2026.06.07

990000アクセス達成!

 2026年6月4日、どなたかが980000アクセス目を踏んでくださった。

 これまでの経過は以下のとおりである。

 スタート 2004年9月1日
 10000アクセス 2005年7月17日
 50000アクセス 2006年11月22日
100000アクセス 2008年6月15日
150000アクセス 2009年2月21日
200000アクセス 2009年11月30日
250000アクセス 2010年9月16日
300000アクセス 2011年5月26日
350000アクセス 2012年2月8日
400000アクセス 2012年9月3日
450000アクセス 2013年2月19日
500000アクセス 2013年8月14日
550000アクセス 2014年1月14日
600000アクセス 2014年7月7日
650000アクセス 2015年2月10日
700000アクセス 2015年10月31日
750000アクセス 2016年9月7日
800000アクセス 2017年8月30日
850000アクセス 2018年12月30日
900000アクセス 2021年6月9日

910000アクセス 2022年3月21日
920000アクセス 2022年11月9日
930000アクセス 2023年7月22日
940000アクセス 2024年2月18日
950000アクセス 2024年9月28日

960000アクセス 2025年5月12日
970000アクセス 2026年2月8日
980000アクセス 2026年5月1日
990000アクセス 2026年6月4日

 1ヶ月強で10000アクセスいただいている。びっくりだ。何が起きているのだろう。
 よく分からないけれど、引き続きよろしくお願いいたします。

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2026.06.06

無事、帰宅する(瀧原宮)

 2026年6月5日から1泊2日で、熱田神宮と瀧原宮にお参りに行って来た。

 1日目は、新幹線で名古屋に行き、車内でお昼ごはんをいただき、熱田神宮に行ってお参りし、ほぼほぼ棒術の奉納を見学した。きよめ餅をいただいてから名古屋に戻り、快速みえで多気まで、普通電車に乗り換えて三瀬谷駅に18時過ぎ着、駅前&駅前にある道の駅の駅前にある、マリオットに1泊した。
 夕食は、名古屋で買い込んだひつまぶし弁当である。

 2日目は、朝食は前日に名古屋とイオンで買い込んであり、7時42分発の電車で一駅進んで滝原駅から瀧原宮まで歩いて参拝、時間が余りすぎたので熊野古道を少し歩き、道の駅で昼食、高速バスで名古屋に戻ってぴよりんの列に並んで1個を購入、新幹線車内でおやつにいただいた。

 新幹線は行き帰りともに「ぷらっとこだま」である。

 この1泊2日の旅行の費用は、約48000円だった。
 この中には、交通費、宿泊費、食費、おやつ代、お賽銭&御朱印は含まれているが、お土産は含まれていない。
 西の方に出かけると高めになるのは何故なのか。

 また、2日間の歩数は、両日とも約16,000歩だった。
 もっと歩いたと思っていたので、若干、心外である。

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2026.06.05

瀧原宮お参りに出発する

 2026年6月5日(金)から1泊2日で瀧原宮にお参りしてくる。

 この1ヶ月ばかり、本当に瀧原宮にお参りするだけにしようか、東京公演のチケットが取れなかった「リア王」の名古屋公演のチケットが取れそうだったから観に行こうか、熱田神宮にもお参りしようか、でも6月5日は熱田まつりで混雑しそうだからパスしようか、せっかくお祭りなら宿を名古屋に変更して花火も見ようか等々、色々と揺れていた。

 結果、1日目は新幹線車内で早めにお昼を食べて熱田神宮にお参り、その後、名古屋から三瀬谷に向かって三瀬谷駅前のマリオットで1泊、翌朝、タクシーで瀧原宮に行き、お参りし、高速バスで名古屋に戻って名古屋から新幹線で帰って来る、という旅程に決定した。

 荷物を預けて身軽になって参拝、ということが旅程として難しいので、荷物は(私としては)極限まで減らしている。

 当日朝になってやっと完成した持ち物リストは以下に。

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2026.05.31

長崎旅行記1日目その3

2026年3月15日(日曜日)

 ツアー1日目の夕食は、この後で夜景を見に行く予定が入っていることもあり、17時半からと早い。
 会場は、ANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒルで、大浦天主堂見学のためにバスを駐車した駐車場からも大浦天主堂からも徒歩ですぐのところにある。宿泊するホテルに戻ることなく、大浦天主堂、グラバー園、夕食場所と直行するようにしていただいたお陰で、自由散策時間を多く取って貰えた。嬉しい。

