長崎旅行記2日目その2
2026年3月16日(月曜日)
12時半に長崎港のターミナルに再集合した。
全員が揃うのを待って、ガイドさんの先導でクルーズする船まで移動する。今回利用するのは、やまさ海運の船だ。
チケットが取れずに午前便の予定が午後になり、そしてこの午後便も満席でガイドさんも添乗員さんも行けないそうだ。大人気である。
その「大人気」の理由の一つが海に眠るダイヤモンドという2024年にTBSで放送されたドラマだ。ツアーの中にこのドラマの大ファンという女性がいて、「実はバスガイド役で出演していた」というバスガイドさんとドラマの話で盛り上がっていらした。
そのバスガイドさんが、船に向かいながら「上陸できたらラッキーです!」と繰り返している。添乗員さんも同じくだ。
???と思っていたら、どうやら軍艦島クルーズの上陸率は結構低いらしい。体感で50%くらいじゃないか、とおっしゃる。そして、午前中の方が上陸できる率が高いらしい。
はるばる出かけてがっかりしないよう、予め釘を刺しておくというか、期待しすぎないようにと思ったらしい。
「こんなに晴れていて海も静かなのに!」と言ったところ、問題は風で、風がある程度強いと接岸できないそうだ。
そんなお話も聞きつつ、乗船した。定員が200人くらいの船だ。
母は室内の窓際の席に落ち着き、私はその母に荷物を見て貰って1階と2階のデッキを歩き回る。風が強くて結構寒い。ゴアテックスのレインコートを着てちょうどいいくらいだ。
1階のデッキは波しぶきがかかるので、2階デッキに陣取って航海を楽しむ。
実は、実際に乗船するまで、軍艦島は港から遠くには見えていて、船に乗って10分とか15分で到着するものだと思っていた。
それが、到着まで1時間くらいかかると聞いてもの凄く驚いた。
正しく「聞いてないよ!」という奴である。
航海中、船から見える景色の観光案内があったけれど、主にデッキにいた私にはほとんど聞こえていない。ひたすら船旅と景色を楽しんだ。


出港して40分くらいでやっと軍艦島の島影が見えてきた。
左下の写真だと、右側の黒っぽく見える島の奥に見えている、左側の小さい薄い色の塊が軍艦島こと端島である。
遠い。
ところで、後日に友人に告白して「そんな勘違いをしているのはあなただけだ」とメールの文面だけでも爆笑している様子が分かる反応をされたのだけれど、私はこの時点でもまだ、「軍艦島」の「軍艦」は「軍艦巻き」の「軍艦」だと思っていた。
長崎から船で行ったとして、まず見えてくる姿は、どう見たって「軍艦」ではなく「軍艦巻き」だと思う。


波も穏やかで、上陸できそうだ。嬉しい。
さらに船が近付くと、島に残る建物などがくっきりはっきり見えてきた。
恩田陸の小説「puzzle」を思い出す。
このタイトルが思い出せずに調べたら、2026年7月に「傾斜のマリア」という長崎の町を舞台にし、軍艦島(らしき島)も登場する小説を出版されたそうだ。ぜひ読んでみたいと思う。


出港して45分、船は無事に軍艦島に接岸した。
何というか、鳥の多い島である。島の上空をたくさんの鳥がぐるぐると大きく回っている。
上陸するとコンクリートで遊歩道というか通路ががっつり作られており、その通路から外れることはできないようになっている。外れようとも思わない。危険過ぎる。
乗船の段階で渡されたバッジの色で乗客は3班に分けられており、第一見学広場、台に2見学広場、第三見学広場を巡ってそれぞれ説明してもらうという効率的なスケジュールができあがっている。プロだ。
私が入ったグループは、第二・第三・第一の順に見学することになっており、まず第二見学広場に向かった。
第二見学広場から奥の上の方に白い灯台が見える。元々の「端島」は、この灯台が建っている岩山の部分だけだったらしい。
炭鉱の島としてその後どんどん拡張され、今の1周1200mという大きさになっている。
もっとも、この灯台は閉山後に建てられている。炭鉱として稼働しているときは3交替24時間体制で、灯台など必要ない明るさだったそうだ。
つまりは、手前に見ているこれらの建物はすべて「拡張」部分に建てられており、右側の写真に写っている1階部分が素通しになってしまっている建物が、第二堅杭に行くための桟橋部分として残っている。
海底にある炭鉱は温度30度、湿度90%というとんでもない環境で、この過酷さ故に働いている人々の給与は通常の2倍から2.5倍も払われていたそうだ。
炭鉱から戻ってくると、そのままお風呂に3回(というか3つ)入らなければ炭鉱の汚れはとてもとても落ちなかったという。
そのお風呂の後が右の写真の左側にある建物だ。


