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「五月大歌舞伎」
<夜の部>
増補双級巴(ぞうほふたつどもえ)「石川五右衛門」
「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」
「松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)」吉祥院お土砂/火の見櫓
出演 中村吉右衛門/中村福助/市川染五郎
市川亀治郎/中村信二郎/中村歌六
中村歌昇/中村芝雀/市川段四郎
観劇日 2006年5月4日 午後4時30分開演
劇場 新橋演舞場 1階4列6番
料金 11500円
上演時間 4時間30分(30分間・20分間の休憩あり)
ほとんど歌舞伎を見たことがない私にとって、石川五右衛門、娘道成寺、八百屋お七というラインアップはかなりとっつきやすい。実際に見ても、コミカルなシーンや大がかりな転換、宙乗りもあって飽きさせない、とても楽しい時間だった。
パンフレット(1200円)と、イヤホンガイド(650円、他に保証金が1000円)と、どちらを選ぶか迷った末、イヤホンガイドを使ってみた。丁寧な説明が、恐らく録音ではなく生放送で聞けて、おかげでとても判りやすかった。
休憩時間に、新橋演舞場の小椋アイス(こちらの漢字を使っていたような気がする)に初挑戦した。最中がぱりぱりしていて、アイスも意外とクリーミーで美味しかった。
感想は以下に。
増補双級巴(ぞうほふたつどもえ)「石川五右衛門」
石川五右衛門の育ての父が出奔してしまった息子を捜しているシーンから始まる。
そして、五右衛門の配下が勅使の書状と衣装を盗み、中村吉右衛門演じる五右衛門がそれを着用して将軍の別荘に乗り込んだところ、そこに竹馬の友である市川染五郎演じる秀吉が供応役として登場する。金ぴかの御殿の中で二人が腹ばいになって肘をつき、語らっている場面がおかしい。
一度は秀吉から交換条件に父の入ったつづらを差し出され、それを背負って忍者のように白い煙の中に消えた五右衛門だけれども、つづら抜けで現れ、まんまと管領の弟が隠していた何やら大切そうな印を盗み出し、宙乗りで消え去って行く。派手だ。派手すぎる。
さらに、最後(大詰めというようだ)、有名な南禅寺の山門の上を隠れ家としている五右衛門に秀吉の捕縛の手が伸びる、というところで幕である。ここでも山門自体が大せりに乗ってせり上がってきて、上がってみれば山門したに秀吉が待ちかまえている、という派手な演出だ。
80分の間にこれだけ詰め込まれていれば、もう、退屈している暇などどこにもない。
音声ガイドによれば、石川五右衛門と秀吉を演じる役者は、これだけ拮抗していなければ芝居が盛り上がらず、通常は同格の役者さんが務めるものなのだそうだ。確かに、見ていると、市川染五郎演じる秀吉と中村吉右衛門演じる五右衛門とを同世代と見るには無理があるような気がする。やはり、一枚上手の五右衛門に挑んでいる秀吉、という風に見えてしまったように思う。それはそれで、知恵者秀吉の若かりし頃のエピソードという雰囲気が出ていて面白かった。
勅使になりすましている五右衛門が、自分を歓待しようとする将軍家別荘の人々を見てニヤリと笑う場面は、ちょうど花道で演じられ、私の席からは中村吉右衛門の後ろ姿しか見られなかったのが残念だった。花道横は贅沢だと思ったけれど、こういうこともあるらしい。
「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」
見物の小僧さん達もいるけれど、ほぼ最初から最後まで中村福助が白拍子となって踊り続ける。55分。
最初は、白拍子が道成寺で踊っているのだけれど、そのうち「安珍清姫」の清姫が白拍子に憑依し、最後は愛する安珍を隠しおおせた鐘をたたき落とす、という、思えば怖いストーリーを持った踊りである。
これまた、衣装替えが何度もあり、手に持つ小道具も次々と変わり、最初は能のようにゆったりとした足を使った踊りから入って、少しずつ軽みのある明るい踊りになり、最後は憑依された白拍子の激しい踊りになる、という変化も大きくて、「おぉ!」と楽しく見てしまった。
