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「人形の家」
作 ヘンリック・イプセン
演出 デヴィッド・ルヴォー
出演 宮沢りえ/堤真一/山崎一/千葉哲也
神野三鈴/松浦佐知子/明星真由美/他
観劇日 2008年9月13日(土曜日)午後6時30分開演
劇場 シアターコクーン MR列26番
料金 9000円
上演時間 2時間50分(15分間、10分間の休憩あり)
ロビーはかなりシンプルで、パンフレットとポスターが販売されているだけだった。
今回は、上演作品にちなんだ食事や飲み物の提供もない。
ネタバレありの感想は以下に。
元々舞台がある位置に階段状の座席を作り、両方から舞台を挟むようにしてある。
コクーンはMR、MLという両脇の座席があるから、舞台は四方から囲まれている。
開演前はその正方形の舞台に紗のカーテンがかかり、中で子ども達が遊んでいたけれど、開演したあとは幕はなし、暗転も休憩前以外はなかったと思う。
正方形の舞台は回り、クッションなどは置かれているものの、セットというほどのセットはない。
とにかく、シンプルである。
宮沢りえ演じるノラは、何というか、いかにもノラな感じである。
一幕を見ているときは、本当に浪費家で何も考えていなさそうで、夫と救い父を守るために、借金の保証人のサインを偽造しても構わないと信じている(かどうかは微妙な感じも受けたけれど)。
古くさい言葉だけれど、3人の子供の母親とは思えないほどキャピキャピしていて、お嬢さん然としていて、堤真一演じるダンナに甘えておねだりし、神野三鈴演じる旧友のクリスティーネの来訪に飛びつく。
可愛らしいけれど、それを自分で十分に知り尽くしていて、効果的に使用するすべも知っている。
独善的でわがままで浪費家で無防備。
夫が銀行の頭取になったことを「これでお金の心配をしないで済む!」と喜び、クリスマスプレゼントに何が欲しいかと聞かれて「お金」と答える。
どうしてこんなに「お嬢さん」然としているのにそこまでお金に拘るのかと思わせられるし、要するに思いっきり好きなように残額を心配せずに買いたい物を買うことがお買い物だと信じているのかしらという気もする。
一幕は、ひたすらべたべたきゃぴきゃぴはしゃいでいる夫婦の姿を見ることになる。
でも、クリスティーネは離婚して働き口を探しているし、千葉哲也演じるドクター・ランクは死病に冒されているし、ノラが偽造した借用証でお金を貸した山崎一演じるニルスは、この偽造をバラされたくなかったら自分が銀行を辞めないで済むようにダンナを動かせとノラを脅すし、段々とノラにも判ってきているのだけれど、これまでの生活がどこかから決壊しそうな雰囲気が漂っていて、でも、ノラは気づきたくないと見ないふりをしようとしている。
何だかとにかくいたたまれない感じがして、よっぽど二幕・三幕は見ずに帰ってしまおうかと思った。
見終わってから思ったけれど、あれは多分、自分を客観視できていないところや、自分は何をしても許されると思っているところや、一言でいうと「自分は愛されていると信じている人間の傍若無人さ」をノラが体現していて、それがいたたまれない感じを醸し出していたのだと思う。
今よく言われる言葉でいうなら、ノラの「空気を読めない」感が自分とオーバーラップして、それがもの凄く嫌な感じだったのかも知れない。
よくよく考えれば、この段階で夫のトリヴァルもかなり独善的な性質を自ら暴露しているのだけれど、ノラが作り出すいたたまれさに負けて、あまり表面には出てこない。
二幕は、ドクター・ランクに愛を打ち明けられてノラは「どうしてそんな酷いことを言うのだ」と返事をするのだけれど、実は愛されていることを知っていたと告げてしまうノラの方がよっぽど酷くはなかろうか。
クリスティーネに自分がやったことは打ち明けず、でも、全てを暴露する手紙をニルスが残していったことを伝える。
でも、この期に及んでも、ノラは、借用証の偽造の罪を全てトリヴァルが背負って世間の矢面に立ってくれると信じていて、ニルスの手紙をトリヴァルが読むことを恐れつつ、でも期待しているのだ。
ノラの世界観にとっては、それは「奇跡」なのだという。
あり得ない。
ドクター・ランクは死期が近づいたことを知って去り、クリスティーネは昔愛し合っていたニルスと再びやり直すことを決め、ニルスがトリヴァルあての手紙を取り戻そうとするのを止める。「あの夫婦はきちんと正直に話し合うべきだ」と言う。
その意見には全く同感だけれど、「誰かに必要とされたい」「誰かのために働きたい」から、昔、サインの偽造をしたために地位を追われ苦しい生活を送ってきたニルスとよりを戻すというのは、今ひとつよく判らない。
それも、「依存」であって、自立ではないのではなかろうか。
やはり、奇跡は起こらない。
しかも、ニルスの手紙を読んだトリヴァルは、あくまでも「世間体」を守ることを最優先し、自分の地位が脅かされニルスの脅迫に屈服することはもう前提条件として、今後どうやって「取り繕って」生きていくかをひたすら考えている。
