2007.05.06

モンゴル旅行記の入口を作る

キャンプ ここはモンゴル旅行記への入口である。
 モンゴル旅行記8・9日目を書き終えたので、入口を作っておくことにした。山寺に行く前にモンゴル旅行記を書き終わりたくて超特急で書いてしまった。しかも今回はあまりメモも取っていないし、写真も少なかったので、ふっと「そういえばこんなこともあった!」と書き足したりしている。
 しばらく、書き足したり直したりするかもしれないけれど、とりあえず枠としては完成ということにした。

 以下の日程表の日付部分をクリックすると、その日の旅行記に飛べるようになっている。

1日目 2006年8月12日 羽田(関空乗り換え) -> ウランバートル(泊)

2日目 2006年8月13日 ウランバートル -> 騎馬イベント -> ホスタイ(泊)

3日目 2006年8月14日 ホスタイ -> ツァガンスム(泊)

4日目 2006年8月15日 ツァガンスム滞在

5日目 2006年8月16日 ツァガンスム滞在

6日目 2006年8月17日 ツァガンスム滞在

7日目 2006年8月18日 ツァガンスム -> カラコルム -> ブルド(泊)

8・9日目2006年8月19・20日 ブルド -> ウランバートル -> 羽田


その国の旅を終えて 100の質問 (モンゴル編)


持ち物リスト (モンゴル編)


2006年8月 モンゴルの写真

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モンゴル旅行記8・9日目

2006年8月19日(土曜日)

 モンゴル最後の朝は早かった。
 6時30分から朝食と言われて、それに間に合うように起き出す。雲は多いけれど雨はすっかりあがっている。朝焼けもないし、きっといいお天気になるに違いない。
 朝食の用意ができるまでの間、ツーリストキャンプの中を散歩する。
 ちょうど「黎明」という感じの空に風にはためくモンゴル国旗、頭上高くに三日月というポイントを見つけ、写真を撮る。どうしても高いところにある三日月を入れたくて、私の姿勢はどんどん低くなる。
 普段は使わないビューファインダーも使って、地面すれすれから撮影した。

 そうこうしているうちに、みなさん起き出して来た。
 前にモンゴルに来たときにもこのツーリストキャンプに泊まったという方が、遠くに見える三角形の山を指さして、あれがモンゴルの中心だと教えてくださる。
 バヤン・ゴビは砂漠の飛び地だそうだけれど、あの山はその砂漠のさらに向こうにあるように見える。

 7時頃になった朝食は、ジュース、パンとバターとジャム、目玉焼きとソーセージという「洋風」のメニューだった。何だか懐かしい感じすらする。
 朝食後に荷物を出したら、大八車のようなものに荷物を載せて運ぶのに手間取っていたようだ。
 そういえば、扉が開いているゲルの写真は撮ったけれど、「これぞゲルの扉」という細かくて華やかな模様が描かれた扉がちゃんと写ったゲルの写真を撮っていないことに気がつき、しっかりカメラに納めた。

給油中 出発したのは8時前だったと思う。
 走り始めて割とすぐ、バスが給油のために停まった。
 行きにもどこかでガソリンスタンドに停まったけれど、そのときには写真を撮っていなかったと思い出し、みなさんがバスで大人しく待っていらっしゃる中一人で外に出て写真を撮った。
 空も真っ青で、ガソリン臭いけれど、でも気持ちがいい。

 そこから2時間弱、バスは爆走した。
 そして、車内の私たちは爆睡した。起きている人なんてほとんどいなかったのじゃないだろうか。

ラジオ体操 10時くらいにトイレ休憩を取ってもらった。
 といっても、どこかにトイレがあるわけではなくて、もちろん青空トイレだ。隠れやすいように、土地に起伏がある辺りをドライバーさんが探してくれる。
 そこで、「今朝はやっていない!」という声が上がって、本日のラジオ体操が始まった。私は参加しなかったけれど、変な姿勢で爆睡していた分、青空と草原の間で伸びをするだけでも気持ちがいい。
 ウランバートルに向かう道がこんなに真っ直ぐに伸びている。

 ここからさらに4時間弱、バスはウランバートルに向けて爆走した。
 もちろん、車内の私たちは爆睡だ。
 ウランバートルの街が近づくと車が混み始め、空気が何となくどよんとし始める。道路沿いに看板が現れ、やがてどんどん増えてくる。
 6日ぶりにウランバートルに戻ってきた。ツァガンスムから戻ると、そのわやわやがやがやした感じに何だか慣れない。同じ国にいる感じがしない。

 のろのろ運転の中を進んで、ノミンデパートの上の方にある中華料理のレストランでお昼ごはんを食べ始めたときには14時を回っていた。遅めのお昼ごはんに慣れていたとはいえ、やはりお腹はぺこぺこだ。
 もうメニューも覚えていないけれど、ごく普通の中華料理だった。
 周りには、騎馬イベント以来の「同じ飛行機で来た別のツアーの方」のテーブルがある。全員が揃っているわけではないのは、ウランバートル近くに滞在していた方々はもう食べ終わって次の行程に移っているからだろう。

 ゆっくりお昼ごはんを食べ、ここでウランバートルにいるお友達と約束しているという方がツアーから離脱された。添乗員さんもそちらについて行き、残った私たちはそのまま5階に降りてお土産探しだ。
 私は、結局、ガイドさんにお勧めしてもらったCDとジャケットが気に入ったCDを2枚(両方で32ドル)購入した。
 モンゴルの詳しい地図やフェルト製品、ゲルのミニチュアやカシミア製品などなどを購入されている方が多かったと思う。

チョコの箱 ノミンデパート1階のスーパーマーケットに移動した。
 ここでの人気商品は、チョコレートとアイラグだ。
 ペットボトルのような緑色の容器に入ったアイラグにはかなり惹かれたし、購入した方も多かったけれど、2リットルくらい入りそうなそのペットボトルでは、家では飲まない私には多すぎる。
 チョコレートの箱にはゲルの絵が描いてあって、「職場に持って行くのはこれしかない」とほぼ全員の頭に浮かんだに違いない。中にいくつ入っているのかどこを探しても書いてなかったので余裕を見て2箱買い、その他に、いつの間にか戻ってきた添乗員さんに「アイラグを蒸溜して作ったお酒です。」と教えてもらった紙パック入りのお酒を購入した。
 締めて7ドルだ。このスーパーではドルも使えた。ただし、おつりはトゥグルグである。

 この「アイラグを蒸溜して作ったお酒」は、添乗員さんは「馬乳酒を蒸溜して作ったお酒です」と言い、ガイドさんは、「牛乳から作ったお酒を蒸溜したものです」と説明していた。
 多分、「アイラグ」という言葉は「乳製品から作ったお酒」という意味で、でも日本人にとっては「アイラグ」イコール「馬乳酒」というイメージが強い。その辺りから生まれた齟齬ではないかと思う。
 いずれにしても、今回購入した「シミンアルヒ」はモンゴルの伝統的で強烈なお酒である。

 次に、ツァガンスムに行く前に立ち寄った雑貨屋っぽいスーパーに向かった。
 ここで、2cmくらいの岩塩の固まりが10個くらい入ったものを四つ購入した。締めて800Tだ。この岩塩、白いものとピンクのものがある。この色の違いがどこから来ているのかは謎だ。
 このスーパーでは、他に、キャビアの缶詰を買う人あり、朝食によく出されていた粉末の甘いミルクコーヒーを買う人あり、奥様から頼まれたとかで馬油を買う方もいらっしゃった。

 これでフリータイムは終了し、デイユースのホテルに向かった。私たちのツアー一向はフラワーホテルである。
 このホテルは日系のホテルで、大浴場もある。ぜひ体験してみたかったのだけれど、ホテル到着が17時で、17時30分には民族音楽コンサートに行くためホテル入り口に集合だ。
 部屋のシャワーをひねったら熱いお湯が出たので、そのまま超特急でシャワーを浴び、着替えて、結構ぎりぎりの時間に集合することができた。

踊り 民族音楽コンサートは、18時くらいに集まった。
 今度こそ、「同じ飛行機で来た」ツアー一行が全員集合して、ほぼ貸し切り状態だったと思う。
 1時間くらいのこのコンサートでは、踊りやホーミー、馬頭琴の演奏、アクロバットのような曲芸まで色々な演し物が次々と演じられる。壁に英語と(推定)モンゴル語で説明がスライドのように映し出される。
 見終わって、ホーミーも馬頭琴の演奏も、やっぱり草原で聴きたかったなと思った。

 コンサートの後、そのままレストランに行って夕食になった。
 レストランには(多分、珍しいことに)英語で看板が出ていた。「この名前、どういう意味なんだろう」と騒いでいたら、添乗員さんが「遊牧民という意味です」と教えてくれたことは覚えているから、多分「Modern Momads」だったと思う。
 メニューは、グリーンサラダ、スープ(ポタージュのような感じ)、お肉の煮込み(牛だったかラムだったかすら覚えていない・・・)に付け合わせは紫キャベツの酢漬けとジャガイモとにんじん、何かのパイ(これも、生クリームたっぷりの見た目に反して、酸味のあるフィリングで美味しかったことは覚えているのだけれど、それが何だったのかが思い出せない)だった。

 お料理は量もたっぷりで美味しかったのだけれど、いかんせん、私たちのテーブルは疲労度が高く空気がどんよりしている。
 他のツアーの方々が「乾杯!」と賑やかだったり、集合写真を撮ったりして華やかな雰囲気なのとは随分と落差がある。
 「この差は何なんだろうね」「年齢差じゃないよね」「ウランバートルからの移動距離の差か?」「ムードメーカーのお二人が離脱しているからだよ」と様々に分析がなされたけれど、深く頷かされたのは「我々のツアーは、一昨日ツァガンスムで乾杯したときに終わったんですよ」という意見だった。

 そんな訳で、黙々と食べていた私たちのテーブルは食べ終わるのも早かった。写真の撮影日時をチェックしたら、最初のグリーンサラダとデザートのパイの間が30分しかあいていない。相当のスピードで食べたことになる。
 だから、添乗員さんが「お店からのプレゼントで、羊の骨の駒4つを投げて全部表だった方にドリンク一杯差し上げます」と現れたときには、食べ終わっている人があらかただったようにも思う。
 12人がチャレンジして成功したのは最初に投げた女の子1人だけだった。素晴らしい!

 旅行社から送られてくるアンケートとは別に、ガイドさんに特化したアンケートが配られ、夕食時に回収された。
 今回お世話になったガイドさんも、ガイド業をやっているのは夏の間だけで、冬に故郷に戻ってそちらの仕事が軌道に乗れば来年はガイドはやらないかもしれないと言う。その辺のこともあって、「いいガイド」さんをきちんと評価して継続してやってもらおうという意図があるということだった。

 20時30分くらいにホテルに戻り、私はそのままホテル内にあったカシミア製品のショップ「GOBI CORPORATION」に行ってみた。
 セーターやショール、マフラーなどを見る。工場から直接仕入れているようでお買い得、もらったチラシに名前と住所(だったと思う)を書くと更に5%引きになる。その代わり返品はできませんと店内に日本語の案内が貼ってあったように記憶している。

 同じツアーの方も何人かいらっしゃって、お聞きしたところでは「同じ系列のショップが最初に泊まったコンチネンタル・ホテルにもあり、そちらの方が品揃えがお洒落だった」とのことだった。
 確かに、色は豊富だけれどオーソドックスなデザインのものが多かったかもしれない。
 職場に着て行くには却って好都合だと思い、ここでダークグレーの少し編み込みの入ったセーターと明るめのグレーのマフラーを購入した。両方で79ドルだった。

 荷物を整理して、22時にロビーに集合しなくてはならない。
 慌てて部屋に戻り、荷造りを開始しようとしたら、窓の外がオレンジに染まっていることに気がついた。窓を開けてみると、燃えるような夕焼けが広がっている。
 もちろんカメラを持ち出してきて、しばし、窓から乗り出すようにして写真を撮ってしまった。
 何だか得した気分だ。

 気分は得したけれど、それで荷造りが進むわけではない。結局、時間ぎりぎりまでかかって何とかキャリーケースのファスナーを閉め、ロビーに行くことができた。
 添乗員さんは手続きその他のために先に空港に向かっている。そのためなのか、ブレーキが利かない荷物車のブレーキがさらに利かなくなったのか、空港までは人と荷物を1台のバスに無理矢理詰め込んで行った。

 なかなか空港のカウンターが開かず、荷物の預け入れまでしばし待つ。チェックインは先に来ていた添乗員さんが済ませてくれていたようだ。
 空港までのバスの中で航空券を集めたのにどうしてチェックインができるんだ? と思って聞いたら「私たちはできるんです」とのお答えだった。
 JALはツアーであっても個人でチェックインをさせていたと思ったけれど、チャーター便の場合はまた別の仕組みなんだろうか。

