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「私生活(PRIVATE LIVES )」
原作 ノエル・カワード
演出 ジョン・ケアード
出演 内野聖陽/寺島しのぶ/中嶋朋子/橋本じゅん/中澤聖子
観劇日 2008年10月25日(土曜日)午後6時開演
劇場 シアタークリエ 11列14番
料金 10500円
上演時間 2時間40分(20分の休憩あり)
ロビーではパンフレット(1500円)の他、DVDなどが販売されていた。
シアタークリエはロビーが狭いためなのか、開演前と休憩時間に限り客席での飲食ができるというアナウンスがあった。
前からそういう取扱いだっただろうか。記憶にない。
家に帰ってきてから確認したら、やっぱり以前に「プライヴェート・ライブス」というタイトルでこのお芝居を見ていた。そのときの感想はこちら。
何というか、いかにも翻訳劇な感じの舞台である。
5年前に別れた内野聖陽演じるエリオットと寺島しのぶ演じるアマンダが、それぞれ新しい伴侶とともに新婚旅行で訪れたパリ郊外の海辺のリゾートホテルで鉢合わせする。
2人はそれぞれホテルを引き払おうとするけれど、エリオットは中嶋朋子演じるシルヴィアに、アマンダは橋本じゅん演じるヴィクターにそれぞれ断られ、いつの間にやら2人は手に手をとって駆け落ちすることになる。
エリオット夫妻は白い衣装、アマンダ夫妻は黒い衣装で対照的である。
だけれど、本当に対照的なのそうではなくて、エリオットとアマンダは「性格の強さ」のせいで離婚した過去に拘ったのかどうなのか、それぞれ「常識的」な新しい伴侶を選んでいる。
「常識的」というのは、この戯曲の場合、いわゆる「男らしさ」「女らしさ」ということのように見受けられる。
さっきまで、それぞれ見ているのが恥ずかしくなるくらい「ハネムーン」を満喫していた筈なのに、5年前に別れた相手について新しい伴侶につっつかれ、その5年前に別れた相手が目の前に現れて、あっという間に「やっぱり別れられない」ということになって、駆け落ちする。
あまりのハネムーンぶりについ正視できない気分になってしまい、芸達者な役者さんたちの小技に笑わされているうちに、あっという間に一幕は終わってしまった。
やはりこのお芝居はエリオットとアマンダを演じる役者さんが突出しているよりも、エリオットとアマンダとシヴィルとヴィクターを演じる役者さん4人が拮抗している方が面白い。
それはもちろん演技力ということでもあるし、存在感ということでもあるし、これは完全に見る側の問題だけれどその役者さんを知っている度合いも同じくらいの方が楽しめる気がする。
それにしても、寺島しのぶのアマンダはハマっている。いかにもな翻訳調の台詞を語っても何故だかしっくり来てしまうのが不思議である。
内野聖陽のエリオットは、私の持っている、例えば大河ドラマ「風林火山」でのイメージのせいなのか、もっと軽薄でもっとプレイボーイでもっとちゃらんぽらんでもっと短気でいいんじゃないかと思わせる。
常識的で女っぽい中嶋朋子のシヴィルも、やたらと「男」を振りかざして「守ってやる」を連発する橋本じゅんのヴィクターも、いかにも生真面目な感じがハマっているし、いかにも生真面目なところが生真面目すぎて笑いを誘う感じが自然である。
そういう意味では、エリオットの生む笑いは少し小技度が高かったような気がする。
20分間の休憩時間に随分とトンテンカンやっているなと思っていたら、2幕の舞台はアマンダがパリに持っているというフラットに変わっている。
喧嘩しそうになったら「クリストファー・コロンブス」と唱え、そう唱えたら2人とも延長ありの2分間口を開かないという駆け落ち直前にした約束が功を奏してか、特にアマンダの方が罪悪感に駆られながらも、新婚のような生活を送っている。
エリオットとアマンダの2人がひたすらいちゃいちゃしているだけなので、それで空間と時間が埋まってしまうことに感嘆しつつもちょっとだけ飽きてしまう。
飽きてしまいそうな頃に、2人の歌が入り、はっと気がつくと激しく喧嘩をしているから驚きである。
確か思いやりがあるとか空気が読めないとかそういう他愛もない言い争いをして、クリストファー・コロンブスの呪文を唱え、エリオットがピアノを弾き始め歌い始め、アマンダも歌っていた筈なのだけれど、どうしたことだろう。
突発的にというか、思いつきのままに駆け落ちしているのだから、2人が何かと蒸し返したくなるように、長続きする筈もないよなという感じはずっとしている。
そのせいで、口喧嘩で収めることができず、蹴っ飛ばしたり椅子ごとひっくり返したり、ブランデーの瓶で殴ろうとしたり、平手打ちを食らわせたりの切った張ったの喧嘩が始まる。
そうして、駆け落ち後、多分初めてでもの凄く激しい喧嘩の最中に、シヴィルとヴィクターがやってくる。
あんなに現れるのを恐れていた2人がやってきたのに、喧嘩に夢中でエリオット達は気づく様子もない。
やってきた2人はそのままアマンダのフラットに泊まり、次の日、出勤してきた中澤聖子演じるメイドのルイーズに起こされる。
ここまでずっと4人芝居で来たところに、5人目の登場である。多分、何かの象徴としての意味があると思うのだけれど、今ひとつよく判らない。戯曲として、最後まで4人で突っ走ることをしなかった理由は何なんだろうと思う。
エリオットとシヴィルは離婚し、ヴィクターとアマンダも離婚し、という話で進みそうになっていたのだけれど、いつの間にか、2組とも離婚しないということになっている。
よく判らないのだけれど、離婚に当たっては「どちらが離婚を申し立てるか」「離婚の原因をどう説明するか」が重要らしい。女性が申し立てる形にするのが紳士的な男性のすることだということになっているようである。
ふと気がつくと協力してエリオットとアマンダを探し当てた筈のヴィクターとシヴィルが何故だか大げんかを始めている。
その大げんかを見ているうちになのか、今にも別れそうになっていたエリオットとアマンダは2人してそーっとフラットを抜け出して行く。
最後、こちらも切った張ったの喧嘩になってしまったヴィクターとシヴィルは、組み合わせとしてそもそもそんな「常識はずれの」喧嘩をすること自体可笑しいのに、何故だか最高潮に達しようとした寸前、ヴィクターがシヴィルにキスをして、大笑いで幕が降りる。
結局、エリオットとアマンダ、ヴィクターとシヴィルという2組でまとまるんだろうか。
このお芝居はここで終わってしまうので、この4人のその後のなりゆきは判らない。ケチらないで教えてよ、と思ってしまう。
カーテンコールで5人が一言ずつ挨拶をしていた。
役とのギャップが激しくて興味深かったけれど、最後まで「役」の人物のままでいて欲しかったなというのが率直な感想である。
やっぱり以前に見たときと同じように判らなかったのだけれど、でも可笑しかった。
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