「りぼん」のチケットを購入する
渡辺えり古稀記念2作連続公演「りぼん」
作・演出 渡辺えり
出演 室井滋/シルビア・グラブ/大和田美帆
広岡由里子/深沢敦/土屋良太/大西多摩恵
吉田裕貴/小日向星一/福間むつみ/藤浦功一
小出奈央/松井夢/ラサール石井/宇梶剛士 他
2025年1月8日~1月19日 本多劇場
料金 10000円
2作連続公演のもう1作は「鯨よ!私の手に乗れ」である。どちらか1作を見るとしたらどっちか、と熟考して、「りぼん」のチケットを購入した。
渡辺えり古稀記念2作連続公演「りぼん」
作・演出 渡辺えり
出演 室井滋/シルビア・グラブ/大和田美帆
広岡由里子/深沢敦/土屋良太/大西多摩恵
吉田裕貴/小日向星一/福間むつみ/藤浦功一
小出奈央/松井夢/ラサール石井/宇梶剛士 他
2025年1月8日~1月19日 本多劇場
料金 10000円
2作連続公演のもう1作は「鯨よ!私の手に乗れ」である。どちらか1作を見るとしたらどっちか、と熟考して、「りぼん」のチケットを購入した。
二兎社公演48「こんばんは、父さん」
作・演出 永井 愛
出演 風間杜夫/萩原聖人/竪山隼太
観劇日 2024年12月7日(土曜日)午後2時開演
劇場 俳優座劇場
料金 8000円
上演時間 2時間40分
俳優座劇場に行ったのは数年ぶりだ。
来年の閉館が決まっているそうで、その前に観劇できて良かったと思う。
館内の写真を撮っている方もいらした。
ロビーでは台本やパンフレット等が販売されており、永井愛さんが希望される方にサインをしてくださっているようだった。
ネタバレありの感想は以下に。
こまつ座 第153回公演「フロイス -その死、書き残さず-」
作 長田育恵
演出 栗山民也
出演 風間俊介/川床明日香/釆澤靖起
久保酎吉/増子倭文江/戸次重幸
2025年3月8日~3月30日 紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA
料金 9800円
井上ひさしの小説「わが友フロイス」と、完全新作というこの舞台は繋がりがあるのかないのか、ぜひ見てみたいと思う。
小説を読んだことがないのにこんなことを書くのは何だけれど、見てみたいという気持ちに嘘はない。
抽選予約に申し込んだ。
こまつ座第152回公演「太鼓たたいて笛ふいて」
作 井上ひさし
演出 栗山民也
演奏 朴勝哲
出演 大竹しのぶ/高田聖子/近藤公園
土屋佑壱/天野はな/福井晶一
観劇日 2024年11月23日(土曜日)午後1時開演
劇場 紀伊國屋サザンシアター
料金 10500円
上演時間 3時間10分(15分の休憩あり)
ロビーでは、パンフレットの他、井上ひさしの著作本などが販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
2024年11月、千葉県松戸市にある戸定歴史館に行って来た。
お天気が良く、風が少し冷たかったもののお散歩日和である。松戸駅からの徒歩10分も気持ち良く歩けた。
戸定邸は、元々は水戸藩最後の藩主・徳川昭武が建て、その後半生を過ごした別邸である。
その元々の敷地の2/3はお隣にある千葉大学園芸学部に譲られ、残り2.3haのお庭とお屋敷が整備され、敷地内に歴史館も整備されている。
また、句会や茶会に利用されているという松雲亭という文化施設が松戸市によって昭和53年に建てられたそうだ。
今回は、お庭と「戸定邸」を見学した。
戸定邸では30分ごと(1時間ごとかも)にシルバーボランティアによるガイド付きツアーが行われている。
折角なのでご案内いただくことにした。
メモも取らなかったしあまりきちんと覚えていないので、ランダムに覚えていることを記しておこうと思う。
戸定邸は、一部2階建てで、家族が増えるたびに増築したらしく、かなり複雑な造りである。
庭の向こうに見えている2階建ての2階部分は女中さん達が寝起きしていたお部屋だそうだ。この通り日当たり抜群なのに、主人一家を見下ろすのは不敬になるということで、雨戸は常に閉められていたという。
何だか理不尽である。
戸定邸の庭園は和洋折衷という説明もあった。
このとおり芝生と木々でほぼほぼ構成されており、和も洋もあったものじゃないのでは? と思ってしまった。
木々や飛び石で歩く場所を作ってあるところは「和」と言われれば「和」だけれどと思ったら、家の際まで芝生を敷き詰めるのは「洋」の庭だという。
