2026.10.12

長崎旅行記2日目その2

2026年3月16日(月曜日)

 12時半に長崎港のターミナルに再集合した。
 全員が揃うのを待って、ガイドさんの先導でクルーズする船まで移動する。今回利用するのは、やまさ海運の船だ。
 チケットが取れずに午前便の予定が午後になり、そしてこの午後便も満席でガイドさんも添乗員さんも行けないそうだ。大人気である。
 その「大人気」の理由の一つが海に眠るダイヤモンドという2024年にTBSで放送されたドラマだ。ツアーの中にこのドラマの大ファンという女性がいて、「実はバスガイド役で出演していた」というバスガイドさんとドラマの話で盛り上がっていらした。

 そのバスガイドさんが、船に向かいながら「上陸できたらラッキーです!」と繰り返している。添乗員さんも同じくだ。
 ???と思っていたら、どうやら軍艦島クルーズの上陸率は結構低いらしい。体感で50%くらいじゃないか、とおっしゃる。そして、午前中の方が上陸できる率が高いらしい。
 はるばる出かけてがっかりしないよう、予め釘を刺しておくというか、期待しすぎないようにと思ったらしい。
 「こんなに晴れていて海も静かなのに!」と言ったところ、問題は風で、風がある程度強いと接岸できないそうだ。

クルーズ船 そんなお話も聞きつつ、乗船した。定員が200人くらいの船だ。
 母は室内の窓際の席に落ち着き、私はその母に荷物を見て貰って1階と2階のデッキを歩き回る。風が強くて結構寒い。ゴアテックスのレインコートを着てちょうどいいくらいだ。
 1階のデッキは波しぶきがかかるので、2階デッキに陣取って航海を楽しむ。

 実は、実際に乗船するまで、軍艦島は港から遠くには見えていて、船に乗って10分とか15分で到着するものだと思っていた。
 それが、到着まで1時間くらいかかると聞いてもの凄く驚いた。
 正しく「聞いてないよ!」という奴である。
 航海中、船から見える景色の観光案内があったけれど、主にデッキにいた私にはほとんど聞こえていない。ひたすら船旅と景色を楽しんだ。

造船所橋

 出港して40分くらいでやっと軍艦島の島影が見えてきた。
 左下の写真だと、右側の黒っぽく見える島の奥に見えている、左側の小さい薄い色の塊が軍艦島こと端島である。
 遠い。

 ところで、後日に友人に告白して「そんな勘違いをしているのはあなただけだ」とメールの文面だけでも爆笑している様子が分かる反応をされたのだけれど、私はこの時点でもまだ、「軍艦島」の「軍艦」は「軍艦巻き」の「軍艦」だと思っていた。
 長崎から船で行ったとして、まず見えてくる姿は、どう見たって「軍艦」ではなく「軍艦巻き」だと思う。

端島遠景軍艦島

 波も穏やかで、上陸できそうだ。嬉しい。
 さらに船が近付くと、島に残る建物などがくっきりはっきり見えてきた。
 恩田陸の小説「puzzle」を思い出す。
 このタイトルが思い出せずに調べたら、2026年7月に「傾斜のマリア」という長崎の町を舞台にし、軍艦島(らしき島)も登場する小説を出版されたそうだ。ぜひ読んでみたいと思う。

軍艦島軍艦島

接岸 出港して45分、船は無事に軍艦島に接岸した。
 何というか、鳥の多い島である。島の上空をたくさんの鳥がぐるぐると大きく回っている。
 上陸するとコンクリートで遊歩道というか通路ががっつり作られており、その通路から外れることはできないようになっている。外れようとも思わない。危険過ぎる。

 乗船の段階で渡されたバッジの色で乗客は3班に分けられており、第一見学広場、台に2見学広場、第三見学広場を巡ってそれぞれ説明してもらうという効率的なスケジュールができあがっている。プロだ。
 私が入ったグループは、第二・第三・第一の順に見学することになっており、まず第二見学広場に向かった。

 第二見学広場から奥の上の方に白い灯台が見える。元々の「端島」は、この灯台が建っている岩山の部分だけだったらしい。
 炭鉱の島としてその後どんどん拡張され、今の1周1200mという大きさになっている。
 もっとも、この灯台は閉山後に建てられている。炭鉱として稼働しているときは3交替24時間体制で、灯台など必要ない明るさだったそうだ。
 つまりは、手前に見ているこれらの建物はすべて「拡張」部分に建てられており、右側の写真に写っている1階部分が素通しになってしまっている建物が、第二堅杭に行くための桟橋部分として残っている。

 海底にある炭鉱は温度30度、湿度90%というとんでもない環境で、この過酷さ故に働いている人々の給与は通常の2倍から2.5倍も払われていたそうだ。
 炭鉱から戻ってくると、そのままお風呂に3回(というか3つ)入らなければ炭鉱の汚れはとてもとても落ちなかったという。
 そのお風呂の後が右の写真の左側にある建物だ。

20260316_13545520260316_135257

 ここから見えているのは、事務所を含め炭鉱関連の設備だ。
 端島は外からの波が高く、しばしば防波堤を越えてくることもあったため、海風や台風の影響を受けにくい陸地側に炭鉱設備を集め、反対側の時化の影響を受けやすい側に働いている人達の住宅や病院などの生活設備を備えたそうだ。
 合理的というか、人を人とも思っていないというか、当時の発想がよく分かる構造だと思う。

天川 ところで、端島がどんどん拡張されていく際にその原材料となったのが、「天川(あまかわ)」だ。
 セメントがまだ一般に普及していなかった明治時代に、石灰と長崎の赤土を水で混ぜ合わせて作られた粘土のことを「天川」と言う。
 端島で世界遺産に登録されたものの一つが「明治期にこの「天川」を用いて自然石を積み上げ、島を囲った護岸(擁壁)」だ。何というか、端島の世界遺産登録はもっと産業遺産風の理由だと思っていたので驚いた。

