2020.04.12

カンボジア旅行記の入口を作る

20191231_102313 ここは、2019年12月から年末年始にかけて行ってきたカンボジア旅行記への入口である。

 旅のメインは「アンコール遺跡」である。
 プレ・アンコール遺跡である、サンボー・プレイ・クックにも行っている。

 以下の日程の日付部分をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。

 1日目 2019年12月30日(月曜日) 出発 −> シェリムアップ

 2日目その1 2019年12月31日(火曜日)  シェリムアップ(アンコール・トム)

 2日目その2 2019年12月31日(火曜日) シェリムアップ(アンコール・トム)

 2日目その3 2019年12月31日(火曜日) シェリムアップ(オールドマーケット/タ・プローム)

 3日目その1 2020年1月1日(水曜日) シェリムアップ(アンコール・ワット)

 3日目その2 2020年1月1日(水曜日) シェリムアップ(アンコール・ワット)

 3日目その3 2020年1月1日(水曜日) シェリムアップ(バンテアン・スレイ)

 4日目その1 2020年1月2日(木曜日) シェリムアップ −> ベン・メリア

 4・5日目 2020年1月2日(木曜日)・30日(金曜日) −> サンボー・プレイ・クック −> プノンペン −> 帰国

 

 その国の旅を終えて 100の質問 (カンボジア編)

 持ち物リスト(カンボジア編)

 2019年12月「アンコール遺跡」の写真

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2020.04.06

カンボジア旅行記4・5日目

2020年1月2日(木曜日)

 13時半くらいに、サンボー・プレイ・クックに到着した。
 今回のツアーで最後に行ったこのサンボー・プレイ・クック遺跡は、カンボジアで3番目に登録された世界遺産であり、これまで見た中では最も古い7〜9世紀頃に当時の王朝の王都だった場所である。
 プレ・アンコール遺跡とも呼ばれ、アンコール遺跡群とは、そもそも王朝自体が異なる。

20200102_132400 サンボー・プレイ・クックの見学の対象は大きく3つのグループに分けられる。
 そのうちの一つプラサット・サンボー地区で最初に出会うのが、このプラサット・チュレイという建物だ。
 木の根が建物を締め付けんばかりになっている。かつて、遺跡の発掘・修復前には、多くの建造物がこんな状態だったそうだ。
 この木はそれほど太くはないけれど、樹齢200年くらいになるという。

 プラサット・チュレイの全景写真を撮ろうとして、見事にコケた。
 我ながら、冗談みたいな見事なコケっぷりだった。
 カメラとメモ帳を手にしていたのに、ちゃんと手を出せたので上半身のダメージは手のひらくらいだった代わり、膝やら脛やらから出血し、アザもこしらえた。
 2020年4月現在、このときの傷跡が足にまだ残っている。

 手のひらの傷やら足の傷やらを気にしつつ、見学に加わる。恥ずかしさが先に立ったせいか、痛みはほとんど感じないし、普通に歩けるのは有難い。

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 プラサット・タンボ地区の中心は、左の四角形の建物と、右の八角形の建物である。
 四角形の建物は入口の両脇にヴィシュヌ神とその妻であるラクシュミーが彫られている、と説明を受けたけれどよく分からなかった。
 この建物の中にはヨニが安置されている。

 一方、プラサット・タンボ地区には、八角形の建物 がいくつかある。クメール建築でこの「八角形」という形はまだここでしか発見されていないという。珍しい建築様式なのだ。
 中に入って見上げると建物が八角形であることがよく分かる。
 どうして屋根が抜けているのか、理由はよく分からなかった。

 20200102_133945 この八角形の建物の内の一つの外壁に「空飛ぶ宮殿」が彫られているというのだけれど、どの辺りが空を飛んでいるところを表しているのか、今ひとつよく分からない。
 建物というか、窓から外を覗いている人たちを表しているように見える。

 ただこの窓の下には、窓を支えるようにして並んで飛んでいる(ように見える)グリフォン達が並んでいる。
 グリフォンは、ヒンドゥ教の神話というよりは、西洋の架空の生き物だと思う。上半身は鷲、下半身はライオンという組み合わせからして、何となく西洋的だ。

20200102_135203 次のプラサット・タオ地区に向かう途中、聖なる池の横を通った。
 今は乾期なのでほとんど水は残っていない。
 王様の沐浴用として使われていたらしい。
 そのまま「他の木は全て伐採されてしまった」という樹齢の大きい木の横を過ぎて(ガイドさん曰く、お金になるので売り払われてしまったそうだ)、プラサット・タオ地区唯一の見どころと言っていいだろう建物に到着した。

20200102_14001820200102_135835 この建物は仏教寺院で、入口の両脇にタオ(ライオン)が狛犬のように並んでいる。
 ライオンのたてがみがくるくるとしていて、お尻が大きくて、百獣の王というよりは、やはり狛犬とかシーサーといった感じの愛嬌を感じる。
 このライオン像は、現在、カンボジアで確認されている最古のライオンの像だという。

 プラサット・タオはこのライオン寺院だけでさらっと通り過ぎ、プラサット・イェイ・ポアン地区に向かった。
 ここも八角形の建物が多い。

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 レンガで作られた壁に、丸い枠のある彫刻が彫られていた。
 ガイドさんは、左はラーマーヤナに出てくるシータ姫の像、右側は誰かがライオンと戦っている様子だと説明してくれた。
 ガイドブックを見ると、右側の丸の中で誰かがライオンと戦っているというのは共通理解のようだけれど、それが何を表しているのかということについては、まだ決着が付いていないらしい。
 私にはそもそもどこにライオンがいるのかも分からなかった。

20200102_143249 プラサット・イェイ・ポアン地区にある四角い建物の一つは、ヒンドゥ寺院だった。
 真ん中にヨニが安置され、このヨニを通って右側の蛇口のようなところから流れ出てくる水は傷を治すとされているそうだ。
 世界遺産遺跡であるのと同時に、ここはカンボジアの人たちの信仰の場所でもあるのだなと思う。
 実際、あちこちの建物の中にお供えが備えられていた。
 三つの寺院地区を回り、サンボー・プレイ・クックの見学を終えたのは14時40分くらいだった。

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 あとは一路プノンペンに向かい、夕食をいただき、プノンペン空港から帰路につくのみである。
 寂しいなどと思う間もなく、爆睡する。
 途中、にょきにょきときのこの山のような木が点在している畑と、川面に映る夕日を見られたのはラッキーだった。
 17時くらいにお手洗い休憩を取った後、バスは18時半くらいに、プノンペンのソカ・プノンペン・ホテル&レジデンスに到着した。
 メコン川とトンレサップ川の間の半島に立つ大型ホテルである。

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 夕食はコースになっていて、いきなり都会に戻って来た感じである。
 前菜:ポークリエット
 スープ:オニオングラタンスープ
 メイン:スズキのムニエル
 デザート:チョコレートムース

 これなら白ワインでもいただきたいところだけれど、飲んだら立ち上がれなくなりそうで、大人しくライムジュースを頼んだ。
 ココナツジュースを頼んだお嬢さんのところに、ココナツの実に切れ目を入れてストローを差したものが供されて、それがなかなか美味しそうかつインパクトがあった。

20200102_192923 プノンペンも渋滞が激しいそうで、ガイドさんは「橋が渡れないかも」と心配していた。
 19時半過ぎにホテルを出発し、このホテルが市内のどの辺りに位置するかよく分からないけれども、「地球の歩き方」には空港から市内までタクシーで30分くらいと書いてあるところ、空港に到着したのは21時近かった。
 やはり、相当、渋滞が激しかったようだ。

 ガイドさんとは空港の入口でお別れである。
 各自荷物整理を行い、21時にチェックインカウンターに並んだ。
 出国審査、セキュリティチェックも含め、それほど混雑していなかったと思う。
 免税品店でココ・クメールのリップスティックを購入した後、プライオリティパスを活用してラウンジに入った。

 汗だくになった服を着替え、改めて、サンボー・プレイ・クックでコケたときの傷をチェックする。
 手のひらの傷はもちろん、左足の膝はすでに赤黒く変色しているし、その他、あちこち擦り傷を作っている。ほとんど、幼稚園児(しかも乱暴者の男の子)のようだ。
 傷口を洗ったり、薬を塗ったり、バンドエイドや傷パワーパッドを貼ったりしていたらあっという間に時間が経ち、22時近くになってしまった。
 ボーディングタイムまで20分ではマッサージにチャレンジするのも難しい。諦めて、アイスティを飲みながらメモを書いたり、写真を整理したりして過ごした。

 プノンペン22時50分発ANA818便は、定刻通りに出発した。
 Exitシートの通路側、お隣は空席である。
 飛行機の照明はかなりよく出来ているけれど、それでもお隣の人が寝入っている隣で灯りを点けるのは躊躇する。飛行機で眠れた試しがないので、周りが寝入っているときに気兼ねなく映画を見たり本を読めるのは有難い。

 4日目の歩数 11398歩

*****ここから日本時間で表記*****

2020年1月3日(金曜日)

20200103_023109  4時半頃、機内食が出た。
 パンに卵料理、サラダとフルーツ、ヨーグルトといういかにもという感じの朝食メニューである。
 これにコーヒーをもらったと思う。

