ケニア旅行記の入口を作る
ここはケニア旅行記への入口である。
旅行記に写真も追加し終えたので、入口を作っておくことにした。
以下の日程表の日付部分をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。
2003年9月13日 羽田 -> 関空 -> 機中泊
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ここはケニア旅行記への入口である。
旅行記に写真も追加し終えたので、入口を作っておくことにした。
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2003年9月13日 羽田 -> 関空 -> 機中泊
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2003年9月13日から23日までの11日間、ケニアに旅行した。目的はもちろんサファリである。
9日目も引き続きマサイ・マラを満喫した。
朝のロング・サファリでは川岸での朝食こみで6時間くらいサファリをしていただろうか。象やライオン、キリンにシマウマ、チータにバッファローなど様々な動物を見ることができた。特に至近距離で見たチータの一家は印象深い。
イブニング・サファリではヌーの河渡りが見られて大満足だ。
10日目は朝の飛行機でナイロビに戻り、有名な「カーニバル」でシマウマやガゼルなど昨日まで見かけては騒いでいた動物たちをバーベキューで食べる。スーパーマーケットに寄り道してお土産を買い込み、かなり早めにチェックインする。ドバイ乗り継ぎのエミレーツ航空で関空経由で羽田に到着したのは、11日目の夜10時過ぎだった。
というわけで、11日間のケニア旅行記が完結した。
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2003年9月13日から23日までの11日間、ケニアに旅行した。目的はもちろんサファリである。
8日目は、マサイ・マラを満喫した。
早朝、オプショナルのバルーン・サファリに参加し、空中から日の出とサバンナと動物たちを見た。着地後、シャンパンで乾杯し、サバンナでの朝食をとる。
ロッジでしばし休憩し、イブニング・サファリでマサイ・ヴィレッジを訪問する。マサイ・ジャンプを初めて見た。
翌日はさらにマサイ・マラでサファリ三昧の予定である、というところまでたどり着いた。
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2003年9月13日から23日までの11日間、ケニアに旅行した。目的はもちろんサファリである。
5日目はアンボセリ国立公園を出発し、ナイロビで中華の昼食を食べてから、アバーディアに向かった。宿泊はジ・アークである。ここではロッジに居ながらにして夜間に水と塩を求めて集まってくる動物たちを見ることができる。
ジ・アークは少し前まで1泊しかできないという制限があったらしいのだけれど、私たちが行ったときにはその制限は撤廃されたようだった。
6日目は朝、アバーディア国立公園を出発し、赤道を通過してコリオリの力を確認し、滝を眺めてから、ナクル湖国立公園に向かった。お昼前に到着して、雨上がりのイブニング・サファリに行く。湖をピンクに染めるフラミンゴが見事だ。
7日目は、ナクル湖を出発し、ナイバシャ湖でボートサファリを楽しみ、大地溝帯をしげしげと眺める。ナイロビで日本食の昼食をいただいた後、国内線でマサイ・マラに向かった。これからムパタ・サファリ・クラブに3連泊して、サファリを満喫するのだ。
というところまでたどり着いた。
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2003年9月13日から23日までの11日間、ケニアに旅行した。目的はもちろんサファリである。
4日目はアンボセリ国立公園に滞在した。
サファリ出発前にロッジ前からキリマンジャロ山を拝み、モーニングサファリでは目の前の道を象の群れが横切って行った。
ロッジ主催のウォーキングサファリでは、動物の足跡を見たり、ブッシュベイビーの姿を木の上に探したりした。
イブニングサファリでは、アンボセリ国立公園内で唯一人間が自分の足で歩くことを許されているオブザベーションヒルに登った。
盛りだくさんの1日だった。
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2003年9月13日から23日までの11日間、ケニアに旅行した。目的はもちろんサファリである。
3日目はナイロビからアンボセリ国立公園に移動し、ロッジでのんびりした後、夕方に初めてのゲーム・サファリを体験した。
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2003年9月13日から23日までの11日間、ケニアに旅行した。目的はもちろんサファリである。
1日目である9月13日は、羽田から関空に飛び、23時過ぎにエミレーツ航空でドバイに向かったところまでである。
ケニアと日本の時差は6時間あるので、翌14日のお昼前にはナイロビのケニヤッタ空港に到着した。ホテルでランチを食べ、ナイロビ市内観光(ジラフセンターとカレン・ブリクセン博物館)をして2日目が終わった。
いよいよ明日はアンボセリ国立公園に移動しサファリが始まる、というところまでたどり着いた。
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「その国の旅を終えて100の質問」は 旅して~世界206ヶ国&旅と暮らし からいただきました。
*****
1.ハンドルネーム、性別、星座、血液型をどうぞ。
姫林檎 女 蠍座 A型
2.行った国はどこですか?
ケニア
3.日程(年月日)と日数を教えて下さい。
2003年9月13日〜23日 11日間
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2003年9月22日(月曜日)・23日(火曜日)
ケニア最後の1日である。モーニングノックが8時、というこれまでにない遅起きの日程だ。
ゆっくり朝寝坊するつもりでいたのだけれど、6時前に目が覚めてしまった。テラスに出て、朝焼けの写真を撮る。コテージからは、ロッジの樹木の隙間から何とかサバンナが見える感じだ。
その後は、朝ご飯までのんびりと『海辺のカフカ』を読んだり荷造りしたりして過ごした。
朝食前に精算を済ませてしまう。3泊の間にレストランで頼んだ飲み物代が23ドルだった。
昨日も一昨日もサバンナで食べているので、最初で最後のムパタ・サファリ・クラブでの朝食である。ビュッフェではなくて、メニューを見てパンや卵料理や飲み物を選ぶ方式だ。トーストにオムレツ、コーヒーを頼んだ。
部屋に戻ってスーツケースを出し、ロッジの中をちょっとだけ散策する。
レストラン下のバブーン・バーに行くと、ハイラックスが来ている。トカゲもいる。
トカゲはムパタ・サファリ・クラブのマークにも使われていて、ロッジの中を歩いているとしょっちゅう見かけていた。けれども、近付くとしゅるしゅるとすぐに逃げてしまって、しみじみと見ることはなかなか難しいのだ。
5m以上離れたところからズームをめいっぱい使ってトカゲの写真を撮ってみる。
今回持っていったカメラはデジカメが1台である。メディアは256MBのカードが2枚と512MBのカードが1枚、カメラに元々付いていた16MBのカードを1枚持ってきていた。
マサイ・マラに来てから写真の解像度を上げたけれども、それまではデフォルトのノーマルモードで撮影していた。昨日までで2枚の256MBと512MBのカードは使い切っていた。
結局、この旅行中に撮った写真は、完全にブレた失敗作も含めて975枚だった。
10時にロッジを出発して、10時半過ぎに飛行場に到着した。
「飛行場」と言っているけれども、滑走路があるのみだ。滑走路の脇に日よけの四阿があって、それだけである。四阿からも遠くに象が見える。
11時発予定の飛行機は少し遅れて11時半過ぎに飛んできた。そのまま歩いて搭乗する。
荷物の重量検査もないし、X線検査もない。ただし、X線検査は何故かナイロビに到着してから実施された。
ナイロビでは「カーニバル」というレストランで昼食を食べた。
そこはアフリカンバーベキューのレストランで、シマウマやガゼルやワニやキリンを食べることができる。残酷、とか言いつつ、みんなでバクバク食べる。
ムパタ・サファリ・クラブのバーにもあったDAWAというカクテルを頼む。ウォッカを蜂蜜とレモンジュースで割っていて、軽くて飲みやすい。セコイと思いつつ、残ってしまった蜂蜜とレモンを入れたままコン・ガスの水を足すと、さっぱりした飲み物になった。
食後のデザートのシャーベットはレモンとパッションフルーツ味でどちらも激しく酸っぱかった。
レストランからさらに15分くらい空港に向かって走ったところで、スーパーマーケット「UCHUMI」に寄り道する。コーヒーと紅茶と塩とノートとマッチを買った。昨日の夜飲んだリキュールがあったら買うつもりだったけど、このスーパーには置いてなくて断念する。
新婚旅行の二人が、もの凄く大量に買い物をしていて、みんなの注目を浴びていた。とても持ちきれず、スーパーの人に段ボール箱をもらっていた。新婚旅行というのは大変である。
出発の3時間前くらいに空港に到着する。何があるか判らないので、とにかく早めにチェックインするのが鉄則のようだ。ナイロビに預けていた荷物を受け取って、スーツケースに無理矢理詰め込む。17人が空港の一角を占拠し、スーツケースを広げて荷物整理をしているところは結構壮観だったに違いない。
荷物整理が出来た人からチェックインする。通路側の席をお願いした。
