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2005.11.13

「ダブリンの鐘つきカビ人間」を見る

「ダブリンの鐘つきカビ人間」G2プロデュース
作 後藤ひろひと
演出 G2
出演 片桐仁(ラーメンズ)/中越典子/橋本さとし
    山内圭哉/中山祐一朗/及川健/八十田勇一
    田尻茂一/TROY/山中崇/平田敦子/土屋アンナ
    姜暢雄/後藤ひろひと/池田成志/若松武史
観劇日 2005年11月13日 午後2時開演
劇場 ル・テアトル銀座 5列28番
料金 8400円
上演時間 2時間40分

 東京千秋楽だった。
 これから始まる地方公演もほとんどSOLD OUTしていて、唯一松本公演だけはまだチケットがあるらしい。「松本で会いましょう」とは、カーテンコールでの後藤ひろひと大王のご挨拶だ。
 千秋楽ということで、(恐らく)お芝居の中でも若干のアドリブというか遊びがあったのと、カーテンコールで最後には客席全員立ち上がって群馬水産高校の校歌を歌ったりしたもので、上演時間が延びた。予定では2時間15分である。

 ネタバレありの感想は以下に。

 3年前の再演を見ていて、ストーリーも覚えているつもりでいたのだけれど、見てみたらラストシーンはすっかり忘れていた。
 ストーリーは忘れているくせに、つい出演者は比べてしまう。「おさえ」を演じた中越典子と再演の水野真紀ではだいぶ印象が違う。言葉では上手く言えないのだけれど、この2人の個性の差が、結構大きく舞台の印象を左右している気がした。
 「カビ人間」を演じた片桐仁と再演の大倉孝二も違うのだけれど、こちらの場合は片桐仁が意識的に大倉孝二の印象に近づけるよう演技しているように見えた。もちろん、私の気のせいである可能性は高い。

 お芝居の構造としては「姫が愛したダニ小僧」に似ていて、こちら側の世界にいる若いカップルが異世界に入り込み、いつの間にか異世界の行方に大きな影響を与える。
 女の子の方が順応性が高く積極的に楽しもうとするところも同じだ。
 その「女の子」を演じた土屋アンナと再演の遠藤久美子は逆に何だか近い感じがした。「女の子」が男勝りのキャラクターな分、かなり無理した台詞回しなのだけれど、その無理している感じも似ている。

 そんな感じで、幕開けからしばらくは、ついつい再演を思い浮かべながら見てしまった。

 でも、気がつくと、悪の市長と悪の神父が2人で群馬水産高校校歌を歌い出したり、橋本さとしが突然変な抑揚で叫んでみたり、大王自身が腰の低い王様として出てきたりするようなところも含めて、物語の世界にどっぷりとはまりこんでいた。後藤ひろひと作、G2演出のコンビの力業に敵うわけがないのだ。

 ただ、再演のときは泣いたような記憶があるのだけれど、今回は泣けなかった。
 千秋楽で、「遊び」のシーンが多かった(と思われる)せいだろうか。

 「正午10分前の鐘が鳴ると死ぬ」という奇病にかかった市長が鐘を鳴らすまいとして、鐘突きであるカビ人間を陥れ、街の人に殺させようとする。
 実際にカビ人間を殺したのは、「おさえ」が投げ捨てた鉢に頭を直撃されおかしくなってしまった侍従長である。さらりと流されていたけれど、おさえがカビ人間を愛するようになっていたことを考えるとかなりシニカルな展開である。
 それを意識してかどうか、「おさえ」が最後に願った奇跡は、カビ人間を救うことではなく、街の人々が平和に穏やかに余裕を持って暮らすことだったという。だから街の人々がかかった奇病が治って終わるのだ。
 考え始めると、何だか釈然としない、気もする。

 そしてラストシーン、というよりもエピローグで、「鐘が鳴ると死ぬ」という奇病にかかった市長はいつまでも死ねないままでいる。再び奇跡を起こそうと剣に1000人の血を吸わせようとしている市長は、異世界に誘い込んだ2人を殺してしまう。そこで幕である。
 市長が望む奇跡は何なんだろう。単なる己の死なんだろうかと、少し考えてしまった。

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