「円生と志ん生」を見る
「円生と志ん生」こまつ座
作 井上ひさし
演出 鵜山仁
出演 辻萬長/塩田朋子/森奈みはる/池田有希子
ひらたよーこ/角野卓造
観劇日 2007年11月17日(土曜日)午後6時30分開演
劇場 紀伊國屋サザンシアター 6列3番
料金 5250円
上演時間 2時間40分(15分間の休憩あり)
3週間ぶりで芝居を見に行って来た。
何だかとても久しぶりな感じだった。
見終わって、これは背景が判った方が面白く見られるお芝居なのじゃないかという感じが強かったので、こちらも久しぶりにパンフレット(900円)を購入した。
他に、井上ひさしの著作や戯曲、過去のこまつ座公演のパンフレットなどが販売されていた。
パンフレットも購入し、いつものとおり高島屋に向けて連絡通路を行こうとしたら、こまつ座の方が「高島屋のエレベーターは混雑していますので、紀伊國屋のエレベーターをご利用ください」とアナウンスされていた。
高島屋横のデッキのイルミネーションも併せて、もう世の中的にはクリスマス・シーズンが始まっているのだなと思った。
ネタバレありの感想は以下に。
言うまでもないことなのだけれど、私は全く落語に詳しくない。
「円生と志ん生」のお二方が落語家なのだろうということは判るけれど、さて円生の上には何とつくのか、志ん生のフルネーム(とは言わないのだろうと思う)は何だったのかと、それさえ判らない。
芝居の題材になって、タイトルにもなっちゃうのだから、きっと「名人」と言われた方なんだろうなというくらいの感じである。
最初のうちは、何だか辻萬長演じる円生が気の毒な感じがして仕方がなかった。
角野卓造演じる志ん生に「大連に行こう!」と景気よく誘われ、陸軍軍属として満州を回っている間に終戦となって帰国できなくなり、その間の金勘定を全て任され、それなのに志ん生はサイコロ賭博でなけなしのお金を全てすってしまう。
滞在していた旅館で相部屋になったご婦人方に睨まれるきっかけを作ったのも、「福助」の女将さんから紹介された歯医者さんを追い出されるきっかけを作ったのも、どうも志ん生らしい。
円生がどうも貧乏くじを引きまくっているように見えて、何だか落ち着かなかった。
恐らく、そういうお芝居ではないのだろうと思っても、気になるものは気になるのだ。
逗留していた日本旅館で女たち(日本軍のエライ人の大連での奥さん2人に旅館の女将と仲居さん)が歌う歌が、「大日本帝国っ」と楽しそうで、表情も明るくて、だからこそこまつ座の舞台は戦中戦後を描けるのだと思いつつ、でも何だか違和感があった。
そして、日本旅館を追い出された2人は、「福助」という遊郭(とパンフレットの年表上は記載されているけれど、舞台上に現れたそこは「女たちが休める場所」という雰囲気である)に置いてもらったり、そこで自分たちがロシア軍から文化戦犯として指定され、捕まればシベリア送りだと逃げだし、「福助」の女将に紹介された場所もウォッカをくすねて飲んだことで追い出され、いわゆるシケモク拾いなどをし、炊き出しや残飯をもらうことで逃げ回りながら命をつないでゆく。
それでもこの2人は片時も落語のことを忘れず、そして喧嘩もほとんどしない。
落語の話を始めれば、それはいつまでもいつまでも続いていくかのようだ。
街の廃墟のようなところで火をたいて暖を取っていると、その落語の話に惹かれたかのように、女たちの(多分)霊が現れる。集団自決しようという村長の言葉に逆らって村を逃げ出し、それでも子供の命を守るのに精一杯で、通りすがりの中国人に預け、自分たちはそこで息絶えた。子ども達のお気に入りのものを渡すのを忘れてしまった。渡してやって欲しいと2人に懇願する。
2人ともすでに死んだ者たちだということは判っているのに怯えた様子はない。
それよりも「物」に託された気持ちを理解し、古道具屋の旦那の噺は実はこういう噺だったのだと納得し、理解することに夢中のようだ。
円生は、ここでも食べ物をもらってきたり「生きる」ためにそういえば一人で活躍しているのだけれど、この頃には不思議と「貧乏くじ」という感じ方をしなくなっていた。どうしてだろう。
その円生が、大連の今を生き抜くために、お金持ちのご婦人と期間限定、大連を脱出できるまでという約束で結婚してはどうかという話を持ってくる。
もちろん、2人とも日本に妻子を残している。
ここで休憩である。
実は、私は2人が本当にシベリアに行ったのだと勘違いしていて、いつ捕まってしまうのかとそれも気になっていたのだけれど、休憩時間にチラシを読み直し、シベリアには行かないのだと判って安心して2幕を見ることができた。
「期間限定の結婚」を円生はしたけれど、志ん生はしなかったらしい。
円生は俳優になって舞台に立ち、裕福そうにしている。一方の志ん生は、喫茶店で再会した円生からもらったお金で日本行きの密航船に乗ろうとする。
この喫茶店のシーンはとても象徴的で、夏目漱石全集を読んでいた女学生が「落語を聞いて二葉亭四迷は言文一致体を考えたのだ」と言い、「三代目小さんの落語を聞いて漱石は勉強したのだ」と言う。
その女学生の通う学校の教師達がやってきて、狭い場所であるからこその争いを始める。
「言葉がそのまま通じる場所に帰してください」という歌は、落語家である2人が日本語で落語をしたいということだけでなく、裏を読んだり裏切りを心配したりせずに言葉を交わせる関係に戻りたいということでもある。
この歌が、劇中で一番切ない。
志ん生は結局詐欺にあって大連に逆戻りし、行き倒れそうになって修道院に救われ、そこで「円生に遺言を」と言ったことで2人は再会する。
修道女たちは、真面目一方、志ん生の姿はボロボロで「イエス・キリスト」のイメージに近づいており、志ん生の正体は実はイエス・キリストなのだと勘違いするやりとりが可笑しい。
志ん生が繰り出す小話をなかなか理解できず、百面相をした最後にやっと理解して大笑いする彼女たちは、でも笑ったことで何かを吹っ切れたように見える。それが証拠に、この場所でがんばっていくことを決めるのだ。
引き揚げが始まり、志ん生がまず日本に戻ることになる。
円生は「大連限定の結婚」を解消するのに手間取り、怪我をし病に倒れた福助の女達と一緒に後日帰ることにしたようだ。
そして、幕である。
最初のうちは、何だか違和感があるな、しっくり来ないなという感じが強かったのだけれど、終わってみればやはり「こまつ座」だし「井上ひさし」だった。
本物の「円生と志ん生」を知らない私には、その2人を演じることの難しさというのか、実際の2人と比べてどうかということは全く判らないのだけれど、パンフレットを読むと、この通りではなかったのだろうけれど、こういう2人だったのだろうということが確信できる。
恐らく「人(にん)」に合っていた円生と志ん生はもちろんだけれど、この2人の落語家以外の役を全て演じ切った、4人の女優陣もやはり格好良かったし、見事だった。「演じ分け」ということに違和感が全くない。
てっきり初演と同じ出演者だと思っていたのだけれど、ひらたよーこ以外の3人は今回が初参加だったのだそうだ。やはり初演も見てみたかったな、かなり違う印象を与える舞台だったんじゃないかな、という気がした。
やはり最後には強く「説得」されてしまう、そして楽しい舞台だった。
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