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2008.03.08

「建築の記憶−写真と建築の近現代-」に行く

 2008年1月26日から3月31日まで、東京都庭園美術館で開催されている「建築の記憶−写真と建築の近現代-」に行って来た。

 平日の、夕方からは雨という天気予報、前日の木曜日に行けば学芸員の方のフロア・レクチャーがあり、翌日の土曜日に行けば記念講演会があるという狭間の日に行ったためか、館内は思いの外空いていて、のんびり見ることができた。

 入ってすぐの説明で「建てられた地から動かすことのできない建築は、実際にそこを訪れない限り見ることはできません。また様々な理由により形を変えられてしまったり、時代の変化とともに失われてしまうこともあります。したがってわたしたちの建築体験の多くは写真によるものなのです。」と書かれているのを見て、思わず「なるほど!」と言ってしまった。
 同時に、特別に建築にも写真にも興味を持っていない私などは、多くの建築を見ることはないままになってしまうのだろうなという風にも思った。

 今回、展示されていた写真は、ちょっとずつ「馴染み」がある写真が多くて、私にとってはとても親しみやすい感じがした。

 明治期(だったと思う)に撮影された熊本城の写真を見て、「ボロボロな感じがするけど、これが焼失する前の、本物の熊本城の姿なんだな」とか、「周辺の風景が変わってしまったから、これと同じ熊本城の姿を肉眼で見ることは絶対にできないのだな」とか思ったりする。
 明治期の写真の多くはどちらかというとセピアカラーだったのだけれど、何故か熊本城の写真は白黒写真だったのも何だか、「黒いお城」の熊本城に相応しい感じがして面白い。

 江戸城の写真を見て「随分と平らなお城だったんだな」と思ったり、木造の国会議事堂の写真を見て「3代とも左右対称のデザインだったのだな」と思ったり、確かに「写真で建築を見る」ということをしている。

 中でも興味深かったのは、伊東忠太が建築の勉強のために中国を訪れて紫禁城を撮った(写真を撮ったのは同行したカメラマンのようだけれども)写真である。
 僭越なことながら、そしてかつ図々しいことながら、撮られた建築の写真の数々を見て、「うんうん、旅行のときってこういう写真を撮りたくなるんだよね」と妙に共感してしまう。

 伊東忠太という建築家は、こうした際には必ずフィールドノートを携帯していたそうで、そのフィールドノートも展示されている。スケッチも美しく、彩色もきちんとされていて、文字部分は鉛筆で下書きをしてからペンで書かれている。几帳面な人だったのだなと思う。
 写真は白黒写真だったから、彩色した意匠のスケッチはきっととても貴重で、それもスケールから色見本までついた本が出されているくらいだからすごい。もの凄く時間をかけて観察してスケッチしたのだろうなということと、絵心溢れる人だったのだなということを思う。

 篠田真由美の「胡蝶の鏡」という小説で、伊東忠太がモチーフに使われているのだけれど、そこにも確か伊東忠太は絵を描く人だったと描写されていたと思う。
 「建築の写真」という、いわば地味な美術展に私が多少なりとも興味を持て、僅かなりとも「ジョサイア・コンドル」や「辰野金吾」「片山東熊」という名前に親しみを感じたのは、篠田真由美の「建築探偵」シリーズのおかげである。

 もうひとつ嬉しかったのは、昭和28年から3回に渡って伊勢神宮の式年遷宮の写真を撮り続けたという渡辺義雄の写真が展示されていたことだ。
 明治期にも撮影されたようなのだけれど、横山松三郎は垣の内側に入ることを許されず、それは遠くから撮られた写真である。
 渡辺義雄は、新しいお宮ができて、でもまだ神様がお移りになる前に、内部に入って撮影することを許されたのだそうだ。それでも身を清めて白い着物を着て撮影に臨んだという。

 先月に伊勢神宮に行ったときには四重の垣の内側にあり、とてもその様子は窺えなかった正殿の写真を見られたことはとても嬉しかった。
 そうか、こういう様子をしているのかと、じーっと見てしまう。
 同じアングルの2枚の正殿の写真が並べて展示されていて、1回毎に左右に移るのにどうして背後の木までほぼ同じなのだろうと首を傾げたのだけれど、間の1回が抜けて、昭和28年と平成5年の写真なのだと気づいて納得した。
 昭和28年の写真は白黒写真、平成5年の写真はカラー写真なのも楽しい。
 渡辺義雄は亡くなっているのだけれど、次回の式年遷宮の写真もどなたかが引き継いで撮ってもらえるといいのにと思う。

 「KUMANO」の写真集を撮った鈴木理策(写真美術館で開催されていた、彼が熊野と桜を撮った写真展に行きそびれてしまったのが本当に残念)が撮った、青山県立美術館の写真も、どういう建物なのかは私には全く判らないのだけれど、でも楽しかった。同じアングルで、手前と遠くとピントを合わせる場所を変えて撮って並べて展示されている写真を見て、ここでも図々しく「うんうん、こういうことってやってみたくなるんだよね」と思ったりする。

 空いていたし結構ゆっくり見たつもりだったのだけれど、それでも1時間半くらいで見てしまった。
 私ってもしかして建築にも写真にもそれほど興味がないのかもと思って、ちょっと悲しかったけど、でもやっぱり楽しかった。
  
 東京都庭園美術館の公式Webサイト内、「建築の記憶−写真と建築の近現代-」のページはこちら。

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