 何を見たか忘れてしまったけれど映画を2本見て、全く眠れなかったけれど退屈することはなく、定刻どおり成田空港に6時40分に到着した。
 ツアーは流れ解散である。
 家に電話したら妹一家が1月1日から泊まりに来ていて、今日、帰ると言う。お土産を取り出したキャリーケースを空港宅配に預け、8時前の電車に乗って、帰宅の途についた。

 5日目の歩数 3072歩

カンボジア旅行記4日目その1 <-

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2020.04.05

カンボジア旅行記4日目その1

2020年1月2日(木曜日)

 やはり旅先では上手く眠れず、2時間ずつ2回という感じの睡眠だった。
 4時半に起き出して、荷造りを始める。相変わらず手際が悪くて6時くらいまでかかる。
 今日は、一旦ホテルに戻るということはないので、500mlのペットボトルに麦茶を造、水筒にはコーン茶を入れて持って行くことにした。

20200102_061138 6時になったので、レストランに朝食を食べに行く。
 3回目の朝ごはんで、ガイドさんがお勧めした3種類の麺のうち三つ目に当たるライスヌードルの太麺というか平打ち麺のような麺を食べることができた。
 コンプリートである。
 食べ比べの結果、3種類の中では、初日のライスヌードルの細麺が一番好きだった。

 部屋に戻って荷造りの仕上げ等々をし、忘れ物がないかチェックして、7時15分に部屋を出てチェックアウトした。
 ロビーにガイドさんが一人でいたので、ガラ・ディナーでもらったランチチケットを進呈する。
 聞くと、ガイドさんのお誕生日は昨日だったのだそうで、「そうしたら1日遅れの誕生日プレゼントね」と笑った。

20200102_090559 バスに乗り込み、出発である。
 昨日、昼食をいただいた日本食レストランの竹園でお昼のお弁当を受け取った後、ベン・メリアに向かう。
 私はどうやら出発と同時に爆睡に入ったらしい。
 ガイドさんが、今日の道のり沿いの景色がカンボジアで一番好きだと言っていたのに、何だか申し訳ない気もするが、眠気には勝てない。
 バスの長距離移動の日は、ガイドさんから見えにくい死角の席に座るのがポイントだと思う。

 遺跡のお手洗いは水が流れないそうで、9時頃、遺跡の手前にあるレストランでトイレ休憩になった。
 バスの空調はオンかオフかしか選べず、車内がかなり冷えていた。フリースを膝掛け代わりにしていたくらいだ。外に出ると解凍されるような気がする。

 9時15分くらいからベン・メリアの見学開始である。
 ベン・メリアは世界遺産ではない。そのためかどうか、最近まで、アンコールパスは使えずに別料金の扱いになっていたそうだ。今はアンコールパスで見学することができる。
 また、世界遺産ではないため、整備が進んでいない(というよりも主要部分は崩壊している)ので足場が悪い。
 しかし、フランス映画撮影の際に足場を組んでいて、遺跡中央部はその足場に沿って歩きながらの見学になる。

 ベン・メリアは「花束の池」という意味だそうだ
 そして、アンコール・ワットと構造が似ていて、建立も僅かに早いくらいと考えられており、「東のアンコール・ワット」と呼ばれたり、アンコール・ワットのモデルになったとも言われている。

20200102_092251 遺跡中央部に向かう参道の手前に、2003年にドイツの協力で地雷撤去を始め、現在も処理が続いている旨の看板が立っていた。
 遺跡の見学ができるようになったのは、21世紀に入ってからだ。
 入口近くには、ドイツの協力で周辺の地雷を撤去したという看板が立っていた。

 参道の途中のテラスには、綺麗に残っているオリジナルのナーガがいる。
 参道の入口にあるナーガが崩壊しつつあって模様なども見えなくなっているのに比べると、ほぼ完璧な姿だ。
 頭も五つあるし、顔をアップにするとその完璧さがよく分かる。

20200102_0929493 第三回廊も崩れていて、崩れた石の間から木が生えてきている。
 タ・プロームは支えが入ったり人の手が入って現状維持をしようという意思が見えるのに対し、こちらは自然に任せようという風に感じられる。
 どちらも映画撮影を行っていたり、見学用の木道ができていたり、木々に侵食されていたりといった共通点があって、それなのに受ける印象が真逆というのが不思議だ。
 タ・プロームの木道が平面に設置されていたのに対し、ベン・メリアでは立体的に配置されていて、俯瞰して見下ろすような視点を持てる。

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 また、ベン・メリアはアンコール・ワットに比べて少し小さいからなのか、練習台だから装飾は簡便にしようという方針だったからか、そのような事情とは全く関係ないのか、窓の連子の数がベン・メリアは5本、アンコール・ワットは7本になっている。
 窓の左側の破風の中にはインドラ神が(多分)象に乗った姿で彫られている。
 また、乳海攪拌のレリーフが彫られた石が崩れ落ちていた。大体横1.2mくらいの長さで、アンコール・ワットのものとは大きさも精緻さも全く異なる。

20200102_09411620200102_094024 最後に、何故か真っ暗な通路を抜けて、第3回廊の外に出た。
 この光が差し込まない通路は、何のために作られてどうやって使われていたのか、分かっていないそうだ。
 お寺だし、善光寺の胎内巡りみたいなものかしらね、と思う。明るいところから急に暗いところに入ったので目が慣れず、思わず壁に触りながら歩いてしまったので余計にそう思うのかも知れない。

20200102_094424 第三回廊の外周に沿って戻る途中、西門から伸びる空中回廊があった。
 パプーオンのときよりは若干控えめに、ガイドさんが「写真、写真」と言う。
 のぞき込んで見たところ、パプーオンのように「遙か先まで回廊が続く」という感じには見えない。

20200102_095834220200102_0953102 第三回廊を外から見ると、来たときに見てきたよりもはっきりと木に侵食されている様子が分かった。
 結構な大木になっていて、この木が侵食している感じと、木道で上から眺める感じから、「天空の城ラピュタのモデル」という噂が生まれたんだろうなと思う。

 第三回廊の外周には、素朴ながら美人のデバターが綺麗に残っていたりして、もっとじっくり見たらあちこちにレリーフが残っていた筈で、遺跡見学を楽しむには下調べや知識が不可欠だわと改めて思った。

 10時くらいに見学を終え、バスに戻った。
 来るときに寄ったレストランに寄ってトイレ休憩を取り、次の遺跡に向かう。
 お昼ご飯は12時過ぎと言われていて、余りにもお腹が空いたので、持参していたマクロビクッキーをおやつに食べた。

20200102_121903 ガイドさんが「レストランの席が空いていたらそこを借りてお弁当を食べます。空いていなかったらバス車内で食べます」と言っていたところ、12時過ぎに到着したレストランは結構な混雑ぶりだった。
 レストランではお手洗いだけ借りて、配られたおにぎり弁当をバス車内でいただく。デザートのバナナ、冷えた水とおしぼりを配ってもらったのが嬉しい。
 おにぎりのごはんの炊き加減もちょうど良くて、美味しいお弁当だった。完食する。

 お昼を食べてお腹も落ち着いたところで、バスは、最後の見学先であるサンボープレイクックに向けて出発した。

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2020.04.04

カンボジア旅行記3日目その3

2020年1月1日(水曜日)

20200101_161337 14時50分にロビーに再集合して出発し、バンテアン・スレイに到着したのは16時くらいだった。
 何というか、すでに日が傾き始めている感じである代わり、それほど人出は多くない。
 バンテアン・スレイとは「女の砦」という意味だそうだ。

 概ね100m四方くらいの大きさの遺跡で、他と比べると明らかに赤い。レンガ色の、パッと見、温かい感じのする遺跡である。
 このピンクの砂岩は遠くタイとの国境から運ばれてきており、その運搬の大変さ故にバンテアン・スレイは小さくなっている。
 それほど大変なのに運んできたのは、この砂岩が彫りにくいけれども壊れにくいという性質を持っているからだ。

 また、中央祠堂までの参道そのものも赤い石で舗装され、その両脇にはキッパリとリンガが建っている。
 「女の砦にリンガの列」という組み合わせにどことなく凄みを感じる。
 中央祠堂に到達する前にも、様々なレリーフを目にすることができ、見ることができ、ちょっとした柱に深く(推定)ガルーダ刻まれたりしていて、それが何とも格好よい。

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 左の破風には、水牛の上に男女が乗る様子が彫られている。女性の顔が欠けてしまっているところが惜しい。
 誰かが嫉妬して削っちゃったのかしらと思ったのは、これが結婚式の様子を描いていると聞いたからだ。
 また、アンコール遺跡に来て(落書き以外で)見るのは初めての文字は、柱に刻まれており、今書いている文字は15世紀くらいから使い始めたというから、その500年以上前の文字ということになる。

20200101_162214 中央祠堂は本当に小さい。一目で見渡せるくらいだ。
 こちらにも破風があり、様々な彫刻を目にすることができる。
 こんなにくっきり刻まれた象は初めて見たような気がする。象の聖水でラクシュミー(女神)が身を清めている様子が描かれているそうだ。

20200101_162459 中央祠堂の正面入口の門の上に飾られている破風には、カーラ(要するにアムリタを飲んだ阿修羅がヴィシュヌ神によって首を刎ねられたときの「首」)の上に乗ったヴィシュヌ神が彫られている。
 カーラは入口を守る守護神としても崇められているらしい。
 この図柄は、カンボジアの50リエル札にも採用されているそうだから、かなり「評価の高い」ものなのだと思う。
 正直なところを言えば、他の破風との違いはよく分からなかった。

