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「どん底」
原作 マクシム・ゴーリキー
上演台本・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演 段田安則/江口洋介/荻野目慶子/緒川たまき
大森博史/大鷹明良/マギー/皆川猿時
三上市朗/池谷のぶえ/松永玲子/黒田大輔
富川一人/あさひ7オユキ/大河内浩/犬山イヌコ
若松武史/山崎一
観劇日 2008年4月26日(土曜日)午後7時開演
劇場 シアターコクーン N列1番
料金 9000円
上演時間 3時間20分(15分間の休憩あり)
翌日が千秋楽だというのに、ちらほらと空席があったのが意外だった。
ロビーでは、パンフレット(1500円)や、Tシャツ、DVD(今回の出演者が出演しているもの)などが販売されていた。
喫茶コーナーでは、「ロシア」にちなんでピロシキが売られていたようである。
ネタバレありの感想は以下に。
マクシム・ゴーリキーという人はロシアの文豪だったな、タイトルからして暗そうだよな、という程度の予備知識だけで見に行った。
舞台が始まる前に映像で役者紹介(というのか、TVドラマのタイトルロールのような感じ)があるのは、ケラリーノ・サンドロヴィッチの芝居ではよくあることだし、それが凝りに凝っているのもよくあることだけれど、まさか「どん底」というこのお芝居でも踏襲するとは思わなかったので意外だった。
そして、スクリーンが上がると、そこは安宿というよりはもう一歩退廃と貧困の雰囲気の強い場所である。
何人もの登場人物がそこで暮らしており、入れ替わり立ち替わり現れたり隠れたり話したり騒いだりしながら、それぞれの役どころが紹介されて行く。
始まってしばらくしての感想は、「何だか串田和美の舞台みたいだな」ということだった。
猥雑な感じの舞台セットからそう感じたのか、いかにもあさひ7オユキ風の音楽が挿入されたところでそう感じたのか、自分でもよく判らない。そもそも、私は最後まであさひ7オユキがどの役を演じていたのか判らなかった。
「どん底」というタイトルだから決してハッピーエンドのお芝居ではないだろうとは予想がついたし、何となく暗いマイナス方向でそれなりに安定している一角に見えていたので、そこに段田安則演じる巡礼姿の老人が新規加入したところで、このお爺さんが曲者で、何の理由もなくこの安定をさらに悲惨な方向に意図的にねじ曲げていくのではないかと予想していた。
ところが、このお爺さんがやけに親切なのである。
その安宿に吹き溜まっている彼ら一人一人の話を聞き、山崎一演じる「役者」と呼ばれる男には他の街にアルコール中毒を無料で治してくれる病院があると嘘を言って「新規まき直し」という気持ちにさせ、池谷のぶえ演じる酷く苦労をしてきた鍛冶屋の奥さんには「あの世はいいところだ」と諭して看取ってやる。松永玲子演じる恋物語の世界に没頭する娼婦の作り物の恋物語を聞いてやり、江口洋介演じる泥棒には、緒川たまき演じる大家の義妹ナターシャを連れて一緒にここから逃げ出せと言う。大森博演じる「親方」が過去に殺人を犯したという話を聞き、三上市朗演じる「男爵」を探している男が来ても彼はいないと嘘をつく。
何というか、このお爺さんは、ここに吹き溜まっている人々を1cmでも5cmでも引き上げようとしているかのようなのである。
こう書いてみると、この宿に泊まっている人々の中で、マギー演じる帽子屋と、犬山イヌコ演じる万頭だけは(途中の出入りは除くとして)、この巡礼の老人と関わりがない。少なくとも薄い。
それは、このメンバーの中でこの2人が安定しているということと、何とかすることができるキャラであるということの現れなのかも知れない。
見ているときも、帽子屋がしゃべっているときは、何となく安心できたことを思い出す。
若松武演じるこの安宿の大家はけちんぼでいばりんぼで強突張りで本当にイヤ〜な感じの老人である。荻野目慶子演じるその妻も、やたらと派手な格好で、泥棒とデキていて、これまたイヤ〜な感じの女性である。しかもこの2人で、妹であるナターシャをいじめぬいているらしい。
類型的といえば類型的なこの「悪役」もこの2人が演じると、パターンを超えたはまり方を見せつけられて、いっそのこと格好良いくらいに見えるのが不思議である。
少しずつ何人かが浮上する気配を見せていたのに、後半、そのことがどん底なりに安定していたこの安宿を壊してゆく。