 それにしても、端島の見学通路には見事に日陰というものがない。
 3月の今で結構な暑さを感じるのに、これが夏になったらどれだけ暑いのだろう。
 確か端島では傘の使用が禁止されていたから、日傘を差すこともできない。
 春に来られて、お天気も良くて、そこまで暑くもなくて、上陸できて、本当に良かったと思う。

 第三見学広場からは、開けた空間が広がっているのが見えた。
 正面に見えている建物が30号棟、その左側に奥に続いているのが31号棟で、いずれも日本で最古の鉄筋コンクリートアパートだ。
 そのため、現存する端島の建物の中で一番最初に崩れるのはこの第30号アパートだろうと言われている。
 実際、このとおり、建物の中央部分からすでに崩壊が始まっている。

 この30号棟、31号棟は公印のための住居で、吹き抜けの廊下と階段があったり、地下に売店があったり、一般用の共同浴場があったり、1階に郵便局や理髪店が入っていたりしていたそうだ。
 また、第三見学広場のすぐ横にはプール跡もある。
 ほとんど「町」である。
 そういえば、端島の建物はこの7階建てアパートのようにそこそこ高い建物が多いけれど、エレベータはなかったという。7階まで毎日上り下りなんて大変すぎる。
日本最古の鉄筋コンクリートアパート日本最古の鉄筋コンクリートアパート

 来た道を戻って、最後の見学場所である第一見学広場に移動する。
 正面に見えているやたらと大きい建物が、端島小中学校だ。
 先ほどエレベータがなかったと書いたけれど、この小中学校校舎には、昭和になって体育館や給食設備が新設され、人ではなく給食を運ぶエレベータが設置されたそうだ。
 それ以前からも理科室や音楽室、図書室などの特別教室もあったというから、なかなか充実した教育環境である。

 奥左手に見えている黒っぽい建物の上には、幼稚園があったそうだ。ますます「町」だ。
 また、左の写真に写っている橋桁みたいな建造物は、ベルトコンベア跡だ。
 精製された石炭がこのベルトコンベアで手前から奥に向かって運ばれ、石炭運搬船に積み込まれて搬出されていたという。

第一見学広場より20260316_141716-2

 3か所の見学広場を回って、見学終了である。
 各広場にはそれぞれ専任の案内の方がいて、当時の写真なども見せていただきながら説明を受けることができた。至れり尽くせりである。
 歩いている間も、例えば、当初、飲み水は海水から作っていたものの、その後、海中に設置したパイプラインで運ばれてくるようになったという話なども伺った。
 そうですよね、島で一番問題になるのは、海に囲まれていても水(真水)ですものね、と思う。

20260316_144327 約40分の見学が終了し、全員でぞろぞろと船に戻る。
 この後は、端島の周りを一周し、長崎港に戻る。
 話は戻るし我ながらしつこいとは思うけれど、この写真の端島は、どう見ても「軍艦巻き」ではなかろうか。

 島の反対側には居住地がある。
 アパートの他、病院や、宗教施設なども残っている。
 窓のない建物は病院の隔離病棟という説明で、孤島で心を病んでしまう人がいたのか? と思ったら、感染症患者を入院させるためということだった。
 安心していいのか悪いのか、かなり困惑する。

 端島にはかつて「端島神社」という神社があり、神殿や本殿もあったというから、かなり立派なものだったのだろう。
 今も祠だけが残っている。
 また、木材が崩れ落ちて重なっている場所があり、そこはお寺の跡だという。全く跡形もなく崩れてしまっている。

居住地20260316_144613

20260316_144914 そして、最後に端島が「軍艦土佐」に見えるポイントでじっくりゆっくり写真タイムを取ってくれた。
 確かに、この角度であれば、「軍艦巻き」ではなく「軍艦土佐」である。
 もの凄く納得した。
 もの凄く納得したけれど、しつこく言うけれど、この角度でなければ、やっぱり「軍艦巻き」に見えると思う。
 防潮のための壁が、軍艦巻きの海苔の部分に見えて仕方がない。

 島を1周して戻ってくると、次のクルーズ船が着岸しようとしていた。
 我々は入れ替わりに長崎港に向かって帰路に着いた。

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2026.09.23

作並温泉旅行記1日目

2026年8月2日

 自宅最寄り駅を9時半過ぎに出発すれば間に合う計算をしつつ、いつもどおり、6時過ぎに目が覚めた。
 母も私もしっかり過ぎるほどしっかり朝食を食べ、早めに支度も整え、暑いしギリギリまで家にいようとしていたら、家にいても暑すぎる。
 ミラコロも転がして行くことだし、とにかく暑すぎるしということで意見が一致し、駅までタクシーで行くことにした。母と私の旅史上、多分初めてのことである。贅沢である。

サーティワンアイスクリーム 9時過ぎにタクシーで自宅を出発し、上野駅に10時過ぎに到着した。
 余裕を持って出た筈が結構ギリギリである。上野駅の新幹線ホームは果てしなく地下深くて遠い。
 地下深くまで潜っても暑くて、ホームでサーティワンアイスクリームの自販機を見つけてついつい買い込んでしまった。
 10時32分発はやぶさ73号に乗り込み、大宮辺りでほぼ満席になった車内で早速食べる。美味しい。

 天気予報は正しくて、郡山駅を過ぎる頃に雨が降り出した。
 12時過ぎ、仙台駅に到着する。仙台ももちろん雨である。
 お昼に何を食べるかを決めておらず、とりあえず牛たん? とエキナカの牛たん通りに行くと、どのお店も見事なくらいの大行列だ。仙山線の時間まで2時間弱あり、並んで間に合わないということもないけれど、実は母はせっかちだ。案の定「お寿司にしましょう。」と言う。

 牛タン通りの先にあるすし通りに進み、すし三陸前に入った。数あるお寿司屋さんの中からどうしてこのお店を選んだのか、忘れてしまった。
 豊富なメニューがあり、もちろんランチメニューもあったけれど、母も私も贅沢する気満々である。
 母は「三陸の宝石」というお寿司9貫と生牡蠣のセットを、私は定禅寺と名の付いたお寿司7貫のセットを頼んだ。
 私が控えめなのは、本日の宿がオールインクルーシブのゆづくしSalon一の坊で、宿を満喫するつもり満々だからである。