あと3時間もあるよ、と思っていたけれども、空港のお土産物屋さんがかなり充実していて、うろうろしているとあっという間に時間が過ぎる。
ケニアシリングもUSドルもかなり余らせていたので、Tシャツとタンザナイトのネックレスを買う。コーヒーリキュールも見つけて買ってしまう。
空港内のお店では、カードはほとんど使えないようだった。
18時20分発のエミレーツ航空724便でドバイに向かう。
明けて2003年9月23日0時20分(現地時間)にドバイに到着した。やはり金属探知器で引っかかって靴を脱いで再チャレンジする羽目になる。
2時30分発のエミレーツ航空316便で関空に向かう。
ほとんど眠れないまま、17時25分に関空に着いた。関空出発の6人とはここでお別れである。添乗員さんは行きは関空で合流したのだけれど、帰りは羽田まで一緒だそうだ。
このツアーの行程で最大の難点は、この関空での待ち時間だ。羽田行きの便まで4時間近い時間がある。ドバイからの便が遅れることを計算に入れているのだろうが、それにしても待ち時間が長い。
それでも、せっかく関西にいるのだからとお好み焼きを食べたりして時間を潰し、21時15分発のエミレーツ航空6250便で羽田へ向かい、22時25分に羽田に到着する。
無事に元気にケニアから帰ってきました。
2005年5月29日記
2005年6月4日画像追加
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2003年9月21日(日曜日)
今朝のモーニング・サファリの集合は昨日より1時間遅い6時だった。5時半にモーニングノックが来る。
レストランに行くと、添乗員さんがすでに待っていてくれた。やはりサファリに出掛けるヴィンセントもいる。コーヒーと紅茶のサービスがあって、担当しているロッジのスタッフとももちろん顔見知りのようだ。
出発してすぐに象の群と遭遇した。「幸先がいいですね」と言われる。
ツアーの人たちが乗っていると思われる気球が見える。概ね私たちの車と同じ方向に進んでいるらしい。「見えないかな」と言いつつ、手を振ってみる。
その後しばらくは遠出のためのドライブという感じで、ひたすら走った。ついにはマサイ・マラに4つあるという飛行場のうちのもうひとつも通過してしまう。セレナ・ロッジを遠目に見て、車に揺られ続ける。連日の寝不足もあって、車内も盛り上がらないことおびただしい。
そうこうしている間に、久しぶりに別の車の姿を見たな、と思ったら、茂みの中で寝ているライオンに遭遇した。狩りの後らしく、膨らませたお腹を大きく上下させて熟睡している。
ドライバーのオボッチャが、サファリ・カーのエンジンをふかして強引にライオンを起こそうとする。
彼我の距離5mでそんなに強引なことをしていいのかと思っていると、ライオンが目を覚ました。
おぉ! そんなに怒ってはいないようだ。
雌ライオンのお腹が大きいのは、たくさん食べたからではなくて赤ちゃんがいるのかもしれない、と教えてもらう。ちょうど1ヶ月前くらいがハネムーンのシーズンだったのだそうだ。
思いついて、ライオンのドアップの写真を撮ってみる。
動物図鑑の本にあった「空を入れる」「動物の進行方向を空ける」という注意を(なるべく)守って写真を撮っていたのだけれど、たまにはいいだろう。
これまで、大抵はデジカメで写真を撮っても撮った写真を確認している暇はなかったのだけれど、このロング・サファリでは4人しかいないという気楽さもあったし、かなり長めに止まっていてくれるので、撮った写真を見てみる。車内の人に披露したらなかなか好評で、CD-Rに焼いて送ることを約束する。
さらにしばらく車を走らせるたところで、オボッチャが「あそこの蟻塚の上にチータがいる」と教えてくれる。
指さす方向に目をこらしてみても、確かに蟻塚はたくさんあるけど、チータなんて確認できない。「見えない」と騒いでいると、オボッチャはおもむろに車道から外れてランクルをサバンナに乗り入れた。
親子4頭のチータの家族に、3〜4mの距離まで大接近だ。
大興奮で写真を撮りまくっているうち、ふと気が付くとチータ(特に子どもたち)が結構活発に動いてこちらを伺っている気配がしている。
「狙われているー。」と騒いでいると、「赤い服に反応しているんだ。」と私を指さして教えてくれる。動物が赤い色に反応するというのは本当だったのか・・・。
もうかなり日も高くなって暖かくなっていたし「脱ごうか?」と聞くと「大丈夫」という返事だ。
プロが言うのだから大丈夫でしょう、というわけで、赤い服を着たまま、チータに威嚇されつつ写真を撮りまくる。流石に姿勢を低くして今にも飛びかかって来そうになったときには、車中が大騒ぎになった。
チータのしなやかさを堪能した後、川べりに移動して朝食になった。オボッチャが周辺の安全を確認してから、「車を降りていいよ」の合図をしてくれる。
ロッジで用意してくれたお弁当は、タッパの中にサンドイッチやソーセージ、ゆで卵、リンゴなどなどが入っていた。
朝食を食べた場所から、少し離れたところにカバの群が寝ているのが見えた。マラ川のヒッポ・プールだそうだ。40頭くらいの集団のようだ。
「近くで見たい!」と言ってみたら「危ないからダメ」という返事だった。カバというのは結構凶暴な動物らしい。
朝ご飯を食べながら(もちろん添乗員さんの通訳付きで)しゃべっているうちに、オボッチャがムパタのチーフドライバだということが判る。ムパタ・サファリ・クラブのドライバーはみんな優秀だけど、みんな自分がコーチしたんだ、と話す彼が誇らしげなのが可愛い。
食休みし、木の陰でブッシュトイレを済ませて、またサファリに出発する。
小さな川をシマウマとヌーが渡っているところに出会った。
ヌーとシマウマの河渡りポイントでは、昨日は川岸にたくさん集まってきていて今にも渡りそうだったので30分くらい待ってしまったらしい。今日はまだ動物も集まっていなくて、「午後にまた来てみよう」ということになった。
またしばらく走ると、サファリ・カーが1台止まっていて、テレビカメラで何かを狙っているのが見えた。自立すべく親に置き去りにされたチータの兄弟がいるらしい。
ドライバー同士で話がついたらしく、その兄弟チータのそばまで近づいてくれた。
この兄弟チータは私の赤い服を見ても反応しない。彼らも不安がっていたのかもしれない。
「バッファローの赤ちゃんって見てないね。」「バッファローは赤ちゃんのときからあんなにゴツイのかな。」という話になり、添乗員さんからオボッチャに伝えてもらう。するとあっさりとバッファローの群れ(もちろん赤ちゃんもその中にいる)の近くまで連れて行ってくれた。
その途中、あまりにも可愛い「お馬の親子」がいたので車を止めてもらう。実はこの頃には、シマウマとヌーにはかなり飽きてきていたのだけれど、「子供」となると話は別だ。シマウマの子供は茶髪でとても可愛い。
そのすぐ近くでは、鷲(だと思う)がシマウマをついばんでいるところも見た。オボッチャによると、そのシマウマはハンティングで殺されたのではなく、病死したようだ、ということだった。
象やキリンも見ながら12時半にロッジに戻り、そのまま昼食を食べた。
レストランのすぐ上に図書室があって、そこにヴィンセントがいた。彼のお父さんはマサイでお母さんはキクユ族の人で、子どもの頃はマサイ・ヴィレッジで育ったのだそうだ。
「マサイ・ジャンプもできるの?」と聞いたら「得意です」という返事。「夜に一緒にビールでも飲みましょう」という話をして別れる。
今日の午後は、ツアーの日程上はフリーなのだ。けれど希望者はサファリに無料で連れて行ってくれる、と昨日の夜に添乗員さんから話があった。もちろん私は参加する。その出発が15時だから、少しだけ時間がある。
ケニアに行く前から「絶対やる」と決めていた、「ケニアで『海辺のカフカ』を読む」をやっと実行した。
朝夕にサファリがあって、昼間はフリータイムなのだけど、フリータイムになるとお洗濯を始めたり、友達に絵はがきを書いたり、日記を書いたりして、本を読んでいる時間がまるでなかったのだ。
窓を全開にすると涼しい風が入ってきたので、ベッドに寝転がってかなり心地よい読書タイムを過ごした。
イブニング・サファリは、ツアー17名のうち9名が参加だった。添乗員さんも一緒に行くことになる。
人数が減ったせいか、面倒になったのか、「もういいですよね。適当に車に乗ってください」というわけで、適当に3台に分乗する。
「何を見に行くの?」とドライバーさんに聞いたら「ヌーの河渡りを見たいということなので、まず川に行く」という返事だ。
朝のロング・サファリで見た川に着くと、ヌーとシマウマが川岸に押し寄せて、まさに渡らんとするタイミングだった。
先に渡ったシマウマが、なかなか来ない後続の集団を心配して、何だかせつないような声で仲間を呼んでいる。
それでも河に入る気配がないことを察して、何頭かのシマウマが迎えに戻る。何故かガゼルが一頭だけすいすいと泳いで川を渡り始める。
そうこうしているうちに、いきなりヌーが集団で川を渡り始めた。
一度決めてしまうとやたらと大胆で、特に足元を確かめもせずに次々と川に飛び込んでいく。後から後から続いてくるので、後ろから押されて、ということもあるのかもしれない。一列になって川を泳いで渡っている。
渡り終えたヌーとシマウマはそのまま川のこちら側をタンザニアに向けて歩いて行く。
ふと気が付くと、川の向こうに見えていたカバがいなくなっている。
ツアーの人によると、さっき渡っていたガゼルがワニに捕まってしまったらしい。ワニはガゼルをくわえて川を渡っていたそうだ。ヌーとシマウマに気をとられて、全く気が付かなかった。
ロッジへの帰り道でドライバーさんに聞いたところでは、ヌーが川を渡るところは、1ヶ月滞在して2〜3回見られるかどうか、というくらい珍しいことなのだそうだ。やった!