泥棒の男がナターシャに一緒に逃げようと言っているところを、ミサに出かけて夜まで帰らない筈の大家夫婦に目撃されてしまい、その夜、大家夫婦はナターシャに暴力を振るって足に大やけどを負わせる。
その現場にいた泥棒は、大家を突き飛ばして殺してしまう。
泥棒が「大家の妻は俺に大家を殺せとたきつけた」と警察に向かって告発すると、ナターシャは「最初からそれが目的だったのね」と叫び、自分の姉と泥棒が共謀して大家を殺して自分に大けがを負わせたのだと告発する。
大家の妻姉妹の伯父である警官と万頭が結婚して大家に収まり、安宿は少しだけ清潔感が出てきている。これは、少しだけ浮上した結果なのかと思わせる。
巡礼の老人はもういない。
万頭を騙そうとした詐欺師兄弟が安宿の住人になっている。
でも、このお芝居のタイトルは「どん底」なのである。
誰も元男爵だと信じていなかった「男爵」のところに、元執事だと名乗る男が現れ、妻子が死んだと告げる。
病院に入ったはずのナターシャが沼のほとりにいたと告げられ、彼女は死んでしまったのではないかと思わせられる。
「新規まき直しだ」と叫んで荒天の中を出かけた役者だったが、前後して外に飛び出した娼婦の女が帰ってきて「役者が首とつって死んだ」と住人達に告げる。
そこで、幕なのである。
さて、どう考えればいいのかさっぱり判らない。
そもそも「どん底」という小説はこういう小説なんだろうか。
やっぱり、どん底なりに安定していたこの秩序を壊したのは巡礼の老人なんだろうか。彼は悪意があって、あるいは、こういう結末になることを予想していたのだろうか。この巡礼姿の老人の役割と意図が最後までよく判らなかった。
結果としてそこにあった何かを解体して、いい方向に向けてちょっとだけ浮上した住人と、どん底のさらに下に向かってしまった住人がいるのだけれど、それは巡礼の老人が意図した結果だったんだろうか。この運命の分かれ道はどこにあったのだろう。
もう少し自分の中で放っておかないと、私にとっての「どん底」はまとめられそうにない。
舞台セットは二階建てになっていて、一幕は地下にある安宿の一室。二幕はその上にある草っぱらで大家の家が建っている。
二幕の途中で、舞台全体が上に上がり、その下にあった安宿の一室が現れる。
その転換の間、音楽が生演奏され(この感じが串田和美っぽいと思った)、その後の住人達の様子がスクリーンに字幕で映し出される(この感じはケラっぽいと思う)。
大家の若松武と、巡礼の老人の段田安則は、それぞれ「老人」を演じているのだけれど、その演じ方の違いが面白かった。「ここが違う」ということを説明できないのだけれど、見ていると「これは違うアプローチをしているんだろうな」という印象がある。
そして、どちらも見事に「老人」である。
この二人の名優を始めとして、個性的な役者さん達が濃く演じた「どん底」という舞台は、何だか別世界のようで、ロシアを舞台として日本人が演じているのにその違和感は全く感じず(というか、違和感があるかも知れないとすら思いつかせず)、濃い空気が劇場全体に充満しているような舞台だった。
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コメント
なおみ様、コメントありがとうございます。
そして、ごめんなさい。
私は、ルカーが話していた「真実の国」を探していた人の話というのがどうしても思い出せないのです。すっぽり抜け落ちています。
見ていた時に、役者が首をつったと聞いて「あぁ、やっぱり」と思った記憶もないので、恐らくその部分を完全に聞き漏らしていたのだと思います。
時々、目も開いているし頭も覚醒しているのですが、ガンとして耳が台詞を受け付けないときがあるらしく・・・。
原作と今回のお芝居では「ゴールが違う」のですね。
どこが違うのかとても気になりますが、お芝居よりも更に暗く長いだろう原作を読もうという気力がなかなか沸きませんね・・・。
投稿: 姫林檎 | 2008.05.06 23:42
私も「どん底」観て来ました。「役者」の最後は、やっぱり「ルカー(段田さん)」が話していた「真実の国」を探していた人と同じ結末でしたね。「役者が首を吊った」と聞いて、やっぱり…と。原作とKERAさんの上演脚本はゴールが違うらしい(パンフより)けど、原作はどんなラストだったのでしょうね。
投稿: なおみ | 2008.05.06 23:02