「尺には尺を」を見る
「尺には尺を」子供のためのシェイクスピアカンパニー
作 W.シェイクスピア −小田島雄志翻訳による−
脚本・演出・出演 山崎清介
出演 伊沢磨紀/山口雅義/間宮啓行/彩乃木崇之
戸谷昌弘/山谷典子/大内めぐみ
観劇日 2005年7月16日 午後6時開演
劇場 紀伊國屋サザンシアター 19列12番
料金 4800円
上演時間 2時間10分(15分の休憩あり)
*終演後、アフターパフォーマンストークあり(約30分)
すっかり忘れていたのだけれど、アフターパフォーマンストークがあるからこの公演のチケットを取ったのだと思う。山崎清介さんと松岡和子さんのトークは、お二人とも専門家だから台本との違いや工夫が語られて興味深かったのだけれど、お芝居を見終わってすぐ聞くにはちょっと「解釈」に関する部分が多かったかなという気がした。「そこは観客である私たちに好きに見させて」というところまで語られていたように思う。
面白かったのは、舞台装置で横一線にグリーンのラインが光るものがあるのだけれど、それは200Vのコンセントひとつで光らせることができて、かつ元々はイスラエルの軍需物資であるというお話だ。
アフターパフォーマンストークがある日に合わせたのか、ビデオカメラが劇場に入っていた。そのせいか、客席が全体的に親切だったような気がする。よく笑い、たくさん拍手をする客席だった。
ちょうど私の席の真後ろにカメラがあって、見ているときは気にしていなかったのだけれど、終演後つい伸びをしそうになって慌てて手を引っ込めてしまった(笑)。
いつも通り、開演15分前くらいにイエローヘルメッツの嘘ライブ(by 松岡和子)がある。
出演者8人が日替わりで唄って(?)いるそうだ。今回は山崎清介さんによる「やつらの足音のバラード(「はじめ人間ギャートルズ」より)」だった。
感想は以下に。
アフターパフォーマンストークを聞いてしまったので、どこまでがお芝居を見て自分で思ったことで、どこからがアフターパフォーマンストークを聞いて考えたことなのか、今ひとつ区別がつかないところがある。
なので、いつもは割と見てすぐに感想を書くのだけれど、今回は一晩おいてみた。
「シェイクスピアはご都合主義」というのは割とよく聞く言葉だと思うのだけれど、この「尺には尺を」というお芝居は特にそう感じた。
見ているうちは忘れていたのだけれど、そもそも伊沢磨紀演じるナントカカントカ侯爵(長すぎて覚えきれなかった)は、ウィーンの統治を甘くしすぎて失敗したと思っているのだけれど、ここで急に法の運用を厳しくすると自分がウィーン市民に恨まれるから、自分の部下のきまじめな山口雅義演じるアンジェロを侯爵代理にすればきっと法を厳しく運用して、ウィーンの規律は回復し恨まれるのはアンジェロで一石二鳥だ、という動機で旅に出る振りをした筈だった。
かつ、そのアンジェロの様子を観察するために神父の姿になってこっそりウィーンに残った筈だった。
アンジェロは結婚前の男女が関係することを許さないという法律を厳格に適用し、死刑にしようとする。大内めぐみ演じる男の妹(修道尼になろうとしている)イザベラが命乞いに来る。アンジェロは彼女に一目惚れし、兄を助けたければ自分と関係しろと迫る。
自分がその法律を厳格に適用して死刑執行のボタンを押そうとしているのに、自ら同じ罪を犯そうとするという、アンジェロのその感覚がわからない。
ここで突然「アンジェロが5年前に捨てた元婚約者」という山谷典子演じるマリアナが出てくる。侯爵は彼女をイザベラの身代わりにさせ、アンジェロと関係させる。
それって、いいことなのか?
侯爵は「これで全て上手く行く」とご満悦で、確かにイザベラの貞操の危機は回避されるのだけれど、マリアナの立場はどうよ、と思ってしまった。
さらに、最後のシーンで神父が実は侯爵であったと明かされ、侯爵はアンジェロに「(イザベラの兄は実は助かっていたのだから、結婚前に関係を持ったおまえの罪も許す。だから)マリアナを愛してやれ」と言うのだ。
マリアナの立場になれば、この台詞は物凄く屈辱的なことではあるまいか。
「尺には尺を」というこのお芝居全編を通じて一番気になったのがこの台詞だった。
「尺には尺を」という言葉は、ハムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」を逆転させて使われているようなところがある。
上手く言えないのだけれど、「マリアナを愛してやれ」という台詞は、実はアンジェロはマリアナを愛していない、ということの裏返しだと感じられたのだ。愛していないけれど罪を免じられるために結婚しろ、そして愛せ、という台詞だと感じた。
こういう言われ方をして、マリアナは「人を莫迦にするのもいい加減にしろよ!」と思わなかったんだろうか。
そもそも、「愛した人が愛している女の身代わりに関係を持つ」ということを承知するマリアナがよく判らない。
そして、こうした一連のことを仕組んだ侯爵が「自分はいいことをした」と思っているのが謎だ。かつ侯爵の側近達がこういう侯爵に愛想を尽かさないところも納得いかない。
部下として、こういうやり方で部下を試す上司を尊敬できるんだろうか?
そもそもが、侯爵の目的は自分の失政を部下に押しつけて恨みも一身に引き受けさせることにあったのに、それを聞いて何とも思わなかったんだろうか。
最後、侯爵がイザベラに求婚する。今までそんな素振りは全くなかったのに、どうしていきなり求婚なのか。
そういう数々の「どうしてだ!」「訳判らない!」「納得できない!」ということどもがあるけれども、やっぱり「子どものためのシェイクスピア」シリーズは楽しい。今後もずっと続いて欲しいな、と思う。
いつにも増して笑いの多い舞台だったのだけれど、それは多分「男女の関係」なんていう生々しさを軽くするためだったと思うのだけれど、「子どものためのシェイクスピア」と銘打ってこのお芝居を取り上げるのは冒険だったんだろうな、と思った。
多分、見た子どもの方は何の問題もなくすっと受け入れたんじゃないかと思う。
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