アンボセリに到着したとき以来目にしていなかったダチョウを発見して車を止めてもらう。ダチョウは黒っぽい羽毛のものが雄、茶色っぽい羽毛のものが雌らしいのだけれど、見分けが付かない。
帰り際にとうとう雨が降り出してしまった。結構強い雨で、ドライバーさんにオープントップを閉めてもらう。
それでも遠くの方は晴れていて、地平線から地平線に半円状にかかる虹を見ることができた。そんな虹を見たのは生まれて初めてかもしれない。
このツアー最後の夕食は、19時40分からという微妙な時間に集合だった。えびのマリネと、チキンとそば入りのスープ、メインは選べたのでビーフのベーコン巻きにする。デザートにいちごのムースとコーヒーというメニューだ。
ツアー中に誕生日を迎えた人がいて、その方のお誕生パーティになる。シェフがバースディケーキを作ってくれて、ろうそくを立て、ロッジのスタッフが歌いながら持ってきてくれる。みんなで周りを囲んでお祝いだ。
夕食の後、添乗員さんがみんなに声をかけて、ほとんどのツアーメンバーがそのままバーに移動した。
ヴィンセントも後から合流して来てくれて、日本語と英語のちゃんぽんでしゃべる。どう考えても私の英語よりも彼の日本語の方が達者だったけど。
「今日はヌーの川渡りを見たんだ」と自慢すると、ヴィンセントも「それはラッキーだ」と驚いていた。その幸運も一緒にケニアに残ってくれ、なんて言っていた。彼は明日、川渡りを見るために再チャレンジするそうだ。
「ヒョウが見たかったな」と言うと、「ずっとこっちにいれば見られる」と言う。そりゃあそうかもしれないけれども。
ヒョウは主に木の高いところにいるから運転しながら見つけるのは大変なんだ、と言っていた。
ガイドドライバーという仕事はかなり季節労働のようで、「今はヌーがマサイ・マラに来ているから肉食獣もこちらにいるけれども、彼らがセレンゲティにいる間は観光客も来ないから、寝ているしかないくらい暇だ」なんてことを言っていた。
23時には消灯になるので、22時半にお開きになった。
ちなみに、私がそのとき飲んだのは「アフリカン・ブラウン・カウ」というカクテルである。ケニアのコーヒーリキュールをミルクで割ったカルアミルクのようなカクテルで、美味しかった。
2005年5月29日記
2005年6月4日画像追加
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2003年9月20日(土曜日)
ムパタ・サファリ・クラブではバルーン・サファリに行く宿泊客がいるときといないときでは、朝、ジェネレータを動かし始める時刻が違う。今日は3時45分に動き出したらしい。電気を消さずに寝ていたので、ジェネレータの稼働と同時に電気がついて目が覚めた。
4時頃から起き出し、4時半にモーニングノックをしてもらったときにはほぼ準備万端整っていた。
各コテージには電話がないので、モーニングコールを頼むと(頼んだのはもちろん添乗員さんである)係の人が一軒一軒、ノックして回ってくれるのだ。
5時にレストランに集合する。
まだ外は暗くて、頭上には天の川が流れている。信じられない量の星である。
長袖Tシャツ、薄手のカーディガン、長袖シャツ、コートを着込んで、お腹と背中にカイロを入れて、ちょうどいいくらいの気温だ。出発前に見たホームページで「バルーン・サファリに出掛ける人はスキーに行く格好で」と読んだのでかなり重装備にしておいた。
結局、ツアーの全員が同じ日にバルーン・サファリに出掛けることは出来ず、今日は私を含めた4人でバルーンサファリに行くことになった。他の13人はロング・サファリに出掛けることになっている。添乗員さんはロング・サファリに付いて行くのだけれど、バルーン・サファリ組のためにレストランで待っていてくれた。
迎えのジープが走り出してすぐ、ヘッドライトにライオンが浮かび上がってとても驚いた。
車を止めてくれたので、3〜5mくらいの至近距離で立派な鬣の雄ライオンを見てしまった。ライオンはヘッドライトを浴びせられても悠然としている。
ドライバーさんに「今日、一番最初にライオンを見たのはあなたたちだ」と言われた。
キチュア・テンボというテント・ロッジで2人が加わって、ムパタ・サファリ・クラブから乗っていた私たちと一組のご夫婦を加えて8人になった。全員が日本人だ。
気球を準備している地点に着くと、ビスケットとコーヒーのサービスがあった。日本語の注意書きのカードもあったので目を通しておく。
少し離れたところにテントのトイレがあったので借りたら、便器の中に蜥蜴ががんばっていた・・・。
気球はある程度の大きさになるまで大きな扇風機で風を送り込んで膨らませるようだ。
ある程度膨らんだらバーナーに点火し、さらに膨らませる。2基用意している。
12人乗りの気球に日本人8人で乗り込む。真ん中はパイロット席で、その周りに3人分ずつの4区画あり、そこに2人ずつだ。
気球を操縦するのはディヴィッドというひげのおじさんで、バンクーバー出身なのだそうだ。
ようやく空が明るくなりかけた頃、離陸した。本当に静かで離陸したことに気が付かなかったくらいだ。
私はバーナーに近い方に乗っていたのだけれど、髪が焦げるのじゃないかと思ってしまうくらいバーナーの火は近くて熱かった。
朝焼けの空に太陽が上ってくるところを空の上から見るのは本当に気持ちが良い。
気球はかなり低いところを飛び、日の出を満喫した頃には、地上の森の中にいるキリンやしまうまが見え始めた。
ディヴィッドが指さして教えてくれる。
サバンナの上を飛んでいるときには、自分が乗った気球の影が地上にくっきりと落ちているのを見ることができた。
川岸にいるワニや、水場に集まって来ているヌーやインパラ(推定)なども見える。草食動物は、(多分)バーナーの音に驚いて、気球が近づくと一斉に逃げ出してしまう。
遠くにかなり高いところを飛んでいる気球が見えた。それはセレンゲティの気球なのだそうだ。その気球が飛んでいる辺りはすでにタンザニアで、国境を越えるわけにいかないからあっちには行けない、と教えてもらう。
途中でディヴィッドに「気球の向きを変えるよ」と言われてぐるっと180度回転したりしたし、動物を発見するとそちらに向けてくれるし、ガイドブックに書いてあったような「完全に風まかせ」ではなく、かなり操縦が効くらしい。
「地球の歩き方」には朝食を準備する車が気球を追いかけてくると書いてあったけれど、車が追いかけてくる気配はない。どうも(どうしてそう考えたのかすら、もう忘れているのだけれど)当時の自分のメモによると、気球にはGPSが積んであって、それで大体の着陸地点を無線で知らせていたようだ。
大体、45分くらい飛んでいただろうか。
ディヴィッドに「最後の一枚を撮って」と言われる。そろそろ着陸らしい。別に撮らなくてもいいのだけれど、そう言われてしまうと撮らなくちゃいけない気分になってしまう。
それからカードにあった注意書きに従ってカゴの中にしゃがみ、背中をつけて、目の前にあるロープを掴む。
もう周りは全く見えていないから、どれくらい高度が下がっているのかも判らない。
ディヴィッドがカウントダウンを始め、最後の「One」がやけに長く引っ張られているな、と思っていたら、2、3回カゴの底が地面について弾んだ後、見事に背中からひっくり返った。ひっくり返ったときに下になる場所に座っていたので、草原の草についた朝露が思いっきり飛び込んできた。
でも、これが結構楽しい。
ディヴィッドが回していたゲストブックにきっぱりと日本語でサインし、4人で一緒に写真を撮ってもらう。