 ガイドさんに別れを告げてセキュリティチェックに向かう。
 これが2列あるのになかなか進まない。前の方にいた別のツアーの添乗員さんから、「封の開いた液体は機内持ち込みできないのでここで没収されます。」という注意が飛ぶ。来るときにはロンドンの事件は影響なかったのだけれど、ここに来てセキュリティが厳しくなったらしい。
 勿体ないので封を開けてしまったミネラルウォーターはその場で飲み切る。このペットボトルは、太陽や森の形が浮き出る可愛いデザインで持って帰りたかったのだけれど、空っぽのペットボトルを持って帰りたいと伝えるのも面倒そうなので諦め、封を開けていないペットボトルをセキュリティチェックのお姉さんに渡してX線を通してもらう。

 こうして私は難なく通り抜けたのだけれど、他の方々は何だか大変だったらしい。私のすぐ後ろに並んでいた方は、ペットボトルの封を開けていなかったのにカバンに入れたままX線の機械に通したせいか没収されたそうだし、もう一方の列では封が開いているいないに関わらず、液体はお酒も含めて全て問答無用で没収されてしまったそうだ。
 同じツアーの方も何人か、昼間スーパーで買ったアイラグを没収されてしまった、こんなやり方はフェアじゃないと怒っていらっしゃった。
 私は手荷物が重くなるのが嫌で、買ったお酒はジップロックに二重に入れてキャリーケースに入れて預けてしまったのでこちらも無事、何だか申し訳ない感じだった。


2006年8月20日(日曜日)
 ウランバートル発0時25分のJAL8872便(チャーター便)は、私が爆睡している間に離陸し、機内食サービスも終了し、5時に羽田空港に到着した。
 建物の中でクーラーが効いているのに、じわっと暑い。
 モノレールに乗るため、国内線ターミナルまでバスで移動する。外に出たら、まるでサウナにいるような暑さと湿度にグッタリしてしまった。

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2007.05.05

モンゴル旅行記7日目

2006年8月18日(金曜日)

雀 前夜に「7時半朝食、9時出発」と言い渡されていたので、7時頃に起き出した。この時間ではもう陽も昇っていてまぶしいくらいだ。
 名残惜しいので、ツーリストキャンプ内で咲いていたウメバチソウや、柵の外遠くに見えるヤクや、四阿の屋根に並んでいた(推定)雀の写真を撮って、キャンプ内をうろうろする。朝の冷たい空気が気持ちよい。
 そういえば、ツァガンスムで霜が降りていたのは、最初に泊まった日の翌朝だけだった。

 朝食を食べ始めた8時30分頃にはお腹はぺこぺこだった。
 朝一番では青空も見えていた空は、何だかどんよりとした色になってきた。
 ヤクがいた草原には、仔馬もいる馬の群れが遊牧民の少年に統率されて現れている。

 昨夜添乗員さんから聞いたときには半信半疑だったけれど、荷物を積んでいる車のブレーキが利かないという話は本当らしい。
 「貴重品をスーツケースなどに入れて荷物車に預けている人は、この車はどうなるか判らないので取り出しておいてください。」と言われる。そんなことをしていたのは私だけだったらしく、添乗員さんに荷物を降ろしてもらって一人で荷物を開く羽目になった。間抜けすぎだ。

 このツーリストキャンプにこんなに人がいたのねというくらい大勢のスタッフが出てきてくれる。女の子たちはお揃いのスカイブルーのジャンパーを着ていて可愛い。乗馬コーチの男の子達の顔もいくつか見える。
 みんなでツーリストキャンプ入口で記念撮影をした。すると、隣にいた乗馬コーチの男の子が何か言っている。ガイドさんが「虫がいるからじっとしていてくださいと言っています。」と言うので、大人しく彼らが髪から何やら取ってくれるのを待つ。
 また何か言われて意味が判らなくてじっとしていると、またもガイドさんが「こっちを見てくださいと言っています。」と言う。虫なんて見たくないよと思いつつそちらに視線を向けたら、乗馬コーチの男の子が嬉しそうに笑って白髪を示した。
 「いいんだよ、そんなもの発見しなくても! もう!」と拳を振り上げるマネをする。
 彼らが何をしようとしているのか知っていただろうに「直訳」してくれていたガイドさんもガイドさんだ。

 バスは10時30分くらいにツァガンスムのツーリストキャンプを出発した。
 来るときはもう少し時間がかかったような気がするけれど、2時間くらいでカラコルムの街に戻った。そのまますぐ近くにあるツーリストキャンプで昼食だ。

 このツーリストキャンプはかなり大きいようで、レストランゲルも立派だ。
 昼食のメニューは、前菜にニンジンのサラダと大根のサラダ、ミネストローネ風のトマト味のスープ、ビーフカツレツ(衣はカツというよりも天ぷらの衣の卵を多くした感じ)にジャガイモとキュウリとライスが付け合わせについている。どちらかというと、西洋風というかツーリスト向けのアレンジが強いと言えると思う。

オボーと川 このツーリストキャンプのすぐそばに丘があり、そのてっぺんに巨大なオボーがモニュメントのように立っていた。ガイドさんが連れて行ってくれると言うので、ほとんど全員が登ったと思う。
 5〜10分くらい結構急な坂を上る。昨日までの乗馬でボロボロになった私の足腰にはかなりきつい。またしても「お先にどうぞ。」と元気な方に道を譲り、ゆっくりと歩く。
 登りきると、小さなオボーがいくつか立ち、丘の向こうには川が流れているのが見えた。ツァガンスムでの乗馬の際に渡った小川を除くと、モンゴルで川を見たのは初めてかも知れない。

 丘の尾根づたいに少し歩き、巨大なオボーに到着した。このオボーの周りには、アジアの大きな地図が3枚タイル画のような感じで描かれている。
 ガイドさんによると、モンゴル人が建てた三つの国の地図だそうだ。その三つの国の名も教えてもらったけれど、どうしても思い出せない。
 突厥とモンゴル帝国とあと一つはどこだっただろう?

 3枚の地図に囲まれたオボーは、てっぺんに旗も立ち、何というのか、完成したオボーだった。
 周りに石など落ちていないし、落ちている石を投げようにも平べったい石をきっちり積み上げてあって投げる隙間がない。
 そういえば、今までは誰かの後について回っていたので、オボーの周りを回るのにどちら向きに回るのか考えたことがなかった。ガイドさんに時計回りに回るのだと教えてもらった。

 このオボーのすぐそばでは、テーブルを並べて露天のお土産物屋さんが開店していた。
 そちらに目を向けると、カラコルムの街に雲の影が落ち、さらにその向こうにエルデニゾーの白い壁に仏塔が並んでいるところが見える。
 ツアーの方がこの露天で買ったブレスレットが、華奢で繊細な感じでとても可愛かった。

 ゆっくりお昼ご飯を食べて丘の上まで登ったら、あっという間に2時間以上がたっていた。
 バスですぐのところにある、エルデニゾーに向かう。
 エルデニゾーは16世紀に建てられた寺院で、かつてモンゴル帝国の首都だったハラホリンの宮殿で使われていた建材を流用しているそうだ。
 若い女の子の日本語ガイドさんがかなり流ちょうな日本語で様々な建築の様式や仏像や仏画の説明をしてくれたけれど、さっぱり覚えていない。

 エルデニゾーの内部について私が確実に言えることは、西門を入ってすぐ左手のお土産物屋さんはかなり広くて充実していてお手洗いも清潔だったことと、建物の外観は撮影自由だけれど内部を撮るには料金が必要なこと、大日如来や薬師如来などにモンゴル独特の「**の神様です」という説明がついていたことくらいだ。しかも、この**の部分がどうしても思い出せない。
 元々、宗教にも仏教にも詳しくない私は、「面白いデザインだ」とか「立派そうだ」「意味ありげだ」という感想しか出てこないし、そういう目で見ていたということは自分で撮った写真を眺めると一目瞭然だ。

 例えばこの写真は、漢民族式建築によるゴルバン・ゾーのうちのどれかだということしか覚えていないし、この写真に至っては、多分、漢民族式建築のお寺のどれかの屋根にあったような気がするということしか覚えていない。

漢民族様式ラブラン寺

 漢民族様式のお寺(左)があり、ゾボルガン塔を挟んで、チベット式建築のラブラン寺(右)がある。

ゾボルガン塔 ゾボルガン塔の手前にある塔に描かれている文様には意味があって、モンゴル国旗にも使われている。
 天と地、男と女など対になるものの意味が含まれているという説明だったと思う。

 ラブラン寺には大講堂があり、そこでは僧が今も勤行に励んでいる。私たちも、勤行が今終わったところで掃除中なので見学は少し待ってくださいと言われた。
 その待ち時間にラブラン寺の大講堂の手前左右にあるお土産物屋さんに行く人が多かった。
 私は休憩に外に出てきた少年僧の笑顔があまりにも可愛かったのでついこっそりと写真撮影してしまった。

 ラブラン寺の大講堂の中はお寺と学校が合体したような感じだった。
 隅っこに「一周回すと全てのお経をあげたことになる」らしい輪蔵(だと思うけれど、モンゴル仏教でもそういう名前かどうかは不明)があり、やけに軽々と回すことができた。
 ご本尊がある辺りにはたくさんの仏像が並んでいたと思う。

エルデニゾー中央部 エルデニゾー専属日本語ガイドさんの説明はここまでで、20分くらいのフリータイム、集合は入って来た門のところになった。
 ここまでお寺に沿って端の方を歩いてきたので、私は真ん中近くを歩いて戻ることにした。衣装をつけて写真を撮るサービスをどこかでやっているらしく、3歳くらいの男の子がチンギス・ハンの扮装をしているのが可愛い。
 西門についていたノッカーにもブルーの布がはためいていたし、恐らくエルデニゾーの敷地ほぼ中央にあったこの写真の物(意味や名前はよく判らない)にもブルーの布が結ばれていた。
 チベット仏教では黄色が貴色だけれど、モンゴル仏教では青色が貴色だそうだ。そのブルーで飾られているのだから、何かの意味があると思う。知識がないのが残念である。

 門を入ってすぐ左手にあったお土産物屋さんを覗き、お手洗いを借りた。後から考えると、ここのお土産物屋さんは、ウランバートルのノミンデパート5階に次いで品揃えが豊富だったと思う。。
 ツアーの方が前にエルデニゾーに来たときに、カラコルムの街で美味しいアイスクリームを食べたからまた食べたいとおっしゃる。エルデニゾー近くのお店で名前や場所はよく判らないらしい。そのときのドライバーさんが連れて行ってくれたそうだ。
 これだけの情報で、見事に今回のドライバーさんは近くにあったお店に連れて行ってくれた。

 そこはスーパーマーケットとよろずやを足して2で割ったような感じのお店で、アイスクリームはソフトクリームの形をして、無造作にケースに詰め込まれていた。包装はアイスクリームのてっぺんに直にシールが貼ってあるだけだ。
 言い出しっぺの方を含め何人かがアイスクリームを買って食べていらっしゃった。私も一口いただいたらカチンコチンで、アイスクリームというよりもアイスクリンという感じで、さっぱりしていて美味しかった。

 カラコルムの街を出発したのは16時30分くらいだった。
 今日宿泊するブルドのバヤン・ゴビ・ツーリストキャンプは地球の歩き方にも載っている。今見直してみたら確かに「ハラホリンから車で2時間弱」と書いてあるけれど、そのときの私の頭には「カラコルム遺跡へのベース地に当たる」という文章しか残っておらず、すぐ到着すると思っていた。
 そう思っていると道のりは長い。
 バヤン・ゴビ・ツーリストキャンプには18時15分くらいに到着したから確かに2時間弱しかかかっていないのに、やけに長く感じてしまった。

 ツーリストキャンプに到着してからゲルを割り振ってもらうまで時間がかかり、レストランゲルで待機することになった。
 前にこのツーリストキャンプに宿泊したことがあるという方が「このツーリストキャンプは規模が大きい部分、あまり小回りが利かない。」と言っていらしたとおりのようだ。
 ふと思いついて、地球の歩き方の地図を広げ、ドライバーさんに頼んでこれまでの宿泊地を書き込んでもらった。

ライス倍のメインディッシュ 20時頃からポテトサラダと、牛のシチュー(にんじんとビーツのサラダとライスが付け合わせについている)の夕食になった。
 夕食のとき、最初に私たちのテーブルにこのシチューの皿が並べられ、でもすぐ下げられてしまった。
 何故? と騒いでいると、ライスの盛りが倍になって再登場したので、「よっぽど大食いに見えたんだね。」「私たち、これじゃ少ないって顔したかな。」と大笑いになった。

 このツーリストキャンプにはお土産物屋ゲルがあった。
 夕食後、何人かで行ってみる。夕食の間に降り出した雨の中、レインポンチョを羽織って走る。結構な降りだ。モンゴルに来て初めての本格的な雨かもしれない。
 石を使ったアクセサリーや、ゲルのミニチュア、草原を描いた水彩画などが売られている。私はここでTシャツを14400Tで購入した。ウランバートルのノミンデパート5階にデザインが同じで色違いのTシャツが売っていて、そちらの方が安かったけれど、まぁいいだろう。
 お店にいた女性と彼女のお子さんだと思われる男の子達と記念撮影をする。