ここから見えているのは、事務所を含め炭鉱関連の設備だ。
端島は外からの波が高く、しばしば防波堤を越えてくることもあったため、海風や台風の影響を受けにくい陸地側に炭鉱設備を集め、反対側の時化の影響を受けやすい側に働いている人達の住宅や病院などの生活設備を備えたそうだ。
合理的というか、人を人とも思っていないというか、当時の発想がよく分かる構造だと思う。
ところで、端島がどんどん拡張されていく際にその原材料となったのが、「天川(あまかわ)」だ。
セメントがまだ一般に普及していなかった明治時代に、石灰と長崎の赤土を水で混ぜ合わせて作られた粘土のことを「天川」と言う。
端島で世界遺産に登録されたものの一つが「明治期にこの「天川」を用いて自然石を積み上げ、島を囲った護岸(擁壁)」だ。何というか、端島の世界遺産登録はもっと産業遺産風の理由だと思っていたので驚いた。
それにしても、端島の見学通路には見事に日陰というものがない。
3月の今で結構な暑さを感じるのに、これが夏になったらどれだけ暑いのだろう。
確か端島では傘の使用が禁止されていたから、日傘を差すこともできない。
春に来られて、お天気も良くて、そこまで暑くもなくて、上陸できて、本当に良かったと思う。
第三見学広場からは、開けた空間が広がっているのが見えた。
正面に見えている建物が30号棟、その左側に奥に続いているのが31号棟で、いずれも日本で最古の鉄筋コンクリートアパートだ。
そのため、現存する端島の建物の中で一番最初に崩れるのはこの第30号アパートだろうと言われている。
実際、このとおり、建物の中央部分からすでに崩壊が始まっている。
この30号棟、31号棟は公印のための住居で、吹き抜けの廊下と階段があったり、地下に売店があったり、一般用の共同浴場があったり、1階に郵便局や理髪店が入っていたりしていたそうだ。
また、第三見学広場のすぐ横にはプール跡もある。
ほとんど「町」である。
そういえば、端島の建物はこの7階建てアパートのようにそこそこ高い建物が多いけれど、エレベータはなかったという。7階まで毎日上り下りなんて大変すぎる。

来た道を戻って、最後の見学場所である第一見学広場に移動する。
正面に見えているやたらと大きい建物が、端島小中学校だ。
先ほどエレベータがなかったと書いたけれど、この小中学校校舎には、昭和になって体育館や給食設備が新設され、人ではなく給食を運ぶエレベータが設置されたそうだ。
それ以前からも理科室や音楽室、図書室などの特別教室もあったというから、なかなか充実した教育環境である。
奥左手に見えている黒っぽい建物の上には、幼稚園があったそうだ。ますます「町」だ。
また、左の写真に写っている橋桁みたいな建造物は、ベルトコンベア跡だ。
精製された石炭がこのベルトコンベアで手前から奥に向かって運ばれ、石炭運搬船に積み込まれて搬出されていたという。