三陸の宝石定禅寺

 セットのお味噌汁が供されたのが大分遅かったこと以外は、美味しいし、席もほどほどにゆっくりできて、かなり満足の行くお昼ごはんになった。
 私が食べたのは、鮪のトロ、白身のお魚(名前を忘れた)、鯨、ホッキ貝、海胆、いくら、イカと、母から譲られて来たネギトロ軍艦巻きの8貫だ。
 しかし、にぎり寿司というのは、あっという間に食べられてしまう。30分くらいで食べ終わり、次の電車の時間まで駅構内でお土産の下見をすることにした。

 13時44分発の仙山線は、始発ということもあって、かなり空いていた。45分を立ちっぱなしは嫌だなと思い早めにホームで並んだものの、時間ギリギリでも十分に座れたと思う。
 雨の中を電車に揺られ、14時半前に作並駅に到着した。
 作並駅からは宿の送迎を頼んでいてすでに車が待ってくださっており、15時前にはお宿に到着した。

ロビーにて チェックインは15時からで、ロビーのあちらこちらでチェックインを待っている方々が寛いでいた。
 適当なソファに座り、お隣にあるくつろぎSalonから飲み物とお菓子をいただいてくる。赤い飲み物は冷たい梅しそシロップの炭酸割りだったろうか。かりんとうとビスコッティもおやつにいただいてきた。
 お昼ごはんをいただいたばかりだというのに、結構摘まんでしまうものだ。
 手前にあるのは部屋のカードキーで、2枚渡してもらえるのが有難い。奥にあるオブジェを見て、奥入瀬渓流ホテルのロビーにある岡田太郎の作品を思い出した。

お部屋 そのままチェックインの説明をしていただき、15時過ぎにはお部屋に入った。
 ベッドが手前で、奥にソファと椅子のセットがあり、窓が大きい。
 雨が降っている分、窓の外の緑が瑞々しく美しい。外を歩かなくていいならいい感じである。

 荷物を整理し、ベッドの上に用意されていた部屋着に着替え、早速、温泉に行くことにした。
 しかし、である。
 その前に「オールインクルーシブを満喫する」と決めたからには、午後の時間限定でロビーで提供される「おやつ」を食べない訳には行かない。

おやつ 母は「お腹いっぱいだし食べない」とパスし、私だけいただいたおやつは、仙台のつつみ屋という和菓子屋さんのみたらし団子と、名取市のNatu-Linoというジェラート屋さんのお米のジェラートを組み合わせたミニパフェだった。
 みたらしが、お団子とお米のジェラートと両方にかけられている。
 本当に甘い物は別腹である。雨の降る外の景色を眺めつつ、ぺろっと平らげた。

 栄養補給も十分したし、まずは温泉だ。
 大浴場(内湯)が男女別にあり、露天風呂2箇所(広瀬川源流露天風呂と自然風呂)は時間で男女交代制になっている。
 露天風呂に洗い場はないということだったので、まず大浴場に向かう。
 みなさん大浴場に行っているのか、広々としているのにガラガラである。嬉しい。
 かなり居心地の良い大浴場で、うっかり露天風呂に行かなくてもいいかも、と思ってしまう。

 しかし、宿の方も宿泊記を書いた方々も「広瀬川源流露天風呂」こそがこちらの宿の目玉だとおっしゃる。行くしかない。
 十分に温まってから、いったん上がり、ロビーを経由して結構な距離をてくてく歩いて露天風呂に到着した。
 湯船の数が多いからか、こちらも「大混雑」という感じではない。嬉しい。
 眼下に広瀬川がUの字を描くように流れていて、上段にある湯船や、川方向ぎりぎりに作られた立ち湯から川の流れを見ることができる。奥に小さな滝もあったと思う。
 これは確かに楽しい。
 立ち湯の底の方のお湯が冷たかったのはご愛敬である。
 大満喫した。

かき氷 露天風呂からロビーに戻る途中に「ゆあがりDaicon茶屋」と名付けられたお茶屋さん(?)があり、飲み物やおやつが用意されていた。
 本当に至れり尽くせりである。
 温泉で温まったおかげで暑く、たくさん置かれていたうちわのひとつをお借りして盛大に扇ぎながら、16時半過ぎ、手づくりのいちごシロップをかけたかき氷をいただいた。
 昭和な感じの鉄製のかき氷機を手動で回して氷を削って貰えるなんて贅沢である。もちろんおいしい。
 温泉よりもこちらの茶屋の方が混雑していたかも知れない。

 大浴場に寄って髪を乾かして部屋に戻ったら17時過ぎ、もう夕食の時間である。
 本当に今日は移動と食事とおやつと温泉だけで埋まっている。
 17時15分過ぎには、食事会場のさくらダイニングに入った。
 すでにたくさんの人が集まっていて、オーダービュフェのお料理にも飲み物コーナーにも行列ができている。

 母と私も適当な席に陣取り、2時間くらいかけて、盛大に食べて飲んだ。
 私など、母に心底から「あなた、食べ過ぎじゃない?」「よくそんなに食べられるわね」と呆れられたほどである。
 何回も並んだお料理などもあり、写真を撮り忘れたお料理もあると思うけれど、とりあえず、撮ってあるお皿を全部大公開してみる。