 その後、同じゲルの方とシャワーを浴びに行った。
 このツーリストキャンプのシャワーはスポーツクラブのような感じで個室になっていて、シャワーを浴びるスペースと着替えるスペースが別になっている。椅子も置いてあるし、お湯も十分に出る。確かこのシャワー室が三つあったと思う。
 困ったのは帰りで、暗いし雨が降っているしゲルはたくさんあるしで、どこが自分のゲルだか判らなくなってしまい、いったんレストランゲルの方に行って「確かさっきはこの方向に帰った」などと確認してやっと自分のゲルに戻ることができた。

 このトイレ&シャワー棟との往復にレインポンチョが大活躍した。傘よりも断然濡れずに済んで便利だ。「何故持ってきてしまったのだろう」と思っていたけれど、この数時間の活躍で持って来た甲斐もあったというものだ。
 そういえば、これまではずっとゲルに備え付けられていたサンダルを履いていたけれど、このツーリストキャンプのゲルにはサンダルがなかった。「持ってきてね。」とお願いしたものの結局出発まで持ってきてもらえなかったので、持参したビーチサンダルもここでやっと日の目を見た。

 ゲルの天井を叩く雨の音をやけに強く感じながら、眠りについた。

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2007.04.28

モンゴル旅行記6日目

2006年8月17日(木曜日)

 今日がツァガンスム滞在最後の日だ。明日の朝にはカラコルム経由ブルドに向けて出発である。
 いつもは寒くて朝目が覚めるけれど、今日はよっぽど疲れていたのか、6時過ぎにキャンプの人がストーブの火をつけに来てくれるまでぐっすり眠った。
 昨日は雲も出て少しどんよりしたお天気だったけれど、今日は快晴だ。

 8時半、朝食にパンとジャムとご飯とスープをいただいた。パンをスープに浮き実のようにして食べると美味しい。110時前から羊の解体が始まり、もちろん見に行く。
 乗馬コーチもしてくれていた男の子が二人、ナイフ1本で、皮を剥ぐところから始めてほとんど鼻歌まじりに解体して行く。

 見始めた頃、キャンプ長さんが「見ないで。」というような感じで手を振っていて、羊の解体は見たり写真に撮ったりしたらいけないのかしらと様子を見に来たガイドさんに聞くと「そんなことはない。」と言う。
 後になってツアーの方から、女性は見るとよくないと言われているらしいと教えてもらった。彼女は「見るとお嫁に行けなくなるとかだったらイヤだなぁ。」と言っていたけれど、見てはいけないとされている理由はよく判らなかった。

 何だかんだ言っても、こういったものを見ていられるのは女性だ。男性陣は、見に来た方も少し写真を撮って引き上げてしまい、最初から最後まで見ていたのは女性ばかりだった。
 その熱心な(?)様子を見て、ガイドさんも、10〜11時くらいに乗馬に出発といういつものスケジュールを変更し、「今日は羊の解体が終わってから乗馬に出発しましょう」と言ってくれた。

羊の解体1 じーっと見て、かつ紙芝居ができそうなくらいに写真も撮り続けた。動画も録った。確か私も見始めた頃は「うわぁ」などと言っていた筈だけれど、好奇心の方が優った。
 皮をきれいに開くと、ナイフで腱を切り、「ボキッ」と音をたてて足の関節をあっさり折ってしまう。
 剥いだ皮は背中の部分だけついているようで、そのまま敷物のようにして羊のお腹を上向きにして脂肪層を裂く。
 とてもこの大きさの羊のお腹に納まっていたとは思えない大きさの内臓がベロンと出てくる。外に出た途端に膨張したようにも見える。私の内臓もこんな風に押し込められているのかしらと、妙なことを考える。
 
羊の解体2 内臓を取り出すと、お腹の中にたまっている血をどんぶりで汲み出し、お釜のようなものに溜める。内臓はスーパーのビニル袋に収められ、シェフの女の子が、食べる分と何かの餌になるように草原に撒く分とに分けていたようだ。
 話には聞いたことはあったけれど、本当に大地に血の1滴もこぼれていない。

羊の解体3 血を汲み出し終わると、骨と肉を切り分けた。
 最後に片方の男の子が後ろ足を持ち上げ、何やら作業をしていたけれど、何をやっているのかよく判らなかった。皮と脂肪層とがついていた部分を切り離したのだろうか。
 ちょっと前まで元気に生きていた羊だし、見たとおりに真っ赤だし、羊の顔はずっと見えていたし、今日の夕食に今解体されている羊が供されることも判っていたけれど、でも不思議とグロテスクという感じはしなかった。
 羊の解体は、ツーリストキャンプの柵の外側すぐのところで行われていた。近くには車が駐められているのが何ともアンバランスな感じである。何とか車が入らないように写真を撮ろうとしたけれど、考えてみれば車の横でナイフ一本で羊を捌いているのが現実なのだ。

 柵の向こうには緑の草原が広がり、源泉のオボーも見えていた。
 逆に言うと、それ以外に何もない(ように見える)ところを、明るい桃色のデールを着た女性が歩いて行った。
 年配の女性だったという記憶があって写真のタイトルも「草原のおばあさん」としたけれど、考えてみれば彼女が遠く離れたところを向こうに歩いていくのを見ただけだ。どうして「おばあさん」だと思ったのだろう?

 羊の解体が一段落したところで、予定より1時間遅れの11時に乗馬に出発した。
 今日の乗馬は少し長めの予定で、お昼ごはんもバスで運んで来てもらうことになっている。
 ツアー参加者のお一人(看護師さん)が、添乗員さんが置いて行った救急袋から応急処置に使えるものを選び出し、その他手持ちに余裕のある人から薬等をいくつか集め、救急ナップザックを作ってくださった。その心配りと用心、実際の手配に脱帽した。

 ガイドさんに「一人で乗ってみますか。」と言われ、私が返事をする前にガイドさんから乗馬コーチに指示が飛んだらしく、引き綱用の縄も一緒に持たせられた。初一人乗馬だ。
 私が乗せてもらった馬はお利口で、特に何もしなくても、とりあえず他の馬にくっついて歩いてくれる。ただし「歩いてくれる」のであって、強く言うと馬が走ると教えてもらったかけ声「ちょっ!」を繰り返しても一向にスピードアップする気配がない。
 それなのに、ベテランの方が自分の馬に「ちょっ!」と声をかけて疾走すると、声につられたか馬につられたか、つかの間、私が乗っている馬の足取りも速くなる。

 まず向かったのは小高い丘で、上の方は雑木林のようになっていた。
 坂道に差し掛かった辺りで、乗馬コーチに「引き綱をよこせ」と身振りで指示された。かなり急な坂だったし、私が一人で乗っていたら馬を登らせることはできなかったろう。
 登っている途中、別の乗馬コーチの男の子から何やら投げられた。隣を歩いていたツアーの女性の手元にもあったので(彼女にはちゃんと手渡したらしいのが小憎らしい)聞いてみると、「ラベンダーじゃない?」ということだ。
 「もう1回ちょうだい」と身振りで頼むと、彼は馬に乗ったまま上体を下に伸ばし、ラベンダーを摘み取ってくれた。バランス感覚と筋力の賜だろう。
 このときもらったラベンダーは、ツァガンスムに来る途中でもらったカモミールと一緒に「地球の歩き方」に挟んで押し花にした。

 雑木林の入口についた辺りで、一休みした。
 割とすぐ到着したように思っていたけれど、出発から1時間くらいたっている。ヘルメットを脱ぐと汗だくだ。
 振り返ると、今やってきた草原が見え、その向こうに丘が見える。お花もちらほらと咲いている。もう少し早かったらお花畑状態だったろう。

休憩中 水分補給をしたり、景色を眺めたり、写真を撮ったりして休憩していたら、乗馬コーチのリーダーの男の子が「上に行くぞ」と指示を出したらしい。ぞろぞろと立ち上がり、雑木林を抜け、半分岩場のような狭いところを登る。結構急な坂で、1時間強の乗馬でバテバテの私にはかなりきつい。
 「先に行ってください。」と元気な方に道を譲ってゆっくりゆっくり歩く。

濃紫の実 坂を登ると少し開けた場所に出た。石の上などで座って休めるくらいの広さがある。振り返ると、雑木林越しに景色が見えてとても綺麗だ。
 ここまで上がって来た理由は、景色ではなくて、この辺りに食べられる実がなっている木がたくさんあるかららしい。ブルーベリーのような濃紫の7〜8mmくらいの実や、同じくらいのサイズで薄緑色の実などが食べられるようだ。
 乗馬コーチの男の子達がせっせと摘んで渡してくれる。甘酸っぱくて美味しい。紫の実は少し渋みがあって、どちらかというと緑色の実の方が好みの味だ。

 ふと気がつくと、周りではこの紫の実を潰して果汁にし、フェイスペインティングが始まっていた。乗馬コーチの男の子達が面白がって始め、ツアーの方々も面白がって乗ったらしい。
 後で、「果汁を塗ったところはつるつるになった気がする。美容にもいい実だったのかも。」と言っていた人がいたけれど、本当だろうか?
 指を2本ずつ付けたり離したり、右手で2拍子左手で3拍子の指揮をしてみたり、肘から手首までの腕の内側をぺたっとつけてみたり、何だかそういう遊びが流行る。やって見せると「自分もできる!」とばかりに同じことをやって見せてくれる。私が親指を手首の内側につけて見せるとマネしようとしてできず、悔しそうにしているのが可笑しい。
 稲穂のような草を取って来て、掌を上に向けて小指同士をくっつけそこに乗せる。手を交互に前後に動かすと、その草も一緒になって動く。「おぉ!」と思わず声が出た。ついでにTシャツの首筋からこの草でくすぐったら、教えてくれた乗馬コーチのリーダーは逃げ出してしまった。

 馬をつないだ場所に戻ると、何だか人数が増えていた。乗馬コーチ達の家族なのか友達なのか、男の子達が集まって来たらしい。
 お腹も空いてきたし、糖分補給に飴を配る。かなり余ったのでどうしようかと見回していたら、リーダーの男の子が「渡せ」と身振りで示す。袋ごと手渡したら、昨日お邪魔したゲルのうちの子に渡していた。年少で一家の大黒柱になっている彼を、他の男の子達はとても可愛がっているように見える。

お昼ご飯 ここでお昼を食べる予定だったらしいけれど、なかなかバスがやってこない。
 こちらから迎えに行くべく出発したら、割とすぐにシェフの女の子達とお昼ごはんを載せた黄色いバスと行き会った。
 日差しを避けてバスの中でいただいたお昼ご飯のメニューは、ピロシキ、ふかしたジャガイモ、ゆで卵だった。ピロシキが美味しい。
 持ち歩いていたペットボトルには、プーアール茶を入れてあった。乗馬コーチの子に「飲んでみる?」と示すと受け取る。一口飲んで、顔を思いっきりしかめた。好みの味ではなかったらしい。

 バスの窓から下を見ると、車の影に敷物をしいて、乗馬コーチの子らがかったるそうに寝転んでいた。そういえば、彼らの中で煙草を吸うのはこのリーダーだけだ。
 せっかくなので、真上から激写した。

 乗馬コーチの中で一番年少の男の子がバスのステップから顔を覗かせ、私の方を見て一言叫んで逃げて行った。ガイドさんに「何?」と聞くと、モンゴルで有名な、しかし年配の女優さんの名前の一部をもじって、ツァガン(白、という意味)・・・、と言ったらしい。
 うーん、私とその女優さんが似てるということだったのかしら。喜ぶべきか悲しむべきか、複雑な気分だ。
 でも、あんまり近寄って来てくれなかった彼が声をかけてくれたのが嬉しかった。

 そのまま来た道を引き返し、キャンプに帰ったのは16時前だった。そこで、ガイドさんが「休憩が多かったし、(元々の予定ではここで乗馬は終了だけれど)もう1回行きましょう」と声をかけてくれる。
 でも、人間はともかく馬には休憩が必要だ。17時くらいに集まってください、1時間半くらい乗りましょう、ということになった。
 ガイドさんには、乗馬経験者の方々に思いっきり馬を走らせてもらいたいという気持ちもあったようだ。

大地でお昼寝 1時間くらいで出発だし、何となく四阿に集まってぐだぐだ休憩する。
 メディアから直接プリントできる写真用のコンパクトなプリンタを持って来た方がいらして、男の子たちに写真を選ばせ、その場でプリントアウトして渡してもの凄く喜ばれていた。ご本人も「これだけ喜んでもらえるから、重くても持って来ようと思うんだよね。」とおっしゃる。
 そのうち、みんなして四阿の屋根が作る日陰に次々と寝ころび、大お昼寝大会になった。並んで寝ころぶ女性陣を見て、ツアーのお一人(もちろん男性)は「マグロの水揚げだ。」とおっしゃっていた。全く失礼な話である。

