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「山の巨人たち」
作 ルイジ・ピランデルロ
演出 ジョルジュ・ラヴォーダン
出演 平幹二朗/麻実れい/手塚とおる/田中美里
大鷹明良/植本潤/綾田俊樹/渕野俊太
大原康裕/及川健/久保酎吉/田根楽子
細見大輔/佐伯静香
観劇日 2008年10月26日(日曜日)午後1時開演
劇場 新国立劇場 中劇場 15列35番
料金 7350円
上演時間 2時間
ロビーでパンフレット(800円)が販売されていた。
今日は、終演後に所要1時間のバックステージツアーが予定されていて、入場の際にその応募券がチラシと一緒に渡された(正確にいうと、机に積んであるので勝手に取って行くようになっている)。
せっかくだからと応募したのだけれど、流石に定員20名は狭き門で、抽選に外れてしまった。残念である。もっと人数を多くするとか、毎回実施するとかしてくれればいいのにと思ってしまった。
ネタバレありの感想は以下に。
このお芝居は、ノーベル賞作家の遺作で未完なのだそうだ。
「遺作で未完」ということもあり、息子宛の遺言書にこの戯曲の大まかなこの後の展開が書かれていたようなので、恐らくその遺言書をベースに様々な「続き」が作られて上演されているのではないかという気がする。
でも、今回は本当に「未完」のまま終わらせ、電光掲示板でその「この戯曲のこの後展開するはずだったストーリー」が示された。
この「この後の展開」が信じられないほど救いがなかったことにも驚いたのだけれど、この舞台に最後に台詞の中でだけ登場する「山の巨人」がこの後、大活躍する予定だったらしいことにも驚いた。
タイトルにもなっているのだからそれは大活躍してもいいのだけれど、ということは、この「山の巨人たち」というお芝居の肝は、書かれず上演もされないこの後の部分にこそあるのじゃないかと思ったからだ。
平幹二朗演じる本当に魔術師なのかよく判らないコトローネという男が住む、多分かなり大きそうなお屋敷に何やら怪しいのか怪しくないのか判らない、人間なのか人間じゃなくなってしまったのかよく判らない人々が暮らしている。
そこに、麻実れい演じる伯爵夫人と呼ばれる女優が率いる劇団がやってくる。
舞台はお屋敷に入るための橋の上、なのかも知れない。
太鼓橋のてっぺんからこっちが舞台上目一杯に作られ、両脇に欄干とお屋敷への入口が配されている。橋の一番手前はすっぱりと落ちて崖のようになっているらしい。
この八百屋過ぎる舞台は、役者さん達には相当の筋力を要求しているんじゃなかろうか、立っているだけでも大変なんじゃなかろうかと余計なことを考えてしまう。
コトローネと伯爵夫人、手塚とおる演じる彼女の夫である伯爵と3人のシーンが多かったような気がする。
この3人で中劇場の空間を完璧に埋めてしまえるのだけれど、だからといってこの3人が一人勝ちした舞台というわけではないのが不思議である。
演じられている時間が夕方から翌朝までという時間帯だったためなのか、舞台全体が概ね暗い。
劇団は、伯爵夫人に惚れていた詩人が書いた「取り替えられた息子の物語」という戯曲を上演しているのだけれど、これがどこへ行っても不評で、もはや上演させてくれる劇場もなく、劇団の維持にお金を使った伯爵の財産はすっからかんになり、劇団員達も1/4の10人にまで減ってしまっている。
伯爵夫人の様子もどこかおかしいのだけれど(ステージノートに書いてあるような、正気と狂気を行ったり来たりしている、というところまでには感じられない)、やっぱり彼女は天性の女優ということらしい。
屋敷はやっぱりどこか「お化け屋敷」風で、骸骨がドレスを着て動き出し、歌ったり踊ったり橋の欄干から飛び降りそうになっていたり、おかしな出来事が次々と起こる。
その骸骨達と、劇団員を迎えた人々とは、一応どこかで一線を画しているらしい。
とにかく、劇団員たちは、その屋敷で一晩、不思議すぎる体験をする。骸骨が歌い踊り、自分たちがベッドで寝ている姿を眺めることができ、首つり自殺をした筈の男もやっぱりベッドで寝ている。
で、夜明けにコトローネが「山の巨人たちの家族の婚礼で、取り替えられた息子の物語を上演しないか」と提案するところで唐突に幕である。
この後で電光掲示板の説明は出るけれど、そのときには役者さん達は動きを止め背を向け、舞台はすでに終わってしまっている。
未完なのだから仕方がないと思いつつ、未完だということを割り引いても、何だかよく判らなかった。
コトローネが伯爵夫妻に説明する「この屋敷と自分」のことが、全く理解できなかったことが原因だと思う。あの説明にのめり込めたら、このお芝居にものめり込むことができて、「判らない」以外の何かが掴めたように思う。
別に、常に「このお芝居は何を言いたいのか」という小学校の国語の授業のようなことばかり考えてお芝居を見ているつもりはないのだけれど、やっぱり、よく判らなかったという感想以外の感想が今のところ浮かんでこないのだった。
かなり贅沢な役者陣だと思うのだけれど、「個性を際立たせる」というよりも「贅沢に群像劇を支えている」という雰囲気が強い。単純に黒い舞台と黒っぽい衣装のせいかも知れないのだけれど、劇団の俳優達一人一人、屋敷の住人一人一人を際立たせるというよりは、「劇団の俳優達」「屋敷の住人達」という記号を重視しているのじゃないかという印象だった。
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