前菜(鰺の洋風なめろうガーリックトースト添え、メカジキの炙りスモーク仕立てトマトオレンジソース、自家製ピクルス)
蕪と豆乳の冷製スープ
前菜冷製スープ

蔵王チーズと桃のカプレーゼ
お出汁
カプレーゼお出汁

仙台牛焼きしゃぶと焼き野菜(山椒だれ・エスパニョールソース)
海老と季節野菜の天ぷら
焼きしゃぶ天ぷら

お刺身(鰹、鯛、ツブ貝)
握り寿司(**、キハダマグロ、イカ)とお味噌汁
お刺身握り寿司

仙台名物一の坊熟成厚切り牛たん 南蛮味噌 レモン
デザート(林檎パイ厳選蜂蜜がけ、フルーツエクレア、ブラ万寿紅茶ゼリー乗せ、ミルクアイス)
牛たんデザート

 写真にワインや日本酒が写っているとおり、結構、お酒もいただいている。オールインクルーシブ万歳である。
 たくさんいただけるというより、少しずつ色々な種類のお酒をいただけるのが嬉しい。
 cava、赤ワイン、日本酒と色々楽しんだ。
 母は自家製梅酒をいただいた後は白ワインを飲んでいた、ような気がする。以前はビール一辺倒だったけれど、最近はワインの美味しさというか飲みやすさに目覚めたらしい。

サイフォン 19時半まで目一杯楽しんだ後、くつろぎSalonの雑誌コーナーで適当にパラパラとめくってみる。普段、雑誌を読むことがほとんどないので、なかなか新鮮な感じがする。壁一面が雑誌コーナーになっていて、最新号が揃っている。
 そうこうしているうちに20時になり、ロビーでコーヒーライブが始まった。
 レコードでジャズ(だったと思う)をかけつつ、サイフォンでいれたノンカフェインのコーヒーをいただくことができ、併せてニッカウヰスキーの結構お高そうなウイスキーを丸い氷でいただくこともできる。
 ウイスキーにはかなりの人が並んでいた。

 お部屋に戻ったのは21時前である。
 お腹いっぱい食べて、お酒もいただいて、眠い。眠すぎる。
 根性で歯磨きだけはして、でも、あっさりと寝落ちした。

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2026.08.30

長崎旅行記2日目その1

2026年3月16日(月曜日)

 7時に起床した。部屋のカーテンを開けると青空が広がっているものの、テレビの天気予報では午後から曇ってくると言っている。雨はないだけで有難い。
 今日は午前11時出発の予定で、時間はたっぷりある。身支度を調え、荷物も粗方整理してから朝食に行った。

朝食 宿泊したヒルトン長崎の朝食はビュフェである。
 母も私も旅先の朝食はよっぽどのことがない限り洋食を選ぶ。何故か昔からそうである。
 今回ももちろん洋食で組み立てることにし、長崎みかんジュース、目の前で焼いていただけるオムレツ、温野菜のサラダ、フルーツ入りヨーグルト、カフェオレ、五三焼カステラという豪華なラインナップである。

 実は、私の旅先での朝食としては控えめな方だ。
 何しろ、炭水化物がカステラのみである。
 昨日、バスガイドさんからお勧めいただいた「五三焼カステラ」を早速いただくために、パンを省くという作戦である。
 結論としては、普通のカステラと五三焼カステラの違いはよく分からなかった。母も私も、砂糖と和三盆を区別できない「違いの分からない女」である。

 ゆっくり朝食をいただいて、ツアーの出発時間まで眼鏡橋周辺を散策しようと9時頃にホテルを出た。
 ホテルの方に「市電の乗り場はどちらですか?」とお聞きすると、最初は「一体、私は何を聞かれているのだ???」という表情をされた後、「電停ですね!」と説明してくださった。
 長崎では、市電の乗り場のことを「電停」と言うらしい。
 もしかして、そもそも市電ではなかったのかも知れない。

市電 教えていただいた通り、長崎駅を突っ切り、その先にある「長崎駅前」の電停に向かった。
 どっち方面に乗ればいいのか? 電停乗り場はあっち行きとこっち行きとで乗り場が違うらしい、と分かるまでに1本見送った。
 二駅先の「市役所前」で降りる。
 乗り換えて一駅で「めがね橋」という電停もあるけれど、ここから歩いてしまった方が便利そうだ。

 電停から5分も歩かずに川沿いに出た。
 川沿いをゆっくり歩いて眼鏡橋を探す。
 というか、探すほどもなく、すぐに「めがね橋」の看板に行き会った。

 あまりにも簡単にめがね橋に辿り着いてしまったので、ついでに「長崎歴史探訪路」として整備されている龍馬通りまで足を伸ばそうかと考えた。眼鏡橋の近くに建てられていた案内板にも龍馬通りが載っていて、簡単に辿り着けそうだし歩けそうである。
 母に聞いたところ「別に坂本龍馬に興味はない」「あんまり歩きたくない」というつれない返事で、まあ確かにもの凄く坂本龍馬に興味がある訳でもないしな、と考え直した。
 そういえば、母は80歳である。体力温存が必要だ。

中島川沿い中島川沿い のんびり中島川沿いを歩き始める。
 両岸に歩道というか公園が整備され、散歩するのにちょうどよい場所だ。
 ジーンズにメリノウールの長袖Tシャツ、綿の袖無しチュニックという格好でちょうどいいお散歩日和である。

 ときどき川岸まで降りられるような階段もついており、川には飛び石というのか石が並べられていて反対岸に渡ることもできる。
 中島川には、古そうな由緒のありそうな橋が、眼鏡橋以外にも何本もかけられていて、そちらもなかなか興味深い。歴史の街を歩いている感じがする。

 眼鏡橋に到着した。
 確かに眼鏡橋だよ! とあっちからもこっちからも下からも写真を撮りまくる。
 それから、観光マップで「眼鏡橋近くの石垣にハートマークの石がある」と読み、昨日グラバー園で探すのを忘れて当然見つけられなかったリベンジを果たそうと探しまくる。
 後から写真でなら探せるかもと思い、写真も撮りまくる。

眼鏡橋眼鏡橋

 このとおり、川岸に降りて眼鏡橋の写真を撮りつつハート型の石を探したのにもかかわらず、どこにもない。
 ちなみにやたらめったら撮影した写真にも写っていない。
 一体どこにあったんだろう・・・、と未だに謎である。
 朝9時半という時刻が災いして観光客の姿も少なく、「人が集まっているところにあるだろう」作戦も不発だった。
 何となく負けた気分である。

