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2007.03.25

「かぶき座の怪人」を見る

「かぶき座の怪人」花組芝居
脚本 福島三郎
脚本・演出・出演 加納幸和
出演:水下きよし/溝口健二/山下禎啓/植本潤
    桂憲一/八代進一/大井靖彦/北沢洋
    横道毅/嶋倉雷象/各務立基/秋葉陽司
    松原綾央/磯村智彦/小林大介/美斉津恵友
    堀越涼/谷山知宏/丸川敬之
観劇日 2007年3月25日 午後1時開演 千秋楽
劇場 スペースゼロ 15列2番
料金 6000円
上演時間 3時間20分(10分間の休憩あり)

 千秋楽だったので、終演後に役者紹介と、座長加納幸和の何というのか「語り」があった。それも含めて、上演時間3時間20分だ。開演時間もだいぶ押していたし、実際はロビーの表示どおり、2時間45分(10分間の休憩あり)くらいだったろうと思う。

 その加納幸和の語りの中で「20年前はネオ歌舞伎をやると言ったら、面白そうですねと言われた。今はネオ歌舞伎をやると言うと難しそうですねと言われる」と言っていたのが印象に残った。
 印象に残ったけれど、よくよく考えるとこの発言はかなり意味深だ。20年前に比べて歌舞伎が一般的ではなくなったから「難しい」のか、20年前に比べて小劇場の演出家が歌舞伎の演出をするようになった中でのネオ歌舞伎が「難しい」のか。

 ロビーでは、パンフレット、上演台本、浴衣、Tシャツ(20周年記念)、過去の公演のパンフレット、生写真(!)などが販売されていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 「ネタバレありの感想」なんて書いてみたけれど、実は見ていてよく判らなかった。
 2本の劇中劇(の稽古も含む)が上演されるのだけれど、そのどちらの舞台中なのか、舞台両脇の看板にスポットを当てることで示していることも、ほとんどラストシーン近くになるまで気がつかなかったくらいで、私が相当ボケていたらしい。

 「オペラ座の怪人」には苦い思い出があって、友人に連れて行ってもらったのだけれど、一幕目の途中から爆睡し、はっと気がついたときにはシャンデリアがするすると降りてきたところだった。二幕目は完璧に起きていたのだけれど、一幕目を見ていないからストーリーがさっぱり判らず、実は未だに「オペラ座の怪人」がどんなミュージカルなのか判っていない。友人からは「二度と一緒に行かない」とキッパリ断言されてしまった。本当に申し訳ない限りだ。

 そのあやふやとすら言えない記憶を辿って言うのも何だけれど、「オペラ座の怪人」と重なる部分は少なかったように思う。
 一方で、いわゆる歌舞伎界にモデルをとった登場人物やエピソードが満載されていたようで、歌舞伎界にとんと疎い私は、「このシーンにモデルはあるのかなぁ」「この登場人物は特定のモデルがいるのかなぁ」ということにばかり気をとられてしまい、何だか訳が判らなくなってしまった。

 それと、千秋楽だけ見たお芝居のときには毎回思うのだけれど、千秋楽というのはやっぱり普段と違うお芝居になっているんだろうか? 
 今回の「かぶき座の怪人」にも「楽日のネタを考えるために早く帰った」なんていうアドリブの(だと思われる)台詞があったけれど、何となくいつもとは違うんじゃないかと思わせるシーンがいくつかあった。例えば、「千秋楽〜」と大勢が舞台に上がって歌っていたけれど、これは千秋楽の今日だけのシーンなんだろうか? それとも劇中劇が千秋楽という設定だったから毎日あったシーンなんだろうか?
 それから、例えば役者さんが素に戻っているっぽいシーンもあったし、客席の反応がどう考えても一瞬早いこともたびたびあった。
 初めて見る舞台は、千秋楽ではない公演を見た方がいいのかも知れない。
 もちろん、「千秋楽」というお祭りは、それはそれで楽しい。

 八代進一演じる怪人も舞台には登場して歌舞伎界を憂えているのだけれど、このお話は母子ものなんだと思う。
 それも、「芸の肥やし」なんていう言葉が未だに生きている(のか、本当に?)世界だからこそ成り立つような母子ものだ。
 加納幸和演じる九重八重子と山下禎啓演じる歌舞伎役者の二代目恋助との間に生まれた子供は、恋助の「芸の養子」として恋助夫婦の元で育てられる。自分の出生の事情は知らない。知らないから自分の母親に恋をする。
 息子に恋された母親は、大酒を呑んで熱海まで車で爆走し、そのまま海に突っ込んでゆく。
 でも、その次の日、九重八重子は劇場に現れ、千秋楽の舞台を見事務める。そして、「怪人」に「恋助から教わった役を息子に返してやれ」と言われ、稽古をつけてやり、彼女の死を知った人々が稽古場に現れるとすーっと消えてゆく。

 このシーンの加納幸和が一番綺麗だった。
 何ていうか、普通のその辺の綺麗な初老の婦人に見えた。
 恋助の息子の恋松は、いい加減に自分の育ての母親の様子を見ていたら、自分が実母に恋をしているって気がつくだろう! とツッコミを入れたくなる鈍さだけれど、それは、まあ、意外すぎる真実なんだから仕方がない。

 そして、母は(多分)幽霊になって、息子の襲名披露公演を見届け、本当に消えてゆく。
 かぶき座の怪人は、死んでも舞台に立ち、息子に稽古をつけた、この女優のことだったんだろう。
 ここで幕である。

 終演後の役者紹介によると、怪人が踊った「娘道成寺」はとんでもなかったみたいなのだけれど、実はそうと聞いてもどのシーンのことなんだか思い当たらなかったほどの歌舞伎(この場合は日舞か?)音痴だ。しかも、たまたま「娘道成寺」は見たことがあるにも関わらずだ。
 そういう、「知っていたらもっともっと楽しめたんだろうな」ということが余りにもたくさんありすぎて、何だか素直に単純に楽しめなかったのが我ながら勿体なかった。
 でも、千秋楽ということもあり、花組芝居20周年ということもあり、いかにも「お祭り」「晴れ」の演し物で、楽しかった。

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