「僕たちの好きだった革命」を見る
KOKAMI@network vol.9「僕たちの好きだった革命」
企画・原案 堤幸彦
企画・原作・脚本・演出 鴻上尚史
出演 中村雅俊/片瀬那奈/塩谷瞬/森田彩華
GAKU-MC/菅原大吉/澤田育子/田鍋謙一郎
武藤晃子/今村裕次郎/大高洋夫/長野里美/他
観劇日 2007年3月10日 午後6時開演
劇場 シアターアプル 2列18番
料金 7500円
上演時間 2時間55分(15分間の休憩あり)
パンフレットは1500円。このお芝居のものとしては、Tシャツやポスター(増刷したと書いてあった)も販売されていた。第三舞台の過去の作品のDVD、中村雅俊のCD、鴻上尚史の著作本(サイン入り)などもロビーで販売されていた。
ロビーに入ったら、出演者がギター1本の肉声でフォークを歌い、人だかりができていた。
何故かロビーのお手洗いで出演者が椅子を持ち込みメイクアップをしている。申し訳ないけれど、広いとは言えないお手洗いでは少し邪魔だった。
2005年の「トランス」以来なので、「ごあいさつ」もそれ以来。何だか懐かしいくらいだ。
懐かしいといえば、開演前のロビーで「ピルグリム」のオープニングの曲がかかっていた。おぉ! と思ってしまった。
ネタバレありの感想は以下に。
1列目の座席が撤去(?)されていて、最前列だった。しかも、ほぼド真ん中の席。
舞台を見上げる感じになるのがちょっと辛い。最初に狂言回しの塩谷瞬が日比野という教師役で出てきたときには、「お願いだからあと一歩、後方に下がって」と思ってしまった。彼が顧問となった文芸部の部室で、自分の同級生が書いた「ボツ原稿」を見つけ、高校時代を回想するところから舞台は始まる。
高校生役の女優陣がミニスカートの制服で出てきたときには、「こんなに短いスカートで大丈夫なのか」と心配になった。
1969年に高校で文化祭を取り戻そうと演説していた中村雅俊演じる山崎は機動隊に撃たれて倒れ、そのまま30年間眠り続ける。
1999年に目を覚ました山崎は高校に復学し、一緒に運動していた2人と再会する。母校の教頭になっていた大高洋夫演じる兵藤と、片瀬那奈演じるクラスメートの小野の母親である、長野里美演じる文香である。
この3人がそれぞれ全く違う人生を歩み、考えを持つようになり、それぞれの立場があるというのは、多分、当たり前だけれど悲しいことなんだろうと思う。
文化祭でラップのコンサートをクラスでやろうとして学校からストップがかかった小野たちは、偶然居合わせた山崎につられるように、学校側にラップのコンサート開催を働きかけてゆく。
それは、山崎の30年越しの「やらねばならなかった」ことでもあるんだろうと思う。
彼らの「文化祭奪還」はなかなか上手く進まず、「一緒に自主的な文化祭を勝ち取ろう」と話しかけ、ビラを配っても他の生徒達は反応してくれない。
体育館で集会を行おうとしても誰も反応してくれない。
学校は「(彼らがいるから)混乱が起こりそうなので、文化祭は中止する」と発表することで、彼らを孤立に追い込む。
1999年にありそうな、なさそうな、展開である。
舞台はほとんど何もない黒い広い空間である。そこに銀色のカーテンを三重に動かせるようにしてあり、そのカーテンを引くことで舞台を転換させる。塩谷瞬と片瀬那奈が狂言回しを務め、舞台を転換させ、必要な説明を挟み、現実に寄ってくることで緊張を緩和させる。
でも、せっかくなら、今動いている舞台の世界にどっぷり浸かっていたいと思う。
そこをひょいと離れて、例えば「このお芝居では一人の俳優が複数の役を演じることがありますが、それには意味があるときとないときがあります。」なんていう台詞を客席に向かって語る。こういう現実に戻ってくることで取る笑いはどうなんだろう、とお芝居を見ている途中でつい考えてしまうのが、ちょっと勿体ない。
ミュージカルではないけれど、GAKU-MCがラップを歌い、中村雅俊がフォークを歌う。物語の自然な流れに乗っているのだけれど、フルコーラスはちょっと長いと感じた。