そうこうしているうちに、2基目の気球も着地した。そちらの気球もやっぱり横倒しになっていた。
朝食の準備が進められている間に、まずはシャンパンで乾杯だ。
だだっ広いところで朝からシャンパンなんて、本当に贅沢なことをしているよなー、と思いつつ、ごくごく飲む(笑)。記念写真ももちろん撮る。
朝食は、気球のバーナーで焼いたソーセージやパンケーキ、フレンチトーストが次々と大きな木のお皿で回されてくる。どのジャムが美味しいか、なんてことをディヴィッドに教えてもらいつつ、ぱくぱく食べる。
野外で食べるごはんというのは大抵美味しいものだけれど、これはかなりの水準の美味しさである。
学校の机2つ分くらいの「売店」の案内があり、少し遠目のところに朝のジープが止めてあってそこが女性用トイレだと教えて貰う。少し丈の高い草が生えている辺りで、周りに人がいないことは確かだし、紙を捨てるゴミ箱まで用意してある。ティッシュもウエットティッシュも常に持ち歩いているし、有り難くお借りする。
食事をしたその場所から、大移動しているヌーとシマウマの群れも見ることができた。
一緒に気球にも乗ったご夫婦は、11時の飛行機でナイロビに帰るそうだ。急いでサファリと言うよりもドライブしながら空港に向かう途中、サファリカーがまさかのエンストを起こした。ケニアに来て初めてのことだ。
エンジンの真上辺りの床をはがし(簡単に外れた)、ドライバやレンチやヤスリまで持ち出して修理している。
「ここから空港までダッシュしないと」「ダッシュしてたどり着ける距離じゃないですよ」なんていう会話をしているうちに、多分10分くらいで修理は完了した。思わずみんなで拍手する中、車は再スタートする。
ムパタ・サファリ・クラブに戻ったのは11時半くらいだった。
ランチは12時半からだったので、一度部屋に戻った。マサイ・マラがこれまでで一番洗濯物が乾く(笑)ので、シャワーを浴びるついでにお洗濯をしてしまう。
日中、電気は止まっているのだけれど、シャワーのお湯は24時間出るのだ。
バルーン・サファリ組の4人でビュッフェの昼食をとる。かなりのんびり食べていたけれど、なかなかロング・サファリ組が帰ってこない。
結局、13時半過ぎにロング・サファリ組が帰ってきた。ヌーが川を渡りそうになるのを待っていて遅くなってしまったのだそうだ。
ロング・サファリ組と再会する前に、ヴィンセントと再会した。ナイロビの空港で別れた後、7時間かけて車でマサイ・マラまで来たらしい。
日本のカメラマン2人についているそうで、「今日の午後はマサイ・ヴィレッジに行くんだ」という話をしたら、「自分も明日は4つのマサイ・ヴィレッジに行く。カメラマンだから、色々なところに彼らは行きたいんだ」と教えてくれる。
添乗員さんは「少し遅めに出発するかも」と言っていたのだけれど、定刻通り、15時にイブニング・サファリに出発した。今日は、まずはマサイ・ヴィレッジの訪問だ。
村の入り口でマサイの暮らしについてダニエルが説明し、それを添乗員さんが通訳してくれる。
この村から6km離れたところに小学校があること、村を訪れるときは通常は牛を連れて行くけれどもロッジを通して支払ってもらったお金が牛の代わりになること、そのお金は小学校を作ったりとかの教育資金として使われること、家の中を見ても写真を撮っても構わないことなどだ。
村は真ん中のスペースの周りに牛糞等々を塗り固めた家があって、家の前は雨が流れ込んでこないように通路が開けてある。
真ん中のスペースは牛糞が積み上がっている。牛糞と言うよりも堆肥に近い黒っぽい色だ。遠くに運ぶのは大変だからそのまま置いてあって、近くにあるから家の修理に使うこともある、ということらしい。
マサイの女性たちが一列に並んで歓迎の歌と踊りを披露してくれる。その列に入れてもらい、ビーズの首飾りなんかをかけてもらって、とりあえずまねして歌って歩いてみる。
その後、木で火を熾すところを見せてもらったり(私も挑戦したけど、全く煙も出なかった。ツアーの人の中には成功してその火でたばこを吸っている人がいた)、マサイ・ジャンプを見せてもらったり、家の中を案内してもらったりする。
壁が厚く、窓もかなり小さく切っているので、マサイの家の中は真っ暗だ。何も見えない。
土地としてはかなり乾いているのだけれど、家の中は天井が低いせいなのか暗いせいなのか湿っぽく感じる。この状態で竈に火を入れて酸欠にならないんだろうか?
小屋の中の赤ちゃん山羊を見たり、マサイの子どもたちの写真を撮ったりしている間に、いつの間にかあちこちで商売が始まっている。実演で見せてくれた火を熾す道具や(そういえばお土産物屋さんでも見かけていたけど、用途が全く見当付いていなかった)、ムパタ・サファリ・クラブのキーホルダーにもなっているマサイの(多分)武器などが人気のようだ。
村から出ると、そこからサファリ・カーに行くまでの間が青空市状態になっていた。お土産が並んでいる。
ロング・サファリに行った人たちは、サファリの帰りに国立保護区のゲートのところでも同じような青空市を見かけてわざわざ車を止めてもらって見たそうだ。それでもみんな目を輝かせて交渉している。
私もムパタ・サファリ・クラブのお土産物屋さんで見かけて買うかどうか悩んでいたネックレスと対になったブレスレットを見つけて買ってしまった。400シリングを300シリングに負けてもらった。
16時半くらいにマサイ・ヴィレッジを後にしてサファリへ向かう。
ドライバーさんに「どんな動物が見られる? チータは見られる?」と聞くと「もう時間が遅いからあまりたくさんの動物は見られない。チータは遠くにいるから明日」と言われた。
だから、このサファリで一番存在感があったのはバッファローだ。大きな雄の年老いたバッファローが2頭、サバンナの中で凄んでいた。
ムパタ・サファリ・クラブのサファリカーはランクルのオープントップだ。
バルーンサファリに行ったときは素通しのジープだったけど、天井が開かない車はサファリに向かないんだということがしみじみと判った。
マサイ・マラは国立保護区なので、これまで行った国立公園とは違って車が道じゃないところを通ることが許されている。これまで以上の悪路を走ることになるわけで、だからランクルくらいじゃないと対応できないのかもしれない。
夕食の時間にはステージでショーがあった。今日の午後のマサイ・ヴィレッジ行きにマサイの布を巻いて参加していたツアーの若い男の子が、いつの間にかステージ上のマサイと一緒になってマサイ・ジャンプをしていた。それにしてもよく跳ぶ。
ステージがダンスに変わると、彼の奥様も一緒になってステージに上がり歌って踊っていた。
ツアーの人が「ビデオカメラを持って来れば良かった」と悔しがっていた。
2005年5月28日記
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2003年9月19日(金曜日)
5時半に起きて、ナイロビに置いて行く荷物を選んでトートに詰める作業を黙々とする。元々そんなにたくさんの荷物を持ってきているわけではないから、買ったお土産と蚊取り線香くらいしか置いていくものはない。
朝食はいつもどおりのビュッフェである。レイク・ナクル・ロッジではパンケーキもその場で焼いてくれるのが嬉しい。
みんながあまりにも「美味しい」というのでパイナップルも食べてみる。どちらかというと苦手なのだけれど、確かに甘くてみずみずしくてとても美味しかった。
今日はジョージの車で出発である。ケニアの新聞を見せてくれる。タブロイド判で64ページ。かなりの情報量なのではあるまいか?
