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2008.11.29

「友達」を見る

「友達」
作 安部公房
演出 岡田利規
出演 小林十市/麿赤兒/若松武史/木野花
    今井朋彦/剱持たまき/加藤啓/ともさと衣
    柄本時生/呉キリコ/塩田倫/泉陽二
    麻生絵里子/有山尚宏
観劇日 2008年11月24日(月曜日)午後2時開演(千秋楽)
劇場 シアタートラム C列1番
料金 5000円
上演時間 2時間10分

 ロビーでパンフレットを販売していたと思うのだけれど、記憶が定かではない。
 千秋楽だったけれど、「いかにも千秋楽」という感じではないところが却って好印象である。

 ネタバレありの感想は以下に。

 奥の方まで見通せる舞台(そういう意味では、「表裏源内蛙合戦」とちょっと似ていなくもない)に、パイプと半透明の扉で作られた部屋が設置されている。
 C列1番という私の席は、前から2列目の一番端で、その席からは半透明の扉が何とも邪魔である。セット作った奴出て来ーい! と言いたくなる。半透明とはいえ、その向こうにいる人はシルエットと色くらいしか判らないし、家の中にいる人々は壁を背にして立ったりしゃべったりするので、結果として顔の表情などが見えないことが多い。

 役者さん達は、舞台の前方に出てきて正面を向いて台詞を言うことが多かったので、「全く見えない」ということはなかった。
 実はこの演出もかなり不思議で、本当に「わざわざ台詞を言うために前方に出てきました」という感じだし、しゃべっている相手のことはほとんど見ようともせずに客席に向かって台詞を言う。
 なかなか見られない光景だと思う。
 「作り物」という感じを強調したかったのかも知れない。

 安部公房作の戯曲ということで、不条理劇なんだろうなと何の根拠もなく思っていたのだけれど、やっぱり不条理劇だった、と思う。
 ある男の家に9人の家族っぽい構成の男女が押しかけてきて居座るというお話なのだけれど、その唯一と言っていい「まとも」な筈の男が、どうして牛の着ぐるみを着ているのか。
 自宅でどんな格好をしようと構わない訳だけれど、それにしても牛の着ぐるみはあんまりだと思う。

 ただ、訪ねてきて居座る人々が、麿赤兜演じる祖父と、若松武史演じる父と木野花演じる母に率いられていて、そのあまりの強烈さに小林十市演じる「男」の着ぐるみなんて全く問題ないような気がしてくる。
 それにしても、強烈だろうなと思っていた役者さん達はやっぱり強烈だった。
 特に、若松武史はどこで見ても何を演じていてもやっぱり若松武史で、しゃべり方からして特徴があって、でも舞台の上にいるのは若松武史ではなくて、この芝居の場合は紛れもなく「父」なのである。それが不思議だ。

 この家族っぽい9人は本当に不思議な人々で、孤独なことはいけないことだから、隣人愛を広めに、それなりに事前調査をして人を選び家を選んで、誰かの家に居座って「押しかけ家族」になっているらしい。
 多分、そんなことを気にしてはいけないのだろうけれど、何のためにこんなことをしているのだろうと思ってしまう。
 こんなに宗教っぽいことを言っているのに、あまり宗教っぽく感じられなかったことも、後から考えれば不思議である。

 そういえば、この9人が「本当の家族」であるようには見えないのだ。
 隣人愛を広めつつある過程で増えていった、「拡大家族」のようなものという感じを受ける。誰かの家に行って、同じように居座って、家族であると言い張って、そこで同調した人がそれまでの家も家族も人生も捨ててこの変な「拡大家族」に加わって来たんじゃないだろうかと思わせる。

 祖父と父母は強烈すぎる個性だし、今井朋彦演じる長男は凄腕の詐欺師みたいだし、剱持たまき演じる長女はちょっとだけ「男」に割と普通に好意的なようだけれど、加藤啓演じる次男がかなりちんぴらっぽい。榎本時生演じる三男はやけに哲学的なことをしゃべりまくるのにおたくっぽい感じだし、呉キリコ演じるセーラー服の末娘は何だかネコのようである。
 でも、この家族の要は、どうも、ともさと衣演じる次女なんじゃなかろうか。

 この次女がかなりコワイ。
 見た目は笑顔を絶やさないし、いきなりお茶を煎れて配ったりして親切っぽいし、一見「普通のいいお嬢さん」という感じなのだけれど、このシチュエーションで普通っぽいというのがまず怪しいではないか。
 それに、いきなり歌い出すのもこの子である。
 その歌詞がどうもこの芝居のテーマのような気がするので、その歌をメインで歌うこの次女はそういう意味でもやっぱりキーパースンなのではないかと思われる。

 せっかく「男」が呼んだ大家と警官があっさりと「家族」に味方し、・・・というよりも、「男」の味方になろうともせずに帰って行く。
 「男」の婚約者は長男にだまくらかされて指輪を返してきたし、その兄はどうも近々この「拡大家族」の仲間入りをしそうな勢いである。
 長女の「逃げましょう」という台詞に心動かされたのか動かされなかったのか、とにかくそのことをきっかけに「男」は我が家で檻に入れられてしまい、彼の世話はどうも次女が請け負ったようである。

 そして、やっぱりこの次女が最後にはこの「男」を殺してしまう。
 というか、殺してしまったのだと思う。
 そのきっかけが何だったのか、どうしても思い出せない。その前に2人が交わしていた会話の何かが彼女の何かをぶち切ったのだと思う。でも、それが何だったのかが判らないというのは、かなり不気味である。

 しかも、人殺しをした彼女が、後ろ向きで表情を見せず「逆らわなければ私たちなんか単なる世間だったのに」と歌うのが怖い。
 これがこのお芝居のテーマなら、それは怖い筈である。

 9人は、「男」の家から持ち出せるだけの家財を持ち出し、次の「家」を探しに行く。
 次男が次女に「またやったのか」と言っていたから、そのタイミングは恐らくは常に彼女が決めているんだろう。
 何だかひたすら「怖い」という感情が背中に張り付いているようなお芝居だった。

 それにしても、どうしてこの戯曲のタイトルは「友達」であって、「家族」じゃないのだろう。
 「家族」じゃないのはいいとしても、どうして「家族」ではないタイトルが「友達」でなくてはならなかったのだろう。
 やっぱり、私には何も判っていないのかも知れない。

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