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「からっぽの湖」AGAPE store#12
作 桝野幸宏
演出 G2
出演 松尾貴史/片桐仁/坂田聡/菅原永二
ぼくもとさきこ/久保酎吉/田中美里
観劇日 2008年2月16日 午後2時開演
劇場 紀伊國屋ホール B列3番
料金 6000円
上演時間 2時間10分
G2プロデュースのサイトで1週間くらい前に当日券の申込みをし、前日の午後10時までにチケットが確保できたかどうかメール連絡が入り、当日に窓口で支払いというシステムを初めて利用してチケットを入手した。
舞台を少し広げていて、A列が取り払われており、最前列だったのには驚いた。
紀伊國屋ホールは舞台が広いので、特別見づらいということはなかったけれど、いくつかのシーンで、役者さんが一列になってしまい、奥にいる役者さんの姿がすっぽり隠れてしまうということはあった。
ロビーでは、パンフレット、Tシャツ(2種類)、この公演のDVDの予約、出演者の過去の出演作品のDVD販売などが行われていたけれど、いずれも値段はチェックし忘れてしまった。
上演後、(この公演では珍しいことのようだったけれど)松尾貴史がかなりよくしゃべっていた。
だから、恐らく本当の上演時間は2時間くらいだったと思う。
それにしても、この終演後の挨拶での「風邪予防には、うがいよりも手洗いが有効である」「風邪予防のためのうがいは水で充分。上を向いて、舌を上に向けて、声を出して音波で汚れを浮かせるのが効果的である」「手洗いは泡立てた石けんで手首までよくよく洗い、しっかりと石けんを洗い流さないと意味がない。ただちょっと水で濡らしただけの手洗いは、却って風邪菌の繁殖を促してしまっている」という話がやけに記憶に残っている。
今日(17日)が千秋楽である。
ネタバレありの感想は以下に。
そこは、「野間口湖」という湖のほとりの寂れた休憩所のような場所である。
だいぶ、ガタが来ている。置かれている自動販売機も望遠鏡も故障している。
奥の壁にはネッシーを真似た生物の絵が描かれており、「横山参上!」とイタズラ書きがしてある。
その生物は「ノッシー」と呼ばれており、20年前に目撃されたきり、その後、見た者はいない。
そういう「トンデモ系」の雑誌編集者が、「ノッシー20周年」の取材に来ており、20年前にノッシーに深く関わらざるを得なかった男3人と同級生の女1人が集まっている。
そういう状況が、最初の数分の会話で明らかになる。
さて、この後どちらの方向に話が展開してゆくのか、さっぱり見当が付かない滑り出しで、不安なような、わくわくするような感じがする。
さらに、編集者を迎えに来た松尾貴史演じるペンションのオーナー(男3人のうちの1人である)が、何故だか「白雪姫と7人の小人」の小人のような格好をしているとなれば尚更である。どうも、それはペンションの差別化を図るための作戦の一環らしいということが判り、「ファンシーには一定の固定したファン層がある」という彼の説には首を傾げるものの、何となくほっとする。
照明の席から白い薄手のダウンコートが投げ込まれるのを機に、場面はスポットが当たった人物の回想シーンに入る。投げ込まれたコートを着た人物は、その回想シーンの登場人物である。
照明の力もあるし、ストップモーションで場面転換を知らせ、ノッシーの絵が回想シーンでは片付けられて真っ白の明るい光が後ろから当てられて回想シーンのみの登場人物を影のように見せるなど、この場面転換は判りやすいし早いし不安感も煽るし格好良いと思った。
格好良いといえば、例えば湖に向かって石を投げたとき、その石が水面を叩く音がその距離に応じた場所から聞こえたように思ったのだけれど、あれは錯覚なんだろうか。
坂田聡演じる男は、20年前にノッシーを目撃した人物の息子で、父親はノッシー騒動にのめり込んだ挙げ句に多額の借金を残して失踪してしまっている。
ぼくもとさきこ演じる編集者は、自分の書いた地底王国についての記事を信じた子どもに事故があったことを悔いている。