 ところで、ツアーの他の方、特に女性は日焼け対策が万全だった。首筋を守ってくれるひれ付きの帽子をヘルメットの下に被ったり、スカーフで首筋を覆ったり、服の襟を立てたりしている。
 そんな中、同じゲルになった方の腕を見たら真っ赤になっていた。
 聞けば七分袖のシャツ一枚で乗馬をした結果らしい。手袋をしているので、手首からひじの少し手前まで、火傷寸前に見える。
 アロエ入り化粧水と顔用パック(小さく固まっていて、水分を広げると顔の形に広がるもの)を提供したら、「自分の首筋も見てごらん。」と言われた。慌てて鏡を見たら、真っ赤になっている。半袖Tシャツに長袖のシャツを羽織っていたけれど、Tシャツの襟ぐりは結構深いし、長袖シャツも上の方は開けていたから、首筋が完全に無防備だったらしい。
 今さら遅いと思いつつ、慌てて首筋にも日焼け止めを塗りたくった。

 ツアーの方が持って来たビデオカメラをガイドさんに託して、みんなの乗馬姿を録ってもらうことになったらしい。四阿で三々五々集合しているときにも、ガイドさんはビデオ撮影の練習をしていた。
 乗馬コーチの男の子達が水くみに出かけた戻りを待って、18時に乗馬に出発した。
 車の轍でできた道沿いにのんびり歩く。私が乗った馬は私がけしかけたくらいでは走ってくれないし、お尻は痛いし、のんびり歩くのがいいペースだ。
 腰からお尻にかけてカバーする革製のおむつみたいな形をしたガードを借りたけれど、見た目ほど楽ではない。確かにお尻の痛みは軽減されるけれど、サイズの問題なのか、逆に腿に角が当たって痛い。なかなか上手く行かないものだ。

 ガイドさんは馬に乗り、疾走し、かつ片手でビデオを構えて撮っている。
 格好いい!
 この格好いいガイドさんの勇姿がビデオにも写真にも残っていないのが、とてもとても残念だ。

 このときのビデオは、帰国後にDVDに焼いていただいた。流石に走りながら録っているらしい部分は上下動があって見ているうちに酔ってくる。
 自分が馬に乗って動いている姿はこのとき初めて見たけれど、なかなかがんばっていた(笑)。途中で馬具が緩くなって締め直してもらったりしているところも映っていて、やっぱりどこか変なところに力を入れて乗っていたんだろうなと思った。

最後の休憩 少し丘を上って、眺めのいいところで休憩になった。馬は草を食べ始め、人間はあちこちで記念撮影大会だ。
 乗馬ガイドの男の子達はデジカメに慣れていて、私が液晶をオフにしておくと、手真似で「ここを映せ。」と要求する。写真を撮ってくれるつもりらしい。
 仁王立ちになってポーズを取ったら、「ちゃんと足を閉じて立て。」とこれまた手真似で怒られた。

 丘の上だし、遮る物は何もない。かなり遠くまで見渡せる。
 体育座りでぼーっと眺めていたら、被っていたヘルメットがコンという音をたてた。何だか判らずにそのままぼーっとしていると、またコンっという音がする。
 やっとヘルメットに小石をぶつけられているのだと悟り、辺りをきょろきょろと見回すと、リーダーの男の子と目が合った。イタズラの主は彼らしい。
 捕まえてやろうと追いかけたら、あっという間に逃げられた。彼らの足に敵う筈もないが、悔しい。

 19時30分くらいにツーリストキャンプに帰り着いた。ちょうどキャンプ長さんがホルホグを作っている。
 ガンガンたき火を燃やし、その真ん中に羊肉と野菜と焼いた石を入れたミルク缶を置いて蒸し焼きにしている。
 缶は何度もホルホグを作ってきたのか、真っ黒だ。

 ホルホグが焼き上がったら夕ごはんである。
 ツーリストキャンプからすぐの丘の上に、どう見ても作りかけの、でも何になるのかさっぱり見当がつかないコンクリート製の建物が見える。
 夕食前の時間を利用して、あそこからならツーリストキャンプの全景が見えるだろうし、そもそも、一体あの建物は何なのか見に行こうと、3人で上って行く。

 近づいてもそのコンクリートの建物が何なのかは判らなかった。
 ちょうどたどり着いた頃に、乗馬コーチの男の子の一人が馬で通りかかった。これから家に帰るところらしい。
 彼と仲良くしていたツアーの方が「お土産を持ってくるからここにいて!」と彼に言い含め、ダッシュでツーリストキャンプに戻って行った。男の子達にお土産を渡している方は多くて、Tシャツをあげたという方もいたし、乗馬のときに使っていたリュックをあげたという方もいらした。

 彼女たちが戻って来るのを待っていたら、近所に住んでいるらしい女の子たちが顔を出した。このコンクリート製作りかけの建物は、彼女たちの遊び場になっているようだ。
 窓から顔だけ出している女の子はシャイなのか、なかなか姿を見せてくれない。「お願い、出てきて!」と日本語で言っていたら、乗馬コーチの彼に伝わったらしい。彼が声をかけると、やっと顔を見せてくれ、それで二人揃った窓辺の写真を撮ることができた。

 ツーリストキャンプから呼ぶ声が聞こえた。やっと夕ごはんになるらしい。お腹はもうぺこぺこだ。
 さっきキャンプ長さんが作っていたホルホグのミルク缶がレストランゲルに運ばれてくる。ミルク缶を開けると、いい匂いがする。みんなでのぞき込むと、お肉と野菜と石が詰め込まれている。
 ミルク缶の中の石は当然熱くなっていて、この石を持っていると健康になるという。
 少し冷めた石をガイドさんに渡してもらい、でも「熱い、熱い。」と左右の掌でポンポン渡し合うようにして健康を願った。
 この石は羊肉の脂も吸っているのか、熱いだけではなくツルツルしていて、手もツルツルになった。

 今日がツァガンスム最後の夜ということで、ガイドさんの提案でみんなで乾杯をすることになった。アルヒというモンゴル・ウォッカで乾杯だ。
 小さなコップに、でも生(き)のまま注がれたアルヒは強烈で、「トクトーイ!(モンゴル語で「乾杯」の意)」と言ったか言わなかったか、一口飲んでむせてしまった。とにかく「強烈なお酒」という印象が残っている。
 後でガイドブックを見たら、アルコール度数が38度だそうだ。キツイ筈である。
 ちなみに、このツーリストキャンプでビールを頼むと2000Tだ。

ホルホグ ホルホグは、できたてほやほやを食べているからか、羊特有の匂いもあまりない。骨付きの肉を手でもってかぶりついた。少し脂がきついけれど、美味しい。
 そして、お肉よりも美味しいと思ったのは一緒に焼かれていた野菜だ。ジャガイモが肉汁をたっぷり吸い込んでいて、塩気がちょうど良くて、バクバク食べる。前の席に座っていた方に「僕にどうぞって勧めてくれるのかと思ったら食べちゃった。」と言われてしまったくらい、一人で食べまくっていたらしい。
 そういえば、モンゴルにいる間ほとんど気にならなかったの蠅が、このときだけはブンブン飛び回っていた。

馬の駒 夕食後、昨日ガイドさんから見せてもらった、このツーリストキャンプに来る途中でお邪魔したゲルのお父さんが作った人形争奪のジャンケン大会が開催された。
 馬1頭とラクダ1頭、羊が3頭である。
 きっとみんな欲しがるだろうと希望者を募ったらちょうど5人だった。3ドルは高いと思った方が多かったのかも知れない。
 私はもちろん元気よく手を挙げ、何故か強運が発揮されてジャンケン大会で勝利することができた。もちろん、馬を選ばせてもらった。嬉しい。

 お腹がいっぱいになったところで、22時過ぎに温泉に入った。
 夕ごはんを食べ始めるのが少し遅くて、ゆっくりたくさん食べて食べ終わるのも遅かった分、この日のお湯はぬるくなってしまい、少し寒い。これで入り納めだと思うと名残惜しかったけれど、何だか風邪をひきそうな気がして、早めにあがった。

 荷造りなど明日出発の準備をしていたら、何となくツーリストキャンプ全体がざわざわしてきた。
 何かと思ったら、添乗員さんがウランバートルからトンボ帰りで戻って来たらしい。まさかツアーがツァガンスムにいるうちに合流できるとは思っていなかったので驚いた。
 みんなで集まり、「ウランバートルとんぼ帰り」の話を聞く。怪我をされた方はウランバートルで病院に行き、一番早い飛行機で帰国できることになったそうで、まずは一安心だ。

 私たちはそこまで聞いて引き上げたけれど、その後、添乗員さんとガイドさんのゲルでは「お帰りなさい」の宴会が続いたらしい。
 宴会が終わった後も、それぞれの経過を情報交換していたのか、彼らのゲルからはかなり遅くまで話し声が聞こえていた。

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2007年5月4日一部追記

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2007.03.11

モンゴル旅行記5日目

2006年8月16日(水曜日)

 ウランバートルの病院の診療時間や帰国便のスケジュールを考え、怪我をされた方と添乗員さんは早朝5時に、私たちの荷物をここまで運んできてくれた車で出発する予定だった。
 ところが、4時に起き出して待ち構えているところに添乗員さんがやってきて、ドライバーさんが昨夜から近くの村に行ったまま帰って来ていないと言う。この時間まで帰って来ないということは、酔いつぶれているに違いない。私たちを運んでくれたバスのドライバーさんが連れ戻しに行き、出発は彼らが戻り次第ということになった。
 もし、本当に酔いつぶれていてとても運転ができそうにないときは、奥カラコルムでホームステイをしているツアーから車とドライバーを借りてくる、ということだ。奥カラコルムまで行くとなると往復4時間近くかかってしまうという。

 そんなのあり? と思ったし、それは顔に出てしまっていたらしい。
 同じゲルの方に「無理して朝早く出発するよりも、ゆっくり休んで体力を回復してから出かけられるから、却って良かったね。」と言われ、確かにそのとおりだ、私がイライラしたり怒ったりするようなことじゃなかったと反省した。

 お隣のゲルの前で始まったラジオ体操に混ぜてもらう。
 乗馬で普段使わない筋肉を使っているので、ミシミシいう体にラジオ体操はなかなか気持ちが良い。久しぶりだし、しかも音楽がないとなると、ところどころ記憶が怪しいのはご愛敬だ。
 8時30分頃から朝食になった。今朝は目玉焼きだ。

 10時くらいには三々五々、四阿に乗馬のために人が集まり始めたけれど、車が帰ってくる気配がない。
 添乗員さんが「ドライバーに出すべき指示はガイドからキャンプ長に伝えてもらい、キャンプ長からドライバーに言ってもらうよう手配したので、みなさんは乗馬の準備ができしだいガイドと出発してください。」と言う。このツーリストキャンプには今現在、日本語とモンゴル語の両方を判る人はガイドさんしかいないのだ。
 「えー、みんなで見送ろうよ。」「大事をとった方がいいんじゃないですか。」「乗馬もいいけど、あそこに見える丘まで散歩したいなぁ。」などと口々に言われ、添乗員さんは苦笑いしている。
 結局、馬の準備が整わなかったこともあり、乗馬出発は11時になった。

 10時30分近くなってバスと荷物車が帰還し、すぐさま怪我をされた方と添乗員さんはウランバートルに向けて出発した。
 出発の直前、モンゴル語の旅の指さし会話帳(市販の大きい詳しい版のもの)を2冊お持ちだった方が、1冊を添乗員さんに貸していた。私たちが、この本がウランバートルまでの道行きでとてもとても役立ったと知るのは翌日の夜遅くになってからだ。
 添乗員さんは「早ければ明日の夜にここに戻ります。もしかしたら、明後日の夜にブルドで合流することになるかも知れません。」と言って出発した。

少女とアイラグ 午前中の乗馬では、コーチの少年達のうちの一人の家にお邪魔することになった。彼の家はお父さんが亡くなって、コーチの少年が一家の大黒柱だ。
 お母さんが、家の真ん中に置かれた缶になみなみと入っているアイラグ(馬乳酒)を振る舞ってくれる。また、一昨日ご馳走になった、バターのような生クリームのような乳製品もご馳走になる。
 ゲルの中は、再び折り紙教室になった。一家は確か5人だけれど、いつの間にか子ども達が大勢集まってきて折り紙教室に参加している。
 ゲルの外では、生まれたばかりの仔馬を見せて貰ったりもしていたらしい。見逃したのが残念だ。

 この3回目の乗馬で、すでに私のお尻はかなりすりむけ、ヒリヒリしていた。見るのも恐ろしかったので帰国するまで見なかったけれど、この頃には真っ赤になっていたに違いない。
 ツアーの中には、競技スポーツとしての自転車用パッドを持参されている方などもいて、やっぱり事前準備が肝心だと痛感した。

 14時に牛とポテトを炒めたお昼ごはんを食べ、四阿でおしゃべりしたりしていたら、あっという間に午後の乗馬の時間になった。お天気が怪しくなっていて、ガイドさんから雨具の用意をするようにと指示がある。
 チャップスをしているし、乗馬中に雨に降られたら迅速にレインウエアを着られるとも思えない。上下セパレートになったレインウエアのパンツの方は予め履き、上着(ポンチョ)を荷物に入れ、雨に降られたときのことを考えてカメラは持たないことにした。