20200101_162709 面白い面白くないでいえば、間抜けな感じで一人踊っているシヴァ神の方が面白い。
 よく分からないけれど、シヴァ神は踊りによって世界を壊し、そして再生に導くそうだ。
 踊る必要があるんだろうか。
 足下の右側ではインディラ神が太鼓を叩き、左側にはシヴァ神の踊りによって美貌を「壊された」女性が嘆いているというよりカラオケで悦に入っている感じで彫られている。
 可笑しい。

 そして、バンテアン・スレイといえば「東洋のモナリザ」である。
 もちろん、真打ちは一番奥の中央祠堂にいらっしゃるので、小さい遺跡とはいえかなり勿体ぶった登場である。
 中央祠堂には3本の塔があり、左右の2本は女神の像で、真ん中の塔は男神の像で覆われている。
 モナリザのみなさまがいらっしゃるのは、左右の塔の周りということになる。

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 以前は、ここにいらっしゃるデバターのうち1体を「東洋のモナリザ」と称していたと記憶している。
 しかし、最近は、この中央祠堂にいらっしゃるデバターの女性像全部を総称して「東洋のモナリザ」と呼んでいるようだ。
 持参した双眼鏡を駆使し、じーっと見つめる。
 中央祠堂は立ち入りできないので、像の刻まれた辺りまで5mは離れていると思う。

 赤味の強い石に彫られていることもあり、「東洋のモナリザ」という名前にこちらの意識が引っ張られていることもあって、アンコール・ワットやバイヨン寺院にいたデバター達よりも優美に見えてくる。
 白鳥の上に乗っていることから、彼女たちは女神さまであることが分かる。

20200101_183450 バンテアン・スレイには閉門時間の17時ぎりぎりまで見学し、その後、ガイドさんいうところの「民芸品店」に向かった。
 到着したのは「カンボジア・ティータイム」で、そういえばオールドマーケットからは撤退していたようだ。ここで来られて嬉しい。
 ガイドさんが「コーヒーなら民芸品店で買えばいい」と言っていた謎がここに来てようやく解けた。

 お店の外では、カンボジアの伝統的なお菓子で、このお店の看板商品でもある「ノムトムムーン」を焼いていた。
 鉄の鍋というかフライパンというか板で挟んで薄く焼き、その焼いた直後に鉄の棒に巻き付けて成型している。
 それは熱くないんですか? 熱いですよね? 慣れたらできるんですか? と聞きたいが聞くこともできない。

 余りの衝撃にじーっと見つめていたら、よっぽどひもじそうに見えたのか、お姉さんが苦笑いして焼きたてを1本くれた。
 ちなみに、焼きたてはしなっとしていて、ノムトムムーンっぽくない。
 温度が冷えて乾いてパリッとしたところを食べる方が美味しいと思う。

 このノムトムムーンの他、カンボジア産のコーヒー豆や天日で干した塩、カシューナッツバターなどを購入した。
 他にも、もちろんクロマーやシルク製品、竹カゴ、石鹸、ラタナキリの布製品などが売られていて、ここでお土産を山ほど購入されていた方も多かったと思う。
 ちなみに、店内のお客さんのほとんどは日本人だった。確か、レジでは日本語も通じたと思う。
 ここから夕食のお店に向かう途中で、ガイドさんの会社で作っている生胡椒の注文受付があり、二袋をお願いした。

20200101_185220 本日の夕食はタイスキである。
 とは言うものの、タイスキを食べたことがなかったので、タイスキがどんな料理なのか未だによく分かっていない。
 ここで食べたタイスキは、練り物と野菜がたくさん入ったお鍋で、最後はお店の人がごはんを入れて雑炊を作ってくれた。
 デザートはバナナである。

 お嬢さんとご両親の3人でいらしていた家族に混ぜていただき、そうしたらこちらのお父さんがもの凄くマメな鍋奉行でいらして、全部お任せで私まで面倒を見ていただいてしまった。
 気が利かなくて申し訳ない。
 もちろん、アンコールビールとともにいただいた。

 この後、希望者はナイトマーケット散策のオプショナルツアーがあり、6人の参加者があった。
 少し迷ったものの、今日は朝も早かったし、お土産も十分だし、まぁいっか、ということで見送る。何人かの方から「行くのかと思ったわ〜」と言われたのはご愛敬である。
 夕食後、6名の方はこのままオプショナルツアーに出発するため別のバスに乗り込んで、残った我々は20時過ぎにホテルに戻った。

 明日は、ベンメリア、サンボープレイクックの見学後、プノンペンで夕食を食べ、そのままプノンペン空港から帰国という、バスに揺られている時間の長い1日である。
 そのため、スーツケース持参でチェックアウトしてから集合、バス車内用に羽織りものとホテルのスリッパを手荷物で、アンコールパス・パスポート・eチケットは忘れずに、可能であれば今夜のうちにWebチェックインをしておけばスムーズに手続きできる等々の案内があった。

20200101_222248 ホテルに戻り、ホテルのスパに行ってみようかとかなり迷ったけど、ホテルに「スパ押し」の気配がなかったのと、ビールが結構回っていたので、お部屋でゆっくりすることにした。
 湯船にゆっくり浸かって、洗濯をして、荷物を整理していたら、あれだけたくさんお鍋をいただいたのに小腹が空いてきて、22時半過ぎにアンコールクッキーと持参の紅茶でおやつをいただいた。

 おやつをいただきつつオンラインチェックインを試みたら、前日なのにExit Seatが2席も空いていた。謎である。
 何か忌避される理由があるのか? と疑いつつ、来たときの楽さ加減には勝てず、席を変更した。
 明日は7時半集合なので、荷造りの下手な私は5時には起床予定である。
 日差しの中を出歩いているって本当に体力を奪われる。23時にはベッドに入った。

 3日目の歩数 16608歩

 カンボジア旅行記3日目その2 <- -> カンボジア旅行記4日目その1

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2020.03.29

カンボジア旅行記3日目その2

2020年1月1日(水曜日)

20200101_102338 アンコール・ワットの十字回廊に残る江戸時代の日本人の落書きを見学した後は階段を上り、第二回廊に向かう。
 連子窓は、算盤の玉を繋いだような形の柱を並べた窓で、装飾としての役割と、光と風を通すという役割と、その両方を備えているクメール建築の特徴の一つである。

 この連子窓を通して差した光が床に模様を作る様子、という写真を撮りたいなぁと何となく思っていたけれど、何故かその機会に恵まれなかった。
 壁に映っている影を光も、なかなか格好いいと思う。

20200101_103158320200101_103546 何故か連子窓に注目したのみで第二回廊は通り過ぎた。
 そのまま、10時半くらいに、第三回廊への階段を上るための列に並ぶ。
 第三回廊は入場制限を行っているため、順番待ちの列ができる。
 この階段が急なためか、帽子は禁止されている。帽子をリュックにしまうついでにカメラも仕舞っておく。これは手すりに捕まらないと上れない角度だ。70度だという。

 10分弱並んで階段を慎重に上る。
 ガイドさんは上らないらしく、自由見学だ。戻りの時刻を指定しなくていいのかと思う。
 アンコール・ワットの第3回廊中央祠堂の高さは65mで、シェリムアップではこれより高い建物は建ててはいけないことになっているそうだ。

 20200101_103740東方向は、ほぼ密林である。
 第二回廊、第一回廊のすぐ外まで木々が迫っていて、その先もずーっと木々が続いている。
 アンコール王朝の時代もこの景色だったのか、それとも家々が立ち並んでいたのか、どうなんだろうと思う。
 そして、アンコール・ワットは上から見ても迷路みたいだと思う。

20200101_10532320200101_104137 第三回廊にはデバターがたくさん残っていて、かつ凝った彫刻が施されている。
 窓の外、ぐっと回り込まなければ見えないようなところにもデバターがあって、多分、私が気がつかなかった綺麗なデバターが他にもたくさんあったんだろうなと思うとちょっと悔しい。
 何故、見落としているかというと、デバター達よりも、第3回廊から見える景色の方に気が行っていたからだ。

 西方向を見ると、西塔門から歩いて来た参道やその向こうまで見渡すことができる。
 逆光になるんじゃないかと思うのに、遠くには気球が上がりつつある様子も見える。
 例えばここに人々が集っていたら、相当「神」の気持ちになれたんじゃないかしらと思う。

20200101_105458 中央祠堂には、仏像が安置されていて、カンボジアの方が熱心にお参りしている様子が見えたので、何となく近寄りがたい。
 中央祠堂が建つ中庭のようなところにもほとんど入らなかったし、中央祠堂へ続く回廊に足を踏み入れもしなかった。
 中央祠堂には美人かつ保存状態の良いデバターが数多くあるそうなので、そうと知った今となってはちょっと残念である。
 やはり、ツアー旅行であっても下調べは重要だ。

 その代わり何をしていたかというと、第3回廊では、遠くと上を見上げてばかりいたた。
 それだけでもあっという間に時間が経ってしまい、ツアーメンバーの中で第3回廊から降りるのが最後になってしまった。
 お待たせして申し訳ない。
 そして、第3回廊から降りた後は、先ほど素通りした第2回廊に戻り、レリーフの見学を続けた。