説明を聞いても「へー」と思うだけというのも申し訳ない話である。
この庭園の一角に東屋があり、そこからは江戸川とその手前と奥に広がる田園風景、そして富士山が見えたという。
今も江戸川は辛うじて見えるものの、その手前と奥には住宅街が広がり、富士山にちょうど被るようにマンションが建っている。
戸定邸のある場所は小高い丘になっており、この眺めがこの場所を選んだ理由の多くを占めているだろうに、勿体ない話だ。
戸定邸は基本的に質実剛健な造りで、華美な装飾はほとんどない。
というか、華美でない装飾もほとんどないと言っていいくらいだ。
それでも素材はいいものが使われているそうで、縁側というのか、この掃き出し窓の上に端から端まで渡されているのは、一本の杉の木から切り出したものだという。
この建物は、一度は移築されており、その移築先で建て替えを計画していたときに「これは相当いい素材を使った建物だから壊してしまうのは勿体ない」という話になり、色々調べて実は徳川昭武の家でした、と判明したらしい。
調べてみようと考え、由来を探そうとした人たちは偉すぎると思う。
そうして、元の場所にそっくり移築され直して今の姿になったようだ。
さらに、そうして移築されて戻った後、当時の持ち主(誰だったか忘れた)が行政にそっくり寄付したことで、当時の建築がそのまま保存され残されることができたのだという。
何人もの「慧眼」を持った方々のお陰で今こうして見学できているという訳だ。
縁側というか廊下の向こうに手水鉢があった。
しかし、遠い。廊下というか、屋内からは届かない遠さである。どうやって使っていたのか謎だ。
外から上がってくるときに使っていたという可能性もあるけれど、普通、この家で暮らしている人は玄関から家に入ってくるだろう。
玄関といえば、この家には玄関が二つあった。
家族及び来客が使う玄関と、使用人が使う玄関とが隣り合って分かれている。
何というか、明治時代以降も「身分」というものは結局残り続けていたのだなと思う。
この家のガラス戸に使われているガラスは明治時代に作られたものだという。
若干、波打っていて、ガラスを通してみると少しばかり歪んで見える。
現在の技術では同じようなガラスは作れないそうだ。
数少ない「装飾」の一つが、この丸窓である。
他にもあと1〜2カ所、同じような丸窓が作られていて、女性のお部屋に限られていたと思う。
ガイドさんが「この丸窓の曲線が女性的ですね」と説明していた記憶である。
また、窓の下の棚の引き戸は屋久杉で作られ、その上に渡された板はケヤキの一枚板である。
そういう風にガイドさんから説明があり、同じ説明が何カ所かであったから、それは贅沢なことなのだと思う。
「畳一畳弱くらいの大きさのケヤキの一枚板」や「屋久杉で作られた引き戸の扉」の価値が今ひとつ分かっておらず、こういう説明があるくらいだから、相当にお高い珍しい材なのだろうなと思うだけである。
説明のしがいのない見学者で本当に申し訳ない。
この戸定邸で一番装飾性の高いところが湯殿の天井と聞いて驚く。
湯殿といえばお風呂場である。そんな湿度の高そうな湯気で傷みそうな場所に装飾を施してどうするんだと思う。
炉を切っているような四畳半の和室のように杉の天井板が配置され。真ん中の半畳部分は木の皮(だと思う)で網代が組まれている。
建造当時、お風呂といえばかけ湯が通常だったそうで、湯船は後の時代に追加されたのではないかというお話だった。
どちらにしても湯殿「棟」で渡り廊下で行くことになる。行く途中も、コンクリート剥き出しの床である湯殿自体も、もの凄く寒そうだ。
そもそもこの建物自体、5cm超えていそうだけれどこれも隙間と言っていいのか? と迷うくらいの隙間があって、冬はもの凄く寒そうである。
余りにも寒いから、徳川昭武は入浴が嫌いだったらしい。気の毒である。
戸定邸の庭先にはフタバアオイが植えられていた。
徳川家の「葵の御紋」のデザインのモデルになった植物だ。春先には葉の下に隠れるようにピンクの小さな花が咲くらしい。なかなか健気な花である。
そして、そのフタバアオイが欄間の透かし彫りの装飾にも使われている。
顕示欲の表れなのか、家への忠義が深いということなのか、その他様々な思惑があるのか、権力の近くにいた人は大変だなと思う。
欄間の透かし彫りは他の意匠もあり、その一つがコウモリである。
コウモリと聞くと夜の生き物で若干不吉な感じもあるけれど、「蝙蝠」と漢字で書くと「福」のつくりの部分が含まれていることから、幸福を招くとされていたという。