英字新聞を読める語学力はないからパラパラとめくってみただけだが、求人広告が多いのが目に付いた。
ほどなくナイバシャ・カントリー・クラブに到着した。ナクル湖はソーダ性の水だけれど、ナイバシャ湖は純粋な淡水湖なのだそうだ。
トイレ休憩を取った人々の群れは吸い込まれるようにお土産物屋さんへと流れ込んで行く。お土産に見せるみんなの熱意は凄い。年輩の方が多かったこともあって「嫁に」とか「娘に」とか口々に言いながら探している。
そして、ボートサファリへ向かった。一艘だけあるという屋根付きのしっかりしたボートに乗れてラッキーだ。ライフジャケットを着けて出発する。ペリカンや水鳥があちこちにいる。
岸辺近くでカバを発見する。カバだとはっきり判るカバを見たのは初めてかもしれない(笑)。
カバの大あくびも見ることができた。カバの口の中はやけに鮮やかなピンク色をしている。あんまりしげしげと見てしまい、写真を撮りそびれてしまった。
お天気も良く、気持ちよく風に吹かれる。遠くにはロンゴット山やアバーディア山を望め、1時間余りでボートサファリは終了となった。
そこから少し車で走り、アフリカ大地溝帯を望む展望台のようなところでフォト・ストップとなった。お土産物屋さんがあって、青い揃いのシャツを着た男の人たちが客引きに余念がない。これまでそんなに「怖い」と思ったことはなかったのだけれど、ここの人たちは本当にピタリと背後に付いて来るので怖かった。
正直に言うと、昨日ナクル湖に行く途中に見た大地溝帯の方が(って、もちろん同じものなのだけれど)格好良く見えた。
写真を撮って早々に車に戻ろうとしたら「ハイラックスがいる」と言われ、好奇心に勝てずに見に行く。ウサギくらいの大きさの、ウサギのようなネズミのような茶色い生き物である。可愛い。
お店の人が「○○(パン、かも)をあげれば近くに寄って来るから買え」と添乗員さんをひたすら勧誘していたけれど、添乗員さんは見事に撃退していた。
そこからナイロビまでは、連日の早起きに負けて車で熟睡してしまった。ナイロビの日本食レストラン「東京」で昼食をとったのだけれど、そこへ行く道筋はスラムの谷のようだったらしい。
目を覚ましたら、レストランにまさに入ろうとしているところだった。レストランだというのにそこは門がピタリと閉められ、門衛さんがいる。門衛さんに開けてもらわないと入ることもできない。それだけで周辺の治安の悪さが想像できたけれども、きちんと自分の目で見ておきたかったと心の底から思った。
添乗員さんがしきりと「ケニア風の日本食ですから」と断りを入れるのでいったいどんな日本食なんだろう? と思っていたのだけれど、想像していたよりずっとちゃんとした幕の内弁当とわかめスープの昼食で美味しかった。
白いご飯に、お刺身、天ぷら、焼き物(いか、たこ、魚)、煮物(牛肉のしぐれ煮みたいなものと鶏肉)、サラダ、フルーツ。それにそば茶のような風味のお茶がつく。
この日本食レストランの庭からは、ナクル湖で見かけたよりもうちょっと咲いているジャカランダの花が見えた。
この後、国内線の飛行機でマサイ・マラに向かうので、ここまでずっと一緒だったドライバーさん達とはお別れである。添乗員さんはここで彼らにチップを手渡していた。
国内線専用の空港に到着し、マサイ・マラに持って行かない荷物は車に積み直して預かってもらう。ご夫婦で来た人たちは、ここまで一人一つずつ持っていたスーツケースを二人で一つにまとめている人が多かった。
15時発の予定だったのだけれど、理由も判らないままマサイ・マラに向かう飛行機は遅延している。
またしても大挙して待合室の2階にあったお土産物屋さんへ流れる。これまで見たお土産物屋さんの中で一番品揃えが良かったのはここだと思う。
マサイの布を買った人が何人かいた。赤というか濃いめのピンクの派手な布だ。
40分遅れくらいで、手荷物検査も受け、何故か空港内に生えているバナナの木を眺めて、歩いて飛行機のそばまで行って搭乗した。50人乗りくらいの飛行機は満席である。思っていたより大きな飛行機で安心したけれど、コックピットとの間はカーテンで仕切られているだけだ。
マサイ・マラには4つの空港があり、私たちが降りる空港が何番目かは降りてみないと判らないらしかった。
一つ目の空港は違ったらしい。土の滑走路があって、そのそばに掘っ建て小屋のようなお土産物屋さんがあった。店は開いていないのだけれど「TAX Free」の文字が見える。謎だ。
ムパタ・サファリ・クラブに近い空港は2つ目の停車場(という言葉がイメージに一番近い)だった。
車が何台も迎えに来ていて、ムパタ・サファリ・クラブの車はランクルだった。荷物を確認し、適当に分乗してロッジに向かう。
添乗員さんがドライバーさんから雨季が始まっているのかどうかとか(始まりかけ、といったところらしい)、野焼きのこととか(飛行機から見えた煙はこれのせいらしい)、聞き出している。トピの親子が道筋にいて、車を止めてくれる。
ムパタ・サファリ・クラブは確かにお金がかかっていそうな空間だった。チェックイン手続きに時間がかかり、その間にビーやお土産物屋(日本人がオーナーの割に品揃えが薄かった。一考の価値有りだと思う)や図書室スペースやレストランを見学する。
結局、チェックインが済んだのは18時半過ぎだった。
それぞれポーターさんに連れられてロッジ形式のお部屋まで行く。私は14号室だ。隣が12号室だったので「13号室は?」と聞いたら、「このロッジには4号室と9号室もない。なぜならオーナーが日本人だからだ」という返事だった。
それならばと「4」は音が「死」につながるから縁起が悪いと言われている、まで説明したところで、はたと困る。「9」の「苦」は何につながるんだ? 曖昧なままお茶を濁したので、きっと彼は余計な混乱に陥ったに違いない。本当にお粗末な英語力で申し訳ない限りだ。
ムパタ・サファリ・クラブのレストランでは三国氏監修のフレンチが供される。夕食はアボガドのサラダ、スープ、メインはラムか魚を選べて、マンゴのケーキとコーヒーが食後に出る。
レストランにはステージもあり、歌ったり踊ったりのアフリカ民族ショーがある。出演者はロッジのスタッフらしかった。
このロッジは、これまでで初めてなのだけれど、電気の供給される時間が決まっている。夜は23時で消灯だ。
マサイ・マラは高度が高く蚊がいない代わりに、やはり涼しい。ベッドには可愛い湯たんぽが入れてあった。
明日はバルーン・サファリに出かけるので、日の出前に出発である。電気で目覚めようと電気を点けたまま、ジェネレータの停止で勝手に消えるだろう、と寝ることにした。
2005年5月21日記
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2003年9月18日(木曜日)
5時半に起き出して動物を見に行った。池の周りにはインパラかガゼルかウォータバック(要するに、これらの見分けが未だについていなかったのだ)がいる。雄が一生懸命求愛していて、そのたびにコケているのがおかしい。子ハイエナもまた出てきている。
6時半に、モーニングコール代わりにロッジの人が木琴を鳴らしながら廊下を歩いてくれる。動物が来たときになるブザーは各部屋にあっても電話はないから、その代わりだ。
朝食はビュッフェだった。その場でシェフが焼いてくれるオムレツがここにもある。フレッシュジュースにオムレツ、パンケーキ、ソーセージに火を通した野菜というのが、私の朝食の定番になってきた。コーヒーも美味しい。
朝食が7時からで、集合が7時50分だったから、慌てて荷造りをした。
朝から霧雨が降っている。通常はバスまで数分歩かないといけないそうだけれど、今日は雨が降っているのでロッジの入り口までバスが来てくれたそ。
その「いつもは歩く」という木の歩道を少しだけあるいて、箱船の形をしているというロッジの全景を見て、写真を撮ってもらう。
バスに乗り、ロッジの支配人であるサイモンのサイン入り滞在証明書が配られた。
また50分くらいかけてアバーディア・カントリー・クラブに戻る。すでに4台のサファリカーは準備万端で、今日はジョージの車でまずは赤道へ向かった。
赤道に着く頃には、空は綺麗に晴れていた。
道端のそこは、赤い線が引いているわけではもちろんなくて、「赤道」という看板があって、お土産物屋さんがあって、という感じである。
赤道の定番(?)であるコリオリの力の実験を見せてもらう。
「赤道」から10mくらいずつ南と北へ歩き、ロートを使い、その辺に生えている草を投げ入れて水が渦を巻く方向を見せてくれる。
確かに、北と南とでは渦を巻く方向が違ったし、赤道の真上で試すと渦を巻かずに水が下に落ちる。
出発するときに「赤道通過証明書」みたいなものをもらったけれど、これは一体誰が証明してくれているのか? と話題になった。
すぐ近くに「トムソン・フォールズ」という滝があり、ここにもお土産物屋さん街があった。
この滝は高さが74mあって、ケニア国内に6つか7つしかない滝の中でも大きな滝だそうだ。でも「ケニアの人はあんまり順番をつけることに興味がないからさて何番目に大きいのかは判らない」とは添乗員さんの説明だ。