着替えに長くかかるシーンでは、手ぬぐいを客席に投げるというサービスつきなのも楽しい。残念ながらもらえなかったけれど。
白拍子が被っている金の烏帽子(というのか?)を、鐘を吊っているロープにひっかけて月に見立てるというのは、中村流独特の振り付けなのだそうだ。こんなことも、音声ガイドがなければ判らなかった見立てである。
これまた音声ガイドが言っていたけれど、5〜6人の三味線がコンダクターもなしで一糸乱れず揃うのは長年の修練の賜物なのだそうだ。言われてみれば、もの凄い超絶技巧だ。
「松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)」吉祥院お土砂/火の見櫓
私が知っている八百屋お七の物語は、火事でお寺に避難した八百屋のお七がそこで寺小姓の吉三に恋をし、家に戻った後も彼のことが忘れられず、また火事になれば会えると思いこんで自分の家に火をかけ半鐘を鳴らす、という筋立てだ。
でも、歌舞伎では、そもそも芝居小屋が火事を嫌うということもあって、筋立てが変えられている(と音声ガイドが言っていた)。
八百屋お七は元々、寺小姓の市川染五郎演じる吉三に片思いしている。若衆姿の市川染五郎は一転して16歳の少年らしい扮装と佇まいを見せる。
その吉三は、今は寺小姓をしているけれども、実はどこかの大名の息子で、家宝の刀を探しているらしい。お七一家や近所の幼なじみが、義経と義仲の軍勢が来たというので寺に逃げ込み、そこでお七の片思いが成就する。その手助けをして、ついでにお七を借金のかたにもらおうとしている商人や側室にしようとする義経の家来から守るのが、中村吉右衛門演じる紅長さんである。
一度は、お七を欄干に登らせて天女の額の振りをさせ、一度は、有り難い砂(これが吉祥院お土砂らしい)を追っ手に振りかけて体をグニャグニャにさせてしまう。拍子木で足音を表していた裏方さん(大道具方)にも振りかけ、幕を閉めかけている裏方さんにもかけ、最後には中村吉右衛門自らが幕を閉めて行く。この最後のシーンのために、このお芝居のみ、上手から幕が開き、上手に向かって幕を引くのだそうだ。
紅長というこの役は全編これ喜劇、という感じで、動きもコミカルだし、顔の表情も大きい。石川五右衛門よりもさらに軽みが加わったような役で、とってつけたような感じが少し気になったものの(「超、超、は古い。今は・・・。」などという台詞が出てくる。)、でもおかしみがあって楽しい。
その紅長さんがはけた後は、もうお七を演じる市川亀治郎の独壇場である。歌舞伎ではなく現代劇で、市川亀治郎がからくり人形の役を演じているのを見たことがあるような気がするのだけれど、人形振りが得意なのだろうか? 途中から黒子が出てきて、文楽のように演じられる。その能面のような顔とぎくしゃくとした動きが何とも言えない。
歌舞伎では、お七の家である八百屋にお金を貸していた男が実は吉三が探す刀を盗んで持っていることが判る。明朝6時までに刀が見つからなければ吉三は切腹である。刀があったことを知らせ、できれば盗み返して刀を届けたいけれども、木戸が閉まっている。その木戸を開けるためには急を知らせる太鼓を鳴らすしかない。でもその太鼓を叩けば死罪である、という筋書きになっている。
それまでお嬢さんお嬢さんしていたお七が、人形振りを経て、髪を振り乱して太鼓を力一杯叩くその変化が激しくて、ちょっと切なかった。
音声ガイドは、「この太鼓は寂しい感じを表しています」「この浅黄色の幕は屋外を表しています」といった、ほとんど知識のない私が見るのに必要な色々な約束事や、役者さんのお名前、特徴的な演出などを説明してくれて、とても有り難かった。これがあれば、全く馴染みのない演し物でも見て楽しめるのではないかと思った。
いつか、できれば建て替え前に、歌舞伎座で歌舞伎を見てみたいと思う。
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