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2005.08.28

「もとの黙阿弥」を見る

「もとの黙阿弥 浅草七軒町界隈」
作 井上ひさし
演出 木村光一
出演 筒井道隆/田畑智子/柳家花緑/横山めぐみ
      池畑慎之介/辻萬長/村田雄浩/高畑淳子 外
観劇日 2005年8月27日 午後5時開演
劇場 新橋演舞場 1階11列8番
料金 11000円
上演時間 3時間40分(30分、15分の休憩あり)

 ほぼ1ヶ月ぶりの観劇だった。
 新橋演舞場もものすごく久しぶりに行った。少なくとも今年になってからは初めてだ。なので、あんまり記憶が定かではないのだけれど、多分ロビーなどを改装したと思う。シックな感じになっていた。
 新橋演舞場に行くたびに「小倉アイス」を食べたいと思うのだけれど、未だにその野望は果たせていない。次こそは食べてやろう。

 ネタバレありの感想は以下に。

 ものがたりは、ちらしによるとこんな感じである。

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 時は明治。ここ浅草では芝居小屋が立ち並び、連日満員の賑わいをみせていた。舞台はその浅草七軒町界隈の劇場・大和座である。この大和座、<東京十座>と呼ばれるような立派な劇場ではなく、黙阿弥の新作まがいのものを新作と称し、上演していたのであったが、今では興業停止の処分を喰らい、座頭・坂東飛鶴(高畑淳子)と番頭格・坂東飛太郎(村田雄浩)は途方に暮れる毎日であった。しかたなく、「坂東飛鶴よろず稽古指南所」なる看板を出し、毎日の食扶持を稼いでいた。そんなふたりのところに河辺男爵の跡取り、隆次(筒井道隆)が書生の久松菊雄を連れて相談に来た。姉の賀津子(池畑慎之介)が勝手に決めてしまった縁談の相手と鹿鳴館の大舞踏会で踊らなければならないので踊りを教えてほしいと。これと入れ違いに今度は、政商長崎屋商会・新五郎(辻萬長)の娘、お琴(田畑智子)が女中のお繁(横山めぐみ)と共に飛鶴の元に相談にやって来た。やはり親が勝手に決めた婚約相手と鹿鳴館で踊ることになっているので踊りを教えてほしいと。この話を聞いた飛鶴はピンと来た。もしやこの二つの話は一緒なのでは・・・。しかし、自分の結婚相手をじっくり見極めたいと、事もあろうに隆次は久松と、お琴はお繁と入れ替わってしまったのだ。運命のなせる業なのか。二組の主従はお互いにそれぞれ入れ替わっていることを知らずに出会ってしまう。やがてこのことが大騒動となってしまうのも知らずに・・・。
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 微妙に実際に見たお芝居の筋立てとは違っているような気がしなくもないけれど、大枠このとおりのお話だったと思う。
 この「二組の主従の入れ替わり」のお話と同時進行で、七軒町界隈の人々が煙草を宣伝するための寸劇(オペレッタと称していた)を練習し、賀津子が演劇改良協会(だったか・・・)の会員でリアリズムを重視した「新劇」を立ち上げようとしている話が絡む。
 さらに、スパイを取り締まっているらしい警官(六角精児)が、秩父事件に関わった久松の父と兄の話を聞き、久松が鹿鳴館の爆破を目論んでいると勘違いして逮捕しようとするという話が加わる。
 そして、これらの話が絡み合って、もちろん大団円へと進んで行く。

 筒井道隆と田畑智子は持ち味をフルに生かし、いかにもおっとりとしたいいとこの坊ちゃんとお嬢さんが使用人の振りをし、恋をする雰囲気を笑いたっぷりに見せる。
 一方の、横山めぐみと柳家花緑は芸達者なところを見せてさらに笑いをさらってゆく。この二人の場合、恋愛感情と「いい暮らしができるようになる」という憧れがかなりまぜこぜになっているようなところもあるけれど。
 気っぷの良い座頭の高畑淳子といい、みんながはまり役で、それぞれに美味しいところをさらってゆき、笑いを取ってゆく。
 一幕と二幕は笑っていたら終わってしまった。

 三幕で、飛鶴の仕掛けが功を奏し、「入れ替わり」をテーマにしたお芝居を演じさせられることで、やっと隆次とお琴はお互いが入れ替わっていることに気がつく。
 それが飛鶴と賀津子との「演劇くらべ」の一幕であったのはご愛敬だ。

 隆次とお琴が結婚するのはいい。というか、この二人がくっつかなければお話にならない。
 それぞれが家を出て市井で暮らすというのも、かなり唐突だとは思うけれど、浅草とそこに暮らす人々が魅力に溢れていたのだろうと思うことにする。
 だけど、久松が現実に戻ってきた一方で、お繁は現実に戻れない。「お嬢様」である自分をすっかり信じ込んでしまい、長崎屋の女中である「お繁」という現実に戻って来られなかったのだ。

 そのお繁を見て、隆次とお琴は何も言わない。
 飛鶴も二人に向かって「現実に戻れなくなるほど、お繁さんの生活とお嬢さんの生活は違っていたんだ。それでも今の暮らしを捨てるのか」と問いかけるだけ。
 そして二人が頷いたところで「幕」なのだ。

 「うそでしょ! ここで終わりなの?!」と心の中で叫んでしまった。
 久松は確かに男泣きに泣いている。
 でも、お繁が現実に戻って来られなかったことについて、他の人々は誰一人としてお繁に向かって何を言うでもなく(痛ましそうに見てはいるけれど)、お繁について何を言うでもないのだ。
 隆次とお琴は自分たちがやったこととその結果に対して、こんなにも無頓着でいいのか?

 この終わり方が気になって気になって仕方がない。
 このラストシーンまでは、ひたすら大団円に向かっている安心感もあって笑っていたのに、何だか激しく釈然としない。
 本当にこれでいいのだろうか? このお芝居の終わり方はこれしかなかったんだろうか?

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