「夢の痂」を見る
「夢の痂(かさぶた)」
作 井上ひさし
演出 栗山民也
出演 角野卓造/高橋克実/福本伸一/石田圭祐
犬塚弘/三田和代/藤谷美紀/熊谷真実/キムラ緑子
観劇日 2006年6月17日 午後7時開演
劇場 新国立劇場小劇場 C5列18番
料金 5250円
上演時間 2時間15分
東京裁判を題材にした、「夢」のシリーズは、第一作の「夢の裂け目」を見逃し、第二作の「夢の泪」は見ている。そして、第三作の「夢の痂」を見てきた。返す返すも第一作を見逃したことが悔やまれる。再演してくれないだろうか。
ストレートに「東京裁判に取り組む弁護士夫婦」を題材にした「夢の泪」よりも、複雑にストレートではない物語になっていて、色々な解釈ができそうで、パンフレット(800円)を買おうかとも思ったのだけれど、やっぱり自分の感想は自分が思ったとおりでいいや、と思い直した。
感想は以下に。
開演前に、新国立劇場で配られる「Stage Note」という冊子に載っていた「ものがたり」を読んで首をひねった。「東京裁判三部作」の三作目で完結編であるのに、「東京裁判」が話の展開に大きな役割を果たすとはとても思えなかったからだ。
恐らく、実際にも「夢の痂」というこのお芝居で「東京裁判」という言葉が語られることは一度もなかったと思う。
第二次大戦中に大本営参謀を務めていた陸軍大佐が「戦争責任は、作戦立案した自分たちにある」「上層部は自分たちが立案した作戦をちょこちょこっと直すだけでそのまま採用していたのだから」として飛び降り自殺するところからお芝居が始まる。
ことの是非はもちろん私には判らないのだけれど、「東京裁判で裁かれるべきであったのに裁かれなかった(と自ら思い込んでいる)人」として、角野卓造演じる三宅徳次という人物がいるのだと思った。
三宅は助かり、兄の古美術商を手伝うことになる。
その三宅が東北の素封家で屏風美術館を開館しようとしているところに手伝いに行き、そこに終戦当時は大連にいた藤谷美紀演じる娘の友子が訪れ、その素封家の長女である三田和代演じる絹子は国語教師であり、日本語文法から今の日本を読み解きたいと言う。
そこから物語が動き出す。
しかし、実際にお芝居を見ているときには全く気にしていなかったのだけれど、「Stage Note」に書かれた配役表の年齢では絹子が32歳で三宅が41歳、友子が18歳となっている。書いてなければ全く気にしなかったと思うのだけれど、しかしこの設定には無理があるんじゃなかろうか。
そうこうするうちに、この素封家が天皇の東北巡幸の宿舎に指定されるという話が舞い込み、天皇という存在が身近だった(というのは言い過ぎか。3度御前会議で姿を見たと言っていた)三宅が、絹子のたっての頼みで、接待の指南役として引き続き滞在することになる。
そして「リハーサル」と称して、三宅はどんどん「天皇を演じる」ようになってゆく。
これは「戦争責任は自分たちにある」と遺書に認め、天皇は退位して京都の寺に籠もるだろうと予測していた三宅にとってはとてもきついことなんじゃないかと、お芝居なのに何故だかとてもハラハラしてしまった。
表面的にはどんどんなりきっていくように見えているだけで、落ち着いているように見えているけれど、あれは絶対に辛いから、近いうちに破綻してしまうから、早く止めさせようよ、と思ってしまった。
絹子に見合いを勧める犬塚敏演じる父親や、見合い相手として現れた高橋克実演じる尾形という新聞記者や、熊谷真実演じる絹子の妹などが次々と現れる。
絹子は、日本語には「は」をつければそれが主語になる自立語というものがあり、意味が分からなくてもそれらしい文章が作れてしまうこと、日本語の文章には主語がないものが多く、また主語がなくても成立してしまうこと、主語は入れ替えも簡単だし、「状況」に隠れていることも多い、と語る。
それは多分、それこそ「日本語」は「日本人」や「日本という国」にも入れ替え可能で、そのことが問題なのだと語っているようだ。
そして、同時に、絹子が何故そのようなことを考えるようになったのか、何故結婚したがらないのかが語られてゆく。
リハーサルの最後、三宅が演じる天皇に向かって、絹子は「すまぬと詫びてくれ」と訴える。
多分、これが「もう一つの東京裁判」なのだと思う。そして、これこそがあるべき姿だったのだと訴えているようである。
しかし、それでも、三宅演じる天皇は「すまぬ」とは言わない。
自分は屏風でありたくなかった、と言って、「状況」の象徴である金屏風を抱え部屋を飛び出してしまう。
そして、三宅は三宅に戻る。
絹子は三宅と連れ添うことを決める(たのだと思う)。
絹子の家に巡幸の一行が宿泊するという話はなくなる。これは、多分、「天皇が来るかもしれない」と、実際に泊まった家々よりもずっと多くの家々が準備し、緊張し、様々なことを思ったのだ、ということを言いたいのだと思った。
史実として残るのは一部でも、見えないところで、たくさんの人や家がたくさんのことを考えたり思ったりしたのだということを最後に言って、幕である。
重いテーマの重いお芝居なのだけれど、生演奏の音楽と歌とで軽み(かろみ、と読んでください)のある、重いことを感じる、でも楽しいお芝居だったと思う。
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