この滝の水源は、今朝までいたアバーディア山中なのだそうだ。今朝も雨に降られたし、鬱蒼とした森の中だったし、これくらいの水量は十分に蓄えられているに違いない。
「あれがアカシアの木だ」「ここは紅茶畑だ」と教えてくれていたジョージが、何故か「ダイチコウタイ」と日本語で教えてくれたそこは「大地溝帯」だった。
地球上でこの「地球の割れ目」が地上に出ているのはアイスランドとアフリカ大陸しかない、というのは帰国してから仕入れた知識で、そのときには何の感慨もなく、ぼーっと眺めてしまう。
なかなかのフォト・スポットだったと思うのだけれど、「明日も見る」の一言で車中から見ただけで素通りしてしまったのが残念だ。
ナクル湖国立公園の中にあるレイク・ナクル・ロッジに13時過ぎに到着した。ピンクに染まるナクル湖を遠くに望めるテラスのレストランでビュッフェの昼食である。ここでは珍しくスープもセルフサービス。セロリとナッツのクリームスープが美味しい。
ここで飲んだTASKERビールはラガーの表示があって、何となく高級感がある気がしてついつい写真に撮ってみる。TASKERビールは象の絵のラベルが可愛い。
昼食が終わった頃に降り出した雨は、お土産物屋さんをのぞいている間に本格的な雨に変わってしまった。コーヒーを飲みつつ雨宿りしていたけれど、いっこうに止む気配がない。そういえばお部屋に傘が置いてあったと思いつつ、コテージ式になっている自分の部屋まで走って戻った。
シマウマ模様のベッドカバーで、ちょっと狭いけれど(そして何故かバスルームが異様に広いのだけれど)なかなか居心地はいい。
夕方のサファリに出掛ける頃には少し小降りになって、でも傘を持って出発した。車もオープントップにはしない。
「ヒョウが見たい」「サイが見たい」「チータが見たい」と我が儘なリクエストを出して、ヴィンセントに苦笑いをされ、「マサイ・マラの方がチャンスがある」と諭される。
それでも出発してすぐにシロサイに遭遇した。
「白くない!」と叫んだら、またしてもヴィンセントに「ホワイトというのは英語の白という意味ではなくて、南アフリカ語の平たいという意味だ。口の形からそう呼ばれている。シロサイは白くないのだ」と諭される。そうだったのか・・・。
シロサイはかなり大きくて、ゆっくりと車の前を横切って行ってしまった。
「雨が降ったからフラミンゴは飛んで行ってしまった。戻ってこないかもしれない」というのはヴィンセントの作り話だったようで、陽も射してきた湖の岸辺には一面のフラミンゴがいた。
ここは国立公園では珍しく下車していいらしく、みんなで車から降りてフラミンゴを眺める。ペリカンもいる。湖の対岸までピンクで染まっているのが判る。ほとんど半周しているようだ。
林の中に向かう途中でバッファローや、ロスチャイルドキリン(ナイロビのジラフセンターで育ったキリンかもしれない)、ライオンを見る。
フラミンゴが特に有名だけれど、この周辺には結構たくさんの動物がいるらしい。40頭近い雌を従えたインパラの雄も見かける。まさにハーレム状態だ。
やけに急いで林の中の一本道を奥に向かっているな、と思っていたら、木の上にヒョウがいたらしい。どんどんサファリカーが集まってきていたけれど、その場に着いたときにはヒョウは姿を消した後だった。残念。
その後、サファリカーは細い道を凄いスピードでバックのまま戻り、少し道が膨らんだところで強引に方向転換した。その運転技術に、乗り合わせた4人で思わず拍手する。
フラミンゴとヒョウの分予定よりれて、ロッジには18時半頃着した。ここは水辺のせいなのか、気温は低いのに蚊が多い気がする。サファリ前につけておいた蚊取り線香が活躍していたようだった。
夕食は19時半からだ。トマトのスープとバーベキューというメニューである。牛とラムと鶏とが用意されていて、シェフのところまで行って取り分けてもらう。なかなか美味しい。
デザートのプリンも美味しい。この日はみんなくつろいでいたのか、「旅行に行くならどこがいい」「どこが良かった」という話で盛り上がっていた。
21時過ぎからステージで、アクロバットショーのようなものが行われていた。少し眺めてみたけれど、特にケニアらしい内容ではなかったようだった。
22時前には部屋に戻り、シャワーを浴びて洗濯した。何となく乾きそうにないので、バスタオルに挟んで必死で踏んでみる。踏みつつ、明日の荷造りを考える。マサイ・マラに行く飛行機の重量制限が厳しいので、荷物を減らさないといけない。減らした分の荷物はナイロビで預かってもらえるのだ。
でも、考えただけで嫌になってきたので、荷造りは明日の朝に回して23時半頃には寝てしまった。
2005年5月21日記
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2003年9月17日(水曜日)
暗いうちに起き出してもう1回キリマンジャロの朝焼けを見ようと思ったのだけれど、今朝は雲がかかっていてキリマンジャロは全く見えなかった。昨日の朝見えたから、朝は必ず見られると思い込んでいたので結構ショックだった。
明るくなる頃にロッジのテラスに行ったら、シマウマが目の前を行進しているところが見られた。
朝食のビュッフェのテーブルにはシャンパンも並んでいた。何て贅沢なと思いつつ、もちろん有り難くいただく。
ツリートマトのジュースがあったので飲んでみると、普通のトマトジュースよりもさっぱりしていて飲みやすい。
今朝もオムレツを焼いてもらった。キュウリやなすの炒め物、ソーセージ、パンケーキで朝食にする。
今日はこれからアバーディアに移動である。
アバーディアのロッジはスーツケースを搬入できないため、一泊分の荷物を別に作る。いつも国内の一泊旅行で使っているトートバッグで十分だろうと思っていたら、全く容量が足りなくてリュックも持って行くことにした。「一泊用のバッグ」は大きめのものを用意した方がいいみたいだ。
アンボセリに来たときの教訓を生かしてマスクをし、7時半に出発した。砂埃が車内を舞い、ジャンプする車に揺られているのにうつらうつらしてしまった。慣れというのは怖いものである。
国境の町であるナマンガまで約2時間かかった。マスクを外したら、すっかり茶色くなっていた。
ここまでは添乗員さんが一緒の車に乗っていて、ドライバーのモンディアはスペイン語と英語をしゃべることが判る。同じ車にスペイン語のできる人が乗っていたので、以後の会話は主に彼女とモンディアの間でスペイン語で交わされることになった。
アンボセリからナマンガに行く途中、黒い衣装を着たマサイの少年を見かけた。
彼らの黒い衣装は、割礼して大人になったばかりである証らしい。
昔は、リーダーの少し年上の少年に連れられて割礼後は山に籠もり、そこで傷を癒しながら狩りを学んで、一人前になったと認められたところで山を下りる、という儀式が行われていたそうだ。
山を下りた直後はお祭りで、少年たちは仮面をつけて踊っているから、家族には自分たちの息子がどこにいるのか判らない。儀式の途中で亡くなる少年もいて、少年たちの人数が減っていることは判る。自分の息子が無事かどうかは、祭りが終わるまで判らない、ということもあったそうだ。
ナマンガの町では、行きに立ち寄ったところとは別のお土産物屋でトイレ休憩となった。
お土産を見ていて、象の形をした石造りのチェス盤に惹かれた。白とピンクの石でできていて可愛い。キングの駒はライオンだ。駒の方の芸も細かい。
お店の人も「これはキリマンジャロの石を彫って作った」「浅いところに白い石があって、深く掘るとピンクの石がある。それを使っている。」「マサイがひとつひとつ手彫りで作った」と売り込んでくる。
あまりの可愛さに交渉を開始した。スタートは85ドルだったので、50ドルを目標に私は30ドルからスタートしてみた。「KILL」と言って自分の首に手を当てて引いてみせるのは「殺すつもりか」という意思表示らしい。
結局、粘りに粘って、50ドルまで下がったところで買ってしまった。
ナマンガからナイロビまでの道中はほとんど寝てしまった。
ふと気が付くと車が町中にいて、渋滞に巻き込まれていた。ナイロビの中心街(だと思われる)の中華料理屋「DragonParl」で昼食をとる。久しぶりのおしょうゆ味や鶏ガラスープの味が嬉しい。ジャスミンティーの味も懐かしい。
さらに北に向けて走る。アンボセリに向かっていたときとは違って、町を抜けても緑が濃く残っている。
「ここはケニアで2番目に大きいパイナップル・ファームだ」とモンディアが教えてくれる。確かにアンボセリへの道筋とは違って、水が豊富な感じがある。時々、川も流れている。
アンボセリに向かっているときは、川は「あった」けれど「流れて」はいなかった。
マサイは放牧を生業としているけれども、この辺りにいるキクユ族は農耕民族で、だからこの辺りは畑も多く見られるらしい。
ナイロビからだいぶ走ったところで、川で釣ったらしい魚が売っていた。ぬらした新聞紙を魚に巻いてマタツの外に吊してナイロビまで持ち帰るのだそうだ。車内に置いておくよりも涼しいのだろう。
15時半にお土産物屋(アフリカン・クリオ・ショップ)に到着し、休憩した。
そこはやけに暗くて倉庫のようでリアルな木彫りの人形が所狭しと並んでいる。あまりの圧迫感に早々に退散してしまった。
