« 「物語が、始まる」の抽選予約に申し込む | トップページ | 第15回読売演劇大賞発表 »

2008.02.03

「チェーホフ短編集」を見る

「チェーホフ短編集〜マイケル・フレイン翻案「くしゃみ」より〜」
作 アントン・チェーホフ
英訳 マイケル・フレイン
翻訳 小田島恒志
演出 山崎清介 
出演 伊沢磨紀/佐藤誓/山口雅義/戸谷昌弘
    三咲順子/山田ひとみ
観劇日 2008年2月2日 午後6時開演
劇場 あうるすぽっと A列12番
料金 5000円
上演時間 2時間30分(15分間の休憩あり)

 東京地下鉄東池袋駅直結のあうるすぽっとには初めて行った。
 区立図書館なども入った建物の、できたばかりの劇場は流石に綺麗で、でもカフェが営業していなかったりして、がらんとしているようにも感じる。

 最前列ほぼド真ん中の席だったおかげもあるとは思うけれど、それを差し引いても舞台と客席の距離がとても近くて嬉しい。
 ただ、最前列だと、舞台奥でのお芝居は多少見づらい。もう少し舞台が低いとさらに見やすくなるのかも知れない。

 ロビーはかなり広く取られている。
 パンフレット(800円)をついつい購入してしまった。

 チラシに山崎清介が扮したチェーホフの写真が使われていて、何となく山崎清介がチェーホフの役で出演するのかと思っていたのだけれど、演出のみだった。ちょっと残念である。

 感想は以下に。

 チェーホフの「ドラマ」「「外国もの」「たばこの害悪について」「白鳥の歌」「熊」「プロポーズ」の6作を一作のお芝居に仕立てている。
 チェーホフを読んだことがない私には、どこが「短編」で、どこが「つなぐためのシーン」なのか、見分けることができず、ただでさえ複雑な(と思える)構造になっているお芝居が、さらにこんがらがって見えた。
 でも、そのこんがらがっている感じがまたいい。

 旅の一座がやってきて、舞台をこれから演じようとする、というところから始まる。
 劇中劇をお見せしましょう、という趣向である。
 しかも、この始まりで、伊沢磨紀、佐藤誓、山口雅義と、子どものためのシェイクスピアシリーズで森の中で芝居の練習をしている村人達を演じた3人が揃っているところから出た遊び心なのか、いきなり「夏の夜の夢」のシーンから始まるのが可笑しい。
 子どものためのシェイクスピアシリーズのファンである私には嬉しい趣向だけれど、果たして、客席のどれくらいの人数に伝わったのかという気もする。

 そして、旅の一座が「ドラマ」を演じ始める。
 チェーホフ本人を彷彿とさせる作家のところに、「自称作家」の女性が現れて、自らの作をリーディングと称して演じ始める。
 早く妻子の元に出かけたい作家が、彼女が書いてきた脚本に手を入れて、あっという間に芝居を終わらせてしまうというオチが、何となく落語風で可笑しい。

 その女性が家に帰ると、そこは家族の食卓である。
 「外国もの」という、家族の食卓に一人混じった異国出身の家庭教師はやけに感じが良く、でも話を聞いていると、家庭教師をする子どもはすでにその一家にはおらず、夕食まで部屋で寝ていたらしい。
 それをあてこすりまくり、彼の母国を見下しまくる一家の主人は、一見、人格者風のしゃべりをする。
 この一編は「可笑しい」というよりも、居心地が悪い。
 チェーホフって相当にブラックな人だよな、という感じがする。

 一家の妹娘が「姉さんと兄さんの出会いって・・・」と水を向けたところで始まる、その出会いの話が「熊」である。
 それまで、会話はおかしいながらも見た目は普通の家族の食卓だったのに、そこから始まる「なれそめ」の話は強烈に場が違う。
 浮気をしまくり妻をないがしろにし続けた夫の死後も喪服に身を包んで「そんな奴にも誠実な愛を尽くせる」ことで夫に復讐しているらしい未亡人のところにやってくる、傍若無人な借金取り。明日までに金を作らなければ破産確実な借金取りと、明後日にならなければ手元に金がないから返せないと突っぱねる未亡人。
 ずっと黒いドレス姿だった三咲順子のその黒いドレスが威力を発揮して彼女は突然輝くように美しくなり、舞台を「夏の夜の夢」にし、衣装を着替えたりして作家の役に扮して舞台を始めるなどそれまでも七変化を見せていた山口雅義が思いっきり粗野になって現れる。
 何故か話は「決闘する」というところまでエスカレートし、未亡人は「殺してやる」と叫ぶ。
 ・・・という出会いだったのよね、と、一瞬にして場が食卓に戻るのが、やっぱりどこか落語風である。

