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「コリオレイナス」彩の国シェイクスピア・シリーズ第16弾
作 W・シェイクスピア
翻訳 松岡和子
演出 蜷川幸雄
出演 唐沢寿明/白石加代子/勝村政信/香寿たつき
吉田鋼太郎/瑳川哲朗/原康義/大友龍三郎
手塚秀彰/小田豊/冨岡弘/大川浩樹
小林正寛/高瀬哲朗/高橋礼恵/樋浦勉
鈴木豊/清家栄一/塚本幸男/新川將人
二反田雅澄/福田潔/井面猛志/篠原正志
鍛冶直人/高山春夫/北川勝博/星智也
KAI/田村真/角田明彦/藤沼剛
梶原美樹/泉裕/川崎誠一郎/川崎誠司
原田琢磨/石田佳央/杉浦大介
前橋聖丈・桐山和己(ダブルキャスト)
観劇日 2007年2月3日 午後1時開演
劇場 彩の国さいたま芸術劇場大ホール 1階O列29番
料金 9000円
上演時間 3時間25分(15分の休憩あり)
ロビーではパンフレット(1500円、だったと思う)やTシャツ、「エレンディラ」のチケットなどが販売されていた。
シアターガイドの上演時間情報のページでは休憩が20分と書いてあったように記憶しているのだけれど、実際は15分だった。開演前もそうだったけれど、女性率がとても高くてお手洗いは大混雑だった。日本の劇場に女性客が多いというのはこの先かなり長い間変わりそうにない傾向なのだから、設計段階から考慮してくれればいいのにと思う。
感想は以下に。
いのうえひでのり演出の「天保十二年のシェイクスピア」でオフィーリアを演じていた高橋礼恵さんが好きで、今回も「どんな役で出てくるんだろう」と目を皿のようにして探してしまった。実は、コリオレイナスの奥さんを「お見舞いに行きましょう」と誘いに来る役だったのだけれど、お芝居の流れでは気がつかず(もっとずっと年上の女優さんが演じているように見えたのだ)、最後のカーテンコールの挨拶でやっと気がつく有様だった。
それはともかくとして、女優さんを意識してお芝居を見ていたせいもあると思うのだけれど、シェイクスピア劇というのは本当に男性の出演者が多いお芝居だと思う。
きちんと配られた(有り難い)キャスト一覧によると、女優さんは4人しか載っていない。
それでも、その女優陣、特にコリオレイナスの母を演じた白石加代子の印象が強いせいなのか、地味だという印象もないし、荒々しいという印象もない。何だか不思議な感じである。
幕が開くと、そこには舞台を覆うように鏡の幕が張られている。
客席がその鏡に映っている。
シアターコクーンでタイトルは忘れたけれどギリシャ劇が演じられたときに、翻訳した山形さんという方の講演を聴いたことがある。そこでは、ギリシャ劇というのはすり鉢状の劇場で演じられていたので、自分の正面には常に誰か他の観客がいる。その状態を再現しようとしたのだという風に解説されていた。
正直に言って、幕が開いた瞬間「またか」と思ってしまったこの演出には、どういう意図があるのだろう?
その鏡が透けていって、見えた舞台は階段状だった。
申し訳ないとは思うのだけれど、頭の中に「タンゴ・冬の終わりに」や「幻に心もそぞろわれら将門」の舞台が甦ってしまい、「また階段状の舞台だ」と思ってしまった。
ここまで繰り返されると、やはり何か意図があるに違いないと思うのだけれど、私にはよく判らなかった。緊張感や圧迫感を感じるのは確かなのだけれど、もっと他にも狙いがあるのではないだろうか。
唐沢寿明演じるコリオレイナスは、劇中では何度も「高潔な男」と言われる。
これはアイロニーではなく、本当にこの登場人物達は、コリオレイナスという男を「高潔」だと思っているのだろうか? 何度もそう考え込んでしまった。
ローマの時代、護民官という制度があるのだから、民衆の意思を(ある程度)尊重しようというコンセンサスがあるという設定だと思うのだけれど、このコリオレイナスという人にはそういったものが全く感じられない。民衆の権利など全て取り合えてしまえばよいと思っている。
そして、母も「それでこそ我が息子だ」と評価している。貴族たるもの、民衆とは全く違っていて、その矜持を持って生きねばならぬ、と母本人も思っているようだし、もうとっくに成人して子どももいる息子に言い聞かせる。
あらすじをまとめてしまうと、コリオレイナスが民衆の手でローマから追放され、昨日まで宿敵として闘っていた勝村政信演じるオーフィディアスのところに身を寄せて、自分を裏切ったローマに攻め込むが、最後には説得に来た母と香寿たつき演じる妻と息子にほだされ、ローマと和議を結ぶ。
しかし、段々尊大な態度を取るようになったコリオレイナスを疎ましく思ったオーフィディアスの裏切りで、最後には殺される。
凄く簡単に説明できてしまう。
けれど、何だかよく判らないお話だった。
昨日まではどんな汚い手を使っても殺してやろうと思っていた相手をあっさりと受け入れてしまうオーフィディアスも謎だったのだけれど、それはどうも利用してやろうという計略があったためらしい。
自分よりも名声が高まりそれに伴って態度も大きくなったコリオレイナスが疎ましくなり、殺してしまえと思うのも判る。
でも、これではオーフィディアスの立場から見た場合であって、コリオレイナスという人がどういう人物で、何を考えていたのか、何だかさっぱり判らないのだ。
コリオレイナスが悲惨な運命を辿るということ以外にはストーリーを全く知らずに見ていたこともあって、「次はどうなるんだろう」という興味で引き込まれて見ていたのだけれど、誰に感情移入して見ればいいのか、最後まで掴めない感じだった。
ところで、コリオレイナスの父親は出てこなかったけれど、一体どういう人物なのだろう。
父代わりに吉田鋼太郎演じるメニーニアスがことあるごとにコリオレイナスをかばい、諭していたということなのだろうか。実はこのメニーニアスという人も、民衆から慕われているかのような登場シーンとは裏腹にかなり考え方はコリオレイナスに近いところにいて、いい人なんだか悪い人なんだかよく判らない、という感じだった。
とても興味深く見たお芝居だったのだけれど、でも、登場人物の一人一人が何を考えているどういう人物なのだかよく判らなくて、ちょっと落ち着かなかった。
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