その意匠を使者の人が待機するお部屋に用意したというのは、なかなか心憎い配慮だと思う。
この他、写真を撮り忘れ板らしいけれど、見どころとして建物の中に作られた内蔵がある。
建物の内部に作られるのは珍しいそうだ。
天井板が貼られていて見えないが2階建てになっており、その2階部分には武器がしまわれていたそうだ。
実際に入っていた訳ではなさそうだけれど「関連展示」的に、中には長持ちが置かれていた。黒光りして三つ葉葵が飾られ、参勤交代で運ばれていそうな長持ちである。
そういえば、徳川御三家は参勤交代の対象だっただろうか。きっと歴史の授業で習っただろうに全く思い出せない。
庭園に出て東屋に行ってみたところ、やはり富士山を見ることはできなかった。
これだけ晴天でも見えないのだから、見るとしたら午前中か、夕日に浮かぶシルエットを狙うのがいいかも知れない。
その代わり、木々の間から霞んだ空にスカイツリーの姿を見ることができた。
流石に近い。
庭園を一周し、戸定邸の見学を終えた。
庭園だけなら無料で入ることができ、散歩されている方も見かけた。
毎月0(ゼロ)の付く日には、芝生の庭に降りることもできるという。(降りることができるという案内だったので、戸定邸に見学料250円を支払って入館する必要があるのかも知れない。)
また、今回は行かなかったけれど敷地内には資料館もあり、戸定邸の見学とのセット券も販売されていた。
結構、楽しめた。
劇団チョコレートケーキ「つきかげ」
脚本:古川健
演出:日澤雄介
出演:緒方晋 /浅井伸治 /岡本篤 /西尾友樹
帯金ゆかり /宇野愛海 /音無美紀子
観劇日 2024年11月9日(土曜日)午後2時開演
劇場 下北沢駅前劇場
上演時間 2時間10分
料金 5000円
駅前劇場は多分本当に久しぶりで、そもそも入口で迷いかけてしまった。
ネタバレありの感想は以下に。
2024年11月8日、どなたかが1530000アクセス目を踏んでくださっていた。
これまでの経過は以下のとおりである。
開始 2005年1月8日
10000アクセス 2005年5月17日
50000アクセス 2006年7月23日
100000アクセス 2008年1月20日
200000アクセス 2010年4月26日
300000アクセス 2011年10月25日
400000アクセス 2012年12月6日
500000アクセス 2013年9月11日
600000アクセス 2014年3月20日
700000アクセス 2014年9月29日
800000アクセス 2015年6月29日
900000アクセス 2016年3月29日
1000000アクセス 2017年2月17日
1100000アクセス 2018年1月28日
1200000アクセス 2019年4月1日
1300000アクセス 2020年10月22日
1400000アクセス 2022年6月15日
1500000アクセス 2024年5月12日
1510000アクセス 2024年7月25日
1520000アクセス 2024年9月10日
1530000アクセス 2024年11月8日
体調は少しずつ上向いてきています。観劇に行って芝居に集中できるようになってきたことが凄く嬉しい。
健康な心身で劇場に通うって大切。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
KERA CROSS 第六弾「消失」
作 アントン・チェーホフ
作 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
演出 河原雅彦
出演 藤井隆/入野自由/岡本圭人
坪倉由幸/佐藤仁美/猫背椿
2025年1月18日~2月2日 紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA
料金 9800円
もの凄く嫌な感じのお話だと想像する。見てみたいような見てみたくないような、でもやっぱり見てみたい。
抽選予約に申し込んだ。
2024年11月、東京都美術館で2024年9月19日から12月1日まで開催されている「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」に行って来た。
週末及び会期終盤のみ時間指定制となっており、事前予約して週末のお昼過ぎに行ったところ、当日券売り場に列ができていた。