 ホテルの2階にある、Restaurant Pavéには、グループごとに個別にテーブルが用意されており、地味に嬉しい。
 飲み物は、母はグラスワインの白、私は長崎クラフトジン よきつきを使ったジントニックをお願いした。このジンは、日本酒をベースに果物と梅の枝(さすが、梅ヶ枝酒造である)を加えてあるそうだ。
 もちろん、ジントニックになっていたし、お米の気配やフルーツの気配を感じることはなかったけれど、飲みやすい美味しいジントニックだ。
 母も「ビールよりこっちがいい」とご満悦でくいくい飲んでいる。

 お料理は中華と洋食の、和洋ならぬ中洋折衷のコースである。
 コースメニューの紙がなかったので、本当に素っ気ない説明しか書けないのが残念だ。

前菜 生ハムのサラダ
前菜

スープ 茸と玉子の中華風スープ
スープ

魚料理 鱸の紹興酒蒸し
魚料理

肉料理 牛ステーキ
肉料理

チャーハン
チャーハン

デザート ラズベリームースとコーヒー
デザート

 17時半過ぎに食べ始めたときには外はまだ明るかったけれど、デザートが出てきた18時半には外は暗くなり始めていた。
 絶妙のタイミングである。
 窓の外には、長崎ちゃんぽん発祥のお店として知られる中華料理 四海樓がどどん! という感じでそびえ立っていた。何だか凄い。1階には売店も入っているそうで、少し余っていた時間にそちらを見に行っても良かったかしらと思った。我ながら貪欲である。

 18時45分くらいにはみなさんバスに集合し、そのまま稲佐山公園に向かう。
 バスが登って行く道が狭いしくねくねしている。運転手さんの技量の見せどころだ。すいすいと上って行く。バスガイドさんによると、長崎の町は坂が多すぎて、高校生もみな自転車ではなく原付で通学するらしい。もの凄く納得できる話である。

 あと覚えているのは、稲佐山に向かう途中で横を通った長崎スタジアムシティの話だ。
 何でもジャパネット・グループが出資して民間のお金だけで作った複合施設で、スタジアムシティだからスタジアムはもちろんのこと、ホテル、レストラン、ショッピングモール、スポーツ施設等々が揃っているという。
 ここまでやっておいて、名前に「たかた」とか「ジャパネット」とか付けないところがいい、とバスガイドさんは推しモードだった。確かに珍しい、のかも知れない。

スロープカー 19時くらいにはスロープカーに乗車できた。バスガイドさんが言うところの「トワイライトタイム」に間に合っている。凄い。トワイライトと聞いて「逢魔が時」と訳す自分はどうなんだろうと思う。
 スロープカーはなかなか格好良く、内装も明るいパイン材風の木目調でいい感じである。
 山頂駅から少し歩いて展望台に入った。
 展望台は丸い建物で、その壁に沿って上って行くことができる。途中からも夜景が見える。

 展望台の屋上に出ると、長崎の夜景が一望できた。
 凄い。さすが、「2021年に開催された一般社団法人 夜景観光コンベンション・ビューロー主催の夜景サミットにおいて選出された「世界新三大夜景」のうちのひとつである。ちなみにあとの2箇所はモナコと上海だそうだ。
 それにしても、「新七不思議」とか「新三大夜景」とか何となく胡散臭いのは気のせいか。
 それはともかく、胡散臭かろうが新だろうが旧だろうが、とにかく綺麗な夜景である。坂の町の特性を最大限に発揮していると言えよう。

夜景

夜景 しかし、寒い。風が強くて寒い。
 ゴアテックスのレインコートを着ていても寒い。流石に中にダウンジャケットを着込むほどではないけれど、とにかく寒い。
 バスガイドさん曰く、この日はこれでマシな方で、いつもはもっと寒く、ピンで押さえている帽子が飛ぶほどの風が吹いていると言う。
 その寒さの中でも、平日の夜にこれだけの人が夜景を見に来ている。自分もその中の一人とはいえ、結構な人気である。

 寒さと夜景と風を満喫し、展望台の中で販売されていた菓子屋 無大の「これぞビジュアル系」という感じのケーキに心惹かれつつ、19時45分発のスロープカーで下山した。
 本日の日程はこれで終了となり、バスでヒルトン長崎に向かった。
 ロビーでホテルの方から説明を受け、また、添乗員さんから、明日の午前中は自由時間で11時集合、昼食後に軍艦島クルーズに行く旨の説明が重ねてあった。「重要だから何度でも言います」という感じだ。

