映画「モンゴリアン・ピンポン」を見る
「モンゴリアン・ピンポン」
監督 ニン・ハオ
脚本 シウ・エナ/ガオ・ジェングオ/ニン・ハオ
出演 フルツァビリゲ/ダワー/ゲリバン/ユーデンノリブ
バデマ/ウリン/デウゲマ/ジン
ラオウ/ブヘビリゲ/サランゴォ/ジリム/他
2005年 中国(内モンゴル) 105分 モンゴル語
ほぼ1年振りに映画館で映画を見た。
しかも、「招待券が当たったから」という理由だ。もちろん、見たかったから招待券にも応募したのだけれど、こういったものの運にとことん見放されている私が当たったということは、もしかして応募者が少なかったんだろうか。
「モンゴリアン・ピンポン」は、渋谷のシアターイメージフォーラムで2007年4月28日から公開されている。
13時30分の回を目指し10分前に到着したのだけれど、小さな(100席弱ではないだろうか)映画館にお客さんはちらほら、20人くらいだったのではないだろうか。
明日(2007年5月5日)の18時30分の回の前にホーミーと馬頭琴のミニコンサートがあることは知っていて、きっと混むだろうとわざわざ避けたのだけれど、やっぱり明日見ることにすれば良かったかとちょっと後悔した。
予告編が30分弱も続くとは思わなくて、途中で時計を確認してしまった。
500円で販売されていたパンフレットを購入すれば良かったとちょっと後悔している。
多分ネタバレの感想は以下に。
内モンゴルが舞台の映画である。
公式Webサイトによると、内モンゴルの人口のうちモンゴル族が占める割合は15%くらいだそうだけれど、その15%のモンゴル族の人々(特に男の子達)の映画だ。
チラシなどを見て、私はすっかり「モンゴルの少年達が川を流れてきたピンポン球を北京に返しに行く話」だと思っていて、この映画の大部分はロード・ムービーなんだろうと思っていた。
でも、少なくとも、見終わった私は「この映画はモンゴルの少年達が川を流れてきたピンポン球を北京に返しに行く話ではない」と言える。確かにそういうシーンはあるけれど、ネタバラシをしてしまうと、その大冒険は一昼夜も経ずに失敗する。
彼らは北京にはたどり着かないのだ。
彼らがピンポン球を返しに行こうと出発するまでは「一体彼らはいつ出発するのかしら」と思い、失敗に終わって家に戻ってからは「一体この映画はどうやって終わるのかしら」と思って見てしまった。
何だか、もの凄く勿体ないことをしたような気がする。
白くてまん丸いピンポン球は重要な登場人物ではあるけれど、でもこの映画はモンゴルの少年達のある季節の物語だと思う。
原題は「緑草地」だし。
この少年達が可愛い。
3人の少年が、2人は馬に乗り1人はバイクに乗って草原を駆け回って遊び、ゲルの我が家に戻って働く。
ピンポン球を拾ったビリグという少年の父親は煉瓦で家を造ろうとし、母は酒飲みの父親を叱りとばし、祖母は常に羊の毛を紡いでいる。姉は歌と踊りの劇団に入ろうとしている。
友人のダワーのゲルでは、父親がアンテナを工夫し中古のテレビを映そうとしている。
エルグォートゥはバイクに乗って彼らを誘いに来る。彼のバイクよりも馬の方がずっと速いのが、何だか楽しい。
年かさの少年達は彼らに「拾ったピンポン球を見せろ!」と迫る。
馬を追い、映画会が開かれ、行商人が持ってきたコーヒーを飲む。
この映画が映し出しているのは、彼らの冒険ではなくて、そういう変わりつつある暮らしだと思う。
ピンポン球の正体はなかなか判らない。
光らないし、中には何も入っていないようだ。
でも、映画の映写技師に「ピンポン球だ」と教えてもらい、ダワーの家にあるテレビで画像は見られないながら「ピンポン球は国歌の球だ」とアナウンサーがしゃべっているのを聞く。それは、中国が卓球で世界のかなり上の方に進出していることを伝えていたのだけれど、彼らは「そんなに大切な物なら国に返しに行こう」と思い立つ。
「国」は北京にあるに違いない。
北京を目指して出発したのだけれど、彼らは北京がどこにあるのか、どれほど遠いのか判っていない。
砂漠の向こうにあると信じて進む。
でも、砂漠にもたどり着かないうちに暗くなり、バイクの少年は家に帰ろうとしたのだけれど食料を自分が持ってきてしまったことに気づき返そうと追いかける。ところがガス欠でバイクが止まってしまう。
通りかかった警察車両に拾ってもらい、一晩かけて馬の越冬用の小屋でお腹を空かせていた2人の少年を捜し当て、そのまま車で送ってもらう。
もちろん彼らの家では大混乱し心配し帰ってきた彼らを怒る。
ダワーは母にお尻を叩かれまくり、エルグォートゥはその様子を見て「子どもはいつもぶたれ役だ」と呟く。彼の家だけは映されないことと何か関係があるんだろうか。
ビリグはこの「北京ゆき大冒険」のきっかけとなったピンポン球を母に潰されてしまう。
潰れたピンポン球を預かったダワーがそれを鉄の輪っかと交換したことでビリグと喧嘩になり、ビリグの父親に「仲良く分けろ」とピンポン球をナイフで半分に裂かれてしまう。
母にピンポン球を潰されたときか、父にナイフで割られたときか、7歳のビリグの「子どもの時代」は多分どちらかのときに終わったんだという気がした。
煉瓦の家を造って定住しようとしているビリグの一家とは逆に、ダワーの一家はゲルを畳み別の場所へ移ってゆく。
エルグォートゥから「ダワーから引っ越すから返してくれと言われた」と半分のピンポン球を渡されたビリグはダワーのゲルに向かうが、彼のゲルはもう影も形もない。
ビリグ自身も、学校に入るため、劇団に入ることに決まった姉と一緒にこれから街へ向かうのだ。
やっぱり、最後に取り残されてしまったエルグォートゥが気になってしまう。
入学式に臨んでいるビリグがふと何かに気づき、トイレと嘘をついて体育館を覗く。
扉を開くと、そこは無数の卓球台が並び、卓球の練習に励んでいる子どもが大勢いる(のだと思う)。そこでラストだ。
実際の映像としては、扉を開き、卓球の音が大きくなったところで暗くなる。「無数の卓球台」は想像させるだけだ。
やっぱり、ビリグの子どもの時代の終わりと、ゲルでの暮らしの時代が終わりつつあることを描いている映画なんじゃないかと思う。
カメラは一ヶ所に据えられていることが多い。
そこからは、はるか遠くまで続く草原と、遠くの山と、何故か薄曇りのことが多い空がある。
この映画の季節はやっぱり夏だろうか。秋だろうか。
抜けるような青空と草原を見たかったようにも思う。
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