 まずツーリストキャンプの近くにあるオボーに向かった。
 途中の草原は、眺めている分には小川の流れる普通の緑濃い草原だけれど、馬が歩くと地面が揺れる。湿地帯のようで、馬が歩くとそこから水がしみ出し、水の上に乗って浮かんでいる土が揺れる感じだ。何だか酔いそうである。
 途中、水深30cmもないくらいの小川を渡るとき、ついでに馬たちに水も飲ませた。首をぐっと伸ばして水面に口をつけて飲むので、手綱を引っ張られ、うっかりしているとそのまま落ちそうだ。

 オボーは丘の上にあり、かなり大きかった。中に入れるようになっている。
 「この辺りでは一番大切なオボーです。」というガイドさんの案内に、みんなで3周回り、1周につき一つの石を積んで祈る。
 ガイドさんに続いてオボーに入ったら、そこに馬の頭があって息を呑んだ。まだ新しい。まるで生きているかのようだ。茶色の毛並みも綺麗だし、目も濁っていない。不思議なことに蠅もたかっていない。
 ガイドさんによると、全ての馬が死んだときにそうするわけではなく、家族のように特別にかわいがって大切にしていた馬が死んでしまったときに、こうしてオボーに納めるそうだ。
 何だか厳粛な気持ちになった。

 次の目的地であるオゴタイ・ハンの宮殿跡に到着した頃には、何だかぐったりしてしまっていた。
 午前中に自覚したお尻の痛みがどんどん酷くなっていたことと、レインウエアのパンツを履いたために通気性が悪くて暑さを感じるようになっていたこと、あと昨夜からの寝不足が祟っていたらしい。
 宮殿跡は、土を重ねて作ったような壁か塀のようなものがあって、その外壁部が2〜3mの高さで残っているだけだ。壁といっても厚みは3m近くある。
 その壁の上の眺めのいい一角に座ってぼーっとしていると、風が吹き抜けて行って気持ちよかった。

 宮殿跡でぼーっとしてかなり元気回復したけれど、お尻の痛みは回復しない。
 帰り道も再び湿地帯を戻ったので、流石に馬を走らせることはできず、のんびり歩きだ。それをいいことに、お尻を鞍にぶつけなくて済むよう、何とか馬上で立てないかと鐙を踏ん張ってがんばっていたら、ガイドさんに「立ち乗りがしたいですか?」と聞かれてしまい、慌てて否定した。
 向上心故の取り組みではないとも言えない。

 しかも、がんばって無理して立っていたせいで、ツーリストキャンプに到着して馬から降りたら、足がプルプルと震えていた。ただ立っているだけなのに、全く私の意思とは関係なく、足全体がプルプルと震えているのがズボンの上からも判る。日頃の運動不足が身にしみる。
 「大地にぺたっとつけていれば治る」と教えてもらい、しばらく足を投げ出して座っていた。何だか温かい感じがした。

10000トゥグルグ ゲルに戻り、モンゴル紙幣の写真を撮ったりしていたら、すっかり温泉に遅れてしまった。
 これは10000トゥグルグ紙幣で、チンギス・ハンの肖像が描かれている。100トゥグルグ以下の紙幣に描かれているのはスフバートルの肖像だ。この二人が今のモンゴルの英雄で、だから二人ともスフバートル広場に銅像が建てられているのだろう。
 そういえば、モンゴルでは1回もモンゴルの硬貨を使うことはなかったし、見かけることもなかったように思う。

 温泉に入りに行く途中、乗馬コーチの少年達がキャンプの働き手に変身し、薪を作っているところに出会った。木を二人用のこぎりで適当な長さに切り、それを鉈で割っている。
 ゲルに配られる分だけでは足りなかったり、湿って火がつきにくかったりすることもある。モンゴルのベテランの方に教えてもらい、私たちはここに薪集めに来ては少し余分にゲルに持って行き、ストーブの周りに広げて確保するついでに乾かしていた。
 でも、薪作りをしているところに出会ったのは初めてだ。
 温泉は後回しにして、ちょっとだけのこぎりを引かせてもらう。「お手伝いをした」と言いたいところだけれど、これははっきりと「仕事の邪魔をした」と言うべきだろう。
 
モンゴルビール 夕食は、ツォイワンと呼ばれる麺だった。「地球の歩き方」の説明によると、”「焼き肉ウドン」としたいが、現実は「油蒸焼き肉ウドン」といったところだろう。”ということだ。でも、この記述から受けるイメージほど脂っこくなかったように思う。小麦で作られた麺は太さ5〜8mmくらいで、長さはそんなに長くない。というよりも、切れてしまう。
 周りの方に「とうとう本性を現して来ましたね。」と冷やかされつつ頼んだビールとこの焼き肉ウドンがとても合って美味しかった。

 ツアーの方のお一人が、夕食前くらいから体調を崩されて、38度を超える熱を出してしまった。昨日のお医者様に診てもらったら「疲労でしょう」という診断だったという。
 看護師さんお二人も様子を見てくださり、ご本人も体温計や非常食としてのお粥、お薬も使い慣れたものを持参されているということで、翌朝には回復されていた。本当によかった。ガイドさんもほっとしたことだろう。

 食事のときに、ガイドさんから、この近くにオイルマッサージをする人がいるけれどいかがですか、という話があった。45分で15ドルだそうだ。
 紆余曲折の末、お二人が挑戦された。
 マッサージ師は大柄な女性で、彼女がベッドに片膝をついて力を込めてマッサージをしようとしたら、そのベッドの底が抜け、マッサージを受けていた方はそのままストンと落ちてしまったらしい。そんなマンガのようなことがあるなんてと思ったけれど、見ていた方が「本当にマンガみたいに落ちていた。」と証言していた。
 オイルと蜂蜜を使ったマッサージはうっとりと快適だったそうだけれど、ベッドを壊すだけの力を込めていたせいか、翌日には「もみ返しが出たみたい。」とおっしゃっていた。

ピンクの夕焼け レストランゲルで食後ものんびりしていたら、ガイドさんから、一昨日ツァガンスムに来る途中で寄らせていただいたゲルのお父さんが作ったチェスの駒を一つ3ドルでいかがですか、という話があった。モンゴルバージョンのチェスの駒は五つあって、馬と羊とらくだの3種類ある。
 そのときには、もうゲルに戻った方もいらしたので、きっとみんな欲しがるだろうから全員が揃ったところでジャンケンをしましょう、という話になった。
 モンゴルでは、曇っていた方が朝焼けも夕焼けが綺麗な色に染まるように思う。この日も雲がピンクに染まってとても綺麗だった。

 夕食後、このツーリストキャンプに、ガイドとドライバーと乗馬ガイド二人の5人で旅している日本人旅行者がいた。デールを着ていたので最初は日本人だとは気がつかなかった彼らと、いつの間にか、レストランゲルで大写真撮影大会になった。
 さらにその後、彼らのゲルに何人かでお邪魔して、飲み会に参加させてもらった。何故だかやけに乗馬コーチの男の子に気に入られてしまい、「こんなにモテるんだったら、モンゴルに移住しようかな」というくらい「モテる」気分を味わった。
 私よりもさらに積極的に気に入られていたツアーの女の子は、お酒も強いらしく、指さし会話帳でコミュニケーションを取りつつクイクイいっている。「そろそろ帰ろうか。」という声に対して彼女が「どこに?」と答え、大笑いになった。

 そんなこんなで、この日も就寝は0時近かった。
 昼間から夕方にかけての曇り空が一転して星が瞬き、流れ星を三つ見られたのが嬉しい。

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2007.03.05

モンゴル旅行同窓会その2が開かれる

 2007年3月4日(日曜日)に、JR御徒町駅近くのベトナム料理 ドンナイで、2006年8月に行ったモンゴル旅行のツアー同窓会が開催された。
 ツアー参加者のうち東京近辺在住7名のうち6名が集まったから、かなりの参加率だ。

 ツアーの方でお一人、この年末年始に再びモンゴルに行って今度はホームステイをされてきた方がいて、彼女のモンゴル旅行報告会でもある。
 たくさんの写真を見せてもらい、「雪がないね」「デールの袖が長くなっているのは男性用だ」「寒くないの?」「お手洗いはどうしたの?」「この写真は罰ゲームで2人でゲルの男の子にぶら下がっているところ」などなど、もっとたくさんの旅話を聞いた。
 2月にカンボジアに旅行された方もいて、アンコールワットの写真がやはり素晴らしかった。「遺跡はどんどん崩れてきていて、行くなら今のうちだと思う」「世界各国からたくさんの観光客が来ていた」というお話も聞く。
 みなさんの次の旅計画もそれぞれバラエティに富んでいて、やっぱり私も旅行に行きたいなと思ったことだった。

 ベトナム料理 ドンナイは私が推薦した。
 みなさんが生春巻きを気に入って一人1本半ずつ食べたり、お店のカードをもらったり、気に入ってもらえたみたいで嬉しかった。

 次回は、ネパール・・・ではなく、ネパール料理屋さんで集合の予定だ。

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2007.02.12

モンゴル旅行記4日目

2006年8月15日(火曜日)

 旅も後半に入るこの頃になると、旅の何日目なのか、今日が何曜日なのか判らなくなって来る。
 ツァガンスム滞在が本格的に始まり、従って乗馬も始まった。
 この日から3日間は、概ね、10時過ぎから13時くらいまで乗馬、お昼ごはんを食べて、暑い時間帯は休憩し、16時くらいから再び乗馬、というスケジュールだった。

 前日に、8時30分くらいに朝食と案内されていた。
 ずーっと温泉に入り、星を眺めていたせいで寝るのがだいぶ遅かったけれど、6時前には目が覚めた。寒い。
 同じゲルになった方が薪に火を付ける達人で、ツーリストキャンプの人が来る前にストーブをつけてくださったおかげで人心地がついた。

早朝のヤク ゲルが暖まった7時頃に起き出して外に出てみたら、霜が降りていた。驚く。温度計を持って来た方がいて、4度だと教えてくださった。
 ヤクの大集団がツーリストキャンプの柵の中にまで入ってきていて、もっと驚いた。
 帰国後に知ったところによると、ヤクはとても珍しく、そんなに獰猛な動物ではないらしい。このときはそんなことは知らなかったので、遠巻きに「こっちに突進してきたらどうしよう」などという心配が先に立っていた。

 朝食は、パンとライス、ポタージュっぽい感じのスープだった。
 その他にテーブルに出ていたお茶漬けの素やキムチは添乗員さんが持ってきてくれたものらしい。彼のスーツケースの半分はこうした食材で占められていたそうだ。
 朝食のとき、添乗員さんとガイドさんから「乗馬経験者で、自分で自由に走らせたい人は自己責任で乗る旨のサインをしてもらいたいという要請がキャンプ長さんから来ている」という話があった。2年連続でこのツーリストキャンプに来たという方が「去年はそんなことは言われなかったと思う。」とおっしゃっていたので、色々と難しいことがあるんだろうなと思った。

 集合時間前にガイドさんが各ゲルを回って、チャップス(すね当て、とでもいうのか・・・)をつけてくれた。私のいたゲルで初心者は私だけ、ガイドさんのお世話になったのも私だけだ。
 靴の上からつけて、ふくらはぎの辺りはかなりきつく締められた。

 10時には準備万端整ってツーリストキャンプの真ん中辺りにある四阿のようなスペースに全員が集まった。しかし、馬が集まっていないようで始まる様子がない。そういえば、添乗員さんの案内も「10時から10時30分くらいの間に乗馬をスタートします」とアバウトだった。
 ヘルメットとチャップスはほぼお揃い(ご自分の乗馬靴をお持ちの方もいた)、帽子を被ったりサングラスをしたり首にスカーフを巻いたり日焼け対策も万全だ。その完璧な日焼け対策が見た目に怪しかったので、ちょうどそこにいたキャンプ長さんに頼んでツアー全員の集合写真を撮ってもらう。
 やけに気軽に構えてやけに気軽にシャッターを押すので「大丈夫なのか???」と不安になったけれど、綺麗に撮れていて一安心だ。添乗員さんとガイドさんがいなかったのが残念だ。
 
 10時30分くらいになって、乗馬が始まった。「乗馬は初めて」という人が半分くらいいる。
 これは勢いしかないと、真っ先に手を挙げて馬に乗せてもらう。カナダで1時間くらいの乗馬体験をしたときは、まず馬に乗るのが大変で、股関節が痙りそうになったけれど、モンゴルの馬は背が低いのかずっと楽に乗ることができた。
 乗ったはいいものの、さて、そこでどうしたらいいのやらさっぱり判らない。鐙に足を入れ、とりあえず姿勢良くと言い聞かせて座っていたら、ベテランの方に「静止画としては完璧だね。」と笑われた。直径10mくらいの円を描くようにゆっくり引っ張ってもらう。

 静止画だけでも「コイツは危ない」ということが判るようで、みんなが代わる代わる同じように乗って歩いている間、ベテランの男性お二人がレクチャーをしてくださった。
 曰く、姿勢は良く、背筋は伸ばす。かかとが下がるように鐙に足を入れる。手綱は輪になった2本をまとめて左手で持ち、輪の中に手を通してはいけない。鐙は土踏まずではなくもっと前の方で踏む。体とかかとが地面と垂直の線上にあるようにする。視線は下ではなく前方を見る。

