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「血の婚礼」
原作 フェデリコ・ガルシア・ロルカ
台本・構成・演出 白井晃
音楽・出演 渡辺香津美
出演 森山未來/ソニン/浅見れいな/岡田浩暉
新納慎也/尾上紫/池谷のぶえ/陰山泰
根岸季衣/江波杏子
観劇日 2007年5月11日(金曜日) 午後7時開演
劇場 東京グローブ座 2階B列12番
料金 9000円
上演時間 1時間55分
もっと観客の年齢層が低いのかと思っていたら、女性が圧倒的に多いものの意外と落ち着いた年齢の方も多くてちょっと驚いた。
2階席だったからか、オペラグラスの所持率が高い。
ロビーではパルコ劇場での再演が決まった「レインマン」のチケットが販売されていた。
パンフレットは1300円、ポスターは大700円、小500円だった。
ネタバレありの感想は以下に。
照明が暗めの舞台、白と黒のコントラストの強い衣装、血が流れる様を照明で表現するなど、随所に「白井晃っぽい感じ」満載の舞台だったと思う。
床に赤い血のしみが広がっていくところは、2階席からだとはっきり見えて、何だか得をした気分になった。
床から壁にかけてカーブを描いて一続きになっている舞台は、いつか見た白井晃が一人芝居をした「アンデルセン・プロジェクト」を思い出させた。
「血の婚礼」がどういうストーリーなのかとか、どの土地が舞台になっているかも知らないまま見てしまったので、最初に森山未來が踊り始めたときには「タップ?」と思ってしまった。申し訳ない。
手の動きがついたところで、フラメンコだったんだと判った。
踊っているときの森山未來はとても大きく見える。
ぶどう畑に行こうとする岡田浩暉演じる息子と江波杏子演じるその母親の会話で、息子が結婚しようとしている娘がいること、そのソニン演じる娘は何年か前に付き合っていた男がいて、その男(森山未來演じるレオナルドのことなのだけれど、多分、このお芝居で役名がはっきり呼ばれていたのは彼だけだったような気がする)は娘の従兄弟と結婚していること、レオナルドは母親の夫と息子を殺した男の一族であることなどなどが説明される。
ここまで聞けば、まあ、この息子とその娘の結婚は上手く行くわけがないな、ということが判る。
何しろタイトルが「血の婚礼」なのだ。
しかも、その娘も付き合っていた男も、何やら屈託ありげにしてるとなれば、なおさらだ。
全編に渡辺香津美が弾くギター曲が流れている。それが生演奏だというところが贅沢だ。
ただ、ギター演奏はマイクを(多分)使っていて、できればギターはマイクなしで聴きたかったなと思う。東京グローブ座の音響なら、十分に可能だったんじゃないだろうか。マイクなしの方が、スペインらしい音のような気がする。
渡辺香津美の衣装も場面に合わせて白を基調としていたり、黒を基調としていたり変化するところがいい。舞台の上手側と下手側と弾く場所が違っていることがあって、多分それには何かの意味があったのだと思う。
生の音と言えば、婚礼のお祝いのシーンやその他のシーンでフラメンコが踊られるのだけれど、そのとき、メインで踊っているのではない出演者もフラメンコのようなポーズで手拍子を打つ。
手拍子の音はバックに流れている音楽に入っているので、客席に聞こえている手拍子はほとんど音響装置を通した音だ。
何だかそれが不満だった。
手拍子を打って取り囲んでいる出演者を見ていると、何だか拍手の音はしていないような気がしてくるのだ。力強い打ち方ではなくて、手拍子のポーズを取っているように見えてしまう。
これも、その場で手拍子を打っているその生の音だけで通していたら、より緊張感が増して格好良いシーンになったような気がした。
もちろん、2階席から見下ろすように見ていたし、フラメンコのことなど何ひとつ知らないから出てくる勝手な感想だ。帰り道で恐らく1階席で見ていたのだろう方々が「こんなに近いところで見られて、凄い迫力だった」と話している声も聞こえていたし。
婚礼のお祝いの席から、花嫁と昔付き合っていた男が馬で手に手を取って逃げ出す。
逃げ出した2人を花婿が鬼気迫る感じで追う中(普段は人の良さそうな好青年が一度執念に取り憑かれた姿というのは怖すぎる)、新納慎也と尾上紫が踊るシーンがある。何だか怪しげな雰囲気が流れたし、綺麗だったけれど(特に上から見る形になったので、艶っぽさが増していたと思う)、でも、シーンの意味はよく判らなかった。
逃避行のイニシアチブを取ったのは、意外なことに、どうやら娘の方らしい。そもそも、その男が彼女の従姉妹と結婚したのも娘の画策の結果らしい。
その娘を奪い合って男同士がナイフで闘い、真っ暗になった舞台に娘の悲鳴が響く。
婚礼の席では白が基調の衣装だった人々が再び黒を基調とした喪の衣装に戻る。そして、幕である。
正直に言うと、何だかよく判らなかった。休憩なし2時間の舞台が少し長く感じてしまった。
一番判らないのは、全てのことに主導権を握って周りを振り回して、そして生き残ってしまった娘が何を考えていてどうしてそんな行動を取ったのかだ。
出演者陣を考えても、とても豪華な舞台なのに、何だか「勿体ない」という印象が強かったのが、それこそ私としては勿体なかった。主役2人を含めて、何故だかちぐはぐな印象がある。
台詞をしゃべっているときの森山未來にダンスと同じ以上の迫力があって、ソニンのフラメンコにもう一歩「鬼気迫る」という感じがあったら随分と印象が違っていたんじゃないかと思う。
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コメント
しのっぺ様、コメントありがとうございます。
実は、4ヶ月前に見たお芝居なのに、すでに印象が薄れているのですが・・・(申し訳ないです)。
ギターは、このお芝居のために特注したものだったんですね。知りませんでした。教えていただいてありがとうございます。
でも、そういう機械の力を借りない音が聴きたかったという気持ちはやっぱりありますね。
日本で「血の婚礼」を上演するには、何か思い切った翻案をしたり、踊る人と演じる人を分けたり、大胆な演出が似合うのじゃないかという気もしています。
投稿: 姫林檎 | 2007.09.23 16:02
そうですね、確かにギターにリバーブかかり過ぎ・・・生ギターなのに勿体ないなって気はした。
何でもマイク内蔵の、ギター本体から直接劇場PA卓につなげることのできる特注モノらしいです(エレキギターでは当たり前の機能ですけど)
ソニンは未來君よりは迫真に迫るいい演技だったと思うけど・・・
危うさとか儚さの陰に持つ自尊心、っていうか自我の強さっていうか・・・何か違うんだよね・・・フラメンコも軽やかさがなくて重いし。あれはキャスティングミス?
未來君にしても「感情を押し殺して」いるというより「ぶっきらぼう」「セリフ棒読み」にしか見えないのが残念。ダンスは相変わらず抜群に良いけど。
未來君ファンとしては応援して行きたいです!
投稿: しのっぺ | 2007.09.23 00:49