 ここで休憩になる。

 二幕目は、さっきの食卓にいた一家の主人にしてはやけにナサケナイ感じだけれど、でもさっきから「講演をするんだ」とも言っていたし、でもキャラクターが違いすぎないか? といささかの混乱を伴って登場し、いきなり講演が始まる「たばこの害悪について」で幕開けである。
 講演している佐藤誓が、客席の咳などに役として反応しているのが妙に可笑しい。
 逆に言うと、客席の物音や咳払いに全く反応せず「聞こえなかったもの」として演じられている普段の舞台が、よくよく考えると不自然だということなんだろう。
 「たばこの害悪について」語り始めた筈が、つい家族内での愚痴になり、とうとう最後まで「たばこの害悪について」は語られずに結婚生活でため込んだ鬱憤を語り尽くし、このチョッキの背中のすり切れた様子を見てください! とくるりと背中を向けたところ、妻や家族が後ろにいたことに気づく。
 この、妻はずっと姿勢正しくぴくりとも動かずに背中を向けて座り続け、妻以外の家族がときに非難がましく、ときに気の毒そうに彼を見ているのが、印象的である。

 「たばこの害悪について」は佐藤誓1人で始まったのだけれど、次の「白鳥の歌」は伊沢磨紀1人で始まる。
 それにしても伊沢磨紀という女優さんは、どうして男性を演じてこんなにも違和感がないのだろう。大体、それまで着ていたスカートの衣装を「女役のこんな衣装を着ているから・・・」と呟きつつ脱いで、老いた俳優であることを納得させてしまうなんて、普通に考えたらあり得ない。でも、ここまで全員が色々な役を次々と演じてきていることもあって、全く違和感がないのだ。
 老優が、己の人生を振り返り、才能に溢れていたのにそれが開花しなかったことを嘆き、観客を呪う。客席にいる私たちは、「チェーホフ短編集」の観客であると同時に、この老優のリア王を見つめる観客でもある。
 舞台に立って、俳優の役を演じ、その台詞として客席をこき下ろし、呪い、怒鳴る。聞いていて、見ていて、何だか辛くなる。

 家族の食卓から何年か過ぎたのか、家庭教師だった筈の彼は隣家の青年となって「プロポーズ」しにやってくる。
 この青年が、心臓が弱かったり、寝ていると左脇腹が痛くなったり、興奮すると足が動かなくなったりする。戸谷昌弘が体を張って演じていて、まるでアクロバットのようだ。父親はあっさりとプロポーズを許すのだけれど、娘の方にプロポーズをしようとすると、両家の土地の所有権の問題だったり、両家が飼っている猟犬の優秀さの話だったり、山田ひとみ演じる娘も柔らかい声で語りつつも一歩も引かないし、青年はどんどん興奮してどんどん動きがおかしくなっていき、二人はどんどん険悪になってゆく。
 最後にこのプロポーズが上手く行くのがどうにも解せない。

 そして、観客が誰もいないことに疲れた旅の一座は、その舞台を去り、新しい舞台を求めてまた旅を始める。
 そこで、幕である。

 一編一編で、物語そのものを中心になって演じている役者さん達と、舞台の上とその世界ともう一つ外側の世界とのギリギリのところに立っている他の役者さん達の関わる感じが絶妙である。
 登場人物たちが、重なったり、ズレたりしながら、短編と短編とがゆるくつながりつつ舞台が進んで行く。
 最初は「どこまでが一かたまり?」「どこからが原作の短編にはない、作り込んだところなの?」などと気になっていたのだけれど、だんだん、どうでもいいような気がしてくる。
 ただ、そこで演じられているお芝居を楽しむというのが正解のように思う。

 明日(すでに今日だ)が千秋楽の週末なのに、空席が目立ったのがとてもとても勿体ない。
 絶対にお勧めである。

|

« 「物語が、始まる」の抽選予約に申し込む | トップページ | 第15回読売演劇大賞発表 »

*芝居」カテゴリの記事

*感想」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「チェーホフ短編集」を見る:

« 「物語が、始まる」の抽選予約に申し込む | トップページ | 第15回読売演劇大賞発表 »