ホテルのお部屋 20時10分くらいには、ホテルの部屋に入ることができた。
 長崎の町が小さいのか、ホテルの立地がいいのか、コンパクトになるようにツアー日程が設定されているのか、恐らく全部の要素が合わさっているのだろうと思う。
 快適かつ順調である。

 流石にヒルトンで、お部屋も快適そのものだ。
 この写真では洗面台とベッドルームとの間に何もないようだけれど、扉を閉めて、バスルーム+トイレ+洗面室を独立させることができる。
 かつ、ホテルでユニットバスでないところに泊まるのは京都以来である気がする。嬉しい。

 まずはお茶を入れて一休みし、母と交代でお風呂に入る。長崎ヒルトンには大浴場もあるけれど、浴衣で行ける訳ではないのでちょっと面倒臭い。お部屋のバスルームで十分である。
 23時過ぎに就寝した。

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2026.05.24

長崎旅行記1日目その2

2026年3月15日(日曜日)

グラバー庭園入口 大浦天主堂から降りて来て左に進み、階段やエスカレーターを駆使して徒歩数分でグラバー園の入口に到着した。
 グラバー園は要するに、鎖国解除後に外国人たちが集まって住んでいた長崎の居留地だという。
 長崎港を見下ろすロケーションで、当然のことながら坂が多い。というか、坂だらけだ。
 入園料一人620円也を支払って入園した。

 ところで、今確認したら、2026年4月からグラバー園の入園料が大人一人1300円になっていた。
 一気に倍以上の金額になったようだ。びっくりである。入園後、恐らくは補修工事を行っているのだろう建物がいくつかあったし、維持経費を確保するための値上げなのだろうと思う。
 それはそれとして、値上げ前に訪問できてラッキーである。

旧三菱第2ドックハウス
 入園後、これもまたガイドさんにお勧めいただいたとおり、動く歩道(坂道版)を利用して、一気に「旧三菱第2ドックハウス」まで上がった。ここまで来てしまえば、あとは坂を下りつつ見学というよりも見物すれば良い。
 「居留地だったらしい」と書いておいて何だけれど、この第2ドックハウスは、元々が外国船の乗組員の宿舎として「第2ドック」に隣接して建てられていたものを、移設してきたそうだ。
 中にも入れて、2階のベランダから長崎港を望むいい景色を見ることができる。

 それなのに、悲しいことに、今現在、この第2ドックハウスの内部がどうなっていたか全く記憶にない。写真もない。
 だから多分、この景色がご馳走の建物だったと思う。
 海の向こうに見えている山が、夜景を見るために行くことになっている稲佐山だ。

長崎港

 お庭の先を下って行くと、旧長崎高商表門衛所がある。
 はっきり言って地味な建物である。最初は、この建物もグラバー園を構成している明治期の建物なのか、言葉は悪いけど「見世物」なのか、首を傾げたくらいだ。
 長崎高商の「高商」はいわば商科大学のことで、長崎高商は日本で3番目に建てられた高商だという。そこのガードマンの詰め所(正門脇)という感じだろう。地味で当然である。

旧長崎高商表門衛所旧長崎高商表門衛所-2

旧ウォーカー住宅 そのまま進んだところの左手が「旧ウォーカー住宅」だ。こちらも移築された建物で、外観は絶賛工事中だった。
 室内に置かれた調度品の数々は、ウォーカー商会を設立したウォーカー氏の息子であるロバート・ウォーカー二世一家が実際に使っていたものだという。
 流石に質が良いのか、100年経っても現役で使えそうだし、居心地が良さそうである。

旧長崎地方裁判所長官舎 旧ウォーカー住宅の向かいにある「旧長崎地方裁判所長官舎」も移築された建造物である。
 裁判所長官が随分と可愛らしい建物に住んでいたのだなと思う。
 この移築された建物たちが、移築の際「洋風の部分」だけ選んで持ってきているというのが何とも言えない感じだ。折角だから、和洋折衷という文化も同時に見せてくれれば良かったのにと思う。

 この旧長崎地方裁判所長官舎は、現在は、レトロ衣装館として使われていた。
 どうりで若い女性ばかりが入って行く筈である。納得だ。

 「祈りの泉」の前を通り、階段を降りた左手が「旧リンガー住宅」だ。
 家主のフレデリック・リンガーは、グラバー商会で働いた後にリンガー商会を設立している。その縁なのか、元々この場所はトーマス・グラバーの弟が永久借地権を持っていて買い受けたそうだ。
 ちょっとグラバー邸っぽい建物である。そして、国の指定重要文化財でもある。初の「移築してきたのではない」建物だ。

