「物語が、始まる」を見る
「物語が、始まる」月影番外地
原作 川上弘美(中央公論新社刊)
脚本 千葉雅子
演出 木野花
出演 高田聖子/加藤啓/辻修
観劇日 2008年5月4日(日曜日)午後6時開演
劇場 赤坂RED/THEATER J列11番
料金 5000円
上演時間 1時間50分
劇場に行ったのがぎりぎりになってしまい、物販はチェックしなかったのだけれど、帰りがけに「黒とピンクとどちらがいいですか」「ピンクで」という会話が聞こえたので、黒とピンクのTシャツが売られていたのは間違いがないと思う。
ネタバレありの感想は以下に。
川上弘美の原作は未読で、そもそも彼女の作品は「センセイの鞄」と「真鶴」しか読んだことがない。
そして、非常に文学らしい小説だという印象だけを持っている。
そういう先入観があるせいなのか、会話が非常に固いように思う。しゃべり言葉ではなく書き言葉で、「**だと思います」「**ではないと思います」という風に台詞を書いてある感じといえばいいだろうか。
かつ、特に高田聖子が意識的に淡々と抑揚なくしゃべっているように見える。
正直にいって、あまり得意な感じではない。
高田聖子演じる「ユキコさん」が、辻修演じる男の子のひな形を拾ってくるところから物語が始まる。
「ひな形」って何なのだろうと思うのだけれど、そこに説明は全くない。イメージとしてはAI機能つきの等身大人形という感じである。
芝居を見終わって他の方のレビューを見るまで気がつかなかったのだけれど、この「ひな形」は拾ったときは子どもだったらしい。確かに「ひな形」の登場シーンでは少年っぽい服装に甲高い声で言われてみると子どもだし、「育てた訳じゃない「育ててもらった」などという会話もあった。
それを、身体は大人で、精神年齢というか知能が育っていっているという風に思って見てしまっていたので、もしかするとかなりこの芝居の印象がそこで左右されてしまったかもしれない。
「ひな形」が最後に老人になっているのを見て、身体も変化していたのだと気がつけと自分にツッコミを入れたくなる。
半年くらいの間に子どもから老人までを駆け抜けた「ひな形」と一緒に暮らす間に、ユキコさんは加藤啓演じる「ホンジョウさん」という恋人と別れたり、再会したりする。
ユキコさんの生活にひな形(後に「サブロウ」と命名する)がなくてはならないものになるにつれ、ホンジョウさんとの関係が微妙になるのは、まあ当然である。
ホンジョウさんに会わせたときのサブロウが一体見た目何歳だったのか、ぜひ知りたいところである。
傍らで恐ろしいくらいのスピードで育つサブロウという設定を考えると、サブロウがユキコさんを抱けないということが、かなりのインパクトがあると判る。
芝居を見ているときは今ひとつピンと来ていなかったし、ラスト近くのユキコさんの台詞に「私を追い越すなんてずるいよ」というのがあるのだけれど、それにしてもユキコさんはサブロウがいつかかなり早いうちにいなくなってしまうことを悟っていただろうし、焦る気持ちもあっただろう。
その辺りをもうちょっと丁寧に描いてあると、凄みのようなものが加わって、淡々とした中にも緩急がついたのじゃないかという気がした。
最初のシーンと最後のシーンは、ユキコさんがひな形(サブロウ)をお風呂に入れているシーンである。
そこに水もお湯もないのだけれど、水音とライトで、本当にユキコさんが丁寧に手でお湯をすくってサブロウの方にかけてあげているように見えたのが不思議だったし見事だった。
考えてみれば、感想を書こうというときに、「ユキコさん」「サブロウ」「ホンジョウさん」と劇中での呼び名のとおりに書きたくなるということは、そこに世界が確実にあって、見ているときにはピンと来なかった何かが私に伝わっているということなのかも知れない。
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