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2007.08.26

「エレンディラ」を見る

「エレンディラ」
原作 ガルシア・マルケス
脚本 坂手洋二
演出 蜷川幸雄
音楽 マイケル・ナイマン
出演 中川晃教/美波/品川徹/石井愃一
    松下砂稚子/立石涼子/國村隼/瑳川哲朗/他
観劇日 2007年8月25日(土曜日)午後0時30分開演
劇場 彩の国さいたま芸術劇場大ホール 1階O列21番
料金 12000円
上演時間 3時間55分(15分間、10分間の休憩あり)

 ロビーで混雑していたのは、パンフレット(1500円)や原作本、Tシャツなどが売られている物販コーナーではなく、来年上演される「身毒丸(白石加代子・藤原竜也出演)」のチケット先行予約のコーナーだった。
 「身毒丸」は6年前の「これが最後の白石加代子と藤原竜也」というバージョンを見ていて、さて、封印を解いて上演するというのを見るべきかどうか迷ったのだけれど、「身毒丸」は凄いお芝居だと思うけれど好きなお芝居ではないよな、という結論になって見送った。後悔するかも。

 ネタバレありの感想は以下に。

 白い紗の布には大きく裂け目が入り、舞台前面と両脇を覆っている。この半透明の感じが、砂漠にもなるし海にもなる。
 舞台の奥行きを目一杯使い、その一番奥からライトで作られた砂漠の中の道を、パレードというかサーカスというか、「これから村の中心になる」人々が歩いてくる。それがオープニングだ。
 彩の国さいたま芸術劇場の舞台の奥行きは、通常の3倍くらい(見た感じでは、舞台の横幅の2.5倍はある感じ)あって、蜷川幸雄演出がしばしば客席を使うのは、舞台が狭いからなんじゃないかと感じた。

 砂漠と海という描写から、何となくサハラなのかと思っていたのだけれど、舞台はカリブだったらしい。
 天使のような羽の生えた年老いた男が板に乗せられて運ばれてくる。
 遠く、舞台の一番奥に中川晃教がスポットに照らされて宙に浮いているように見える。
 彼(ら)は誰なのか、何なのか、というところから物語は始まる。

 瑳川哲朗演じる祖母と、美波演じるエレンディラが大きな屋敷で暮らしている。エレンディラはまるで召使いのように祖母に傅いている。
 最初は、エレンディラは目が見えないという設定なのかと思ったくらい、その動きはどことなく機械的で「何も見ていない」という感じがある。そのうち、やっぱりエレンディラは目が見えるようだと判り、多分、見えていないのはこの先の未来なんだなという印象に変わる。

 このエレンディラが、華奢で細くて声も高く細くて手足が長くて、妖精みたいに可愛らしい。
 一方の祖母は、でっぷりと太って顔にもお肉としわがたっぷりついていて、貫禄十分だ。彼女が入浴するシーンがあるのだけれど、着ぐるみででっぷりとお肉がついていて、乳房も異常に大きくて、ぶよぶよの背中一面に黒で刺青が入れてある。一目見て「あなたには逆らえません、ごめんなさい」と言いたくなる。
 実際、エレンディラは従順そのものだ。

 エレンディラが屋敷を丸焼けにする火事を出してしまい、彼女は祖母に「借金を返せ」と言われ、祖母が女衒に、彼女は娼婦になる。
 ここまでの展開がやけに早い。
 恐らく初めて、男に胸に触れられたエレンディラが笑うのは、何かを暗示しているのだろうか。それまでの禁欲そのものの無表情の彼女が初めて見せた笑顔がそれだというのは、かなり異様だ。

 あっという間に砂漠中で評判になったエレンディラのところに、父親とオレンジの密輸中の中川晃教演じるウリセスがやってくる。
 始まりは何故か「時間外にエレンディラがウリセスを客に取る」という設定なのが、多分、悲しい。エレンディラにとっては、「時間外」が「好意」なのだけれど、お金はちゃんと取るのだ(そして、抱き合って恋に落ちた後も、彼女がお金を返した気配はない)。