旧リンガー住宅旧リンガー住宅

 そして、リンガーさんはその昔「ナガサキ・ホテル」という当時この辺りで一番の豪華さを誇っていたというホテルを経営していたそうで、そのナガサキ・ホテルで使っていたカトラリーと、建物の模型が展示されていた。
 ナガサキ・ホテルはとっくの昔に閉業して備品等々も売り払われてしまったそうだし、その建築はジョサイア・コンドルの手になるものだそうで、どちらも貴重品だ。

ナガサキ・ホテルナガサキ・ホテル

フリーメイソンの意匠 そして、ガイドさんに「ぜひ見てください」と繰り返し推された三浦環像を完全に見逃しているのに、見ていたときは知らなかった「フリーメイソンの意匠の門柱」をしっかりカメラに収めている自分が割と謎である。
 ちなみに、門柱を撮りたかった訳ではなく、このピンク色のお花は桜かしら、桜じゃないな、何の花か分からないけど春らしくていいんじゃない、と思って撮った写真だ。

 研究者の方々によると、トーマス・グラバーや、この住宅の主であるリンガー氏がフリーメイソンの会員だったという証拠はないらしい。
 それなのに、解体されてしまったフリーメイソンのロッジの門柱をわざわざここに移築した理由は何なのか。
 そういう興味は湧くなぁ、と思う。

 旧リンガー住宅の奥左手の「旧オルト住宅」は現在、絶賛修復工事中だった。完全に足場で覆われている。
 こちらも国指定重要文化財だそうで、大浦天主堂と同じ人が建築したらしい。建築をしたので、設計者は別人だ。
 これは見てみたかった。

旧スチイル記念学校 その奥にあった「旧スチイル記念学校」も、中に入った筈なのに、そして入口を入って真っ直ぐの廊下にあったベンチで休憩した記憶はうっすらとあるのに、中に何が展示されていたか全く覚えていない。
 何があったのだろう。
 そして、見学しているときは、名前から「鉄工所が作ったか、鉄について学ぶ学校だったのか」と思っていたけれど、今頃になって、「スチイル」が建設に当たって寄付をした方の名前から取られていると知った。
 なるほどである。

 元来た道を戻り、旧リンガー住宅まで来た16時過ぎくらいに、空に日差しが戻って来た。
 長崎港もよく見えるようになって嬉しい。
 庭先にあったベンチで港を眺めてしばし休憩だ。
 庭のベンチに座ってひなたぼっこができるくらいの暖かさもありがたい。

プッチーニ像 旧リンガー住宅から旧グラバー住宅に向かう道筋に、プッチーニ像が建っていた。
 本当はその手前に三浦環の像もあった筈だけれど、全く気がつかなかった。この後、バスに戻ったときにガイドさんが「ご覧になりましたか」と尋ね、半分くらいの方が「見ました」とおっしゃっていたので、姿を消していたということはなかった筈だ。
 どうして気がつかなかったのか、我ながら謎である。

 そしてプッチーニと三浦環とくれば「蝶々夫人」に決まっている。
 そもそも、三浦環自身と長崎市は、それほど深い縁がある、という訳ではなさそうだ。グラバー園に三浦環の像があるというよりも、三浦環が演じた蝶々夫人をイメージした像がある、というのが正解ではないかと思う。
 グラバー邸の「マダム・バタフライ・ハウス」という別称も、ずっと時代を下ってから住んだ米国人夫婦のいわば「思いつき」がきっかけらしい。なんちゃってマダム・バタフライ・ハウスである。
 ・・・というのは、ちゃんと探せなかった負け惜しみだ。

 そして、白眉を飾るのが言わずと知れた旧グラバー住宅である。
 私の中では「グラバー邸」という名前なのだけれど、その印象がどこから来たものか全く覚えていない。
 グラバー邸は、現存する日本最古の木造洋風建築であり、グラバー親子が二代にわたって暮らした家であり、国指定重要文化財であるとともに、世界遺産にも指定されている。

 何となく武器商人トーマス・グラバー、というイメージが強いけれど、当然のことながら旧グラバー住宅の内外にそういった片鱗は全く見られない。一段下がったところに日本庭園も造られ、日本人女性と結婚し、港の見える景色のいい家に住んだ外国人の典雅なおうち、という感じがするだけだ。