眼鏡橋眼鏡橋

 その代わりと言えばいいのか、うろうろしていたお陰で、市役所前辺りから眼鏡橋を通り過ぎ、いくつか目の橋の上で会ったボランティガイド風の方に、「眼鏡橋が眼鏡橋に見えるのはここからだけだ」と教えていただくことができた。
 確かに。
 ここから見ると、川面に眼鏡の下半分がくっきり映って、確かに「眼鏡」に見える。
 この「眼鏡橋が眼鏡に見える橋」は、袋橋という名前だったと思う。眼鏡橋に夢中になってこちらも江戸時代に架けられたであろうこの橋のことなんかほとんど見もしなかった。

 この後は、中島川沿いに架けられた橋や両岸、市役所前近くにあったお寺や松の木などを眺めつつお散歩していた。
 松翁軒本店の2階にある喫茶セヴィリヤでお茶しようかというプランもありつつ、10時開店で11時集合だとちょっと時間的に厳しい。さらに言うなら、朝食をたくさんいただきすぎてお腹も苦しい。断念である。
 次に長崎に行く機会があったら、絶対にミルクセーキを飲もうと思う。

中島川沿い中島川沿い

中島川沿い中島川沿い-2

 10時過ぎに長崎駅に戻ってきた。集合時刻まで少しあったので、長崎駅構内にある、「かもめ市場」にお土産の下見に立ち寄った。
 今回はツアーなので「荷物が重いから後で買いましょう」がない。ドアツードアで、ツアーバスで運んでいただけるのだ。
 帰りに空港で買っても良さそうなところ、自宅用にカステラを購入したり、妹の家に長崎皿うどんを送ったり、ツアー中のおやつにしようと菓舗 唐草の枇杷かすたを購入したり、下見の筈が30分でもの凄く色々と買い込んだ。
 迷った末に「桃カステラ」を購入しなかったことが今でも少しだけ残念である。季節限定と言われるとすぐ買っちゃうし、買わないと残念な気持ちになる。不思議だ。

 購入したお土産の数々をスーツケースに詰め込み、11時ギリギリにホテルのロビーに集合した。
 午後一番の便で軍艦島に向かうため、恐らくは酔い防止の意味もあって早めに昼食をいただくことになっている。
 バスに乗車すること数分で、長崎港ターミナルビルに到着した。昼食後の再集合は軍艦島に行く船が出るこちらだそうで「場所を覚えておいてください」と添乗員さんが言う。
 結構な日差しの照りつける中、長崎出島ワーフまで歩いて昼食をいただくお店に入った。

刺身定食 お昼ごはんは、海鮮市場 長崎港 出島ワーフ店でお刺身定食をいただいた。
 何故かオマケのYouに豚の角煮が付いてくるのが可笑しい。「ツアーのためにちょっと観光客向けにしてみました」という感じである。
 お刺身(特にイカ)が美味しかったけど、でも、ツアーメンバーの多くが「海鮮丼が良かった」と思ったに違いない。何しろ、お店の内外に「海鮮丼」推しのちらしやメニューが目立つように貼られていたのだ。
 ぜひ、ツアー会社に訴えたいところである。

長崎港 昼食後、再集合は先ほどのターミナルビルに12時半と案内があった。
 大体、12時前にはみなさん食べ終わっていたので、30分〜45分くらいの待ち時間が生まれた。
 出島ワーフは飲食店街なので、「お土産物を見て時間を潰す」ことができない。
 港の突端まで行って海を眺めたり、近くの長崎水辺の森公園を少し散歩した後は、ターミナルビルに戻って待合の椅子で休憩していた。
 みなさんがどこで時間を潰していたのか、こちらもぜひお聞きしたいところだ。

 ちなみに、バスの中でガイドさんがみなさんにお聞きしていたところでは、11時までの自由時間は、ホテルでゆっくりされていた方、長崎平和公園に行かれた方、日本二十六聖人記念館に行かれた方などがいらっしゃるようだった。

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2026.08.19

1010000アクセス達成!

 昨日(2026年8月19日)、どなたかが1010000アクセス目を踏んでくださった。

 これまでの経過は以下のとおりである。

 スタート 2004年9月1日
  10000アクセス 2005年7月17日
  50000アクセス 2006年11月22日
 100000アクセス 2008年6月15日
 200000アクセス 2009年11月30日
 300000アクセス 2011年5月26日
 400000アクセス 2012年9月3日
 500000アクセス 2013年8月14日
 600000アクセス 2014年7月7日
 700000アクセス 2015年10月31日
 800000アクセス 2017年8月30日
 900000アクセス 2021年6月9日
1000000アクセス 2026年7月11日

1010000アクセス 2026年8月18日

 ここのところずっと凄いペースでアクセスをいただいており、申し訳なくも有難い限りです。
 引き続き、がんばって旅行記書きます。
 よろしくお願いいたします。

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2026.08.09

瀧原宮旅行記の入口を作る

瀧原宮 ここは、2026年6月5日から1泊2日で熱田神宮経由瀧原宮にひとり旅した旅行記の入口である。

 1日目は、新幹線で名古屋に行き熱田神宮にお参りしてから三瀬谷まで移動した。
 2日目は三瀬谷の宿から瀧原宮に移動してお参りし、熊野古道をちょこっと歩いて帰って来た。
 なかなかいい旅になったと思う。

 以下の日程をクリックすると、旅行記に飛べるようになっている。

 支度篇(瀧原宮)

 1日目 2026年6月5日(金曜日)

 2日目 2026年6月6日(土曜日)

 持ち物リスト(瀧原宮編)

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2026.08.08

プロフィール写真を変える(長崎)

 2026年3月15日から2泊3日で母と長崎に行って来た。

 1日目は、出島、大浦天主堂、グラバー園と巡り、夕食後に稲佐山からの夜景を楽しんだ。
 2日目の午前中はフリータイムで眼鏡橋周辺を散策した後、早めの昼食、軍艦島に上陸した後は西九州新幹線で武雄温泉まで移動して、ハウステンボスのイルミネーションを早足で見学。
 3日目は午後3時くらいまでハウステンボスを満喫した後、船で長崎空港に向かい、帰宅している。

