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2008.08.10

「阿片と拳銃」を見る

「阿片と拳銃」劇団M.O.P. 第43回公演
作・演出 マキノノゾミ
出演 キムラ緑子/三上市朗/小市慢太郎/林英世
    酒井高陽/木下政治/奥田達士/勝平ともこ
    白木美保/岡村宏懇/友久航/塩湯真弓
    永滝元太郎/竹山あけ美/塩釜明子/神農直隆
    岡森諦/片岡正二郎/関戸博一
観劇日 2008年8月9日(土曜日)午後7時開演
劇場 紀伊國屋ホール M列19番
料金 5500円
上演時間 2時間30分(10分間の休憩あり)

 「M.O.P.恒例、意味なく1曲演奏するコーナー(byキムラ緑子)」も含めて全てが楽しい。
 あと3公演という湿っぽさがなかったのもよい。

 ロビーでは、パンフレット、これまでの上演台本、この作品のDVD予約、リピータ割引ということでチケットの販売が行われていた。
 公演数を増やしたのでチケットにまだ余裕があるという。勿体ない話である。絶対に見るべきだ。

 ネタバレありの感想は以下に。

 劇団M.O.P. のお芝居は「とんでもない設定でびっくりするほどウエルメイド」というのが私の持つイメージである。
 これが楽しい。
 今回も、マキノノゾミは「意外にしみじみとした愛の物語になりました。」と書いているのだけれど、そしてその通りなのだけれど、かつ、「とんでもない設定でびっくりするほどウエルメイド」なお芝居だった。

 キムラ緑子演じる「ヒカル」という女性と、三上市朗演じる滝口と小市慢太郎演じる守山と男2人との物語を、1939年の上海、1959年の京都(多分、太秦の撮影所)、1979年の浜松の老人ホームを舞台にして、行きつ戻りつしつつ描いてゆく。

 ヒカルが老人ホームで「最初の夫は目の前でピストルで殺された」と言っていた。
 ヒカルが老人ホームで辻本とという老人に毎日100円を投げていた。
 守山が誰かに電話で滝口を保護するように依頼している。
 老人ホームにいるヒカルのところに、誰かから電話がかかってくる。

 3つの時間と場所を行ったり来たりするだけでなく、3つのそれぞれの時代の中でも時間が行ったり来たりしている。
 例えば、1939年の場面がA1、A2、A3、1959年の場面がB1、1979年の場面がC1、C2、C3、C4とあったとすると、C2->A1->B1->C1->A3->C3->A2->C4という順番に構成されているのである。
 (正確ではないけれど、多分、シーンの数と演じられた順番は大体こんな感じだったと思う。)

 時と場所が変わるたびに、舞台前方に「1939年 上海」といったようなサインが出されるし、この時の流れの入り繰りは意外なくらい混乱しない。
 サインを出すためと、多分それぞれの年代に出演している役者さんの早変わりの時間を稼ぐために、場面転換は薄明かりの中で役者さん達によってテキパキと美しくこなされる。すのこのような壁を多用していることもあって、場面転換は多いけれどそれがお芝居の邪魔になることはない。
 やっぱり、「見事」の一言なのである。

 時系列に物語を並べ直そうかとも思ったのだけれど、それはあまり意味がないような気がする。
 ヒカルが一人で上海の街歩きをしているというだけで異常なくらい心配していた守山は、自分がいかに恨まれ狙われているかを知っており、これまで以上に危険な仕事に手を出すことになって、ヒカルと別れようとする。
 ただでは別れられまいと、8年前に一緒にヒカルを助けようとした滝口という男を上海に呼び寄せ、ヒカルの目の前で撃たれて死んだという芝居を打ち、甘粕という男(彼だけは恐らく歴史上の人物である)に滝口とヒカルの2人を預ける。
 この辺りの、ちゃらんぽらんそうで、テキトーそうで、肝が据わっていて、実はめちゃめちゃ男らしいという守山のキャラは、小市慢太郎だからこその造形だよなと思う。

 一方で、生真面目な共産主義者で、だからこそ大杉栄を殺した甘粕の世話になることはできないと本人に向かって宣言するような男で、それなのにそういえば守山とヒカルは結婚していると重々承知の上でヒカルにプロポーズしたりしていて、それでもやっぱり生真面目な印象が変わらないという滝口の造形も、三上市朗の不自然なくらいに真っ直ぐ伸ばした背中でキッパリと表されていたと思う。
 なおかつ、何故だかこの2人が役を入れ替えても面白かったんじゃないかと思ってしまうところが謎である。
 恐らく、雰囲気はかなり変わったと思うのだけれど、でも、このお芝居は成立するような気がする。

 滝口はその後やっぱり映画監督になっていたり(1939年から59年までの間に何があったのだろう)、ヒカルは滝口と結婚したのに浮気を繰り返していたり、滝口が余命半年で映画作りの資金に苦しんでいたところに、何故か右翼の大物から5000万円もの寄付の申し出がある。

 そして、1979年の老人ホームで、ヒカルを訪ねてきた滝口との息子に「守山は生きている」と告げられ、「滝口の映画に寄付したのも守山だった」と知らされる。
 その守山がヒカルに会いたいと言っている。

 完全にヤサぐれた雰囲気のヒカルが、それでもホーム内で「大人しくていい人」で通っていた辻本という老人に、「万引きはやめな」「私が1日に100円のお賽銭をあげるから、廊下の電話のところにある100円を取るのを止めな」と告げるシーンが結構好きである。
 何だかホーム内で敬遠されてしまっているヒカルだけれど、でも、ヒカルの真情というか、心持ちが伝わるようなシーンだと思う。

 40年振りに、守山がヒカルに会いにやってくる。
 守山の頭が禿げ上がってしまっているところがナイスである。普通に「格好いい白髪の紳士」になっていたら、何だか救いがない。
 守山が「一緒に暮らそう」とヒカルに言うけれど、ヒカルは拒否する。謝っても欲しくないと言う。

 最後はどうするんだろう、この40年の物語をどうやって締めるんだろう、どういう風に終わったら納得がゆくんだろうと思っていたら、ヒカルは、「この老人ホームは30人待ちだ。今から申し込んで順番が来るまで待っている」と告げる。
 これに、守山が「そんなことなら裏から手を回して。今でもそういうことは(得意なんだ)。」と言うのが可笑しい。
 もちろん、ヒカルは「ちゃんと順番を待て。いつまででも待っている。」と告げる。

 守山はちゃんと滝口のお墓に謝りに行っただろうか。
 というか、ヒカルに会いに来る前に謝りに行ったというエピソードが欲しかったなという気はする。

 ここで幕かと思ったら、最後、1931年の3人の出会いのシーンが、まるで古い映画フィルムのように演じられてそこで幕となった。

 3人が出会うキッカケとなった、「巴里の屋根の下」という映画の主題歌(なのだと思う。実は知らないので確認できないのだけれど、この展開で違う曲がテーマに使われていたら怒る)が効果的に使われていて格好良い。

 そして、全員で楽器を持ち、ブラスバンドというのかビッグバンドのように1曲披露されて、カーテンコールが3度あって、3度目には三上市朗は既にTシャツ姿になってしまっていて、幕となった。

 本当に楽しかった。
 公演期間は8月18日月曜日まで。
 お勧めの1本である。

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