旧グラバー住宅旧グラバー住宅

旧グラバー住宅旧グラバー住宅

旧グラバー住宅旧グラバー住宅

旧グラバー住宅旧グラバー住宅

旧グラバー住宅旧グラバー住宅

旧グラバー住宅旧グラバー住宅

 グラバー邸のすぐ近くにある「旧自由亭」も、現在、修復工事中だった。
 こちらは現在もカフェとして利用されており、お邪魔できなかったのは残念である。もっとも、この後、17時半から夕食が予定されているので、開いていたとしても立ち寄ったかどうかは微妙だ。
 旧自由亭も移築された建築物で、かつ、移築の際は洋風のところだけ選んで移築されたそうだ。

 最後に、バスガイドさんにお勧めいただいた長崎伝統芸術館で長崎くんちで使用される傘鉾や龍踊の龍などを見学し、同じ建物にあったお土産物屋さんで絵はがきと便せんを購入した。
 便せんは、この辺りにあるはずのてがみ屋のもので、時間があったら寄ってみたいと思っていたので、ここで購入できて嬉しい。
 17時前にグラバー園を後にした。
 そして、出てしまってから、バスガイドさんに「石畳にハート型の石があるので探してみてください」と言われていたことを思い出した。

 長崎旅行記1日目その1 <- -> 長崎旅行記1日目その3

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2026.05.06

帰りの足を確保する(瀧原宮)

 2026年5月6日、昨日、瀧原宮お参りの行きの足を確保したので、今日は帰りの足を確保した。
 本当に瀧原宮お参りだけが目的なので、いつもは予定は未定で予約していない帰りの足を今から確保しても支障はあるまい。

 2日目の朝は、ホテルに頼んでタクシーを呼んで貰い、瀧原宮までタクシーで行ってしまおうと思っている。
 瀧原宮は最寄り駅の滝原駅から徒歩30分弱で、荷物を担いで歩くにはちょっと遠い。お天気も分からないし、ここは贅沢のしどころだ。

 帰りは、瀧原宮の参道入口から徒歩数分のバス停から名古屋駅行きのバスがあり、本数が少ないながらちょうどいい時刻の便があったので、こちらを利用することにした。
 翌日は日曜日でお休みだから名古屋からの帰りの新幹線もゆっくりで良かろうとぷらっとこだまを予約した。
 名古屋駅で特にやることもないので、母へのお土産を買う時間が確保できれば問題ない。あと、バスが多少遅れても問題ないくらいの時間を空けて予約した。

 予約完了してから、そういえば名古屋なら熱田神宮にお参りしても良いかもと思いついたけれど、お参り自体に2時間くらいはかけたいし、早起きして瀧原宮にお参りし高速バスで2時間半移動してその後2時間かけて参拝は疲れ果てそうなので、やはり弾丸瀧原宮お参りツアーにしようと思い直した。
 でも、熱田神宮にもいつかお参りしたいと思う。

 これでほぼ旅程は決定である。
 1日目の名古屋から先を快速で行くか特急で行くかくらいだ。
 特急で行くと、ホテル隣の道の駅の閉店時間前に到着できるので、そちらを利用して道の駅を冷やかしてもいいかなと思っている。

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2026.05.05

行きの足と宿を確保する(瀧原宮)

 2026年5月5日、瀧原宮にお参りすべく、行きの足と宿を予約した。

 神宮の正宮(内宮と外宮)、別宮(荒祭宮、風日祈宮、月読宮、月読荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮、瀧原宮、瀧原並宮、伊雑宮、倭姫宮、多賀宮、土宮、風宮、月夜見宮)のうち、まだお参りしていない瀧原宮と瀧原並宮にお参りしたいと思っていた。

 2008年に伊勢に旅行した際、瀧原宮と瀧原並宮以外のお宮にお参りしており、いつか、この二つのお宮にお参りして、言い方はどうかと思うけれど「コンプリートしたい」という希望があった。

 その後、調べてみたところ、瀧原宮が断然行きづらいと判明した。
 車で旅行するならともかく、公共交通機関を利用して行こうとするとこれが意外と難易度が高い。
 それでなかなか実行に移せていなかったのに、何故か突然「行こう!」という気持ちになった。こういう気分は大切にした方がいい。計画を立てた。
 本当に瀧原宮と瀧原並宮へのお参りだけが目的の旅である。