 初心者全員の試乗が終わり、荷物は遊牧民の少年コーチ陣に持ってもらい、もう一人「乗馬は初めて」という女の子と2人で手招きされて馬に乗せられ、引き綱を引かれ、あっという間に出発になった。
 え? まだ何も教わっていないような気がするけれど、いいのか。

 いいも悪いもなく、とにかく出発である。
 のんびり歩いている分には何の問題もない。ゆったりとした気分になれる。蠅のような小さな虫が顔の周りをブンブン飛んで邪魔なのが唯一の問題点だ。
 でも、少し速足になると(もちろん、馬は引き綱を引いているコーチの指示に従っていて、私は乗っているだけである)、体は弾み、弾むとお尻を鞍に打ち付けるような感じになり、とにかく痛い。
 周りの人を見てみると、体はみな弾んでいるけれど、痛そうにしている人は見当たらない。一体、何が違うのか。

クラゲ雲 馬に乗っている間は手ぶらだから写真も撮っていない。何回目の乗馬でどの辺りに行ったのか、そのとき周りはどんな風景だったのか、かなり記憶が曖昧だ。
 この日は快晴で、午前中の乗馬ではのんびりてくてくと歩き、緑の広がる平らなところで休憩して引き返したと思う。
 帰りはずっと速歩で引っ張られ、「お尻が痛いからゆっくりにしてー」と心の中で叫びながら馬の背で揺られ、弾み、一番乗りでツーリストキャンプに戻って来た。

 なかなか後続が帰って来ず、一緒に引っ張られていた初乗馬の女の子と二人で感想など言い合ってのんびりしていると、ガイドさんが素晴らしいスピードで馬を飛ばして帰ってきた。
 声をかけると、「怪我をした人がいる。」とだけ言い、ここまで乗ってきたバスで再び走り去ってしまった。怪我をした方をバスで迎えに行ったようだ。

 お一人が口の中を切る怪我をされていた。
 ツアーメンバーに看護師さんがお二人いらっしゃるのが心強い。添乗員さんが救急セットを持ってきて、まずは消毒をしているようだ。イソジンという薬が、うがい薬にもなるし、口の中も含めて消毒も可能な万能薬であることを初めて知った。
 なかなか血が止まらず、傷口に馬の毛が触ってしまったためか熱を持っているという。午後は、鎮痛剤と化膿止めを飲んで、ずっと眠っていらした。

 旅行社から送られてきた旅程表に各ツーリストキャンプの電話番号が書いてないことには気付いていたものの、このときに初めて、ツァガンスムのツーリストキャンプには電話が通じていないということを意識した。
 近くにいるお医者さんに来てもらったけれど、医療器具やお薬などが揃っておらず、ウランバートルに戻って治療することを勧められたようだ。
 添乗員さんが、ウランバートルに電話をかけるため、カラコルムの街までバスで出かけて行った。
 
 16時頃から、午後の乗馬が始まった。
 四阿で出発を待っていると、ドライバーさんがやってきた。一生懸命話しかけてくれるけれど、モンゴル語が判らない私には何を言われているのか判らない。指さし会話帳を開こうとすると「ない。」とそこだけは日本語で言われてしまう。
 ガイドさんに、「気をつけて」と言っているのだと教えてもらう。昨日覚えたばかりのモンゴル語で「ツゲール・ツゲール」と答える。でも、ちょっと不安にもなっていたので、「ゆっくり」は「オダーン」と言えばいいと教えてもらった。

林の中で休憩 午前中に乗せてもらった馬では私の体重を支えきれなかったらしく(泣)、別の馬に乗せてもらうことになった。もっとも、鞍の色が違うなというくらいで、色が同じ馬だと見分けはつかない。馬が変わったためか、コーチも交代だ。午前中にお世話になったコーチはこの後見かけなかったような気がする。
 ガイドさんと乗馬コーチ陣(特にリーダー格の大学生の男の子)が慎重になったようで、丘の方にゆっくりと向かい、少し上った林のようなところで休憩になった。

 「指さし会話帳」を使って新コーチに名前や年齢を尋ねてみても、聞き慣れない音なのでなかなか返事を聞き取ることができない。年齢も「私より若いんだ!」と驚いたのは覚えているけれど、あんなに何回も繰り返してもらったのに覚えていなくて申し訳ない。
 「足を突っ張りすぎている」とベテランの方に指摘を受け、足の位置はあそこじゃないと鐙に届かないと首を傾げていたら、一緒に引っ張ってもらっていた方が「鐙の位置が低すぎるんじゃない?」と教えてくださった。なるほど、そういえば乗る前に鐙の位置を調整をした覚えがない。
 ガイドさんに頼んでコーチに調整して貰った。確かに乗りやすくなったようだ。

ボーズ 18時30分くらいにツーリストキャンプに戻り、故障していた温泉が修理されるのを1時間くらい待ち、温泉で汗を流した。といっても、空気が乾燥しているせいかほとんど汗はかかない。
 20時30分くらいから始まった夕食のメインディッシュはボーズだ。肉まんのような小龍包のようなモンゴル料理である。美味しい。「地球の歩き方」で見て、ぜひ食べてみたかったので嬉しかった。スイカも甘い。

 男性陣は昨日も飲んでいたらしい。この日は10人くらいで宴会になった。
 怪我をされた方は、明朝5時にツァガンスムを出発してその日のうちにウランバートルの病院で応急処置を受け、できるだけ早い飛行機で帰国することになったそうだ。ウランバートルに付きそう添乗員さんの壮行会も兼ねて、という名目である。
 チンギス・ハンという名前のウォッカをコーラで割ってご馳走になった。ウォッカもコーラも、ここのレストランゲルで買ったものらしい。
 女性陣は12時くらいに引き上げたけれど、宴会はさらに続いたようだった。

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2007.01.28

モンゴル旅行記3日目

2006年8月14日(月曜日)

 前日に「6時頃にツーリストキャンプのスタッフがストーブの火をつけに来てくれる」と言われていた。6時過ぎに起き出していたのは、多分、寒さのせいだと思う。
 でも、この日は、日の出前に目が覚めて大正解だった。真っ平らな地平線の上に雲がたなびき、その雲を太陽がオレンジやピンクに染める綺麗な朝焼けを見ることができた。

 7時30分から朝食と言われていたけれど、少し遅れて、食べ始めたのは8時近かった。油で揚げたナンのようなパン、バターとジャム、ビスケット、ソーセージ、お粥というメニューだ。
 朝食が遅れた分、出発も遅れて、8時50分くらいに、ツァガンスムを目指してホスタイのツーリストキャンプを出発した。ここからは私たちツアーメンバーだけになる。

 添乗員さんの「一番前の席に座りたい人!」という呼びかけに図々しく応じて手を挙げ、助手席に座る。窓が大きいし、目の前にまっすぐ続く道路や草原が続く。景色もよく見えて、楽しい。
 「(一番前の席は)楽ですよ。」とも言われたけれど、しばらく未舗装道路が続き、しかも見えている道路状況から私が予測するのとバスの実際の跳ね方とが全く違うので、逆に変なところの筋肉が緊張してしまった。
 ホスタイはタヒという野生馬の保護地区になっている。出発してすぐ、添乗員さんに「タヒは見られますか?」と聞いたら、「もっと朝早い時間に水場などに行かないと見ることは難しい。」という返事だった。せっかくホスタイまで来たのに残念だ。

未舗装道路 立候補して一番前の席に座った以上寝てはなるまいと決心し、前の景色や道路沿いの景色を眺めたり、写真を撮ったりする。
 昨年直したばかりだという片側1車線の道路を走っているときは別にして、ドライバーさんは舗装道路と未舗装道路が並行して走っているところでは、概ね未舗装道路を走る。舗装道路には予想外の場所に穴が空いていたり隆起していたりするので、そのたびに大きくスピードを落として走るのが非効率なんだろうと後で納得したけれど、最初の内はどうしてわざわざ砂埃も舞うでこぼこな未舗装道路を選ぶのかとても不思議だった。

 気になってスピードメーターをのぞき込むと、「昨年直したばかり」の道路を走っているときは概ね90km/h、それ以外の舗装道路を走っているときは60〜80km/h、未舗装道路を走っているときは40〜50km/hだった。
 昨日の夕食時、添乗員さんが「明日の移動時間は7〜8時間とドライバーが言っていますが、道路状況などによってもかなり違います」と説明していた意味がよく判る。

 そうやって、落ち着きなくあちこちを見たり、バッグをごそごそしてカメラを取り出したり、写真を撮ったりしていたら、ドライバーさんから声をかけられた。モンゴル語なので意味は全く判らないけれど、少なくとも怒られている感じではない。
 それでも慌てて後ろを向き、ガイドさんに「何て言っているの?」と聞いたら、ガイドさんも日本語に訳すのに困っている。「前を見たり横を見たり、あちこちを見ているというのは・・・」と言いかけると、ツアーのどなたかが「そういうのはキョロキョロしているって言うんだよ。」と助け船を出す。
 すると「キョロキョロしているけれど、気分でも悪いんですかと言っています。」とのことだった。とんでもない。慌てて大きく首と手を振って否定する。
 「大丈夫って何て言うんですか?」「ツゲール・ツゲール、です。」と教えてもらい、ドライバーさんに向かって「ツゲール・ツゲール」と言ったら、バス中に笑われた。
 とにもかくにも、「ツゲール・ツゲール」は私が最初に覚えたモンゴル語である。
 
怪しいトイレ 10時30分くらいに1回、12時30分くらいに1回、休憩を取った。
 12時30分のときはトイレもあったけれど、この写真のとおり、かなり怪しいトイレだ。この床の木は私の体重を乗せて保ってくれるのか真剣に悩むくらいだ。途中、降り出した雨もポツポツというくらいになっていたし、すぐそばに「雨が降ったら川になるんだろうな」という感じの2mくらいの崖があってちょうどいい目隠しになっていたので、女性陣はみなそこで青空トイレとなった。
 ちなみに、女性の場合、青空トイレならパンツスタイルよりもスカートの方が楽だと思う。私が今日スカートをはいているのはそういう理由だ。
 黒い犬が番犬のように見張っていたのが何だか可笑しかった。


 13時過ぎに、本日の昼食場所であるツーリストキャンプに到着した。
 ガイドさんに確認していたツアーの方に教えていただき、ホイルッツァガというところだと判る。でも、もちろん「地球の歩き方 モンゴル」には載っていない。
 ここでの昼食はなかなか凝っていて、コールスローの前菜にスープ、メインは牛肉と野菜の炒め物と付け合わせにライスが付いた。デザートにチョコレートのお菓子も出たけれど、お腹がいっぱいになったのでおやつ代わりに持ち帰る。

 随分後になって気がついたところ、こうした食事の度にテーブルに出ていた紅茶のティーバッグやインスタントコーヒーは添乗員さんが持ち込んでくださったものだ。それに気がつくまでは、「モンゴルではインスタントコーヒーはお皿に盛って出すものなんだな」と勘違いしていた。

 14時20分に、再びツァガンスムを目指して出発した。
 ここからは、一番前の席は他の方に譲り、昨日も座っていた席に戻る。
 昼食のときに「一番後ろの席は30cmくらい跳ねるんだよ。」「今から乗馬の練習をしているよ。」というお話を聞いていたけれど、本当に頭が天井に着くのではないかと思うくらいジャンプしているのをこの目で見たときには驚いた。
 確かに、それに比べたら、一番前の席は雲泥の差で楽だ。

P8141186 16時くらいに、カラコルムに到着した。この街にあるエルデニゾーという遺跡には、帰りに寄ることになっている。今はトイレ休憩だけだ。
 ここは県境にもなっていて、道に遮断機のようなものが降りている。何かの手続きも必要なようで、それを待つ間はトイレ休憩だ。
 朝青龍関の経営するツーリストキャンプの看板があったので、県境とその看板を記念に撮影した。

 ツァガンスムのツーリストキャンプまでの所要時間を聞いたところ、添乗員さん曰く「ドライバーは1時間と言っています、ガイドは3時間と言っています、自分は4時間だと思います。」ということだった。
 その後、ツアーの方々と「所要時間当てクイズ」になった。

 ドライバーさんの予測を大幅に超えた18時20分頃、バスがスピードを落とした。
 遊牧民のゲルにお邪魔するという。「お土産があるといいです。」というガイドさんの案内に、バス中「(お土産のつもりで持ってきた)飴とか、大きな荷物の中に入れちゃって持っていない!」と大騒ぎになった。スーツケースやバックパックなどの大きな荷物は別のワゴン車に積まれている。