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 第2回廊南面の一番東側は、レリーフが三層に分かれている。
 一番上が天国、真ん中が現在(現世?)、一番下が地獄である。
 何故かその隣では地獄がクローズアップされ、水牛にまたがり16本の剣を後光のように背負った閻魔様(冥界の王のヤーマ)が審判を行っているレリーフが現れる。
 その次に最後の「仕分け」が待っていて、顔が欠けてしまっている剣を持った誰かに指図され、本格的に地獄に落ちたり逆さづりにされたりしている人々が描かれている。

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 東面には、乳海攪拌が描かれている。
 「乳海攪拌」は、ガイドさんによると、「神と悪魔が協力し、蛇で(何かを)かき回すことによって不老不死の薬である「アムリタ」を得る」というお話であるらしい。
 真ん中にいる大亀に乗ったヴィシュヌ神の采配に従って左右から綱引きのように蛇を引っ張り合うことで、「攪拌」され、1000年かけてついには「アムリタ」ができあがったという。

 この綱引きの様子が40mにわたってレリーフに彫られている。
 左から引っ張っているのが悪魔チーム、右から引っ張っているのが神様チームである。
 そして、神様チームの最後方で力を振るっているのが、マハーバーラタでラーマ王子に協力したお猿の将軍であるハヌマーンだというところがややこしい。
 私の勝手な想像では、アンオール王朝の方々は多分このハヌマーンというキャラが好きで、ここに特別出演させてあげたのではないかと思う。

20200101_112150 アンコール・ワットの見学はこれで終了となり、3時間たっぷり見学してもやはり全然見切れていないということがよく分かる。
 しかし、そろそろ体力の限界でもある。
 そのままアンコール・ワットの東側に抜けると、裏側にはほとんど人がいなかった。静かなものである。

20200101_1129215 真東からだと中央祠堂と2本の尖塔しか見ることができなかったけれど、そのまま南側に回ると、オリジナルのナーガとともに中央祠堂と尖塔4本の5つとも見える角度があった。
 お化け煙突ではないけれど、色々と計算され尽くされた建築物なのだなぁと思う。

 バスに戻ったのが12時ちょうどくらいで、昼食の前に、昨日行きそびれてしまったアンコールクッキーに立ち寄ると説明があった。
 何というか、小綺麗かつ小洒落た感じの建物で、我々のようなツアー客でごった返している。凄い。
 定番かつお約束かしらと思い、アンコール・ワットの形を模したアンコールクッキーを購入した。
 この後すぐランチでなければ、アンコールクッキーが経営するカフェでマンゴースムージーを飲みたかった。それがちょっと残念である。

20200101_131350 25分一本勝負のお買い物タイムの後は、ソカ・アンコール・リゾートの中にある竹園という日本食レストランでランチである。
 畳のお部屋の個室に靴のまま入って良いと言われて、ツアーメンバー一同、相当にためらった。かなりの抵抗を感じる。

 お部屋は掘りごたつ式になっていて、足が楽なのが嬉しい。
 アンコール・ビールの生(4ドル)があると言われてそちらを頼み、最初に出てきたサラダと一緒に早速飲み始める。
 どんな鯖の味噌煮なんだろうと思っていたら、かなりちゃんとした和食、ちゃんとした鯖の味噌煮だ。
 海外で日本食をいただくこと自体あまりないとはいえ、海外で日本食をいただいて「美味しい」と思ったのは多分初めてだ。

 竹園を出発したのが13時45分くらいで、ホテルに戻り、次の観光への出発のため14時50分ロビー集合と案内があった。
 約1時間の休憩である。
 気分的には、昨日の20分休憩よりも忙しい。
 着替えて、メールチェックして、水筒の用意をして、午後の観光のために双眼鏡を荷物から出したらあっという間に時間になってしまった。
 着ていたタンクトップには今日も塩が吹いていた。

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2020.03.28

カンボジア旅行記3日目その1

2020年1月1日(水曜日)

 新年である。
 初日の出を見に行くため、4時15分に起床した。35分にモーニングコールも来た。
 冷房を26度で付けっぱなしにして寝たら、少しばかり暑くて寝苦しかった。冷房のお陰で洗濯物はほぼ乾いている。
 5時20分にロビーに集合してみると、初日の出の参加者はツアーメンバーの半分というところのようだ。

20200101_060321 アンコール・ワット前の池に到着したのは6時前だったと思う。
 ガイドさんに「6時20分に集合」と言われ、まずは朝焼けをバックにした逆さアンコール・ワットの撮影を狙いに行く。
 この写真だと少し分かりにくいけれど、池の端に沿ってたくさんの人がアンコール・ワットの写真を撮るべくカメラやスマホを構えている。

20200101_061429-2 最初のうちは紺が勝っていた空の色が、段々、紫になり、そしてあかね色が広がって行く。
 風がなく、池の水面が静かなので、アンコール・ワットや木々の姿がばっちり映って鏡に映したようだ。
 見とれつつ、何回もシャッターを切る。
 暗いのでブレてしまった写真が多くて、なかなか上手く撮ることができず、却って夢中になってしまった。

 危うく集合時間に遅れそうになりつつ何とか間に合い、6時20分に再集合し、ガイドさんに案内されて今度は「初日の出の撮影ポイント」に向かった。
 向かうべく振り向くと、遠くに気球が上がっているのが見える。
 気球から見る初日の出というのも乙だろうなぁと思う。

 また思い思いの場所に陣取り、初日の出の撮影大会である。
 流石に「雲一つない」とまでは行かないものの、綺麗な2020年の初日の出を拝むことができた。
 そこそこ長い人生で初日の出を拝んだことはこれまで2〜3回しかなかったと思う。貴重な機会と言えよう。見ることができて良かった。

20200101_072725 朝日が昇りきったところでバスに戻り、ホテルに到着したのが7時20分くらいだった。
 そのままレストランに行き、朝食をいただく。
 今日は玉子麺っぽい黄色の麺があったので、そちらをいただく。
 この後で、バナナケーキとランブータン、モンキーバナナと紅茶をいただいた。我ながら、相変わらずたっぷりの朝食である。

 部屋に戻って初日の出の写真付き年賀メールを家族に送り、改めてのアンコール・ワット見学のために再び8時20分にロビーに集合した。
 小学校高学年か中学生くらいの男の子とご両親の家族3人でいらしていたご一家は、昨日、一旦お部屋に戻った後、12時少し前にガラディナーの会場に戻り、カウントダウンをして花火をご覧になったそうだ。
 タフだ。
 年が明けるのと同時に上がる筈の花火が数十秒遅れたのはご愛敬だと笑っていらした。

20200101_08575920200101_090204

 9時くらいにアンコール・ワットに続く西参道前に到着した。
 西参道は、現在、上智大学を中心としたチームによって修復中で、渡ることはできない。ちょっと残念である。
 池で咲く睡蓮を見ながら進み、右側の写真の右側に見える浮橋を渡るようになっている。
 この浮橋が結構、揺れる。
 真っ直ぐ歩けないくらいに揺れる。不安定である。

 その不安定な橋を大量の人が渡っているところを、チケットをチェックする係の人たちは次々とアンコール・パスを確認して行く。
 あれだけの人がいたら見逃されている人もいそうな気がしつつ、人数もたくさん投入されていたし、意外と厳格だなとも思う。
 そういえば、タンクトップ姿の女性にガイドさんも注意をしていたし、警備員さん(なのだと思う)も服装を注意していた。これだけたくさんの人がいる中、きちんとそういう対応をするということは、カンボジアの人にとってアンコール・ワットは正しくお寺なのだなと思う。

20200101_090815 仮の浮橋を渡り、普段カンボジアの人たちが使っているという門から西塔門に入る。
 真ん中にある入口は王様用、そのすぐ両脇にあるのは臣下用、一番端っこにあるのは象用なのだそうだ。
 象用って何だよと思う。

 アンコール・ワットは、スールヤヴァルマン2世が建立したヒンドゥー教寺院で、アンコール・トムのおよそ100年後になる。
 その頃は「神=王」という時代だったため、あの有名な中央祠堂は「世界の中央にそびえ神々が住む須弥山」を表していて、ヴィシュヌ神が降臨して王と一体となる儀式が行われる場所でもあったそうだ。

 とりあえず、お寺である。
 東向きに建てられるお寺がほとんどの中、アンコール・ワットが西向きである理由はまだよく分かっていないらしい
 アンコール・ワットの入口である西塔門には、かの有名な笑うデバター様もいらっしゃる。
 何というか、割と地味目というか、回り込んでぐっと振り向かないとお目にかかれない場所にあったように思う。

20200101_092227 西塔門を抜けた後も、あの「アンコール・ワット」と言われてイメージする建物までは結構遠い。
 350mの参道が伸びている。
 参道の途中にある出っ張りはテラスで、王様が通るときには楽団が演奏した場所らしい。
 参道の向こうに見える建物は経蔵らしい。

 アンコール・ワットの見学に入る前に、北側(向かって右側)の池の前に集合し、ツアーに含まれている記念写真撮影となった。
 ちょうど我々が写真撮影を行っている頃は水面が静かで、逆さに映るアンコールワットをくっきりはっきり見ることが出来たし、一緒に写真を撮ることができた。
 ちょっと風が吹けば水面は揺れてしまうので、ラッキーである。
 ガイドさんは「このツアーのスケジュールを見たときに、どうしてアンコール・ワットに午前中に行くのかと思った」と言っていたけれど、その御利益はここにもあったと言えよう。