 そもそも、ウリセスが初めて見たエレンディラが入浴中だったのだけれど、劇中でエレンディラは一体何回服を脱いだのだろう。最初は後ろ姿だけでも「え?!」と思ったけれど、美波の様子が一点の曇りもなく潔いせいなのか、何度も一糸まとわぬ姿をさらしているのだけれど嫌らしい感じがない。「ただそこに美しいものがある」という風に見える。

 ウリセスとエレンディラは祖母から逃げようとするけれど、あっという間に捕まる。
 エレンディラは、修道院に半ば監禁されるのだけれど、祖母の計略で修道院から出るために結婚させられそうになると「どうせ縛られるならおばあちゃんと一緒がいい」と叫ぶ。
 判らない。
 おばあちゃんと一緒にいればまた娼婦に戻らなければならないことは判っているのに、それを選ぶ。
 ウリセスが後に「彼女を縛っているのは彼女自身だ」と言っていたことの意味がよく判る。

 海沿いに移って相変わらず祖母と一緒にいるエレンディラを、ウリセスがやっと見つける。
 そのウリセスにエレンディラは「おばあちゃんを殺して」と言う。
 毒薬を飲ませて失敗し、火薬を仕掛けて失敗し、大きな包丁でめった刺しにしてウリセスがやっと祖母を殺したとき、エレンディラが(多分)このお芝居始まって2度目の笑みを見せる。今回は、何とも言えない、ニヤリという邪悪というかしてやったりというか、笑みだ。

 そして、エレンディラは走って姿を消す。

 場面は、最初の「羽をはやした男」のところに戻る。
 彼は、本人の希望で丘の上にある「エレンディラ」という娼館に移されている(「しょうかん」と言われて、頭の中で「娼館」に変換するのはかなり大変である)。
 海に向かって毎日飛ぶ練習をしている。

 國村隼演じる作家は、どうやらこの巷間に流布している「エレンディラ」の話を小説にまとめた人物で、でも自分が書いた「ウリセスが祖母を殺し、エレンディラはウリセスから逃げた」という結末を信じていないらしい。
 そして、病に倒れているこの娼館の元女主人が実はエレンディラ本人であり、彼女が祖母を殺したのだと言うことを知る。
 同時に、ウリセスとエレンディラは互いの存在を知り、やっと死んでゆくことができる。

 そうだよ、ずっとあんなに理不尽な環境にいてそれでも「おばあちゃんを殺せない」なんて言うエレンディラは信用できないよ、と思った。
 何故か「納得」という気分が強かった。

 4時間近い上演時間なのだけれど、意外なくらいあっという間だった。
 上演時間を知ったときは、中川晃教が主演なのだし、音楽劇やミュージカルに近いのではないかとも思っていたのだけれど、実際はそれほど歌は多くない。一幕と二幕の最後に中川晃教が歌い、祖母が夢を見ながら歌っていたくらいではないだろうか。

 エレンディラに未来が見えたり、祖母が神懸かり的に逃げたエレンディラを捕まえたり、ウリセスの母が息子の将来を見通して案じたり、そもそもウリセスが羽を生やしたり大きなダイヤモンドを大きなオレンジから取り出したりしてみせるのは、彼女たちが「ワイ族(と聞こえたけれど、実際は違う気がする)」であることによるらしい。
 多分、それはこの「エレンディラ」という物語の後ろに大きく流れる背景で、その民族のことを知っているとこの物語の意味は恐らく全く変わってくると思うのだけれど、私にはよく判らなかったのが残念だ。
 よく判らないといえば、祖母につかず離れずついてきて、最後にはウリセスとエレンディラの再会まで演出してしまう「写真屋」のおじさんの存在も謎だった。何者なのかよく判らないのだけれど、ポイントを押さえて現れて、何だかんだと祖母にも気にされている。変な言い方になるけれど、この「エレンディラ」という(お芝居の中ではなくて)物語の中ではかなり美味しい役どころだなと思う。

 判りにくい物語だしお芝居だと思うけれど、お腹いっぱい堪能した。
 そういうお芝居だった。 

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