乳製品 7人家族のそのお宅は、フランス人監督がドキュメンタリー映画を撮ったときにモデルになったそうだ。撮影風景の写真などを見せてくださる。ちょうど雨も降り始めて、ちょっとした休憩タイムだ。
 初めて飲むアイラグ(馬乳酒)は酸味が強いヨーグルトドリンクよりもう一段サラっとしている。バターのような生クリームが繊維状に固まっているような、そんな乳製品もご馳走になる。スーテーツァイという塩味のミルクティーも出していただく。
 周りのゲルからも続々と人が集まってきて、歓迎してくださる。もう、どの子がこのゲルの子で、どの子がお隣のゲルの子なんだか、さっぱり判らない。

 一家は、元々はウランバートルで暮らしていたけれど、お父さんが足に怪我をしてしまったのを機に遊牧の生活に入った(戻った?)そうだ。お子さん達は、お父さんの出身地であるウランバートル近郊の学校に通っているという。
 ガイドさんによると、移動のしやすさが身上のゲルで、この一家のようにベッドなどの家具が置いていることは珍しいそうだ。そういえば、子どもたちがテレビで「トムとジェリー」を見ていた。

 ツアーのお一人が折り紙を持っていて、大人気になっていた。彼女の周りに子ども達が集まってきて、折り紙教室が開催される。その様子を写真に撮ろうとしたけれど、上手く撮れなかったのが残念だ。
 そうこうしているうちに雨も上がり、一気に青空が広がった。そうすると、今度はゲルの外で大撮影大会だ。
 私も、多分姉妹なんだろう、お姉さんと抱っこされた小さな女の子の写真を撮らせてもらった。このお姉さんの女の子の目がとても強くて格好良かった。
 小さい女の子が手に握っているのは、お昼に出たチョコレート菓子だ。差し上げられるような手持ちのお土産はそれくらいしかなかったのが申し訳ない。いつゲルにお邪魔してもいいように用意しておいた方がいいのだな、と学習した。

ゲルの内部 ツァガンスムのツーリストキャンプは一家のゲルから車で10分くらいのところにあった。
 昨日と同じグループ分けでゲルに入って寛ぐ。
 とても清潔で、ベッドが3つあり真ん中にテーブルもある。もちろんストーブは必需品だ。バスタオルとハンガー、サンダルも用意されていて至れり尽くせりだ。
 夕ごはんは20時頃、その後で温泉に入れます、とアナウンスがあった。
 まだ夕ごはんまで1時間以上ある。昨年もこのツーリストキャンプに来たという方に先導してもらい、女性陣ですぐ近くにある源泉のまでお散歩に出た。

 源泉は、ツーリストキャンプから湯気が上がっているのが見えるほど近い。温泉を引いているパイプに沿って5〜10分も歩けば到着する。
 柵で仕切られた中に入ると、源泉から流れ出たお湯が川になっていて、湯気が上がっている。黄色っぽい茶色っぽい色をしている。鉄の色といえばいいだろうか。
 木で道が造ってあり、その上を歩いて行くと、途中に建物があった。どうも銭湯のようだ。後で聞いたところによると、個室が四つあり、それぞれにバスタブが置いてあって、温泉に入れるようになっているそうだ。

 源泉の真上にオボーが建てられていた。「温泉が枯れませんように」という祈りを込めて建てられたオボーだ。木の道はちゃんとオボーの周りにも作られていて、みんなで歩いて3周した。
 ツーリストキャンプまで戻る途中、恐らくはお隣のお寺で修行をしているのだろうと思われる白人女性を見かけた。髪も短く刈っていて、僧の着物を着ており、「ちょっと来てみました」という軽いノリではなさそうだ。このとき、モンゴル仏教はどんな仏教なんだろう、と初めて思った。

 夕食は20時頃だった。
 ハムときゅうりとトマトの前菜と、牛肉の炒め物にライスを添えたメインディッシュ、デザートにヨーグルトが出てきた。袋入りじゃない、デザートっぽいデザートが出たのは初めてかも! とみんなして色めき立つ。このヨーグルトがとても美味しかった。

ツーリストキャンプ正門 夕食を食べ終わっても、まだ、外は明るい。
 思い立ったが吉日と、このツーリストキャンプの正門から写真を撮る。
 右手前の比較的大きなゲルがレストランゲルだ。ここでは、お酒やおつまみなども売っていた。「次にいつ入荷があるのかは判らないから、欲しい物があったらそのときに買ってください。」と言われる。食事のときに、ビールやコーラも飲める。支払いはドルでもトゥグルグでも可能だ。

自分の影 こんな感じで周りに山(というか丘)は見えるものの、それ以外には全く何もない。
 21時近くなっても、まだ「夕方かな」という太陽だ。影が面白いように伸びてゆく。こんなに長い影なんて見たことない。
 自分の影の写真を撮ろうとすると、カメラを構えているので両手を上げられず、片手だけ伸ばしているポーズが間抜けだけれど、こればかりは仕方がない。
 今から思えばこの写真、影の長さが判るように何か比べられる物を一緒に写しておけば良かった。

 21時頃から、待望の温泉となった。
 露天風呂になっていて、草原を眺めながら入ることができる。
 逆に、草原を行く人々からも丸見えだけれど、そこは旅行会社の担当さんから「水着を持って行ってください。水着なしで入るには相当の勇気が必要です。」といういかにも的を射た注意をもらっていたので大丈夫だ。気にしない。

 日が落ち、暗くなり、露天風呂を照らす灯りがつき、星が出始め、天の川もくっきり見えて、流れ星が見えるころまで、ずーっと温泉に浸かっていた。2時間くらい入りっぱなしだったろうか。
 追い炊きができるわけではないので、お湯はどんどんぬるくなるけれど、その分、長く入っていることができる。
 温泉と空の色の変わりようと満点の星を満喫した。
 正直に言って、乗馬はなしでもいいや、と思うくらいだった。

 温泉から流れ星が見えたのが嬉しくて、上がった後も湯冷めの用心に厚着をして、星見を続けた。
 やっぱり天の川は地平線から地平線にかけて流れていて、ホスタイのツーリストキャンプよりさらにくっきりと見えている気がする。標高が上がったせいだろうか。
 天の川の写真を撮ろうとがんばったけれど、流石にシャッタースピードが最長16秒のカメラでは相当に明るい星しか写らなかい。それに、魚眼レンズとは言わないまでも広角レンズがないと苦しい。
 そんなこんなで、この日も午前1時頃の就寝となった。

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2007.01.08

モンゴル旅行記2日目

2006年8月13日(日曜日)

 7時に目覚ましをかけて、でも実際に起き出したのは7時30分を過ぎてからだった。充電していた電池をデジカメにセットして、ホテルの窓からの景色を撮る。充電は無事に完了したようだ。
 外は雲一つない青空で、目の前のナイラムダル公園の観覧車もくっきりと見える。

 荷造りをしてから外に出て、ホテルの外観の写真を撮ったり、フロントで両替をしてもらったりした。20ドルが21000Tになる。そして昨夜の約束どおり、9時頃から3人で朝食だ。
 パンにパンケーキにクレープ、卵にハムにチーズ、生野菜もあるアメリカンブレックファストだ。ジュースやコーヒー、お湯の入ったポットやティーバッグもある。水筒に熱湯をもらう。

 昨夜の部屋調整の結果、一人参加で相部屋希望の女性3人は、添乗員さんが「特別室」と表現したお部屋に宿泊していた。何だか面白そうなので、朝食後、そのお部屋を見せてもらう。
 キチネット(キッチンというほど揃っていなかったような気がする)や洗濯機もあり、3ベッドルームにリビングもあって、コンドミニアムのような感じだった。

 10時過ぎ、スフバートル広場を目指して出発した。タクシーに乗るという発想がなかったので、コンチネンタル・ホテルから歩いてウランバートル市内観光をしようとすると、とりあえず行き先はスフバートル広場しかない。
 思っていたよりも日差しが強く、日向を歩いていると結構暑い。空気が乾燥しているようで、喉が渇く。

スフバートル広場 15分くらいでスフバートル広場に到着した。1921年のモンゴル革命の指導者の一人であるスフバートルの像が広場の真ん中にあり、政府宮殿の方を向いて建てられている。だから、このスフバートル像は後ろ姿だ。しかも、奥に見える政府宮殿は工事中である。
 このスフバートル氏は、モンゴル紙幣にも描かれている。英雄なのだ。
 今年になって、スフバートル広場にチンギス・ハン像が建立されたという話を聞いた記憶があったけれど、残念ながら発見できなかった。
 この広場の周りの建物は、どことなくヨーロッパ風だ。

 この後、私の強引なプッシュにより自然史博物館に行くことになった。恐竜の化石が見てみたかったし、スフバートル広場から歩いて行ける距離にある。
 入場料は2000Tで、写真も撮りたかったし、この先トゥグルグを使う機会はあまりないのではないかという気がして、撮影料5000Tを追加して払った。

 自然史博物館は思っていたよりずっと楽しかった。
 日本人観光客もちらほらといて、ガイドさんの説明を一緒にこっそり聞かせてもらったりした。
 隕石や大きな恐竜の骨格標本(タルボサウルスという恐竜の標本は、特別に天井の高い部屋に展示されていた)、闘っているところに(恐らく)隕石が落ちてそのままの体勢で化石になってしまった恐竜、恐竜の卵の化石などがメインの展示だ。それらは確かに目玉だけれど、それ以外の展示もかなり充実している。
 仏様を描いたタペストリーもあったし、植物の標本や、ゲルの様子を再現したコーナーもある。動物の剥製をジオラマに置いたコーナーにもかなりのスペースが割かれていた。

 自然史博物館からホテルまでは、脇目も振らずに歩いて20分くらいの距離だったと思う。かなり急ぎ足で戻ったけれど、ホテルの入口に到着したのが集合時刻の12時ジャストくらいだった。遅れて申し訳ない。

チンギス・ハンの絵 今日の昼食は、ナイラムダル公園の中にあるSEOULというレストランだった。同じ旅行社の他のツアーの方々もここに集結していたようだ。
 2階はビュッフェ式になっていて、肉料理は羊を煮込んだものが多かったように思う。なるべくスープなど野菜類を多めに取るように心がけた。
 トニックウォーターを頼んだら、1.5ドルと言われたので1ドル札を2枚出したら1枚返され、500Tを追加するように言われた。不思議な支払い方法だ。
 このレストランの駐車場では、バスの中から見えてずっと気になっていた、山肌に描かれたチンギスハンの絵を見ることができた。帰国後にテレビ番組で知ったところによると、この絵は白い石を置いて描かれていたようだ。

 昼食後、日曜のためかホテルのフロントで両替ができなかった方がいたため、バスはまずデパートに立ち寄った。一緒に追加で両替をしてもらう。ここでは、20ドルが22800Tになった。ホテルのフロントよりもレートが良い。日本円からの両替も可能だった。
 次にスーパーに立ち寄り、1.5Lの水のペットボトルを500Tで買った。

 ウランバートル市内からバスで1時間弱走り、15時過ぎに「モンゴル建国800周年記念騎馬隊イベント チンギス・ハーン 800年目の帰還 ユーラシアの祝祭」の会場に到着した。入場したときにもらったガイドブックは日本語版で、そこにそう書いてあったから、これが正式名称だと思う。
 騎馬イベントは16時開始予定だ。
 会場の入口からお土産物屋の屋台が並び、中央には舞台が作られて民族舞踊らしい踊りが踊られている。その周りには、木工やゲルづくりや占いのワークショップのゲルが並び、食べ物の屋台も出ている。

ゲームに興じる子どもたち 騎馬イベントが始まるまでフリータイムとなった。
 ワークショップ会場でゲルの解体(組み立てはもう終わってしまっていたらしかった)を眺めていたら、そこのお父さんに呼び止められた。ゲルの部品の名前を教えてもらったり、彼の子ども達がゲームをしているところに混ぜてもらったりした。

 そのゲームは羊の関節を駒に使い、予め決められた模様に駒を並べておく。サイコロを振って出た目に合わせてその駒を取ってゆく、というルールのようだった。最後に残った駒を取ったのが私だったので単純に喜んでしまったけれど、そういえば「どうなったら勝ち」というルールは知らないのだから、本当は私が負けだったのかも知れない。
 この一家の末っ子の女の子が可愛らしくてシャッターチャンスを狙ったりしていたら、またもや集合時間にすっかり遅れてしまった。そんなことばかりで本当に申し訳ない。

 いよいよ騎馬イベントが始まった。
 会場は山手線の内側よりも広い草原で、そこに観客席が四つ建てられている。お天気はいいけれど、風がもの凄く強くて寒い。長袖シャツに薄いコートを羽織っているだけでは寒くて震えてしまい、慌ててカーデガンを着込んだ。それでも寒いくらいだ。
 ナレーションは必要最小限しか入らない。モンゴル語と日本語、英語でアナウンスが行われていた。
 電通が主催に入っているし、当初は日本語とモンゴル語のアナウンスしかなかったという話も聞く。日本人観光客しかいないのではないかとすら思っていたけれど、意外とそんなことはなくてちょっとほっとした。

 遠くから青い旗に率いられた一団が現れた。
 それから後は1時間強に渡ってスペクタクルが展開された。もうもうたる砂埃をあげながら騎馬軍団が集団で走り、槍で闘い、弓で闘い、剣で闘う。ラクダに投石機を引かせている。
 この騎馬隊はモンゴル陸軍の人々が扮していたそうだ。甲冑などもチンギス・ハンのモンゴル帝国建国時のものを忠実に再現したという。

 途中で、騎馬軍団も観客席と同じ4色に色分けされ、競馬で競い、弓で競い、馬術で競うというイベントが挟まった。
 地面に置かれた長い竿のようなものを、全力疾走している馬上から体を投げ出すようにして拾い上げるのを見て、目が丸くなった。両足だけで自分の体を馬上に支え、腰から下は地面に向かって手を伸ばしている。どうしてそんなことができるのだろう?