 さすがツアーで、盛りだくさんの行程である。
 個人旅行だと流石にここまで詰め込めないし、移動も大変だ。

 盛りだくさんだった分、なかなか旅行記が進まず、まだ1日目までしか書き終わっていないけれども、なのに5ヶ月も経ってしまっているけれども、プロフィール写真を変えることにした。

 ベタだと思いつつ、ハウステンボスのチューリップと風車の写真を選んだ。

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2026.08.03

無事、帰宅する(作並温泉)

 2026年8月2日から1泊2日で、母と作並温泉に行って来た。
 行き先は、というよりも、宿泊したホテルは母のリクエストである。

 1日目は、新幹線で仙台まで行き、お昼ごはんにお寿司をいただき、仙山線普通列車に揺られ、駅までお迎えに来ていただいてホテルにチェックイン、その後はひたすらまったりして、オールインクルーシブを満喫した。
 2日目は、やはり出発までオールインクルーシブを堪能し、リトリートツアーに参加してニッカウヰスキー工場、鳳鳴四十八滝、定義山を見学して仙台駅まで連れて行ってもらい、1時間1本勝負で母のお土産のお買い物に従い、新幹線でずんだ餅をおやつにいただきつつ帰ってきた。

 この1泊2日の旅行の費用は、約59000円である。
 この中には、交通費、宿泊費、食費、おやつ代、お賽銭&御朱印は含まれているが、お土産は含まれていない。

 また、1日目の歩数は5161歩、2日間の歩数は9790歩だった。
 もっと歩いていないと思っていたので、かなり意外だ。

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2026.08.02

作並温泉に出発する

 2026年8月2日、1泊2日で母と作並温泉に行ってくる。
 毎回、初志貫徹できていないような気もしつつ、今回もひたすらのんびりしてくる予定だ。

 仙台の天気予報を見ると、今日の最高気温が21度、明日の最高気温が24度だ。私の部屋の今の気温が29度だというのに!
 もはや、21度や24度がどのくらいの体感温度だったか全く思い出せない。
 今日はともかく、明日、何とか雨に降られずにすみそうで、それも有難い。

 とにかく、涼んできたいと思う。

 朝まで迷った持ち物リストは以下に。

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2026.07.26

瀧原宮旅行記2日目

2026年6月6日(土曜日)

 結局、ホテルから歩いて行く案とホテルからタクシーで行く案を両方却下し、電車に一駅乗って滝原駅から瀧原宮まで歩くことにした。
 電車の本数が限られているので、出発時刻は早い。
 6時に起床し、昨日買ってきたパンとヨーグルト、ホテルロビーのミニキッチンにあるコーヒーマシンでコーヒーをいただいて朝食にする。
 ロビーには食卓風に使えるテーブルと椅子もあるけれど、何となく落ち着かないので、コーヒーや温めたパンを部屋に持ち帰った。
 マツウラベーカリーのだし巻きたまご入りカレーパンはなかなかヒットな美味しさだった。

キッチン朝食

 諸々支度を調えて、7時20分にチェックアウトした。フロントの方に、念のため電車の乗り方を聞いてみたところ、何だか答えがあやふやだ。多分、ホテル勤務だし、普段は全く電車に乗ることは(特に地元で乗ることは)ないんだろうと納得した。
 三瀬谷駅7時42分発の電車に乗ると、今日も車内は高校生で一杯だった。土曜日の今日は部活に行くんだろうか。
 20分弱で滝原駅に到着する。滝原駅で降りたのは私を含めて4人、高校生は一人も降りなかった。
 4人の中に外国人女性の二人組がいて、この後、瀧原宮でも見かけなかったのが不思議だ。どこを目指して来ていたのだろう。

瀧原宮への道瀧原宮への道 駅を出てそのまま真っ直ぐ進み、大内山川を越えて左折する。川沿いのこの道は熊野古道の一部で、まっすぐ瀧原宮まで続いている。
 方向音痴の私にも間違いようのない、分かりやすい道筋である。
 熊野古道とはいえ、要するに生活道路だ。以前に熊野古道を歩くツアーに参加したときも、「それっぽい」道筋を選んであったものの、やはり多くはアスファルトの生活道を歩いていたと思う。

 大した道ではないし、それほど遠くもないけれど、やはり1泊2日分の荷物を背負って歩くには、チェストベルトとウエストベルトがあるリュックの方が断然いい。
 歩き出して10分後には痛感し、帰宅したらそういう「荷物全部背負って歩くのに向いた」リュックを購入しようと決意する。
 曇っていることが救いだ。

由緒の四コマ漫画 ゆっくりのんびり写真も撮りつつ歩き、20分くらいで瀧原宮に到着した。意外と近い。
 鳥居の道路を挟んだ向かい側に、縁起というのか、瀧原宮の由来が何故か漫画で紹介されていた。 
 1コマ目、約2000年前、倭姫命が天照大神の指示で居場所を求めて視察中。
 2コマ目、川を渡れずに困っていた倭姫命を近所の真奈湖神が助け、御礼に多岐原神社を贈る
 3コマ目、倭姫命は真奈湖神の案内で瀧原の国を見渡せる山の頂上に行く
 4コマ目、倭姫命はこの地を、天照大神が鎮座する場所として選定する。
 なるほど、分かりやすい。

瀧原宮鳥居 鳥居の手前には、漫画の元となったのだろう由緒の説明板があり、反対側に衛士派出所とお手洗いがあった。
 伊勢神宮の外宮・内宮・伊雑宮、倭姫宮のいずれも、こんな物々しい「派出所」なんてあったかしらと思う。
 瀧原宮はこの参道の奥深く、約400m先にあるという。
 鳥居の前で一礼し、やけに静かでしんとして何となく湿っぽい参道を歩き始める。

