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2007.08.11

「失われた文明 インカ・マヤ・アステカ展」に行く

 2007年7月14日から9月24日まで、上野の国立科学博物館で開催されている「「失われた文明 インカ・マヤ・アステカ展」に、今日行って来た。当日券(大人)は1400円である。

 国立科学博物館のWebサイトで混雑状況を配信しており、「待ち時間なし」になっているのを確認して出かけた。
 けれど、午前中よりも午後の方が混んでいたらしく、14時30分くらいに到着したら、確かに待ち時間なしで入場はできたけれど、内部はかなり混雑していて、係員のお姉さん達が始終「場内が混雑していて申し訳ありません。少しずつで構いませんので進んでいただけますよう、ご協力をお願いいたします。」と声かけするような状況だった。

 「どうしても見たい」と思った、例えば翡翠の仮面(実は3点出展されていた)のところでは並び、少し進んで空いたようだと戻り、という感じで、混雑していたなりに楽しんで来た。
 渋滞の原理と同じなのか、一番手前の「マヤ」よりも、次のアステカ、さらに最後のインカの方が幾分空いていたように思う。

 マヤ文明のパートは、何といっても翡翠の仮面3体が光っている。
 翡翠はユカタン半島北部(だったと思う)でしか産出されない貴重なもので、緑色は生命の源の色とされていたこともあって、特にマヤでは珍重されていたのだという。
 その翡翠で作られた仮面が、カラクルム遺跡などで発掘されている。緑色のモザイクで覆われ、目は白く、黒目は黒く、口は赤く塗られている。仮面なのに目と目が合うようでちょっと怖い。

 この仮面の印象があまりにも強かったせいか、「密林の中の遺跡」という画像が流れていたせいか、王がジャガーを足蹴にして従えている石碑や、黒曜石の人形、盛んに行われていたという球技で浸かった防具を石で作ったもの、カカオの実を体中に付けた神様の土偶などもあって面白かったのだけれど、マヤ文明は「緑」というイメージが強く残った。

 そして、実は、この3つのパートの中で一番楽しかったのは、アステカ文明だった。
 アステカ文明の都市はスペインに徹底的に破壊されてしまい、その後にメキシコシティが作られたので、例えば、マチュピチュやティカル、テオティワカンのような形では遺跡は残っていない。
 でも、少しずつ発掘が行われている。

 アステカの神様の意匠は、何故かシンメトリである。
 インカ・マヤ・アステカに共通の特徴なのかと思って、途中で引き返して見てみたりしたのだけれど、明らかにシンメトリなのはアステカ文明だけだったように思う。
 そして、意匠になると三頭身くらいのバランスで造形されていたりして、どことなくユーモラスである。親しみを感じる。

 そして、例えば、雨の神トラロックを模した壺は青く塗られているのだけれど、全体として「赤」という印象が強い。
 人を生け贄に捧げることで自然の運行が守られると信じられていたという説明があったり、赤いスポットが当てられたりしていたこともその印象を強めているのかもしれない。
 そして、土器の彩色もどちらかというと明るめの赤を使ったものが多いように思えたし、「ワシの戦士像」や、死の神である「ミクトランテクトリ神像」など、ほぼ等身大の彫像が赤みがかった色をしていたせいかも知れない。

 インカ文明の展示では、いきなり「金」が並ぶ。
 だから、インカ文明のイメージカラーは「金」で決定である。実際、アンデスで金銀を産出しており、インカの富は相当なもので、インカ帝国最後の皇帝はスペインの求めに応じて自らの身代金として大きな部屋いっぱいの金銀を差し出したそうだ。(スペインは、その後、約束を違えてこの皇帝を殺してしまっている。)

 今ではインカ帝国第9代皇帝の私領であったと考えられているマチュピチュからは、しかし、金のものは腕輪が一つだけしか発見されていないそうだ。
 その腕輪が展示されていたのだけれど、他の金製品の展示物に比べて明らかに薄い。ペラペラな感じさえする。これは、富の衰えを示しているのか、あるいは金を加工する技術の高度さを示しているのか、どちらなのだろう。

 代々のインカ帝国皇帝はミイラの姿になって死後も大切にされていたそうなのだけれど、スペインに全て焼かれてしまって残っていない。
 展示されていた、ミイラの親子は、死後も髪を編んでもらったり手入れをしてもらい、家の中で家族の一員のように扱われていたそうである。
 その人のミイラはもちろんのこと、犬のミイラ、恐らくは副葬品として一緒に埋葬されたクイのミイラなどもあって、そちらはさらにグロテスクな感じだった。
 乾燥した気候のため、普通に埋葬してもミイラになったという。それなら、死は日常生活からそれほど遠くにはなかったかも知れないと思う。何しろ、姿が「残る」のだ。

 混雑していて、解説を読み飛ばしたところも多かったせいかも知れないのだけれど、この3つの文明の関係についてがあまり語られていなくて、イメージとして掴みにくかったところがちょっと残念だった。

 物販のコーナーでは、DVDやカタログ、Tシャツやクリアケース、タオル、キーホルダー、マグカップ、コースターなどの、ミュージアムショップ・グッズがかなり充実していた。
 また、中南米の織物や民芸品、アクセサリーなども販売されていたけれど、「いつかグアテマラに行って買うんだ」と思い、なるべく近づかないようにした。
 インカ・コーラという、ペルーで飲まれている黄色の炭酸飲料も売られていて、2004年9月のペルー旅行以来、再び飲んでみたいとかなり惹かれたのだけれど、重さに負けて断念した。
  
 国立科学博物館の公式Webサイトはこちら。
 (ここのトップページに、「インカ・マヤ・アステカ展」の待ち時間情報へのリンクが貼られている。)

 「インカ・マヤ・アステカ展」の公式Webサイトはこちら。
 (ここのトップページに、「お盆期間は混雑が予想されます」と書いてあった。わざわざ混雑する時期を選んで行ってしまったらしい。ショックだ。)

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