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2005.12.10

「クロノス」を見る

「クロノス」演劇集団キャラメルボックス
原作 梶尾真治「クロノス・ジョウンターの伝説」(朝日ソノラマ刊)
脚本・演出 成井豊
出演 菅野良一/岡内美喜子/西川浩幸/坂口理恵
    岡田さつき/細見大輔/前田綾/藤岡宏美
    畑中智行/温井摩耶/三浦剛/左東広之
    實川貴美子/筒井俊作
観劇日 2005年12月10日 午後2時開演
劇場 サンシャイン劇場 18列31番
料金 5000円
上演時間 2時間5分

 キャラメルボックスのお芝居は相変わらずグッズが盛りだくさん。クリスマスツアーと銘打つ年末の公演はいつにも増してロビーのグッズコーナーが華やかだ。
 去年の「スキップ」のDVDが売っていて悩んだのだけれど、7500円が高く感じられてとりあえず諦めた。

 久しぶりにキャラメルボックスのお芝居を観たけれど、何だかとても良かった。
 見終わって、原作を読んでみたいなと思った。もちろん原作本もロビーで売っている。1000円で今日の昼公演現在では原作者の梶尾真治氏のサイン入りだった。東京公演初日から5日で500冊を売り切り、3日前に追加の500冊が入ったということだったので、来週にはもう「サインなし」になっているかも知れない。
 こちらも悩んだ末、「文庫で出ていないかなぁ」とせこいことを考えて購入を見送った。

 ネタバレありの感想は以下に。

 タイムトラベルものというのはとても難しいと思う。
 論理的に破綻しやすいし、それを2時間のパノラマで見ていると論理の破綻がとても目に付きやすいし、見ている方としても気になりやすい。そして、一度気になってしまうとストーリーやお芝居そのものを集中して見ることが難しくなってしまう、ような気がする。
 かつ、このお芝居は感想を書くのが難しい。何故だろう。

 このお芝居で、タイトルにもなっている「クロノス」は、「物質を過去に送る機械」である。タイムマシンとは微妙に違うのは「戻り」の手段が用意されていないところだろう。
 ドラえもんは過去も未来も自由に飛ぶけれど、この機械は「過去に送る」だけで、戻ってくるのは成り行き任せなのだ。しかも、過去に送った時点よりも未来にしか戻って来られない。

 タイムトラベルの話を、さらにお芝居として入れ子構造にして、未来に「飛ばされて」来た主人公が自分の軌跡を語る形で進んで行く。
 入れ子にしない直球勝負の方が良かったような気もするし、入れ子にしたことでラスト一歩手前のシーンに厚みが出たようにも思う。
 56年後に飛ばされた菅野良一演じる主人公の「吹原」が、自分の軌跡を語って来た相手が、実は自分の妹と岡内美喜子演じる「久美子さん」の弟が結婚して生まれた娘だということが明かされる。妹夫婦は、吹原が過去へ行く理由を知っており、きっと飛ばされてくるだろう吹原のために廃棄処分になろうとしていた「クロノス」を買い取り、保管していたのだ。

 タイムトラベルをすると、現地滞在時間と連動して、戻った時間以上未来に飛ばされてしまう。
 (例えば、10分前にタイムトラベルすると、戻ったときは、タイムトラベルをした瞬間よりも2時間後になっている。)
 一度タイムトラベルした人や物は、自分が一度戻っていた時間以前に戻ることはできない。
 (例えば、2005年1月1日午前10時にタイムトラベルして、10分間その場にいた場合、次にタイムトラベルできるのは2005年1月1日午前10時10分より後の時間だけである。)
 タイムトラベルを重ねると、「飛ばされる未来」への時間が等比数列以上に長くなって行く。
 (これは、例は省略。)

 文字にするとややこしいこれらのルールが、お芝居を観ているときは全く気にならなかった。これは間違いなくお芝居の力だ。
 吹原が語る「タイムトラベルの軌跡」は、中学時代から好きだった岡内美喜子演じる「久美子さん」を事故現場から遠ざけることで死から救おうとする、その失敗の連続だ。
 失敗するたびに残された説得の時間はどんどん短くなり、事故発生時刻は迫り、彼女を助けた後に彼女と同じ時を過ごせる可能性が減っていく。タイムトラベルのルールによって、緊迫感が高まる。

 吹原の「無償の愛度」がどんどん高まって行き、吹原のぼろぼろ度合いも酷くなり、それでも行くんだと言い張る悲惨さがどんどん強まって行く。
 しかも、吹原にとって久美子さんは「ずっと好きだった人」であって、恋人でも何でもないのだ。
 菅野良一という俳優は、どうしてこうも、ある意味愚直なキャラクターがハマるのだろう。

 ラストシーンでは、吹原はとうとう久美子さんを説得し、事故現場から離れることができた。
 その後、吹原は4000年くらい未来に飛ばされることになる筈なのだけれど、やっぱり飛ばされてしまったのだろうか。そこは、このお芝居は見せてくれない。
 何にせよ、論理の破綻とか小難しいことは考えず、言わず、楽しんでしまった方が勝ちだと思った。

 最後にちょっと気になったことを2つ。
 1つめは、私には「吹原」という名前が最後まで聞き取れなかったということ。ずっと「杉原」か「末原」だと思っていた。私の耳が悪いのか?
 2つめは、劇団の他の作品の登場人物名をちょっと出したり、劇団員同士の結婚をネタにしたり、劇団リピーターのお客さんへのサービスのようなシーンはなくていいんじゃないかと感じたということ。そこでお芝居の世界が一瞬現実に戻ってしまうし、「クロノス」というお芝居自体の力で十分に笑って泣けると思う。

<2005年12月27日追記>
 なかなか朝日ソノラマ文庫を置いてある本屋さんが見つからず、やっと新宿の淳久堂書店で発見して購入した。
 原作を読んで、「吹原」は「ふきはら」じゃなく「すいはら」が正しい読み方だと知った・・・。
 申し訳ない。
 でも、言い訳だけれど、やっぱり「すぎはら」か「すえはら」のどちらかに聞こえていたように思う。

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