「語られなかった言葉」だったり、「戦い」だったり、鴻上さんの最近のお芝居は、あるひとつのテーマを繰り返し訴えようとしているように思う。
それはあまりにもストレートで、役者さん達がしゃべる台詞がそのまま鴻上さんの言いたいことであり思っていることなんじゃないかと感じることがある。
違う語り方をしてこそのお芝居なんじゃないかという私自身の思い込みもあって、こういう顔の出し方にどうしても違和感を感じてしまう。
それでも、この「僕たちの好きだった革命」には、その違和感もいつの間にか忘れて、舞台に没頭してしまっている時間があった。そのときには、花粉症でガンガンいっていた頭痛もすっかり忘れていた。
自分でもどうしてそのシーンだったのかよく判らないのだけれど、朝、学校に行こうとする日比野を田鍋謙一郎演じる父親が呼び止め、「今度は負けるな」と言うシーンで涙が出た。
山崎が「裏切ったんじゃない、自分に負けただけだ。何度負けてもいいんだ、最後に勝てばいいんだから」という意味の台詞を言うシーンでは、常に負け続けているような私としては、ちょっとほっとした。多分、そういう意図ではないのだろうと思うけれども、でも弱くても許される、というシーンはほっとした。
11月3日の文化の日、中止にされた文化祭を自主的に実行しようと拓明高校に生徒が集まり、ラップのコンサートが行われる。
1999年にそれはないだろうと思うのだけれど、学校は機動隊を呼ぶ。
そして、山崎は再び撃たれ、死んでしまう。
彼を殺す必要があったんだろうか。
何だか、いつも以上に上手く言えない。
お芝居を見ているときに私が感じていたのは違うことのような気もする。
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コメント
隆一郎さま、コメントありがとうございます。
それから、ホームページのリンクの修正もありがとうございます。飛ぼうとすると、何度か「サーバエラー」が出てしまい、サーバ・メンテナンス中なのかと思っていました。
「僕たちが好きだった革命」の感想も拝読させていただきました。
単に「思ったこと」を書き並べた自分の感想が本当に申し訳ない限りです・・・。時代を捉える視点も知識も考察もない感想ですが、ご容赦くださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2007.03.25 23:19
失礼しました。
URLが間違っていました。
頃す>殺すの誤りでした。
訂正致します。
投稿: 隆一郎 | 2007.03.25 12:16
山崎を頃す必要はなかった、確かに。
山崎は再び昏睡状態になって、三十年後に覚醒する。
するとまた片瀬那奈の娘に会うのである。
そして同じように時代錯誤のフォークソングを歌って、高校生をあおる。
全体として「反体制は正義だ」という観念論をふりまいて78歳の老醜をさらすというストーリーではどうだろうか?
僕の感想は、自分のホームページに書いてあるので参照していただければ幸い。
投稿: 隆一郎 | 2007.03.25 11:03
隆一郎さま、コメントありがとうございます。
えーと、私は「駄作だ」と思ったわけではないと思うのです(自分のことなのに他人事のような書き方ですが)。
本当にただ単純に「山崎をどうしてここで殺しちゃうんだろう? ここで殺す必要があったのかしら」と思っただけなのです。
隆一郎さんも「僕たちの好きだった革命」をご覧になっているんですよね? 隆一郎さんの感想は「駄作だ」だけだったのでしょうか?
投稿: 姫林檎 | 2007.03.25 09:52
>1999年にそれはないだろうと思うのだけれど、学校は機動隊を呼ぶ。
そして、山崎は再び撃たれ、死んでしまう。
彼を殺す必要があったんだろうか。
何だか、いつも以上に上手く言えない。
お芝居を見ているときに私が感じていたのは違うことのような気もする。
いや、君の感覚は正しい。この劇は駄作である。
鴻上はおそらくいまスランプに違いない。何を描けばいいのか、時代感覚を失っているのだろう。
投稿: 隆一郎 | 2007.03.25 05:54