 10時頃、アンコール・ワットの第一回廊には西北の角から入った。
 ちょうど人の波が切れたのか、西北の角から入る人が少ないのか、人のいない回廊を見ることができた。
 なるほど、ここに光の入った様子も見てみたかったと思う。

20200101_100008 そのまま西回廊を進み、ラーマーヤナのレリーフを見学する。
 とは言うものの、正直なところ、ラーマーヤナの物語なんて知らない。
 大雑把に言うと、悪の大魔王ラーヴァナにシータ姫をさらわれてしまったヴィシュヌ神(の化身であるラーマ王子)が、シータ姫を取り戻すべくお猿の将軍と軍隊を借りて戦うという物語らしい。
 何というか、おとぎ話っぽいお話である。

 写真にすると今ひとつはっきりしないけれど、この右側のレリーフは、ガルーダに乗ったヴィシュヌ神である。
 ガイドさんによると、ガルーダのレリーフが綺麗に残っているのは珍しいらしい。
 頭とくちばしと翼と爪は鷲で、胴体は人間というガルーダは、神様の乗り物の扱いだから仕方がないと言えば仕方がない。

20200101_100213 戦闘シーンのレリーフは綺麗な浮き彫りで残っている。
 ラーマ王子の軍とラーヴァナの軍とでは、兵士の帽子の形が違っているという話だったけれど、どっちがどっちの帽子だったか忘れてしまった。
 全く以て情けない。

 ハヌマーンに乗ったラーマ王子のレリーフも綺麗に残っている。
 さっきはガルーダに乗っていたラーマ王子は今度はハヌマーンという軍隊を貸してくれたお猿の将軍に乗っている。
 割と態度がでかい。
 将軍の背に乗っていることで、この人物が最高の地位を持つことが分かるそうだ。
 このお猿はシヴァ神の化身だとガイドさんが言っていたし、もはや化身だらけでよく分からない。

20200101_100440 この千手観音みたいな(というのも不遜なのかも知れないが)お方が、シータ姫を攫った大魔王ラーヴァナである。
 正直なところ、本当に千手観音像のようで、説明してもらわなかったら悪役だとは判断できなかったと思う。顔も特に怖いわけではなく、角が生えているということもない。

20200101_100518 このレリーフなど、どう見ても猿の将軍が相手方の誰かの乗った馬に噛みついているようにしか見えない。
 この辺りになると、ガイドさんの説明も、「シータ姫を攫ったのは阿修羅だ」に変わっていて、ますます混乱する。
 どうして「悪の大魔王」が阿修羅になるのか、私の頭の中は混乱の極みである。

20200101_10075220200101_100737 ところが、特に説明もないままガイドさんは西面南側に進まずに第2回廊に向けて折れて十字回廊に入った。
 そこにかなり手の込んだ彫刻が施されたデバターがいて、ガイドさんはそれを我々に見せたかったらしい。
 デバターの頭の飾りは、女神様の場合は一つ、アプサラ(天女)の場合は三つあるという。
 何だか逆っぽい気もする。

 このデバターのスカート部分のアップが右側の写真で、確かに細かい。
 砂岩というのは加工しやすい岩なんだろうか。
 人が触れたところは黒光りしたりしているから、色が変わっていないこのスカート部分は、きっと怖くて触れなかったんだろうなぁと思ったりした。

20200101_10103320200101_101431 どこにあったのか既に定かではないけれど、十字回廊のど真ん中に行く前にガイドさんに小部屋に案内された。
 そこは端に立って胸を叩くと音が反響するという。
 その反響音は、悪いモノが落ちた音だとガイドさんは言う。
 私もやってみたけれど、特に反響音はしなかったような気がする。落ちるべき悪いモノがないからだ、ということにしておこう。

 また、十字回廊のど真ん中、天井を見上げてちょうど十字に見える場所は、ガイドさん曰く「パワースポット」である。
 今ひとつ意味が分からなくて私はやらなかったけれど、ガイドさんの先導で、ちょうどこの十字の真下にスマホを置き、上から何人かでのぞき込み、十字と自分たちとが写るようにして写真を撮っていた。
 我ながら、ノリの悪いツアーメンバーである。

20200101_101741-2 十字回廊の南側の柱の一つに、江戸時代の日本人が残した落書きがある。
 森本右近太夫という人が、母の菩提を弔うために仏像四体を持参し、奉納したと自身で書いたものらしい。
 鎖国していた江戸時代にそんな個人的な理由でよくもカンボジアまでやってきたものだと思う。いや、でも、山田長政も同じくらいの時代の人の筈だし、東南アジアに日本人が行くことは普通だったのか?
 よく分からない。

 ガイドさん曰く、森本右近太夫がカンボジアで美味しい麺類を食べ、しかしその名前を忘れてしまったため、その時代にカンボジアの都があった「ウドン」という町の名をそのまま麺類の名前として日本に持ち帰った、らしい。
 これが日本のうどんの始まり、と言う。
 本当なのか。
 真偽は不明である。

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2020.03.22

カンボジア旅行記2日目その3

2019年12月31日(火曜日)

 アンコール・トムの見学を終えて、我々が泊まっているホテルの隣にあるホテルで昼食である。
 今一つ自信がないけれど、そこはソクハレイ アンコール レジデンス アンド スパだったと思う。
 13時半過ぎ、エントランスを入り、一番奥にツアー御用達風のお部屋があって、その半分のスペースでは日本からの別のツアーの方々が食事をされていた。

20191231_134949 本日の昼食は飲茶である。
 ビールを飲みたいところだけれど、この後、ホテルで少し休憩した後にはオールドマーケットやタ・プロームが待っている。
 ここでアルコールを飲んだら絶対に寝ちゃうに違いないと思い、ライムジュース(3ドル)を頼んだ。
 フレッシュジュースだったのが嬉しい。
 一緒に運ばれてきたガムシロップは入れずにごくごく飲む。
 体が水分とビタミンCを欲していたようだ。

 飲茶の昼食は、まずスープが出てきて、その後点心各種(七つくらい出てきたと思う)、焼きそば、デザートというコースだった。
 お茶が出てくるのも有難い。
 ガイドさんが後で「このツアーはごはんが美味しい」と言っていたとおり、点心もなかなか美味しくて、ぱくぱくといただいた。

20191231_13584420191231_142414  

 ガイドさんは、時間も押しているし、今日は大晦日で道の渋滞もこれからひどくなる一方だし、このまま次の観光に直行したかったようだけれど、旅程に「ホテルで休憩」と書いてある以上、添乗員さんとしてはそこをカットする訳にはいかない。
 14時40分くらいにホテルに着いて、「15時にロビーに集合してください」と言われた。
 とにかく部屋に戻り、シャワーシートで汗を拭いて着替える。シャツが塩を吹いたようになっていてびっくりだ。冷たいお水を水筒に補充し、慌てて部屋を出たらカードキーを抜くのを忘れて閉め出された。ショックである。

 すでに渋滞が始まっている道を走るバスの中で、ガイドさんのショッピング案内があり、現地旅行社からプレゼントのクロマーが配られ、ガイドさんから「うちの会社の商品なの」と生胡椒が猛烈プッシュされた。
 オールドマーケットに到着したのは15時45分くらいだ。
 川に面した長編部分を全員で歩いて何故かクル・クメールの場所だけ教えてもらい、「30分後に集合!」と解散になった。
 30分1本勝負のショッピングタイムである。

20200105_123922 オールドマーケットは思っていたよりも小さくて、簡単に1周できてしまう。
 ガイドブックで見て行こうと思っていたお店(クマエユーンとかアンコール・ティータイムとか)が軒並み見当たらず、??? と思いながら行き当たったセントゥール・ダンコールに入る。
 リップスティックがないのは残念! と思いつつ、バスソルトやレモングラスのアロマオイル、アンコールバーム(タイガーバームのシェ医務アップ版みたいなもの)などをどさっと70ドル分くらいも買い込んだ。
 バナナの皮を編んだボックスに入れて貰えたのが嬉しい。

20200105_123132 集合場所に戻る途中、折角なのでオールドマーケットの中を通った。
 屋根があって、小さいお店がひしめいている感じだ。
 日本語のポップに釣られてクロマーを見ていたら、欲しいと思っていた茶系の大判のクロマーがあった。

 お店のお姉さんは最初「8ドル」と言い、「高い!」と返したら「じゃあ、いくらなら買うの?」と言う。
 3ドルと行ってみたら、「5ドルまで」と言われ、間を取って4ドルで決着した。
 決着したところで、もう1枚欲しくなってしまい、「もう1枚買うから7ドルにして!」と交渉し、お姉さんに渋々OKしてもらった。
 ごめん、作戦じゃないの、優柔不断なだけなの、と心の中で謝る。

 集合してみると、もの凄くたくさんお買い物した人と、ほとんどお買い物していない人と、ビールをたくさん買い込んでいる人の3パターンに綺麗に分かれた。
 私は「たくさんお買い物した人」に入りそうだ。
 大荷物の人もそうでない人もバスに乗り込み、タ・プロームに向かった。

