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サントリーホール<土曜サロン>
ヨーロッパに生きる 第4回 愛と宗教と音楽と 〜カテドラルの秘密〜
おはなし 木村尚三郎
ハープ 早川りさこ
フルート 細川順三
ヴィオラ 百武由紀
曲目 イベール:二つの間奏曲(fl,va,hp)
フォーレ:パヴァーヌ(fl,va,hp)、夢の後に(va,hp)
ドゥヴィエンヌ:フルートとヴィオラのための二重奏曲
アンドレ:聖堂の入り口(fl,hp)
リュート奏者/エジプトへの逃避/強欲者の踊り/悪魔の踊り
強欲者の死/東方三博士の眠り/チター奏者/カインとアベル
地獄の苦しみを味わっている人の踊り/悪魔の敗走
ドビュッシー:フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ
<アンコール>
オネゲル:3つの組曲
場所 サントリーホール 小ホール
料金 5000円
4回シリーズの第4回である。皆勤賞を達成した。客席も今日が一番埋まっていたように思う。木村先生も開口一番「昨日のような大雪でなくて何より」とおっしゃっていた。
前回の最後は修道院の話題になって「これは来週のお話だ」とおっしゃっていたけれど、今日はときどき「これは前回の話題だ」とおっしゃりながら美味しいレストランの話などなさっていた。
前回のシリーズのときはコンサートでアンコールがほとんど行われず、そのさっぱりした感じが好きだったのだけれど、今回のシリーズでは4回ともアンコールがあった。それはもちろん楽しいのだけれど、あのさっぱり感がちょっと懐かしい。アンコールが定番になるということに何となくしっくり来ないものを感じてしまう。
感想その他は以下に。
今日のお話は、コンサートで演奏される「聖堂の入り口」という曲についてのお話から始まった。
・聖堂でも、ロマネスク様式のものは農村地帯(例えばフランス東南部)にあり、ゴシック様式のものは都市にあることが多い。
・フランス東南部にあるベズレーという街は山の上にあり、そこから360度の見晴らしが利く。人口が1000人くらいの街で、食べ物も美味しい。新婚旅行に行くにはいいところだ。
・12世紀から13世紀にかけては農村の拡張期で、それまでoak(楢)の林だったところを小麦畑に変え、農業技術も発達して耕地面積が3倍にもなった。
・日本では「oak」を「樫」と訳していることが多いが(理科系を除く。)、これは誤り。「oak」というのは落葉樹である「楢」のことである。ヨーロッパには昔から「oak」の木が多くあった。
・12世紀から13世紀にかけて農業が発達し、それに伴って建築ラッシュも起こった。発展した時代は希望に満ちて未来を見ているから彫刻でも目がぱっちりしているものが多い。また、この時代の建築物は丈夫に大きく建てられている。
・人が移動するようになったルネサンス期は、周り中が知らない人になり、私の主観とあなたの主観は全く違うかも知れない時代である。だから、見たままを描くしかなくなり、遠くのものは小さく近くのものは大きく、見たままを描く標準レンズの絵が描かれるようになった。
・浮世絵は逆に強調したいところを強調し、見たいところを強調している「主観的な絵」であり、だからこそヨーロッパの人は浮世絵に驚くことになった。
・中世も、村の中でみんなで同じ価値観を持ち外との交流がない時代だったため、主観的な絵が成立していた。例えば各地の教会に「聖遺物」があったが、外との交流がなく村の人みんなが本物だと信じていればそれは本物であり、各地の本物の「聖遺物」があった。
・余談だが、「月は何cmくらいに見えるか」というのも主観の問題である。日本人だと30cmくらいと答える人が多い。この話を教えてくれた先生は「30cmくらいに見えるあなたは凡人です」と言っていた。これはどうやら「十五夜お月さん〜」という歌に「お盆のような月」という歌詞があることに影響されている。みんな「主観的」にお月様を30cmくらいだと見ているのだ。この質問を学生にすると「1cmくらい」という答えが多い。これはデジタル思考の表れであり、客観的な判断と言える。一代で会社を興した社長さんなどの中にはごくまれに1mくらいに見えている人もいるらしい。
・「カインとアベル」は農耕民族であるヨーロッパ人に好まれる話である。遠くから来ては去っていく遊牧民は、農耕民族からするとまさに「ストレンジャー」であった。
・復活祭は毎年日付が変わり、今年は3月27日である。春分の後の満月の後の最初の日曜日が復活祭である。復活祭前の40日間は慎ましく肉食も絶ってキリストを待つ期間である。だからその前に最後のどんちゃん騒ぎで「謝肉祭」を行う。謝肉祭は「肉に感謝する」祭りではなく、「肉を謝絶する」祭りである。
・2月頃は食べ物がなくなってくる季節であり、そういう意味でも「復活祭前に慎ましく暮らす」というのは合っている。小麦の備蓄がなくなり、仕方なくそば粉と気持ちばかりの小麦粉を練って焼いて食べていたのがクレープになった。
・フレンチトーストもアメリカのもので、フランス人はフレンチトーストを知らない。例外はブルゴーニュ地方の人々で、この地方は貧しかったのでカチカチになったパンを何かに浸して柔らかくして食べることをしていた。