入場待ちはないものの、会場内は結構な混雑振りで特に入口には人だかりができており、スタッフの方が「先に進んでいただけると比較的ゆっくりとご覧いただけます」的なアナウンスをしていた。
実のところ、田中一村という画家の名前は、3ヶ月くらい前まで全く知らなかった。
以前に職場でご一緒した方と飲み会をした際に、奄美大島に旅行した話だったからか、趣味の話だったからか、田中一村という画家の話がでたときにも、まず「ご存命の方?」と聞いてしまったくらいだ。
スマホで画像を見せていただいたときも、強烈な絵を描く画家さんだなー、という小学生のような感想しか浮かばなかった。
国立西洋美術館に行った際に、東京都美術館でこの田中一村展が開催されていると知り、これも何かのご縁だろうし行ってみようと早速1週間後には出かけたという次第だ。
我ながら、珍しく積極的である。
生前にスポットが当たることはなく(とはいえ、これだけの回顧展が開催できるだけの作品と業績と資料が残っている訳ですが)、亡くなった後に支援者たちが3日間の個展を開催するところから始まり、こうして「大回顧展」が開催されるまでに評価が高まった、ということのようだ。
しかし、そもそも子供の頃から「神童」として有名だったようで、数えで8歳の歳に描いた絵も展示されていた。
ちょうど私の後ろにいた小学生くらいの男の子が「8歳だ」「9歳だ」と読み上げていたのが可笑しい。
絵にも「八童」などと入っており、プロデュースに長けた大人が書かせて絵の売りにしていたんだろうなー、と余計なことを考える。
よく分かっていないながら、子供の頃の絵はきちんと「お手本」があり、その「描き方」に則って描かれた絵なのではないかという気がした。
説明に「南画」という言葉がよく出てきていて、「うーん、意味が分からん」と思ってみていた。帰宅してネット検索したら、中国の流派のひとつで、水墨や淡彩で、多くは山水を柔らかな感じに描くことが特徴だという。
そういう感じだ。
東京芸術大学に入学したものの2ヶ月くらいで退学し、その後すぐ家族を亡くし、しばらく「空白の時代」とされていたけれど、近年、20代に製作された屏風やふすま絵などが発見されているという。
支援者がいて、支援者からの発注や紹介に基づいて製作していたということらしい。
それは個人蔵が多いだろうし、詳細が不明になることもあるだろうなと思う。
その後、千葉に転居した辺りからまたその画業が伝わっており、青龍展に「白い花」という絵が柳一村名義で入選し、その後で田中一村の雅号を用い始めている。
この「白い花」はかなりカラフルな画面で、青緑っぽい色をバックに一面に白い花が咲いている。それまでの「南画」とは全く異なる印象である。
また、小さな写真から大きめの肖像画を描き起こすことも「仕事」として行っていたという。
好きな絵だけ描いていては食べていけない。農業をしているとはいえそれだけでも食べていけなかったということだと思う。その肖像画がもの凄く精密で、これならほぼ写真なのでは? という感じだった。小さな写真でははっきりしない箇所(肩章の模様)なども何を当たったのかくっきりと描かれている。
これは、描いて貰った人(モデルになった人ではなく頼んだ人)は有り難かったろうなと思う。
その肖像画の技術は50歳になって単身移住した奄美大島でのご近所づきあいで発揮され、島の人に受け入れられるきっかけのひとつになったそうだ。
芸は身を助く、という奴である。その「芸」が規格外な訳だけれども、「良かったね」と親戚のおばさんみたいな気持ちになる。
奄美大島では染色工として働いて生活費を貯め、ある程度貯まると絵を描くことに専念するという生活を送っていたそうだ。
この絵画展のシンボルのようになっている「奄美の海に蘇鉄とアダン」「初夏の海に赤翡翠」「アダンの海辺」「不喰芋と蘇鉄」などの絵は、もちろん奄美大島で描かれたものである。
大柄なインパクトのある、多分「唯一無二」の絵画たちである。
信奉するに近いファンがいらっしゃることも納得だなと思った。初めて拝見したと思う。行って良かった。「田中一村」という画家を教えてくださった方々に感謝である。
2024年10月、国立西洋美術館で2024年10月5日から2025年2月11日まで開催されている「モネ 睡蓮のとき」に行って来た。