20191231_171151 途中で小型バスに乗り換え、タ・プロームに到着したのは17時を過ぎていた。
 17時30分閉門なので、ここでも30分1本勝負である。
 タ・プロームは、ジャヤヴァルマン7世が母親のために建てた仏教寺院で、しかし後の時代にヒンドゥー教寺院に改修され、仏教に関するレリーフはそのときに削られてしまったそうだ。
 とは言っても、むしろ映画「トゥームレイダー」のロケが行われた場所として有名らしい。

 ガイドさんも、時間制限があったためか、遺跡やレリーフの説明はほとんどなくて、ひたすら写真撮影ツアーに徹していた。
 そういう意味では、閉門間際のこの時間帯は人も少なく、ある意味ラッキーだったのかも知れない。
 逆に言うと、「写真待ち」の時間が結構あったので、下調べをちゃんとしておいたら自分でも見学できたのになぁと反省した。

 東門に絡みつくガジュマルは、中でも最も有名な場所であり、最もフォトジェニックな場所であり、最も人気の場所だろうと思う。
 あまりにも写真撮影ツアーに徹されてしまったので、逆にあまり自分が撮ってもらおうという気にならなかった。今から思うと、ちょっと残念な気もする。

20191231_171849 絡みつくガジュマルはもちろん遺跡に配慮などしないから、どんどん侵食しつつあり、ところどころ、こんな感じで遺跡に支えが入っている。
 あちこちで足場が組まれ、修復も行われているようだ。
 どこまで壊してどこまで直してどこまで放置するのか、難しいところなのではないかと思う。

20191231_172116 欧米の人が写真撮影にこんなに熱中しているのは割と珍しくない? と思っていたら、この右の写真の場所は「トゥームレイダー」の撮影で使われたらしい。
 人の多さ、写真を撮りたい人の多さも納得である。
 我々のツアーメンバーでも、ここではほぼ全員が写真を撮ってもらっていたように思う。

 タ・プローム遺跡は見学のために木の歩道が用意され、さらに「ここだ!」という場所には写真撮影用にウッドデッキが整備されている。
 それが楽しいときもありつつ、何だかなぁと思ってしまうのも本当だ。
 「ガジュマルに侵食される遺跡」として以外の価値もここにはあるのになぁと思う。

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20191231_172950 例えば、綺麗なデバターも結構残ってる。
 しかし、30分一本勝負の写真撮影ツアーの中では、あまりちゃんと見られなかったし、ガイドさんにもスルーされてしまったのがかなり残念だ。
 心の中で「どうして私はここを素通りしているんだー!」と叫んでしまう。

 もっとゆっくり見たかったなぁと思うけれど、実際問題としてウォーターフォールツリーと呼ばれる木に差し掛かる辺りですでにかなり薄暗くなってきていた。
 急ぎ足になろうというものだ。
 それでも、柱と柱の間からデバターなどを発見すると柱と柱の間から見えるデバターなどを発見したりするとちょっと嬉しかったりする。

20191231_173840 最後に、西塔門の上にも四面仏が彫られているのを見て、ここは「ヒンドゥー化」を免れたのだなぁ、それともこのお顔はヒンドゥー教の神様のお顔だったりするんだろうか、などと思いつつ、スタッフの笛の音に追い立てられながらタ・プローム遺跡を後にした。

 我々はタ・プローム遺跡を東から西に抜けるように見学し、小型バスでチェックポイントに戻って大型バスと落ち合うことになっていた。
 大型バスに戻ったのは18時過ぎで、普通なら余裕で待っていてくれる筈のバスは、渋滞にはまって見学していた我々とほぼ同時の到着になったらしい。
 道路事情を加味し、今日に予定されていたアンコールクッキーでのお買い物は明日に変更になった。

 運転手さんが裏道を駆使して走らせたバスの車内で、今日の夕食と明日の予定の案内があった。
 夕食はガラディナーで(ガイドさんによると、だから一食100ドル近くするらしい)、ビュフェスタイル、バスの中で配られたチケットは会場への入場券であると同時に抽選会用の抽選券でもあるそうだ。
 抽選は21時前くらいに行われるらしい。

 ホテルのスタッフにドアを開けてもらい、部屋に荷物を置いて、プールサイドのビュフェ会場に行くと、ガイドさんと添乗員さんがすでにスタンバイしていた。
 入口でクロマーが配られていて、「そっちの赤いのがいい!」とワガママを言ったらスタッフの女の子が苦笑しつつ交換してくれた。

20191231_19310020191231_192943

 ちょうど、アプサラダンスショーが披露されていた。
 ガイドさんが「前に行って写真撮っても大丈夫!」と太鼓判を押してくれたので、ステージ近くまで行く。
 近くて見ると、踊っているお嬢さんたちはみな美人である。
 ガイドさんによると、手の動きなどの振付にはそれぞれ意味があるそうだ。見る目聞く耳のない観客で申し訳ない。

20191231_20214120191231_194013 アルコールもフリーだったので、白ワインと一緒に前菜をいただく。
 サーモンのお刺身があり、山葵と醤油もあったのは、日本人観光客が多いからだろう。その割に、会場で他にツアー客らしき人は見かけなかったように思う。
 温かいお料理もいただき、いくつか出ていたバーベキュー系のコーナーで、ローストビーフを切ってもらう。

 そうこうしているうちに抽選会が始まり、始まった途端、自分が持っていた番号が呼ばれて驚いた。
 えー!? と思う。
 ステージに出て行って、賞品をいただく。
 このホテルのランチチケットだ。

 司会のお兄さんは大いに盛り上げたいところだったろうに、私がほっとんど英語を解していないとすぐに察したらしく、早々に解放してくれた。
 大変申し訳ないが、非常に有難い。
 アイスや、一度食べてみたかったカボチャプリンのデザートをいただき、明日も早いことだし、21時過ぎに退散した。

 しかしながら、お部屋に戻ってもガラディナーの音はくっきりはっきり聞こえてきた。誤算である。
 バスタブにお湯を溜め、マッサージやらシートマスクでのパックやらシップやら、色々とケアというよりはメンテナンスをする。暑い中、足下の悪いところをずっと歩くというのはなかなかハードだ。
 もちろん、洗濯も必須である。
 水分補給も引き続き欠かせない。今日1日で500ml入りのペットボトルを3本空けている。

 明日はアンコールワットでの初日の出に申し込んだので5時20分にホテルロビー集合である。
 年が明けた記念の花火の音を聞きながら、0時過ぎに就寝した。

 2日目の歩数 15645歩

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2020.03.15

カンボジア旅行記2日目その2

2019年12月31日(火曜日)

20191231_101703 アンコール・トムのバイヨン寺院の第3回廊に上った時点でまだ10時過ぎというのが驚きである。
 第3回廊は、とにかく顔だ。
 ガイドさんも、説明をするよりは写真スポットを外さないことに全力を傾けている。
 この左側で日を一杯に浴びているお顔は、ガイドさん曰く「京唄子さん」である。言われて見ると、確かに似ている。

 この全部で50を超える塔の四面に彫られた170を超える顔達が何なのか、よく分かっていないらしい。
 そもそも、「誰の顔」なのかも分かっていないらしい。
 仏教寺院だから、観音菩薩のお顔だという説が有力だけれど、バイヨン寺院にはヒンドゥー教の神様も祀られているから、ヒンドゥー教の神様の顔でもおかしくない。

20191231_101759 建立当初には、全てのお顔の目は開いていたと考えられるそうだ。(根拠は不明である。ガイドブックにそう書いてあった。)
 後に、瞑想する表情に変えるために、まぶたを削ってしまったそうだ。
 だから、何のために??? と思う。
 いずれにしても、阿修羅しかり、モナリザしかり、この「謎の微笑み」ほど、我々の興味を関心を引きつけるものは他にないのかも知れない。

20191231_101708 我ながらどうしてこの角度で撮ったのか謎だけれど、お顔のアップの写真を撮ってみる。
 何だか左を見ている角度の方が「前向き」な感じがするのはどうしてだろう。
 これなどはかなり保存状態がいいお顔で、かつ、記念写真用に何となく場が用意されているくらいメジャーな存在のお顔らしい。

 しかし、そういう「有名な」お顔以外にも、この辺りにはとにかく顔がごろごろとある。というか、いらっしゃる。
 そこまでの時間はなかったけれど、時間が許せば「お気に入りの顔」を探すのも一興と思う。
 やはり、折角アンコール遺跡に来るのならば、このお顔達を間近で拝見したい。
 修復のための閉鎖の1日前に来られて本当に良かった。

 第三回廊からまっすぐ、最初の入口に戻った。
 とろとろ歩いていたらガイドさんが持つ旗を見失い、「何も声がかからなかったから、きっと真っ直ぐ行ったんだろう」と当たりをつけて降りて行ったらツアーメンバーの顔が見えてほっとした。
 同じようにガイドさんを見失ったのだろう方がいらして、しばし、バイヨン寺院の入口で待つ。暑いし階段も多いし、有難く休憩した。

20191231_105700 10時45分過ぎ、バイヨン寺院を出て次に向かったのはパプーオンである。
 入口から寺院本体まで続く空中参道があり、ガイドさん曰く「この下がフォトジェニック」である。
 みんなで寺院本体にたどり着く前に回廊の下に潜り込み、200mあるという柱の並びを堪能する。
 思えば変な絵面ではある。