ノラに「自分のやったことがどういうことか判っているのか」と言い、おまえの父親もそういう人間だったと言いつつも、彼の眼中にはもはや自分自身しかないように見受けられる。
これまで独善的だし無意味にいばりんぼでノラの考えなど聞こうという発想すら持っていなかったようだけれど、でもその代わり「妻と家庭を守る」ということを明言して「強く」見せかけていたトリヴァルの表面がガラガラばらばらと音を立てて崩れていく感じである。
死期を悟ったからもう会わないというメッセージを残した友人について、「これから先も一緒にいると自分たちの幸せに影が落ちる」というようなことをほとんど他人事のような口調で言うのもどうかと思う。
その後、ニルスから借用証が返されると、トリヴァルの態度は一変する。
あれだけノラを罵りまくり、「子供たちを育てることはさせない」とまで言い切っていたくせに、「これからも仲良く幸せに暮らそう」という童話のエンディングのようなことを平気で言っている。
これまた、あり得ない。
でも、三幕で、それまでの裾の膨らんだドレスから白いブラウスに黒いスカートという地味な格好に着替えて来たノラに、果たしてトリヴァルを責める資格があるんだろうかという気もする。
要するにノラの主張は、「自分は子供の頃は父親の人形で、結婚してからはあなたの人形だった。もっと色々なことを勉強して考えられるようにならなくてはならない。」「今まであなたと私は真面目に話し合ったことなどない。ずっとはしゃいでいただけだ。」「もうあなたに対して一片の愛も感じないから、この家から出て行く。」ということだ。
確かに、トリヴァルも、恐らくは彼女の父親も、彼女を人形のように愛して、自分の思い通りになることを喜び、考えるなんてことは間違ってもさせないようにしてきたんだろう。
でも、それは、彼らだけの責任の筈がない。
ノラ自身だって、そういった環境に甘んじて、それが楽しい・幸せだと思って暮らして来ているのである。
自立を目指すのはいいけれど、だったらまずこれまでの自分が全部人のせいで酷かったというその発想を捨てる必要があるんじゃないのと思ってしまう。
正方形の舞台からクッションや子ども達のままごと道具は片付けられ、椅子が2脚向かい合わせに置かれて三幕はずっと、夫婦2人だけの会話で進んで行く。
ノラはほとんど立ち上がって身振り手振りをつけて興奮しているのに対し、トリヴァルはほとんど立ち上がることはなく、ずっと受け身である。
これまた、どうして反論しないんだと腹立たしくなる。
ノラは「荷物は後でクリスティーネに取りに来てもらう」と言い(これまた、依存ではないのだろうか。)、今夜はクリスティーネのところに泊まらせてもらうと言い(ノラはクリスティーネのところを出ることができるのだろうか)、階段を上って行く。
奇跡が起きたら、またトリヴァルのことを愛することができるようになるかも知れないと言う。
光溢れるドアを開け放ったままノラは出ていき、少ししてパンッというような音がする。
そこでバタンという感じで照明が落ち、幕である。
あの音は、ノラがピストル自殺をしたと示唆しているのだろうか。
ノラがあそこで自殺したか、まだ生きているのか、それによって随分とこのお芝居の様子が違ってくると思うのだけれど、どちらなのか、よく判らなかった。
宮沢りえは、前にも思ったけれど、声の表情が豊かだと思う。トリヴァルに甘えている声、ニルスと対決している声、子ども達と話す声、最後にトリヴァルを責め自立を宣言する声、それぞれがそれぞれの場面に合った声であり、同じ人間の変化を気持ちよく表しているように思う。
堤真一は、爽やかな青年を演じようが、独善的なイヤな奴を演じようが、やっぱり堤真一である。それでも、役の人物に見えるところが不思議な気がする。
乳母を演じた松浦佐知子と、メイドを演じた明星真由美と、何て贅沢にこの2人を使っているのだろうと思う。家の中の黒子として無表情に、でも、特に子供に関するところでは宮沢りえの「奥様」に意見し、そういえばトリヴァルとはほとんど絡みがない。トリヴァルが家のことに無関心な夫であることを、そういうところで表現していたのかも知れない。
彼女たちが現れると、どこか違う方向に行きそうになっていた物語が近いところに戻ってくるように感じられる。
カーテンコールは、堤真一以外は全員、トレーニングウエアのような稽古中のような雰囲気を持った「衣装」に着替えて登場した。
多分、この着替えも何かを象徴しているのだと思うのだけれど、私には判らなかった。
やっぱり「人形の家」という戯曲は、あまり好きになれない。
多分、「大好き」という人はあんまりいなくて、その「好きじゃない」戯曲をどう料理して好きになってもらえるように見せるのか、というところが繰り返し上演される理由なんじゃないかという気がした。
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