「エビ大王」を見る
「エビ大王」TeamARAGOTO Vol.1 〜Strong Play of The World〜
作 ホン・ウォンギ
演出 マ・ジョンヒ
出演 筧利夫/橋本じゅん/河原雅彦/伊達暁
サエコ/佐田真由美/こぐれ修/円城寺あや
佐藤アツヒロ 他
観劇日 2005年12月18日 午後3時開演
劇場 青山劇場 1階M列37番
料金 8500円
上演時間 2時間20分
2002年ソウル公演芸術祭「作品賞」「戯曲賞」受賞作品なのだそうだ。
日本の時事ネタが時折り混ざっていたし、恐らくはかなり手を入れているのではないだろうか。
しかし、どうして「エビ大王」なのだろう。韓国語の「エビ」には何か偶像的な意味合いがあるのだろうか。
そもそもこの「エビ」は「海老」なのか? 韓国語の単語を一番近い日本語に置き換えると「エビ」だったのか。
とうとう判らなかった。パンフレットを購入すれば判ったのだろうか。
ネタバレありの感想は以下に。
始まった当初は、かなりおどろおどろしい筋立てで演出なのかと思ったけれど、筧利夫演じるエビ大王が出てきて、橋本じゅんと河原雅彦演じる死に神兄弟が現れて、リアルにシリアスに押す場面と、軽みを出す場面と、両方を織り交ぜて進んでいくことが判り、ちょっとほっとした。
道具立てとしては、何だか「リア王」に似ている気がした。
娘ばかりを持つ王、姉二人に二つに分けた国を与える王、放浪する末娘(このお芝居では、捨てられた本当の末娘と、家に残った末娘と二人の末娘が出てくる)、国を追われる王、この辺りはそっくりだ。
そういえば、リア王は特に「男子がいれば」とは嘆いていなかったような気がする。一国の主は男でなければ、というのは東洋の、あるいは東アジアの考え方なのだろうか。
また、「義賊が国を救う」という設定は、どちらかという中国のイメージがある。
「捨てられた末娘を王宮に迎えれば男子を得ることができる」とか「父に捨てられ、夫に捨てられ、息子に捨てられた女が王の息子を生むことができる」という死に神のご託宣は、「マクベス」に似ているようにも思った。
本来は、壮大な歴史ロマンを指向していると思うのだけれど、私の持つイメージが貧困なせいか、何となく「パーツを寄せ集めたストーリー」という印象が強く残ってしまった。
「韓国」という舞台は見ているときはあまり意識しなかった。例えば衣装や舞台セットもそれほど「韓国色」を押し出してはいなかったように思う。
となると、どうして 「TeamARAGOTO Vol.1」としてこの戯曲を選んだのだろう、という疑問がちょっと浮かんでしまう。「荒事」という言葉から受けるイメージよりも、例えば殺陣のシーンなどの「動きの大きな」場面はあまり目立たなかったように思う。
「エビ大王」の物語として見るか、「捨てられた末娘」の物語として見るか、「見捨てられた疑似末娘」の物語として見るか、視点がたくさんあって、私にとってそのどれかひとつに絞ることが難しかったから消化不良な印象なのかもしれない。
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