 一番盛り上がったのは競馬で、どことも知れないスタート地点から一直線に4頭の馬が競い合って全力疾走してくる。つい、自分が座った観客席の色である緑の馬と人を応援する。際どいところで緑の馬が勝利して、大喜びした。
 競馬には賞品が出ていて、1位が馬、2位が羊、3位が山羊、だった。羊と山羊をもらった騎手の人は、馬上で片手で抱えて退場していった。どうしてそんなことができるのだろう?

 騎馬イベントは、最後にチンギス・ハン軍が勝利して終わる。一人の少年が現れ、笛を吹く。何かが始まったか、何かが終わったか。そういう雰囲気が流れる。
 そして、いつの間にか消えていた騎馬の一団がまた遠くから隊列を組んでやってきて、一斉に鬨の声をあげる。
 彼らは、観客席すれすれのところを片手をあげて挨拶しながら全力疾走で駆け抜け、退場していった。

お金 17時30分の出発まで、再び20分くらいのフリータイムになった。
 ステージを見るか馬に乗っている美女を撮ろうか迷ってウロウロしていたら、以前に別のツアーでお世話になった添乗員さんとばったり会った。このイベント会場でだけ通用する通貨があるんだと言って見せてくれる。
 縦9cm・横3cmくらいの大きさで、800年記念イベントのマークが入り、モンゴルの文字でさらに何か書かれているけれどそれは読めない。金・銀・銅と3種類あり、一番格好よく見えた銅をお土産も兼ねて買うことにした。
 この「お金」で買い物をするつもりだったけれど、お手洗いも混んでいたし、欲しかったベルトが見つからずに断念した。
 この騎馬イベントは2007年夏にも開催されることが決まったようだ。この「お金」はそのときにも流通しているだろうか。

オボー 17時30分に、今日の宿泊場所であるホスタイのツーリストキャンプに向けて出発した。出発のときに「ドライバーが1時間くらいで着くと言っているから2時間くらいで到着するでしょう。」と添乗員さんが言ったけれど、それはとてつもなく甘い見込みであったことが後で判る。
 30分くらい走ったところで、道の真ん中に大きなオボーがあった。バスが停まる。
 オボーは、私の中では「日本のお地蔵様や道祖神のようなもの」と理解しているけれど、それが正しいかどうかは不明である。
 おぼろげな記憶によれば、モンゴル人の日本語ガイドさんに「オボーがあったら、旅の安全を願ってその周りを時計回りに3周回り、1周につき1つずつ石を投げるのだ」と教えてもらったと思う。もちろん、みんなでバスを降りて3周回った。

 その後、添乗員さんから「あそこまで歩いてください。その方が安全ですから。」という指示が出る。その指さされた場所を見ていなかった私が、近くを歩いていた人にかなり遠くに見えるゲルを指して「あんなに?」と聞き返して笑われた。
 オボーからの道はかなり急な下りになっていて、凹凸も大きい。バスがひっくり返りでもしたら危ないから坂を下りきったところまで歩いてくださいという意味だったらしい。「これがモンゴルですから。」という添乗員さんのコメントが可笑しい。
 ぶらぶら歩いて行くと、この辺りには、エーデルワイスに似た花があちこちに咲いていた。

 ホスタイのツーリストキャンプには、私たちのツアーと奥カラコルムでホームステイをするツアーとの二組で向かっていた。
 添乗員さんの目算である2時間を過ぎた頃、そのもう1台のバスが見えなくなり、待ち合わせがてらトイレ休憩になった。もちろん、トイレは青空トイレだ。
 バスを降りると、空気の匂いが明らかに違う。「何だか違いますよね。」と騒いでいたら、ツアーの方が「これだよ。」と一面に咲いていたカモミールを折って渡してくれた。草っぽい緑っぽい匂いの強い、でもカモミールのいい香りだ。
 この野生のカモミールでアロマオイルを作って売ったら大もうけができそうだと思ったことは内緒である。

夕食 もう1台のバスが追いついたところで再び出発し、流石に日も落ちて暗くなりかけた21時20分、ホスタイのツーリストキャンプに到着した。
 何はともあれ、まずごはんである。サラダの前菜と、ハンバーグの上にマッシュポテトを乗せた感じのメインディッシュが出た。メインディッシュには、ごはんと野菜の酢漬けのような付け合わせがついている。それとは別に出されたパンが、少し油が強いけれど美味しい。あとチョコレート菓子といった感じのデザートも出た。
 寒いしお腹も空いていたし、それに全体的にかなり美味しくて、バクバク食べた。

 ゲルでの宿泊は相部屋である。14名のツアー参加者のうち男性は4名だけだったのでゲル一つでまとまり、女性陣10名は3つのゲルに分けられた。
 後になって、「どういう基準で組分け(笑)されていたのか」とみんなで検討した結果、関東勢と関西勢に分け、一人部屋を希望したか否かで分け、概ね年齢順なんじゃないか、ということに落ち着いた。

 ホスタイのツーリストキャンプでは、24時間使えるシャワーが女性用として三つある。しかし、シャワーがある棟まで結構遠いし、風が強くて寒いし、何だか風邪を引きそうだし、明日には温泉に入れるので、シャワーはパスし、シャワーシートと「水のいらないシャンプー」で済ませた。
 食事も終わり、それぞれのゲルにみんなが落ち着いた22時30分頃、キャンプのスタッフが薪ストーブに火をつけに来てくれた。太さが10cm弱、長さは30cm以上ありそうな薪を一度に7〜8本は入れられるかなり強力な薪ストーブだけれど、それでも冷え込んでいて、アウトドア用のコートを荷物から引っ張り出して着込んだ。

 ゲルの周りには足元を照らす灯りがついているけれど、宿泊用のゲルが並ぶ辺りからシャワーやトイレのある棟までは少し距離があり、木で道が組まれているけれど灯りはない。お手洗いに行くには懐中電灯が必携である。

 灯りのないところで空を見上げたら、夜の端から端まで天の川がかかっていた。
 とんでもなくたくさんの星が白く瞬いている。天の川も確かに「流れている」のが見て取れる。
 天の川を渡る人工衛星が動く軌跡までくっきりと見えて、ちょうど通りかかった添乗員さんにも指さして示しつつ、「凄いね。」と当たり前のことを言いながらぼんやりと眺めた。

 極大日は昨日だけれど、ペルセウス座流星群は今日も健在だ。23時頃、あちこちのゲルから人が出てきて、夜空を眺める声が聞こえ始めた。
 この日、人工衛星も、流れ星も、天の川も、そして遙か遠くの地平線から上る月も見ることができた。
 
 その後の同じゲルになった3人で記念撮影をし、この日寝たのは翌日の1時近かったと思う。

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2007.01.03

モンゴル旅行記1日目

2006年8月12日(土曜日)

 今回参加したツアーでは、往復ともJALのチャーター便を利用する。行きは関西空港から飛び、帰りは羽田に直行だ。
 羽田に11時45分集合だった。昨年のアイスランド旅行の際の教訓に従い、JALだったら搭乗券の発券も個人単位かと早めに行ったところ、恐らくチャーター便だからだろう、座席は指定済みだった。
 この時点で、20分離陸が遅れるので、ゲートに12時45分集合と案内があった。

 その辺の売店でおにぎりを買い(意外と空港にコンビニはなくて探してしまった)、6階のデッキまで上ってお昼ごはんにした。暑い。しかも、夏休み中のためか、飛行機を眺めに来ている親子連れが多く、早々に退散する。
 ロンドンでのテロ未遂事件の直後でもあるし、やることもないしで早めに行動したけれど、羽田空港のセキュリティチェックはスムーズに通過できた。
 スムーズではなかったのは飛行機で、出発が遅れて12時45分発が13時5分発になった上、途中で積乱雲の横を通過したためにかなり揺れた。

 そして、関西空港はもの凄く混雑していた。
 改めて団体受付カウンターに並んで搭乗券をもらうまでに20分かかった。ここで燃料チャージが下がったので1800円を後ほど添乗員から返金しますという案内があった。
 チェックイン・カウンターに向かう列は長く伸びていて、並ぶこと25分。
 さらに、流石に国際線のセキュリティチェックではロンドンのテロ未遂事件の影響が生じていて、合衆国行きの人とそうでない人とに列が分けられる。モンゴルを含め合衆国以外の地域へ行く場合は液体の持ち込み禁止などの厳しい措置はない。しかし、係のお姉さんは「開けてもいいですか?」という一言とともにバッグに突っ込んでいた私の水筒を開けていた。

 セキュリティチェックを抜けてしまえばガラガラで、国内線を降りてから約1時間後の16時には出国審査を抜けることができた。空港で買うつもりで化粧品の類を一切持ってきていなかったので、買い物する時間がなかったらどうしようとヒヤヒヤしていたけれど、無事に購入することができた。
 16時50分にゲート前でツアーメンバーが集合した。あちこちでツアーごとに集まっているので、自分が参加するツアーを探すのが大変だった。
 その後、熊野古道に行ったときの添乗員さんに声をかけられて驚いた。ホームステイするコースの添乗につくそうだ。

 搭乗後、飛行機がサテライトから滑走路に向かって動き出した後でアナウンスが流れた。二人ほど「チェックインしたけれども搭乗していない」人がいたらしい。しかし、サテライトに引き返すこともなく、JAL8871便は10分遅れの17時30分頃に離陸した。だから、きっと問題はなかったのだろう。
 19時くらいに機内食が出て、その後、添乗員さん達が団体で行ったり来たり慌ただしくしていた。

 気流が荒れていたらしく、飛行機はほとんどジェットコースター並みに上下した。フワッというあの一瞬の無重力状態が何度も起こる。あんなに揺れる飛行機に乗ったのは初めてかも知れない。
 離陸の遅れもあったけれど10分遅れの21時50分着になったし(ちなみに、モンゴルではサマータイムを採用しているので、夏の間は日本との時差がない)、気分が悪くなる人が何人かいたようだ。並んで座っていた、同じツアーに参加する女性もかなり参っていたようだった。
 それなのに、着陸後、座席でゆっくり休ませてくれず、「機内から出たら空気も良くなるし、気分も回復するのでは。」と一見親切そうだけれど「早く降りて!」という意図が見え隠れする発言と表情をしていた客室乗務員さんの態度にカチンと来た。

チンギス・ハン空港 20分くらいでモンゴルの入国審査も無事に通過し、点呼を受けてツアーメンバーが再集合し、機内アナウンスで「21度」と知らされていたよりも涼しく感じられる外で待つこと数分、迎えのバスに乗り込んだ。
 今日の宿であるコンチネンタル・ホテルに向けて23時頃に出発した。
 チェックインを待つ間、ホテルのバーを待合室代わりに使わせてくれた。メニューを見たら、スニッカーズが500T(トゥグルグ)、500mlのミネラルウォーターが1000Tだった。何となく、モンゴルまでの飛行機で並んで座っていた3人で固まり、「メニューにガムや飴や煙草が載っている!」と発見し合う。

 ホテルの部屋が人数分確保できておらず、その調整で時間がかかったらしい。明日のことも含めた説明が始まったときには翌日になっていた。
 午前中は自由行動で、12時にホテルを出発し、昼食後に800年記念騎馬イベント会場に向かうという明日の大まかな流れを教えてもらい、ホテルの朝食の時間、フロントで両替が可能なことなどが案内された。
 添乗員さんのお部屋が確保できていないということで緊急時の連絡先としてガイドさんの携帯電話の番号を教えてもらう。
 しかし、あまりにもあっさりと言うのでその場は聞き流してしまったけれど、結局、彼にはこの日、ちゃんと寝る場所があったんだろうか。

コンチネンタル・ホテルのお部屋 ホテルのお部屋はかなり広くて綺麗だった。お湯が出たのでバスにためようとしたら、流石に途中で水に変わってしまった。しかし、とにかくゆっくり浸かることができるくらいに溜まったのが有り難い。ついでに、洗濯もしてしまう。
 今年は今日がペルセウス座流星群の極大日の筈だけれど、窓から外を見ても曇っているのか星は全く見えない。 
 スタンドの灯りをつけたままにしておいたら、眠りかけたところでフッと電気が消えたり、またすぐについたりした。
 カメラの電池をセットした充電器が不安だったけれど、ツーリストキャンプに行ってからだとさらに不安なのでそのままダメ元で充電を続けることにして、キャリーケースから懐中電灯を取り出して枕元に置き、そのまま寝てしまった。

 ->モンゴル旅行記2日目

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