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「朧の森に棲む鬼」
作 中島かずき
演出 いのうえひでのり
出演 市川染五郎/阿部サダヲ/秋山菜津子/真木よう子
高田聖子/粟根まこと/小須田康人/河野まさと
磯野慎吾/武田浩二/中谷さとみ/川原正嗣
横山一敏/山本カナコ/前田悟/村木仁
逆木圭一郎/吉田メタル/保坂エマ/愛田芽久
安藤由紀/池永悦美/岡久美香/戸田朱美
中間千草/NAMI/松下美穂/優花えり
藤家剛/佐治康志/矢部敬三/加藤学
川島弘之/長谷川聖/田山涼成/古田新太
観劇日 2007年1月5日 午後6時開演
劇場 新橋演舞場 2階4列13番
料金 12600円
上演時間 3時間30分(30分の休憩あり)
ロビーでは「決闘! 高田馬場」のDVDが市川染五郎のサイン付きプロマイド入りで先行発売されていて(実際の発売日は1月19日)、かなり迷ったのだけれど、昨年に購入した「天保十二年のシェイクスピア」すら見ていないので、今日のところは断念した。
2007年カレンダーつきパンフレット(3000円)にもかなり惹かれたのだけれど、今回は諦めた。
ネタバレありの感想は以下に。
30分の休憩が入るとはいえ、3時間30分の長丁場なのに、全く退屈する瞬間がなかった。雨が降り滝が流れるといったけれん味たっぷりの演出ももちろん、そもそものお話が本当に面白かった。唄と踊りと笑いの場面もたっぷりの大盤振る舞いだ。
今年(2007年)の観劇がこのお芝居から始まったということは、もの凄く幸福なことのような気がする。
2階席だったけれど、新橋演舞場の2階席はかなり舞台に近い。
それに、新感線のお芝居は舞台上にライトで綺麗な模様を描いたりそれを動かしたりするので、そのライティングがバッチリ見えるというのはかなり嬉しい。
舞台奥までちゃんと見えたし、花道が半分くらい見えなかったのは残念だけれど、客席に花道を映すテレビが設置されているので、何が起こっているのか全く判らないということはなかった。
ただ、オペラグラスを持って行かなかったこともあって、流石に表情まではよく見えないところもあった。
お芝居が終わった瞬間、「DVDが出たら買おう」と決心したのは、お芝居が面白かったのと、細部まで見たいと思ったのと、これから約1ヶ月の上演帰還の間に恐らく演出が変わるところがあるだろうからそれを見たいと思ったのと、その3つが理由である。
市川染五郎演じるライはとことん悪人だ。
人を騙し、裏切り、道具のように使い、落ち武者狩りから一国の王にまで上り詰める。物語のスタートで3人の「朧」と「ライが自分で自分を殺したら、命を朧にやろう」と契約を結ぶところからして、何だか「マクベス」を思い出させる。マクベスというよりも、「天保十二年のシェイクスピア」の三代次の方が近いかも知れない。
ずっと自分を兄のように慕っていた、阿部サダヲ演じるキンタすら最後には使い捨てる、そんな悪人なのに、それでも「身震いするほど嫌な奴」ではないのが不思議である。何故だろう。キャラとしては「阿修羅城の瞳」の出雲に近い感じすらした。
3人の朧がライに「この顔の女に出会ったらそれが運命の変わり目だ」と歌う3人は、田山涼成演じるエイアン国の王の愛妾である高田聖子演じるシキブと、エイアン国で四天王と言われる将軍の一人である秋山菜津子演じるツナと、エイアン国と敵対しているオーエ国の国主である真木よう子演じるシュテンである。
ところで、マイクの調整のせいなのか(もちろん、私の集中力のせいという可能性もかなりあるのだけれど)、台詞や歌詞がよく聞き取れないところが何カ所かあった。この「この顔の女に出会ったらそれが運命の変わり目だ」という歌詞もそのうちの一カ所で、ここを聞き取れないと、「この顔の女に出会う」その後の場面が「?」になってしまう。だからこそ配布する配役表の紙に劇中で歌われる歌の歌詞が書かれているのだとは思うけれど、もうちょっと調整がうまくされて聞きやすいといいのにと思った。