 神宮の他のお宮には母とお参りしたけれど、流石にこの弾丸旅は誘えない。一人で行ってくる計画である。

 取り急ぎ、名古屋までのぷらっとこだまと、翌朝の参拝のしやすさを考え、三瀬谷駅前に宿を確保した。

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2026.05.03

長崎旅行記1日目その1

2026年3月15日(日曜日)

 朝、7時前に家を出て羽田空港に向かう。
 荷物をどう持って行こうか試した結果、海外旅行に行くときに使っていたキャリーケースに二人分の荷物を詰めて私が転がして行くことにした。ミラコロでは2泊3日の旅の一人分の荷物が入らなかった。私が「寒いよ!」と言い続けたせいもある。
 それに、80歳の母に荷物を転がして貰うより、私が転がした方が安心である。まだ駅の階段程度であれば持ち上げて登ることもできる。

東京モノレール 日曜の朝早くの割りに電車はそこそこ混んでいて、東京モノレールの浜松町駅も満杯で、モノレールで座れたときはほっとした。
 コラボ車両らしく、内外でキキとララが浮かんでいる。懐かしい。私が子供の頃に全盛だったキキララが、今も相変わらず人気なのか、復活してきたのかどちらだろう。

 集合時刻の10分前、8時40分に添乗員さんを発見できた。
 バッチ等々を渡され、ツアー人数は13名ですと話があり、今日の夕食は17時30分からですと案内がある。
 行程表では、大浦天主堂の見学後、一度宿泊先のホテルに戻り、夕食+夜景に出かけることになっているものの、大浦天主堂と夕食をいただくホテルが近いそうで、宿泊先のホテルには戻らないかも知れないと言う。戻らないのだろう。
 夕食のメニューは? と尋ねたところ「洋中華」というお答えだった。どんなメニューなのか謎である。

 キャリーケースを預けた後、機内で食べるお昼ごはんを探しに行く。
 夕食が17時半と早いそうだから、あまりたくさん食べ過ぎてもいけない。焼き鯖寿司とおこわのおにぎりを購入した。
 9時過ぎにはセキュリティチェックを抜ける。水筒は通れたっけ? と思っていたら、蓋を開けて一口飲んでくださいと言われた。のんびり歩いて搭乗口に着いた9時20分頃、ちょうど搭乗が始まった。

富士山 ソラシドエア33便長崎行きは、定刻通り9時40分に離陸した。通路が1本、3列3列の機体だ。
 国内線に乗ると何故だか国際線に乗ったときよりも耳鳴りが酷い。耳栓をして、のど飴を口に入れて、完全防備のつもりだったけれどそれでもちょっと辛かった。
 外はいいお天気である。
 富士山もくっきりと見えた。

 焼き鯖寿司とおこわのおにぎり11時前にお昼ごはんを食べる。
 もはや「空弁」の定番とも言える若廣の焼き鯖寿司と、寿徳庵の松阪牛のおこわのおにぎりである。
 見事に野菜がカケラも含まれていない。しかし、これが美味しいのである。

 順調に飛んだ飛行機は定刻より20分早い11時30分に長崎空港に到着した。
 荷物を受け取り、ロビーに出たところにバスガイドさんが待ち構えており、ツアーメンバーが集合した。
 3人家族が一組、友人同士らしい3人連れが一組、ご夫婦が一組、我が家を含め母娘が二組、お一人参加が1名の合計13名である。
 これだけ少ないとバスの座席も一人で2席確保でき、ゆったりのびのびだ。

 「世界初の海上空港」であるらしい長崎空港を正午に出発し、12時40分に最初の観光スポットである出島に到着した。

20260315_124850 12時50分に出島に到着した。
 出島が市内というか市街地にあって今ひとつピンとこない。出島は海にあったのではないのか?
 築造された当時はもちろん出島は海の上の島で、その後、埋め立てが進んだ結果、現在は池というか水路の中にあるような感じになっている。

 元々、出島はキリスト教の布教を行っていたポルトガル人を収容するために築造され、ポルトガル船の来航が禁止された後、平戸からオランダ商館が移転されて「鎖国している日本の唯一の外国との接点」になったという経過がある。
 何だか中学校の社会の授業のようだ。

出島表門橋出島表門橋 出島で一番面白いと思ったのは実は入口手前の「表門橋」だ。
 出島は国指定史跡であるため、2017年に出島が出島として活躍していた頃と同じ位置に橋を架け直そうとした際に、出島を削って橋の基礎を作ることはできなかったそうだ。
 そのため、この表門橋の基礎は、対岸(出島ではない方)にのみあり、出島側では橋は浮いている。片側だけで橋を支えている訳だ。
 世界でも珍しい構造の橋だという。