時間指定制ではなかったものの、夜間開館日の18時半くらいに行ったところ、並ばずに入場することができた。実は外から見たときに庭に行列ができていて「まさか!」と思ったけれど、その待ち行列は企画展限定のミュージアムショップへ入店するためのものだった。外から見ただけで引き返さずに良かったと思う。
今年は美術展にあまり足を運んでおらず、3月以来、半年振りである。
もう少し頻繁に足を運びたいと思う。
昨年の同じくらいの時期に上野の森美術館で開催されていた「モネ 連作の情景」展は「100% モネ」がキャッチフレーズになっていたと思う。
今回の「モネ 睡蓮のとき」も、モネの作品のみ展示されている。
流行なのか。モネ人気が常にも増して高まっているのか。あるいは画家ひとりをクローズアップした美術展が常態化してきているのか。あまり美術展に行かない私にはよく分からなかった。
でも嬉しい。
今回もモネの晩年、つまりは「連作」にスポットが当てられていたように思う。
スポットを当てつつ、今回の美術展では、モネの描く絵の変遷を追うように構成されていた。
また、同じ主題の絵を何枚かずつ集めていたのが楽しかった。
「1 セーヌ川から睡蓮の池へ」では、章のタイトルにもしてあるセーヌ川や、ロンドンのチャーリング・クロス橋など、モネが旅していた時分の絵が多い。ジヴェルニーにたどり着く前の絵達である。
チャーリング・クロス橋の何枚かの絵の中に、単色で比較的鮮明に描かれた絵があり、何だか格好良かった。
最終的には煙だけでその存在が描かれる機関車の姿が比較的鮮明に描かれている。
この章では、連作ではない(と言っていいと思う)の睡蓮も展示されていた。
ジヴェルニーの庭で睡蓮が描かれ始めた初期には、睡蓮の絵にも画面の上部の端とはいえ池の縁が描かれ、睡蓮の池は風景っぽく描かれている。その池が、次第に画面の全てを占めるようになり、周りの景色は水面に映り込むだけになり、平面的装飾的になって行く。
睡蓮の池に夕日が映り込んだ(のだと思う)1枚があり、近くで見ているときには分からなかったけれど、かなり引いて見るとその太陽の光の赤さがより引き立って見えて良かった。
「2 水と花々の装飾」では、睡蓮以外の花の絵がメインになっている。
中には「元々のアイデアでは他の花も描かれていたけれど、最終的に睡蓮だけになった絵」も含まれていて、何というか、モネの意識が「睡蓮を描くなら睡蓮に集中!」みたいになって行く過程が面白いと思う。
壁一面を睡蓮の絵で埋め尽くした連作も、当初の案では上部に藤の花の絵をぐるっと配置する予定だったという。
その藤の花に紫っぽさがなくて、でも藤の花で、良かった。
「3 大装飾画への道」のお部屋だけは、写真撮影可になっていて、シャッター音が鳴り響いていた。
モネは生前に大装飾画関連の絵を売ることはせずにほとんど手元に置いていたそうですが、唯一、松方幸次郎氏に売ったそうです。その絵が(多分)行方不明になり、半分以上が滑落した状態で見つかり、出典されていました。
何とも痛々しい状態だった、
睡蓮の絵の中でも、大きめ(2m四方くらい?)の絵が3枚、曲線を描いた壁に並べて掛けられている面が爽快だった。
「睡蓮に囲まれたような」「その場に立ったような」という雰囲気が少しだけ味わえる。
オランジュリー美術館にぜひ行ってみたいと思ってしまう。
絵の雰囲気は3枚でかなり違っていても、睡蓮が描かれた大きな絵が真っ白い壁に同じ高さ、同じ重さで飾られているというのは、何とも贅沢な光景だったと思う。
「4 交響する色彩」という章では、モネの庭の太鼓橋のような橋や、しだれ柳、ばらの小道やばらの庭から見た家が数枚ずつ展示されていた。
モネは厳密に同じ場所、同じ角度から、日を変え時間を変え、つまりは光の状態を変えながら何枚も絵を描いていたそうだ。
中には、白内障を患って色彩が混濁していたときに描いた絵も含まれている。
何と言うか、この章の絵の印象を一言で言うと「赤」である」
その赤さが凄かった。
大装飾画の習作も含まれていたためか、今回、出典された絵は余白が目立っていたような気がする。
本当に少ない色の絵の具、少ない筆の運びで描かれている絵はもちろん、わざとなのかどうなのか、絵の橋に白い余白がある絵が結構目立っていたような気がする。
どうしてだろう。不思議だ。
混雑していたけれど、それでも絵と自分との間に誰もおらず、絵と人が重なることなく見ることができる瞬間はどの絵にも必ずあったと思う。
楽しかった。
行って良かった。
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