 ところで、パプーオンは「子どもを隠す」という意味があるそうだ。
 カンボジアの王様がシャムの王子を殺してしまい、怒ったシャムに攻め込まれた。王妃はシャムの報復を恐れて、自分の子どもをこの寺院に隠したことからその名が付いているという。
 目には目をではないけれど、正しい恐れ方だよと勝手に思う。

20191231_105930 パプーオンは、建築的にいうとミラミッド方のヒンドゥー教寺院である。
 建造されたのは11世紀半ばで、バイヨン寺院よりも100年から200年ほど古い。アンコール・ワットもまだ出来て織らず、アンコール・トムの建造に着手してからまだ30年ほどしか経っていない頃だから、かなり初期の建造物と言えるのだと思う。

 このパプーオンは高さが30mあって、そのてっぺんに上るとアンコール・トムの第三回廊を見ることができると言われてこの急階段をみんなで上ることになった。
 それにしても急である。

20191231_11050620191231_110559

 そして、実際に上ってみると、この左の写真のようにkeep outのテープが貼られて、てっぺんまで登ることはできなかった。
 残念である。
 添乗員さんが「ここは随分前から上がれなかったと思いますよ」とぼそっと呟いていて、そういうことは早く言ってください、と思う。ガイドさんも「時間がないツアーだとなかなかここまで来られない」と言っていたから、上ったのは久しぶりだったのだろう。
 しかし、先ほど下を覗いた空中回廊が続く様子が上から見ることができて、これはこれでいい眺めである。風も気持ちいい。
 しかし、ここもまた日差しを遮るものがなくて、暑い。

 バイヨン寺院を見られなくてがっくり来た我々を見かねたのか、ガイドさんがアンパンマンがいますよ、と教えてくれた。
 この後、他の遺跡でも何カ所かで見た記憶があるから、一般的な意匠なのだと思う。
 実際はもちろんアンパンマンではなくて、何かのお花を象っているという話だったように思う。

20191231_112423 デカすぎて全体像を上手く収めることができなかったけれど、このパプーオンは、裏側に涅槃像が隠されている。
 隠されているというか、作り替えられている。
 15世紀にかけて仏教寺院に作り替えられる過程で涅槃増も付け加えられたらしい。
 強引といえば強引、見事といえば見事である。

20191231_113840 11時40分くらいに、「王宮」に向かった。
 正確には、今残っているのは、アンコール・トムの建造に着手したスールヤヴァルマン1世が王宮の敷地内に作った儀式の場である。
 現在は入場禁止になっている。

 この写真では分かりにくいけれど、この建物の周りは1mくらい掘り下げられている。
 池でもあったのかと思ったら、ここに宝があるんじゃないかと見込んで、誰がやったのか、どんどん掘り進められてしまったらしい。
 今は掘ることは禁止されているという。そりゃそうだ、と思う。
 それはそれとして、王宮には沐浴のための大小の池が用意されていたそうだ。それも、そりゃそうだ、である。

 建物の基盤部分はラテライトで作られ、その上の建物は赤い砂岩で作られていて、上部は金箔で覆われていたそうだ。
 それは確かに「この近くに宝があるんじゃないか」と掘りたくなる気持ちもちょっと分かる。
 ところで、どういう話の流れで出てきたのか忘れてしまったけれど、「シェリムアップ」というこの町の名前は、「シャムを追い出す」という意味だそうだ。
 先ほどのパプーオンの話と繋げて考えると、なかなか趣深い。

 12時前に象のテラスに到着した。
 テラスの側面に象のレリーフが彫られていたり、三つの頭を持つ象が鼻で蓮の花を掴んでいるように象が彫られている。
 象のテラスでは、神と王のみが見ることを許されていたアプサラの踊りが披露されていたそうだ。
 我々が入ってきたのは、王のみ使うことが許されていた、王宮からの入口である。
 このテラスは、幅320mもあるそうだ。

20191231_115319 テラスを下に降りると、テラスの側面には、象のレリーフの他に、ガルーダ(鷲の頭と人間の体を持つヴィシュヌ神の乗り物)とガジャシンハ(ガルーダとシンハが一体化した聖獣。シンハは獅子。)がテラスを支えている様子が浮き彫りになっている。
 レプリカではないガルーダは珍しい、と言われたような気がする。

20191231_120220 象のテラスのお隣には、ライ王のテラスが続く。
 象のテラスやバイヨン寺院の同様、創建したのは、ジャヤヴァルマン7世である。
 はっきり言って、アップで見ると相当に気持ち悪い。
 だいぶ崩れてきているからまだいいものの、この仏像たちがくっきりはっきり彫られている前に立ちたくはない、という感じである。

20191231_120707 ライ王のテラスの上には、閻魔様の像が鎮座している。
 もっとも、ここにあるのはレプリカだそうだ。
 ガイドさんはこの像は閻魔様の像だと言っていたけれど、ガイドブックにはこの像はライ王自身の像だと書いてある。
 もう、諸説ありすぎてよく分からない。
 ついでに言うと、もはや暑いし疲れたし、「どうでもいいかな」という気分になってきたのもまた事実である。

 今回参加したツアーは、アンコール・トムとアンコール・ワットをそれぞれ3時間かけて観光するというのが売りで、しかし、「たっぷり3時間観光するためには、たっぷり3時間観光できるだけの体力が必要である」としみじみ思い知った。

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 次に入ってみたのが、クーレン(倉庫)である。正直にいうと、疲れ果ててガイドさんの説明も半分くらいに聞いてしまい、どうしてこの倉庫を見学したのか、全く覚えていない。
 何というか、足下が悪く(要するに見学用にあまり整えられていない)、どうということのない廃墟だった記憶だ。
 だって倉庫である。

 倉庫から(多分そのまま)歩いてすぐのところに沐浴のための池があった。
 ガイドさんはさらっと「沐浴をしていた場所だ」と話して脇を通って行ったきおくだけれど、ガイドブックを見ると、これは「プラサット・スゥル・プラット」という、謎の塔で、12個が並んでいたらしい。
 そしてこちらもまた何のために作られていたのか分からないそうだ。

20191231_123825 そして、これまたどうして見学することになったのかよく分からない仏像である。
 ガイドさんが「偽物ばっかり見てきたから、本物を見て。真ん中にいらっしゃるのが、お釈迦様だから。」と説明してくれ、何となくみんなでぞろぞろと中に入った記憶である。
 そして、何故か、ガイドさんは入って来ない。
 そもそも「本物の仏像」とは何なのか。「偽物の仏像」とは何なのか。「オリジナル」とはどういうことか。
 かなり微妙な問題ではある。
 よく分からないなりに、お参りした。

20191231_124714 アンコール・トム見学の掉尾を飾ったのが凱旋門(勝利の門)である。
 この南側に「死者の門」があって、負けたときはそちらを通り、また戦争で死んだ人の魂もそちらを通ると言われていたそうだ。

 そして、掉尾を飾るに相応しく、この門の上部にも「お顔」が鎮座していた。
 ちなみに、このお顔の内部は石が詰まっている訳ではなく、空洞になっている。
 カンボジアには多分、ほとんど地震はないのだろうと思う。

 アンコール・トムの見学は、13時前に完了した。
 この後は、もちろん、お昼ごはんである。

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2020.02.24

カンボジア旅行記2日目その1

2019年12月31日(火曜日)

 疲れているかと思いきや意外と眠れず、30分おきとか1時間おきとかに目が覚めていたような気がする。
 5時半に起き出した。
 カンボジアのホテルに雨戸がある筈もないのに部屋が暗くて驚き、窓がもの凄く狭いことに気がついた。なるほど、部屋が無駄に広い訳であると納得する。

20191231_060929 6時にモーニングコールがあり、着替えたり荷物の整理をしたり薬を飲んだりしてから、6時半くらいいレストランに行った。
 昨日、ガイドさんが「とても混む」と言っていたので心配していたところ、時間が早いせいかガラガラで席も選び放題である。

 これまた、昨日ガイドさんがバスの中でお勧めしていたビーフンは、3種類のうち2種類が用意されていたので、そのうち一番馴染みのある細いライスヌードルをお願いする。
 何となく野菜が食べたくなって、クメール式野菜炒め(と書いてあった)、インゲンのサラダ、フライドトマト、ポテトサラダなどを少しずつ食べる。
 この他に、バナナとドラゴンフルーツを別のお皿に取ってきて、かなり濃くて少し粉っぽいコーヒーをいただいた。

 部屋に戻って、私にしては珍しくミネラルウォーターで歯磨きをしたり、どうやっても母にメールを送ることができないので妹にメールを送っておいたり、バタバタしていたらあっという間に集合時刻の7時50分になった。
 ロビーに集合し、7時55分、ホテル出発である。
 今日は観光初日なので、まずアンコールパスを作りにパスセンターに向かった。

20191231_083818 思ったよりも窓口は混んでいなくて、ガイドさんと添乗員さんが手際よく手続きを進めてくれ、窓口に立つといつの間にか写真を撮られ、少し待って顔写真付きの「アンコールパス」が発行してもらえた。
 何というか、流れ作業である。
 3日間有効のパスが62ドルだそうだ。多分、高い。

 このアンコールパスはどの遺跡に入るときも結構厳重にチェックされた。
 結構厳重にチェックされたけど、顔写真の写りは限りなく悪い。本人が見たって「これが私?」くらいのものである。ガイドさんは「記念に持って帰れるからいい顔して写ってね」と言っていたけれど、どうやったら「いい顔」で写れるのかぜひそのコツを聞いてみたいものである。
 全員分のパスを発行してもらったらお手洗いも済ませ、バスに乗って遺跡見学に出発である。

