「TOMMY」を見る
ロック★オペラ THE WHO'S「TOMMY」
作 ピート・タウンゼント/デス・マカナフ
音楽 THE WHO
演出 いのうえひでのり
訳詞 湯川れい子/右近健一
翻訳 薛珠麗
振付 川崎悦子
出演 中川晃教/高岡早紀/パク・トンハ/ROLLY
ソムン・タク/右近健一/村木よし子/斉藤レイ
山崎ちか/青山航士/石橋裕輔/蝦名孝一
奥山寛/佐々木誠/千葉恵佑/HISATO
森内遼/安田栄徳/飯野めぐみ/一実
高橋恵理子/仲里安也美/中村紗耶/桶ノ内乙澄
望月秀美/若山佐登子/塩野魁土/宮治舞
演奏 岡崎司/高井寿/前田JIMMY久史/岡部亘
松田信男/松崎雄一
観劇日 2007年3月21日 午後1時開演
劇場 日生劇場 1階N列15番
料金 12000円
上演時間 2時間15分(20分間の休憩あり)
客席中央の私が座った席より後ろは何故か完全に空席だった。その他にも空席がちらほら見える。当日券、明日以降のチケットも販売されていた。
ロビーではパンフレットやTシャツ等も販売されていたけれど、値段等は確認していない。
ミュージカルとは全く関係ない感想だけれど、今、アンサンブルの方々の名前を入力していたら、特にファーストネームは一発で変換できる人がほとんどいなかった。年齢層別人名辞書が必要だ、と思った。
ネタバレありの感想は以下に。
いのうえひでのり演出、中川晃教主演のミュージカルといえば「SHIRO」だけれど、役どころとしては、今回も「神にまつりあげられる」というところが共通していた。
中川晃教の声と歌を聴くと、そういう役を振りたくなるのも判る。
でも、この「TOMMY」というミュージカルは、ストーリーを追ってしまうと、何だか気持ちが悪い。収まりが悪いというか、何故こういうストーリーなのか、何を感じて何を考えればいいのかよく判らないのだ。
中川晃教と子役の少年が演じるTOMMYは、4歳のときに戦争から帰ってきたパク・トンハ演じる父親が、父親は死んだと知らせを受けて再婚した高岡早紀演じる母親の再婚相手を殺してしまうところを目撃し、両親は「おまえは見なかった、聞かなかった」と言い聞かせられたことで、目が見えず、耳が聞こえず、しゃべれないようになってしまう。
両親が出かけるために留守を頼んだ右近健一演じる伯父と、ROLLY演じる従兄弟に、「目が見えず、耳が聞こえず、しゃべれない」のだからと虐待を受けてしまう。
このシーン、必要だったのか? この後、このシーンは説明されることもなく、問題にされることもなく、舞台は進んでしまう。
そもそも、あれだけ蹴ったり殴ったりお風呂に沈められたりしていたのに、帰宅した両親は全く何にも気がつかないのか?
それとも、TOMMYはこの後、両親の帰宅前に街に出てピンボールに出会ったという流れだったのか? そう考えたとしても腑に落ちないことが多すぎる。
何とも収まりが悪くて、ちょっと気持ち悪くなってしまった。
そして、その後、TOMMYはピンボールを延々とプレイし続けることができるのだと判る。
何故いきなりピンボールなのだ? 家からほとんど出たこともなさそうなのに、どうしてピンボールをやることになったのか、何だかよく判らないのだ。しかも、虐待を受けたシーンの直後なのだ。
開演前のアナウンスで「一幕の最後に、会場全体をピンボールにしようと思います。ボールが飛んできたら弾き返してください」という内容のことを言われていたのだけれど、あんまりボールが客席を飛び回っていなかったのは、多分その直前のシーンに呑まれて居心地悪く感じていた人が多かったためなんじゃないかという気がした。
もっとも、私は居心地の悪さを感じつつ、お隣の方から渡されたボールを投げてみたのだけれど。
二幕で、TOMMYはピンボールのチャンピオンとして有名になり、そのお金で良い医者にかかったものの「機能的には問題がない」と言われ、追い詰められた母にずっとそばにあった鏡を割られたことで、視力と聴力と言葉を取り戻す。
そして、「奇跡だ」と持ち上げられ、両親とともにcampを開催し(このcampが具体的にはどういうことを指すのか、実は最後まで私には判らなかった)、世界各国で伯父と従兄弟と一緒にliveを開き、「house」を作って教祖のようになってしまう。
ちょっと待て、とまた思ってしまう。
TOMMYは、父親が義理の父を殺し、それを両親が結託して隠そうとし、見事隠しおおせたことを知っている筈だ。そのことについて、彼の中で整理がついているのか? 何故、何も言おうとしないのか。両親に対して全く何のわだかまりもないように見えるのはどうしてなんだろう。
そしてまた、自分を虐待した伯父と従兄弟と、その後一緒にコンサートを開きステージに立つ。二人に対して何のわだかまりも復讐心も恐怖心もないのか。
両親もこの2人も、自分たちがしたことをTOMMYがしゃべるんじゃないかという心配は全くしていないように見える。そんなことがあり得るのか。
最後に、「house」に集まった人々に「TOMMYは何も与えてくれない」と責められ、houseを壊され、たたきのめされる。
しかし、そこから立ち上がったところで幕である。
「TOMMYが自由を取り戻す」ストーリーとはとても受け止められなかったのは私だけなんだろうか。
でも、それはそれとして、映像を多用して、音楽でずっと引っ張られる舞台は格好良い。
見終わった後のイメージとしては、音がない瞬間はほとんどなかったような気がするくらいだ。曲が終わっても切れることはなく、台詞が語られることも少なく、ほとんど全編が音楽に埋められていたように思う。
特に最初の幕が開いてからかなり長い間、音楽と映像と役者さんたちの演技だけで、TOMMYの両親が結婚して父親が出征し母親がTOMMYを出産し再婚するところまでを見せてしまう。その間、台詞はもちろんのこと、音楽はあっても歌詞はなく人は声を発しないのだ。
「もしかして歌が下手だからこういう演出になったんじゃあ」などと邪推したのだけれど、両親役のパク・トンハと高岡早紀は声量も十分だし、動きも綺麗だ。中川晃教の歌はもちろん文句なしに気持ちいいし子役の少年との二重唱も切ないくらい美しい。
そして、「スウィーニー・トッド」で耳に残るナンバーがなかったのとは対照的に、「TOMMY」を見た後は、頭の中をずっと「See me , feel me , touch me , heal me ! 」のフレーズが鳴っていた。
舞台では英語に続けて「**、感じて、抱いて、癒して」と歌っていた。(**の部分がそこに歌詞があったのかどうかも含めて思い出せない、何故だろう。普通に考えれば「見て」だと思うのだけれど、自信がない。)
でも、何故か私の中では「夢を抱いて、泣いて、笑って」と日本語変換されて、ずっとこの歌詞で鳴り響いていた。もしかして、舞台でそういう風に歌われたこともあったのだろうか?
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