右の写真は闘鶏をしつつかつその勝敗を賭けている兵士たちの図である。
 右の写真では、右から中国人兵士達が、左からクメール人兵士達が身を乗り出していて、多分、一緒に戦いつつも国別対抗意識的なものも溢れているのだろうなと思う。
 クメール王朝では、とりあえず、賭け事は禁止されていなかったようだ。

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 その他にも兵士達の楽しみ(ということは、庶民の楽しみということでもあると思う)は色々とあったようで、左はチェスに似たゲームをしている様子だし、右の写真はサッカーをしているところだとガイドさんは言う。
 でも、右の写真はもっと引いても実はどこにもボールが描かれていない。私はキックボクシングの様子じゃないかと思っているけれど、どうだろうか。

 ガイドさんが最後に案内してくれたのが、勝利の宴の準備をする様子を描いたレリーフである。
 お櫃っぽいものをいくつもお盆に載せて運んでいる人もいれば、今にも豚(だと思う)が釜ゆでにされそうになっている。
 大勝利というところなんだろう。

 こうしたレリーフの間に窓というか出入り口が切られていて、バイヨン寺院の白眉ともいえる顔達を仰ぎ見ることができる。
 あの有名な顔達がバイヨン寺院にあるということも知らなかったし、第三回廊にいらっしゃるということも知らなかったので、このアングルで見える顔達がえらく不思議に感じたことを覚えている。

20191231_101549 見学先の取捨選択というのはガイドさんの好みによるのか、得意不得意によるのか、旅行会社から細かく指示が入るのか、どれなんだろう。
 第二回廊にも、様々なレリーフが残っていただろうに、あっさり「宗教戦争のレリーフは削り取られてしまいました」の一言で全てなかったことになり、その中で何故かこのヨニだけは立ち止まって説明があった。
 それなのに、どんな説明があったか全く覚えていないところが我ながら哀しい。

 そんな訳で、第二回廊は「通過」し、明日から修復のために閉鎖されるという第三回廊に向かった。

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