・貴族もこの時期に肉断ちをしていたが、それは狩りの季節に肉を食べ過ぎて吹き出物が出たためである。その吹き出物を治すために断食をしていた。同じ「謝肉祭」であっても意味合いはまるで正反対だった。
・バレンタインデーの起源はイギリスにある。2月14日頃になると小鳥が愛を交わし始めるという言い伝えがあり、それがアメリカに広まった。アメリカやイギリスというのはプロテスタントの国である。
・フランスなどはカトリックの国だが、カトリックの方がプロテスタントに比べて人情味があるというか、宗教的にゆるやかである。悪いことをしても「ごめんなさい、ごめんなさい」と手を合わせて献金すれば赦してくれる神様である。だからカトリックの教会の資金源はマフィアであると言われる(「言われているということですよ」という注釈あり)。
・プロテスタントが厳格といっても、イスラム教に比べればキリスト教は緩やかな宗教であると言える。
・ヨーロッパの国々は人種や言葉などがバラバラなので、宗教くらいは一神教でなくてはまとまることができない。キリスト教で「三位一体」を唱える派が主流なのもそのためだろう。
・スペインはキリスト教とイスラム教が共存している国で、だから寛容だと言える。例えば、イスラエルを除くと全世界に散らばったイスラエル人の60%がスペインで暮らし、ジプシー(今は「ロマ」という自称で呼ぶのが主流である)の人々は一番スペインで幸せに暮らしている。こうした様々な価値観が国内にあることが、ガウディやピカソなどの芸術家が生まれる素地となった。
・様々な価値観を持ち様々な考え方を持つ人々がひとつにまとまるためにはひとつ(一人)の神様を拝むしかなかった。その根底には「分かり合えない」という孤独感がある。
・暮らしに安心感が広がると宗教は衰退する。ヨーロッパではインテリ層を中心に無宗教になっていっている。この「無宗教」は日本人の言う「無宗教」とは大きく違う。外国から見れば、初詣をし、お盆をし、お墓参りをする日本人はとても無宗教には見えない。日本人は恐らく「日本人」という宗教を信じているのだろう。
・現在、キリスト教が一番生活に強く生きている国はアメリカ合衆国である。これはアメリカ国民一人一人が闘っている孤独な国だということだろう。
・日本にクリスチャンは全人口の1%しかいない。島原の乱の頃には全人口1000万人のうちキリスト教徒が70万人もいた。それが弾圧され、今に至るまで主流になっていないのは、恐らく風土的に合っていなかったのだろう。日本はやはり極めて変わった文化圏を形成していると言えるだろう。
・歴史的にヨーロッパが大躍進したのは、12世紀から13世紀の農業の振興と、19世紀から20世紀にかけての鉄の時代の2回だけである。
・聖書は智恵の塊である。商売人は教会で商売を考える。人々が教会で「〜をしてください」と祈っているその内容がその地の人々が求めているものである。街中に真実があるのである。から電車に乗っているときに本を読んでいるなんて論外で、若い女がおしゃべりしていればその内容に耳を傾け、窓外の景色を眺めるべきである。
・聖書には「笛吹けど踊らず」という言葉もある。これは逆に言えば笛は元々聴いたら踊りたくなるような楽器だということである。例えば「ハーメルンの笛吹男」の話などにもそれは現れている。逆に弦楽器は天国に導く音と考えられており、教会はリュートなどの弦楽器が好きである。
・修道士と司祭というのは明確に分かれている。修道士は世俗の人と関わらず、自分たちで美味しいものを作って美味しいものを食べてきた。中世のころは修道院は農業のパイロットセンターであった。逆に司祭などは世俗に教えを広めることが仕事である。
・ロマネスクはゴシックよりも表現などが柔らかい。例えば悪魔の像などもユーモラスな表情をしている。
コンサートは、ハープとフルートとヴィオラという不思議な組み合わせだった。
いずれもいわば「穏やか」で「柔らかい」音の楽器で、聴いているといい気持ちになって子守歌のように聴こえてしまった・・・。
フォーレの「夢の後に」という曲は、北村薫の「覆面作家は二人いる」という本の中で、タンテイの千秋さんが宴会(?)の席で歌っている曲である。プログラムのタイトルを見たときに多分そうだろうと思い、楽しみにしていたのだけれど、確かに旋律の綺麗な曲だったけれど、私にはあんまりインパクトがなかった。メロディーラインすら頭に残っていないのが我ながら悲しい。
「聖堂の入り口」では特殊奏法が使われているのだそうで、この曲が一番楽しかった。まず最初にそれぞれの奏者の方がその「特殊ぶり」を説明してくれた。「特殊奏法」というのは、つまり「学校では先生がやってはいけません、と教えている奏法」なのだそうだ。
ハープでペダルを中途半端にして妙な余韻の音を鳴らしたり、さらに音叉を弦に挟んで演奏したり、奏者側に空いている穴を鉛筆で叩いたりする。
フルートは二つに分解してしまい、筒に指を突っ込んで吹いてしまう。そういった奏法のところにもちゃんと楽譜に音階(下がってから上がる、というような線)が指定してあるそうだ。
「××という曲のところでこういう奏法を使います」という説明が事前にあり、次々と続けて演奏される曲の数々がほぼどこで切り替わったのか判ったのも何となく嬉しかった。
アンコールはオネゲルの「3つの組曲」。曲の紹介をした後で「ごく短い曲です」付け加えて笑いを誘っていた。
和やかなコンサートだった。
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