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2005.09.18

「ウィンズロウ・ボーイ」を見る

「ウィンズロウ・ボーイ」自転車キンクリートSTORE ラティガンまつり#1
作 テレンス・ラティガン
演出 坂手洋二
出演 馬渕英里何/大鷹明良/中田喜子/中嶋しゅう
    大石継太/西川忠志/田岡美也子/佐藤銀平(演劇集団円)
    渋谷圭祐/萩原利映(グリング)/藤本浩二
観劇日 2005年9月18日 午後1時開演
劇場 俳優座劇場 3列10番
料金 5000円
上演時間 3時間(10分の休憩あり)

 てっきり公演は25日までだと信じていて、ロビーで「パンフレットが残り少なくなって参りました」と叫ばれているのを聞きて、「いいのか、千秋楽まで1週間もあるのにパンフレットが残り少なくなっていて」と思っていた。
 もちろんこの思いこみは私の間違いで、今日が千秋楽である。
 客席で鷲尾真知子さんをお見かけしたり、開演前のロビーに自称文化祭実行委員長の鈴木裕美さんがいらっしゃったり、言われてみれば千秋楽っぽかったような気がする。
 パンレット(500円)も購入してしまった。

 3列は最前列で、10番はど真ん中。隣2席が空いていたのが勿体ない。
 ただ、舞台が高めなので、かなり見上げる感じにはなったけれど、役者さんたちの表情はとても良く見えた。

 ロビーで、ブラウニング・バージョンのチケットを販売していた。
 そうと知っていたら、チケット予約のはがきは出さなかったのに。そちらを無効にしてもらって、という説明も面倒だったし、手帳を持っていなかったので購入は諦めた。

 ネタばれありの感想は以下に。

 えんげきのページ一行レビューでの評判はとても良くて、でも予備知識といえばそれくらいしかない状態で出かけた。
 だから、話の成り行きは全く予想していなかった。ハッピーエンドなのか、もの凄く暗い悲しい話なのかも判らない。だから、最初はかなり緊張して見ていた。

 渋谷圭祐演じるウィンズロウ家の末っ子の男の子が、海軍の学校(劇中でオズボーンと呼ばれていた)で盗難を疑われて退学になり、自宅に帰ってくる。そこから物語が始まる。
 佐藤銀平演じる長男はオックスフォード大学に通っているのだけれど、その彼はオズボーンに受からなかったらしい。何だかやけに本人も鬱屈していて、この時代はオックスフォード大学よりも海軍の学校の方がステータスが高かったし難しかったのね、と思う。劇中で何度も語られるように、戦争がすぐそばに迫っていたからだろうか。

 この末っ子ロニーの濡れ衣をはらそうとする中島しゅう演じるお父さんと、馬渕英里何演じる婦人参政権論者で民主主義者で個人の人権を守る手続きが機能する国を求める長女が闘い抜くお話である、というまとめ方が一番シンプルかもしれない。
 肝心のロニーはまだ13歳だということもあって、どうにも頼りない。自分の立場が判っていない感を漂わせている。
 途中で、中田喜子演じる母親が「あの子はこの先どこに行っても、ウィンズロウ・ボーイと呼ばれる。そう呼ばれるときに、5シリングの郵便為替を盗んだか盗まなかったかは問題にならない。」と、とことん闘い抜くことを決め、議会をも動かす父親をなじる場面がある。
 でも、ロニー自身はこの母親の心配と予測を全く判っていないのじゃないかという感じがした。

 父親は、大鷹明良演じる腕前も弁護料も最高の弁護士であるサー・モートンに弁護を頼み、戦い続ける。
 高額の弁護料と長引く闘争のために、婚約が整っていた長女の持参金はなくなり、長男の学費は払えなくなり、田岡美也子演じる20年以上も雇っているメイドに暇を出さなくてはならないくらい、ウィンズロウ家の経済状況は逼迫する。
 「少年が盗んだ5シリング」が新聞の投書欄から始まって議会で1日が費やされるに及んで、母親は「何のための我慢なのか判らない」と嘆き、長女の婚約は破棄され、父親自身の病状も悪化する。
 ウィンズロウ家は、どんどん歯車が狂いだして行くかに見える。

 でも、肝心のロニー本人が何故だか判らないけれど無邪気で明るく、新しい学校にもあっさり馴染んでいる。
 恐らく、だからこそ、何とか法廷闘争に持ち込んでその判決を明日に控えたある日、父親は車いすに乗りながらもいささか性狷介なところが穏やかになり、長女は珍しく素直に「婦人参政権が得られる日など来ないのじゃないか」と弱音を吐き、母親は脳天気さを取り戻し、銀行に就職したらしい兄も明るい顔で戻ってくる。

 そして、判決が出るはずだったその前日、ウィンズロウ家に勝訴判決がもたらされるのだ。
 判決の瞬間、ロニー本人は映画を見に行っていたというのが、また何とも言えないのだけれど。

 これは実話を下敷きにしているのだろうか。
 サー・モートンは独身なんだろうか。長女が彼に持っていた偏見というか誤解は最後の最後に解け、2人が結婚するなんていう結末になるのかもしれないと思ったりもしたのだけれど、この2人は「議会に傍聴に来たときにはすぐに判ります」「傍聴ではなく議員としてお目にかかります」という回りくどい握手をして別れるのだ。
 母親が予測したように、ロニー少年はこの先ずっと「ウィンズロウ・ボーイ」と呼ばれ続けるんだろうか。
 これは、個人の国家に対する勝利と言えるんだろうか。イギリスという国だからこそ、このお芝居が成立し、人気を博したんだろうか。日本を舞台にしたら、たとえ時代設定を今にしようといつにしようと、このお芝居は書けない気がするのだ。

 色々な要素と色々な人物とその物語がぎゅっと詰まった、密度の濃いお芝居だった。凄くいいものを見た、という充実感がある。
 この後の「ブラウニング・バージョン」と「セパレート・テーブルズ」も楽しみだ。チケットが取れているといいな。

 でも、作・飯島早苗、演出・鈴木裕美のコンビによる、自転車キンクリーツの公演も見たいと思うのである。

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