そこへやってきた、久保酎吉演じる男は、ナスノ湖に現れたナッシーを追い求めて会社も辞め、ついには妻子にも逃げられ、働いていたラブホテルのマネージャらしきヤクザまがいの男の元から多額の金を持ち出している。
バーベキューを始めようとした彼らの元に、突然ライフルを構えた男が現れ、鳥の剥製を作っていた彼は父の死を契機にその仕事を止め、鳥への贖罪のために鳥の保護をしているのだと告げる。
ある意味、この男と、田中美里演じる男3人の同級生でバツイチの女の2人だけが、ノッシーなどの未確認生物に囚われていない人生を送っている。そして、鳥の保護のためにライフルを持ち出し、鳥の羽を背中につけている男は「鳥の祟り」に囚われているとも言えるから、この女の「夫が浮気していた」という過去だけは、この登場人物達の中で異質のもののようにも感じられる。
ナッシー大使を名乗る男にやたらとつっかかっていた菅原永二演じる湖畔の喫茶店のマスターは、いきなり、ノッシーは自分とペンションのオーナーの男2人が高校生のときに仕掛けたイタズラだったと告げる。
その理由に、女が東京の大学に進学すると聞いて自分たちも何かやらなければならないと焦ったのだと言う。それを聞いた女が「勝手に私を巻き込まないで」と怒ったのは、ノッシーという呪縛に巻き込まないでという意味だったのかも知れないと思う。
この後の展開は、シリアスかつよく判らなかったりもする。
父親を破滅させるきっかけとなったノッシーが友人のイタズラだったと知って男が怒り狂うのは判るのだけれど、頭を冷やせと女に言われてその場をいったん去り、戻ってきたときには「工場に放火して父親の借金のきっかけを作ったのは自分だ」と告白して何ごともなかったかのように輪の中に戻るのは、よく判らない。
怒りというのはそれほど簡単に収まるものなんだろうか。
雑誌記者の女はいわゆる「超常現象」を全く信じていない。そのことをナッシー大使の男が知って、「商売だと最初から言えばいい」と静かに怒るのは判る。女が「私だって、眠れずに薬を飲んでいるんです」と言うのに、「そんなのはあんたの勝手だろう」と言い捨てるのにはヒヤっとさせられた。
でも、その後、なし崩しに彼の怒りは収束してしまったように見える。
この二つの怒りが何故かあっさりと収まってしまうところがよく判らなかった。
ナッシー大使の男が見せたノッシーの写真は、喫茶店のマスターの男の心をほんの少し軽くし、雑誌記者の女の心をほんの少し高揚させたけれど、怒りを収める働きはしていないように思う。
ラスト近く、ナッシー大使の男が、500万円を盗んでいたことを告白し、ノッシーが写った写真は実は家族を引き留めるために作ってもらった合成写真だと告白し、カメラをしまってその場を去ろうとしたとき、何か巨大なものが現れたような音と光が起こり、そこにノッシーが現れる。
ノッシーが去った次の朝、その場にいた人間達からは何か憑きものが落ちたかのようだ。
ナッシー大使の男は妻子と会おうという気持ちになり、剥製を作っていた男は雑誌記者の女とともに焼き鳥を食べに行く。
ペンションのオーナーの男は、成功に向けて真っ当な努力をしようという気持ちになっている。
喫茶店のオーナーの男も、高校時代から好きだった女に告白するのかも知れない(無理かも知れない)という雰囲気がある。
不思議といえばここが一番不思議だし、判らないと言えば本当にノッシーがいたのかとか現れたのかとかそれは本物なのかとか集団幻想じゃないのかとか、現れたからといってどうして目撃者の彼らがサッパリとした顔になれたのかとか、全てが判らない。
判らないけれど、何故だかこのシーンは「ふーん、そうなのね」とストンと納得してしまっている自分がいる。
結局のところ、当たり前のことながら、私が「判る」か「判らない」かというのは、お芝居そのものにとっても、もしかしたら私自身にとっても何の問題でもないのではないかと、今さらながらに思ってしまったのだった。
我ながら、遅すぎる。
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