 そして、この橋の上に四角いマークが四つ埋め込まれている。
 そのマークは「最初に掛けられた出島橋の起点と終点」の印だそうだ。
 そうすると、実際の出島に渡る橋は3mくらいの長さだったようだ。
 そんなに短かったら、簡単に飛び移ったりできちゃいそうだけれど、どうだろう。「唯一の入口」の役目はちゃんと果たせていたんだろうか。気になる。

 出島に入るところで解散となり、14時まで1時間強の自由時間になった。何というか時間に太っ腹である。
 入ってまず、明治時代に建てられた建物を見に行った。入口を入って左手奥にある、手前の緑とクリーム色が旧長崎内外クラブ、奥の水色が旧出島神学校である。
 手前の内外クラブの1階はレストランになっていて、入口脇に数人の待ち行列ができていた。レストランに入らないと中を見ることはできない。
 奥の神学校も中に入ることはできず、外観のみの見学である。

旧長崎内外クラブ旧出島神学校

ミニ出島 出島神学校の道を挟んだ反対側が庭園のようになっており、そこにミニ出島が鎮座している。
 1/15の大きさで、1820年代の出島の様子を描いた絵を参考に再現しているそうだ。だから当然、今の姿とは異なっていて、このミニ出島には、明治期の建築である長崎内外クラブも長崎神学校も建っていない。
 そして出島橋は、出島側と反対側と両方から基礎部分が飛び出していて、短く丸い橋である。
 多分きっと、なかなか再現性が高い。

 この後は、出島のもう半分を占める復元された建物を色々と見て回った。
 古伊万里の展示があったり。
出島の展示出島の展示

 カピタンの部屋が再現されたていたり。
出島の展示出島の展示

 船長や商館の人の部屋が再現されていたり。
出島の展示出島の展示

 カメラオブスクラを覗けたり、バドミントンのラケットがあったり。
出島の展示出島の展示

 なかなか楽しめた。
 ミュージアムショップもあって、母は、カピタンの格好をしたクマのマスコット(チャームと言うのか?)を購入し、早速ショルダーバッグに付けてご満悦だった。ちょっと可笑しい。
 私も、ミュージアムショップで販売されていた、中山洋行のドリップパックコーヒーを購入した。日本で最初にコーヒーが伝来したのが長崎の出島と聞いたら、出島でコーヒーを買いたくなるではないか。しかもそれが3つセットで、それぞれ、洋行ぶれんど、オランダ坂の珈琲、カピタン珈琲 と名付けられているのだ。

大浦天主堂 出島の歴史を上映しているという出島シアターに行きそびれてしまったものの、うろうろと出入りして結構楽しめた。また、当時の格好をしたガイドさんによるガイドツアーもあるそうで、そちらもちょっと面白そうである。
 この後はバスに乗ってほんの少し移動し、結構急なお土産物屋さんが並ぶ坂を上がって行くと、そこに大浦天主堂がどどん! とそびえ立っていた。
 ここでガイドさんの説明を受けた後は、17時半まで自由行動である。

 大浦天主堂は国宝である。かつ、「長崎と天草地方的の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する世界遺産である。さらに、国内に現存する最古の教会である。行くまで知らなかった。
 大浦天主堂は幕末に外国人用の教会として1864年に創建されている。
 そして、大浦天主堂が「シンボル」であるのは、ここに長く隠れキリシタンとして信仰を守っていた人々が1865年にこの教会の神父に信仰を告白したからだという。「信徒発見」だ。

 かつ、大浦天主堂は、「日本二十六聖人殉教」に捧げられた教会でもあるらしい。そのため、この教会は、二十六聖人が十字架にかけられた西坂を向いて建てられている。
 「日本二十六聖人」だから、二十六聖人は日本人なのかと思っていたら、フィリピンからメキシコに向かっていて台風で土佐に漂着したスペイン船に乗り組んでいた宣教師や信者たちが、「布教と占領」を宣言したことに激怒した豊臣秀吉によって処刑されたという。
 処刑はともかく、激怒されるのは当然なのでは・・・、という気がしてしまう。