その先は高原地帯に入った感じで、風も冷たくなってきた。山を上っているという雰囲気が濃くなってきたところで「アバーディア・カントリー・クラブ」の看板を見つける。やっと到着だと喜んでいたら、モンディアに一言「very far」と言われてしまった。
アバーディア・カントリー・クラブでスーツケースを預け、モンディアたちとは明日までお別れである。
今夜の宿であるジ・アーク行きのバスはしばらく出発しないらしく、17時半まで待機と言われる。
何故かクジャクが放し飼いにされていたので、しっかり羽を広げるのを待って記念写真を撮ったりお散歩をしたりしていた。
ここからバスで比較的ゆっくり走って1時間くらいでジ・アークに到着した。
まず、バスの中でロッジの人から注意を受ける。
ロッジの中は廊下も狭く、くねくねと曲がっていて迷子になりそうである。確かにこの廊下でスーツケースを通すのは厳しいだろう。
部屋は、私はツインに1人だから余裕だけれど、ここに2人は息が詰まるかも、というくらいの広さだ。
部屋には閂しか付いていない。自分が部屋の外に出てしまうと鍵をかけることはできない造りになっている。貴重品は常に持ち歩かなければいけない。
部屋に入るとすぐにブザーが鳴って、テラスに出てみたら象が来ていた。かなりたくさんの象が来ていて、ライトのせいなのか白く浮かび上がっていて幻想的な雰囲気である。
アバーディア国立公園のロッジは、居ながらにして夜間にやってくる動物を見られるのがポイントである。ロッジの庭には池があり、塩を撒いてあるので、水と塩分が必要な動物たちがやってくるのだ。
アンボセリでたくさん象を見た記憶が残っていて、象はいつでも見られる気分になり、ほとんど写真を撮らなかった。これは大間違いで、この後、象の姿を見ることはなかった。
19時半からの夕食はポテトとネギのスープ、ヴィクトリア湖のお魚のフライ、チョコレートムースにした。スープとメインは選ぶことができる。白ワイン(200シリング)が軽くて飲みやすかったものだから、くいくい飲んでしまう。寒いせいもあって、みんな結構お酒が進んでいたみたいだ。
食事中に、レストランの脇をさっき集まっていた象が帰っていくのが見えた。
食後はコーヒーや紅茶を飲みながら、ロッジの人がジャネットに餌付けをしているところを見学する。2皿出ていて、3匹来ていたのだけれど、3匹目のちょっと弱そうな子がなかなか餌にありつけないのが可哀想な感じである。
寒さのせいもあり、動物が姿を現せばブザーで教えて貰えるということもあってみんなが次々と部屋に帰る中、ロビーで日記を書きつつ動物待ちをする。
同じツアーの人が来て「あそこにカワウソがいる!」と教えてくれる。
カワウソ??? 現実の生き物だっけ??? と莫迦なことを考えながら双眼鏡を借りて、指さされた方向を探す。確かに水辺に黒っぽい動物がいるのだけれど、あれがカワウソなのだろうか。
そうやって遠くを探していると、ときどき白いマングースと黒いマングースがロッジのすぐ近くをちょろちょろっと駆け抜ける。
添乗員さんもツアーの人の車割りをしつつ動物待ちをしている。
しばらく2人で1階のフォトポイント(石造りの壁に囲まれたスペースでガラスの入っていない窓があり、動物の写真を撮れるようになっている)から、2匹のお馬鹿な子ハイエナを見物した。絶対に敵わないのにバッファローに向かって威嚇(のつもりだと思われる)してみたり、絶対に間に合わないのに水鳥を追いかけてみたり、仕草が可愛い。学習しろー! と2人でかなり盛り上がってしまった。
添乗員さんもお部屋に戻った後は、誰もいなくなった暖炉に当たりながら日記の続きを書いていた。
ひたすら動物を待っている私を哀れに思ったのか、レンジャー(なのかな?)の人が話しかけてくれる。「多分、1時半くらいに出てくるよ」とか「さっき携帯電話をかけて呼んでおいたから」などとおっしゃる。
毎日、どんな動物が何時頃に来たのか記録に残しているそうで、そのレコードブックも見せてもらう。
9月6日にはヒョウとサイが両方来ていて、うーん、この日に泊まりたかった! と思ってしまった。9月中でヒョウが現れたのはこの日だけ。サイは3〜4日置きに現れているようだった。
ハイエナとかバッファローはいるのだけれど、待っているヒョウやサイは出てきてくれなくて、レンジャーの人とおしゃべりを続ける。
もっとも、私の英語は中学生レベルも怪しいから、大した話はできない。「どこから来たの?」とか「どんな仕事をしているの?」とか。この答えだって入国カードに「Public Servant」と書いていなかったら素直には出てこなかったくらいだ。入国カード、ありがとう。
「それはいい仕事だ。」と言われ、「to live the people」を「人々を生かすための仕事だ」と変換してしまった私は、微妙に誤解があるような気もしたし、でも訂正するだけの語学力もないしで、考え込んでしまった。
彼は動物が好きで、今の仕事も好きだし誇りを持っている、とキッパリと言っていて、それが羨ましかった。
暖炉に当たりながらこんな話をしていて、周りにはほとんど人もいなくなっていて、何て贅沢なんでしょう、とぼんやり考えていた。
「サイが来たら起こしてあげるから」と言われ、1時半過ぎにギブアップした。シャワーを浴びる元気もなくて、隣のベッドから毛布を奪い、すっかり温くなっていた湯たんぽを抱え込んで寝てしまった。
2005年5月21日記
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2003年9月16日(火曜日)
モーニングコールは5時45分だったのだけれど、5時半にお隣で目覚まし時計が鳴った音で目が覚めた。支度をして、6時過ぎにテラスへ行く。朝食はモーニングサファリ後になるので、セルフサービスになっているコーヒーとホットミルクでカフェオレを作り、とりあえず暖まる。
長袖Tシャツの上に長袖シャツを羽織っただけの格好だと少し肌寒い。
ロッジの入り口に行ってみると、キリマンジャロが見えていた。やった!
朝夕は見えることが多いとガイドブックにあったけれど、昨日の夕方は全く判らなかった。
日の出前の赤く染まりつつある空にうすむらさきのシルエットで浮かぶキリマンジャロ山は、その山裾までくっきり判る。
日が昇るにつれて、キリマンジャロ山も空も、色と表情を少しずつ変えていく。
日の出とキリマンジャロ山を堪能した後、ゲートまで来てくれたサファリカーに乗り込んだ。6時半からモーニングサファリだ。
走り出してすぐ、サファリカーが停車した。シマウマとヌーはもうちょっとだけ見飽きたよ、と思っていたら、ドライバーさんが「キリマンジャロをバックに写真が撮れる」と日本語で言ったのか英語で言ったのか、指さして教えてくれる。もちろん慌てて写真を撮る。
すでに、キリマンジャロは雲の中に隠れようとしていた。
シマウマは草の上部のやわらかいところを食べ、ヌーは下の方の少し固いところを食べる。だから、大移動のときはシマウマが先に立って草を食べながら歩き、その後をヌーがついていく形になるそうだ。
他のロッジを通り抜ける道には何故かヒヒが集団でいる。まだお母さんのお乳を飲んでいる子供のヒヒは、その子だけ色が黒っぽくて小さくて可愛い。
大人の象の身体の下にすっぽり入るくらいの大きさの子象は大体1歳くらいなのだそうだ。それくらいの子供を連れた象のファミリーがサファリカーのすぐ前を横切る。
雌ライオン3頭に雄ライオン1頭のライオンの群(?)がサファリカーのすぐ前を横切る。
遠くの水辺にカバが歩いているのが見える。
2時間のサファリはあっという間だった。
手だけ洗って、すぐに朝食を食べる。具を選べて目の前で焼いてくれるオムレツがここにもある。オニオン・ハム・チーズ・トマトを入れて焼いてもらう。やっぱり卵が白っぽいのだけれど美味しい。
パンケーキにメイプルシロップをかけ、ヨーグルトを食べる。
10時半にウォーキング・サファリに出発した。添乗員さんも加わって、参加者は11名だ。マサイ族のレオナルドが案内兼護衛役で、ロッジを出て国立公園を抜け、マサイランドまで歩く。
ロッジのすぐ近くでライオンが狩りをしたらしく、上空を禿鷹が舞っている。「あれは獲物が下にあるときの飛び方だ」とレオナルドが教えてくれる。
ロッジのすぐそばを川が流れている。その川の源はキリマンジャロ山の雪解け水だそうだ。触ってみると結構冷たかった。触った後で「動物の糞とかがあるから綺麗じゃない」と言われたけど、時すでに遅しだ。
川岸はもちろん、あちこちに色々な鳥がいる。レオナルドは鳥の名前を教えてくれようとするのだけれど、私が持っていた本は大半が動物で鳥はほんの少ししか載っていない。「動物の方が好きなのか?」と聞かれたけれど、そんなことを言われても困る。確かに鳥を見るよりは動物を見たときの方が嬉しいのだけれど。
のんびり歩きながらリスやブッシュベイビー(木の上の巣の影にいて、「そう言われれば何かがいる気がする」という程度だったけれど)、こうもりが木から木へ飛び移るところを見た。
確かに黄色い翼が見えたのだけれど、こうもりという鳥は夜行性ではないのだろうか?