 ところで、瀧原宮の式年遷宮は外宮や内宮の翌年に行われるそうだ。
 次の瀧原宮の式年遷宮は令和16年に行われる。しかし、そのための行事というのか儀式はすでに始まっており、令和8年4月12日に御木曳初式が行われたという。
 ちょっと見てみたかったなと思う。

参道御手洗場へ 瀧原宮の参道は森に囲まれており、中には樹齢100年を超える杉の木もあるそうだ。
 ということは、この森から式年遷宮のための木材として木を伐採することはないのだなと思う。

 木が多い場所というのはしんとして涼しくて水っぽいと思う。
 瀧原宮の参道ももちろんしんと静かで湿っぽくも涼しい。
 熱田神宮と比べればもちろん人は少ない。少ないというかいないと言ってもいいくらいだ。お参りしている間、合計でも10人くらいしか見かけなかったと思う。
 その10人もうち何人かは昨日ホテルの人が言っていた「磁場ゼロ」を目がけて来ていたのだろう。

 瀧原宮も、内宮と同じように、川の流れを利用した御手洗場がある。
 参道を途中で右に折れ、より湿っぽい感じの階段を降りて御手洗場に降りて行く。

御手洗場 この御手洗場というのが、異様に気持ちいい場所だった。
 水の流れはもちろん清らかといった感じで川底まで綺麗に見えている。
 水音はもちろんのこと、鳥の鳴き声がずっと聞こえていて、落ち着く感じがする。ずっと水の流れを眺め、周りの木々を眺め、水音を聞き、鳥の鳴き声を聞いていられそうだ。
 実際、手を清めるには十分以上の時間をうっかりここで過ごしてしまった。大丈夫、時間はたっぷりある。

最奥 来た道を戻るのではなく先に進む方向に延びる階段を上り、参道に戻ってお宮を目指す。
 400mは真っ直ぐな木々の間を通る道を歩くには長い。
 そう思いつつ歩いていると、突然木々が切れて広い砂利の場が広がり、その奥にお宮の姿が見えた。
 手前が広かったのは、今のお宮が向かって右側に建てられており、次のお宮は向かって左側に建てられるからだ。

 突然木々が切れると曇り空とはいえ本当に明るくなって、ちょっとびっくりする。
 同時に、あらもう着いちゃった、という気持ちもある。何というか、もっと延々と参道が続くと思い込んでいた。歩いていると本当に深さを感じる参道である。

 真っ直ぐ先に参道の突き当たりが見えており、ここが瀧原宮の取っ付きである。
 少し手前にあった立て札に「瀧原宮から順にお参り下さい」と書かれていた。参拝順序は瀧原宮、瀧原竝宮、若宮神社、長由介神社の順だ。
 瀧原宮と瀧原竝宮は伊勢神宮の別宮だからいいとして、他二つの神社がどうしてここにあるのだろうと思う。謎だ。
 帰りにいただいたパンフレットによると、こちらの二つの神社は御祭神も詳細も不明だという。うん、分からない訳である。

瀧原宮と瀧腹竝宮 お参り順のとおり、最初に瀧原宮にお参りし、次に左隣にある(参道から来ると手前にある)瀧原竝宮にお参りする。
 瀧原宮は、入口のところの漫画にもあったように、神宮(伊勢神宮)の本宮と同様に天照大神をお祀りしている。瀧原竝宮は、天照大神の荒御魂をお祀りしているとも言われているという。とすると、瀧原宮は天照大神の和御魂をお祀りしている、のかも知れない。
 伊勢神宮にお参りしたときは、大きなこと(世界平和などなど)と個人的なことはお参りするお宮が違うと聞いた気がするけれど、どちらがどちらだったか、肝心なことを覚えていない。困ったものである。

瀧腹竝宮瀧原宮

 そういえば、この瀧原宮と瀧原竝宮の間にある大きな木が、パンフレットに言う「樹齢100年を超える杉の木」だろうか。
 実は、参道の途中にも砂利が敷かれた道のど真ん中に生えている大きな杉の木があって、そちらが樹齢100年の木だったのかも知れない。
 何にせよ、人がほとんど来ないというのが素晴らしい。これでベンチでもあったら延々ここにいられるなと思う。

長由介神社若宮神社 次いで、若宮神社にお参りする。
 参道の突き当たりの左から延びる階段を上がると若宮神社がある。高低差はあるものの瀧原宮の隣、と言えるかも知れない。
 最後にお参りするのが長由介神社で、こちらは本当に参道の突き当たりにある。
 どちらも非常にこじんまりしたお宮だ。

 ときどきいらっしゃるお参りの方をやり過ごしつつ、ぼんやりしたり、鳥の声を聞いたり、座り込んだりして瀧原宮を堪能し、帰路に着く。
 少し日が差してきて、木漏れ日が綺麗だ。
 瀧原宮には、内宮や外宮、他の別社にはない「御船倉」という建物があるらしいけれど、全く見た記憶がない。写真にもない。一体どこにあったのか、未だに謎に思っている。

参道参道 帰りに社務所に寄り、御朱印をいただいた。
 ガラス戸に「巡回中」の貼り紙がありどうしようかと思っていたところに、ちょうど建物の裏から宮司さんが出ていらして受け付けてくださった。
 ちょうど巡回に出ようとしたところだったろうに申し訳ない。

 御朱印をいただいている間に何故かヒルの話になる。
 瀧原宮は川も近いし、土が湿っていることが多いからか、雨の日には鹿やイノシシが山の中からヒルを連れて来て、玉砂利からピッと跳ねて足にくっつくらしい。
 「私はまだヒルに捕まったことはありません」と笑っていらっしゃる。
 「塩をかければすぐ取れるんですけれどね。でももの凄く痒いらしいですよ」とやっぱり笑っていらした。
 瀧原宮まで来て宮司さんとどうして私はヒルのお話をしているのか、しみじみと謎である。
 瀧原宮、謎が多い。