ライは、キンタを片腕(というよりも道具)に使い、3人の女に次々と出会い、騙し、ラジョウと呼ばれる悪の巣窟というか不夜城というか、新宿歌舞伎町のような街を仕切っている古田新太演じるマダレと出会い、策を巡らし、エイアン国の将軍にまで上り詰める。
ここまでは伏線を張り巡らす前半戦で、人物紹介や設定を呑み込ませるためのシーンも入って来るのに、何故か飽きないし退屈しない。全てがエンターテインメントになっている、という感じだ。
後半、将軍となった後、シキブを使って王を殺させる辺りから、ライの転落は始まる。
ここで「これ(シキブが用意した毒酒)を飲むからさ、あの男(ライ)はやめとけ」と言う王が、何だか格好良かった。それまでシキブにさんざん「へちゃむくれ」などど言われても笑っていた弱気で気がいいだけの男に見えていたのに、ちゃんと見るとこは見てたのね、という感じが、この王はこの一言のためだけに生きてきた、と思わせた。
もっとも、王がこの一言のためだけに生きていたのであれば、それはやっぱり為政者としては駄目だろうとは思う。
王を毒殺したシキブは、もちろんライにそそのかされてやったことなのだけれど、そのライに渡された毒酒をそれと知らずに煽って死んでしまう。
シキブがそうして死んでいったのを見て、「シキブは自分から死ぬような子じゃない」とライを初めて疑うツナを見て、シキブはツナのことを「だーいっ嫌い」と吐き捨てていたけれど、でもやっぱり2人はいい友達だったんだな、と思った。
ここがそういうシーンか、と言われると、違うような気はする。
ツナの一族は体に蛇の入れ墨を入れていて、ツナには拐かされた兄がいる。そう知ったライは、マダレに「腕に蛇の入れ墨をいれておけ」と言ってあった。その入れ墨を見て「その入れ墨は我が一族の紋章!」とツナが叫んだときには、蛇の入れ墨があればみんなそれは一族の紋章なのかよと思ったし、マダレが「そうだったのか!」と目と口を丸くしたのには笑ってしまった。
でも、マダレが様々な真相を知って自殺しようとしたツナを助け、実はマダレの体には元々その入れ墨があり、ツナの本当の兄だと言ったときには、「やられた!」と思った。そう来たか!
シュテンが自らの体をのろい人形として使い、シュテンが切られればライも同じ場所を切られ、シュテンが死ねばライも死ぬ。そういった呪いをかける。
この辺りから、実はよく判らなくなってしまった。
シュテンは「だまされやがって」と言いながらライに切られて死んでゆくのだけれど、ライはその後も生きて動いている。
でも、そのシュテンと朧の森で対峙した、ライの策略で目を潰されでも死なずに生きていたキンタは「自分にとどめを刺さなかったのは、ライがライを殺したってことになるんじゃないか」と言い放ち、マダレとツナとともにライと戦って斬りつける。そして「途中から、ライが生きているのか死んでいるのか判らなくなった」と言う。
ライはその後も落ち武者狩りと戦い続け、朧の森の真ん中で森の水を血で赤く染めるのが自分の最後のペテンだと叫び、本当にそうして死んでゆく。赤い血が流れた直後のライの姿は骸骨になっている。
結局、ライはどうして死んだんだろう?
どの部分を差して「ライは自殺した」ことになるんだろう?
シュテンの呪いは本当にかけられていたんだろうか?
朧に命を取られていたから、キンタは「ライが生きているか死んでいるか判らない」と感じたんだろうか?
「最後のペテン」はどういうペテンだったんだろう?
「ここで終わり?」というシーンが2回くらいあって、まばらに拍手も起きかけていた。
新感線のお芝居は、元々、公演期間中に進化するお芝居だ。ラストシーンの辺りはこの後、演出が変わって行くのではないかと思う。きっと、もっともっとカタルシスを感じられるラストに化けるに違いない。
もう見には行けないけれど、絶対にDVDで確認してやろう、と思っている。
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