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「お気に召すまま」
作 W・シェイクスピア
演出 蜷川幸雄
出演 成宮寛貴/小栗旬/吉田鋼太郎/田山涼成
高橋洋/月川悠貴/大石継太/他
観劇日 2007年7月20日(金曜日) 午後6時30分開演
劇場 シアターコクーン 2階E列7番
料金 7500円
上演時間 3時間15分(15分間の休憩あり)
S席を申し込んで2階の最前列になるよりは、A席で今回のように2階の最後列になる方が舞台は見やすいかも知れないと思った。
でも、今回のお芝居は客席の通路を使ったお芝居が多くて、前の席に座った人に身を乗り出されてしまうとほとんど何も見えない。しかも、私の前に座っていた3人組はおしゃべりはするし、オペラグラスの貸し借りで手をのべつまくなしちらちら振っているしで、集中できないことおびただしい。
こういった人気公演は客席のマナーが最大の課題だといつも思う。
ロビーでは、パンフレットの他、Tシャツやビーチサンダル、バックなどが売られていた。
その他、5本くらいの公演のチケットが販売されていた。「レインマン」「ヘアスプレー」「錦秋」「エレンディラ」「ウーマン・イン・ホワイト」だったと思う。
ネタバレありの感想は以下に。
2階席の最後列から見ていたので、遠い代わりに舞台全体がよく見える。
ただ、本当に通路を使ったお芝居が多くて、その半分以上は見えない。どうにか考えてくれないかな、と思う。オーロラビジョンを設置しろとまで言うつもりはないけれど、それくらいしてもらわないと何となく消化不良の感じは残る。
登場から、客席の通路をダッシュで全員が私服(っぽい格好)で舞台上に整列、だった。
オールメールシリーズの第何弾かの再演で、私は初演を見ていない。
シェイクスピアの頃は、イギリスでも舞台には男性しか上がらなかったというから、同じような雰囲気だったかのかな、思いながら見ていた。
でも、舞台上に男性しかいないことが通常だとすると、「男性が女性を演じる」ということにそれほど奇異な感じは受けなかっただろうし、歌舞伎を見ているように見ていたのかもしれないとも思う。
月川悠貴は相変わらず凄くて、遠目には本当に女性と変わらなく見える。裾の広がっていないスカート姿でも細くたおやかに見えるし、最後のウエディングドレスのシーンでは肩を出したドレスを堂々と着こなす。しゃべり方の感じも、独特だと思うけれど不自然ではない。「はまる」の一言だ。
成宮寛貴は、男性が女性を演じていて、しかも演じている女性は男装しているという頭のこんがらがってしまうような役だ。
男装しているという設定のためもあると思うけれど、細かな仕草をオーバーにして「女の子らしさ」を表現し、ついでに笑いも取る。その演じている感じがいかにも楽しそうなところがいい。
女の子の声と男の声とを使い分けて、その使い分けが時々混乱してしまう芝居もあって、可笑しい。台詞を噛まなければもっといいと思う。
この「可笑しさ」はシェイクスピア劇に元々あるものなのか、日本でシェイクスピアのお芝居を男優だけで演じるという設定から必要になった(あるいは演出効果として選択された)可笑しさなのか、どちらなのかなと思って見ていた。
この「可笑しさ」を少し強調して少しナナメにすると羊飼いの女たちになるのだな、そのギリギリで踏みとどまっているのは成宮寛貴の力だなと思ったりもした。
羊飼いで思い出したけれど、何故か舞台には本物の羊が登場し、大人しく引っ張られたり抱っこされたりして、出てくるだけで笑いを取っていた。
田山涼成演じる道化が「コイツは出てくるだけで笑いを取って!」と叫んでいたくらいだ。
正直なところ、羊が出てくると周りの席の人が何故か当然のようにしゃべりだすのに閉口してしまい、羊には何の罪もないのだけれど、何度も出てくる頃には「出てくるな!」と心の中で叫んでしまった。