のんびり歩きすぎたせいなのか、私たちを追い越していったマサイの2人組はあっという間に遠く離れて行ってしまう。
途中でマサイの女の人に行き会う。もっとも私は言われるまで女の人だとは判らなかった。
添乗員さんがレオナルドに交渉し、レオナルドが彼女に交渉してくれて、みんなで写真を撮らせてもらう。みんなに囲まれて彼女はちょっと恥ずかしそうにしていた。
遠くの木の上にはマサイの子どもが2人並んで座っていた。何をしていたんだろう?
日本語の「シマウマ」という音は、スワヒリ語では「止まれ」という意味だそうだ。日本人と一緒に歩くとしょっちゅう「止まれ」と言われることになって、つい硬直してしまうらしい。それでマサイの人々は日本語の「シマウマ」を一番最初に覚えるそうだ。
添乗員さんにもらった「かんたんスワヒリ語」というプリントを見たら、発音としては「シマウマ」というよりも「シママ」に近いようだった。
歩きながら、象の足跡(私の靴の倍はあった)、ライオンやシマウマ、ハイエナの足跡も教えてもらう。
足跡が残っていることからも判るように、サバンナというのは要するに砂地である。歩きにくい上にほこりっぽい。靴とズボンの裾は砂埃だらけになっている。
すぐそこでミニ竜巻が起きている。
歩きにくいところを歩いたせいか、ケニアに来て初めてかもしれない大汗をかいてしまった。レオナルドにも「汗かいているね」とわざわざ指摘されたくらいだから、相当目立っていたようだ。そう言われて見てみると、レオナルドは全く汗をかいていなかった。
少し離れたところにあるマサイ・ヴィレッジを教えてもらい(牛糞で作って、茨の草で垣根を作って、ライオンなどの肉食獣から守っているそうだ)、片道4〜8kmと、教えてくれた人によってかなり距離の開きがあったウォーキング・サファリも終了した。
ゴール地点でクーラーボックスに入ったビールをもらい、マサイの槍を持たせてもらう。武器だから当たり前なのだけれど、かなり重かった。
何となくロッジに戻る車に乗る前に飲みきらないといけないような気がして、瓶ビールを一気飲みしてしまった。ランクルでロッジまで送ってもらう。この車が揺れる、揺れる。一気にビールが回ってしまった。
お昼は大人しくアルコールはやめて、パッションフルーツジュースを飲んでみた。ビュッフェスタイルの昼食である。ナイロビのセレナホテルにもあって気に入っていたカレーとフルーツを山ほど食べた。
汗をかいて、アルコール飲んで、お腹もいっぱいになったら、お風呂に入るしかないでしょう。この旅行で湯船につかれるのもここが最後だ。食休みしてからお風呂にのんびりつかった。
でも、ただのんびりするだけじゃなくて、ついつい洗濯もしてしまうところが貧乏性かもしれない。
16時に集合し、アンボセリ国立公園で最後のサファリに出掛ける。
ドライバーのアイザックと「どんな動物を見ていないの?」という話になって、「チータとバッファロー」と添乗員さんが答えたら、象の水浴びをみているうちに本当にバッファローが登場した。やっぱり迫力がある。岩みたいだ。
象が水浴びをしていた辺りを今度はカバが歩いているのが見える。その手前では象の親子がまるで会話をしているように見える。
添乗員さんが「アイザックが一番日本語が得意だから、聞きたいことがあったら今のうちに聞いておいて」と言う。ずっと気になっていた「バオバブの木」のことを聞くと、あっさり「見られない」という返事が返ってきた。「え?」と聞き返すと、「今回のコースでは見られない。もっと北の方。ツァボとかに行けば見られる」ということだった。
「地球の歩き方」にだって、バオバブがケニアの一部でしか見られないなんて書いてなかったのに!
ひたすらショックを受けていたら、「また来ればいい」とアイザックに言われてしまった。
オブザベーション・ヒルへ向かう途中、トキ(とは言っても、「ニッポニア・ニッポン」とは姿形からして全く違う。)を見る。クロトキという名前のとおり真っ黒だった。
オブザベーション・ヒルはアンボセリ国立公園で唯一人間が自分の足で歩いてもいい場所である。サファリカーを降りると丁度そこに、水浴びをしてきたのか、身体の下半分を黒く染めた象が歩いて行くのが見えた。
階段もついているし、10分くらいで頂上に到着した。
この丘は火山の噴火でできた丘らしい。
また、一面の緑だったアンボセリが一面のサバンナになってしまったのは、国立公園を狭くしてしまったことで象の人口密度が上がり、土地が象の食欲に敵わなかったことと、地盤沈下によって地面に塩が上がってきて植物が育たなくなってしまったからだそうだ。
オブザベーション・ヒルからの眺めは、ほとんど地平線で地球が丸く見えて、ただもう「広い!」「丸い!」以外に感想が浮かばない。
夕暮れどきに見られることが多いというキリマンジャロは見られなかったけれど、全員でキリマンジャロが見える筈の方向をバックに集合写真を撮った。
かなり遅れて丘を降りて行くと、みんなが双眼鏡を覗いて一方向を見ている。どうしたのかと思ったら、ドライバーのモンディアがはるか遠くにチータを見つけたらしい。双眼鏡で見てもライオンと見分けがつかないと言っていたけれど、またまた双眼鏡を持って来れば良かった、と後悔してしまった。
その間、私は「動物を見つけるにはいい目が必要だ」とか、「チータはマサイ・マラでなら見られるかもしれない」「ヒョウはチータよりもさらに見ることが難しい」などとドライバーさんとおしゃべりしていた。
「いい目」と言えば、アイザックが「自分の目も悪くなってきた」などという。あれだけの動物を見つけながら! と思って、何の気なしに「どうして?」と聞いてみたら、少し困った挙げ句に「歳を取ったから」という返事だった。いや、そんな老人には見えないよ、と思って「いくつ?」と聞いたら「還暦」という返事だ!
一瞬絶句した。
事実なのか? そもそも、アイザックは「還暦」の意味を正しく理解しているのだろうか?
チータ探しに時間を取られた分、帰りは4台とも物凄いスピードで飛ばした。添乗員さんがいくら「ポレポレ」と言ってもお構いなしだ。
それでも少しだけサファリカーを止めてもらい、真っ赤な夕陽を撮ったところでカメラの電池が切れた。まだ200枚くらいしか撮っていないのに、とちょっと先行きに不安を感じた。
ロッジに戻って絵はがきを選んだりしていたら、あっという間に夕食の時間になった。
夕食はサラダブッフェ、セロリとブルーチーズのスープ、ペンネのトマトソース、ラムチョップ、デザートというメニューだ。スープとメインは選べる。ラムを選んだので、飲み物は赤ワインにした。
このラムがまた固かった! ケニアではチキンかフィッシュというのが正しい選択なのかもしれない。
明日にはアンボセリを出発するので、もう一度、夕食後にロッジのお土産物屋さんに行ってみた。もう何度も来ているのだけれど、レーヨンの黄色い布にマサイの人を描いた布が売っているのを発見した。ちょっとどこかの洞窟の壁に描いてあるような感じの柄だ。軽いし、二つ折りにしてパレオにできそうな大きさ、いい感じだったので買ってしまう。32ドル。
すでにお馴染みになっていた「TUSKER BEER」のポロシャツも惹かれたのだけれど、Mサイズが1枚しかなかったので諦めた。
21時半過ぎに部屋に戻ってお風呂に入ろうとしたらぬるま湯にしかならない。午後にお風呂に入ってしまったので、お湯がたまりきっていないのだろう。この温度のお湯に入ったら却って風邪をひくと思い、シャワーに変更する。
その後、日記を書き、絵はがきを書き(フロントに預ければ投函して貰える)、明日の出発に備えて荷造りをし、大忙しだった。
2005年5月14日記
2005年5月31日画像追加
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