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「母・肝っ玉とその子供たち−30年戦争年代記」
作 ベルトルト・ブレヒト
翻訳 谷川道子
演出 栗山民也
出演 大竹しのぶ/福井貴一/秋山菜津子/山崎 一
中嶋しゅう/梅沢昌代/たかお鷹/沖恂一郎
中村美貴/粟野史浩/永山たかし/金子由之
岡森諦/保村大和/福井博章/川北良介
鳥畑洋人/鈴木健介/横山敬/岸槌隆至
飯嶋啓介/伊藤総/さけもとあきら
観劇日 2005年12月11日 午後1時開演(千秋楽)
劇場 新国立劇場中劇場 1階12列26番
料金 7350円
上演時間 3時間(20分の休憩あり)
新訳で上演するに当たって、タイトルを変えたそうだ。その辺りの解説も恐らくパンフレット(800円) には書かれていたと思うのだけれど、悩んだ末に購入しなかった。
千秋楽だけれど、空席がちらほら。勿体ない。
ネタバレ(しても問題ないような気もするけれど)ありの感想は以下に。
今年「コーカサスの白墨の輪」を見たときは、ナレーションに当たる人が舞台上にいて、この後のシーンの前説のような予告のようなことをするのは串田和美氏の演出だと思っていた。
でも、今回のお芝居でもやはり梅沢昌代演じるナレーション(配役表では「場面タイトル」と書かれている)が舞台上にいたことを考えると、これはきっとブレヒトが指定して台詞も書いたのだろう。
音楽劇であることも含めて、それがブレヒトのスタイルだったのだろうか。
ブレヒトのお芝居は、「セツァンの善人」「コーカサスの白墨の輪」あともう一つくらいタイトルを思い出せないのだけれど見たことがある。4作品3演出家によって上演されたものを見ているのだけれど、何故かどのお芝居の印象も似ている。
実は、劇場に入って舞台を見るまで「母・肝っ玉とその子供たち−30年戦争年代記」というこのお芝居の作者がブレヒトだということをすっかり忘れていた。でも、舞台セットを見たときに何となくブレヒトっぽいな、と感じた。
何故だろう。
ブレヒト作だということを忘れていたのはこの「母・肝っ玉とその子供たち−30年戦争年代記」というタイトルにも理由があると思う。「肝っ玉母さん」なんて、何だか日本っぽいではないか。
お芝居を観ていて、大竹しのぶ演じるアンナを「肝っ玉母さん」だったか「肝っ玉の女将さん」だったか、登場人物たちが次々と呼ぶのだけれど、何だか違う気がした。上手く言えないのだけれど、「肝っ玉」と訳された言葉は何だったんだろうと思った。実はニュアンスが微妙に異なる言葉だったんじゃなかろうか。
アンナは3人の子ども達を次々と失いながら、それでもスウェーデン軍に随いて戦場を巡り、浮き沈みの激しい命がけの商売をしていく。
兵隊や将校を相手に啖呵を切り、駆け引きし、従軍牧師や料理人と道連れになったり別れたりしながら世渡りし、でも最後には一人ぼっちになってしまう。長男が死んだことを彼女だけが知らない。
辞書を引いたら、「肝玉」は「物に動じない精神力」だとあった。
アンナは、子どもが傭兵係に取られそうになるといかさまの占いをしてでも止めようとする、次男が捕まったときには何とか軍曹を買収しようとする、娘が亡くなったときには子守歌を歌って寝かせつけようとする。
子どもの命を助けるために買収しようとするときにも今後の生活を考えて賄賂を値切ろうとする、商売の話になると途端に目の色を変える。
物に動じまくっているように見える。
最後まで判らなかったのだけれど、アンナは戦争で儲けようとしていることを責められるべきなんだろうか。
そうして商売第一に考えているために次々と子ども達を失ったのは彼女の自業自得なんだろうか。
何だか見ていて彼女が可哀想という風には思えなかった。でも、彼女を見て何を感じていいのかもよく判らなかった。でも、何故か彼女の声が低くなったとき、鳥肌が立つような感覚があった。
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