 大浦天主堂の内部を見学している限りは、そうした歴史が表に出てくることはない。なかったと思う。
 木目の美しさやステンドグラスの美しさ、穏やかで重厚で少しばかり重苦しい空気感を感じるだけだ。
 写真撮影禁止だったし、私の記憶は曖昧だけれど、白より焦げ茶のイメージだったと思う。

大浦天主堂大浦天主堂

 バスガイドさんからは、お隣にある大浦天主堂キリシタン博物館の見学もお勧めされていた。
 でも、本当に申し訳ないことながら、丁寧に見学している母の後ろを付いて行きながら「キリスト教の考え方、なじめないわ〜」と思っていた。(正直に言うと「好きくないわ〜」と思っていた。失礼極まりなくて申し訳ない。)
 「なじめない」と言い切れるほど知っている訳ではないけれども、博物館の展示が、二十六聖人の殉教に関するものだったり、信徒発見にまつわるものだったり、上手く言えないのだけれど自己犠牲を前提としているようにも当然としているようにも感じられて辛かった。

 ちなみに、大浦天主堂キリシタン博物館は、下の写真右の「旧羅典神学校」と左の「旧長崎大司教館」の二つの建物で構成されている。
 母は30分くらいかけてじっくり見学していた。

旧羅典神学校旧長崎大司教館




 30分くらいかけてじっくり見学してもまだ15時である。
 ガイドさんにお勧めいただいた通り、そのままグラバー園に向かった。

 -> 長崎旅行記1日目その2

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2026.05.02

980000アクセス達成!

 昨日(2026年2月8日)、どなたかが970000アクセス目を踏んでくださった。

 これまでの経過は以下のとおりである。

 スタート 2004年9月1日
 10000アクセス 2005年7月17日
 50000アクセス 2006年11月22日
100000アクセス 2008年6月15日
150000アクセス 2009年2月21日
200000アクセス 2009年11月30日
250000アクセス 2010年9月16日
300000アクセス 2011年5月26日
350000アクセス 2012年2月8日
400000アクセス 2012年9月3日
450000アクセス 2013年2月19日
500000アクセス 2013年8月14日
550000アクセス 2014年1月14日
600000アクセス 2014年7月7日
650000アクセス 2015年2月10日
700000アクセス 2015年10月31日
750000アクセス 2016年9月7日
800000アクセス 2017年8月30日
850000アクセス 2018年12月30日
900000アクセス 2021年6月9日

910000アクセス 2022年3月21日
920000アクセス 2022年11月9日
930000アクセス 2023年7月22日
940000アクセス 2024年2月18日
950000アクセス 2024年9月28日

960000アクセス 2025年5月12日
970000アクセス 2026年2月8日
980000アクセス 2026年5月1日

 今年は3月に母と長崎旅行に行った。
 もっともっと旅行したい。

 そして、相変わらず、チャットGPTに旅行日程を相談して改良を加えて行く遊びをしている。
 この遊びを役立てて旅行に行ってやる! と思っている。

 引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

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2026.03.18

無事、帰宅する(長崎)

 2026年3月15日から2泊3日で、母と長崎ツアー旅行に行って来た。

 1日目は、羽田空港から長崎空港に飛び、到着後はバスで出島、大浦天主堂を巡り、たっぷり3時間の自由時間を利用してグラバー園を散歩した後、夕食をいただいてスロープカーで稲佐山に登り、夜景を堪能した。
 2日目は、午前中の自由時間を利用して眼鏡橋界隈を散策し、昼食にお刺身をいただいて軍艦島クルーズ、西九州新幹線で武雄温泉に移動したのちハウステンボスに向かい、45分1本勝負でイルミネーションとショーを巡った。
 3日目はチューリップが咲いたハウステンボスを堪能した後、船で長崎空港に移動、羽田空港に19時半過ぎに到着した。

 充実しすぎた3日間で、帰ってきた日とその次の日は抜け殻のようになった。

 今回の旅行費用は、一人分で約198000円だった。お高いとは思うけれど、ツアー参加人数が13名で余裕があったし、たっぷりとあった自由時間も有意義に遊べて、満足度はそれ以上に高い。
 旅行した3日間の前後の長崎のお天気は雨で、狙い澄ましたように晴れて暖かい3日間となり、軍艦島にも上陸できた。
 かなり上出来な旅行だったと思う。
 なお、ここに書いた費用には、ツアー代、その他の交通費、飲食費、自由時間に行ったグラバー園の入場料が含まれているが、お土産代は含まれていない。

 また、3日間の歩数は、それぞれ1日目が12838歩、2日目が14773歩、3日目が13671歩だった。

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