 とは言うものの、やはり世界中から観光客が押し寄せてきているらしく、道路は大渋滞である。何とかアンコール・ワット近くの駐車場にたどり着いて小型のマイクロバス2台に乗り換え、アンコール・トムに向かった。
 この移動のバスの中でガイドさんから聞いたところでは、アンコール・トムのバイヨン寺院の第3回廊は、明日(2020年1月1日)から修復のために立ち入り禁止になることが決まったらしい。
 ガイドさんは「ラッキー!」と喜んでいる。
 確かに、ここまで来て、あの「大きな顔たち」を間近で見られないと知ったら、そのがっかり度は計り知れなかったと思う。

20191231_092528 マイクロバスに乗り換えてからも道は渋滞していて、アンコール・トムの入口の一つである南大門の手前など全く動く気配もない。
 ガイドさんの判断でマイクロバスを降り、歩いて南大門に向かう。
 南大門の手前には橋がかかり、その欄干にはナーガとお釈迦様が並んでいる。

 橋からは、お堀の掃除をしている様子が見える。
 南大門自体にもすでに観世音菩薩のお顔が四面に刻まれており、その顔は福耳で鼻筋が通り目が大きいというクメール人の特徴が如実に表れているものだという。
 こうした細かい細工は砂岩だからこそ可能だったらしい。

20191231_093424 南大門は車も通れるため、意外と正面からの写真を撮るのが難しかったらしい。
 こうして見上げるような写真しか撮っていなかった。
 この南大門を構成する砂岩は、クノン・プーレンから50kmを運んできたものであり、よく見るとあちこちに空いている穴は運搬のために開けたものだそうだ。

 この顔の中は空洞になっていて、下から見上げて中を見ることもできる。
 こんな適当な作りが許されるのも、ここでは地震がないからだ。
 また、南大門の両脇には象の彫刻が施されている。分かりにくいけれど、この写真の左下にも象の鼻に見立てた柱が立っている。
 この南大門を9時半過ぎに通過し、いきなりメインイベントともいえるバイヨン寺院に向かった。

 ところで、このバイヨン寺院だけれど、よくよく謎の存在らしい。
 そもそも、アンコール・トムは「大きな都」という意味で、アンコール・トムは12世紀のジャヤヴァルマン7世が統治する時代に最盛期を迎えた「王都」である。
 その中心に位置するのが、バイヨン寺院だ。
 アンコール・トムで祀られているのはヒンドゥー教でありつつ、しかし、バイヨン寺院は仏教寺院でもあるらしい。

 よく分からない。
 よく分からないが、そもそも、ヒンドゥー教と仏教って近いし、同じ神を(仏教で「神」と呼ぶかどうかは微妙だけれど)異なる名前で呼んでいるじゃあないかと思う。
 ラクシュミーは吉祥天だし、インドラ神は帝釈天だし、ブラフマーは弁財天だし、だとしたら、バイヨン寺院がヒンドゥー教の神と仏教の神を祀ったところで、それはあるべき姿とも言えるのでは? という気がする。

 その辺り、ガイドさんは割と割り切った説明をしてくれて、バイヨン寺院のあの顔は「観世音菩薩です」とキッパリ言い切っていた。
 そして、バイヨン寺院はほぼ日本の上智大学のチームが修復したのだと教えてくれる。
 東の入口が正面で、まず入口を入り、回廊のレリーフを説明してくれる。

20191231_095858 まずは東面のレリーフから見学開始である。
 東面は、戦闘の様子が描かれている。
 象に乗っているのは王様で、王に次ぐ身分のある人は馬に乗っている。
 服を着て歩いているのは兵士で、兵士ではない一般の人はふんどしのみだそうだ。
 身分というか階級の分かりやすすぎる表現である。

 この左の写真は、牛を戦勝祈願のために生け贄に捧げているところだそうだ。
 そういう「戦闘そのもの」ではない様子も刻まれているところがポイントだという。
 オールバックで福耳なのはクメール人、髭を生やしてちょんまげを結っているのは中国人で、中国人は傭兵なのか同盟軍なのか、その辺りはよく分かっていないらしい。

20191231_100031 中国人が敵ではないことは確実で、この右の写真は、中国人のお医者様に診てもらっている様子が描かれていて、この人たちのずっと後ろまで順番待ちの行列が出来ている。
 座っているところの下に彫られているのは鶏で、鶏は診療費というか、お医者様への貢ぎ物としてここにいるらしい。
 少なくとも、医学については中国の方が進んでいるという認識なのだなということが分かる。

20191231_095343 こちらのレリーフにも牛がいる。
 この牛は生け贄ではなく、食料を運んでいる牛である。
 荷車の後ろには、スカートしか身につけていない女性も続いていて、中には子どもを肩車している女性もいる。
 肩車されている方の子どももスカートしか身につけていないから、この子は女の子だ。
 彼女たちは兵士ではなく、兵士のご飯を作るために同行していたらしい。

20191231_100110 バイヨン寺院のレリーフは、戦闘場面などの「王様の偉業」だけでなく、それに付随する庶民の暮らしも描かれているところが特殊なのだそうだ。
 王都のど真ん中にあったのに異端というところが凄い。
 それって、王都を作った王様であるところのジャヤヴァルマン7世が異端ってことなんじゃなかしらと思う。

 多分この辺りで角を曲がり、次は南側の回廊にあるレリーフたちを見学である。
 このアプサラの踊りを踊っているレリーフが気に入っているのだけれど、これも戦場の一コマという位置づけなんだろうか。よく分からない。

20191231_100456 南面に入ると、いきなり大きな船が現れて、湖上での闘いの様子が描かれている。
 決戦の場はトレンサップ湖だったらしい。
 ワニがいたり、ワニに食べられそうになっている人がいたり、敵陣は蓮の花を象った兜を被っていたり、戦闘場面の割に何となく余裕がある感じに描かれているのが面白いと思う。
 楽勝だったと言いたいのだろうか。

 そしてまた、この南面においても、闘いの様子と同時に戦陣の中とはいえ戦闘場面ではない場面が色々と描かれているとこはさらに面白い。

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 この左の写真のように虎に襲われているシーンはまだレリーフとして残すのも分かる気がする。例えば「こんな危険も乗り越えたのだ」とか「油断をするとこういうことも有り得たのだ」みたいなことを伝えたかったのね、と思えないこともない。
 しかし、右の写真のように出産シーンが、果たしてこの「敵国との決戦を描いている」レリーフの一部として必要なんだろうか。
 彫って悪いことは全くないし、見ていてなかなか興味深い。
 しかし、意味が分からない。

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 左の写真は闘犬(とガイドさんは説明していたけれど、ガイドブック的には闘豚になっていた)の様子、右の写真は闘鶏をしつつかつその勝敗を賭けている兵士たちの図である。
 右の写真では、右から中国人兵士達が、左からクメール人兵士達が身を乗り出していて、多分、一緒に戦いつつも国別対抗意識的なものも溢れているのだろうなと思う。
 クメール王朝では、とりあえず、賭け事は禁止されていなかったようだ。

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 その他にも兵士達の楽しみ(ということは、庶民の楽しみということでもあると思う)は色々とあったようで、左はチェスに似たゲームをしている様子だし、右の写真はサッカーをしているところだとガイドさんは言う。
 でも、右の写真はもっと引いても実はどこにもボールが描かれていない。私はキックボクシングの様子じゃないかと思っているけれど、どうだろうか。

 ガイドさんが最後に案内してくれたのが、勝利の宴の準備をする様子を描いたレリーフである。
 お櫃っぽいものをいくつもお盆に載せて運んでいる人もいれば、今にも豚(だと思う)が釜ゆでにされそうになっている。
 大勝利というところなんだろう。

 こうしたレリーフの間に窓というか出入り口が切られていて、バイヨン寺院の白眉ともいえる顔達を仰ぎ見ることができる。
 あの有名な顔達がバイヨン寺院にあるということも知らなかったし、第三回廊にいらっしゃるということも知らなかったので、このアングルで見える顔達がえらく不思議に感じたことを覚えている。

20191231_101549 見学先の取捨選択というのはガイドさんの好みによるのか、得意不得意によるのか、旅行会社から細かく指示が入るのか、どれなんだろう。
 第二回廊にも、様々なレリーフが残っていただろうに、あっさり「宗教戦争のレリーフは削り取られてしまいました」の一言で全てなかったことになり、その中で何故かこのヨニだけは立ち止まって説明があった。
 それなのに、どんな説明があったか全く覚えていないところが我ながら哀しい。

 そんな訳で、第二回廊は「通過」し、明日から修復のために閉鎖されるという第三回廊に向かった。

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2020.02.15

カンボジアの写真をアップする

 PHOTO ALBUMに2019年12月から2020年1月の年末年始にカンボジアに行ったときの写真をアップした。
 コメントは追々書くとして、写真を選び、タイトルを付け、時系列で並べてある。

 「アンコール遺跡」の写真は、こちら。

 もっといい写真をたくさん撮ったつもりだったので、ボケボケだったり、「私は何を撮りたかったんだろう?」というような写真が多くて思わず眉がへの字になった。

 それでも、900枚くらい撮った中から厳選したので、どうぞ、見てやってください。

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