 なるべく長くいようと思ってはいたものの、瀧原宮にいたのは1時間半弱だった。
 これを長いとみるか短いとみるか、微妙なところである。
 どちらにしても、瀧原宮を出たのは10時半過ぎで、11時59分発のバスの時間までかなりある。
 瀧原宮を出て道の駅の方に歩いていたら、「熊野古道伊勢路」という道しるべがあった。ここから1.3kmのところに「三瀬坂峠 里登り口」があると書いてある。
 のんびり歩いて、恐らく往復45分といったところだろう。
 時間つぶしにちょうど良いと思い、歩いてみることにした。

 とはいえ、今の熊野古道は普通にアスファルトで舗装された生活道路である。
 特別の風情はない、ような気がする。
 日差しも出てきてかなり暑い。ひいひい言いながら、それでも奥に見える山や田んぼの緑が気持ちいいなぁと思いつつ歩いた。
 そして、ここに来てやっと、ホテルからここまで熊野古道を歩けたんじゃないかと思いついた。なるほど、そういうことだったのか。

熊野古道伊勢路268_20260606_103128

熊野古道伊勢路熊野古道伊勢路

松阪肉焼肉定食 11時過ぎに道の駅奥伊勢木つつ木館に戻って来た。一通りお土産物など見てから、併設の木つつ木茶屋に入り、お昼ごはんをいただいた。
 もちろん、松阪肉焼肉定食である。
 この道の駅がある大紀町七保地区は松阪牛生産区域に登録された地域だそうで、正しく地産地消のメニューだ。焼肉の味付けは脂の甘さに合わせて甘辛になっており、ごはんが進むお味だった。

 食後はバスの時間までお土産の買い物だ。
 この木つつ木館では、盆栽コーナーがあったり、地元野菜が販売されていたり、三重の地酒のコーナーがあったり、お土産物がなかなか充実している。
 もちろん、木工品も多数揃っている。

 三重県産の木材で作ったお皿が欲しいなと思って探したけれど、なかなかちょうど良い大きさのお皿が見つからない。
 ぐるぐるうろうろして探し当てたお皿は、何故か屋久杉から作られたお皿だった。どうしてここにあるんだ・・・、と思いつつ、でも欲しいと思っていた大きさのお皿だし、木材として屋久杉に何の不満もない。
 それでも何となく「違うんだよな」と思いつつ、購入を決めた。

 そういえば売り場には「ゼロ磁場」を歌った商品も並んでいた。こんなところにまで進出していたのか! と驚いたものの、特にチェックしてこなかったのが今となっては残念である。
 一体何が売られていたのか、ちらとでも見てくれば良かったと思う。

 代わりに惹かれたのが、伊勢神宮の杜から切り出された神宮ひのきの木の芯の部分から抽出したという精油である。
 うっかり値段を見ずにレジに持って行ってしまい、5ml4400円という結構なお値段にかなり引いたけれども、これも何かのご縁であろうと自分に言い聞かせてそのまま購入した。
 アロマオイルというと普通は無色から黄色っぽい透明な色をしているイメージだけれど、こちらは本当に綺麗なグリーンのオイルである。香りもいい。「森の宝石」という呼び名も納得である。

 そんな感じでお土産を購入し、11時59分発の高速バスで帰路についた。
 バス停は道の駅の目の前にあり、かなり便利である。本数が少ないものの、名古屋まで直行できるこのバス路線を見つけたことが、今回、瀧原宮に行くことを決心した決め手と言ってもよいくらいだ。
  三重交通の高速バスの滝原宮バス停でバスに乗り込むと、他にお客さんは同じバス停から乗車したお一人だけだった。席は選び放題だ。

緑茶のミックスソフトクリーム バスは少し走ってすぐ高速に乗り、高速に乗ってすぐ奥伊勢PAで20分の休憩となった。
 暑かったしどうしても気になってしまい、デザート代わりに緑茶のミックスソフトクリームをいただいた。大内山牛乳ソフトはこれまで何回か看板とかポスターを見かけていた気がする。
 そして、この緑茶と牛乳のミックスソフトクリームは、抹茶ではなく緑茶というのは珍しいし、緑茶の香りが濃く、とにかく滅法美味しかった。

 バスはこの後高速を降りて、かの有名な(らしい)VISONにも寄り、一路、名古屋駅を目指した。
 VISONが何なのか、ホテルと温泉とショッピングセンターとその他諸々観光に特化した複合施設なのでは? と通りすがりに思ったけど、未だ正体は判明していない。
 でもとにかく人気の施設のようで、もの凄く混雑していた。

306_20260606_162435 14時25分にバスは名鉄バスセンターに到着した。昼神温泉に行ったとき以来、こんなにすぐ戻ってくることになるとは思っていなかった。
 さて、帰りの新幹線まで1時間ほどある。忘れてはいけない、きよめ餅(季節限定・抹茶餡)を購入し、昨日名古屋駅に到着したときに「ぴよりんvillage 6/15開店予定」と大きく壁に書いてあるのを見かけて気になっていたぴよりんの待ち行列に並んだ。
 30分くらい並んで無事にプレーンのぴよりんを購入し、巷で噂らしい「ぴよりんチャレンジ」は回避して、帰りの新幹線の車中でいただいた。

 ところで、やっぱり未だに磁場ゼロが何なのか全く分かっていない。
 いつか調べてやろうじゃないかと思っている。

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2026.07.19

観光バスと醸造所見学ツアーを申し込む(作並温泉)

 2026年7月18日、母と行く作並温泉旅行で2日目に乗車する作並・定義リトリートバスツアーを予約した。

 11時に宿を出発し、ニッカウヰスキーの工場、鳳鳴四十八滝、定義如来西方寺を巡り、15時45分に仙台駅に到着という行程の観光バスだ。
 ニッカウヰスキー工場の見学はツアーに含まれておらず、見学したい人は個別に申し込んでくださいということだったので、併せてそちらも申込みを行った。
 最初の予約者だったことが若干不安だ。参加者が母と二人だったらどうしよう、と思う。

 これでほぼ旅の準備が完成した。
 あとは、予約した新幹線の内容をsuicaに登録し、荷造りをしたら出発できる。

 のんびりしてこようと思っている。

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