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2007.05.20

「藪原検校」を見る

「藪原検校」
作 井上ひさし
演出 蜷川幸雄
音楽 宇崎竜童
出演 古田新太/田中裕子/段田安則/六平直政
    梅沢昌代/山本龍二/神保共子/壤晴彦
    松田洋治/景山仁美
ギター演奏 赤崎郁洋
観劇日 2007年5月19日(土曜日) 午後6時開演
劇場 シアターコクーン 1階XC列1番
料金 9000円
上演時間 2時間15分(15分間の休憩あり)

 ロビーで売られていたTシャツ(2000円)が実は今も気になっている。栗色・浅黄色など、日本の色で染められ、後ろ姿(だったと思う)の薮原検校の姿が白で目立たないように描かれている。買うべきだったか。
 パンフレット(1500円)や手ぬぐいなども売られていた。
 また出演者らの関連するDVDや書籍なども売られていて、物販のコーナーは混雑していた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 舞台の天井がとにかく高い。最後になって「このシーンのためだったのね」ということが判るのだけれど、最初はあまりの天井の高さと、床の平らさに驚いてしまった。
 XC列は今回は前から2列目で、この天井の高さと傾斜のない床だと見えにくいかもと心配したのだけれど、結果的には全く問題なかった。
 蜷川幸雄の舞台はコロスというのかアンサンブルというのか、大勢出演者がいることが多いように思っていたので、「出演者」のところに書いた10人で入れ替わり立ち替わり全ての役を演じるのが意外な感じだった。

 ギターは生演奏。
 舞台の途中で歌が入り「こういう歌の入り方って井上ひさしみたい」と思ってから、「そうだ、このお芝居は井上ひさし作だった」と思い出した。
 歌を聴いて、何となく蜷川幸雄演出番の「天保十二年のシェイクスピア」と感じが似ているなと思ったら、どちらも音楽は宇崎竜童が担当していた。どうもボケている。

 芝居は章立てになっていて、その章のタイトルと、歌われている歌の歌詞が電光掲示板で流れる。
 これは、歌詞の意味をはっきりと伝えるためなんじゃないかと思う。際どいを通り越した露骨な言葉が歌詞にかなり多く使われていた。DVDが出たらきっとこの部分は無音かピー音が入るだろうな、というくらいの際どさ・露骨さだ。
 それでも、耳で聞いただけでは、多分意味を掴めずに「聞き慣れない言葉」で聞き流していたと思う。歌詞を電光掲示板で示すことで、それを許さないことにしたのだと思う。

 先に見た友人に「ダークだよ」と言われて覚悟していたのだけれど、実はそんなにダークだとは思わなかった。
 歌が入ったり、「ここは人数の関係で私が演ります」などと語りに徹していた壤晴彦がいきなり二役をやったり、主役の薮原検校を演じた古田新太が作り出す「緊張と緩和」の「緩和」の威力なのか、どちらかというと「軽み」という言葉がこの舞台には似合うと思う。

 薮原検校(杉の市、酉の市と名前を変える)は、自身の出世のために母を殺し、師を二度に渡って殺し、病に苦しんでいる道ゆく人を金のために殺すのだけれど、何だか悪い人には見えない。
 もちろん善人ではないのだけれど、横暴な検校に腹を立ててつい反抗してしまう、母を莫迦にした男を殺そうとして誤って母を刺してしまう、自分を検校に差し出して保身を図ろうとした師を逆に殺してしまう。田中裕子演じる師の奥さんお市を寝取ったりもしているのだけれど、どうも、この辺りまでの杉の市は、なりゆきで転がり落ちているようにしか見えない。
 母にとどめを刺した後、これで後顧の憂いはなくなった、というようなことを万歳して叫ぶのだけれど、それだってどちらかというと哀しく見える。

 むしろ薮原検校よりも、「品性と学問で盲人の地位を上げるのだ」と主張する段田安則演じる塙保己市の方が、実は計算高くて業の深い悪人のように見えた。
 何しろ、杉の市を残酷な刑に処すことが人々を倹約の道に進める方策だと言い、その「残酷な刑」の中味まで指定し、進言する。本人は「花道を造ってやったのだ」と本気か自分をごまかすためか言うのだけれど、それってやっぱりどこかに悪意があり、自分の手を汚さずに実行しようとしている、それこそ品性の低い人間なのじゃないかという感じがしてしまう。
 こういう「凄み」と「抱え込んだ悪」は、やっぱり段田安則だ。

 お市を演じた田中裕子が格好良い。
 お市は、夫である杉の市の師を殺し、返り討ちに遭い、でも助けられて検校になる直前の杉の市と江戸で再会して川に突き落とされ、検校になったお披露目の会場に向かう杉の市に殺される。殺されたことで、杉の市の悪行が暴かれることになるのだから、彼の人生の転換点の全てに影響し立ち会っていると言っていいくらいだ。
 この不死身な感じといい、艶な感じといい、年齢不詳の美しさがあって魔物のようだ。口跡の良さとあいまってとにかく格好良い。歌声も何だかまるで中島みゆきのようだと思ってしまった。

 古田新太の「早話」だったか、村々を渡り歩いて芸を見せるシーンを実際にやってみせる。
 それが、一人でかなり長い間(要するに、お話ひとつ分)を途切れることなく語り続ける。時に咳払いし、時につっかかりながらも、そこは迫力で押し通し、白餅と黒餅の戦いを語る。
 語り終えたときには大拍手だった。

 男優陣の声にはもう惚れ惚れとしてしまう。悪役を演じているときも含め、みんながこんなに常に格好良くていいのかというくらいだ。
 だから、女優陣が(役柄も含めて)損をしている感じだ。

 ラストシーン、塙保己市の進言通りに薮原検校が処刑される場面、刑の執行役を演じたのがこれまた段田安則だったのが意外というか皮肉だ。
 それはともかくとして、つり下げられた人形が本当によくできていて、下半身を一刀のもとに切り落とし、重心が移って頭が下がったところで首を斬る、後方の席で見ていたら逆に人形らしさが減少して夢見が悪くなるかも、と思った。

 やっぱり、「出世するには金だ」と言い切り、薮原検校として死んでいった杉の市は、それでもやっぱり悪人には見えなかった。
 じゃあ、何が(誰が)悪いのか、感じなければいけないのだと思う。
 だから、この芝居の始まりは、「何故、北東北にきんぎょ(けんぎょう)池や盲ヶ渕といった地名が多く残っているのか」という語りなのだと思う。

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