前回の「恋の骨折り損」でも思ったけれど、今回のお芝居でも、女の子達は可愛らしく残酷だし、男たちは(時々なぐりたくなるけど)愛すべき莫迦ばかりだ。
森の木という木にラブレターのような詩を彫りまくる小栗旬演じるオーランドーなんて、莫迦の代表選手のようなものだ。演じている本人に多少の照れがあるのかなという感じが微笑ましいし、このお芝居に合っている。
でも、男性は男優さんが演じ、女性は女優さんが演じ、照れとかコメディタッチの部分とかをなしにして、本気でロマンティックに作ったら、オーランドーに惚れちゃうかもという感じもした。
本気でロマンティックに作ったら、オーランドーの兄が突然いい人に180度転換したりとか、その兄と月川悠貴演じるシシリーとが突然恋に落ちてあっという間に結婚を決めたりとか、そもそもオーランドーと成宮寛貴演じるロザリンドがいきなり恋に落ちたりとか、そういう成り行きの全てが気になって仕方がなかったかもしれない。
最大の謎は、兄である吉田鋼太郎演じる元公爵を追放した(この公爵はロザリンドの父でもある)、シシリーの父である現公爵が元公爵を攻撃しようと軍を仕立ててアーデンの森まで来たけれど、インドの老人(と聞こえたのだけれど本当だろうか?)に森の入口で出会っていきなり改心してしまうところだ。
何故そうなったか、という説明が一切ないところがいっそのこと潔いくらいだ。
しかも、「改心した人には聞くべきことがある」と言って、元公爵のところにいた高橋洋演じるふさぎ屋の若者がいきなり軍を返した現公爵のところに行ってしまうのもよく判らない。
しかも、この後は、婚礼の宴になって幕なので、事実上、物語は彼が現公爵のところに去ってしまうところで終わっているのだ。
心の中で「ご都合主義だ〜」と叫んでしまった。
追放されていた元公爵は復帰することになり、その娘と結婚するオーランドーはゆくゆくは公爵の財産を相続する。オーランドーの兄は現公爵から没収された土地を返され、現公爵の娘と結婚する。その他にアーデンの森で2組の結婚式が執り行われ、大団円で幕である。
ご都合主義の展開も含めて、楽しかった。
多分、舞台近くの席で見ていたら、2階からだと少し長いと思ったシーンなども、俳優さん達の化け振りを見て楽しめ、時間が短く感じたくらいだったんじゃないかという気もした。
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コメント
都弥乃さま、コメントありがとうございます。
そうなんです!
チケットを取るときには「全く見られないより、A席で見切れる部分があっても見られた方が嬉しい」と思って取った筈なんですが、それでも実際にお芝居を見てしまうと「もっとちゃんと見せろ〜」と思ってしまうんですよね(笑)。
今回は、本当に通路でのお芝居が多かったので、特にそう感じてしまいました。
それはそれとして、シェイクスピアのお芝居って「どうしてそうなるの?」って登場人物に聞きたくなることがよくありますよね(笑)。
私はオーランドーのお兄さんとシーリアのお父さんに改心した理由をぜひ聞きたかったです。
投稿: 姫林檎 | 2007.07.22 16:42
こんばんは。
ついにご覧になりましたね。
おっしゃるとおり、この作品は1階席で観る方が
臨場感があったかと思います。
コクーンの構造上、仕方ないですね。
それにしても、ついてないお客様の近くになってしまいましたね。
こういっちゃなんだけど、やっぱりマナーの面が気になる
お客さんは今回多い気がしました。
でも、この舞台はみんながそれぞれ滑稽だし、でも真剣で、
とても幸せな気持ちになれます。
ナリちゃんがもっと口が回るようになれば・・・
と思いますが、初演よりはかなり成長しました。
洋さん演じるジェイクイズが、何故そんなにもお祭り騒ぎを嫌ったり
孤独を愛してるんだろう???
というのが、再演で観てもちょっとよくわかりませんでした。
単なるヒネクレもんなのかしら?
観方が浅いので、わからなかったなー。
投稿: 都弥乃 | 2007.07.21 22:22