3か所の見学広場を回って、見学終了である。
各広場にはそれぞれ専任の案内の方がいて、当時の写真なども見せていただきながら説明を受けることができた。至れり尽くせりである。
歩いている間も、例えば、当初、飲み水は海水から作っていたものの、その後、海中に設置したパイプラインで運ばれてくるようになったという話なども伺った。
そうですよね、島で一番問題になるのは、海に囲まれていても水(真水)ですものね、と思う。
約40分の見学が終了し、全員でぞろぞろと船に戻る。
この後は、端島の周りを一周し、長崎港に戻る。
話は戻るし我ながらしつこいとは思うけれど、この写真の端島は、どう見ても「軍艦巻き」ではなかろうか。
島の反対側には居住地がある。
アパートの他、病院や、宗教施設なども残っている。
窓のない建物は病院の隔離病棟という説明で、孤島で心を病んでしまう人がいたのか? と思ったら、感染症患者を入院させるためということだった。
安心していいのか悪いのか、かなり困惑する。
端島にはかつて「端島神社」という神社があり、神殿や本殿もあったというから、かなり立派なものだったのだろう。
今も祠だけが残っている。
また、木材が崩れ落ちて重なっている場所があり、そこはお寺の跡だという。全く跡形もなく崩れてしまっている。


そして、最後に端島が「軍艦土佐」に見えるポイントでじっくりゆっくり写真タイムを取ってくれた。
確かに、この角度であれば、「軍艦巻き」ではなく「軍艦土佐」である。
もの凄く納得した。
もの凄く納得したけれど、しつこく言うけれど、この角度でなければ、やっぱり「軍艦巻き」に見えると思う。
防潮のための壁が、軍艦巻きの海苔の部分に見えて仕方がない。
島を1周して戻ってくると、次のクルーズ船が着岸しようとしていた。
我々は入れ替わりに長崎港に向かって帰路に着いた。
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9時過ぎにタクシーで自宅を出発し、上野駅に10時過ぎに到着した。

チェックインは15時からで、ロビーのあちらこちらでチェックインを待っている方々が寛いでいた。
そのままチェックインの説明をしていただき、15時過ぎにはお部屋に入った。
母は「お腹いっぱいだし食べない」とパスし、私だけいただいたおやつは、仙台の
露天風呂からロビーに戻る途中に「ゆあがりDaicon茶屋」と名付けられたお茶屋さん(?)があり、飲み物やおやつが用意されていた。









19時半まで目一杯楽しんだ後、くつろぎSalonの雑誌コーナーで適当にパラパラとめくってみる。普段、雑誌を読むことがほとんどないので、なかなか新鮮な感じがする。壁一面が雑誌コーナーになっていて、最新号が揃っている。
宿泊した
教えていただいた通り、長崎駅を突っ切り、その先にある「長崎駅前」の電停に向かった。
のんびり中島川沿いを歩き始める。







お昼ごはんは、
昼食後、再集合は先ほどのターミナルビルに12時半と案内があった。
ここは、2026年6月5日から1泊2日で熱田神宮経由瀧原宮にひとり旅した旅行記の入口である。


駅を出てそのまま真っ直ぐ進み、大内山川を越えて左折する。川沿いのこの道は熊野古道の一部で、まっすぐ瀧原宮まで続いている。
ゆっくりのんびり写真も撮りつつ歩き、20分くらいで
鳥居の手前には、漫画の元となったのだろう由緒の説明板があり、反対側に衛士派出所とお手洗いがあった。
瀧原宮の参道は森に囲まれており、中には樹齢100年を超える杉の木もあるそうだ。
この御手洗場というのが、異様に気持ちいい場所だった。
来た道を戻るのではなく先に進む方向に延びる階段を上り、参道に戻ってお宮を目指す。
お参り順のとおり、最初に瀧原宮にお参りし、次に左隣にある(参道から来ると手前にある)瀧原竝宮にお参りする。


次いで、若宮神社にお参りする。
帰りに社務所に寄り、御朱印をいただいた。



11時過ぎに
バスは少し走ってすぐ高速に乗り、高速に乗ってすぐ奥伊勢PAで20分の休憩となった。
14時25分にバスは名鉄バスセンターに到着した。昼神温泉に行ったとき以来、こんなにすぐ戻ってくることになるとは思っていなかった。