「新編・吾輩は猫である」を見る
「新編・吾輩は猫である」シス・カンパニー
作 宮本研
演出 井上尊晶
出演 小林聡美/高橋克実/高橋一生/梅沢昌代
坂田聡/山崎一/綾田俊樹
観劇日 2005年7月30日 午後2時開演
劇場 シアタートラム C列10番
料金 6500円
上演時間 1時間50分
毎回書くのも悲しくなって来たのだけれど、最前列にいた女性2人が断続的にしゃべっているのが気になって仕方がなかった。役者さんの登場シーンで舞台に向かって手を振っているのを見た瞬間、嫌な予感がしたのだけれど、当たってしまった。
こういうときはどうしたらいいのだろう。「おしゃべりはやめてください」と言いたいのだけれど、そう言う自分の声も周りの人にとっては騒音だ。そう思うと躊躇してしまう。
劇場で静かに集中してお芝居と見たいというのは、無理な希望なんだろうか。
ネタバレありの感想は以下に。
最前列を潰してあったようで、C列は前から2列目だった。
シアタートラムは舞台と客席が近いし、舞台もそれほど高くない。
舞台上には縁側が横一列並べられていて、そこに座った役者さんと本当におしゃべりできそうなくらい近くて、何だか役者さんの顔を凝視するのも照れてしまった。
客席から現れた高橋一生演じる「猫」が舞台を歩き回って、最後に縁側の上に落ち着く。彼が「吾輩は猫である」の冒頭を読むことで、物語が始まる。
ちょっと幽霊が描かれていそうなふすまが立てられているときは現実の世界、花札っぽい屏風が立てられているときは「猫である」の世界、と表現される。判りやすい。
小林聡美と高橋克実は、現実世界でも「猫である」の世界でも夫婦を演じている。
その2つの世界がオーバーラップさせていき、そこをつないで場面転換までするのが「猫」という寸法だ。
小林聡美は特に衣装を変えるわけでもなく鏡子さんと細君を演じ分けている。その「差」がどこから生まれているのか判らないのだけれど、でも確かに別の女性なのが不思議だ。
夏目漱石夫人の鏡子さんと言えば、何故だかよく知らないけれど「悪妻」のイメージが強い。
そこを完全に逆手に取ったのが音楽座ミュージカルの「アイ・ラブ・坊ちゃん」だ。
勝手にその世界に近いものだと思っていたので、悪妻と言われれば悪妻のような気もするし、でも倦怠期の夫婦だったらお互いこれくらいの悪口雑言のやりとりくらいするだろうという気もするし、といった感じの展開が何だかじれったかった。
このお芝居の中の夏目夫婦は「どこにでもいそうな夫婦」だ。
猫が死んでしまうと、「吾輩は猫である」の世界も終わる。
代わりに現れたのが「夢十夜」の世界だ、多分。不勉強で「夢十夜」という短編集を読んだことがないので絶対にそうだと言い切れないのだけれど、芝居の展開から考えてそれしかあり得ないだろう。
「夢十夜」の世界をやはり小林聡美と高橋克実が演じることで、夏目漱石が鏡子夫人をこういう風にも想い、焦がれていたんだという解釈の一つが浮かび上がる。
そこで咲く百合の花が、何だかちゃちに見えてしまう書き割りで、それがちょっと残念だった。そこで笑いを取らず、最後まで「夢十夜」の世界は幻想的に美しく終わった方が良かったのじゃないかと想う。
女中さんの梅沢昌代も、とぼけた金魚売りも演じた坂田聡も、遊び人の若旦那だった山崎一も、それぞれ格好良く似合っていたけれど、飄々とした二葉亭四迷と西洋かぶれに飛んでいる多々良三平を演じた綾田俊樹が凄かった。
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